海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
カモミールってぼくには合わない
我が家ではいろいろなハーブを植えて楽しんでいます。さすがに今の季節だと、元気なのはミントとレモンバームくらいですが…
いろいろな種類があるハーブの中にカモミールっていうのがありますね。
定番中の定番です。
よくハーブティになっていたりします。
ティーバッグなども出ていて気軽に楽しめるハーブです。
ぼくの家でも庭で育てていて、収穫して干して、お茶にして飲んでいます。
一般的には気分を落ち着ける作用があるとされています。
ただ最近気づいたんですが、ぼくにはカモミールが合わないような気がするんですね。カモミールを飲むと寒くなります。身体が冷えるんですね。
それから少し気分が落ち込みます。
気分が落ち着くというのではなく、落ち込む感じです。
これがラベンダーだと気分が落ち着くんですね。
不思議なものです。
というわけで、カモミールはあまり飲まなくなりました。
逆によく飲むのが、エルダーフラワー、ショウガ(ショウガはハーブじゃないかもしれません)です。これは身体が暖まって元気になります。
人それぞれ相性があるんでしょうね。
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チャレンジングでイノベーティブな行為を受け入れるということ
マスコミでは若者の就職先がないというニュースが流れます。就活も激しさを増しているといったニュースが流れます。
ぼくは、海遊びばかりしているオジサンですから、できれば働かずに生きていきたい、自分の好きなことをして生きていきたい、と常々思っています。
海辺に住む周囲の人々を見回せば、なんとなくそんな感じで暮らしている人が結構います。
ウォータースポーツのショップをやっている人、ダイビングのインストラクター、子供向けに海遊びスクールをやっている人、海関係の写真家、ウォータースポーツのグッズを輸入販売している人などなど。
それぞれ自分の好きなことをしていたら、それで食べていけるようになったというような感じです。
「なぜ働くのか?」ということをテーマにした本は多く出版されていますが、現実問題として、大きな会社でいい給料をもらいたいというのが、多くの人の本音でしょう。
これって生活がかかった話しなので、無責任なことはいえませんが、あえてマクロに一般論として、考えたことを書いてみたいと思います。
ぼくはいい歳して海遊びばかりしていて、周囲の「まっとうな」社会人から、しばしば「まったくいい歳して遊んでばかりいて」といわれています。
そのたびに感じていることがありまして、遊びの中から生まれることもあるのではないか?ということです。もうちょっというと、現状で無価値なものを無価値としてみなして、そこから何が生まれるのかということです。
一方で大きな会社である一部の仕事を割り当てられて、それを日々こなすことは、仕事はしているかもしれないけれど、何かを生みだしているのかということを問いかけたいのです。
さて、冒頭の大きな会社へ就職したいために一生懸命になるという話しですが、マクロ的に一般論的にいうと、多くの人がより多くの新しい可能性にチャレンジして、新しい価値を生み、それがビジネスになることが、長期的には社会のためであり、結果的に個人に恩恵がもたらされ、その個人の子供や孫に恩恵が及んでいくんではないかと、ぼくは考えています。
それが特定の大きな会社に優秀な人が集中して、その会社の目標のために努力すると、当面は会社として価値を生むので、社会的にも個人的にもプラスですが、長期的にイノベーティブなことができるかというと、わりと疑問です。もちろん組織の体質にもよりますが、大きな組織ほど、一般的にイノベーションを拒む傾向があると思われるからです。
そのため長期的にイノベーティブなビジネスが生まれなくなり、経済は衰退していくのではないか、そして社会も個人も豊かさを失っていくのではないかという仮説を持っています。
ちょっと違う話になりますが、戦後は多くの夫婦が、5人とか7人とか子供を産んでいました。これは子供に与える教育の水準をを今ほど高く設定していなかったからできたことだと思います。それにみんな今ほど豊かでなくて、それが当たり前だったから、貧しくても子供を産むことに躊躇しなかったんだと思います。
結果的に生産年齢人口は増えて、それが経済成長に繋がりました。おそらく多くの子供の中で激しい競争が起きて、新しいビジネスが生まれたことでしょう。社会も豊かになりました。
現在は、子供を生まない夫婦が多く、日本の人口は減少しています。子供ひとりに与える教育水準は高くなりましたが、一方で子供同士の競争は激しくありません。推測ですが、数十年前、大学受験人口が多かった時代の東大入学者の学力レベルと、現在の東大入学者の学力レベルは、現在の方が落ちているのではないでしょうか?
