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魚の豊かな海よもう一度! 日本の漁獲高制限の問題点


 以前も書きましたが、ぼくが20年くらいスキューバーダイビングをしている間に、実感として魚が減っていると思います。それが、アジ、イワシ、サバといった、もともとたくさんいて値段も安かったような魚が特に減っているように感じます。
 いたとしても全体的に型が小さくなっているように感じます。

 ぼくは魚を食べるのも好きですから、そのあたり注意しないといけないなと思っています。できれば長く、子や孫やその先まで、豊かな海を残したいと思います。

 魚が減ってきた原因は、いろいろあって、地球温暖化や海洋汚染もありますが、一番の原因は乱獲だといわれているようです。
 われわれが(日本人ももちろん世界中の人が)魚をたくさん獲りすぎたために、魚の数が減っていて、中には絶滅危惧種も多くなってきたようです。
 獲るべき魚が減ってきたため、漁獲高自体も減少しています。たぶんそれは、スーパーなどでの魚の値段が高くなるということに繋がると思われます。漁獲高が減ると漁師さんの収入が減るので、漁師さんは収入を保つため、さらにたくさん獲ろうとするという、悪循環に陥ります。

 以下は三重大学 生物資源学部 准教授 勝川俊雄氏のブログを参考にまとめました。

 そのような状況がある中で、世界的には国連海洋法条約が提示され、多くの国が批准しています。
 日本も批准していて、それを守るべくTAC法を制定しました。
 これにより魚種によって漁獲可能量が設定されています。
 TAC(全体の漁獲枠)はABC(生物学的許容漁獲量)を基に設定されています。ABCというのは専門家が、これ以上獲りすぎるとヤバいという漁獲高を計算したものです。
 TACはABCを基にはしていますが、魚種によってはABCをオーバーして設定されているものもあります。というかそちらの方が多いというのが、日本の問題点です。これは漁民の生計の問題と関連しています。漁業協同組合からの圧力という形で、政治家を通して政策に反映されています。

 2点目の問題点として漁獲高の割り当て方式があります。割り当て方式には大きく以下のとおり分けられます。

ダービー方式 一定の漁獲枠内で、漁獲量がその制限値に達したところで漁は終わりになります。つまり早い者勝ちです。
IQ方式 経営体に漁獲枠を割り振ります。漁業者(経営体)に漁獲枠を割り振る方式と船に割り振る方式がある。
ITQ方式 ITQは、IQ同様に個別に配分した漁獲枠を金銭による譲渡可能にした方式である。

 世界の多くの国はIQ方式ですが、日本はダービー方式だそうです。より大規模で技術の高い漁業者が有利に働く制度です。


 で、生活者としてのぼくらができることは、なるべく魚を食べないということです。ただ、魚を食べないと、漁師さんの生活が問題になってくるので、豊富にいる魚を優先して食べるということはいえると思います。

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うず巻パンが食べたーい

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 宮古島の名物はいろいろありますが、その中でもぼくが必ず買ってしまうのは「うず巻パン」です。
 すごーくおいしい、わけでもないのに(普通においしいです)、食べたくなってしまいます。
 黒糖も食べたくなってしまいます。黒糖はすごーくおいしいです。黒糖は島によっていろいろ種類があるようで、いろいろな島の黒糖詰め合わせが、空港などで売っていたりします。
 それを買って食べ比べをしていると、これも病みつきになります。

 最初は沖縄独特の食品が物珍しくて食べていましたが、だんだんそれが普通になって、とうとう食べないと物足りないカラダになってしまいました、わたし。

 特に空港に着いて、飛行機から降りて、沖縄の空気に触れると条件反射的に食べたくなります。(ちょっと異常かな?)

