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ウォータースポーツも人生も「なんとかなるさ」でやってきました



「なんとなかるさ」というのが、海遊びをするときのぼくの基本的な心構えです。
 いえいえ、ぼくはそんな感じで生きてきました。
 一度海に出てしまえば、急に天候が荒れるかもしれないし、津波が来るかもしれないし、人食い鮫の群れに襲われるかもしれませんし、ゴジラが出てくるかもしれません。
 それはちょっと大げさですが、海にエントリーするときは穏やかだったのに、1時間もすると大荒れになっていたなんてことを何度経験したか…
 先のことなんかわからない。わかりっこないもん…
 でもわかんないから、怖いからやらないかっていうと、どうせ一度の人生だし、どうせみんな死ぬんだし、だったら好きなことをやろうと思うんです。ぼくはある頃から、たぶん大学生の頃からだと思いますが、そう思うように自分にいいきかせて生きてきました。
 そういう生き方と海遊びとは、ぼくの中では不可分で、切り離せないものとなっています。
 ぼくの中で海遊びというウォータースポーツと人生というのはかなり似たものとして分類されているのです。
 どこが似ているかというと、自分の周囲の環境が複雑で、コントロールができなくて、所与のものであるということ、そしてその環境の中で、自分の考え方を適応させながら楽しむというところが似ています。
 一方、ぼくの中で正反対のところに分類されているのが、大学受験とか資格試験です。出る問題は必ず答えがあって、しかもだいたいの傾向があって、出題範囲も限りがあります。みんなが同じ尺度で競争して、結果が点数化されて明白です。出題は歴史的に、科学的に正しいと検証されているものであって、それに対して疑う必要はないとされています。とても人工的で構造がかっちりしていて、計画を立てて努力すればするだけ結果が出ます。そのずべてが人生を生きることと正反対です。そういう意味で、大学受験や試験といった学生生活で課される事柄は、人生を生き抜くことに役立ちもしないというか、足かせになる事柄かもしれません。社会に出る準備段階としての学校という社会的役割を考えると皮肉なことです。
 自分の力が及ばないことを心配したり、しゃかりきになってコントロールしようとしないで、「なんとかなるさ」って考えて、とりあえず楽しむようになったのです。そう考えでもしなければ、怖くて海に出られないし、生きられません。明日のこと、いえいえ1時間先は誰にもわからないし、どうなるかわからない、ただただ今を楽しむだけです。

 そういう考え方を教えてくれた海に、ぼくは感謝しているのです。



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喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回りたい



 喜望峰とホーン岬。
 セイラーにとっては難所とされている場所です。ホーン岬を回ったセイラーは「ケープホーナー」と呼ばれ賞賛され、尊敬されるようです。
 そこをシーカヤックで回るエクスペディションツアーはいろいろあって、いつかやってみたいと思い続けていました。
 シーカヤックでホーン岬を回った日本人は、新谷暁生さんという方がいて、その様子はホームページでも見ることができます。
 それを読むとなんだか身体がムズムズしてきて、すぐにでも航空券を予約してしまいたくなってしまいます。
 ぼくは大航海時代とかアメリカの西部開拓時代の本を読むのが好きなんですが、何が好きかというと、それらの時代は、未開拓の場所があって、冒険という行為があって、それに挑戦する人達がいるというところです。別にそんな危険を冒さなくても生活はできるのに、敢えて挑戦するというところに魅力を感じます。身体がムズムズしてきます。
 そして目標を成し遂げるために、頭を使って、綿密に計画を立て、できる工夫は何でもするというところが好きです。なんというか合理的に考えればやめとこうと結論がでることを敢えてやる、そこが人間らしくていいなあと思ってしまいます。
 もしAIが発達して、コンピューターが合理的な選択肢を提示することができたとしても、冒険のような選択肢は提示できないんではないかと想像します。そういうのって人間らしいんではないかなーっと。わかんないけど…
 ぼくは小心な人間でそこまで大がかりな冒険はできませんが、でも憧れていて、いつかはやってみたいと思うんです。それが喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回ることなんですが、別に他のことでもいいような気はしてます。
 どんなアウトドアスポーツにも難所とか憧れと呼ばれる場所があって、登山だとアンナプルナとか、サーフィンだとノースショアがそうですね。
 ぼくはそういう場所をクリアしてみたいんだと思います。
 なぜだろう?
 わかりません。 人生は謎だらけ…




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海辺のひなびた喫茶店が好きですが、何か?