そして、子供が少なくなったために、親世代は年金の心配をしなくてはなりません。
もちろん子供が欲しいのにできない夫婦もいるでしょうから、そういう方には心から同情しますが、当面自分達の生活水準を維持したいがために子供を産まないとか、子供に一定水準以上の教育を与えたいと考えるあまりに子供を産まないという行為は、結果的に社会を衰退させ、自分達の老後の年金の不安を呼び、子供世代にツケを残してしまいます。
さて、だいぶ話しがまわりくどくなりましたが、短期的に損得を考えるのってどうなんだろうって思うわけです。もちろん個人的には安定した高収入が欲しいわけですが…
みんなが同じような行動をしたときに、社会全体ではよい結果でなく、それが回りまわって個人に戻ってくるということは、経済学の初歩で習った気がします。
だから遊んでいる人を見ても「あの人はイノベーティブなことをしているんだ。すごい人だ」ってあたたかい目で見てください。
強引な終わり方…
いい加減のいい加減さ
海辺に住んで、海遊びをしていると、マイペースでアバウトな人が結構います。いい意味で大らか、冒険的、挑戦的、瑣事にこだわらない人達です。
ぼくもどちらかというと、そっち寄りの人間だと思います。
そういうタイプの人達は、より楽しい海遊びができるかとか命に関わるかということには、とても敏感で、創造力豊かで、慎重です。でも、それに関係ないことには、まったく頓着しないという面もあります。
一方で、どうでもいいことにすごく細かい人もいたりします。わりと仕事がらみで多いですね。こだわりともちょっと違う感じです。
そういうタイプの人を見ていると、いい加減さって大事だなと思います。
何でも完璧にやって失敗しないようにという考え方は、新しい事へ挑戦する機会を奪ってしまいます。
組織の上層部の人が、少しくらい失敗したっていいからガンガン行くぞっていうところと、リスクをできる限り減らして守り重視で行くぞっていうところでは、自ずとその後の成長余力は変わってきます。
で、これはマネジメントサイドの話でして、もう少しミクロなところに視点を移すと、実際の仕事の現場では、10人に1人くらいは、自分の仕事を進めるよりは、他人のミスの批判をすることに熱心な人がいるものです。
こういう人がいると、そのチームはやっぱりミスを意識してしまい、全体の勢いがなくなってしまいます。
ぼくはこういう傾向のことを「重箱病」と呼んでいます。重箱の隅をつついてばかりいるから、そう名付けました。
話がずれますが、最近マスコミがやたらやるのが、内閣の政治家のちょっとしたミスや不祥事をことさらに騒ぎ立てて、野党もそこに加わって、問責決議を出す、辞任に追い込む、みたいなパターンです。
これも構造としては同じだと思います。
些末なミスに目くじらを立てて、もっと大事なこと、将来のことに意識が向かわず、チャレンジする意欲を削ぐ結果になっています。
マスコミは政治に対するチェック機能を持つべきだと思いますが、それはもっと大きなことに対して向けられるべきで、大臣のちょっとした失言を取り上げて辞任に追い込むことではないはずです。
ぼくの勝手な想像ですが、今の日本が元気がないのは、こうした「重箱病」が社会のいたるところにあるからではないでしょうか?
