海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
オフグリッドな暮らしへの憧れ
東日本大震災のときに、ぼくはありがたいことに命は無事でしたが、停電・断水がしばらく続いて、日々の暮らしがなかなか安定しなかったときのことは、よく覚えています。相方もかなり不安そうでした。
ぼくはたまたまウォータースポーツが好きで、その関係でキャンプもするので、家には、ガスバーナーとかランタンとか小型の太陽光パネルで充電池が充電できるGOALZERO一式とかがありました。他のご家庭よりは家のライフラインが停まることについての耐性はあったのだと思います。
そうしたアウトドアグッズのおかげで、そこそこの食事を作るのと、最低限の灯りとスマホやラジオの電源をとることはできました。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
そのときの経験から、電力会社とガス会社にライフラインをがっちり押さえられていることに、「これでいいのかな?」と疑問を持つようになったんです。これはうちの相方も同意見のようで、それからいろいろ調べたようです。「オール電化にしなくて本当によかった」「日本の電気・ガス料金は世界的に見ても高いらしい」「プロパンガス会社は定期的に見直していろいろな会社を比較したい」「水は井戸を掘れないのかしら」などとぼくも驚くような力の入れようです。
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
それはそれで、ぼくはぼくでビオトープとか雨水利用とかパーマカルチャーとか、環境負荷を減らす暮らしに興味があったんで、相方の変化は渡りに舟です。
震災からしばらくしてオフグリッドという言葉をよく耳にするようになりました。
暮らすうえで大切なライフラインを電力会社とガス会社に押さえられていて(水道は会社じゃないですけど)、会社を選ぶ選択肢がほぼない状態で、しかもその会社が実はあまりきちんと運営されていなかったことへの不信感。こうした理不尽さを感じたのはぼくだけではなかったんでしょう。
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
既存のインフラのネットワークから外れて、いざとなったら自立して暮らせるようにしなくてはいけないと考えるのは、自律的自立的な市民として健全な考え方だと思うのです。民主主義の社会に生きる者として、大切なことだと思うのです。ドン(演題を拳で叩く音です)。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
日々使う電気を太陽光とか風力とか、家庭でなんとかできるものから得ようとすると、コストパフォーマンス的には電力会社から買うよりも高くなっちゃう。
なかなか世の中うまくいきませんね。
でも、ぼくの中には、水・電気・排水・廃棄物を全部自分で自家調達・自家処理してみたいなという思いはあるんです。いつかは…
そして、ちゃんとやってくれてるんだろうな、世の中は…などと見てもないことを信用してはいけなくて、そういうものを根拠もなくアテにしないで暮らせるようになろうと思うんです。いつかは…

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毎日楽しく過ごす、そのメカニズムについて考えてみたりしたりして…
海遊びが好きで、海辺に住んで、暇さえあればウォータースポーツをしています。
こんなぼくですから、毎日楽しく過ごしたいと考えていて、楽しくなるためにあれやこれや考えていたりします。
あれをやったらもっと楽しいんじゃないかとか、あいつとこれをやったら面白そうだとか、まあだいたいそんなことばかり考えています。一例としては、スキューバーダイビングの昼ご飯のときに、自分でコーヒー豆とミルとお湯を持って行って、その場でドリップコーヒーを淹れたら、もっとおいしいコーヒーが飲めるんじゃないか、で、それを同じチームのみんなと飲めたら盛り上がるんじゃないか…みたいなことを考えているわけです。
毎日楽しく過ごすためのちょっとした工夫を考えていると、基本的にネガティブなことを考える時間がなくなるので、そういう面でも楽しくなります。
一日一日を楽しく過ごしたいと考えているときに、ちょっと思ったのは、楽しく過ごすこと自体は、自分の頭の中の問題ではないか、ということです。実際スキューバーダイビングでコーヒーを淹れるという行為自体はもちろん楽しいんですが、それを考えることが日々を楽しくしているわけです。
楽しいことを考えるか、面白くないことやイヤなことを考えるかで日々の楽しさは変わります。
なので、逆にぼくが日々つまらなく過ごしたければ、仕事でたいへんなことやこじれていることを考えればいいわけです。
事実としての行為は変わっていないのに、頭の中で考えることが楽しいことであるというだけで、日々が楽しくなるのではないか…それがぼくがたどり着いた現時点での暫定楽しさのメカニズムです。

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海で遊ぶときには確信を持たないことが大切だと思います
確信を持たないことって大切だと思うんです。