 ぼくの大好物に海辺の定食屋とひなびた喫茶店があります。
 これらを見ると立ち寄らずにはいられません。
 特にひなびた喫茶店(カフェではなく)は大好きで、地元はもちろん旅先でも見かけると入ってしまいます。
 たいてい偏屈そうなオジイサンとかオジサンがマスターで、無愛想で、めんどくさそうに注文をとりにきます。
 黄ばんだ壁紙や雑然としたインテリアやクッションがへたったソファなんかがあったりすると、ぼくはすごく居心地がいいのです。
 地元にもそういう店で行きつけの店が2軒ほどあります。
 最近は小洒落たカフェとか、わざと昭和感をだしたカフェとかがありますが、そういうところだとなんとなく落ち着きません。
 そんな喫茶店のソファに座って、海を眺めながら、気だるい午後を過ごすのって、なんだかとても安らぐんですが、そういうのって共感してもらえないんですよね。別にいいけど…



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身体の一部のように使えるダイビング器材っていいですね



 スキューバーダイビングで器材にこだわる人は結構います。
 それってすごくよくわかります。
 以前もダイビング器材についてはいろいろ書きました。
 別に器材オタクというわけではなくて、イヤ、そういう人も中にはいるかもしれませんけど、フィットするフィンは自分の足のように無意識に細かな動きができますし、使い慣れたBCだと浮力調整がほぼ呼吸だけでできますし、給気・排気もどこも見ることなく、無意識にボタンに手が伸びます。残圧計もダイビングコンピューターも同じで、パッと見て意識しなくとも情報がわかって、次の瞬間は判断している。道具というのは、そういうのが大切なんだと思うんです。自分の身体のように無意識に動き感覚的にわかること…
 それが無意識にできればできるほど、大切な判断とか生物を発見する方に頭を使えます。
 安全の面でも大切です。何かあったときに身体の一部のように使えてこそ、すばやい判断と行動ができます。
 逆にフィットしないフィンは疲れますし、自分のイメージどおりに動けなくて、いちいちストレスになります。
 BCもそう。慣れてないBCを使うとダイビングがすごくやりにくい。よくs-proのスタビをずっと使っている人がいます。それはもちろんスタビの完成度が高いこともありますが、同じ器材を使った方が、慣れていているからという理由も大きいと思います。ずっと変わらないモデルってあまりなくてスタビくらいですから。
 いろいろな器材を使ってみて思うんですが、使いやすくデザインされていて、機能がシンプルで、耐久性があるものって、意外に少ないような気がします。









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お気楽に生き延びていきたい



 先日、学生時代からの友人と飲みました。
 その席で、友人が会社で重要で難しい仕事を任されて、それが結構たいへんでプレッシャーを感じているという話が出たのです。彼にとってはそれがとても心配なことのようで、その話ばかりしていました。
 ぼくは能天気目お気楽科その日暮らし属のヒトなので、また、そうありたいと思っているので、何か自分の望まないことでプレッシャーとか感じないように生きてきました。
 何かあれば海遊びをして、その日を楽しく過ごせればいいと、これまで生きてきた、いい加減オジサンなのです。
 そういう心持ちってぼくは沖縄とか南の島の旅行で身につけた気がします。いい意味でノンビリゆったり適当な感じ。それってぼくにとってはとても大切なことなんです。
 ただやっぱり社会の中で生きていると、しかもオジサンになれば、何かしら役割とか責任はつきまとうもので、それをすべてかわしながら生きていけるのなら、それはそれですごい才能ではないか、パチパチパチと拍手してもいいんじゃないかと思うのです。自分もそうなりたいけど、なかなかそうなれません。
 なので、お気楽なぼくでも友人のその心配事には共感したのです。
 じゃあぼくが友人の立場に置かれたらどうするんだろうって想像してみました。
 仕事上役割を任せられた。嫌だけどやらざるを得ない。家族の生活があるので仕事をやめるわけにはいかない。部下や上司の期待もある。会社の利益もある。
 ムムム…辛いですね。
 こういうときってどうすればいいんだろう?
 ぼくならまず「成功させよう」「うまくやろう」「ちゃんとやろう」って考えないようにします。それが自分自身を縛ることになりそうです。
 それに他人って自分が思ってるほど、人のことを考えたりしやしません。人の目を気にしないことも大切ですね。
 それから「失敗したって、なんとかなるさ」と考えます。世の中のことはたいていどうにかなるもので、それで世界が終わったりするわけではありません。最低限人が死なないのなら、まあ良しとしようと自分にいい聞かせます。
 金丸信さんのいった言葉としてぼくは認識しているんですが、「この世のことはこの世でなんとかなる」(だったかな?正確には忘れました)というフレーズがあります。意味がわかるようなわからないような感じですが、なんとなくそうかなと思えます。
 そしていざとなったらその場から逃げます。
 そう、生きてこそなので、責任とか意地とかプライドとかを考えないで逃げて、どこかで生き延びます。