そこから脱するには、いい加減のいい加減さを許容することだと思います。
日本のような成熟した社会においては、現在顕在化している問題点に対して、何の非もない完璧な解決策がある可能生は低いでしょう。もしそんな案があれば、おそらくすでに実施されていたはずです。
それに人々の価値観が多様化しているので、ある人々には良い解決策でも、ある人々には好ましくないということもありえるでしょう。
一長一短がある解決策から何かを選択しないと、現状の問題点は解決できません。
そこではある程度の欠点は許容して、新しい解決策を試してみるという姿勢が大切だと考えます。
ちょっといい加減になることです。いい加減のいい加減さを大切にするといいんではないでしょうか。
人混みや列に並ぶのがちょっと…
歳をとったせいか、渋谷とか新宿とかの人混みが苦手です。そして列に並ぶのも苦手です。
幸い列に並ばなきゃいけない暮らしをしていないので、めったにありませんが…
ただ東日本大震災の際に、一時、スーパーで買いだめ騒ぎになったことがありました。確か数週間で収まったんですが、物資がなくなるというので、食料品を買いだめするためにスーパーに人が殺到するということが、ぼくの住んでいる田舎あたりでも起きました。
このときはいろいろなスーパーを巡り、その都度何時間も駐車場待ちやレジ待ちの列に並びました。
すごくイヤでしたが、とりあえず食べるものを確保しなきゃいけないんで、我慢しました。
そんなことは住み始めてから初めてでしたが…
よくテレビで、名所がオープンしたときとか、デパートの物産展とか、福袋販売とかで前日から並んでいるみたいなニュースが流れますが、あの映像を見るだけでアタマがクラクラしてきます。
すごいですね。ぼくにはとてもできません。
たまに行く沖縄の離島や伊豆七島。雑貨屋のような店が島に1・2軒だけということがよくあります。そんな店ではあまりにもお客がいなさすぎて、店番のオバアさえ奥にひっこんでたりして、大声で呼ばなきゃならないということもままあります。
どうしても店の人が出てこないときには、必要なものを棚から取って、代金をレジに置いていくということもあります。
そんなノンビリした雰囲気を体験してしまうと、街中の買い物の行列というのは耐えがたいものがあります。
ぼくが魚釣りをやめたわけ ~あるいは魚食や水産資源について~
ぼくが小学生の頃、ちょっとした釣りブームがありました。小学生の高学年になるとみんな釣りをやるんです。ぼくもよくやりました。
それからはたまーに釣りに行く日々が続きました。
そんな状況が変わったのは、大学生になってスキューバーダイビング始めたときです。
スキューバーダイビングというのはご存知のとおり、魚を見ることがメインの楽しみなわけですが、水中に入って魚を眺めると「魚というのは有限なんだ」ということが一目でわかるんです。
海の中のどこにでも、やたらめったら魚がいるわけではなくて、岩場や藻場などにかたまって数えられるくらいの魚がいるということです。
そしてそれぞれの魚が生き残りのためにいろいろな工夫をしているということも知りました。
もちろんこれは1990年代前半の伊豆の話しでして、海外などの他の場所に行けばもっと魚がいる場所はあったと思います。
ただ、相模湾とか駿河湾の水深30m程度のところではそんな状況でした。
そんな経験をして、ぼくは魚釣りをきっぱりやめました。
とても釣りをする気にはなれませんでした。
それはたとえば、釣りで70cmくらいの石鯛を釣れば、これは大喜びするような釣果なんでしょうが、石鯛が70cmまで育つのって結構たいへんなことなんだということを知ったからです。
海に潜ると、そのサイズの石鯛をそんなに見ることはあまりありません。
つまりその鯛はかなり貴重で、過酷な生存競争を生き残った鯛なんですね。
それを釣り上げて喜んでいるというのはどういうものなのか?と思いました。
