海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
MUSTOのマリンブーツは疲れなくていいですよ
マリンブーツってみなさん使いますか?
ぼくは冬になると散歩とかちょっと海に出るときとかに、ほぼ毎日のように使うんですが、海遊び仲間の中には「ビーサンでいいじゃん。かさばるし、重いし、足が蒸れるし…」っていわれることがあります。
まあ、確かにね…
海にガッツリ入るときには、ビーサンでもいいし、ちゃんと濡れてもいいブーツを使いますけど、そうじゃないちょっと濡れるかも…みたいなときにはマリンブーツを履きます。
たとえば、ぼくはセイリングのテンダー役をやることがありまして、それは冬でもあります。一日中海の上です。そうすると上から下まで完全防寒体制です。そんなときビーサンはやっぱり寒いんですよ。足も濡れてブヨブヨになりますしね。
それで、マリンブーツってそもそも長靴なので、長く履いてたり、ちょっと歩くと疲れるんです。たぶん土踏まずのところがペタンとしているとか、ソールが厚くないとか、中敷きが薄いとかいろいろ原因はあるんでしょう。
で、ちょっと話がそれますけど、去年の年末、某マリンスポーツ大会後の記念品のくじ引き(そういうのがあるんです)でMUSTOのマリンブーツが当たってしまったんです。
なかなか立派な高そうなマリンブーツでした。たぶんMusto Southern Ocean Bootsというヤツです。
定価を調べてみたら2万円以上するんですね。
定価を調べてみたら2万円以上するんですね。
履くとフィット感がすごいし、ソールなんて普通のスニーカーと同じくらいの履き心地です。
一日海辺で過ごすと脚の疲れがずいぶん違います。
うーん、高いけどこんなに違うんだなあ、と思いました。
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空気・水・社会、そして暮らし…
海辺に住んで、街に仕事に行っています。
もちろん地元のそばに仕事があればその方がいいのでしょうが、なかなかすべてが思うままにはいきません。
街のリズムに従って暮らしてしまうと、ときとしてイライラすることがあります。あれはなんなんでしょうね?
ぼくなど友達の間ではゾウガメのようにノンビリしているとの評価が定着しているようなのですが、それでも一応内心ではイライラしていたりします。
話は変わりますけど、植物というのは同じ種類でも、育つ環境によって~それは土や気温や空気や太陽によって~育ち方や味が変わってくるんだそうですね。まあ、それはわかる気がします。
人もそういう面があるのかなーなんて思ったりします。
もともとの性質や性格はもちろんあるでしょうが、ノンビリしたところで暮らすのと、人の多い東京の都心部で暮らすのとでは暮らしのリズムが違うでしょう。それによってストレスの度合いが変わるということもありそうです。
空気や水も違うでしょう。毎日確実に身体に取り入れるものですから、空気と水がきれいなところと汚れたところでは、おそらく10年も暮らしていれば、体調も変わってくるんじゃないかなって思います。
アトピーの方やアレルギーがある方が、都会から田舎に引っ越したら症状が少し治まったという話を耳にしますが、ストレスとの関連がある病気などは発症に変化があるかもしれません。
ぼくは気分的に落ち込んだり悩んだりすると、積極的に海に出るようにしています。そうすることで気持ちの中で何かが確かに変化します。ずいぶん楽になるのです。
人はときとして自分ではどうしようもなく悪い状況にはまってしまうことがあります。そんなとき、あるタイプの人がある状況の時、自然に接すると、自然から力を分けてもらえるということが、あるように思います。経験的に…
ぼくの実感としては、潮風を吸って、陽の光を浴びて、海水に浸かって、海辺のノンビリしたリズムの中で暮らすとずいぶんストレスが緩和されます。自分に合った気候とリズムの中で暮らしているという実感があります。
都会の満員電車でギュウ詰めなとき、人いきれや汗や香水のニオイでで充満した車内、そんな不快な状況の中で、ぼくは、海辺の空気や波の音を想像します。そうすると少しだけ気持ちを緩めることができるのです。

