海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
田舎に住む人から都会の人を見ると、こんな風に見えているかもしれません…
うちは海辺の田舎にあります。
こんなところですが観光客の人が来ます。
観光客…主に都会…ていうか東京…から来た人はなんとなくわかります。歩いている人でも車で走っている人でも…
それはたとえば着る物がちゃんとしているとか、セカセカしているとか、前に前に行こうとする感じとか、前の車との車間が狭いとか、入りたがっている車を入れないとか、そんなちょっとしたことでなんとなくわかります。
ぼくは離島を旅するのが好きで、三宅島なんてよく行くんです。三宅島にある雑貨屋(スーパーという佇まいではないけど、なんでも扱ってる店)なんて、島に2軒(だったはず)しかなくて、店の人もヒマなときは奥に引っ込んだり、店の裏で作業をしてたりします。島の店なんてそんなもんです。
あるとき見かけた光景なんですが、店の人がレジにいなくて、そこにいかにも観光客というオジサンが買う商品を持ってレジ前で待っていたわけです。たぶん5分くらいだったと思うんですけど、店の人がレジに戻ってきたらそのオジサンが「何やってんだ。客を待たせるとは何事だ。そんないい加減な対応は東京ではありえないぞ。」って怒っていました。
いやはや、東京に住んでいる人がみんなそうだとはいいませんけど、「都会に住んでいるとこういう風になるのかな? けっこう深く病んでるなあ。」と思ったものです。ぼくはそうやって時間に追われるのから逃げたくて島に旅に来てるんですけど、その島でそんな光景を見るなんてイヤだなーと思いました。
三宅島なんてまだちゃんとしている方で、沖縄の離島とかに行くと、店のオバアが近所のオバアと縁側で話込んでいて店に全然出てこないということはけっこうあります。そうすると客は欲しい商品をとって、その代金をレジらしきテーブルに置いていくわけです。別にそれでいいじゃん。
三宅島なんてまだちゃんとしている方で、沖縄の離島とかに行くと、店のオバアが近所のオバアと縁側で話込んでいて店に全然出てこないということはけっこうあります。そうすると客は欲しい商品をとって、その代金をレジらしきテーブルに置いていくわけです。別にそれでいいじゃん。
ここまで極端じゃなくても、高速道路を走っていて、都会のナンバーの車がすごく急いで走っていたり、前との車間が短かったりする様子を見たことがある人は多いんじゃないでしょうか? それともそれはぼくがそういう目で見ているからでしょうか?
ぼくの、もしかしたら偏った見方かもしれませんけど、人が過密に住むところでは、「他の人より先に」とか「他の人に負けなように」とか「自分が損しないように」といった気持ちが、心の芯の奥まで染みこんでいるんじゃないんでしょうか?
ぼくが以前東京に住んでいて、住むのがイヤになって海辺の田舎町に引っ越したのは、そのあたりが理由な気がします。周囲がそうなので暮らしづらいのと、自分もだんだんそうなってしまいそうでそれがイヤだったのと両方の気持ちがあったように思います。それは具体的には、通勤電車のラッシュとか、道を車で走っているとすごく狭い車間のところに割り込んでくるとか、近所のスーパーで買い物するだけなのにレジに長い列ができている(当然ながらときどき横入りする人がいてイザコザが起きる)とか、カフェで席を取るために置いておいた本が数分の間に盗られてなくなっていたりとか、ATMでキャッシュカードの磁気がおかしくなっていて、スムーズにお金が下ろせず、後ろの人に文句いわれたりとか…すごく細かいけれど決して気持ちがいいとはいえない出来事が積もり積もってイヤになったのだと思います。