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「どうでもいいや」と「なんとかなるさ」



 ぼくは人からよく「おおらかだね」といわれます。あるときはもっと率直に「大雑把だね」といわれることもあります。
 そうなんです。自分でもそう思います。
 たいていのことはどうでもいいよなあと考えてしまいます。
「今日一日楽しけりゃ、あとはどうでもいいや、なんとかなるさ」という感じで日々生きているのです。
 そういうタイプだからこそ、海辺の暮らしに安らぎを感じるのかもしれません。

 一応ぼくにも考えがありまして、それは「こだわりだすとキリがない」というものです。
 考えといってもとても単純なことなのでした。
 人って、食べることに困らず、文化的な暮らしをして、時間があれば、自分の興味のあることにどんどんこだわっていこうとします。持っているリソースをすべて使えるまで使ってしまうと思うんじゃないかなって思うんです。
 そのことを実感するのが不便な土地への旅行です。ぼくは海辺の旅が好きで、それも辺境の土地が好きだったりします。
 日本で暮らしていて、たまたま暇だったりすると、ハブラシはサンスターで、歯磨きペーストは花王で、一日2回はサプリを飲んで、腕時計はG-shockで、靴はなんとかのブランド、パソコンはmac bookじゃなきゃだめ、みたいなことをやっているわけですが、水も電気も十分でない土地に行くととりあえず食べるものがあって、暑さ寒さがしのげればいいという状態なわけですよね。でも、それでも1週間もすればそうした生活に慣れて「自分って、思ったよりどこでも生活していける人間だったんだ」と気づかされて、そういう暮らしが妙に心地よかったりします。
 それからぼくの海好きで、ウォータースポーツ好きなのもこうした考えに影響しているかもしれません。
 なにせ海遊びは、ちょっと間違ったら死にますから…
 ただ重要なことをキチンとして、あとの生き死にと関係ないことはこだわらないというのが、海遊びを安全に楽しむために大切なことです。
 こうした考えを支えているのは、人は生きていればいい、あとはどうでもいいという姿勢です。そしてそれとセットの考えは、生きるくらいならなんとかなるさというものです。「どうでもいいや」と「なんとかなるさ」がぼくの2大骨太方針です。
 ぼくはこれをけっこう本気で考えています。一日に1回というのは大げさにしても、ことあるごとにそう考えます。「どうでもいいや」と「なんとかなるさ」と…
 こんなぼくの考え方について批判する人もいます。批判は批判でいいと思います。ぼくは別に気にしてませんから…
 で、そうした批判の要点は「あまりに大雑把すぎる」「なげやりだ」「人は可能限り最善を尽くすべきである」ということです。
 そういう批判をする人の多くはマジメでちゃんとした人です。ちゃんと仕事をし、ちゃんと家族を養い、ちゃんと税金を納め、ギャンブルをせず、趣味もない、ちゃんとちゃんとな人、全日本ちゃんとした人代表みたいな人がそういう批判をします。オリンピックに行けそうな感じです。
 ちゃんと行動し、いっていることが正しいだけに、ぼくとしてはなんともいえません。そして批判する人が自分は正しいと何の疑いもなく考えているのが、少しシャクに障ります。
 マジメな人だけにけっこう向きになって批判してくるわけですが、大雑把なぼくには、なぜ他人のことにそこまでマジメに怒るのかよくわかりませんし、ぼくとしては面倒くさいので、ハイハイすみませんって聞いてます。
 ぼくが学生の頃付き合った彼女がまさにそういう人でした。
 とてもマジメでキチンとした人でした。なのでぼくの大雑把な、こだわりのない態度が「なげやり」に見えたようです。そして許せなかったようです。
 ぼくとしては、ぼくのことを許せないほどに真剣に思ってくださってありがたい限りなんですが、許せなくて、怒らせてしまって、疲れさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした、全社で再発防止に努めてまいります…
 人はなかなか自分の考え方の癖から抜け出せないものです。ぼくは相変わらず「どうでもいいや」と「なんとかなるさ」という方針で生きていますし、たぶんこれからも変われないでしょう。誠に遺憾でございます。
 ちなみにオジサンになって、「それがどうした」という方針が加わりました。「どうでもいいや」と「なんとかなるさ」と「それがどうした」の3大方針でふてぶてしいオジサンのできあがりです。