いきなり何を書いているのやら…
海で遊ぶとき、ウォータースポーツをするときに大切なことは、確信を持たないこと、不確実性への耐性を身につけることだと、わたくしは国民のみなさんに訴えたいのであります。
自然の中で遊ぶスポーツ全般にいえることかもしれませんが、海遊びをしていると、急な天気の変化とか、把握してなかった海流とか、器材のトラブルとか、その他いろいろがあります。
もちろんリスクをできる限り減らすために、情報収集したり、器材をチェックしたり、事前準備したりは当たり前です。
でも、それでも100%ってないと思うんです。
ぼくも海に出るときは、複数の情報源から天気予報を確認し、天気図を見て、一日の天気の移り変わりをイメージします。それでリスクが低いと思うから海に出るわけです。でも、やっぱり急な天気の変化ってありうるので、海で油断してはいけません。
たとえば天気予報的には「今日は安定した晴天」でも、自分が目で見て積乱雲が盛り上がっていたら、局地的に落雷か通り雨と考えを変えて、行動も変えた方がいいというようなことです。
このとき「絶対大丈夫」と確信を持っていると、目の前の積乱雲を見逃してしまうことも、人ってあるような気がします。人は物を見るときに自分の考えでフィルターかけているということを心理学の本で読んだような気がしたりします。
確信を持たないで「もしかしたら何かが起きるかもしれない」という状態って、基本的に居心地が悪い状態です。気持ちが割り切れないですし、安心できません。常にどこかで緊張している状態…
趣味のときは、自分と合わない人と遊ばない
ぼくは自他共に認めるアバウトな性格でして、そんなヤツだから海遊びみたいなことが性に合っているのかもしれません。
具体的にいうと、ぼくはシーカヤックで海を漕ぐのが好きですが、一方で、陸上の道路を車で走る(って当たり前ですね。車を運転するってフツーの人はいいますね)のが苦手です。
左側を走りなさい。センターラインを越えてはいけません。赤信号で停まりなさい。青信号で走りなさい。車が停まっていて追い越すときはウインカーを出しなさい。駐車場では白線の中に駐車しなさい。美人が歩いていてもよそ見してはいけません…
ルールがいっぱいありすぎて、全部守るのはぼくには無理です。たぶんルールに共通する趣旨としては、人や車や物にぶつからないように運転しなさい、ということなのだろうと推測するわけですが…
話が横道にそれっぱなしになりそうなのでちょいと戻すと、細かいことまでちゃんとしなければ気が済まない人と一緒にいるのが割りと苦手です。
細かいことっていっても、人によってこだわりポイントが違いますし、同じ人でもこだわるところとこだわらないところの濃淡はあります。
そのことはうすうす気がついてはいましたが、ぼくの行動に影響を及ぼしたのは、結婚生活でした。今でこそ、相方のこだわりポイントや全然こだわらないポイントはだいたい把握していて、ある基準を越えないようにうまいことやっていますが、それを把握するまでは、なかなか大変でした。というか多分相方の方が大変だったのは間違いありません。お互いにお互いの基準を理解するまではいろいろとあるわけです。
そういうのって時間が解決してくれるんですが、全面的にかなり細かい人と仕事をするのも結構しんどいわけですが、全面的にかなり細かい人とウォータースポーツをするのはもっとしんどいです。
仕事ならお金が絡みますし、求められる結果を出さなければならないので、こだわるべき一定の基準がある程度明確になっていますからまだいいんです。仕事だからしょーがないと割り切れますから…
ウォータースポーツのときは、やっぱり楽しみとしてレジャーとしてやっているわけで、仕事ではないわけです。もちろん海遊びは危険を伴いますので、注意深くすべきところはあります。でも、それはそれで全面的にかなり細かくする必要はないわけです。いや、どちらかというと余暇を楽しむためにやってるんだからもっと楽しくやろうよということなんだと思うんです。
しかもたいていの場合、全面的にかなり細かい人は自分の基準を、他人に守ることを求めてくるんです。それはまあそうで、自分だけが細かくこだわってやっていてもチームのみんながその基準に達していないと結果はでないことが多いですからね。
あとは、全面的に細かい人というのは自分の細かさに誇りを持っている感じがします。そういうことに気がつく自分を繊細で感受性が強く違いのわかる人間である、なので、周囲の人は、より優れた自分をお手本とすべきであると思っている様子が、表情とか言葉の端々に表れているようにぼくには思えるのです。
現実的な対策として、ぼくはウォータースポーツのときは、そういう全面的にかなり細かい人と一緒に遊ばないようにしていますし、こちらからは近づかないようにしていますし、仮に少し親しくなったとしても全面的にかなり細かい人だとわかった時点で、ソーッと離れていくようにしています。
こんなことを書くと、ぼくは狭量な偏屈な人だと思われるかもしれませんが、どう思われてもいいので、ウォータースポーツのときくらいは、自分の好きなように楽しみたいので、ご了承ください、ということなのです。
そしてこれは概ねすべてのことにいえると思いますが、趣味を楽しむときくらいは、自分と合わない人と無理に合わせようとしない方がいいのではないでしょうか?

