海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ソロダイビングは危険だけど…
洋書でソロダイビングという本を読みました。この本はこれまでのバディシステムを基本としたリクリエーショナルダイビングに異を唱えているものです。
スキューバーダイビングでは安全のため二人一組でバディを組んで、何かあればお互いに助け合うというのが原則です。
これは確かに優れた仕組みです。
ただ、潜り慣れた、そんなにハードな状況じゃない海では、正直バディで潜るのってかったるいなと思うことがしばしばあります。
重大な事故が起きる可能性はゼロではないわけで、もちろん安全上はバディで潜るに越したことはないと思います。
でも、よくファンダイブであるんですが、その日初めて顔を合わせた人とバディになって、その人があまり経験が豊富でないという状況。
こんな状況でバディの意味って実際どうなんだろうと思うこともあります。
今60歳くらいのダイバーの話では、もともとスキューバーダイビングが日本に入ってきたときは、ダイビングポイント、ダイブサービスという概念も、ガイドという概念もなかったそうです。人によっては講習も受けてなくてスキューバーを始めたという人もいます。
ただその後ダイビング環境が整備されてきて、PADIに始まる団体が教育を整えることで、ダイビングはダイブポイントでやるもの、サービスでガイドを雇ってやるもの、泳げなくてもダイビングはできます的な状況ができたようです。
それによってスキューバーダイビングは流行したのですから、それはそれである面でよかったのでしょう。
それに歩調を合わせる形で、ダイブサービスはCカードがなければタンクは貸さない、ダイブマスター以上の資格を持ったガイドがいないツアーにはタンクは貸さない、ダイブショップはタンクだけは貸さないということが当たり前になってきました。
なのでさらにCカードを取る人が出てきたわけですが、法的には、潜水士の資格は別ですが、リクリエーショナルダイビングをするにあたってCカードが必要だなどとはどこにも書いていない(たぶん…)はずです。
なにがいいたいかというと、スキューバーダイビングの環境整備がなされて初心者でも楽しめるようになったけど、上級者で勝手に潜りたい人は制約を受けるようになったわけで、いろいろ管理されるのが苦手はぼくとしてはそういう状況ってどうかなって思うんですね。
でも、そういうのって日本のさまざま所に表れていて、プールには必ず監視員を置かなければならないとか、海水浴場以外では泳いではいけないとか、子どもだけで川で遊んじゃいけないとか、決められた場所でしかBBQしちゃいけないとか…もううんざりするくらいルールがあるでしょう。
安全第一、行政の責任回避、行政は法律を作ることで手柄になる、親や社会の子どもに対する「超」過保護、事故があるとマスコミがやたらあおる…それって日本の病気だと思います。
人には、何かに挑戦する自由、危ないことでもリスクをとる権利、自分のやりたいことをやって死ぬ権利があるわけで、それを社会的に許容することで、社会全体が進歩することがあるはずだと思います。そしてそうしたタフで自立した人が育つことが国を支えることに繋がるのではないかなと思うんですが、いかがでしょう。
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スマホを万が一のために海に持って行くことにしていたら、良かった意外なこと
一応、万が一のためにシーカヤックやボートダイビングの時のオンボードの時には、スマホを持って行くようにしています。もちろん防水ケースに入れて、更に大きめの防水バッグに入れています。
スマホを持って行くのは、海でゲームをやるのがとても楽しいからです。
っていうのは嘘で万が一のときに備えるためです。
水没の危険はありますが、何かあったときのために118に連絡できる手段があれば、命が助かる可能性がかなり高まると考えれば、保険料と考えれば安いものだという判断です。
もうひとつは急な警報、たとえば津波警報とか雷警報とかが出たら、音が出るように設定しています。
潮回りや天気図などは海に出る前に家でチェックするようにしているので、海辺でスマホをいじる必要はほとんどありませんからあくまで万が一のためです。
まあ、そういう緊急事態用として持っているわけですが、先日もうひとついい使い方を発見しました。
シーカヤックで地元の海を1DAYツーリングしていたのです。
そういうときぼくは防水バッグに小銭と1、2千円入れておくのですが、それを以前のパドリングのときに使っていたのでした。で、そのときは持ち金ゼロ。
