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日焼けした時の気だるさが心地よかったりして




 ビーチでは日焼けを楽しんでいる人をよく見かけます。
 日焼けは火傷だから気をつけなければいけないといわれますが、やっぱり焼くのがいいという人の気持ちはわかります。
 日焼けについて注意しなければならない記事は以前書きました。

紫外線から身を守れ!

サングラスはいろいろな種類を持とう

 ぼくは日焼けしようとしていないんですが、日焼けしてしまいます。ほぼ毎週海に出ていますから、どうしても。

 でも火傷だとわかっていても、日焼けした後のあの気だるさというのはいいものですね。
 海に出て、太陽をいっぱい浴びて、家に帰って、シャワーを浴びて、冷たいビールをゴクゴク飲んで、日焼けの気だるさを感じながらウトウトする夏の夕方なんていうのは最高です。






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21世紀における海水浴場とそのルールおよび観光産業のあり方について





 たぶん読んでないだろうけど、一般の海水浴の人に最低限のルールを守って欲しいなあ、という思いでこの文章を書きます。

 ゴミは持ち帰れとか、泥酔して海に入るなとかは当たり前なんですが、今回は「海水浴する人は、海水浴場のエリア内で泳いで欲しい」ということをいいたいのです。

 夏になるとビーチに海水浴場ができます。
 一定の区画をブイで区切って、監視所にライフセイバーがいてくれて、海水浴の人はそのエリアで泳ぐことになっています。
 このルール自体をうっとおしいと感じるのは、それもごもっともで、そういう方は海水浴場のないビーチに行くべきです。

 海水浴場のエリア内にはサーフボードやシーカヤックやボートは入れません。それは危ないから…それも納得できます。

 さて、海水浴の人が海水浴場のエリア外で泳ぐとどうなるか?
 海水浴場のエリア外はサーファーやウインドサーファーやシーカヤッカーなどウォータースポーツの人がいます。夏になるとそういう人達で、海水浴場のエリア外もけっこう混雑するのです。
 で、お互いに気を遣いながら、少ない場所をシェアしているんですね。
 それもこれも海水浴エリアができたから…
 海水浴エリアができない時期、つまり夏以外の時期は、ビーチがすべて使えるので、こういうことはあまり起きません。ウォータースポーツをする人にとっては、海水浴エリアができてビーチが狭くなったなあーと思っているのです。

 で、そんな海水浴場のエリア外にも海水浴の人がいると、ウォータースポーツの人が困るのです。
 というのもサーフボードやシーカヤックなどがぶつかると結構痛いというか、時には大けがになります。サーファーの事故原因のひとつにサーフボードが他のサーファーにぶつかるというのがあるくらいですから…
 で、そういうことを知っているのでウォータースポーツの人は、海水浴の人に注意を払わなければならないのです。
 穏やかな海ならばウォータースポーツの人も、自分の進路をうまくコントロールできるのですが、荒れた海だとコントロールできないこともあります。もしかしたら海水浴の人にぶつかるかもしれないと気にします。そういう時の海水浴の人というのは、正直うっとおしいです。

 だいたい海水浴の人というのは、子連れだったりします。そうするとビーチの波打ち際をあちこち走り回ります。子供にしてみれば当たり前ですね。
 そういうのもウォータースポーツをする人からするとヒヤヒヤするのです。
 たとえばサーフィンですと波に乗って、ビーチ近くまで行くわけですが、子供がいるとかなり手前でワイプアウトしなければ危ないと判断するわけです。
 シーカヤックですと、上陸場所を探すワケですが、子供が走り回っているとなるべく離れたところに上陸しようとします。それが本当に意図した場所でないにしろやむを得ないのです。

 エリア外にいる海水浴の人というのは、おそらくウォータースポーツをしたことがない人が多いでしょうから、こういう事情はわからないでしょう。
 夏の間、海水浴の人とウォータースポーツをする人がお互いビーチで気持ちよく遊ぶためのルールが、海水浴エリアを守るということです。

