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田舎暮らしはそんなに甘くない?

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 テレビや雑誌で田舎暮らしがいいとか、みんな移住しようというような感じの番組や記事を見かけます。まるで田舎が理想郷であるかのような表現があります。
 ぼくもその手のテレビや雑誌が好きで、ああいいなあー、なんて単純に憧れているクチです。
 そういえば昔からそうだったよなー、よく親や先生にいわれたもんなー。
 という話しは、まああまり大切じゃないんでした。

 ぼくの友人で沖縄の離島に住んでいる人がいますが、彼にいわせると「職がないから、何の取り柄もない人が移住してきても厳しい」ということだそうです。
 よくあるのは、都会で職がなく、うまくいかなくて、田舎に移住するというパターンでしょう。もちろん自治体によっては過疎対策として就業支援をしているところもありますが、仕事としてはかなり厳しいものだと思います。
 そりゃそうですよね。
 地元の人だって、田舎の暮らしが楽じゃないからみんな都会に出稼ぎに行くわけで、その結果として過疎になっているのでしょう…

 やっぱり田舎だって能力がある人が来てくれた方がうれしいというのは、容易に想像できることです。
 というか田舎だからこそ、みんなで協力し合いながらコミュニティを支えていくんだから、一人ひとりの技能つうか、能力が大切なんでしょう。

 地元の人の話しでよく聞くのは、手に職がある人は重宝がられるということ…
 医者、看護師、介護福祉士、鍼灸、指圧、整体などが定番でしょう。それに土木関係ができる人も重宝がられるそうです。基礎、配管、大工、配線など、要は家が作れる人ということでしょうね…
 一方でカフェやパン屋をやりたい人は大勢いて、石垣島などは、人口に比べてパン屋がかなり多いという話しを聞いたことがあります。
 ちょっと笑える話しですが、やっている人はマジメなんでしょうから、シリアスともいえます。

 都会でドロップアウトして田舎へエスケープみたいな感じではなかなか難しいようです。
 こういうのってよくあって、たとえば沖縄の国際通りあたりの安宿でプラプラしているバックパッカーなんてその典型でしょう。タイとか東南アジアとかインドでもこういう人達-日本に居場所がない人達-は見かけますが…
 田舎はそういう人達の受け入れ場所ではないということでしょうか…

 一方で定年退職して、年金暮らしという人もいますね。この種の方々は生計という面では問題ないわけですけど、コミュニティに溶け込めるかとか、すごく高齢になって身体の自由がきかなくなったときどうするかという、別な問題がありますねえ。

 いやはや、ちゃんと考えるといろいろ大変ですが、ちゃんと考えないでとりあえずやってみると、うまくいくこともあったりしますから、なんともいえないですね。




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竹芝から家に帰る道・羽田から家に帰る道

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 ぼくは海好きが昂じて、海辺に住んでいます。
 それなのにというか、それだからこそというか、他の海にも行きます。

 そのうち、毎年必ず行くのが、南伊豆、宮古島、八丈島、三宅島です。

 不思議なもので、この4カ所はしばらく行っていないと、無性に行きたくなるんです。風呂に入っているときとか、テレビを見ているときとか、ふとした瞬間に、それぞれの風景が浮かんできて「ああー行きたい。もうダメ。ガマンできない」という感じになるわけですね。

 南伊豆は車で行きます。
 宮古と八丈は飛行機です。
 三宅は船。

 それぞれに行った後、帰路の気持ちが微妙に違うんですね。
 だいたい旅行から帰ってくるときというのは、旅行中の楽しさと、明日から始まる日常との間で、ヘンにセンチメンタルな気持ちが右往左往したりするわけです。その気持ちがそれぞれ違うということをいっているわけですね。