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なんでもやれる自由さがウォータースポーツのよさ
長年海遊びをしているせいか、年下の人から質問されることがあります。助言を求められているといってもいいかもしれません。
いえ、もしかしたら会話をしないといけないと思って、間を埋めるためにむりやり質問を考えているのかもしれません。
ぼくはかなり大雑把でテキトーなタイプですから、ウォータースポーツをするときもあまりこだわりとかありません。
「楽しく、他人に迷惑をかけず、生きて帰ってくる」ということ以外に気にしていることはありません。もう少しいうと、それ以外は自由だからこそ、ぼくはウォータースポーツが好きなんだと思います。
よくある質問のひとつが道具に関することです。いろいろなバリエーションがありますが、たとえばスキューバーダイビングのBCとかフィンについては「今度BC(フィン)を買おうと思っているが、どのBC(フィン)がいいのか?」という質問をされることがあります。
これは「自分が好きなのをテキトーに選んでください」というのがぼくの答えです。
今、ダイビングショップに行って店頭に並んでいるフツーの値段のフツーの物を買えば、まあだいたい大丈夫だと思うからです。あとはやっているうちに自分に合った物がわかるんじゃない?ってのがぼくの考えです。
次によくある質問が、ウォータースポーツのテクニックに関することです。これもいろいろなバリエーションがあります。イメージが湧きやすいように例を挙げますと、「スキューバーダイビングで中性浮力をうまくとるには、どうすればいいのか?」と質問されることがあります。
これも「何回も潜っているうちにうまくなるんじゃないでしょうか」というのがぼくの答えです。
質問されることに対するぼくの答えは、だいたいこんな感じです。そうすると質問する人は少し不満そうな表情になります。おそらくもっと丁寧で、こだわりとうんちくが含まれた答えを期待していたんでしょう。あるいは、手順が明確で、それぞれの手順ごとにやることや注意点がハッキリしていた方が、やりやすいと思ったかもしれません。
ぼくの答えは、前近代的な「経験すればなんとかなる」というものだから、現代にフィットしないのかなあ、などと思ったりします。
ただ、ぼく自身、これまでウォータースポーツを始めるときに、教えてもらったのはスキューバーダイビングだけでして、これもCカードを取らなければならないから、しょうがなく習ったのです。あとはすべて見よう見まねです。
海遊びは自分が楽しければいいんで、楽しければそれが本式のやり方と違っていたっていいじゃん、って思うんです。やりたいことをやっているうちに、もしかしたら新しい遊びが生まれるかもしれません。道具を使ってみて使いにくけりゃ自分で作ればいいし、そうすると画期的な道具が生まれるかもしれません。
伝統を踏襲することも、人間社会の大切な要素だと思いますが、伝統とか既存の在り方を無視して、やりたいことをやるのも大切な要素だと思うんです。ぼくにとってウォータースポーツはそれができる分野だから、自分のやりたいようにやることを大切にしたいなあと思う今日この頃です。

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都会の雨音、海辺の田舎の雨音
海辺の田舎で暮らして、とてもいいなあと感じたことがあります。
そのひとつは雨の音が柔らかいことです。
都会に降る雨の音は、ザーっていう音です。水滴がアスファルトとかコンクリートに落ちる音。
田舎に降る雨の音は、いろいろな音が混ざっていて柔らかいんです。海に落ちる音。砂浜に落ちる音。木々の葉に落ちる音。土に落ちる音。どれもアスファルトとかコンクリートに落ちる音よりも柔らかい音がします。
ポトポト、シトシト、サワサワ、シンシン…
そういう柔らかい音を聴くようになってから、雨の日も好きになりました。
ウインドブレーカー、短パン、ビーサンで準備を整えて、雨の中、ビーチを散歩することもよくあります。
