海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
藪を切り開くようなときが好き
自分の性格とか好みを考えると、ぼくは決められたことに従うよりも、何もないところに新しいものを作るのが好きだなあと思います。
突然こんなことを書いてもわけがわからないかもしれないので、いくつか具体的なことを思い浮かべてみたいと思います。
スキューバーダイビングですと、ダイビングスポットは決められています。これはサービスの有無もありますが、地元の漁協との関係である程度潜れる場所を決めているわけです。ぼくはそういう決められたスポットだとなんだかイヤで、自分で勝手に好きなところに潜りたくなっちゃいます。
あとはテーマパークとか公園とか海水浴場というのも好きではありません。テーマパークは作り手が意図を持って作っていて「どうです、このアトラクション面白いでしょう」というのが見え見えで、作り手の意図に乗りたくありません。
公園もここが砂場です、ここは滑り台です、野球をしてはいけません、大声を出してはいけませんといった具合にルールがたくさんあってうっとうしいです。できれば何もない広場にして欲しいですが、もっといえばぼくとしては野山で十分楽しいんです。
海水浴場というのも大きなお世話で、ぼくは自分が入りたい海に入りたいんです。
こんなことを書くとかなり偏屈な性格みたいですが、まあ確かにそうです。歳をとってだいぶマイルドになりましたが、若い頃はルールとか決まりとかに従いたくありませんでした。この世の中は原則自由だろうと突っ張っていました。
もう少し具体例を書くと、道を通るのも苦手です。道って道路です。道路って、右を歩けとか、制限速度が何キロだとか、一時停止だとか、シェア・ザ・ロードとかルール多過ぎです。ウルセーつーの。
なので、海を航海するとスッキリします。
そういえば思い出しましたが、ぼくは山でも道がついているところよりは、道がない藪みたいなところをガサゴソ開いていくのが好きです。海に降りる道も、道を通らずに草っ原を通っていったりします。
こういう性格を何タイプというのか知りませんが、似たようなタイプの人をたまに見かけるので、すごく稀というわけでもない気がします。
なぜそんなことをするのか自分でも考えてみるんですが、ルールに従うとか誰かの後についていくというのが、好きではないのでしょう。それに誰も行ったことがないところは、自分だけの場所という気がします。一番うれしい状況は、みんなが通る道は渋滞していて、自分で切り開いた道はもちろん誰もいなくて、で、その道端に人知れず素敵な場所(きれいな花が咲いているとか、景色が素晴らしいとか…)があったりするのを見つけたときです。
たぶん自分が満足する状況は、自分独特だし、それは自分で苦労して探さないと見つからないだろうと勝手に思っているのかもしれません。
こういう話を相方にすると、まったく理解できないという反応が返ってきますが、人の価値観というのはいろいろで、理解できるわけでもないんですよね。世の中は複雑で多様です。やっぱり常識とかルールとかできる限りなくしちゃえ。

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スキューバーダイビングの楽しさを、今さらですが、まとめてみました
ウォータースポーツにはそれぞれ楽しさがあります。
まあ、楽しいからやってるんでしょうね。
ぼくはスキューバーダイビングを始めて、えーっと、二十数年になるんです。あーあ、だいぶ歳とっちゃいましたね。
長い年月続けるということは、それだけ楽しいワケです。
その楽しさはサーフィンともセイリングともシーカヤックとも違っています。
何がそんなに楽しいのかなあ?って自分でも不思議です。今回はそこんところを考えてみたいなあなんて思っています。
こういうことをビールを飲みながらダイニングテーブルで真剣に考えていると、相方に「どうしたの?」なんて訊かれます。「いや、スキューバーダイビングの楽しさを洗い出してるんだよね」なんて答えたりすると、表情というか、間というか、人の持っている圧というかが急速に変化したりするのがわかったりして、「あっ、しまった。本当のこといっちゃった」とか悔やんだりしますが、そういうイヤなことはさっさと忘れて本題に入りましょう。
