海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
気長に取り組めれば、もっといい人生が歩めるかもしれない…と思う今日この頃
ウォータースポーツでは天気や海況を見ることが大切なことはいうまでもありませんね。それを見極めて遊ぶのが気持ちよく安全に遊ぶ一番のコツのように思います。そう、海遊びでは日和見が大切なんです。
ぼくが今まで危ない思いをしたのは、たいてい心のどこかで少しヤバイなと思いながらも無理して海に出たときが多いのです。
今回は、なぜぼくは無理をしたのかを思い出してみて、今後の自分の教訓にしてみたいと思うのです。
よくあるのがせっかくの長期休みで1年前から計画していて、やっと念願の小笠原まで来たというものです。そのせっかくの機会に遊び尽くしたいという思い(欲)から発している事例です。
冷静に考えれば、死んでしまったら、その後いくつもあるであろうウォータースポーツを楽しむ機会も失ってしまうので、無理しない方がいいんです。でもその場では、休暇とか旅費などを考えて、無理をしてしまいます。
ここで起きていることを改めて整理してみますと、自分の力ではどうにもならない自然の海況が、自分にとって好ましくない方向に動いていることがわかっていても、そのリスクを敢えてとって海に出てしまうということです。
自然を相手にするウォータースポーツでは、やってはいけないことです。こういうときの定石は気持ちを切り替えて、その日できることで楽しむか、家で酒でも飲むかです。別にテレビを見るでも、温泉に行くでもいいですけど…
ありふれた話の展開ですが、ぼくは自分のやりたいことに執着していたんでしょう。そして目の前のことに気持ちがとらわれ過ぎていたんでしょう。
もっと俯瞰してみれば、ぼくとしては、ウォータースポーツを長く楽しんで、人生を豊かなものにすることが目的です。なのにやはり目の前の休暇とか、せっかく旅行に来たからとか、費用がかかっているからとかを重視してしまいました。
そういうのはあるかもしれないけれど、自然のことだから仕方ない、別に楽しめることをしよう、とそのときの状況に合わせた行動をとればよかったんです。
まさに、We cannot direct the wind, but we can adjust the sails.ですね。
自然とか世の中の流れとか他人の気持ちとか自分の思うままにならないことはたくさんありますが、それを変えようとするんじゃなくて、それに合わせて楽しめばよかったんですね。
そして、その判断の背景にはどんな心持ちがあればよかったんでしょう?
本来の目的に立ち返ること、物事を俯瞰する視点、気持ちの切り替えの速さ、我慢強さ、執着しない心、欲を捨てる、気長さ、じっくり物事を考える力…
じゃあ、気長な心持ちでいるにはどうしたらいいんでしょう?
特にぼくは昔からせっかちで、それで損していることも得していることもあるんですが、もう少し気長だったらいいなあと思うことは多々あります。
気長に、急がない、慌てないというのは、「今すぐこれをやりたい」とか「今これをしなきゃ」とか「今これをしないと損するかも」とかそういう気持ちから来ているんだと思います。ここにある要素は…
・損得への思いが強い
・物事をよく考え長期的な見通しを持っていない
・周囲から褒められようとする
・周りの人との競争心
・頑張れば自分の思うとおりになるという前提がある
・すぐに実現したいと思う
ということでしょう。
もし、多少の損得はしょうがない、生きているだけで儲けものという気持ちがあればそんなに焦らなかったかもしれません。物事を俯瞰してじっくり考えて、行動するべきか待つべきかの見通しが立っていれば、今すべきか、待つべきか判断できたかもしれません。周囲から評価して欲しいから本来の自分のペースを見失ってしまうということもあったかもしれません。
だからおそらく次のように考えればいいのかもしれません。
・損得への思いが強い
→多少損してもいいや、生きていればいいやって考える。
・物事をよく考え長期的な見通しを持っていない
→長い目で見て、自分がどうなりたいのか、どうだったら幸せなのか、自分の人生で何が大事なのかを考える。
・周囲から褒められようとする
→周囲の評価を気にしない。いい子になろうとしない。
・周りの人との競争心
→自分は自分。マイペース。
・頑張れば自分の思うとおりになるという前提がある
→自然や世の中は流れとタイミングがある。逆風の時には何をやってもダメ。
・すぐに実現したいと思う
→そもそもそんなに急ぐ必要はない。
そもそもぼくが海辺の田舎町でノンビリ暮らしたいなって思ったのは、都会のいつも何かに追われている感じと、仕事で日々やらなきゃいけないことが山ほどある状況と、自分の生来のせっかちな性格が相俟って、自分がツラくなったからなのでした。
でも、田舎に住んで少しはノンビリするようになったものの、自分の性格ってなかなか変わりません。せっかちで、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃっていう意識は、時として自分や他人を追い込むことがあります。そういうのを少しずつでも変えてみたいなあとは思うのです。

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ネクタイは、考えているより結んでみたほうが早い
みなさんネクタイってしますか?