なのに昼メシの時間で、かなり腹が減りました。水も持ってきていましたが、すごく暑い日だったので、ちょっと足りないかなーという状態です。
で、思いついたのが、最寄のコンビニ近くの浜に上陸して、コンビニでおサイフケータイで支払うというもの。
防水ケースのままレジの読み取り機に近づけても反応しました。
スマホの威力恐るべしです。
しかしよく考えたら水没したら使えないから、あくまでバックアップとして使うつもりでいようということと、キャッシュレスを本気で使うなら、コンビニのレジで使えるカードを持っていればいいじゃんということに気づいたのでした。
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おいしい「しらす」を手に入れられる店々
湘南というか相模湾沿岸の漁師町の名物はいろいろありますが、そのひとつとして「しらす」があります。
よくテレビの食べ物番組で、江ノ島や茅ヶ崎のしらすが紹介されていますが、なんのなんの、うちの近所にはもっとおいしいしらすがあります。
ひとつは葉山芝崎のしらす屋さんです。
もうひとつは芦名の細い道を海側に入っていったしらす屋さんです。
そしてもうひとつは荒崎の手前のやはり細い道を海辺まで入っていったところにあるしらす屋さん。
しらすは生で食べられればそれが一番おいしいですが、やっぱりそれは難しいので、釜ゆでしたばかりのものがおいしいですね。
で、上の3点はそれが手に入るしらす屋さんです。
しらすの旬は春先ですが秋もおいしいという人がいます。これから食欲の秋。おいしい食材をしっかり味わえるといいですね。
こうして海の幸をおいしくいただけるのも海辺の暮らしの幸せですねえ。
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パドリングのいいところは漕ぎ続けさえすれば前に進むところ …それはブルー・エクササイズの典型
ジョギングとサイクリングとクライミングとパドリングに共通していること、それは一歩踏み出せば必ず前に進むことです。
ぼくはこういうスポーツというかアクティビティが好きなようです。
続けられるアクティビティはたいていそういう要素が入っているように思います。
暮らしているといろいろなことがあって、時にはどうしたらいいのか、どう考えたらいいのか、自分がなんとかすればなんとかなるのかさえわからないような事態に直面することがあります。
そういう状態というのがぼくは苦手です。とにかく解決方法が浮かばないし、解決方法を考え続けなければなりません。しかもそういう状態というのは、人生や暮らしにおいて大局的に見て大切である場合が多くて、解決方法を考えないわけにもいかず、逃げるわけにもいきません。
それに比べるとパドリングなどはとても楽しいことです。肉体的はツライですが、自分がパドルを一掻きすればそれだけ前に進みます。当たり前ですけど…
で、それを繰り返せば必ず目的地に着くのです。
まったく楽しくて心安らかです。
自分が頑張った分だけ前に進むのです。そしてそれが目で見えるのです。素晴らしいですね。
パドリングをしていると余計なことを考えないでいられます。無心とか明鏡止水とまではいかないかもしれませんが…
心を穏やかにしたいときはパドリングをすることにしています。
という意味では、パドリングもブルー・エクササイズといえるでしょう。というか典型的なブルー・エクササイズです。
ちなみにブルー・エクササイズとは、グリーン・エクササイズに倣ったものでして、海と接すること・海と接する場で活動することで元気をもらうというものです。ウォータースポーツはもちろん海気浴や海水浴もブルー・エクササイズに入ります。たぶんぼくが初めていいだしたと思います。
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なぜだか魅力的な堤防のそばの家
この家、岬の縁の堤防のそばに建っているんです。
なのでこの家の前は海です。
間違いなく窓からは海が見えるはずです。
ぼくはこの家の前を散歩でよく通るんですが、これまでなんとも思わず通り過ぎていました。
でも、あるときフト気がついて、よくよく眺めてみると、窓の大きさとか、素材とか、なかなかこだわってるのではないか…と思うようになりました。外観がそれほど人目を惹くわけでもないのに、この家に暮らしたら暮らしやすそうだな、楽しそうだなと思うんです。
そういう建築って本当にすごいなあと思う今日この頃です。
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潮風に吹かれながら囲む焚き火の喜び
焚き火。
アウトドア雑誌では定番のテーマのようで、よく見かけますね。