・異世界を体験できる
海中というのは陸上とは違う世界です。そのような異世界を(制限はありますけど)自由に動けるというのはすごいことだと思います。ぼくは小学生の頃、初めて水中映像をテレビで見たんですが、そのときの衝撃は今でも忘れません。「おおっ、水中ってこんなんなの? 人間って水中にいられるの?」ってな感じでした。
そして初めてスキューバーをつけて海に潜ったとき、映像で見たものが3次元で目の前に広がっている、そしてその中を自分が動いている、ということに感動しました。陸上とは違う世界に自分が一歩足を踏み入れたんだと感じました。
自分でいうのもなんですが、なんてぼくはロマンティックで、純粋な動機でスキューバーダイビングを始めたんでしょう。
・重力から(少し)解放される
水中では浮力さえ確保すれば、重力から解放されます。無重力ではないけど、地上のように地面の上だけを移動しなければならないという制限はありません。上下左右前後に動き回れます。
ぼくは、経験本数30本くらいのときモルディブでリーフのドリフトダイブを経験しました。
30m以上の透明度の青い海で、珊瑚礁の環礁のドロップオフに沿って、潮流の流れに乗って移動するのです。
そうすると上も下も横も前も後ろも海、そして魚!自分は中性浮力だけを気にしていればいいわけで、それはあたかも空を飛んでいるような感じでした。
そんなのを経験したらハマります。
・生物などがすごい
海中には魚をはじめいろいろな生物がいます。海藻などの植物(ではないという分類もあるようです)もあります。その種類は陸上の生物よりも多いんじゃないかと思えるほど多様です。
なぜこんな形態に進化したんだろうなんて思いながら生物観察をしていると、進化の歴史にワクワクしてきます。
・地形がすごい
ブラタモリが好きな全国の地形好きな方にお伝えしたい。海中も陸上以上に地形はおもしろいのです。
陸の地形を見るためには、道なき道をかきわけていったり、山を登ったりしなければいけないこともあったりします。海の中では、上下の移動はとても簡単です。
それから波の浸食でできる地形、海底火山の溶岩が海水で急速に冷えてできる地形、珊瑚でできた地形など陸上ではお目にかかれない地形を見ることができるのが、地形好きにはたまりません。
たとえば西伊豆に雲見というダイブスポットがあります。そこは洞窟や穴が複雑に入り込んでいて、軽めのケイブダイブができます。太陽の光が降り注ぐ岩穴があったりすると、フォトジェニックな光景に出会えます。
陸上ではできない地形体験ができるのもスキューバーダイビングの楽しさです。
・知的なところがある
スキューバーダイビングは安全に潜るために理論を学びますし、生物や地形についても詳しくなります。極端にいうと、ハゼの種類の違いに興味が持てるような人がスキューバーダイビングを続ける人です。生物で新しい種を見つけたりできるのも、好きな人にはたまらない世界だったりします。そういうことに前のめりになる人を知的といってもいいなじゃないでしょうか? もちろんオタッキーといってもいいかもしれません。
ぼくはサーフィンやセイリングやシーカヤックもしますが、やっている人の層でいうと、スキューバーダイビングが知的な人が多いです。
ちなみにウォータースポーツごとに微妙にやっている層が違っていまして、サーファーというのは、若くて、体力があって、ちょっとヤンキーっぽい人が多いです。こういうのもなんですが、比較的お金がない人が多いです。別に悪い意味ではなく…
セイラーはお金持ちで、知的で、体育会ノリで、スノッブな人が多いです。
シーカヤッカーは、ロマンティックで、体力があって、アウトドア指向が強い人が多いです。
サーファーとセイラーはほとんどかぶりませんが、サーファーとマリンジェットをやる層はかぶることもあります。シーカヤッカーはセイラーともかぶりますが、どちらかというと登山やワンダーフォーゲルをする人とかぶったりします。