会社勤めの男性でも最近はノーネクタイでもokの職場がけっこうありますからね。
ぼくはもう何十年も毎日ネクタイを結ぶ生活をしています。
ネクタイ嫌いですけど…
で、いつもしている慣れているネクタイだと一発で上手く結べるんですけど、新しく買ったネクタイを1回でちょうどいい長さに上手く結ぶのって、ぼくの場合難しいんです。みんなどうしてるんだろう…ってときどき思います。
話が変わりますが、ぼくの大学時代からの友人で、とても慎重なヤツがいます。昔から慎重でしたが、歳を重ねてますます慎重になってきたように見えます。
どう慎重かということを説明する例なんですけど、彼と旅行に行くと、宿や足はもちろん、食べるところ、経路上のコンビニの有無、大きな病院の場所などを事前にチェックしていくんです。
もちろん宿の備品っていうんですか、ハブラシがあるかとかドライヤーがあるかとか、温泉にシャンプーやボディソープがあるかっていうのは当たり前のように調べています。それから足については、新幹線なら席にコンセントがあるかとか、トイレのそばのお手洗いにハンドソープがあるかとか、車内販売は何が名物かとか、まあそういったことを調べてから旅行に行くんです。
別な例で、いうとぼくはウォータースポーツをやりますけど、彼がうちに遊びに来ると、3年に1回くらいは思い出したように「オレもサーフィンやってみようかな…」っていいだすんです。ぼくは大歓迎で、やろうやろうウェットもボードも貸してやるからやろうというんですが、いざビーチに行くと、流されたらどうするんだ、こけてどこかに身体をぶつけたらどうするんだ、この近くに病院はあるのか、サメはいないのか…などといろいろ心配なことが出てきて、結局海には出ないんです。
ぼくはこの友人とは正反対の性格で、昔から深く考えずに、まあとりあえずやってみればなんとかなるかな、と思って生きてきました。もちろんそれで失敗することもたくさんありますが、まあその場で恥ずかしい思いをするくらいで、今も一応生きているんで、死んだりはしないということですよ。
いや、ぼくの場合はもう少しいろいろ考えて行動した方がいいかもしれませんけどね…
最初のネクタイの話ですけど、新しく買ったネクタイも、これまでの経験と自分の首の太さと上半身の長さを根拠として、ちゃんと長さを測ってこのくらいの部分を首にかければ、必ず一発でちょうどいい長さに結べるようになるだろうというのは、ぼくだってわかります。
ただ、ネクタイなんて1回や2回結ぶの失敗したって、まあ別にいいじゃん、とぼくは思うんです。
それでね、世の中、生きているとネクタイを結ぶのに類することって結構あるよなあと思います。ネクタイはわかりやすい例ですけど、もう少し微妙なケースってありますよね。そして、会社とか組織でも似たようなことってありますね。リスクに関する議論とか…
そして、日本って一応先進国で、文化的に成熟して、社会制度的にも整備されていると思うんですが、そういう日本って失敗を恐れる社会になっているんじゃないかなあ、友人のような人が増えているんじゃないかなあとも思ったりする今日この頃なのでした。

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経済がとか国力が…とかいわれてもノンビリしたい
知恵と勇気をふりしぼって、海辺でダラダラすることとノンビリすることに力を使っているボクです。
いえいえまあまあいろいろそりゃありますけど、忙しさにキリはなく、雑用は海のように無限です。
そんな状況はわかってますけど、なんとか時間があれば海遊びをし、ビーチで寝転び、ビールを飲んでいたいのです。
そんなボクを見て、「大の大人が…」とか「いい歳して…」などと冷たい目で見る人がいますが、いえ、ボクは自分の気持ちに正直に生きているだけです。
だいたい「日本の経済が…」とか「第3四半期のGDPが…」とかいわれても、そんなこといわれても、それってどこにあるんですか、っていう話ですよ、ボクとしては…
それからですねえ、国会議員とかで「日本経済の成長のために、女性はもっと働いて能力を活かすべきだ」みたいなこという人がいますけど、ボクはこういう人を信用しません。
みんな自分の幸せのために生きているんで、日本経済のために生きているわけではないと思うんです。そりゃ国会議員から見れば国のためにって思うんでしょうけど、それをそのまんま言ってどうするって話ですよ。
バカなんじゃないの? うすうすわかっていたけど…というか、もはや国民の常識になりつつあると思うけど…
一生懸命働いているのも、家族や自分の生活のためじゃないですか…
なので、たまの休みくらい自分の好きな場所でノンビリしたいのです。
そんなこというと非国民とか視野が狭いとか反論もありそうですけど、そんな考え方だから太平洋戦争が止められなかったんじゃないの?