それからおよそ20年くらい経ち、海の中の魚の数は間違いなく減っています。
ぼくはよく伊豆で潜るのですが、昔はけっこう魚がいたポイントであっても、今はかなり少なくなっています。いたとしても型が小さくなっています。
原因はいろいろな説があって、水質汚染だとか、海の環境が荒れているとか(これはダイバーのせい?)、森や川が劣化していて海に養分が注ぎ込まないからだとか、乱獲だとかです。
その中でも最も有力な説が乱獲です。
これは伊豆や日本の海に限ったことではなくて世界的な問題になっているようです。人間が増えすぎて、その食料として魚を獲り過ぎて、魚がいなくなりつつあるということです。
そのためいろいろな団体が、どのような魚を食べるべきで、どのような魚を食べるべきでないかの指針を出しています。
●MSC認証
MSC認証ラベルがついた魚を選ぶと海の環境保全に貢献することができます。
●Seafood WATCH
欧米の情報が中心ですが、どの魚が稀少なのかわかります。iPhoneアプリも出ています。
●おさかなガイドブック
CBD市民ネット 沿岸・海洋作業部会が作成したリーフレットで日本の魚食の現状や問題点がわかりやすくまとめられています。
●魚食スペシャリスト検定
日本人の伝統である魚食と漁業資源のバランスを考える基礎知識を得ることができます。
これらが示しているのは、養殖が可能な魚や比較的数の多い魚を食べるようにして、絶滅危惧のある魚を守ろうということです。
話しは変わりますが、魚の減少は漁業の問題も大きいのです。
日本では水産庁が魚種毎に漁獲量制限を設けています。これをTACといいますが、この制度ではTACの制限値に達したところで捕獲抑制が発動されますが、そうなると漁業に携わる人としては、早いうちにたくさん獲っておこうという動機づけがなされてしまいます。これをオリンピック制度というそうです。
水産庁『我が国における資源管理の現状と課題』
水産庁『TAC制度の現状と課題』
大規模な船で早くたくさん魚を獲ってしまおうという状況が世界的に起きているようです。
また、漁法によっても魚へのダメージが違っていて、たとえばダイナマイト漁、延縄漁、底引き網漁などはダメージが大きいとされています。
おおまかにいえば、増える人口に対して水産資源をどうやって長持ちさせるかが国際的な課題となっているということだと思います。
ぼくは海が好きです。魚を見るのも好きですし、魚を食べるのも好きです。かつては魚釣りも好きでした。
たぶん海や魚に思い入れのある人ほど、これからは海や魚との付合い方を考えなければいけない時代になりつつあると思います。
日経ビジネスが『沖縄経済圏』を取り上げたことについての雑感
以前の日経ビジネスに沖縄経済圏に関する特集記事が掲載されていました。
記事の要旨は、東アジア経済が成長しつつある現在、物流や経済の拠点として沖縄は最前線の絶好の位置にあるという内容です。
また、米軍基地の跡地の再開発で経済が成長し、今後目軍基地の移転があれば、さらに成長が見込めるとのことです。
ANAは那覇をハブと位置づけて、貨物輸送の拠点を設けているそうです。また、ヤマト運輸も同様の方針を打ち出しているそうです。
それによって、アジアの日本の現地工場の部品が翌日には日本の工場に運ばれて、ラインに乗せることができる。あるいは逆もあり得るということです。
以前九州をハブにしてLSIなどを全国に供給しようというプランがありましたが、それを思い出させる記事でした。
中国・韓国・台湾をはじめ東南アジアの国々が経済成長するにつれ、経済の軸足が東京から南東に動いているということでしょう。そのために地の利から沖縄の優位性が高まっているということだと思います。
さて、沖縄に住む人々にとっては経済的に豊かになることはいいことだと思います。
ただ、勝手で申し訳ないんですが、本島に住んでいて、沖縄の自然の豊かさに魅力を感じている者としては、少し寂しい感じがします。