あるいは家の窓から雨に濡れる森の木々を眺めていることも結構あります。
そんなちょっとしたことが海辺の田舎暮らしの魅力といえるかもしれません。
海辺の霧の日がとても好き
初夏の時期、海辺は朝に霧が出ることが多いんです。
ぼくは毎朝、砂浜を散歩しますが、霧が出始めると夏だなあと感じます。
霧が好きで、海辺に住んでよかったことのひとつは、けっこうな頻度で霧に遭遇できることです。
朝だから、温度も湿度は高くありません。爽やかで涼しい空気なんです。砂浜から海に立ち上がる山々に霧がかかります。霧が濃いときは、砂浜も海も霧で、もやっています。
そうなるとすごくうれしい。ワクワクします。
そういえば、ぼくは高原で出る霧も好きなのでした。
なんでかな?
神秘的な感じがするからでしょうか?
ちょっとトワイライトゾーン的な…
霧のかかった砂浜は、普段自分が知っている海辺ではなくて、遠いところの初めて来た海辺みたいなんです。
なんだか旅行気分がします。
リスクゼロ?
海遊び、最近はスキューバーダイビングとシーカヤックをすることが多いです。
ぼくにとって海遊びのおもしろさは、自分ではどうしようもない状況の中で、なんとかする、どうにか生き延びることにあります。そしてその状況は刻々と変わります。
そうしたことを観察し、判断し、対応する、そしてその結果無事帰ってくることができる、そのことが自分自身の判断や行動の正しさの証明になります。
たとえば海況が急に変化して荒れそうなときがあります。経験的にはこうした海況がすぐに好転する可能性は低いことがわかっているんです。でも目の前の状況は、まだそれほど深刻にはなっていません。そんなとき、まだ大丈夫じゃないか、まだまだ行けるんじゃないか、今その判断をするのは性急なんじゃないかと迷ったりすることがあります。でも、もし海況がさらに悪くなるとしたら、今がその判断のとき…
そんな状況では、自分との闘いです。判断のミスは自分の命に関わってくるのです。そういうシビアさがとわかりやすさがぼくは好きなんだと思います。
これが組織の場合、誰の力がどう働いてどんな結果が出たのかわかりにくい状況が多いと思うんですが、それに比べて、全部自分の判断、自分の力、自分の責任です。
友人にそのことを話してもたいてい「わかんない」といいます。海好きな友人に話せばわかってもらえます。登山好きな友人に話してもわかってもらえます。そのあたりのことがわかるかどうかは、ぼくが人を見るときのひとつの尺度になっています。
「わかんない」という人は、なぜわざわざ自分から進んで危険があるとわかっているところへ出ていくのかわからないといいます。別にそんなことしなくても、砂浜で遊んでいればいいし、海の見えるレストランでおいしいものを食べてもいいし、映画を見てもいいし、ショッピングをしてもいいじゃないかと…わざわざ危ないとわかっていることをするなと…
確かにね。ごもっともですね。
それに対するぼくの考えは、こうです。
まず、海遊びの楽しさというのはやってみるとわかるものです。そしてスキューバーダイビングやシーカヤックをはじめとする海遊びの楽しさは、その危険を見込んでも十分やるに値します。
それから、すべてを自分で判断し行動し結果が出るという全体をコントロールしている実感は、なかなか日常生活にはないんです。それを体験することが、自分を取り戻すいい機会になっています。それは誰かが与えてくれる娯楽では味わえません。
最後に、ぼくからすれば、暮らしの中で危険がないことなんてないと思えます。車でドライブするのも交通事故の可能性がありますし、事故の確率でいえば、スキューバーダイビングで死ぬのと車の運転で自分や誰かを死なせる確率は、たぶん後者の方が高いんではないかと思います。人々はリスクがあるからといって車の運転をやめたりはしません。
それから映画を見るのも、ショッピングをするのも、火事や地震やテロや流行の病気への感染や頭のおかしな人いきなり襲われるといったような危険があります。それは確率が低そうですが、自分が何かをコントロールしようとしていない分、ぼくにとっては怖いです。不意打ちされるような怖さがあります。極端な例を出すと、ぼくにとっては荒れた海に出るよりも、池袋の町を歩く方が怖いです。