好きなのは海辺の田舎町
一時期、神奈川県藤沢市の海辺に住んでいました。いわゆる湘南(なんだか書くのが恥ずかしい…)と呼ばれる地域です。
緑の多い住宅地で、サーフポイントまでも歩いて行けて、そこはそこで住み心地がよかったわけですが、ぼくの中で、ちょっとだけしっくりこないことがありました。
それはなんてことないことなんですが、ちょっとオシャレで、すました感じのところです。道行く人がスッキリしたブランド物の服を着ていたり、いかにも血統のよさそうな犬を散歩させていたり、行き交う車が高級外車だったり…とちょっとしたことに表れるんです。
もちろんそれが悪いわけではなくて、ぼくがそういうのが嫌い(たぶんヒガミもあると思います…)なだけです。ぼくは東京のそういう感じ(自分はあんたたちのような下層階級とは違う、育ちも年収もセンスも…みたいな…)が嫌いで海辺に引っ越してきたんですから…
また、取って付けたような観光客が多いのも特徴でした。海だから湘南だからとやってきた観光客…そういう人達の多くは、実は海をそんなに眺めてもいないし、海に入っているわけでもないし、そもそも海が好きなわけでもないのです。
海をバックに写真を撮って、オシャレなレストランに行って、酒飲んで、騒いで、写真を撮って帰っていくんです。
そんな雰囲気の中で暮らしていて、自分の中にずっと違和感というか居心地の悪さがあったんです。上手くいえないんですが、ぼくが住みたいところと違うなあという思いはありました。
ぼくは堤防があって、漁網があって、白い軽トラが停まっていて、いかにも雑種な猫が日影で寝転がっているような町が好きなのです。おっちゃんがヨレヨレのジャージで歩いているような町が好きなのです。そういうところで自分もヨレヨレのジャージで、歩いていることに安心感を覚えるのです。で、道で会った人と、与太話して、酒飲んで寝るみたいな暮らしが好きなんです。
喜びや悲しみが溢れていて人間臭い感じ、そんな場所の方がぼくは心地いいのです。
努めて動くようにしています ~人間にも慣性の法則が働いているんじゃないかな?~
休みの日、時間があれば、海に出るようにしています。海が荒れて出られないときは、海辺を散歩するようにしています。
それには一応ぼくなりの理由がありまして、身体を動かさないと肉体的にも精神的に健全でなくなるからです。これは経験に基づいています。
もう10年くらい前のことになりますが、年末年始のまとまった休みの時期に風邪を引いてしまい、ずっと家にいたことがありました。そうするとぼくってヤツは動かないと、とことん動かなくなるんですね。朝起きてメシ食って、少しパソコンして、テレビ見て、メシ食って、酒飲んで寝るという日が何日も続いてしまったんです。そうすると出かけるのも億劫になるし、家の雑用をやるのも億劫になるんです。そうすると身体もなまるし、気分的にもテンションが低くなります。
似たような経験を実は大学生の頃にもしました。大学生というのは休みも長いので、バイトしたり友達と遊んだりする用を入れないと、本当に何もやることがなくなってしまうんです。一日中テレビ見て、そのときは面倒くさいのでメシもよほど腹が減らないと喰わなかったりしました。
この経験から、ぼくだけかもしれませんが、人間にも慣性の法則みたいなものが働いているんじゃないかと、勝手に仮説を立てたんです。一度止まってしまうと、動くのにパワーが必要なんじゃないかと…