ぼくは若い頃から、どんなグループにも馴染んでしまうところがありまして、それぞれのグループの特徴みたいなものを「へぇーおもしろいなあー」なんて思っていたりしたので、たぶんそういうところもあって、いろいろなウォータースポーツをやってそれぞれのグループの人達と楽しくやっているのかなあ、なんて思います。ウォータースポーツごとの、やっている人のカラーというのは実際見ていると、結構おもしろかったりします。
・冒険的な面もある
スキューバーダイビングは潜る場所によって、難易度が変わります。それは山登りでK2に登るのと高尾山に登るのとでは、同じ登山(高尾山は登山でしょうか?)でも内容がずいぶん違います。スキューバーダイビングも同じことがいえます。
穏やかな海で潜るとレジャー的ですし、難しい海で潜ると冒険的です。
ぼくは以前から難しいポイントが好きですが、そういうポイントを潜るときの緊張感と無事生きて戻ってきたときの達成感は、なんともいえず、癖になります。
そういう面だけをとりあげると、冒険的な要素があるんじゃないでしょうか。
・アフターダイブが楽しい
スキューバーダイビングにはアフターダイブという言葉がありまして、文字どおりダイビングの後のことですが、ダイビングの後に仲間と楽しく過ごすことを指します。アフターという言葉には、何かしらぼくをワクワクさせるイメージがあるようです。
スキューバーダイビングでは潜った後にログをつけます。これは潜った海況やウェアや見た生物を記録するもので、後で見返すと参考になります。たとえば6月に潜った大瀬崎で水温20度のとき、どんなウエアを着て、ウェイトはいくつつけて、どんな生物がいたかということがわかるので、次に似た状況で潜るときの参考になるわけです。
このログは、一緒に潜ったチームやバディでつけることが多いのです。まずそこでワイワイガヤガヤと楽しいです。
泊まりの場合は、これに加えて、夜に飲みますし、ショップによっては温泉に行ったりもします。そういうこと全般が楽しいわけです。ダイバーみんなが泊まりなのが当然のリゾート(八丈とか石垣とか小笠原とか)のダイビングショップでは、潜った後に、宿の食事を食べるために一旦解散して、改めて、夜集まって飲み会を開きます。そういう場で、初めて会った人とスキューバーダイビングというキーワードで楽しく飲めるというのも、なかなか楽しいものです。
・温泉がいい
アフターダイブのひとつですが、特に切り分けて書きたいのです。
日本でスキューバーダイビングができるポイントには、温泉があることが多いんです。
潜る→温泉に入る→ビールを飲む
これは好きな人にはたまらない組み合わせです。
・魚がうまい
魚を見た後で、魚を食べるのってグロテスクかもしれませんが、スキューバーダイビングができるポイントは、たいてい漁場としてもいいところです。で、お魚がおいしいのです。
というわけで、しつこいよいうですが、
潜る→温泉に入る→ビールを飲む→おいしいお魚を食べる
というプロセスは好きな人にはたまらないわけです。いいですねえ、おいしいお魚とおいしいお酒…
ぼく的にはこれにプラスで、整体をセットにしていて、「デトックス」とか「リフレッシュ」とか「レストア」とか「身体を全体的に調整する」とか称して、定期的にスキューバーダイビングに行くようにしています。相方に伝えるときとか職場で有休を取るときに、疲れがたまってきたから、そろそろ身体を全体的に調整してくるよ、なんて使います。
・旅行ができる
世の中には旅行好きな方も大勢いらっしゃいますよね。って、「よね」じゃないですよね。いっぱいいるに決まってます。
で、スキューバーダイビングというのは旅行とセットなことが多いです。国内・海外と行き先はいろいろですが、「旅行+スキューバーダイビング」です。
普通の旅行もいいものですが、大好きなスキューバーダイビングが思いっきり楽しめる旅行はさらに楽しいのですね。
・ココロが落ち着く
ぼくはスキューバーダイビングをしていると、気持ちが落ち着きます。高揚するとか、ワクワクするというよりも、落ち着いて自分の見つめるようなことが多いのです。なぜかなあと考えていたんですが、この間やっと気がつきました。海の中は静かなんです。
実際は波の音や自分の吐いた空気のアブクの音がするんですが、それら全般が気持ちを落ち着ける効果があるような気がします。