 不思議ですね。

 似たようにオリオンビールを飲みたくなりますし、泡盛も飲みたくなります。



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それって先に何があるの?勝間さんの本を読んでシマッタ

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 海辺の友達と飲んだくれました。
 友達はスキューバーダイバーとセイラーです。
 2人とも、というかぼくもいれると3人とも、まあなんつうか、海遊びをするために生きているような人です。仕事はそれを維持するための手段で、もし働かなくていいのなら、喜んで毎日海で遊ぶでしょう。
 向上心とは無縁な野蛮な野郎どもです。

 その席で勝間和代さんの著作の話しが出ました。ダイバーの友達が本を読んだそうです。
 ぼくも2冊読んだことがあるので、だいたいどんなことを書く人かはわかります。どんどん本が出てるけど、読後になんだかうんざりするので、それ以上読みません。
 うんざり加減がちょっと中谷彰宏氏の本を読んだときに近いですね。


 まあ、およそぼくらのような人種とは正反対な人なわけで、全然関係ないので別にどうだっていいんですが、ただ、まったく無関係ともいえないという話しになりました。

 勝間さんの本を読んで、若い人が影響を受けるのは良いことではない、という話しになったんですね。
 勝間さんはおそらく、これまで日本で正しいとされてきた、勉強して頑張って金を稼いで有名になること、それが成功。成功するために時間を効率的に使おうという、考え方の人だと思います。そしてまあ成功=幸せと考えているかもしれません。本人の気持ちは違うかもしれませんが、本を読んでいる限り、自分の価値観と世間の評価軸が限りなくイコールに近い感じがします。


 でも、ぼくらのような人種は、勉強もせず頑張りもせず当面暮らせればいいだろう、忙しくしないで、日々を楽しもうと考えています。

 日本は、GDPで世界第3位で、もともと経済の規模が大きな国です。そんな国が年率数パーセントも成長し続けたら、それはそれでたいへんなことになるだろうし、少子高齢化社会だし、生産年齢人口は減っているし、何かおいしい成長分野があれば、あっという間にいろいろな企業が参入して、おいしい部分はなくなるような世の中です。既得権益を持っている業種や団体はそれを手放そうとはしません。
 遊んでないで国力を保つためにみんなが頑張るべきだというのは、一部の人達が煽っているだけです。だいたいそういう層というのは、いつの時代もいるんですけど…
 日本が直面しているのは、これまでの成功パターンから抜け出して、新しい価値観の社会に脱皮できるかどうかだと思うんですけどね。
 だからぼくのように海で遊べというわけじゃないですけど…


 そんな世の中で頑張れば成功するということが一般的なことだと思わせるのは、若干誤解が生じるんではないかと思います。
 頑張れば成功する人もいるでしょう。それに頑張ること自体は全然悪くなくて、もちろんいいことです。
 頑張って何するかですよね。勝間さんの本を読むと、いつも「だから、その先になにがあるの?」って感じます。
 ただ、勝間さんの本を読んだ、世間の実態を知らない若者は単純に額面どおり受け取る可能性が高いと思います。

 いやあ、書いてあることはごもっともなんですけどねえ。立派すぎて…
 その違和感がわかる人はいいんでしょうが、ひとつの言説として受け止めればいいんですが、そこまで批判力のない人が、そのまま受けとめると、すごい人になりそうだな、と思ったんですね。

 頑張れば成功するという成功の中身と、頑張る方向が昭和の価値観なんではないでしょうか?
 それに頑張る方向って、本来、人それぞれだと推測されますし、今の日本の現状では、人それぞれがそれぞれの方向で頑張ることが求められていると思うんですが…
 自分で考える力がある若者は大丈夫でしょうが、素直な若者は、勝間さんの本を読んですべて鵜呑みにしてしまうかもしれません。
 そういう点で問題があると思います。

 なんて理屈っぽいことを書いてしまいましたが、本を読む限り、勝間さんのような方が好きではないんだと思います。頭はいいのかもしれないけど、人間的にどうなのかなーと思わせる感じ。人間的に小さくて、偏った方との印象が残りました。ぼくが子供だったら勝間さんのようなお母さんのもとには生まれたくないと思わせる内容でした。
 会ったことないからわからないけど…