よく忙しく働くビジネスマンみたいな人に限って活動的でいろいろなことにチャレンジしてたりしますが、これは活動がそういうリズムになっているからなんじゃないでしょうか…
なので、毎日同じ時間に起きて、日課を作ってそれどおりに雑用をこなし、規則正しく食事をして、同じ時間に寝るようにした方がいいんです。特にぼくのようなタイプは。
休みの日も平日と同じ時間に起きて、日課を作ってそれをこなし、その中には身体を動かす時間も入れておくのです。常に動くようにしているとスムーズに物事がこなせるのです。
もし都会に住んでいたら、身体を動かす場所がフィットネスジムになっていたかもしれませんが、幸いなことに海辺なので、サーフィンしたり、シーカヤックしたり、海辺を散歩したりできます。ちょっと海に出て身体を動かす、そんな環境がぼくにとっては結構重要で、それでもって健康を維持できているんだとしたら、身体や暮らし方が海辺に合っているんだと思うんです。

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安いサングラスがおもしろい
ウォータースポーツをするときはサングラスが必需品です。恰好づけのためじゃなくてマジメに目を守るために…
実際、ぼくの周囲に白内障や緑内障になる海遊び友達はいますから…
サングラスというのはご存知のようにブランド物があるジャンルです。スポーツ専用のものでも、いろいろあります。
そのことは以前まとめたのでよろしければ読んでください。
最近はちょっとしたものもネットで買うようになりました。やっぱりAmazonを使うことが多々あります。Amazonで海用のサングラスを探していたら気づいたんですけど、ブランド物のサングラスに似せた安いサングラスがたくさん売ってるんですね。
僕の家族もウォータースポーツをするので、家族共用として試しに買ってみました。
どれを選んでもせいぜい3000円以下。
これがそんなに悪くないんです。まあメガネなので、ずっと使っているとレンズの歪みとか精度で目が悪くなったり、疲れ目になったりするかもしれませんが、海でちょっとかけるくらいなら、これでもいいんじゃないかと思えるものでした。
フレームもしっかりしているし、レンズも偏光だし、一応撥水加工はしてあるみたいだし、かけていて違和感があるということはありませんでした。逆にOAKLEYをかけると慣れるまで焦点が真ん中に寄っているような感じがするので、それよりはずっと自然なかけ心地でした。
少なくとも海辺の雑貨屋で浮き輪とか売っている店の1000円のサングラスよりはちゃんとしてました。
もともとぼくはユニクロのサングラスを愛用しているので、まあそれと同等かそれよりもいいなと思いました。
デメリットは重さでしょうか。やはり少し重いです。おそらく100gくらいだと思いますが…
ウォータースポーツではそれほど気にならないかもしれませんが、ランニングやサイクリングでは軽い方がいいでしょうね。
海遊びをするので、これまでいくつものサングラスを使ってきました。そして時には海に落とし、時には旅先に忘れてしまい、時には海遊び中に壊してしまったこともあります。ぼくにとってサングラスは、ウェットスーツやフィンやブーツと同じように消耗品です。そんな道具ですから同じ機能なら安ければ安い方が助かるのです。
あーっ、ノンビリできない!
