海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
タフな物が当たり前じゃないことに気づいちゃったりして…
なんだか海辺に暮らしちゃって、かれこれ20年以上ウォータースポーツをやっています。あぁ、だいぶ歳とっちゃったなって感じです。あっというまでしたけど…
んで、そんな海まみれの暮らしをしていると、だんだんだんだん身の回りの物がウォータースポーツで使うことを前提に選んだものが多くなってくるんです。
防水・耐衝撃性能があるヤツ…
腕時計はもちろん防水で衝撃に強い物ですし、バッグもマリンスポーツに使う多少の水に濡れても大丈夫な物です。カメラもスキューバーダイビングで使うのと日常使い兼用で、防水で多少ぶつけても落としても大丈夫なものです。
そういう物は、使い勝手もよく丈夫なので、長持ち、便利。というわけで日常的な道具もだんだんタフな物を選ぶようになってきました。
こんな風なタフな物ばかりを使っていると、物というのは水に濡れてもokだし、ちょっとしたことでは壊れないんだと、身体が覚えてしまいます。知らず知らずのうちに道具の使い方が乱暴になっていたようです。
こないだなど、テレビのリモコンをちょっと雑にテーブルに置いてしまって、電池の蓋が壊れてしまったのでした。「えっ、こんなに弱いの!」とぼくは思ったわけですが、相方は「フツーでしょ」っていってました。
よく考えれば当たり前ですが、リモコンだけじゃなくて、スマホやパソコンなど、ていねいに扱わないと壊れてしまう物って結構あったりして、いかに普段自分が乱雑な使い方をしているかに気づかされます。すべての物がタフで防水だといいのになあなんて思うのは、ウォータースポーツ病なのかもしれません。
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まあどうでもいいや
海遊びが好きだとか、海辺のノンビリした暮らしが好きだとか、ぼくはそういう生き方を選んできたんですが、そういう自分を見つめてみると、やっぱり大らかな考え方が好きなんだと思います。
逆に嫌いなのは、束縛されたり、自分らしさを抑えなくてはならなかったり、カッチリ・キッチリやらなければならなかったりする生き方です。
世の中にはこだわりやキッチリが大切な仕事がたくさんあると思うんですが、そうした仕事についていらっしゃるみなさんは、本当にすごいなあと尊敬してしまいます。
ぼくのテキトーでアバウトな性格というのは、大雑把にまとめると、死なないで楽しければいいという原則の上になりたっているようです。最低限大切なことだけキープできれば、あとはどうだっていいんじゃないか?というのが、テキトーでアバウトな性格の原点です。
たいていの場合、こうしたテキトーでアバウトな性格はあまり歓迎されませんが、多少は役に立つかもしれないと思える状況があるんですね。
たとえばですが、スキューバーダイビングをするときなどにそういう状況があります。
すべてが計画どおりに進んでいるときは、細やかでキッチリした性格が大切です。リスクをチェックしたり、器材の異常をチェックしたり、ゲストをもてなしたりといった場面で役に立ちます。
でも、すごく海が荒れて、命からがら何はともあれ陸にたどり着かなくてはいけない、みたいな状況だと、テキトーでアバウトだけれど、命だけは大切、それ以外のことはどうでもいいという性格が生きてきます。
残念ながら高度に発達した現代日本社会では、そういう非常事態はめったにないので、普段はテキトーでアバウトな性格は疎んじられるだけです。
ぼくの友達には、これまで書いてきたようなテキトーでアバウトな、だけれど一番大切なことは守るというタイプの人が多くて、冒険家だったり、紛争地帯のジャーナリストだったり、さすらいの人だったりするんですが、もしかしたら、そういうタイプの人は日本社会というのは生きにくいのかもしれません。
だって、メーカーかなんかの社員だったりして、すごくこだわりのある製品を作らなくてはならなくて、でもコストを抑えつつ、環境に配慮して、ダイバーシティーも尊重して、法令順守しながら、リスクを最小限にしつつ、社内政治も乗り切るなんて芸当は、ちょっとぼくには無理です。
防水バッグはいろいろなサイズを使い分けると便利ですね
ウォータースポーツをする人は、防水バッグって当たり前に使っていると思います。
特にスキューバーダイビングとかシーカヤックをする人は、いくつかの防水バッグを同時に使っていたりするでしょう。
たとえばスキューバーダイビングだと、ショップからポイントへ移動するときに、身の回りの物を持ち運ぶためには、大きめの防水バッグが使いやすいですね。こういう使い方だとサイズは大きいヤツ、表記はいろいろですが、Lとか30L~40Lのものですね。
さらに小分けにして、濡れたら困るようなタオルやペットボトルをまとめるのに使えるのがS、5L程度のサイズのものです。