 つまらないことを書くことにために時間を使っちゃった。
 海に遊びにいこ。
 おいしい空気を吸って、ノンビリしよ。

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沖縄で飲むサンピン茶は味が違う気がする

 沖縄に行くと普通にコンビニや自販機でさんぴん茶を売っています。
 さんぴん茶はジャスミン茶なわけで、それ自体は、沖縄でなくても手に入ります。最近は夏の間、コンビニで普通にジャスミン茶やサンピン茶が売られるようになりました。
 ただ、やっぱり飲むと味が違う、ような気がします。

 中身が沖縄のと違うのかわかりません。
 なんとなく思うんですが、沖縄の空気の中で飲むとやっぱりおいしく感じるのではないか?ということです。

 同じことはオリオンビールでもそうですね。
 沖縄で作られたオリオンビールを取り寄せて(オリオンビールは沖縄で作っているのとアサヒの工場で作っているのがあります)飲んでもやっぱり味が違う、ような気がします。
 気のせいかな?

 その土地のものは、その土地でいただくのがおいしいのではないか!とわたくしは強く感じるのでありますね。




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海辺に住んでいて観光客にやって欲しくないこと



 今日はちょっと辛口というか苦言を呈する内容なんで、いつものノンベンダラリとした文章が好いという方は、読まないでくださいね。



 海辺に住んでいる人というのは、まあたいていその土地に愛着があるわけです。日々そこで暮らしたり、その海でウォータースポーツをしていて、いろいろなことを見聞きしているわけですから。

 で、ぼくも海辺に住んでいて、しかも他の海へ行くこともあるわけですが、やっぱり他の海に行くときは、地元の人に敬意を表します。

 特にサーフィンの場合はそうなんですが、誰でも勝手にその海に入れるわけです。で、マナーが悪い余所者がいると、地元のサーファー、いわゆる「ロコ」にとっては決して良い気持ちはしないわけです。
 というか、あからさまにいうと「オレ達の海を荒らしやがって」と思うわけですね。

 で、ロコの連帯が強いエリアでは、小競り合いやケンカ、余所者の車になんかしちゃうということもあります。

 で、それってサーファーに限らず、他のウォータースポーツマンや普通の海水浴客であっても余所者に対して厳しい土地がありますので、海を訪れるときは注意した方がいいでしょう。

 海辺に住んでいる者として、余所者に絶対やって欲しくないことをまとめてみましょう。

・ゴミを捨てていく
・バーベキューの汚れ物を海で洗う
・路駐する
・海水浴エリア以外で泳ぐ(要するに海水浴エリア以外はウォータースポーツの人が使いたいのに、海水浴客がいると危なくて使えない)
・海の生き物を獲る
・夜遅くまで、花火や大騒ぎなどでうるさい
・港を勝手に使う
・公衆トイレやコンビニやレストランを汚す
・サーファーの場合、波の優先順位などを守らない
・水上バイクが海の一番いい場所を走り回る
・ヨットや水上バイクが、波のブレイクポイントやエントリーするエリア、港の進入路を塞ぐように停泊している
・生活道路を抜け道する
・地元に金を落とさない
・別荘の人なのに、ゴミを集積所に出す(要するに住民税を払っていないのに、行政サービスを受けるなという思い。別荘地で管理費などを払っている場合は該当しません)
・その他地元の人の日常生活を乱すこと

 観光客にしてみれば、自分達が金を落とすことで地元が潤うだろうと考えるかもしれません。 でも、地元の人すべてが観光客の恩恵を受ける仕事に就いているわけではないし、仮に恩恵を受けていたとしても、マナーの悪い客に来て欲しくないとか、マナーの悪い客が増えると土地の雰囲気が悪くなって、上客が来なくなる、と内心思っていることがあります。
 たとえば若い金もってなさそうな若いヤツは、江ノ島とか鵠沼あたりに行って欲しい、落ち着いた金持ちが来てくれればいいと、思っているフシがあります。


 ぼくの住んでいるあたりは、街に働きに行っている人も多く、静かなプライベートを確保したいから、長い通勤時間を我慢して、海辺にに住んでいるという人が多いのです。
 また、老後の年金生活を静かな海辺で暮らしたいという老人も多いです。