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通勤時間と海辺の暮らしのほど良い関係って…



 テレビで遠距離通勤者の一日みたいなことやる番組がありますね。ぼくはその手の番組を見ると、自分のことと比較して考えちゃいます。
 ぼくも遠距離通勤者だと思うから。
 といっても首都圏で働いている人の通勤事情は時代と共に少しずつ変わっていて、バブルの頃は地価が上がって、遠距離通勤者は増えたんですよね、たしか…その後日本経済の長い停滞期があって、地価がどんどん下がると、わりと都心寄りに家を買う人が増えました。で、また最近、地価が上がっているので、テレビなんかで遠距離通勤の話題などを見かけるようになったんでしょう。
 そこには2つのタイプが見られるワケで、ひとつは本当は都心に住みたいけど価格との折り合いで遠距離通勤をしている人と、住環境などを重視して好んで遠距離通勤している人です。
 この2タイプの違いは、けっこう大切だとぼくは思います。
 投資家でもない限り、一軒家やマンションを買う時期というのは、だいたい自分の家族構成が大きく変わる時期です。よくあるのが結婚して子供ができるあたりで家を買うというパターンかなと思うのです。一生のうちで、必要に迫られて家を買う時期というのがあって、なにも経済状況で買ったり買わなかったりするわけではないのです。なので、バブルのピークの頃がそういう家を買う時期にあたっていた人は、とても気の毒だといえるでしょう。
 ぼくの場合は、マンションが嫌だということと、子供を自然がある場所でノビノビ育てたかったということと、相方の実家から遠くに離れられない事情があったので、遠距離通勤になったのでした。
 遠距離通勤の場合、他人からも訊かれるし、自問自答するのが、毎日往復何時間もかけて移動して、その時間と遠距離に住む価値のバランスの問題です。
 ぼくの場合海が好きで、毎日海を少しでも眺められるなら移動時間は気にならないので、迷うことなく遠距離通勤をしています。後悔もしていません。なんなら海辺に住むために転職してもいいと思います。
 それは、ぼくが大学生の頃からウォータースポーツを続けていて、社会人になってからも毎週金曜日の夜に海に行って、月曜日の朝に海から職場に直行するという暮らしをしていて、週7日のうち3日とか4日とか海にいるなら海辺に住んじゃった方がいいなというくらいの海バカだからです。
 毎日10分でも海を眺めたり、ビーチを散歩したりできると、とてもハッピーなので、長い時間かけて海辺に帰ってきても、ああよかったなあと思えます。
 それから電車で都会から自宅に戻るときに、車窓の風景に緑が増えてきて、車内の乗客の雰囲気も田舎っぽくなってくると、気持ちがフッと楽になる、スイッチがオフになるというのも好きです。
 そんなぼくの例は一般の方の参考にはならないかもしれませんが、だいたいそれくらい何かが好きならば遠距離通勤は苦にならないという目安にはなるかもしれません。
 それが海ではなくて、山だったり高原だったり豊かな自然だったり温泉だったりと、人それぞれ興味の対象は違うかもしれませんが、自分のこだわりを大切にする人が、ぼくと同程度重症?であれば、たぶん遠距離通勤はよい選択だと思います。
 何年も海辺に住んでいると、毎年都会から移住してくる人がいて、定着する人もいるし、また都会に戻る人もいて、その割合は2:8とか3:7くらい。
 周囲を見回して、自分の趣味やこだわりをずっとライフワーク的に続けられる人の割合とだいたい一致しているような気もします。すごく直感的で大雑把ですけど…
 ぼくの超個人的な思い込みですが、世の中の大半の人は自分の「これ」というものがなくて、その時の流行や周囲の人の動きに流されて、日々の選択の意思決定をしているのではないのかなあという気がしています。その割合がだいたい8割とか7割。
 ここに書かれたことに共感した方は、おそらく遠距離通勤しても後悔しないでしょう。もし自分が8割とか7割に入るかもと感じた方は、遠距離通勤はできるなら避けた方がいいんじゃないでしょうか?