なのでぼくは状況が許せば、海の中で動かずに中性浮力を保ったまま、ボーッと海中風景を見ていたりします。静かであることと海の真ん中に浮かんでいることで、なんだか不思議な安らぎがあります。
・海が好き
海というのはいいものです。
子供の頃、夏休みに家族で海に行って大喜びして以来、海に行くと楽しいワケで、海は広いな大きいな、波の音、潮風、太陽など、海という自然が好きな人はそれだけで癒されるのです。
そして定期的に海に行って遊ぶ手段がスキューバーダイビングであってもぜんぜん構わないでしょう。
実際、ぼくが知っているダイバーは、ほぼみんな海が好きです。当たり前かもしれませんが…でも自分が好きな自然が自覚できているってシアワセなことだと思うんです。
・出会える
もうオッサンなぼくにとっては、どうでもいいんですが、やっぱり若い人はスキューバーダイビングがきっかけで出会いがあったり、話が盛り上がったりします。ダイバー同士で結婚した人も多々見てきました。
そういう期待があってスキューバーダイビングを楽しんだっていいんじゃないか、だって人間だもの、という気がします。
ぼくが思いつく、スキューバーダイビングの楽しさはだいたいこれくらいです。人によってはもっといろいろ楽しさを見出してスキューバーダイビングに日々いそしんでいらっしゃることでしょう。
経験的にいって、こういうことにヨロコビを感じる人と感じない人はハッキリ分かれるものです。
そうですねえ、たとえば宇宙旅行ができるなら行くか?とか、世界一周旅行をしてみたいか?とか、百名山を制覇したいか?とか、世界の巡礼地ををすべて行ってみたいか?などと、そういうある意味ロマンティックなことに反応する人は、たいていそういう類のことに興味を示すし、反応しない人は「はあ?」ってな感じで、株価のチャート眺めながらデイトレードをしていたりします。
それと同じように、海とか水中世界とかそういったことに興味が持てる人と持てない人というのは、かなり違う人生観で生きているんじゃないかなあって思うんです。
スキューバーダイビングがある人生、そして海で遊ぶ人生を生きる人というのは、ぼくの知っている範囲ではとても楽しそうでいい顔をしているのでした。
オフグリッドな暮らしへの憧れ
東日本大震災のときに、ぼくはありがたいことに命は無事でしたが、停電・断水がしばらく続いて、日々の暮らしがなかなか安定しなかったときのことは、よく覚えています。相方もかなり不安そうでした。
ぼくはたまたまウォータースポーツが好きで、その関係でキャンプもするので、家には、ガスバーナーとかランタンとか小型の太陽光パネルで充電池が充電できるGOALZERO一式とかがありました。他のご家庭よりは家のライフラインが停まることについての耐性はあったのだと思います。
そうしたアウトドアグッズのおかげで、そこそこの食事を作るのと、最低限の灯りとスマホやラジオの電源をとることはできました。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
そのときの経験から、電力会社とガス会社にライフラインをがっちり押さえられていることに、「これでいいのかな?」と疑問を持つようになったんです。これはうちの相方も同意見のようで、それからいろいろ調べたようです。「オール電化にしなくて本当によかった」「日本の電気・ガス料金は世界的に見ても高いらしい」「プロパンガス会社は定期的に見直していろいろな会社を比較したい」「水は井戸を掘れないのかしら」などとぼくも驚くような力の入れようです。
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
それはそれで、ぼくはぼくでビオトープとか雨水利用とかパーマカルチャーとか、環境負荷を減らす暮らしに興味があったんで、相方の変化は渡りに舟です。
震災からしばらくしてオフグリッドという言葉をよく耳にするようになりました。
暮らすうえで大切なライフラインを電力会社とガス会社に押さえられていて(水道は会社じゃないですけど)、会社を選ぶ選択肢がほぼない状態で、しかもその会社が実はあまりきちんと運営されていなかったことへの不信感。こうした理不尽さを感じたのはぼくだけではなかったんでしょう。