ぼくはこれまで海辺でノンビリしようとか、ダラダラしようということを書いてきました。それにはちょいとわけがありまして、それを自分でも改めて自覚したので今回まとめてみようと思います。
自分でいうのもなんですけど、ぼくは家でも(一応会社でも)いろいろのことをテキパキやる方じゃないかなあと思っています。
生来せっかちだし、自分のまわりがちゃんとなっていないと気持ち悪いというのがあります。旅行に行ってもやたら予定をパンパンに詰めるヤツっているじゃないですか。あれです、ぼくは…
同じタイプの方ならわかっていただけると思いますが、そういう性格の人って、作業に終わりがないんです。家でも掃除したり整理したいところとってほぼ限りなくあるわけですし…
だからどこにいてもボーッとすることができないというのが、だいたい20代くらいまでのぼくの悩みでした。
この性格は仕事をするようになってから身についた気がします。それまではどちらかというとのんびりとボーッとしているタイプだったのです。
仕事をするようになって、やらなければいけないことが山ほどあって時間があると今のうちに前倒しでやれることはないか考えてしまうようになりました。そうするとさっきの話のようにやることはほぼ無限にあるので、ボーッとする時間は皆無になります。
ちなみに余談ですが、仕事というのはテキパキやる人のところに集まってくるので、その人はほぼ永遠にのんびりできなくなります。
で、30代になって、イヤちょっと待てと、オレはいつからこんな風になっちまったんだ、もともとノンビリゆったり生きたいがためにウォータースポーツをやるようになって、海辺にも引っ越したんじゃないか…いったいオレは何をしているんだと…
そういうぼくが考えた策というのが、一日のうちにボーッとする時間をとるというものです。わざわざ意図的にボーッとする時間を設定するのです。
たとえば休日に朝起きて食事をした後コーヒーを飲むことにしているんですが、そのコーヒータイムが、ボーッとする時間です。
ぼくなりにボーッとする時間を過ごすコツみたいなものがありまして、それはコーヒーを飲む以外のことをしないということです。とはいえ、音楽はBGM的に聴くようにしています。TVも見ないし雑誌も読みません。
天気が好ければコーヒータイムはデッキで過ごすようにしているんですが、他のことをしないと決めると、コーヒーの味に集中でき、海を眺めたり、木々を眺めたり、波の音を聴いたりして、周囲に注意を払うようになり、だんだん自分の来し方行く末を考えるようになります。
こうして、○○しかしないという時間を作ると、普段いかに自分がマルチタスクをして気を散らしているかに気づかされます。
世の中のことはたいていなんとかなる
以前にも似たような記事を書いているんですが、そういうことを書くのが好きなので、何度も書きます。
これまでウォータースポーツを30年近くやってきてつくづく思うんですが、まあ、「なんとかなる」ということです。死ななければなんとかなるということです。スキューバーダイビングとかサーフィンとかシーカヤックとかやってれば、慎重な人でも一度はヤバいとか死にかけたという目に遭うものです。でも、まあなんとかなっているわけです。生きているからこんなことを書けるわけで、なんとかなっていないで死んでいる人もいるので、生存者の意見といえるかもしれません。
それはともかく、逆によくないのはヤバい状況(危機的な状況)で取り乱したり、パニクったりすること。
そうなるとまだまだなんとかなるかもしれないのに、その可能性を自ら潰してしまいます。
まさに敵は自分自身。
自ら、自分の墓穴を掘るとはこのこと。
それを別な書き方にすると、パニックに陥らず、心の平静を保てば、最後の最後まで可能性はあるわけです。最後の最後と死との一線をぼくは超えたことがないので、どこまで心の平静を保てるかわかりませんが、おそらく微分的にそのギリギリはグレーゾーンとしてずっとぼくの目前に立ち現れているんじゃないかと想像できます。
どこまで心の平静を保てるんだろう…
でも、グレーゾーンのぎりぎりまで心の平静を保てば、そこまではなんとかなっているわけで、それはそれでいいんじゃないかと思うのです
「なんとかなるさ」というのは、死の間際でなくても普段の生活で使えるものでして、その日一日がなんとかなればいいや、後はなんとかなるさと考えると少し気持ちが楽になります。
ぎりぎりの状況・気持ちの持ち方・生き方…
ウォータースポーツやアウトドアスポーツをしていて幾度となく経験していることがあります。それは「あぁこんなことするんじゃなかった。どうしよう。でもやるしかない。」ということです。
抽象的なので具体例を挙げてみます。