別にアウトドア雑誌に影響されたわけではないんですが、ぼくも焚き火が好きです。20年ほど前でしょうか、海辺でダイビングの後に車中泊をするようになって、海辺で炊さん、そして酒というのが定番メニューになりました。そしてやがて焚き火がそれに加わりました。
焚き火というのは、本当に不思議なもので、ただ木が燃えているというだけのことなのに、見ていると心が落ち着きます。
おそらく薪ストーブが流行るのも(本当に流行っているか知らないけど、ぼくの周りには家に薪ストーブがある人が多いです)火を眺めることに惹かれるからではないかな?と想像します。
ただ、多くの海辺では、焚き火は禁止されています。もちろん防火という面から焚き火を禁止するのはわかりますが、この禁止はどちらかというと海辺でよくある「なんでもかんでも禁止」の流れの中のものです。漁協が支配し、行政がそれを追認する海辺の特徴です。
本当は自覚ある意識の高い大人がやる分には構わないと思うんですが、最近の若者のレイブパーティなど違法な行為を含むどんちゃん騒ぎが行われていることが、漁協とそれに押される行政による海辺管理強化の理由になっています。
まあどちらも幼いという風にぼくには見えます。
そんなことはわきに置いておいて、潮風に吹かれながら、月明かりを浴び、波の音を聴き、酒を飲み、焚き火を見つめる、というのは海遊び後の最大の楽しみです。
そんな時間を年に何回か過ごせるだけで、気持ちの中心が柔らかく、穏やかになるのです。
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雨の日に海に出ることで、自分と向き合う
雨の海もいいものです。
真冬でなければ雨でも海に出ます。
どうせ濡れるんだしね。
雨の海でのアクティビティといえばぼくはスキューバーダイビングが多いです。
なんといっても海から上がってすぐ文化的な暮らしができるところがいいです。文化的な暮らしって大袈裟ですが、クラブハウスに戻れば屋根があるし、空調が効いてるし、熱いコーヒーだって飲めます。シャワーも浴びられる。すごいと思う。
もうひとつ多いアクティビティがシーカヤックです。これはスキューバーダイビングほど文化的ではありません。少なくても家に帰るとか、車に戻るとか、宿に着くまでは、自然と共に過ごすことになります。
これはこれでいいものです。
雨の日のウォータースポーツの良さはいろいろあります。
海がシーンとしているのがいいです。なぜだかわかりませんがシーンとしています。
水面に雨粒の落ちた円形の模様がちりばめられているのもいいです。普段見る海の表情とはまた違った表情が見られます。
いつもより孤独な感じがするのもいいです。周囲に人がいないせいでしょうか?
ぼくは海に出ると気分が高揚するというより、落着いて穏やかになることが多いんです。というか、すすんで落着いて穏やかになりたいんです。だから友達と海に行くのも好きですけど、独りで海に出ることが圧倒的に多いです。それで怖い目にも遭いますが、でも所詮死ぬだけのことです。海で死ねれば本望です。しかも独りでね…
そんなぼくにとって、雨の日のウォータースポーツは、より独りになれて、より落着いて穏やかになれる絶好の機会です。大きな海にポツンと自分独りだけ、そして自分とトコトンまで向き合うだけ…
そんな雨の日の海が好きです。
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平和のためにぼくができることはあるのでしょうか?…せめて心穏やかに…
ニュースでは国内外で人が殺されたり、人を殺したりすることが起きています。幸いぼくの近い周囲ではそんなことは起きていませんが、だからいいのかというとそうでもないでしょう。でもぼくに何ができるのか?
人がやってはいけないルールは様々な成り立ちや理由で社会にたくさんありますが、そのうち、最も基礎にあって最も守らなければならないのが自分も含めて人を傷つけないということです。
これは古今東西そういう認識は共有されていると思うのですが、実際守るのが難しいルールでもあります。
ぼくはかれこれ40年以上生きていますが、世界中で戦争や殺人事件がなかった年を知りません。
過去の歴史を少しだけ読んでも、ぼくの知る範囲では、人は平和を求めるのと同じように戦いを求めているように見えます。
ぼくが平和や殺人のない状態を望む理由は明かです。
自分が殺されるのはイヤです。それは痛く苦しいです。また、自分の家族や知り合いが目の前で殺されるなんてそんなことは耐えられません。それは生きている中でおそらく一番辛く悲しいことだと想像できます。
ぼくらはなぜ他人に怒りを抱いてしまうのでしょうか?