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
既存のインフラのネットワークから外れて、いざとなったら自立して暮らせるようにしなくてはいけないと考えるのは、自律的自立的な市民として健全な考え方だと思うのです。民主主義の社会に生きる者として、大切なことだと思うのです。ドン(演題を拳で叩く音です)。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
日々使う電気を太陽光とか風力とか、家庭でなんとかできるものから得ようとすると、コストパフォーマンス的には電力会社から買うよりも高くなっちゃう。
なかなか世の中うまくいきませんね。
でも、ぼくの中には、水・電気・排水・廃棄物を全部自分で自家調達・自家処理してみたいなという思いはあるんです。いつかは…
そして、ちゃんとやってくれてるんだろうな、世の中は…などと見てもないことを信用してはいけなくて、そういうものを根拠もなくアテにしないで暮らせるようになろうと思うんです。いつかは…

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毎日楽しく過ごす、そのメカニズムについて考えてみたりしたりして…
海遊びが好きで、海辺に住んで、暇さえあればウォータースポーツをしています。
こんなぼくですから、毎日楽しく過ごしたいと考えていて、楽しくなるためにあれやこれや考えていたりします。
あれをやったらもっと楽しいんじゃないかとか、あいつとこれをやったら面白そうだとか、まあだいたいそんなことばかり考えています。一例としては、スキューバーダイビングの昼ご飯のときに、自分でコーヒー豆とミルとお湯を持って行って、その場でドリップコーヒーを淹れたら、もっとおいしいコーヒーが飲めるんじゃないか、で、それを同じチームのみんなと飲めたら盛り上がるんじゃないか…みたいなことを考えているわけです。
毎日楽しく過ごすためのちょっとした工夫を考えていると、基本的にネガティブなことを考える時間がなくなるので、そういう面でも楽しくなります。
一日一日を楽しく過ごしたいと考えているときに、ちょっと思ったのは、楽しく過ごすこと自体は、自分の頭の中の問題ではないか、ということです。実際スキューバーダイビングでコーヒーを淹れるという行為自体はもちろん楽しいんですが、それを考えることが日々を楽しくしているわけです。
楽しいことを考えるか、面白くないことやイヤなことを考えるかで日々の楽しさは変わります。
なので、逆にぼくが日々つまらなく過ごしたければ、仕事でたいへんなことやこじれていることを考えればいいわけです。
事実としての行為は変わっていないのに、頭の中で考えることが楽しいことであるというだけで、日々が楽しくなるのではないか…それがぼくがたどり着いた現時点での暫定楽しさのメカニズムです。

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海で遊ぶときには確信を持たないことが大切だと思います
確信を持たないことって大切だと思うんです。
いきなり何を書いているのやら…
海で遊ぶとき、ウォータースポーツをするときに大切なことは、確信を持たないこと、不確実性への耐性を身につけることだと、わたくしは国民のみなさんに訴えたいのであります。
自然の中で遊ぶスポーツ全般にいえることかもしれませんが、海遊びをしていると、急な天気の変化とか、把握してなかった海流とか、器材のトラブルとか、その他いろいろがあります。
もちろんリスクをできる限り減らすために、情報収集したり、器材をチェックしたり、事前準備したりは当たり前です。
でも、それでも100%ってないと思うんです。
ぼくも海に出るときは、複数の情報源から天気予報を確認し、天気図を見て、一日の天気の移り変わりをイメージします。それでリスクが低いと思うから海に出るわけです。でも、やっぱり急な天気の変化ってありうるので、海で油断してはいけません。
たとえば天気予報的には「今日は安定した晴天」でも、自分が目で見て積乱雲が盛り上がっていたら、局地的に落雷か通り雨と考えを変えて、行動も変えた方がいいというようなことです。