ぼくは海が好きで海辺歩きをするんですが、日本の海辺というのは、砂浜があって岩場があって、また砂浜があってということが繰り返されている地形が多いんです。なので、海辺歩きをしていると必ず岩場を登る場面があります。あるとき砂浜を歩いていると、先の方に急な岩場というか岸壁が見えていました。このままいくとその岸壁を登らなくてはなりません。あるいは砂浜から陸地に入り、陸側から岸壁を越えるルートがあるかもしれないので、そっちのルートをとる方法もあります。その決断をするなら今という状況。
こういう状況の時、ぼくはたいてい判断を先送りにしてしまう癖があるので、ズルズルと砂浜を歩いてしまいます。
で、だんだん岩場に来て、いよいよ岸壁っぽくなってきます。岩を見るとところどころ急ですが、なんとか登れそうな気がします。でも、結構急で、確実に手がかり足がかりが続いていると断定できません。
こういうときにぼくはたいてい前に進んでしまいます。たとえばぼくの高校からの友人のA君は慎重な人なので、彼なら絶対に引き返しているでしょう。
岩場を登り始めます。だんだん登っていって、この先、急で手がかり足がかりが少なそうです。来た方を振り返ると結構な高さで、今来たところを引き返すのはとてもできなさそうです。岩場というのは、たいてい登るよりも下る方が大変なものです。
下の方、どうでしょうざっくり15mくらい下には岩場と海が…落ちたら、頭を打ったら死ぬでしょう。打ち所がよくても骨折は免れないかなーって思います。
また上を眺めます。手がかりになりそうな岩を探しますが、なんとか指が入るかどうか…つかめず滑ったら、あの岩場混じりの海…
そんなことを想像すると身体がすくんでしまって、手が震えてくるんです。
そう、ぼくの状況は、引き返すこともできず、前に進むのもリスクがあり、そのままとどまってもいずれ力尽きて落ちてしまう、そんな感じなのです。
過去のぼくの経験では、こういうときに一番悪手は、パニックになることです。それさえ避ければ、あとは前進と後退のどちらがリスクが低いか冷静に見積もって、一度決断したら恐怖心を無にしてただ目の前の一歩に集中するしかない、そういうことは学んでいました。
登った方が落ちるリスクが少ないことは、すぐに判断できました。
次は恐怖心を無にして、手を次の岩に移すことです。落ちるとは考えない、なんとかなる。今は手を動かし足を動かそう、それに集中しよう。
右手を動かし、左手を動かし、右足を動かし、左足を動かす。それを繰り返してぼくはなんとか岩場を登りきったのでした。
アウトドアスポーツをする人は、たいていこれに類する経験をしているんではないでしょうか?
そして、それは単に危機を乗り切った体験談というだけではありません。ぼくの場合、そういう経験が実生活にも生きているんです。
家族や自分の重病や事故、自分の仕事での困難な状況、生きていれば、いろいろなことがあって、時につらい状況もあります。引き返すこともできず、前に進むのもリスクがあり、そのままとどまることもできない、そんな状況に遭遇することは、ままあります。
そんなときは、パニックにならず過去を振り返らず、将来のリスクを恐れず、ただ今日の今に意識を集中する、そしてそれを繰り返す、そうすることで、事態を打開できることが結構あります。というかぼくはそうしてきました。
ウォータースポーツの楽しみ方と車という存在
メディアなどでよく耳にしますが、今の若い人達は車を買わなくなったそうですね。本当ですか?本当かどうか知りませんが、ぼくの周りの20代、30代で車を持っていない人は、ぼくらの頃よりは多い気がします。
別に車なんて、なくて済むならそれでよくて、必要ならその都度借りればいいと思います。
ただぼくの場合は、車は必要です。田舎に住んでいるから買い物に行くのにも医者に行くのにも車が必要ということももちろんありますが、もっと重要度の高い必要性があるんです。
具体的な例があった方がわかりやすいかもしれないので、自分が20代の頃のことを思い出してみたいと思います。
ぼくは大学生の頃からスキューバーダイビングとサーフィンをしていました。スキューバーダイビングを始めた頃は、都市型ショップに、金曜日の夜に集合して、ショップの車で伊豆のダイブサイトまで送迎してもらって、そこで泊まって、日曜日の夜にやはりショップの車で東京に戻ってくるということをしていました。
そうでないときは電車とか船でダイビングできるところまで通っていたのです。そんなわけで、自ずとダイビングできるポイントは限られてきます。別にそれはそれで楽しかったんですが、だんだん別なポイントにも潜りたくなるのが、こういう趣味人というものです。
サーフィンの方はというと、電車にボードを持ち込んで、湘南に行ってました。これも行けるポイントが限られてくるという点では同じですね。
たとえば電車で伊豆にダイビングに行くときは、その当時、営団地下鉄(昔はこういう名前でしたね。今はメトロです。)の沿線に住んでいたのですが、始発に乗ると、ギリギリ伊豆急伊豆高原駅のダイブサービスピックアップ集合時間に間に合う感じでした。帰りも伊豆高原駅とか城ヶ崎駅を3時か4時くらいに出発していました。
なにがいいたかというとウォータースポーツをする場所やタイミングや時間が制限されていたということなのです。