 で、さらに小うるさいことをいってしまうと、ぼくは地元の海で遊ぶことが多いのですが、海水浴場の設置費用やライフセイバーの人達の人件費、トイレの清掃費、海岸の清掃費は、われわれ地元民の税金から出ているのです。
 で、観光客の人達の駐車場代や海の家に落とすお金、いわゆる観光産業のことがあるから、海水浴場ができるのはしかたがないと理解しているのです。
 ぼくは観光産業でも飲食業でもなく生計を立てているので、正直、観光客が来ない方が静かで防犯上もいいと思っている排他的意固地オジサンですから、海水浴場も駐車場も不要だと考えています。でも、やはり小さな町で知り合いや議員の人との繋がりもあるので、そんなことは表だってはいえません。
 で、もっと細かくいうと、海水浴エリア外で遊んでいる人というのはたいていバーベキューなどして、海の家を利用していないことが多い様子なので、よけいに釈然としないんですね。

 まあ、そんな細かいことは妥協するとして、夏の間は観光客の人に来てもらって楽しい想い出を作ってもらって、お互い楽しもうではないか…そのためにお互いルールを守ろうではないかということなのであります。

 なんか書いててめんどくさくなりました。年金がでるようになって働かなくてよくなったら、こんな細かいことをいわなくて済むもっとノンビリした田舎の海に引っ越したいと思います。






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久留和のあたりのコンクリートの護岸が壊れているのですね





 以前からシーカヤックをしていて、気になっていることがあります。
 それは護岸のコンクリートか崩れていること。
 場所は湘南国際村のトンネルの出口の下あたりです。

 別にぼくの生活に実害がないのでいいんですが(いいのかな?)…

 こういうのは別に珍しくなくて、嵐とか台風の後によくあることです。
 最近で大きかったのは2007年9月7日の台風9号
 西湘バイパスの護岸が崩れて通行止になったり、ぼくの家の方では、葉山港の防波堤や駐車場のコンクリートがかなりヤラれました。

 さすがにあれほど大きいのは珍しいですが、10年、20年というスパンで見ると、結構インフラにダメージを与える波というのはあります。

 東日本大震災の津波もそうでした。

 自然の力は時に圧倒的なパワーでして、人間の構造物など一瞬のうちになき物にしてしまいます。
 想定も想定外もなくてもともと自然の力に耐えうるものなどを日常的なコストの範囲で造るのは現実的ではないのだと、ぼくは思います。

 さて、海辺に住んでいて、ぼくとしてはもう少し海のそば(今もけっこう海のそばです。徒歩3分くらい)に引っ越したいなと思います。が、やはり海の怖さを何度も見ているので、やはり引っ越さずにいます。
 おそらく今後もこれ以上近くには引っ越さないと思います。

 やはり海は荒れると怖いです。




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もうトンボだあ




 梅雨明けだなー、いよいよ夏だなーなんて思っていると、家のそばではもうトンボが飛んでいます。
 それも結構大きいヤツで、種類はよくわからないですけど。

 ぼくが海から帰ってきて、家の前でシーカヤックを洗っていると、トンボが嬉しそうに寄ってきます。何度もこういう風景を見た記憶があるので、トンボというのは真水が好きなんでしょうか?
 このあたりぜんぜん昆虫に関する知識がなくてアバウトな記述が多くて情けない限りです。

 9月くらいになるともっとたくさんのトンボが乱舞するのは毎年のことですが、この時期にトンボって見たかなあ?
 ただ気持ち的には「もうトンボかあ」という寂しさを感じてしまいます。

 まだ夏はこれから、これから!