 伊豆に車で行くのは、まあ普通ですね。南伊豆のノンビリした雰囲気を満喫した後、帰るために、徐々に自分家に近づいてくるわけです。いつもの見慣れた風景が展開する中で、家に着いていると…
 そして車の中はプライベート空間ですから、なんか南伊豆の旅行の空気を閉じ込めたまま帰ってくるんですね。

 宮古と八丈は、島ですごくノンビリした時間を過ごすわけです。で、たいていTシャツ・短パン・ビーサンのゴールデントリオだけで暮らして、そのまま飛行機に乗るんです。乗るときも周りはリゾート観光客ばかりですから違和感はありません。
 ただ羽田に着くと、すごく違和感があります。ターミナルに降りると、いきなりビジネス出張のスーツの人とか、帰省の人とかが周囲にいて、リゾートゴールデントリオの自分が浮いちゃってます。
 気にせず、そのままの服装で、スタバに入ったり、電車に乗ったりするんですが、やっぱり周囲の人の服装とは明らかに違うわけですね。で、自分家に帰ってくると、またこれが違和感がなくなります。リゾートから突然都会型というんでしょうか…
 そのあたりの雰囲気の変化が毎回不思議だなと思うんですね。
 ほんの1時間前まで、麦わら帽子かぶったオジイが軽トラにサトウキビ積んでいるような人口数万人の世界から、いきなりビジネスマンごっちゃりの1千万都市の真ん中に立っている自分。これは本当に同じ自分なのだろうか?
 歩くスピードもしばらく馴染めません。
 電車の中のほとんどの人が、スマホを見つめて、周囲に何の関心もなさそうなのも、ちょっと異次元的な違和感があります。

 三宅は、またそれとも違ったパターンでして、ゴールデントリオでノンビリするのも変わらず、東海汽船に乗船するときも変わらず、船内で飲んだくれるときも、周りは似たような人ばっかなので、変わりません。
 竹芝に着いても、まだ少し離島の雰囲気を引きずっています。
 浜松町の駅から電車に乗ったときに、周囲とのズレが表面化します。特に平日の帰りのラッシュアワーに乗り合わせたりすると、ギャップがすごく大きいですね。
 リゾートから徐々に都会型といってもいいかもしれません。
 ここでも三宅と東京とのギャップを感じますが、でも船で6時間かけているので、飛行機で帰ってきたときほどの落差は感じません。が、でも、なんか自分が異次元にワープしたような感覚を持ちます。

 って、こんなことを感じるのはぼくだけでしょうか?
 っていう終わり方もないな…


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八丈島でアシタバの苗を買ってきました




 アシタバというのはいろいろ効能があるんですねー。
 八丈島に行ったとき、地元の人が焼酎をお湯割にしてアシタバの葉を入れて飲んでいました。
 こうすると二日酔いしないそうなんですよ。

 で、うちにもあるといいなあ、なんて思って、苗を買ってきました。
 本当は山に入ればどっかに生えていると思うんですが、似ている植物がたくさんあるようで、区別できないなと思い、苗を買いました。

 丈夫なようなのでそんなに心配していないんですが、冬が越せるかなーと思っています。伊豆に比べると少し寒いですから…
 無事越せたら、春先が楽しみです。
 葉っぱはおひたしにしたり、茎は茹でたり炒めたりして食べることが多いようです。


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あれが黒潮

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 むかーし学校で黒潮とか親潮とか習いましたね。

 今、オヤジになって変わったのは、それらの知識が身近に関係してきたということ…
 特に、海辺に住んだり、八丈島や石垣島に出かけるようになってから、黒潮の流れはすごく影響があります。

 ご存知のとおり、黒潮はいつも同じ流れではありません。本州に寄るときもあれば離れるときもあります。これによって海水温が違ってきますから、獲れる魚やスキューバーダイビングで見られる魚も違ってきます。
 最近よくいわれる黒潮大蛇行ですね。
 特に八丈島はその影響が強くて、黒潮が近いときは、島を取り巻く潮流が変わるのでダイビングの際は要注意です。