そしてなぜ他人に殺意を抱いてしまうのでしょうか?
そしてなぜ人を殺すことを正当化してしまうのでしょうか?
そのような人間として根源的な心のありようをうまく自分の中で位置づけたいのですが、理屈ではなかなか納得がいきません。歴史を紐解いても答えは見つかりません。だからといって宗教に没入することもできません。現に信教が原因で起きる戦争だってありますから…
「人を殺すことはいけない」だけでは納得いきません。そんなのたいていの人が、そう思っているのに、実際には人は人を殺し続けているではないですか。
法制度が整っていても、殺人を防げずいるではないですか。
話し合いといっても先に攻撃されて殺されてしまっては、元も子もないから武器を準備するのしょう。
力のバランスといっても戦争はなくならないではないですか。武器を持てば使ってみたくなるものです。
悪い指導者が国を支配したから戦争になったといっても、それは国民が望んだことだからです。多少なりとも誰かがそれを望まなければそういう人が国を支配するということに至らないと思うのです。
現在まで人間は根本的に人が人を殺すことをコントロールできずにいるのです。
一方で歴史からは次のようなことがわかります。
平和を希求した人は、長期的に人々から支持されます。逆に殺人や戦争を求めた人は、長期的に人々から忌避されます。
戦争を求める人もずっと戦い続けることはできません。
そんなモヤモヤした理念的なことと自分の日常生活がうまく結びつけられないのですが、今のところぼくがやれることは、海に出ることしかありません。
理屈とか、よくわかりません。
海に出ると、自分独りです。家族や周囲の人々への感謝の気持ちが湧いてきます。
海に出ると、海は大きく美しいです。世の中は辛く汚いものばかりではなく、美しいものがあることが再確認できます。
海に出ると、事故れば死ぬかもしれません。死ぬ可能性が自分のそばにあります。だから生きていることのありがたさを認識できます。ただ平和で無事で健康で生きていることがどれほど素晴らしいことか、もう一度確認できます。
海に出ると、理屈ではなく前提としてそれが存在することを受け入れることになります。海も自分も何の理由もなく存在し、存在し続けているのです。物事の発生や生起に理由や理屈が必然ではないことを思い知らされます。
ぼくができることは取るに足らないことです。ぼくはかなり無力ですし、自分や自分の属する身近な集団を穏やかに保つことで精一杯なのです。
ただ自分の心を穏やかに保つこと、それを続けることで、少なくとも自分の周囲の平穏さは保てるのではないかと願っています。
厭離穢土
欣求浄土
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バルコニーの作り方が参考になる家
この家どうですか?
いきなりどうですか?って訊かれても困るかもしれませんね。
さて、この家、外観は南欧風。それはそれでいいと思います。
このバルコニーが陽が当たって気持ちいいんです。で、適度に日影ができて夏は日陰にいれば涼しいと…
バルコニーというと作り方が難しいというか、下手するととってつけたみたいになっちゃうわけですが、こういう感じで使えるのであれば、作ってもいいかなと思います。
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ピンクの壁の家
家を建てたり、改築するときにどんなテイストにするか?というテーマは、関心のある人にはとても大切なテーマだと思います。逆に見た目なんかどうでもいいもんね、暮らしやすさが大事だもんね、という方にとっては、それほど大切なテーマではないかもしれません。
海辺に住んでいるといろいろな家があります。純和風の家、古民家風な家、明治・大正時代のモダンな家、アメリカンなボートハウスっぽい家などなどです。中でも、最近多いのが、南欧風、地中海風、サンタフェ風な家です。
ぼくもそういう雰囲気に憧れるんですが、じゃあ町並としてそういう家が建っている風景を見ていい感じになっているかというとそうでもありません。
それからよくあるサイディングの壁でよくある最近の家という場合でも、壁の色が黄色だったり、すごい青だったりすることがあって驚かされます。
さてこの家はピンクの外壁。
これはこれでなかなか見慣れればそんなに違和感がないところがすごいなあと思ったりします。
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