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休日には大瀧詠一さんのCDを聴きながら海を眺めています


 大瀧詠一さんがお亡くなりになったのは去年の年末のことでした。
 以前もそうでしたが、今でもドラマやCMで大瀧詠一さんの曲がよく使われています。

 大瀧詠一さんの代表的なアルバム『A LONG VACATION』をぼくが知ったのは中学生の頃でした。その頃には『EACH TIME』がすでに発売されていて、すぐにレコードレンタル(懐かしいですね)で2枚のレコードを借りたのです。

 中学生のぼくにとって衝撃的な音楽でした。その頃ちょうどYMOが流行った後で、クオリティの高い音楽ということはわかるもののぼくはイマイチ好きになれませんでした。でも、大瀧詠一さんの音楽には一発でヤラれました。豊かで、大らかで、繊細で、妥協のない音作り。カセットテープが擦りきれるほど聴いて、CDが発売されたときには買い直し、その後リマスター版のCDも買いました。

 80年代後半という時代は、もう圧倒的に洋楽を聴くのがオシャレという時代で、一方で邦楽では多くのアイドルがヒットを飛ばしていました。
 ウォークマンが発売され、FMレコパルを毎号買うという時代。
 音楽を聴くことが今よりもハードルが高くて、しかもより意識的な事でした。どんな音楽を聴くのか、誰のどんなアルバムが好きなのかということは、自分の考え方の概要を表明することとかなり近かったのです。

 大雑把にいうと、ぼくの周囲では、日本のアイドルの儲けるためのマスプロ音楽を消費する層と、ショパンやモーツアルトをキチンと聴く層(ピアノを習っている人に多い)と、アメリカ、イギリス、ヨーロッパのまだ日本で知られていない音楽を自慢気に聴く層と分かれていました。そしてそれぞれの層が、家の暮らし向きや学力が明確に違っていたのです。

 ぼくは明確に最後の層でして、多くの洋楽を聴きましたし、英語のリスニングも洋楽を聴くことでできるようになったような面もあります。
 邦楽はあまり聴きませんでした。佐野元春さんや角松敏生さんや伊藤銀次さんくらいだったと思います。その中で大瀧詠一さんの音楽だけはいつも聴いていました。
 多感な思春期に大瀧詠一さんの音楽を聴きこんだことは、たぶんぼくの感性に何らかの影響を与えていると思います。
 おそらくぼくが海好きで、今こうして海辺で暮らしているのも、その影響かもしれません。

 一般的な定番は「君は天然色」で、CMなどで使われることが多いんですが、ぼくが好きなのは「夏のペーパーバック」と「ペパーミントブルー」です。

 今でも休日は大瀧詠一さんのCDをかけながら、海を眺めています。
 潮風が頬をなで、少し強すぎる陽射しを浴び、遠くに波の打ち寄せる音がする。ずっと昔好きだった女の子のことを思い出しながら、コーヒーを飲む。
 ぼくは歳をとってしまいました。ずいぶん遠くに来てしまったような気がしますし、あの頃と変わらない気もします。

 ダイニングで妻と子供が話している声がかすかに聞こえます。

 ただ時間が過ぎていくだけのことです。
 ぼくがどのような音楽を聴き、その音楽にどんな想い出が詰まっているかなど、ぼくの頭の中にしかありません。

 そして大瀧詠一さんが天国で安らかに過ごされていることを願って…








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沼津の内浦湾の朝市がよかったことに関する若干の見解

海辺に住んでいる楽しみのひとつに朝市があります。
 朝市は観光地の振興策の定番となっていまして、たいていどこでもやっています。海辺では漁協か農協かあるいは双方が協力してやっていることが多いわけでして、新鮮な魚や野菜が手頃な値段で手に入るので観光客には嬉しい催しですね。
 もちろん地元の人にも嬉しいワケですが、最近はやたら混んでいてそれがちょっと難点です。

 そんな朝市状況ですが、ぼくの場合、地元の朝市に行くのはもちろん、車で30分ほど離れた漁協の朝市に行ったり、旅先のに行ったりして、朝市を満喫しておりますのよ、です。

 んで、最近気がついちゃったんだけどよー、有名な朝市はシステマチックになっていて、施設も大袈裟で、なおかつ駐車場に駐めるのに並んだりするし、値段もわりと高かったりして、よくない!ということです。最悪の場合には、朝市といいつつ地元の物がほとんどなくて、スーパーで買い物するのとほとんど変わらないという、商業主義に堕した朝市さえある始末。
 一方で、マイナーでこじんまりとやっている朝市はよい!ということです。