財布とかスマホとかはそれぞれ別の防水バッグに入れたほうが使いやすくていいでんす。こういうのはサイズ表記ではなくて、スマホ専用とかポーチなどと表記されて販売されてます。
あとボートダイブのとき、船の上で使うかもしれないウインドブレーカーとか曇り止めとかミネラルウォーターを入れて持ち運ぶならサイズM、10Lくらいの防水バッグが使いやすいです。
シーカヤックでちょっとした旅に出るときは、いくつかの防水バッグに荷物を詰めて、バランスよくシーカヤックに詰めます。なので防水バッグも衣類用とか食料品用とか寝袋用とか電気を使うデリケートな物用といった具合に用途とか、中の物を取り出す頻度とかタイミング別に分けたりします。
しかも衣類用の防水バッグは余分な空気を抜くことができるようなタイプを使うと便利です。そうです、イメージとしては旅行用の衣類圧縮袋の防水バッグ版です。
こんな感じで防水バッグをうまく使って、効率よくパッキングすると、ウォータースポーツ中の無駄な動きがなくなります。
防水バッグなんてフツーの人は持っていないこともありますが、ウォータースポーツをするなら、いくつあってもいいと思います。使っているうちに悪くなる消耗品でもありますし。

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ジャスミン茶がおいしい季節ですねぇ
この季節というか、正直にいえば、1年中麦茶が冷蔵庫に冷やしてある我が家です。
何の根拠があるか今となっては思い出せませんが、ぼくが勝手に「麦茶を飲んでいると口内炎にならない」といい始めたのがことの発端です。
まあ、水を飲むなら麦茶を飲もうくらいのことだったような気がします。
そんなエセ医学みたいな習慣が定着するのも、我が家の人達が暑がりだからでしょう。
やたら冷たいものを飲みたがります。
祖母の口癖である「身体を冷やしちゃいかん」という教えは、暑がりの子や孫には受け継がれなかったのです。
そんな暑がり達ですから、夏は毎日冷たいもの祭りです。冷たい麦茶では身体が冷えないのか、この時期は、ジャスミン茶を水出しして、冷蔵庫に冷やしてあります。
いやはや、沖縄の人がサンピン茶を飲むのは、さすが生活の知恵ですね。
身体が冷えるし、口の中がさっぱりします。暑い夏にはもってこいの飲み物だと思います。
海で大きな自然の時の流れを感じる
海で遊んでいると日常生活に何の役にも立たないことをいろいろ考えたりします。役に立たないけど、そういうこと考えるの好きなんすよね。
たとえば、変わった形の岩を見ると、波の浸食でこうなったんだな、何年くらいかかるんだろうとか…昭和初期の湘南の写真を見ると、今よりも砂浜が広く長かったんだなとか…伊豆半島はすごく昔(すごく大雑把ですけど)に本州にぶつかったことになってるんだよなあとか…由比ヶ浜あたりでサーフィンしていると、ずっと昔鎌倉幕府が本当にこの場所にあったんだよなあとか…
他のウォータースポーツをする人が何を考えるのか訊いたことがないんでわかりませんが、ぼくはわりとそういうことを考えます。
いろいろ考えるわりに結論は似たようなところに落ち着くんですが、それは、人間の営みなんて儚いなあ、ということです。
海という自然に密に接しているからそんなことを考えるのかもしれません。
海で遊んでいると、潮の満ち引きやうねりや波で、海のはるか向こうのことを想像します。それは地球のことに関連してますし、宇宙のことを連想させます。
だから余計に人間の小ささとか自分のちっぽけさを感じてしまうのかなあ、なんて思います。
地球が誕生して、海や陸ができて、そこに人間が生まれていろいろなことが起きたと思うんですが、自然の営為の時間スケールの長さや大きさや力は圧倒的です。人間だって、ビルを建てたり防波堤を作ったり、すごくいろいろなことができるようになってますけど、それでも自然の力と比べると大したことないですもんね。
しかも自然はそれを何百年、何万年、何億年という時間スケールの中で存在しています。
以前、台風のときに、ぼくんちの近所の防波堤がそっくり波で流されたことがありましたけど、それなんか自然の力のすごさを垣間見た一例です。
話が逸れちゃうんですけど、ぼくは戦国時代の歴史小説を読むのが好きですが、いくら信長がすごいとか、秀吉がすごいとか、家康が徳川幕府が300年続いた礎を作ったのはすごいとかいいますけど、確かにすごいですけど、それは人間の時間スケールの話ですね。自然の時間スケールと比べたら、ささやかなことのように見えます。
ぼくは海で遊ぶたびに、そんな自然に圧倒されています。
最初に日常生活に何の役にも立たないことだと書きましたけど、少しだけ役に立っていることがあります。
それは、怒りの感情が湧き出したとき、そういうときってたいてい自分のこだわりみたいな概念が原因になっているわけですけど、自然の営みと比べると、どうでもよくなっちゃって、怒るのがバカバカしくなることでしょうか。