例えばぼくが初めて沖縄の那覇に行ったのは20年前ですが、その頃と今の那覇ではずいぶん違います。
正直なところ、今の那覇に特別魅力を感じません。(すみません)
今の那覇にあるのは、地方都市の県庁所在地の典型的な姿で、沖縄にある那覇らしさが薄れていると感じるからです。
ぼくはダイバーですから、海の中の違いはさらに大きいものがあります。20年前は慶良間あたりで豊かな珊瑚を見ることができましたが、今は無残です。とても行く気がしません。
那覇だけではなく、石垣島も大きく変わりました。
のどかで美しい海の島だった石垣は、白保の空港建設や宅地開発で変わってしまいました。海の中もやはり以前よりは、自然が元気を失っていると感じます。
でも、沖縄を今のようにしたのは、観光客である我々にも責任の一端があるわけで、なんとも勝手で申し訳ないと思います。
おそらく自然の豊かな土地は、本当はリゾート開発をするべきではないのでしょう。世界遺産に登録せず、そっとしておくべきなのです。
本来、自然豊かで美しい町が無残に観光地化・都市化していった例はいくらでもあります。
熱海、軽井沢、八ヶ岳、日光、河口湖、伊豆などなど。
もうそういうのを見るのは嫌だなと思います。
ただ、それは、その土地に住んでいない観光客としての我々の意見であって、住民の人にとっては、生活がかかっていますから、そうはいっていられないわけです。
やはり観光客に来てもらわないといけないし、売れるものはなんでも売ると…
その妥協点を探っていく試みとして、湯布院の町造りや黒川温泉の町造りがあるのかなと感じています。
伊豆に行くとみかんを買ってしまう
ダイビングで伊豆に行くことがよくあります。
で、伊豆に行くとついつい買ってしまうものに、干物とみかんがあります。
干物は、その季節の旬の魚の一夜干しなんかで、脂の乗ったのを見ると、どうしても我慢できません。
みかんもおいしい店のは、酸っぱくてスーパーのものよりもずっとおいしいので、やはり通り過ぎることができず買ってしまいます。最近は伊豆ではニューサマーオレンジを大々的に売り出しているんですが、これもおいしいところのだと、本当においしいので、つい買っちゃいますね。
道端にあるみかん専門の土産屋で買うんですが、自分のところで栽培している店だと、品種や土地や育て方の違いなのか、けっこう味が違うんですね。
最初の頃は特に気にするわけでもなく買っていたんですが、だんだん自分の好きな味の店に気がつくようになりました。
旬のみかんを手に入れたときは思わずニヤニヤしてしまいます。
十円玉を磨くな
ビーチで海を眺めているといろいろなことを考えます。
先日は、社会人になった頃、父親に「十円玉を磨くような仕事はするな」といわれたことを思い出しました。
十円玉はいくら磨いても十円の価値しかないわけです。価値を生まない仕事はするなという意味だと思います。
そういう視点で周囲を見回してみると、組織には一円玉でも十円玉でもとにかくピカピカじゃないと気が済まないタイプの人がいます。
たとえば、社内文書の体裁、社内会議で使うパワポの細部、打ち合わせの資料などなど、とにかく細かい。
確かに細部の詰めが大切なことはたくさんありますが、それは「その細部へのこだわりが価値を生むか」という視点が不可欠です。
組織的には価値の産まない仕事に時間と労力を使うのは、マイナスだと思うのですが、こういうのって個人の性格とか価値観とか癖のようなところから生じていることが多かったりするので、コントロールしにくいという面があります。直せるようなことならもうとっくに直してるでしょね。
もしかして日本の企業の競争力の低下は「価値を生まない事へのこだわり」にあったりするのかなーなんて思ったりします。
とかく海遊びをしていると、大切なことは命であって、それが守れればあとは、まあ、他のことはなんだっていいというところがあります。