だいたい安全で安定した人生なんて、どこにも存在しないでしょう。
海遊びをするうちにできる友達
ウォータースポーツを長年やっていると、なんとなく海遊び友達ができます。
最初はちょっと顔を合わせるだけだったのが、だんだん話すようになり、予定を合わせて一緒に海に行くようになり、飲みに行くようになり、泊まりがけで海旅に出たりします。
ぼくなんかは基本的に独りで、行きたいところに行きたくなったら行くわけです。友達がいないと寂しいし、独りだとなんかぁつまんないしー、少しこわいしー、アッコも一緒に行こうよー、なんてことは0.001マイクロシーベルトほども思ったことはないし、どちらかというと他人に気を遣うよりは独りで自由にやりたいとさえ思っている人種ですが、それでもだんだん海友達というのはできてきます。
無理して付き合っているわけではないので、海友達になるということは、お互いにどこか気が合うというか惹かれ合うところがあるのでしょう。そんな風になんとなく時間を経て海友達になった人と一緒にいると楽しいし、気持ちが休まります。
お互いに海遊びではそれなりに海千山千だったりするので、変にベタベタしないところもいいです。
また、お互いにウォータースポーツの経験があるため、状況によって、次に何をしなければいけないのか、相手が何を考えているのか、目線で伝わることもありますし、たとえ言葉を発する場合でも、一言二言で伝わって、めんどくさくないところもいいわけです。
端から見れば、男同士がほとんど会話もなく、黙々と海に出ているわけで、仲が悪いのか、何かケンカでもしたのかと思われるかもしれません。
傷だらけの人生…やりたいことやる生き方…
いろいろ心配事は尽きないものですね。
健康とかお金とか天災とかトラブルとか…考えればきりがありません。しかもそうした心配事に備えようとすればいくらでもやることはあるので、心配事に備えているだけで人生が終わってしまうということもあるかもしれません。
ぼくはサーフィン、スキューバーダイビング、シーカヤック、セイリングをやります。やりたいと思ったら、多少危なくても、お金がなくてもやってきました。自画自賛ですが、今振り返っても、時間だけは取り戻せないので、そのときやりたいことをやってきたことは、よいことだったと思います。
ぼくは以前こんな人に遭ったことがあります。ぼくがサーフィンをするという会話をしていたときに、ちょっとした知り合いに「なぜそんな危ないことをするのか?」と尋ねられたことがあります。
ぼくとして、その質問に、とても驚いたのを覚えています。
で、そんなこといったらいろいろ危ないことってあるよなあーと思ったので、試しにその人に「危ないというのであれば、たとえば車の運転なんてできませんね?」と訊いたら、その人は「そうです。とてもリスクが高いので、自分は運転はしません」という答えが返ってきました。
人にはいろいろな考え方や生き方があって、どれが正しいとか悪いとかはないと思うので、それはそれでいいんですが、ぼくは、そういう生き方をしたくないなーと思うんです。
生きている以上いつかは死にますし、その間の人生に苦楽はあっても、それはそういうものです。それから逃れることはできません。
ぼくらは何かしらの偶然か縁かわかりませんが、生まれてきたのは事実で、その瞬間からリスクだらけの中を生きていくわけです。もちろんリスクに備えることはできますが、100%ゼロにはできません。リスクを抑えるために自分のやりたいことをどのくらい我慢するかは、その人の価値観によりますが、ぼくはできる限りやりたいことをやりたいと思うんです。
たとえリスクがあって、苦しいことがあったり、心や体が傷だらけになっても、それでもやりたいことをやりたいと思うんです。
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