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人の評価を気にしてたら海遊びなんかしてられねえよな
海辺の田舎暮らしが好きです。って、これまでもさんざん書いてますけど…
海が好きだし、海で遊ぶのが好きです。これもしょっちゅう書いてますけど…
ところで世の中にはいろいろな人がいますねえ。当たり前ですけど…
うちのあたりは昔の別荘地区です。都市近郊の旧別荘エリアがたいていそうであるように、うちのあたりも今や普通の住宅地になっていて、住んでいる人も別荘族ではなく、定住者です。
それでも、まだ別荘的に使っている人もいます。
先日こんなことがありました。
町内で、以前から別荘だった建物がしばらく使われていなかったんですが、最近新しい建物に建て変わりました。そして、熟年の夫婦が土日に住むようになりました。ちょっとしたきっかけで話をしたところ、有名な商社を定年されて、今は別な会社に、天下りじゃないけど、(たぶん、かつての会社と肩書きの力で)役員として通っている方だそうです。
いわゆる別荘族です。
この人が、なんというか説明が難しいんですが、ちょっとした会話の中でいちいち偉そうというか大仰な人なのです。そして他人を小馬鹿にしたような、そういう感じの人です。会話の中に「○○(商社名)では…」とか「ドイツに駐在していたときには…」って入れ込んできます。そういう人っているでしょう。
まあ、想像できると思いますけど、今のところ海辺の田舎の地元民のコミュニティには馴染めてません。
よく移住するときの注意事項のひとつが、現地のコミュニティに馴染めるかがポイントだという話を聞きますが、「あぁ、それってこういうことをいってるんだろうな」と実感できるケースです。
この人の場合別荘族なので、別に地元に馴染まなくてもいいと思っているかもしれませんけど…
さて、ここでいろいろ振り返って思うのは、いろいろな人がいて、いろいろな価値観があるよなあ、ほんとにさあ、ということです。
この元商社マンにしてみれば、ぼくら地元民は田舎者で、学歴もたいしたことがなくて、パッとしない暮らしをしているという風に見えているのかもしれません。
エコでロハスでナチュラル(最近あんまり聞かなくなりましたね)な海辺の暮らしを望んで移住した人からしてみれば、この元商社マンは、世間一般の価値観に縛られたつまらない俗物に見えるのかもしれません。
結局自分がシアワセならそれでいいんじゃないの…ということなのかな…
入江はぼくにとっての楽園
シーカヤックは小回りのきく船ですので、岩場や小さな入江にも入っていけます。
そんな利点を活かして、ぼくは陸からはアクセスできない誰も来ない入江に行くのが好きです。
そして、そこでボーッとするのが好きです。
わかる方はわかると思いますが、人が来ない、あるいは外部から人が来るにしても来る方向が特定されているというのは、なかなか心が安らぐものです。生物の本能でしょうか…それとぼくの祖先が武士だからでしょうか…それとも単にぼくの個人的な傾向のせいでしょうか…
ぼく自身思うのですが、家の中で自分独りになる時間は結構とれるのですが、屋外で、しかも自分が好きな海で、独りになれる時間ってあまりとれないんです。誰も来ない入江だとそれができるわけですね、思う存分。
そしてその入江一帯はぼくの使いたい放題です。
水場もかまどもテントを貼る場所も自分の思うままにできます。
これは子供の頃喜んでやっていた秘密基地遊びそっくりではありませんか…
あるいは物語で読んだ、桃源郷や竜宮城やシャングリ・ラにさえ、ぼくには思えます。
スノーケリングしたり、魚を獲ったり、釣りをしたり、食事を食べたりはするんですが、それ以外の時間はボーッとしています。
聞こえてくるのは、波の音と鳥のさえずりくらい。そんな中でボーッとしています。
海辺に住まう女性の美しさ
ぼくが普段接するような地元のママ友とか海遊び仲間の女性は、東京にいる女性とは感じが違います。ぼくはそういうのって疎いのでどう表現したらいいのかわかりませんが確かに違います。
田舎っぽいというのではありません。
自分のライフスタイルとか好きなものとかがハッキリしている人が多い感じです。