 黒潮は時速およそ7kmくらい、水温は夏場で30度くらいです。スキューバーダイビングで伊豆の夏場の水温って、25度から27度くらいですから、黒潮は海の中の暖かい川のような存在というイメージかなと思っています。

 先日、三宅島に潜りにいったら、ダイビングボートの船長が、遠くを指さして、「あれが黒潮だ」っていうんですよね。かなり離れていてよく見えなかったんですが、たしかに黒い帯が続いているのが見えます。そこだけ黒くて盛り上がっているので、遠くからも見えるんですね。さすが黒潮、黒いなー、すげーなーとしばらく眺めていました。盛り上がっているのは体積が大きいからでしょうね。

 海辺に住んでいると、自然の現象ひとつひとつが生活に少しずつ関わってきていて、それがおもしろいと感じる人にとっては、たまらないんですよね。

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遊ぶなら徹底的に遊ぼう

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 海遊びをしてかれこれ20年以上。いやはや自分でも呆れるほどの道楽者です。
 でも、遊ぶなら徹底的に遊ぼうというのが、ぼくの思いです。
 やっぱりどうせ一度っきりの人生なら好きなことをやりたいですし…

 ぼくは親から「しっかり働いて、出世して、人の役立つような仕事をするように」と育てられてきましたし、世間一般の価値観でいえばそれがまっとうだとは思いますが、残念ながら、自分の価値観は違うものでした。
 若い頃は親の期待に添いたいという気持ちも少しはありましたが、途中から、「生きてればいいや」「自分が好きなことをやればいいや」「後継ぎさえ残せばいいや」と考えるようになりました。
 だいたい普通の人にそんな偉人伝に出てくるような生き方を求められてもムリだっつーの。
 個人の人生や価値観という独特なものを、社会的な使命感や義務という一般的なもので縛るのことに、違和感を感じたのです。昔風のいい方でいえば「個人の自由を限定するな」ということですね。

 ちょっと小難しい表現になりましたが、どうせ一度の人生なんだから好きなことをやって、精一杯楽しんでやろうと思ったわけですね。そんなわけで、明けても暮れても、海で楽しく過ごすことを考えています。

 その代わりといちゃあなんですが、海遊び以外に趣味はありませんし、他の道楽もありません、ってちょっとムリ目の自己弁護ですけど…

 海遊びするときも「こうしたらもっと楽しいんじゃないか」「どうせ楽しむならこれもやってみよう」と考えています。

 まあそういう生き方しかできないから、そうしてるだけなんですけどね。


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もっと長い目で考えてもいいのかなー

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 海を眺めていると、ときどき思うんですが、自分ってまあせいぜい生きても70年くらいですよね。それで、少なくとも日本の歴史だって何千年もあるんだなあって思うんです。
 しかも目の前に広がってる海は何億年前からその状態だったわけですよね。

 一方で陸に目を移すと、ぼくの家のあたりは別荘地なので、威容を競うような建物が建っているわけです。
 それらの建物も数十年単位で持ち主がわったり、建て替えられたりしてるんですね。

 そういうのを見ると、人が生きている間にできることって、本当に高が知れてるなあ-と妙に実感するわけです。

 自分の人生だけでできないことってあるわけで、それが組織とか会社みたいな形態になって引き継がれるのかもしれないんですけど、ぼくは少なくとも会社や官僚組織は、ある意思を正確には引き継げない「仕組み」を内包しているんじゃないかな?って感じます。

 組織の中にいる人間が変わるからには、当然組織だって変わるでしょうし、ある人の意思を別の人が100%引き継ぐことなんてできないでしょう。
 たぶん永続的なものというのは作れないんじゃないかと…
 その中でより良い選択は、制度を作って、徳川幕府のように、誰がトップでも安定して運営できるようにするか、もうひとつは絶えずスクラップ・アンド・ビルドを繰り返して、常に新しい組織を作るようにするかだろうなあ、と思うんですね。
 前者は時代の変化が大きい場合に存続できない可能性がありますから、後者の方が優れた形態なのかな?って気がします。



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大雑把ですけど何か?