このとき「絶対大丈夫」と確信を持っていると、目の前の積乱雲を見逃してしまうことも、人ってあるような気がします。人は物を見るときに自分の考えでフィルターかけているということを心理学の本で読んだような気がしたりします。
確信を持たないで「もしかしたら何かが起きるかもしれない」という状態って、基本的に居心地が悪い状態です。気持ちが割り切れないですし、安心できません。常にどこかで緊張している状態…
趣味のときは、自分と合わない人と遊ばない
ぼくは自他共に認めるアバウトな性格でして、そんなヤツだから海遊びみたいなことが性に合っているのかもしれません。
具体的にいうと、ぼくはシーカヤックで海を漕ぐのが好きですが、一方で、陸上の道路を車で走る(って当たり前ですね。車を運転するってフツーの人はいいますね)のが苦手です。
左側を走りなさい。センターラインを越えてはいけません。赤信号で停まりなさい。青信号で走りなさい。車が停まっていて追い越すときはウインカーを出しなさい。駐車場では白線の中に駐車しなさい。美人が歩いていてもよそ見してはいけません…
ルールがいっぱいありすぎて、全部守るのはぼくには無理です。たぶんルールに共通する趣旨としては、人や車や物にぶつからないように運転しなさい、ということなのだろうと推測するわけですが…
話が横道にそれっぱなしになりそうなのでちょいと戻すと、細かいことまでちゃんとしなければ気が済まない人と一緒にいるのが割りと苦手です。
細かいことっていっても、人によってこだわりポイントが違いますし、同じ人でもこだわるところとこだわらないところの濃淡はあります。
そのことはうすうす気がついてはいましたが、ぼくの行動に影響を及ぼしたのは、結婚生活でした。今でこそ、相方のこだわりポイントや全然こだわらないポイントはだいたい把握していて、ある基準を越えないようにうまいことやっていますが、それを把握するまでは、なかなか大変でした。というか多分相方の方が大変だったのは間違いありません。お互いにお互いの基準を理解するまではいろいろとあるわけです。
そういうのって時間が解決してくれるんですが、全面的にかなり細かい人と仕事をするのも結構しんどいわけですが、全面的にかなり細かい人とウォータースポーツをするのはもっとしんどいです。
仕事ならお金が絡みますし、求められる結果を出さなければならないので、こだわるべき一定の基準がある程度明確になっていますからまだいいんです。仕事だからしょーがないと割り切れますから…
ウォータースポーツのときは、やっぱり楽しみとしてレジャーとしてやっているわけで、仕事ではないわけです。もちろん海遊びは危険を伴いますので、注意深くすべきところはあります。でも、それはそれで全面的にかなり細かくする必要はないわけです。いや、どちらかというと余暇を楽しむためにやってるんだからもっと楽しくやろうよということなんだと思うんです。
しかもたいていの場合、全面的にかなり細かい人は自分の基準を、他人に守ることを求めてくるんです。それはまあそうで、自分だけが細かくこだわってやっていてもチームのみんながその基準に達していないと結果はでないことが多いですからね。
あとは、全面的に細かい人というのは自分の細かさに誇りを持っている感じがします。そういうことに気がつく自分を繊細で感受性が強く違いのわかる人間である、なので、周囲の人は、より優れた自分をお手本とすべきであると思っている様子が、表情とか言葉の端々に表れているようにぼくには思えるのです。
現実的な対策として、ぼくはウォータースポーツのときは、そういう全面的にかなり細かい人と一緒に遊ばないようにしていますし、こちらからは近づかないようにしていますし、仮に少し親しくなったとしても全面的にかなり細かい人だとわかった時点で、ソーッと離れていくようにしています。
こんなことを書くと、ぼくは狭量な偏屈な人だと思われるかもしれませんが、どう思われてもいいので、ウォータースポーツのときくらいは、自分の好きなように楽しみたいので、ご了承ください、ということなのです。
そしてこれは概ねすべてのことにいえると思いますが、趣味を楽しむときくらいは、自分と合わない人と無理に合わせようとしない方がいいのではないでしょうか?