日本のいろいろな地方を旅していて、県庁所在地くらいの規模の都市でも住んでいる人は結構のんびり暮らしていたりします。ゆったりした町と少し足をのばせば豊かな自然があって、実質的な暮らしやすさは東京よりもいいように見えました。何かに追われるように急いでいたり、他人を追い抜こうとしたりするのは、東京と関西の都市部の人くらいじゃないかなあとぼくには思えます。仮に、日本の大多数の生活者が、東京とか関西の都市部の人とは違った感覚で日々暮らしているとするならば、さっきのオジサンはもしろ少数派だといえるかもしれません。オジサン自体は東京が中心で、そのやり方がスタンダードだと思っているんでしょうが…

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ウェットスーツの洗い方~手抜き編~
たとえばダイバーだと、オープンウォーターの講習の時に、ウェットスーツの手入れの仕方を教わります。後はクラブチームに入っているセイラーなども、先輩などから教わります。
なのでたいていの人が知っているんですが、たまに一匹狼的にウォータースポーツをやってきた人の中には、ウェットスーツの手入れの仕方を知らない人がいたりしますので、今回は一応その話を書いてみます。
ちゃんと教わるウェットスーツの手入れって、海に入った後に毎回ちゃんとやりましょうと書いてあります。それも一応書いておきますが、その後にぼくの我流の簡易版についても書いてみたいと思います。
清く正しいウェットスーツの手入れ
①海から上がったら真水で洗って汚れと潮を流す。
②風呂桶など真水を張った大きな器にウェットスーツを浸けておく。できれば一晩くらい浸けて塩抜きをする。
③大きな器の水をきれいな水に取り替えて、ウェットスーツ用のシャンプーを入れてもみ洗いをする。
④表裏をひっくり返しながら、よくすすぐ。
⑤裏表をひっくり返しながら陰干しする。
さらにちゃんとした正しい人は、ウェットスーツ用の柔軟剤とかで洗ったりもします。
ウェットスーツ専用シャンプーというのは買うときは高い気がしますが、一度買えば結構長くもちますので、試しに使ってみるといいと思います。
さて、ここからぼく的な正しくないウェットスーツの手入れです。
先述の①~⑤ってぼくは2・3ヶ月に一度くらいしかしません。友人のダイバーに臭いといわれるまではしません。すみません。ご迷惑をおかけしてます。
いつもは次のような感じです。
①海から上がったらウェットスーツの表裏をシャワーとかの流水でよく流す。
②石けんとか洗濯洗剤をつけて、表裏をひっくり返しながらもみ洗い。
③表裏をひっくり返しながら、よくすすぐ。
④裏返しにして陰干しでよく乾かす。
まあ、こんな感じです。たぶんウェットスーツの性能を最大限に引き出す洗い方ではないと思いますので、新品とか高いウェットスーツを買った方はちゃんと洗った方がいいと思います。
やっぱり、ウェットスーツに染みこんだ潮は、やはり真水にある程度の時間浸けておかないと抜けないので、それはやっぱり定期的にやった方がいいとは思います。
ただ、毎日とか毎週海に出るような人は、さすがにその都度塩抜きなんかめんどくさくてやってらんないので、ある程度の時期をみてやるのかなーという感じです。
次に買うフィンは何にしようかな?
スキューバーダイビングの話ですよ、スキューバーダイビング。
スキューバーダイビングって、器材に影響を大きく受けるウォータースポーツだとよくいわれます。
ぼく自身は気に入った器材を長く使うタイプなので、多くの種類を持っていたり、使っているわけではありません。よく考えたら重器材・軽器材すべて1種類のものを10年以上は使っています。つまり、フィンを3種類持っていて使い分けているということではないんですね。
で、ぼくの今のフィンは10年以上使っています。そろそろ次をどうしようか迷っているんですね。どうしましょう?