そんなわけで、ぼくが車を買おうと思った一番の動機は、いつでもどこでも行きたい海に行って、いつでも戻ってこられるから、というものでした。
今でも覚えていますが、車を手に入れて、一番うれしかったのは、西伊豆とか東海とか関西のダイブポイントに行けるようになったことと、電車の時間を気にせず行動できるようになったことです。
金曜の夜に仕事を終わらせて、自宅で着替えて、車にダイビング器材を積み、伊豆の宿まで向かいます。途中、サービスエリアやレストランでおいしい食事を摂れるのも楽しみでした。宿で寝て、翌日は朝からダイビング、土日もダイビング。日曜日の夜も終日海で遊んで、さらに宿で寝て、翌朝5時くらいに伊豆を出発して、自宅に寄って着替えて、仕事に行くということができるようになりました。これはぼくとしては画期的なことで、しかもすごくうれしいことだったんです。
あるいは休日にふと思いついてダイビングに出かけるということもできるようになりました。
はたまた車にダイビング器材を積んで伊豆をドライブしながら、なんとなく潜りたいポイントのサービスに寄って「今から潜れる?」ということもできるようになったんです。
おぉ、ちょっとしたことだけど結構自由…
これはサーフィンでも基本同じなのですが、サーフィンはダイビングよりも場所を選ばないので、より車の可能性が活かせたといえます。車で行ってポイントを探して乗れるところで乗ればいいわけですから…
そんな感じで車を手に入れた一番のメリットは、ウォータースポーツをする場所や時間の制限が外れたことですが、副次的なメリットもありました。
それはすでにおわかりかもしれませんが、荷物を持ち運ぶ手間が省けたことです。
車がない頃は、ダイビング用トロリーで引っ張りながら電車を乗り継いでいました。ほぼ毎週のようにダイビングに行くし、独り暮らしで当時宅配ボックスはまだ普及していなかったので、宅配便で送るという選択肢はほぼなかったのです。もちろん島や遠方に行くときは宅配便を使っていましたけど…
サーフボードも、ご想像ができると思いますが、あれはあれでなかなか持ち運びに気を遣うものです。それに多くの路線バスがサーフボード持ち込み禁止だったりするので、電車で行けるところでしかサーフィンができませんでした。それも車にボードを詰めるようになったことで解決しました。
もうひとつメリットがあるのです。それは車中泊ができるようになったことです。特に近所に宿がないようなポイントに行った時、車で寝泊まりしてしまえばいいというのは、ぼくにとってはかなり画期的でした。今は歳をとったので、宿でゆっくり眠りたいと思いますが、若かった当時は、車で寝てもそれほど身体に負担はありませんでしたから。
さらに車中泊という行動パターンは、ぼくがその後アウトドアっぽいことやるきっかけになったんです。
たとえば周囲に宿もコンビニもないポイントでサーフィンをして車中泊をするとき、水や食料はある程度買っていきます。そうするとだんだん料理をするようになったんです。いえ、たいしたものは作りませんが、やっぱり温かい物を食べたいし、出来合いの弁当ばかりだと飽きるから料理するようになりました。
それでキャンプ用のガスバーナーを買い、アウトドア用のテーブルとチェアを買い、寝袋を買い、クーラーバッグを買い…というようにキャンプができるくらいにだんだん装備が整っていきました。
ビーチで、テーブルとチェアを出し、地魚や地元で摂れた野菜を使った料理をして、ビールやワインを飲むという感じで、それは自分でもなかなか満足できるものになっていきました。しかも目の前には大好きな海、そこに夕陽が落ちていく…これって高級なホテルに泊まるよりも楽しいことだなと思ったんです。
さてさてまだ話は続くのです。
車があることを前提にぼくはさらにウォータースポーツの楽しみを加速させました。あるときからシーカヤックをやるようになったんですが、このシーカヤックについては、最初から車で行きたいところに運ぶことを前提にしていました。もちろん自分ちの前の海でもシーカヤックはやりますが、たぶんいずれ別の海でもやりたくなるだろうと予想していました。なので、車もシーカヤックが積みやすいものを選んでいます。シーカヤックも車に積むことを前提に選んでいます。
ぼくの海遊びスタイルは、いつでもどこでも行きたいポイントに車で行き、サーフィンかシーカヤック+車中泊というパターンとスキューバーダイビングかシーカヤック+宿というパターンが選べるようになったわけです。
なんだか自動車メーカーの販促みたいになってしまいましたが、そんなこんなでぼくのウォータースポーツや海辺の楽しみ方には車が大きく関わっていますし、その後ウォータースポーツの楽しみ方が加速したのにも車の存在があったからというのは、まあ事実として認めざるを得ません。

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