 で、住んでいる住人同士でも、小売店のように観光客を呼び込まなきゃいけない人達と、静かに暮らしたい人達で意見の一致を見ていません。

 地元で自営業を営んでいる人は、「サラリーマンなんて…」って思っていますし、町に働きに行っている人は自営業者を「どうせ税金なんて納めてないくせに、主張ばかりしやがって」と思っています。

 というわけで、海辺の田舎といっても、みんながみんな観光客ウェルカムではないということですね。

 ちなみにぼくのサーファーの友人(強気でケンカ早い)は、他府県ナンバーの違法駐車を見つけると、すぐに地元の警察に通報します。
 これがすごくすばやい。
 車の横を通り過ぎる頃には、もう警察の人と電話で話をしています。


 ウォータースポーツということでいえば、ローカルのサーファー、ウインド、ダイバー、シーカヤッカーは、余所者の水上バイクや、プレジャーボートや、ヨットなのに機走しかしないヤツ-要するにエンジンなどの人力以外の力を使うウォータースポーツ(というかスポーツだと思っていない)-のことを、自分の力で自然と向き合っていない、うるさい、環境に悪いなどの理由で、良く思っていないことがあります。

 それから漁協の人は、余所者のサーファーやシーカヤッカーやスノーケラーを良く思っていません。
 というのもダイバー、セイラー(ウインドも含む)は全国的な組織もあり、地元の漁協や港などとパイプを持っていますし、漁業協力費みたいなものを払っていたりしますが、前出の人はいわば「ただ乗り」なわけなので…

 海辺に来る方は、自分達がどういう目で見られているか、一応把握されていた方が良いかなと思います。

 と、以上のようにぼくは思っているわけですが、海辺に住んでいる方の中にもいろいろな考えの方もいらっしゃるでしょうから、お考えを伺いたいですね。



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ビーチのバーベキュー・キャンプ事情

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 ビーチでバーベキューというのは楽しいものです。
 ただ多くのビーチはバーベキューや焚き火などの裸火禁止のところが多いんですね。
 海岸は国や地方自治体の所有になっていることが多く、法令や条例で海岸の利用方法が定められています。

 それからバーベキュー禁止が多くなった背景として、バーベキューをする人のマナーが悪く、ゴミを持ち帰らない、汚れ物を公衆トイレで洗って、手洗い場が汚くなったり詰まるなどして、近隣住民のクレームに加え、自治体の管理がたいへんになってきたことも大きな理由だと思います。
 特に最近は若い人のマナーが以前よりも悪くなっていて、マーケティングでいうところの若年層の劣化というのは、本当かもしれないなと思ったりします。

 そんなわけで、自治体の動きとして最近よく見かけるパターンは、ビーチでのバーベキューは禁止で、その代わり行政が作ったバーベキュー場でならOKというものです。

 バーベキューをする人は、少なくとも他人の土地でやっているという自覚が必要でしょう。

 おそらくこれから防火という点からも地球温暖化物質排出抑制という点からも、バーベキューや焚き火への風当たりは強くなると思います。
 ビーチってバーベキューを企画される方は事前によく調べておいた方がいいですよ。

 次にキャンプです。キャンプも禁止のビーチが多いのですが、夏の季節限定だったりします。それから人目につくところだと、やはり地元の人に不審な目で見られる傾向があります。
 これはビーチだから特別というわけではなくて、たとえば都会の公園でキャンプしている人がいたら不審ですよね。いわゆるホームレスだと思われるかもしれません。まあ、それと同じ思いを地元の人は抱いているんだと思います。

 入江になっているところや岬などでは人目につきにくいので、そういうところならキャンプをしていても大丈夫だと思います。ただ、環境保全のため、立ち入り禁止になっているエリアはNGです。



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海辺の田舎の「虫」について

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 これは海辺暮らしというよりも田舎暮らし全般にいえることかもしれませんが、都会から離れて海辺で暮らすようになってから、虫や動物が身近になりました。