ぼくのフィンの変遷はとざっくりした感想はというと…
TUSA LIBERATOR
(初心者だったのでショップの人に勧められて買いました。軽さ・大きさ・使いやすさといった点でバランスのとれたフィンだったと思います。)
↓
CRESSI Master Frog
(ぼくは長年水泳をやっていて脚力には自身があったので、それが活かせる製品を探しました。推進力はすごいフィンでした。ただ長すぎてボートダイブでは取り回しに苦労しました。)
↓
GULL SUPER MEWXX
(ゴムフィンを使ってみたいと思い定番のミューを選びました。普通のミューを選ばなかったのは、やっぱり岩場でブーツを履いてないと不安なのと付けたり外したりに少し手間がかかるのでスルーしました。やはりいいフィンだと思いますが、重いことは重いので、次はどうしようかな…という感じです。)
…という具合です。
ぼくの場合、だいたい10年くらいは使うワケですが、プラフィンで10年使うとだいぶヘタってきます。その点ミューはしっかりしていて、もう少し使えそう。
でも、ぼくもだいぶオジサンで、次の10年どの程度ダイビングするかはわかりません。たぶんこれまでよりはペースが落ちるんじゃないかと思うんです。なのでプラフィンでもいいかなとも思ったりして…
離島に行くことも多いので、次はゴムフィンよりも軽いプラフィンにしようかと思っています。
うーん。候補として上がるのは…
mares X-STREAM 21000円
mares AVANTI QUATTRO + 18000円
Cressi-sub Frog Plus Fin 19000円
AQUALUNG Apeks RK3 13000円
SPRO SEAWING NOVA 20000円
スキューバーダイビングとシーカヤックの共通するリペアセットについてまとめてみました
→スキューバーダイビングに便利なツールキット
上の写真はゴミではなく、一応ぼくがスキューバーダイビングの時に持って行くリペアグッズです。いつもまとめてこの袋ごと入れているので、こんなヤレた感じになっています。
というわけで、当たり前といえば当たり前なんですが、スキューバーダイビングに行くときとシーカヤックに乗るときに、リペアセットを持っていきます。リペアセットって、まあ軽い器材の故障とか壊れたときに対応できるような道具類のことです。ぼくが勝手にそう呼んでいるだけで、共通した用語があるわけではないようです。他の人も持っていたりして、リペアキットとかメンテグッズとかまあ、それぞれ勝手に呼んでいるようです。
スキューバーダイビングとシーカヤックでは、それぞれ入っているものが違うんですが、ジップロックみたいな袋に入れてあって、サッと取り出して入れられるようにしてあります。
いやー海遊びばっかりしてると、こういうところが効率的になっちゃって…
ちなみにファーストエイドグッズはまた別の袋にセットされていて、これはスキューバーダイビングでもシーカヤックでも外遊びの時は、同じものを必ず持って行きます。
両方に共通しているものがいくつかありまして、それは次のとおりです。
①S字カラビナ
②ロープ(ヨット用のロープを3mmを5m)
③ダクトテープ
④ペンチというかプライヤとハサミとナイフとドライバのついたマルチツールっていうかLeatherman(レザーマン) Juice CS4
⑤ワイヤ(太さ1mmくらい)
⑥ビニール袋っていうかゴミ袋のでかいヤツ
まあだいたいこれくらいあればたいていなんとかなります。
どれも重宝しますが、③のダクトテープは水に濡れてもすぐには剥がれないので、とりあえず穴をふさぐとか、とりあえず何かを固定するのに便利です。
それから④のマルチツールはスイス・アーミーナイフもいいんですが、ペンチがついている方が便利なので、そういうのを選びました。
②のロープは太すぎず細すぎずいろいろな用途に使えるセイリング用のロープ3mmを用意しています。3mmでもときどき太いかなと感じることもあるので、もう少し細いものを持って行ってもいいかもしれません。そのあたりは少しずつ調整しながら最小限で有用なものにするようにしています。
①のS字カラビナはリペアグッズではありませんが、BCやPFDやシーカヤックのデッキロープに何かをぶら下げたいときに使うので、予備をひとつは持っているようにしています。それに車で移動するときは、車内にものをぶら下げるのにも使えます。
⑤ワイヤは何かを括りつけるとか縛るとか接続するときに使います。以前SプロのBCのAIR2の調子が悪くなったことがありました。AIR2は強く引っ張るとBC内のエアが排気されるようになっています。それはエアダクト内にワイヤが通っていて、引っ張ると肩の排気バルブを開けるような構造になっているんですが、オーバーホールに出したときに、そのワイヤが絡んで戻ってきたようです。そんなわけで、BCにエアを入れても絶えず排気されるようになってしまいました。ぼくはそれをダイビングポイントに着いて、タンクにつないで初めて気がついたんです。なのでその場でAIR2を分解して、手持ちのワイヤをつないで、肩の排気バルブを引かないように調整しました。