アシタバが庭に植わっていて、よかったなあと思う今日この頃
うちの庭(猫の額よりは少し広い)には、アシタバが2本植わっています。
1本は行きつけの八丈島のダイビングサービスのオーナーからもらったもの、1本は行きつけの三宅島のダイビングサービスのオーナーからもらったものです。
根付いてからもうずいぶん長く経って、大きくなりました。
2本あるとアシタバの葉はほぼ自給できます。春先からは、我が家の食卓には週一ペースで、アシタバのおひたし、天ぷら、炒め物でアシタバが出てきます。
ぼくの個人的な感覚ですが、アシタバを食べるとお酒が翌日に残りにくい気がします。ウコンほどではないかもしれませんけど、お酒を飲んでも肝臓がいい感じです。
アシタバはどんどん生えてきて、その元気のよさがいいですね。
それから食事にもう一品あった方がいいなというときに、アシタバを摘んできて、おひたしなんかがチョチョっとできるのもいいですね。
だからといってたくさん飲んではいけません。そういうつもりでアシタバを食べているワケではないのです。そういうつもりでダイビングサービスのオーナーからアシタバの苗をもらったワケではないんです。本当です。いえいえ、そんな、どうぞどうぞ、いやそれほどでも…
えーっとなんでしたっけ、そうそう、うちの庭には、イタリアンパスレーとかパセリとかパクチーとかミントとかが植わっていますが、アシタバはとても活躍してくれていて、本当にあってよかったなあと思う今日この頃です。

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踵のあるマリンブーツは歩くのがラクです
スキューバーダイビングをする人はブーツを履くと思います。ダイビングブーツとかマリンブーツと呼ばれますね。
ダイビングブーツを履いてからフィンを履きますよね。ミューみたいにダイビングブーツを履かないフィンもありますけど。
ダイビングブーツを履いていると、岩場とか砂利のところでもガンガン歩けて結構便利です。そんな岩場に行く予定はなくて、オシャレなダイビングボートのエレベーター機能付きのラダーにラクちんにエキジットする予定でも、なんかいろいろあって岩場に行ってしまうことはあります。
スキューバーダイビングはアウトドアスポーツですし、一旦海況が荒れたらどうなるかわかりません。
ぼくの場合、スキューバーダイビングを始めて、講習を受けて、当たり前のようにダイビングブーツを使っていました。あまりこだわりもなく一番安いのを買って、悪くなったら、また安いのに買い替えて…みたいなことをやってきたんです。
そんな平凡なダイビングブーツライフの中で、転機が訪れました。
去年、友達がダイビングブーツをくれたんです。まだ結構新しいし、ぼくがこれまで買ったことがない高そうなダイビングブーツです。(注:写真のブーツではありません。)
去年、友達がダイビングブーツをくれたんです。まだ結構新しいし、ぼくがこれまで買ったことがない高そうなダイビングブーツです。(注:写真のブーツではありません。)
履いてみて、すごく履き心地がいいんですね。
なんでかなーと思っていたら、踵があるんですね。
ぼくがこれまで使ってきたのは、踵のないペタッとしたダイビングブーツでした。そういうのだと長い距離を歩くと疲れるんです。ちょっと踵があるだけで、ずいぶん歩きやすくなります。
もしダイビングブーツを新調しようと考えている方がいらっしゃったら、参考まで。
さらに付け加えると、いわゆるマリンシューズってありますね。濡れてもよくて、足全体がカバーされているヤツ。あれもちょっと踵があるのを選ぶと歩くのがラクだと思います。たいていマリンシューズを履くときの方が歩く距離は長いことが多いと思うので…

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海辺の暮らしでは、虫や動物よりも化学物質の方が怖いと思うわたくし
わが海辺の田舎町には何年かに一度都会から引っ越してくる人がいます。
狭い町なのでだいたいわかってしまうんです。
どうしてわかってしまうかがみなさん不思議なようなので、一応解説しますと、不動産屋や地銀関係者や工務店関係者が、昔からの知り合いだったり、同級生だったり、子供が同級生で親同士も友達だったり、親戚だったりするから…
それはおいといて、都会から移住した人がつまづくポイントというのがありまして、塩害とか湿気とか虫とか、そのあたりが多いところです。
特に女性は、ヘビとかムカデとかゲジゲジとかすごくでかいクモとかリスとかタヌキとかイノシシとかとかとか、まあそのあたりに慣れるか慣れないかで、定着するか、また引っ越すかが分かれるような気がします。
家族であっても、奥さんやお母さんがもう引っ越したいといえば、無視するわけにはいかないですもんね。
ぼくはいろいろな虫や動物がいる環境の方が、いない環境よりも、より健全だと思っています。