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 休日ごとに海を眺めているせいでしょうか、細かいことがどうでもよくなっちゃって、職場などで「大雑把」「テキトー」「アバウト」などといわれてしまう今日この頃です。
 でもさあ、まあ大抵のことはそれほど目くじらたてるほどのことではないなあって思うんです。逆に大事なことについてはわりとこだわっているつもりです。

 職場の人なんかでよくいるんだけど、どうでもいい細かいことにうるさくて、大事なことに対して持論がなかったり方向性が出せなかったりする人の方が、ずっと害が多いですね。こういう人ってわりと中間管理職に多くて、そのうち部下からも見限られちゃって、細かいこと注意しても「ハイハイ」って軽くあしらわれちゃうんですよね。

 海で大切なのは死なないことです。死なないためには、風向きや天気や波の様子などに注意し、大切な時には適切な判断と行動が必要です。
 そういうことを日頃やっているので、どうでもいいことはどうでもよくて、大切なことは大切なことというラインが、死ぬかどうかなんですね。
 だから仕事みたいな場で、ちっぽけなことにこだわっている人の気持ちが理解できなくて、ズレちゃってるのかなって思います。
 で、ぼくはそのズレは全然いいと思っているし、ぼくの方が正しいと思っています。

 まあ細かいことも大切なんで、そういう人がいないと組織も成り立たないでしょうが、それがすべてみたいな考え方をされちゃうと、そりゃどうかな?って思います。



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田舎のプライバシーとか、もろもろについて

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 ぼくの住んでいるあたりは、相模湾に面していまして、近くに駅もなく、わりとというか、かなりノンビリしたところです。
 海辺というとリゾートをイメージされる方がいるかもしれませんが、まったくそうではなくて、漁村といった方が近いと思います。

 そのへんに住んでいる人の職業といえば、車などで近くの町に働きに行っている人か、漁師か、土建の下請けか、店などの自営業をやっている人、年金暮らしの移住者といった感じです。

 たまーになんの仕事をしているかわからない、平日の昼間かからブラブラしている働き盛りのオジサンもいたりします。
 話を聞くとフリーのライターとか、写真家とか、まあそんな感じなんですね。
 そんな風に場所を制限されずに食べていけるのはなんとも羨ましいものです。
 まあそういう人達はそれなりにたいへんなこともあるんでしょうけど…

 ただ、たとえば閑静な住宅街で、周りがみんなサラリーマンみたいな町だと、こういうフリーの人は少し肩身が狭いんじゃないかなーと想像します。(というのもぼくが生まれ育った町はそうでしたので…)

 そういう点では、今の町は、いい歳した男が昼間からブラブラしていても誰も気にしてません。
 とても自由な雰囲気ですね。
 正確にいうと、誰も気にしていないじゃなくて「あの人はそういう人だ」とみんなが認識しているということです。
 そういう意味では都会のような匿名性はありません。
 どこの誰がスーパーにいたとか、郵便局にいたとか、だいたいわかります。
 ただ肩書きや所属などで偏見を持たれないという点が違います。

 島などに行くと似た感じを受けます。
 ヨソ者の旅行者だと、どういう人間か鑑定されている感じがします。それで何日も滞在していると、「あいつはどこそこに泊まっている旅行者だ」と認識されます。
 当然といえば当然ですが、そのコミュニティの安全を保つためには、ヘンなヤツがいないかは誰もが気にするところでしょう。

 匿名性のある街がいいか、田舎がいいか、人によって好き嫌いがあると思いますが、田舎に移住しようと思っている人は、自分がどちらのタイプかを確認してからの方がいいかな?なんて思います。