⑥ビニール袋は水っぽいところに行くときは何かと重宝するものです。濡れものを入れるのにも使えますし、水漏れを応急的にカバーするのにも使えます。急な大雨のときにはカッパにもなります。
もちろんこれはスキューバーダイビングとシーカヤックに共通するリペアセットなのでそれ以外にも持って行きます。そこんとこよろしく。
→スキューバーダイビングに便利なツールキット
以前こんなことも書きましたので、もしよろしければこらんあそばせ、オホホ…
では、ごきげんよう。

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→スキューバーダイビングに便利なツールキット
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海辺の仲間との距離感
ウォータースポーツをします。
サーフィン、スキューバーダイビング、シーカヤック、セイリング…
よく独りで、ときどき仲間と…
で、ぼくはだいぶオジサンなので周りの海遊び仲間もオジサンが多いのです。たいていサーフィン歴30年とかスキューバーダイビング歴40年とかそういう人ばかりです。
そういう人と一緒に遊んでいて楽しいのは、その距離感。
よくスキューバーダイビングに行く友達は、なんとなく頃合いのいい時期に連絡が来ます。ダイバーはわかると思いますが、伊豆あたりで潜るとするとコンディションがよくて魚が多く見られる時期ってだいたい決まっています。だからそういう時期にふとメールが来て、「来週末に行こうかー」ってなって、「アレが見たいから伊豆ならこのポイントで、このショップで、じゃあ予約しとく」という具合ですぐ決まっちゃいます。
ダイビング当日も現地集合。
基本無愛想。会話は必要最低限。
話すとしても、今ちょっと右足が腫れてるから、あんまり長距離は泳げないかも、みたいなこれからのダイブに必要な事実だけ。
水中でも自己責任が前提だし、お互いに相手の技術と力を知ってるから、付かず離れず。でもトラブルがないかは目の端で見ている感じ。
相手がサインを出しているその先を見れば、珍しい魚がいて、いいたいことはすぐわかる。
相手が一心にあるところを見ているとだいたい何がいるかわかる。
相手の目配せで何をいおうとしているのかわかる。
ダイビング後も宿に向かって、温泉に入って、酒を飲みながら飯を食う。話はするけど、別にはしゃぐでもなく愚痴るでもない。
翌朝、別れるときも、じゃあまた、って素っ気ない。
ぼくは、こんな海仲間との付き合いが好きです。その距離感が好きです。
相手に頼らず、頼られず、それぞれが物事をよく知っていて判断力がある、そんな関係って、とても気持ちがいいものです。無駄な説明をしなくていいし、簡単な説明でも深い理解を共有できるのです。
双方が独立していて、双方が互いに敬意を持っている関係、そんな関係が好きです。
なんとかなるさ…
ぼくはウォータースポーツをします。で、あまりスポーツをしない同年代のオジサンから質問されることがあるんですが、それは「危なくないですか?」というものです。それが質問回数最多です。
で、まあその質問のニュアンスというか言外にある意味が「あなたは社会人として、また妻子がいる身として、そんな危ないことをして、それで何かあった場合に残された家族や仕事に対する責任をどのように考えているのか」というイヤミというか批判です。
まあ、社会の普通の常識人としてまっとうな指摘ですが、こうした保守的なヤツがいるから日本ってカタくて、イノベーティブなモノが生まれないんだよなーとも思います。
ぼくは大学生の頃からウォータースポーツをしてきました。もうずっと…かれこれ30年くらいになるんですね(あぁ歳をとちゃいましたね)。こうなってくるとウォータースポーツというのは、趣味と表現するには軽くて、ぼくの生き方を語るうえで重要なパーツであり、ライフワークって仕事ではないですけど、まあそれくらいの意味を持つようになってきました。
もちろん危ないですが、ウォータースポーツがない暮らしなんて、ぼくらしくないです。ぼくからウォータースポーツを取ったら、ぼくではなくなってしまいます。と、まあそんな感じなのです。
そして危ないですが、そしてこれは山登りをする人や冒険をする人もよくいっていることですが、危ない遊びというのは無事に生きて還ってきて、初めて成功といえるのです。
だから危なさに対してはけっこう準備しています。しかし、危ない遊びをしない普通の人からすれば、なぜそんなことをするのか?と尋ねられるのですが、それは楽しいからです。
そして、危ないと思われることでも、やってみるとそれほど危なくないことが多いのです。まあ、なんとかなるんです。
危ないからちゃんと生きて還ってこれるように準備をして海に出るわけですが、まあそれほど危なくないことが多くて、まあなんとかなるさ、ということです。もちろん万全ということはなくて、準備した以上の危険なことが起きることはあると思います。
でも、それって(準備した以上の危険に直面することは)ぼくからすればちょっと近所のコンビニに買い物に行って、途中で、スマホ見ながら運転している自転車に轢かれて運悪く死んでしまうよりは、ずっとマシなことだと思うんですが、その感覚ってわかってもらえるでしょうか?