大学の同級生で、各種防虫剤を発売している会社で働いている奴がいて、そいつとはなんだかウマが合うようで、酒を飲みながらいろいろな話をしますが、そうすると殺虫剤・防虫剤というのは普通に使っているけれど、まあできるなら使わない方がいいとのことです。
そういわれれば、虫が死んじゃうんだから、人間にも害があっても不思議じゃありません。
法律で基準があって、人間に害がない範囲になっていると思いますが、それでも日常的・反復的に接すれば、何らかの影響はあるかもしれません。それに人って個人差があります。すごく強く影響を受ける人もいるかもしれません。
都会では、ドブネズミとかハトとかカラスといったようにある種の動物だけが数が多くなることがありますが、これは動物のいる環境が自然の淘汰が起きない状況になっているからではないでしょうか。
田舎だと、そういうことってあまりありませんし、ある年、ある種の動物が増えても、翌年とか翌々年にはまた元のバランスに戻ることが多いです。
マムシとかムカデって毒がありますし有害ですから、そりゃ気をつけなければいけません。でも人間の方からちょっかいをかけなければ、まあ刺されることはありません。それに人間ってたぶん何千年か何万年か知りませんけど、こういう有毒生物がそばにいるところで暮らしてきたんですよね。だからやたら怖がるのはどんなもんなのかなあーって思います。
それより一吹きで一晩中蚊を殺す効果が持続する…みたいな化学物質の方がよくわからないだけに、ぼくは怖いと思いますね。
いくら理屈をいっても怖いものは怖いでしょうけど、ちょっと考え方を変えれば、その先に楽しい海辺の暮らしが続いていたかもしれない…なんてタラレバの話をしてもしょーがないですね。

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窓を開け、波の音を聞きながら眠るのが好きです
夏、我が家はみんな窓を開けて寝ます。
家族はみんなエアコンが苦手なんです。
うちは田舎なので、窓を開けても危ないことはありません。(そういえば都会に住んでいた頃は、危険じゃないかということを気にして暮らしていました。)
海辺の田舎は、日が暮れれば、海風が吹いてきて、割りと涼しくなります。まあなんとかエアコンなしでも暮らせます。コンクリートとアスファルトで建て込んだ都会の夜は暑いので、それとはだいぶ違います。
窓を開けて寝ていると、朝方は寒いくらいなのです。
ぼくは窓を開けるのが好きで、風が入ってきて、空気が動いている感じに安心できます。そして風と共に、木々の葉音、虫の声、波の音が聞こえます。そんな音を聞きながら眠りにつくのって結構シアワセだったりします。
自然がそばにあるシアワセ
若い頃はともかく、30歳くらいから自然に接することがとても好きになりました。それまでも普通の人よりはアウトドアが好きでしたが、自分でもハッキリわかるほど、自然に接するとホッとするようになったんです。
広々とした海に出たり、青々とした森の中に入っていったりすると、ココロが柔らかくなって、シアワセを実感するようになりました。逆な場合で、仕事が忙しくてなかなか海に出られないと、気持ちが殺伐とすることもありました。
それを象徴するような出来事があって、自分でもハッキリ覚えているんですが、それまではいい建築物を見たり入ったりするのがワリと好きだったんです。名建築とか有名な建築家の設計した建物は、できるだけ行くようにしていました。人間が考え尽くした物ってすごいなあと思っていたんです。
でも、あるときから、建築物というのは、それが建つ自然とか地形にフィットするものが、より素晴らしいんじゃないかと思うようになったんです。
ぼくは海辺に住んでいて、そこには無数の建物があるわけですが、その土地に合わない建物というのが確かにあります。一方で、その土地に合っていて、人々がなんとなく集まる建物というのもあります。それは材料の高い安いではなく、広い狭いでもありません。
不思議なものです。
自然と人というのは対立するものではなくて、人の生活は自然の懐に抱かれているんじゃないかなあと思うのです。自然の力とその時間軸は人間を圧倒していて、人間はごく短い時間を自然の中で暮らしている、というのがぼくのイメージなのです。
海の音を聞き、潮風を肌で感じ、海の青さを眺める。そうした時間が自分にとってはとても大切なんだなあと思うんです。自然の大きさを感じるということは、ぼくにとっては自分の(人間の)儚さや無力さを改めて自覚するということです。それがぼくにとっては癒やしになるし、シアワセを実感できることなのです。
1日のうち少しでもいいから自然を感じる時間を作りたい、そんな風に思って、通勤に時間がかかっても海辺の田舎町に住むようになりました。ちょっとしたシアワセを感じられる時間、それで日々暮らしていかれれば、それでいいんじゃないかなあって思うんです。

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