 クモ、ゴキブリ、蚊、蟻は当たり前ですが、ヤモリ、バッタ、コオロギ、カマキリ、カナブン、ゲジゲジ、ムカデ、蛇、リス、タヌキ、モグラがでます。蛇、リス、タヌキ、モグラ以外は普通に家の中に入ってきます。
 移り住んで最初の1、2年、虫が嫌いだったつれあいは、よくキャーキャーいっていました。今はもう慣れていますが…
 なので、都会から田舎に引っ越そうとしている虫が苦手な方は、ある程度覚悟したほうがいいでしょう。おそらくその苦手さは、ダイバーで耳抜きが苦手なのと同じくらいの重荷になります。
 せっかく海辺に引っ越してきて家も建てたのに、奥さんが虫に慣れないために都会に戻っていった人を知っています。

 家の中に虫が入ることは、家の造りを高床にするとか、床下の換気を確保しながら虫が入りにくくするとか、網戸をきちんと整備するなどの対策で軽減はできると思いますので、家を建てる時は設計の時に相談した方がいいと思います。
 それから家の立地によってもずいぶん違いがあります。森や池や海のそばはやはり多いですし、逆に住宅地であれば、それほど多くはないと思います。

 虫はたいして苦手でもないぼくですが、蚊の多さにはうんざりしています。
 家の立地が森のそばだから特に蚊が多いということはありますが、夏の夕方に草花に水をやっていると片腕くらいの面積に2、3匹くらいの割合で蚊が刺してきます。多い日には身体の周りにワァンワァンまとわりついてくることがあります。
 これは蚊取り線香や蚊よけの器具とか薬を使うことで追い払うことができますので、長時間屋外にいることがわかっているときは、万全の準備で蚊と対決します。
 あと注意しているのはムカデです。何気なく座ったソファにいたり、ベッドの中にいたりするので、使う前によく点検する癖がつきました。
 他の虫は直接人間に悪さをするわけではないので、家の外へ追い出すようにしています。

 もうひとつ都会から田舎へ引っ越して感じたのは、ネズミとカラスと鳩が少ないことです。
 推測ですが、自然の生態系の中である程度淘汰されて、数のバランスがとれているのかもしれません。あるいは自然が残っていて、それらの動物の居場所が豊富にあるので、人間に近づく必要がないのかもしれません。

 虫が多いのも慣れてしまえばなんてことないですし、逆に虫がいない都会というのも異常といえば、異常なのかもしれません。

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自然が好きな人の抱える矛盾

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 NHKの朝の連ドラ『淳と愛』の初回は宮古島が舞台でした。池間大橋を渡るシーンがありましたから、オジイの作ったホテルは池間島にあるんですね。
 宮古島はまだまだ珊瑚が残る美しい島ですね。

 沖縄は、本島の中心部はすっかり町になっていまい、ノンビリ気分を味わうためには、車で北の方へ行かなくてはなりませんし、石垣島もずいぶん開発されてしまいました。
 白保の珊瑚がずいぶんヤラれてしまったのは有名な話しですね。

 いわゆる離島フリークは、よりノンビリした島に好んでいきますから、このふたつの島はちょっと対象外になりつつあるんではないでしょうか。石垣島なんて、スーパーからホームセンターまで揃っていて、ぼくの家のあたりより便利です。
 宮古島もずいぶん町(人口がたしか3万人くらい)ですが、まだノンビリしたところがあります。あとは多良間島とか石垣島から船で行ける離島ですね。そのあたりはまだまだノンビリしていて、昔からの沖縄のリズムで地元の人が暮らしているような気がします。

 離島好きな旅行者というのは勝手なもので、旅行者が行くから、ノンビリした島が観光化して開発が進むわけですが、開発されてしまうと、魅力がなくなって、旅行者は新たな未開発の場所を探します。
 自然が好きな人も似たような構図ですね。自然が好きで、手つかずの森に入っていくと、それが自然環境の破壊につながってしまう面があります。
 その行動自体が矛盾を伴うというわけで、皮肉なものです。
 そのうち本当の自然愛好家は都市に住むのが本道という時代が来るかもしれません。

 ぼくも気をつけないといけないですね。


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公共シャワーのあるビーチ

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 いわゆる年に1、2回海水浴来るような人達は、ビーチにシャワーがあることが前提なんだっていうことに気がついて愕然とした、今日この頃です。

 というのも都会に住んでいる友達と、ちょっと遠くの海に車で遊びに行ったんです。
 で、彼は、そこにシャワーがないことが不満だったみたいです。
 彼はそれまでの海体験で、海の家か公共のシャワーがある場所でしか海水浴をしたことがなかったそうです。
 海で遊んだ後、砂や潮を落としたくてしようがないとのこと。
 うーん。そういうナイーブな人は海遊びしないほうがいいんじゃないかな?