危ない海に出てもなんとかなることが多いけど、何気ない日常に潜んでいる危険はどうしようもできない…
そう、今回いいたいことは、生きていく上で、ぼくは「まあ、なんとかなるさ」と思って生きていますが、一方でいつ何が起きるかわからない、「ぼくにはコントロールできない」とも思っています。その2面性です。生きる上でのリスクの2面性。その2面性に対するスタンスのとり方って人によって結構差があるんじゃないでしょうか? もちろん良し悪しではなく…

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自然に接するのが好きな人とそれほどでもない人
海辺で潮風に吹かれながら、太陽を浴びて、ウォータースポーツをしたり、ビールを飲んだり、庭の手入れをしたり、ビールを飲んだりしていると、心の芯からリラックスできるワタクシです。
ぼくは自然の豊かなところにいるとリラックスできる実感が常にあります。それってぼくだけかなあ?と思っているんですが、相方に訊くと彼女もそうだといいます。ぼくは海辺の田舎町に住んでいるので、周囲の友人もそういう価値観の人が多いんです。
でも、会社の人、特に若い女性なんかに訊くと「それムリ」とか「虫とか嫌じゃないですかあ」とか「たまに遊びに行くなら…」とかいう答えが多いんですよね。
とすると、自然が好きな人と町が好きな人がいるんでしょうか?
それとも年齢とか経験によってだんだん自然が好きになっていくんでしょうか?
あるいはライフスタイルによって、好みの場所が違うんでしょうか?
そもそも、なぜぼくはそういうことが気になるんでしょう? 思えば、ぼくと相方は結婚してしばらく東京の町中に住んでいました。で、なんとくなく暮らしにくいという感覚がありました。というかイライラしてました。で、子供を授かって、絶対東京で子育てはムリだねということで、海辺の田舎に引っ越したのです。今でも、あのまま東京に住んでいたらどうなっていたんだろうと思います。
ぼくはそれぐらい都会の暮らしにストレスを感じるタイプです。海風があたるところ、木々に囲まれたところにいると、ホッとします。
古今東西、自然の中の暮らしを愛した人は大勢いて、ぼくは自分の価値観が似ているから、そういう情報ばっかり選んで目にしますけど、そうじゃない人ももちろん大勢いて、そういう人達は、都会の暮らしにストレスを感じていないんだなあと思うのです。
一意専心、無責任道に精進してまいります
常日頃「ボクはだらしない人間です」「いい加減な人です」「テキトーな人です」「無責任な人です」「道楽者です」といい続けています。
思い出せば、小学生の高学年くらいから大学に入る頃までは、人並みにはちゃんとしようと努力していたのでした。大学でいろいろな友達と遊ぶうちに、ぼくよりも優秀で、しっかりしていて、マジメな人はこんなに大勢いるんだから、まあ自分はそこまでしなくてもいいんじゃないか、と気づいたのでした。それからは自分が選択できるんであれば、できるだけ役割とか責任みたいなことを背負わないでいこうと暮らしてきました。
さらに思い出せば、大学の頃にサーフィンを始め、スキューバーダイビングを始め、ぼくの交友関係はウォータースポーツやアウトドアスポーツ関連に広がっていくわけですが、そうした仲間はみんな自由に見えました。もちろん彼らはいわないだけでそれぞれいろいろあったんでしょうが、少なくとも、ぼくからはぼくより自由に見えたのです。
ぼくにとって大学時代というのは、生き方とか集団でのポジションの取り方の転機だったんだなあと思います。
もちろんぼくもまったく責任を果たさないわけではなくて、約束の時間を守ったり、冠婚葬祭には参列したり、税金を納めたり、運転免許証の更新をしたり、カードの支払いはちゃんとしたり、一応家族がいたりして、役所の住民票には世帯主(それを見るたび違和感を感じます。いえいえそんな世帯主なんてオソレ多い。そんなそんな、まあまあ…)なんて書いてあったりします。
