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自然の圧倒的な力にはかなわない

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 昨日はすごい台風でしたね。ちょうど満潮と重なったので、波がヤバかったです。

 さてさて、ぼくはわりと長年海遊びをしてます。
 その間には「ヤバいな」「今度こそ死ぬかな」という思いを何度もしました。そういう経験を経るごとに、慎重になってきたような気がします。つくづく感じるのは、自然の圧倒的な力の前では、人なんてちっぽけで無力な存在なんだということです。

 自然の力ということでいえば、台風で、近くの防波堤が崩れたことも何回かありました。
 朝起きて海に行ってみると、昨日まであった、巨大なコンクリートの固まりがないんです。他にも西湘バイパスの基礎部分のコンクリートが、波でえぐられてしばらく通行止になったこともありました。

 海に限らず、自然の中に入ること全般がそうかもしれませんが、自然というのは状況が良いときはすごく魅力的なんです。海でいえば、穏やかで、暖かで、爽やかな日が、年に何度かあります。
 その一方で、一度荒れてしまうと、どうしようもありません。
 いかに人間があらゆる道具を駆使して、それを制御しようとしても無理です。よく遭難事故の際、海上保安庁が捜索を打ち切ることがあるのは、自分達も危ないからです。海上保安庁の器材や装備をもってしても、荒れた海では安全を確保できません。

 ぼくの海に関する経験はたかだか20年ですから、これが数百年というスパンで考えると、もっと荒れることがあり得るし、実際過去の郷土史を読むと、犠牲者が出ている自然災害が何度もありました。

 ちょっと話しが変わりますが、最近、近所に都会から引っ越してきたという人と話す機会がありました。
 その人が新しく家を建てた場所は、数年前の台風で崖崩れがあった場所なんです。その山は地盤がもろくて有名な場所なんですね。
 そのことについて知っているのか、その人に訊いてみました。そしたら確かに不動産屋からは、そのことを知らされたそうです。でも今は県が斜面の崖崩れ防止工事をしたから大丈夫だと思うということでした。

 都会暮らしの人と話していると、こうした文脈の話しになることが多いですね。どういう文脈かというと、自然は人間の力でコントロールできるという前提です。で、他人が大丈夫っていうから大丈夫だろうっていうことです。
 確かに都会で大雨や台風で命の危険を感じることは少ないかもしれません。そうした環境に慣れきってしまっているのかなと想像します。
 でも、それって東日本大震災から何も学んでないぜ、ってぼくなんかは思うわけです。

 ぼくらの経験って長くて百年弱ですし、歴史から教訓を学んだとしても、キチンと記録が残っているのは、せいぜい数百年でしょう。それ以外にもぼくらが知らないことはたくさん起きていたはずです。
 たとえばぼくはよく伊豆七島に行きます。ご存知のようにいくつかの島では定期的に噴火が起きています。
 でも、伊豆七島自体が噴火でできた島なはずで、これは日本の歴史には、ぼくの知る限り記録がないと思います。さぞこれらの島ができたときはたいへんなことだったでしょう。

 えーっとだいぶ話しがそれましたが、よく想定外とかっていいますが、そんなもの当たり前です。人間が想定できるという前提がおかしいんじゃないかな、と思うわけです。
 自然の圧倒的な力の前では、人間がいかに技術と資金を注ぎ込んでも、制御できないことは多々あります。
 もっと謙虚になるべきです。

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