 残念ながら、海の家は夏の間しかありませんし、公共シャワーがあるビーチというのもまだまだ限られています。ぼくにいわせれば公共シャワーがあるような海は、人に荒らされて面白くないですけど…

 ぼくは、地元じゃない海に行くとき(そういうときのことを、ぼくは勝手に「今日はアウェーだ」と称しています)は車に水のタンク積んでまして、海からあがるとこの水でジャバジャバって軽く潮を流すんですが、その粗雑なやり方は彼の気に入らないようでした。シャワーのように暖かくないし、せっけんでちゃんと洗いたかったようです。もしかしたらボディソープじゃなきゃダメだったかもしれません。

 さて、公共シャワーですが、一般的に観光客を誘致することに積極的な場所には整備されています。ご丁寧なところでは、トイレとバーベキュー場とキャンプ場のセットだったりします。
 湘南ですと辻堂海浜公園とか江ノ島西浜あたりは、トイレの横にシャワーがついています。温水が出たかは覚えていません。ぼくはそういう「○○場」みたいな人工的なところが嫌いですから、あまり行きません。
 あと、八丈島や三宅島は大きな浜にトイレとシャワーがあります。伊豆の弓ヶ浜にもあったような気がします。千葉の外房にも何ヶ所かあったような気がしますが、忘れちゃいました。蓮沼海浜公園だったかな?

 そんなわけでぼくの知る限り、公共シャワーがあるビーチというのは少数派です。
 でもそれでいいんです。
 そんなものに税金を使わないでください。ただ、自然のままの砂浜をそのままにしておいて欲しいです。
 公共シャワーときれいなトイレがなきゃイヤだという人は、海に来なきゃいいし、そういう人に来て欲しくないです。偏屈ですが…

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ビーチは海水浴場と違うか? ビーチは文化の孵卵器か?

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 フリーペーパー『湘南ビーチFMマガジン』木村太郎さんが記事を書いていました。
 概要を要約すると次のようになります。

日経電子版の記事で、海水浴場とビーチは違いがあるとあった。ビーチはただの行楽地ではない。開放的な空気と地元同士のつながりの中で、音楽やファッションと融合し、新しい文化や消費の形、規範、さらにはビジネスまで生み出す。で、湘南からいろいろな文化が発信されて、日本を席巻するかもしれないが、木村さんは、それが日本に広まることで希薄化することに危惧している。


だそうです。


 ぼくはビーチにそんなイメージがあるとは思いません。
 確かに湘南からは、過去に石原兄弟の太陽族やサザンなどの文化が生まれましたが、これは、どこの地方にもある文化の一形態だと思います。湘南はたまたま都心に近く、富裕層が多いという事情があって、それが独特の魅力を持ち、広まりやすかったんだと思います。
 似たようなことは、軽井沢や八ヶ岳などでも見られると思います。
 もっといえば日本中の海辺にはそれぞれの文化があると思います。
 それに文化ということでいえば、沖縄の文化だって日本に広まっているわけですし…

 それから木村さんの湘南発の文化が広まることで希薄化するのではなく、それを保つ方がいいと書いていますが、それもどうでしょう。別にどっちでもいいじゃないかと思うんですが…
 だいたい木村さんの言説はいちいち狭量で偏屈です。それ自体湘南らしくないと思います。


 日経の記事とそれを受けた木村さんの記事、どちらも違和感があります。
 海辺に住む者としては、海が好きで、海と共に生活を楽しんでいるという現実だけがあります。
 それがたまたま余所の人には魅力的に映り、広まっていく。住民はその部分は関知しないというのが実際なのではないかなと思います。
 

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