これはフツーで当たり前だという見方もありますが、いやいや、ぼくの友人には約束の時間どおりに来たことがないヤツは大勢いますし、世界や日本の津々浦々を転々として、住所がほぼ不定なヤツもいますし、付き合っている女性がいて子供もいるけれども籍は入っていないというヤツもいます。冠婚葬祭は面倒くさいからと肉親のにも出席しないヤツもいます。
いや、彼らを褒める気はないんですが、人間ってけっこう自由になれるっていうことをいいたいんです。
そんな彼らに共通しているのは「他人にどう思われるかを気にしない」ということです。これができれば人はかなり自由になれるんだなって、ぼくは大学時代に気づいたのでした。それは遅いともいえるし早いともいえるでしょう。
ただぼくの未熟なのは、それに気づいたのに、徹底して実行できず、まあまあフツーの社会人であろうとしたことです。思えばそのあたりがぼくのミスでした。もう少しで「夢を追いかける自由人」になれたのに…あぁ一度の人生を取り返しのつかないことをしてしまいました。
ただぼくの未熟なのは、それに気づいたのに、徹底して実行できず、まあまあフツーの社会人であろうとしたことです。思えばそのあたりがぼくのミスでした。もう少しで「夢を追いかける自由人」になれたのに…あぁ一度の人生を取り返しのつかないことをしてしまいました。
ただ何事もやってできないことはありません。ぼくも今からでも日々の稽古で「他人にどう思われるかを気にしない」ことを徹底して「夢を追いかける自由人なオジサン」になれるよう一意専心、無責任道に精進してまいります、と思うのです。

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もう少し自由に大らかに暮らしたい
幼い頃学校で「人間は独りでは生きられない社会的動物です」と教わったのです。
まあ、それはそうですね。
みんなで集まって暮らすために法律ができルールができマナーがあるんだと、ぼくは思っています。だから、おそらく、そうした法律とかルールとかマナーって、社会の多くの人がよい・大切・公平・快適であると考える基準でできているはずだとも思っています。ということは多数派ではない人にとってはよくなかったり、大切でなかったり、公平でなかったり、快適でなかったりすることがあるということです。
もし仮に、価値観や生活のあらゆる面で標準的で多数派な人がいたとしたら、そうした人は暮らしやすいでしょう。
ぼくはわりと少数派な生き方をしてきたと思っているので、いろいろルールとかマナーがあってツライなと感じることがあります。もうオジサンなのでだいぶ慣れてしまいましたけど…
いえ、ほら、ちゃんと法律やルールは守りますけど、マナーみたいなレベルまでくると、今でもけっこう息苦しさを感じます。
細かいんですけど、たとえば、それはスーパーなんかに行って駐車場で白線に沿ってちゃんと車を停めるとか、道を歩いているときに右側(左側?)通行するだとか、家や車や自転車に鍵をかけるとか、ホームで電車を待つときは線に沿って並べとか、ズボンの下にパンツを履くとか、大人の男がちょっとしたレストランに行くのに、ビーサン・短パン・Tシャツでは行ってはいけないとか、朝からビールを飲んではいけないとか、寝るときは家でベッドや布団で寝なければならないとか、盆暮れにはお中元やお歳暮を贈るとか、年賀状を12月何日までに投函せよとか、ホテルのビュッフェ形式の食事で皿に自分の好きな物を取り分けるのに順番に並ばなければいけないとか、好きな肉ばかりたくさん取っちゃダメだとか…えーっとオレってだいじょうぶかな…