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可処分時間を海に充てる



 可処分所得という言葉を大学の経済学の講義で教わった気がします。まあ、なんとなく覚えている感じですけど…
 で、それと似たように可処分時間という言葉を使う人がいます。いわゆる勝間和代さん的な生き方をする人たちが使う言葉です。
 そういう人たちの話しでは、自分の自由になる時間をどう最大化するか、そしてそれをどう使うかがテーマになるわけで…
 その考え方に合わせると、ぼくは可処分時間を海のそばで過ごすことに、かなり努力してきたと思うんです。そういう意味ではぼくは自分を褒めて差し上げたい。パチパチ。
 毎日通勤にかなりの時間をかけています。それでも朝と晩に海を眺め、海を感じられるのなら、その通勤時間はぼくにとっては見合うものです。
 同じ海好きの同好の士でもこのあたりの価値観は人によって違うようです。ある人は平日は職場と家は近い方がよくて、できる限り平日の生産性を上げて、休日は海でゆっくり過ごす、ということをよしとする人もいます。
 それはそれでひとつのあり方なんだろうなあと思います。
 ぼくは毎日出稼ぎといった感じで、日々、仕事とそれ以外の時間をはっきり分けたいという欲求が強いようです。
 職場の近くの街に住んでいるとそれがゴチャゴチャになりそう、あるいは仕事の時間がズルズルと長くなりそう、という不安があります。
 そして街の息苦しい雰囲気の中で暮らすのは、けっこうツラいのです。
 ぼくは30代くらいで、海辺に引っ越し、遠距離通勤をするようになりましたが、もしあのまま都会で暮らしていたら、もしかしたら途中で頭がおかしくなっていたんじゃないかと想像することがあります。それぐらいストレスフルでツラいと感じます。
 
 そういうタイプの人間は遅かれ早かれ海辺の田舎町に住むことになっていたでしょう。
 もしこの駄文を読んでいるあなたが、似たような気持ちを感じているとしたら、早く決断したらきっとハッピーになるんじゃないかと、他人のことはわかりませんけど、そんな風に思います。


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イライラ・カリカリするのはやめようっと



 日々いろいろありますねえ。なにかと忙しい人が多いんではないでしょうか?
 忙しいと、焦ったり、イライラしたりしますね、人って、やっぱり。
 特に、都会で、会社で働いている方は、たいてい忙しいわけで、それもただ忙しいんじゃなくて、とにかく何かに追われるように忙しいらしいです。
 そんな忙しい日々だと、やはり気持ちに余裕がなくなり、次のタスク、次のタスクに目がいきます。焦るでしょうし、イライラ・カリカリするでしょう。
 それ自体はしようがないと思うんです。だって人なんだもん。
 でもイライラ・カリカリすることで、気持ちが疲れたり、親しい人との中が悪くなったり、自己嫌悪に陥ったり、シリアスな場合うつっぽくなったら、それは残念なことですね。
 ぼくが自分もときどきそうなるので、そういうときはかなり意識して気持ちを切り替えるようにしています。そしてぼくの場合海がとても大切な役割を果たしているので、一般の忙しい状況にいらっしゃる方に対して、海に遊びに来て、気持ちを切り替えませんか?ということを書いてみたいのです。
 ぼく自身が日々海に接することで、気持ちを切り替えています。
 ぼくも街にある会社で仕事をしていますが、住んでいる場所は海辺です。長い時間をかけて通勤しているわけです。
 なぜそんなことをするのかといえば、海が好きで、日々海に接することで気持ちがリセットできるからです。
 会社で仕事に追われて日々過ごしているわけですが、ぼくの場合、海辺の家に帰ることで気持ちが切り替わって、ゆったりノンビリします。詳しくいえば通勤電車の中で気持ちのスイッチがパチンと切り替わるんです。そして海が見えてくると、完全にダラダラ・グダグダの自分になります。
 街にいる自分は頑張って大人の社会人をやっている自分で、海にいる自分は子供の頃からの悪い癖が抜けないそのまんまの自分です。
 そんなこんなで、俗ないい方をすれば「自然の癒やし効果」は、自ら実証済みです。
 自然が大嫌いな方(そういう人いるんですよね)でなければ、別に海でなくても、山でも川でも、おそらく自然の豊かな、都会でないところであれば同じ効果が期待できると思います。
 毎日通勤するのはたいへんでしょうから、休みの日に海に来てはどうでしょうか?
 ずっと広がる大きな海。青い空。なだらかにカーブする砂浜。松林。
 そんな景色を眺めると、ずいぶん気持ちが安らぐんではないかなあと思います。
 イライラ・カリカリした気分が和らぐでしょう、たぶん。
 気持ちがゆったりすればその人もラクに楽しくなるでしょうし、そういう人が増えれば、都会も過ごしやすくなる、かもしれません。
 病気やいざこざや事故や犯罪も減る、かもしれません。


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自然と街のちょうどいい距離とは?