 何がいいのか?
 そう、朝市というのは、なんちゅうか、地元の人がその手で獲ったものを直接買うことが魅力のひとつだと思うんですが、こぢんまりとした朝市にはそれがあるのがいいと思うのです。
 それから、買い物を通して、その土地の人と会話するのも楽しいワケで、こぢんまり朝市にはそれがある、しかもわりと濃厚にある、というところがよろしいわけです。
 そんで、使い古したテントや漁協の軒先で飾らず質素にやっているのもいとおかし、という感じです。

 そのようなぼくが最近いいな!イケてるな!と思ったのが、沼津の内浦漁協がやっている朝市です。出展数は10程度でこじんまり、駐車場もすんなり駐められ、店のおばちゃんといろいろ話しながら買い物ができるというのがよろしいわけです。


 さあみなさんもレッツジョインアス、エンジョイアサイチライフ…あれ?オレやっちゃった…





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海辺の店も入れ替わりがあります




 我が家のあたりも、そしてちょくちょく行く葉山や鎌倉なども、それから伊豆などもいえると思うんですが、海辺の観光地には店がたくさんあります。 で、たいへんだなーと思うのは、そういう店がけっこう入れ替わるということです。
 20年近く観察していると、ずーっと続いている店の方が少ないんです。
 残っているのは、定番の店とか老舗とか本当に美味しくて値段もリーズナブルな店とかです。
 たまに通るところだと、「あれ? あの店、替わっちゃったんだ」ということがあります。まあ、どんな町でもあることでしょう。
 客商売ってやっぱりたいへんなのかなーと思ったりします。

 中には、好きでちょくちょく行っていた店が閉めていたりして、軽いショックを受けます。

 観光客向けのコジャレた高い店が閉まるぶんには実害は少ないんですが、地元の人が利用する、たとえば美味しくて安い定食屋とか仕出し屋とか飲み屋なんかが閉まちゃうと実害があります。海辺の田舎にはそういう店って意外に少ないような気がしますから、影響があるんですよね。

 というわけで、好きな店にはこまめに行くようにしているんですが、果たして自分が行くくらいで効果があるのかはわかりません。




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潮風に吹かれながらの、ハンモックの気持ち良さ



「ハンモックが好きな人?」
「ハーイ!」
とすぐに返事ができる人と、よくわかんない、どっちでもいいという人とは大きな違いがあります。
 ぼくはできるかぎり前者とお友達になる人生を歩みたいと心掛けています。

 似たような質問で、「薪ストーブが好きか?」「離島が好きか?」というのがあって、この返事でその人の価値観の概要がつかめます。

 ハンモックというのはなかなか奥が深いようで、ぼくはその道の初心者ですが、なにやら専門店があったり、ベストシーズンがあったり、好きな場所があったりするようです。

 ぼくがハンモックの良さを知ったのは、20年くらい前に友人からもらったハンモックを庭の木に吊ったときからです。ハンモックに寝っ転がって本など読んでいるとついウトウトしてしまいました。
 不思議なもので体重が適度に分散されるからか、揺れるからか、普通にベッドで寝るよりも寝心地がいいんです。
 さすがにハンモックで寝るために高原に出かけたりはしませんが、軽井沢あたりの別荘で初夏にハンモックで寝る時間は、おそらく値千金でしょう。

 で、ハンモックのキツいところは、吊るための木とか何かがないといけないわけで、普通の人がおいそれと手に入れて日常的に楽しむわけにはいかないんですよね。
 ただ、それも対策されていて、自立式のハンモックとか、チェアハンモックとかがあるんですね。
 ぼくの海遊びの友人の家は、設計の時に梁をむき出しにするように工夫されていて、そこにブランコとかチェアハンモックとか吊れるようになっているんです。これはいいです。ぼくももし家を建てるのならマネしたいです。
 そこまでできない人が圧倒的に多いでしょうから、そういう場合は自立式ハンモックがオススメです。
 ぼくも使っています。
 折り畳むとテントと同じくらいのスペースですし、広げて置いておいても6畳間の広さがあれば十分です。