そういう物差しで日々暮らしていると、会社で起きている価値を生まない細部へのこだわりといことが、本当にバカバカしく感じられます。
シンプルさってなんだろう
断捨離という本が売れて、けっこう普通に使われる言葉になりました。
以前から余計なものは持ちたくない、最低限の物を大切に使いたいと思ってきたぼくにとっては、この言葉に同感できます。
でも、整理法の本とかを立ち読みしていると、シンプルさってなんだろうって思います。
仕事で忙しかったり、バタバタしたりで、ストレスがたまる時って、買い物がしたくなる時があります。
そういう時ってつい要らない物を買っちゃうんですよね。
それからやっぱり毎日同じじゃつまらないから、新しい物買ったりします。
物を買うとその物を掃除したりメンテナンスするのに時間がかかって、結果的に忙しくなって、ストレスが増えるなんてことも…
ストレスを解消するために、あるいは平凡な日常から抜け出すために変化を求めていて、それが何か余計なものをココロにため込むような気がします。
そして余計に重くなって、よりストレスを溜め込んだり、より強い変化を求めるようになってしまう。
そういうスパイラルから脱して、今持っているものに感謝し、それを十分に使って、良さを味わう。そんな日々が送れたらいいなと思います。
ぼくの好きな店に蓼科のハーバルノートシンプルズというハーブ屋さんがあります。そのオーナー萩尾エリ子さんの書いた『八ヶ岳の食卓』という本があります。この本は一見レシピ本のようにも使えますが、萩尾さんが、毎日を、自然と寄り添いながら丁寧に暮らす様子が書かれています。
そこには刺激的な変化を求めるんじゃなくて、日々の小さな出来事を味わっていく姿勢が描かれていて、共感を持ちます。
海辺のオススメ下心デート 首都圏編
ぼくはもうだいぶオジサンになってしまったので、今さらどうこうということはないんですが、若い方に参考になればなあと思い、この記事を書くことにしました。
ぼくが大学生の頃はバブル崩壊にいたるところで、世の中がすごく変化していました。
でも、バブルが崩壊して、社会人になった時期でも、普通の若い人達でも今ほど地味ではありませんでした。
クリスマスには彼女にブランド物のアクセサリーをプレゼントして、都内のホテルのディナーを楽しむみたいなことは普通でした。
そんな状況でして、社会人になって最初に欲しかったのは車です。
ぼくの場合は、ダイビングやサーフィンにハマっていたので、いつでも自由に荷物を載せて移動できるとか、電車がないような場所にでも行けるという意味で車は欲しかったわけですが、やっぱり女性とデートするときも、車というのは必須なものでした。
当時から海好きで、デートでやたら海辺をドライブしたわけです。というか他はあまり知らなかったんですけど…
それまでの海遊びの蓄積で、湘南あたりの女性が好みそうな店というのはいくつか知っていましたし、景色や夜景がキレイな場所も何ヶ所か知っていました。
そう、ぼくにとって、女性と付き合い初めて、仲良くなるための必勝パターンは、海辺でのドライブデートだったんですね。
で、経験的にいって、海辺のドライブデートというのは効果があります。
湘南から伊豆、外房にかけて、デート向きな場所というのを挙げてみましょう。
【湘南】
湘南といえば首都圏のデートのメッカなわけですが、何ヶ所かポイントがあります。
まず、昼間ですと、みなさん七里ケ浜とか茅ヶ崎あたりに行ってしまいがちですが、ノンノンです。それは湘南初心者がやることです。
通は長者ヶ崎から秋谷にかけての眺めを楽しむのです。
それから三戸浜、油壷、シーボニアマリーナ、宮川湾などもはずせないところです。
それから逗子マリーナというのもオススメです。
渋いところで大磯などもいいわけです。
夜ですと、七里ケ浜から江ノ島の夜景というのはやはりキレイです。
ですが、披露山から江ノ島方面の眺めもいいですし、立石からの夕陽も美しいと…