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なんでもやれる自由さがウォータースポーツのよさ
長年海遊びをしているせいか、年下の人から質問されることがあります。助言を求められているといってもいいかもしれません。
いえ、もしかしたら会話をしないといけないと思って、間を埋めるためにむりやり質問を考えているのかもしれません。
ぼくはかなり大雑把でテキトーなタイプですから、ウォータースポーツをするときもあまりこだわりとかありません。
「楽しく、他人に迷惑をかけず、生きて帰ってくる」ということ以外に気にしていることはありません。もう少しいうと、それ以外は自由だからこそ、ぼくはウォータースポーツが好きなんだと思います。
よくある質問のひとつが道具に関することです。いろいろなバリエーションがありますが、たとえばスキューバーダイビングのBCとかフィンについては「今度BC(フィン)を買おうと思っているが、どのBC(フィン)がいいのか?」という質問をされることがあります。
これは「自分が好きなのをテキトーに選んでください」というのがぼくの答えです。
今、ダイビングショップに行って店頭に並んでいるフツーの値段のフツーの物を買えば、まあだいたい大丈夫だと思うからです。あとはやっているうちに自分に合った物がわかるんじゃない?ってのがぼくの考えです。
次によくある質問が、ウォータースポーツのテクニックに関することです。これもいろいろなバリエーションがあります。イメージが湧きやすいように例を挙げますと、「スキューバーダイビングで中性浮力をうまくとるには、どうすればいいのか?」と質問されることがあります。
これも「何回も潜っているうちにうまくなるんじゃないでしょうか」というのがぼくの答えです。
質問されることに対するぼくの答えは、だいたいこんな感じです。そうすると質問する人は少し不満そうな表情になります。おそらくもっと丁寧で、こだわりとうんちくが含まれた答えを期待していたんでしょう。あるいは、手順が明確で、それぞれの手順ごとにやることや注意点がハッキリしていた方が、やりやすいと思ったかもしれません。
ぼくの答えは、前近代的な「経験すればなんとかなる」というものだから、現代にフィットしないのかなあ、などと思ったりします。
ただ、ぼく自身、これまでウォータースポーツを始めるときに、教えてもらったのはスキューバーダイビングだけでして、これもCカードを取らなければならないから、しょうがなく習ったのです。あとはすべて見よう見まねです。
海遊びは自分が楽しければいいんで、楽しければそれが本式のやり方と違っていたっていいじゃん、って思うんです。やりたいことをやっているうちに、もしかしたら新しい遊びが生まれるかもしれません。道具を使ってみて使いにくけりゃ自分で作ればいいし、そうすると画期的な道具が生まれるかもしれません。
伝統を踏襲することも、人間社会の大切な要素だと思いますが、伝統とか既存の在り方を無視して、やりたいことをやるのも大切な要素だと思うんです。ぼくにとってウォータースポーツはそれができる分野だから、自分のやりたいようにやることを大切にしたいなあと思う今日この頃です。

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都会の雨音、海辺の田舎の雨音
海辺の田舎で暮らして、とてもいいなあと感じたことがあります。
そのひとつは雨の音が柔らかいことです。
都会に降る雨の音は、ザーっていう音です。水滴がアスファルトとかコンクリートに落ちる音。
田舎に降る雨の音は、いろいろな音が混ざっていて柔らかいんです。海に落ちる音。砂浜に落ちる音。木々の葉に落ちる音。土に落ちる音。どれもアスファルトとかコンクリートに落ちる音よりも柔らかい音がします。
ポトポト、シトシト、サワサワ、シンシン…
そういう柔らかい音を聴くようになってから、雨の日も好きになりました。
ウインドブレーカー、短パン、ビーサンで準備を整えて、雨の中、ビーチを散歩することもよくあります。
あるいは家の窓から雨に濡れる森の木々を眺めていることも結構あります。
そんなちょっとしたことが海辺の田舎暮らしの魅力といえるかもしれません。
海辺の霧の日がとても好き
初夏の時期、海辺は朝に霧が出ることが多いんです。
ぼくは毎朝、砂浜を散歩しますが、霧が出始めると夏だなあと感じます。
霧が好きで、海辺に住んでよかったことのひとつは、けっこうな頻度で霧に遭遇できることです。
朝だから、温度も湿度は高くありません。爽やかで涼しい空気なんです。砂浜から海に立ち上がる山々に霧がかかります。霧が濃いときは、砂浜も海も霧で、もやっています。
そうなるとすごくうれしい。ワクワクします。
そういえば、ぼくは高原で出る霧も好きなのでした。
なんでかな?