 休日に海遊びをした後、風呂に浸かって、AORを聴きつつ、デッキにおいたハンモックに揺られながらビールを飲むなんていうのは、「ザ・極上癒やしの時 2014夏 出会い 富良野にて」という感じで、とにかく気持ちがいいんです。
 もうちょっと詳しく書くと、夏の土曜日、6時くらいに起きて、波の具合がいいので、サーフィンをして、2時頃戻ってきます。風呂に入ってさっぱりしたものの身体は程よく疲れています。暑いのでシーリングファンを回していると、フトすると窓から心地いい風が吹いてくると… で、ステレオのスイッチを入れるとBertie Higginsが流れてきます。冷蔵庫からコロナビールを取り出して、デッキに出て、ハンモックに寝っ転がって、コロナビールをゴクリ。海風が吹いてきて、木々の擦れる音がする。この気持ちよさ!
 よけいなお世話かもしれませんが、一度お試しいただきたい。










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「よかったら乗ってく?」な町の雰囲気が失われる時…

 


 ニュースを見ていると、連れ去り殺人や死体遺棄などいろいろ物騒で悲しい事件が立て続けに起きていて、被害者の方のご冥福をお祈りしたいと思います。

 ぼくの住んでいる町は、最寄の駅までバスか車で30分くらいかかります。
 まあそのくらい離れていないと穏やかでノンビリした雰囲気にはならない法則というのが海辺の観光地にはあります。

 で、そんな土地ですから、町まで買い物か何かの用で出かけて、荷物をいっぱい抱えて、駅について、次のバスが1時間後、みたいな状況の時は、「あーぁ」となるわけです。それが大雨とか身体の芯まで凍えそうな日などは、なおさらです。タクシー使っちゃおうかなーと思ったりして…

 で、そんな土地ですから、駅のロータリーで呆然と立ち尽くしていると、知り合いの車が来ることが多くて「よお、これから帰るの? よかったら乗ってく?」となって「おお、助かる、ありがと、ありがと」となることもよくあります。

 これは自分が車に乗っているときも当然起きることでして、自分の子供の友達とか、近所の子供とか、知り合いの子供が駅で待っていたり、帰り道をトボトボ歩いていたりすると、やはり「よかったら乗ってく?」と声をかけてしまうのですが、そういうときにやっぱりやめといた方がいいかなと思う自分がいるのです。
 それは昨今の物騒な事件で、当然子供には気をつけるようにいわれてるでしょうし、うちも子供には気をつけるようにいっています。なので声をかけられた子供も一瞬ためらう感じがわかるのです。
 無理に乗せるのも嫌ですが、だからといって、夜などに帰り道を歩いていくとそれはそれで危ないでしょう。そういういろいろな思いが頭の中で渦巻くのです。
 そしてこれは相方の友達とか近所の奥さんという女性の場合も同じように、若干躊躇するんですね。

 ぼくの家のあたりは、昔は、玄関に鍵をかけないことが多い雰囲気でした。車も窓を開けっ放しにして鍵をかけない人が多かったと思います。でも、最近は鍵をかけるという話を耳にします。

「車に乗ってく?」と声をかけることも、以前は乗せる方も乗る方も、今ほど躊躇しなかったと思います。

 町の雰囲気が変わってしまったといってもいいと思います。別にぼくの住んでいる町で何か事件が起きたわけではないんですが…

 なぜ、こんな風になってしまったんでしょう。ぼくはこうした状況をどう考え、どう捉え、どのように課題を設定し、どのように取り組めばいいんでしょうか?