【伊豆】
伊豆にデートというのは、都内在住の人にとってはちょっと遠いかなという感じでしょう。で、全体的な包括的なプランとしては、かなり煮詰まった関係で、今夜あたり初めての夜を共にしてもおかしくないかな…という状況でオススメしたいコースです。
とりあえず日帰りの計画でデートしつつ、帰りが遅くなってやむなく海辺のホテルで泊まる、というのが正しい伊豆のデートだとオジサンは信じております。
読者諸賢はこういう全体的な流れを理解しつつ、読み進めてください。
だとすると、次の戦術は二つありまして、ひとつは東名→小田原厚木道路→真鶴道路→伊豆高原あたりという東伊豆コース。もうひとつは東名→沼津→西伊豆あたりという西伊豆コースです。
東伊豆コースは途中に観光名所が点在しており、わりとオシャレな店もあり、おいしいフレンチやイタリアンの店も充実しているので、彼女を飽きさせないプランが作りやすいです。ポイントは明るいうちに伊豆高原あたりまで行っておいて、そこからの戻りに、熱海や真鶴で、夕陽や夜景が見られる時間にいるということです。特に真鶴半島の真ん中あたりは、東を眺めれば湘南の夜景、西を眺めれば夕陽という、絶好の夕焼け・夜景ポイントであります。
西伊豆コースは、往路は全力で南伊豆を目指して突進し、復路で沼津に戻るのがかなり遅い時刻になるように配慮するというのがポイントです。途中折々に富士山と夕陽を眺めるのをお忘れなく。恋人岬をはじめ、○○岬という夕陽スポットが点在しているので、そういうところにいちいち「ひっかかっていく」のが沼津到着時刻を遅らせるポイントです。
「いやー、意外に遅くなっちゃったね。今から東京に戻るのはちょっと厳しいかなー」なんてわざとらしくいって、どうせ女の子には見破られてるんですから、「魚料理のおいしいホテルがある」とか「フェイシャルエステの上手なホテルがある」「温泉がいい旅館がある」なんていって実利で引っ張るというのはどうでしょうか?
【房総】
房総はただでさえ近いのに、アクアラインができて、南房総あたりでも結構近くなってしまいました。というわけで、日帰りコースというの定番化しつつあります。
それでも一宮・東浪見・御宿・館山あたりはサーファーが多く、なんとなくちょっとカリフォルニアな雰囲気を楽しみつつ、時間を潰すという方法がないともいえません。
そんな雰囲気の中、広々した砂浜を眺めながらノンビリするのが外房の良さを活かしたデートといえるでしょう。最近はオシャレなカフェなんかも増えてきて、女の子を誘いやすいです。
これが男同士のサーフィン仲間なら、地元で古くからやってるガッツリの焼きハマグリ定食というのも、外房の楽しみなんですが、まあ女子と行く時は、ちょっとコジャレたカフェなんかに行くのもいいではないですか。
わたくしの超個人的なオススメとしては、一宮・東浪見あたりで海を堪能して、オシャレなカフェに入りつつ、途中「ちょっとサーフィンのワックスがきれてるから…」なんていいつつ、サーフショップに寄って、「サーファーなぼく」をアピールしつつ、夕方に南房総あたりにいるというコースです。
で、平砂浦あたりのホテルに…
いささかチャラい感じになってしまったような気がします。
今の若い女性に通用するかわかりません。
でも、ぼくがこんなことを書いて、「いやらしい」「不潔」などと思われるのはいささか不本意でありまして、20代から30代の男性が、好みの女性を求めるのは、生物的にも社会的にも日本のためにも、自然で、大切なことでありまして、そのあたりのことを十分にご理解いただきたいと、まあ、かように思うわけです。
「こんな海辺デートしてみたいなあ」なんて思う女性の方は、もっとスペシャルなコースもありますので、オジサンのぼくでよければご連絡ください、って冗談です。
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