神秘的な感じがするからでしょうか?
ちょっとトワイライトゾーン的な…
霧のかかった砂浜は、普段自分が知っている海辺ではなくて、遠いところの初めて来た海辺みたいなんです。
なんだか旅行気分がします。
リスクゼロ?
海遊び、最近はスキューバーダイビングとシーカヤックをすることが多いです。
ぼくにとって海遊びのおもしろさは、自分ではどうしようもない状況の中で、なんとかする、どうにか生き延びることにあります。そしてその状況は刻々と変わります。
そうしたことを観察し、判断し、対応する、そしてその結果無事帰ってくることができる、そのことが自分自身の判断や行動の正しさの証明になります。
たとえば海況が急に変化して荒れそうなときがあります。経験的にはこうした海況がすぐに好転する可能性は低いことがわかっているんです。でも目の前の状況は、まだそれほど深刻にはなっていません。そんなとき、まだ大丈夫じゃないか、まだまだ行けるんじゃないか、今その判断をするのは性急なんじゃないかと迷ったりすることがあります。でも、もし海況がさらに悪くなるとしたら、今がその判断のとき…
そんな状況では、自分との闘いです。判断のミスは自分の命に関わってくるのです。そういうシビアさがとわかりやすさがぼくは好きなんだと思います。
これが組織の場合、誰の力がどう働いてどんな結果が出たのかわかりにくい状況が多いと思うんですが、それに比べて、全部自分の判断、自分の力、自分の責任です。
友人にそのことを話してもたいてい「わかんない」といいます。海好きな友人に話せばわかってもらえます。登山好きな友人に話してもわかってもらえます。そのあたりのことがわかるかどうかは、ぼくが人を見るときのひとつの尺度になっています。
「わかんない」という人は、なぜわざわざ自分から進んで危険があるとわかっているところへ出ていくのかわからないといいます。別にそんなことしなくても、砂浜で遊んでいればいいし、海の見えるレストランでおいしいものを食べてもいいし、映画を見てもいいし、ショッピングをしてもいいじゃないかと…わざわざ危ないとわかっていることをするなと…
確かにね。ごもっともですね。
それに対するぼくの考えは、こうです。
まず、海遊びの楽しさというのはやってみるとわかるものです。そしてスキューバーダイビングやシーカヤックをはじめとする海遊びの楽しさは、その危険を見込んでも十分やるに値します。
それから、すべてを自分で判断し行動し結果が出るという全体をコントロールしている実感は、なかなか日常生活にはないんです。それを体験することが、自分を取り戻すいい機会になっています。それは誰かが与えてくれる娯楽では味わえません。
最後に、ぼくからすれば、暮らしの中で危険がないことなんてないと思えます。車でドライブするのも交通事故の可能性がありますし、事故の確率でいえば、スキューバーダイビングで死ぬのと車の運転で自分や誰かを死なせる確率は、たぶん後者の方が高いんではないかと思います。人々はリスクがあるからといって車の運転をやめたりはしません。
それから映画を見るのも、ショッピングをするのも、火事や地震やテロや流行の病気への感染や頭のおかしな人いきなり襲われるといったような危険があります。それは確率が低そうですが、自分が何かをコントロールしようとしていない分、ぼくにとっては怖いです。不意打ちされるような怖さがあります。極端な例を出すと、ぼくにとっては荒れた海に出るよりも、池袋の町を歩く方が怖いです。
だいたい安全で安定した人生なんて、どこにも存在しないでしょう。
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