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『誤解されやすいけれども実は本質的な、「目標をもたない」という生き方』を読んで感じたこと




 ブログというのかな? webサイトで堀正岳さんが運営している「Lifehacking.jp」の記事で 『誤解されやすいけれども実は本質的な、「目標をもたない」という生き方』というのがありまして、興味があったので思わず読んでしましました。本来はこの手のなんちゃらハックとか仕事術みたいなの好きではないんですが…
 誤解が生じるといけないので以下記事を引用させていただきます。


目標がないということ

あるいはこの、「目標をもたない」という表現自体に多少問題があるのかもしれません。しかし Leo が何度かブログで書いている内容は次のようなことを指しています。

 「ここまで達成できたら幸せ」という目標は、必ずしも「今」を幸せにしてくれないことがあり、途中経過がつらいという傾向もある。
  未来をこのようにしたい、という願望によって現在が束縛されてしまううえに、実際に達成できたとしても次の目標へと息を切らしながら突き進むことになりかねない
  目標にとらわれるあまり、予想外のできごとや脱線がもたらす豊かな未来に対して盲目になってしまうことがあり得る

つまり未来の自分をこうしたいと願うあまりに、現在の自分が人質にされてしまうことを避けようという試みです。では具体的にどうすればいいのでしょう?


ブレイクダウンよりはボトムアップ

実際のところは、「本を書く」「旅行にでかける」など、計画性をもって達成にむけて試みなければいけないことは多々あります。そうしたことを否定しているわけではないというのが、この話題の誤解しやすいところです。

それは「本を10冊書くぞ」「年収を◯◯にするぞ」というハードル的な目標を立てて一喜一憂するよりは、むしろ「本を出し続ける生活を維持するには?」「年収が増えるようにするために毎日できることは?」という質問を立ててみて、楽しくそれを維持する方法を探すという具合に、主客を転倒させた考え方なのです。

随分前に拙著「情報ダイエット仕事術」で、大目標を立てて中目標・小目標へと分解(ブレイクダウン)した時に、必ずしも行動可能なアクションに落とし込めないという問題について書きました。

しかし毎日やっていることが中目標を満たす方向性をもっているというボトムアップ式なら、それは明確なハードルを設けずとも、ゆるやかな航路でそれを達成することができますし、途中の進路変更も楽なのです。

毎日やっていることを充実させれば、未来はいずれやってくるだろうというわけです。
実は Lift のようなサービスと親和性が高い

この考え方は昨日紹介したLiftのようなサービスと矛盾するのでしょうか?

いいえ。それどころか、Liftのような「毎日習慣にチェックイン」するという考え方こそが、ボトムアップ式の目標達成そのものだったりするのです。

「体重を ◯ kg減らそう」が不必要なハードルをもし生み出すなら、「毎日 ◯ 分運動してみる」という行動に置き換えて、あとはそれを少しずつ増やすなり、運動をハードにするなどして調整してゆくわけです。

こうしてみると「目標をもたない」という生き方は「目標がない」生き方ではないというのがお分かりいただけると思います。

 引用はここまでです。

 まあ書いてある主旨はわかります。わかりますが、「目標ということにこんなにいろいろ考えてはってたいへんやねえ」と関西のオカン的な感想を持ってしまいました。

 おそらく日本のある場所にはこういうことを日々一生懸命考えている人が大勢いるのでしょう。

 ぼくからいわせれば、こんなことを考えること自体が時間の無駄です。
 ぼくにとっては海に出て、その時間を噛みしめるように楽しむことがなによりも大切で、そこには目標も何もありません。海に出て、おいしいビールが飲めて、そんな毎日が続けばうれしいというだけのことです。
 まったく推測ですが、たとえば地方に行くと、おとっつぁんが農作業を夕方に切り上げて、ひとっ風呂浴びて、テレビを見ながらビールを飲んで、おかっつぁんは農協の事務みたいなパートをやって、その後マックスバリューで買い物して、夕飯作って、みたいな生活が、たぶんおそらく、多くの家庭
で行われているんじゃないかなーと思うわけです。そこにあるのは、平凡で、オシャレじゃなくて、先端じゃなくて、情報感度もへったくれもない、目標もない生活ではないでしょうか。ただ、平和で、健康で、食べていける、ことがとてもありがたいことなんだと思います。
 そうやって暮らしている人もいるよねーということが、ぼくがこれまでいろいろな海辺へ行って土地の人の暮らしぶりを見てきた実感です。
 そしてぼく自身そういう暮らしが大好きです。





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