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海の青にもいろいろありますね

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 ぼくの数少ない才能のひとつに、海を長い時間みていられるという、何の役にも立たない能力があります。
 何を見ているのか聞かれるんですが、波の具合とか、遠くの景色とか、潮目とか、漁船が何を獲っているのかとか、あのあたりは水深が浅そうで根があるのかな?とか、まあいろいろです。
 そうそう、海の色もよく見ています。

 海の色っていろいろあるんですよね。もちろん青の時もあって、青もいろいろです。青じゃない時もけっこう多いです。緑とか茶色とか黒とか…
 青といっても、珊瑚礁の海の青と黒潮の海の青と砂浜の近くの海の青はぜんぜん違いますし、同じ場所でも日によって違います。
 それに青でも、水の青というの奥行きがありますね。深さとともに色が変わっていくので、その微妙な変化が深みになっているんでしょう。

 宮古島の池間大橋からみる海の色は、透明感があって薄い青です。
 モルジブのリーフの外側は、透明感があるけれど、ずっと深くて濃い青です。
 八丈島の藍ヶ江は、すごく濃い群青色です。
 茅ヶ崎の海は、砂や汚れで濁った、青とはいえない色です。

 まあそんなのを見ていると、あっという間に時間が経っちゃいます。

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海辺で楽しく過ごす時間を最優先した人生・人の価値観などについて

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 ぼくは要領がいい方ではありません。
 よくどんな状況でも人間関係でも、うまく対応できて、とても頭のいい、感じのいい人がいますが、「ああすごいなあ。でも自分には無理だろうなあ」と思ってしまいます。
 金持ちになりたいとも思いません。
 いわゆる世間的に成功したいとも思いません。

 一時期「ヒルズ族」なる人がいて、IT関係の会社を立ち上げて儲けて、成功者だというような扱いがされていましたが、その暮らしの魅力がよくわかりません。
 人それぞれ価値観はいろいろだと思うので、別にかまわないのですが、こんなにも価値観って違うんだなー、とその開き具合に感心したものです。

 のんびり、ブラブラ、テキトーに暮らしているぼくのような人間は、そういう成功者の人から見たら、たぶんよくわからないでしょうね。
 ぼくが大切にしているのは、時間です。海で楽しんでいる時間…
 人なんていつ病気になるかもしれないし、死んでしまうかもしれないと、かなり本気で思っています。
 なので、ぼくにとって時間は有限で貴重です。その大切な時間を自分の好きな海で使いたいのです。

 社会的に成功していないし、貯金もないし、その日暮らし。それは自分が選択した結果としてそうなっているわけです。

 話しは変わりますが、ぼくの家のそばにすごく広くて立派な海べりに建つ別荘風の邸宅があります。近所なのでなんとなく様子がわかるのですが、使われているのは1年のうち夏の数回くらい。
 どうしてか知りませんが、もし忙しくて別荘に来れないんだとしたら、ぼくにとってその人の生き方はまったく無価値です。

 ぼくであれば、豪華な別荘を建てる仕事よりも、粗末でもいいから海で過ごす時間を得られる仕事を選択するでしょう。
 どの価値観が良い悪いということでは、「もちろん」ないわけですが、ぼくにはぼくの価値観があって、しかも人生は1回きりで、複数の選択はできないので、今の生き方を選択しているということです。

 また話しが変わりますが、(都会の)人と会話していて「海辺に住んでいるんですかー。いいなあー。うらやましいなあ。自分も海辺に住みたいなあ」といわれることがあります。
 その人には事情があるんでしょうが、本当に海が好きなら、本当に海辺に住みたいなら、たった一度の人生を選択するとしたら、どんなハードルも越えて海辺に住むでしょうから、その人が現在海辺に住んでいないとしたら、それはそういう価値観の現れだといっていいと思います。

 人っておもしろいですね。
 なんて考えながら、のんびり海辺を散歩して「気持ちいいなあ」なんてつぶやいている今日この頃です。


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