ねえそんな細かいこと誰が決めたの? 別になくたって誰も死なないし、誰にも迷惑かけないでしょう。いやそれぐらいはいいことにしようよ。などと思うことがときどきあります。
細かいマナーにうるさい人を見ると、そういうこといってる時間があったら、世界の紛争地帯に行って平和貢献活動でもしてこいと、筋の通らない憤りを感じたりもします。あんた平和でハイコンテクストな文化の日本で暮らしてるからそういうこというんだよ!とも思ったりします。
要するにもう少し自由に大らかにできないかなーというのがぼくの思いです。
でもそれってあんまりやると少数派や弱者にしわ寄せがいきますし、難しいところです。自由さと大勢の人の快適さとは裏表ですから…
そんなに自由に暮らしたいんだったら人がいない辺境に住めばいいわけですが、たぶんそれってぼくにはムリです。
ぼくが現実的にあり得ると考えているのは、あまり人が多くない田舎に住んで、個人の自由と社会的ルールのバランスをとるということぐらいです。
それのひとつとして海辺の田舎町に住んでるわけです。海は陸よりはルールがユルいですから…
みんなが知っている歌で、みんなそれぞれ個性があって、一人ひとりが世界でひとつだけの花なんだから尊重し合いましょう、みたいな内容のがありますけど、それならルールやマナーを緩和してもらわないと、少数派は生きづらいんですけどーとも思ったりします。

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海辺の田舎町の友達たち
海辺に引っ越して、かれこれ30年近くになりました。
その間に近所の海遊びをする人達と知り合いもできましたし、もともとウォータースポーツで知り合った人達とも付き合いが続いています。
そんなわけで、周囲もぼくもだいぶ歳をとってきたんで、しばらく海で見かけないと、スマホに「大丈夫か?」と連絡が来たりします。近所のスーパーで会っても相手が日焼けしてないと「体調、大丈夫?」と心配し合うような感じです。高齢化社会のウォータースポーツマン同士に付き合い方はこんな感じになっていくのかもしれません。
海辺の町に住んで、ウォータースポーツをする人というのは、それなりに自分の考えやライフスタイルを持っている人が多くて、そういう人達との人間関係というのがぼくはわりと好きです。
自我がハッキリしているのと、付き合い方の距離感と、力の抜け具合が、自分と合うみたいです。
わかりやすくするために、逆に苦手な人を挙げてみます。
都会のタワマンなんかに住んでいて、有名な企業に勤めて、ベンツを乗っているような人というのは、経験的にぼくは話が合いません。そりゃあたりまえですね。ぼくは海辺の小屋みたいなところに住んで、会社でイヤイヤ働いて、軽トラってサイコーって考えている人間ですから…
いや、それだけでなくて、もっと深いところの価値観が一致していないというか、生き方が好きじゃないという感じがします。例に挙げたような人って、幸せの価値観が他者目線なんじゃないかって感じます。自分がいいか悪いかじゃなくて、他者が自分の生き方を評価してくれるかどうかを大切にしているということです。たぶんそういうところがぼくは合わないんだと思います。
少し考えればわかりますけど、他者の評価で自分の幸不幸を判断するのって無理があります。いい歳して、そういうことを考えていないのか、考えているけどそこから抜けられないのかわかりません。前者なら思慮が浅すぎますし(強いいい方ですが、それ以外に言葉が浮かびません。敢えて別な言葉にするとバカでしょうか。)、後者なら弱すぎでしょう。
そうじゃない人の割合が比較的高い海辺の田舎町の暮らしは、つまらない人と付き合わなくてよくて、なかなか快適なのです。
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