 ぼくは神奈川県の三浦半島というところに住んでいます。
 三浦半島もとてもいい土地ですが、できればもっと自然が豊かなところに住みたいなあと思って、今に至りました。
 こういうぼくの願望については、海仲間でも考えが分かれます。
 三浦半島のいいところは、適度に便利で、適度に自然があるところだという人もいます。
 実際、生活するとなると、ドラッグストアやDIYの店や100均などがあった方が便利です。少し足を伸ばせば、横浜や東京に買い物に行けます。大きな総合病院もいくつかありますし、小学校から大学まであります。
 そう、今回は、自然が豊かな住環境と便利な街との距離をどうとるかということについて考えてみたいのです。
 これは自然が好きな人であっても、人により考えに違いが出ると予想されます。
 このブログを読む方は、自然が好き、海が好き、ということが大前提で話が進みます。
 自然が好きで、海が好きだけど、最寄りのスーパーまで車で片道1時間以上かかるようなところを好むのかどうか?ということです。ぼくはそれくらい町との距離が離れているところに住みたいなあと思っているわけですが…
 逆の例を出すと、熱海みたいな町があるわけで、あそこは観光地とかリゾートとして認識されています。いくら温泉があっても、海の幸が豊富でも、熱海の町中には、ぼくは住みたくないわけで…
 やはりこれは意見の分かれるところでしょうね。
 自然は好きだけど、なかなかそこまでは…という人も多いのではないでしょうか。
 じゃあ、街との望ましい距離感はどの程度なんでしょう。
 ぼくとしては、生活に不便じゃないギリギリのところまで自然の豊かな土地に住みたいので、その境界が望ましい距離感ということになります。
 ここからは具体例で考えてみましょう。
 古くからの友人で蓼科の山奥に住んでいるヤツがいます。そいつの家は、最寄りのJAのスーパーまで車で30~40分。茅野市街まで1時間くらい。まあなんとかなっているようです。ぼくが彼の立場になっても全然アリな選択です。
 ぼくが20年くらい通っている三宅島のダイビングサービスは、最寄りの雑貨屋さん(オシャレな雑貨屋さんじゃなくて、なんでも扱っている何でも屋さん)まで車で10分くらい。もともと三宅島にスーパーなどありません。郵便局もガソリンスタンドも10分とか20分くらいです。何かあれば飛行機か船で東京へ行くという暮らしです。これもアリでしょう。
 でも八丈島の方が暖かくていいかも…とは思いますけど。
 よく行く南伊豆のダイビングサービスは、下田まで車で30分、松崎までもそのくらいかなー。最寄りのコンビニまで車で20分くらい。下田はひととおり何でもある町ですから生活で不便なことはないでしょう。どうしても必要であれば、沼津か横浜か東京に出られます。これもアリです。
 こうして考えてみると、食料品やガソリンを手に入れるのに車で片道1時間というのは、ぼくにとってギリギリな気がします。歳をとったらなおさらかったるくなるでしょう。まあ、30~40分というのが現実的な選択といえるかもしれません。
 今はアマゾンとか通販でたいていのものが手に入りますし、だいたい田舎暮らしの人は、自宅に普通の冷蔵庫の他に、冷凍専用の冷凍庫を持っていたりして、そこに肉やら野菜やら冷凍食品などをストックしているので、いきなり生活に困るようなことはないでしょう。
 不便であるといっても、たいていのところで人間は暮らしていますし、海外に行くと地の果てのようなところでも、人は暮らしていますから、できなくはないんです、きっと。
 じゃあぼくは何に引っかかっているんでしょうか?
 やはりどこかで町の便利さを求めているんでしょうか?
 それとも重病になったときのことを心配しているんでしょうか?
 あるいは子供が家族を持ったときに遊びに来て欲しいとか、孤独死が怖いとか心配しているんでしょうか?
 そういうことを気にし出すようなタイプの人間なら、たぶん街に住んだ方がいいんでしょう。





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