都会では、肌や化粧やファッションにすごく気を遣っているんだけど、そんなに惹かれない、イライラしている、楽しそうではない、幸せそうではない、そんな女性を見かけたりしますが、それとは正反対の感じです。
道端やスーパーで会ったりして雑談しますが、Tシャツに短パンとサンダルで、化粧は薄く、髪はざっくり束ねていたりしますが、キレイだなって感じる人はたくさんいます。ぼくの好みとして飾りすぎていない女性の方がキレイだなと感じるせいもあるかもしれません。ずっとウォータースポーツをしてきたので、そこにいる女性というのは陽に焼けて、髪も潮に焼けて、健康的で、タフな人が多かったのです。そしてそういう女性をキレイだなと思うことはしばしばありました。
ぼくの見た目の感想としてはそんな感じなんですが、事実として知り合いの女性がどんなことをしているかというと、ヨガ、SUP、サーフィン、スキューバーダイビング、ジョギング、ウォーキング、フラダンス、ハワイアンキルト、アロマテラピー、ガーデニング、パンを焼く、お菓子作り、マクロビなどなどで、みなさん自分の趣味やこだわりがあるようです。
家とかインテリアはナチュラルなものを好む人が多いように見えます。華美ではないけれどもこだわりがある感じです。
ぼくの近所の女性の傾向といっても、ぼくの妻の友人などと話すことが多いので、年代としては偏っているかもしれません。ただ中年といわれる世代ではありながら、キレイな人はキレイで、しかもそれは外面だけでなくて内面から出ているキレイさを持っている人が多い気がいます。
健康で、海で身体を動かせて、よく眠られれば、それでシアワセ…
最近やっと気温も湿度も少しさがりやっと過ごしやすくなってきました。
だいたい台風のことを除けば10月・11月というのは海遊びに最適の時期でして、仕事が休みの日で天気がいい日は海に出たいと思うわけです。
遠い親戚の法事なんかも、できればなんとか2月あたりにズラしてもらえないかと不謹慎なことを考えてしまうほどです。
思えばうちの子供が小さい頃は、運動会だの遠足だのの行事があって、「あぁ今日は海に出るといい日だよな」などと思いながら運動会の応援をしていたことを思い出します。うちの近所はお父さんがウォータースポーツをしていることが多くて、パパ友と話すと「今日はサーフィン日和だよね」なんつったりして、みんな同じことを考えているのでした。もちろん子供はかわいいけど、気候のいい日で休みの日というのもなかなか貴重なわけです。
そんな日々なので、スキがあれば海に出ています。この季節は、砂浜にいるだけで、あるいは海辺を散歩しているだけでも気持ちがいいものです。
海が穏やかならばスノーケリングかスキューバーダイビングかシーカヤックをやり、波があればサーフィンをやり、どれもできないくらい海が荒れていれば、海辺をジョギングしたり歩いたりしています。
いやもうその気持ちがいいこと…
暑くもなく寒くもないので、海が荒れていなければ、雨でも海に出るわけです。それでも気持ちがいいことに変わりはありません。
朝から夕方まで海遊びで身体を思いっきり動かして「いや、もう疲れた、筋肉がきつい、腕が上がらない、脚も上がらない、ヘトヘト」というくらいまでにもっていくのが好きです。
歳をとったらウェットスーツを着ると痒くなるようになったんですけど…
自分のことをわりとタフで、細かいことを気にせず、どこでも暮らせる人間だと思って生きてきました。
不便な土地の旅行やキャンプなども平気というかむしろ好きです。
電波が来なくてスマホが使えないのはうれしいくらいです。
洗浄便座がないと用が足せないということもありません。
水もとりあえず汚れてなければ飲めます。
ぼくの友人で海遊びが好きで、山登りをするヤツで、たいていのことは大丈夫なんですが、唯一、ウェットスーツで肌がかぶれる人がいます。
見た目かなりワイルドな人なので、その彼がウェットスーツを脱いだ後、全身にかゆみ止めを塗ってうっすらと白くなっている様子は気の毒だなと思う一方で、どこか滑稽だったりします。
そんな風に敏感肌の友人のことを他人事だぜ、オレは関係ないぜ、オレはタフだぜと思って見ていたら、ぼく自身が、40代になってから敏感肌になってきたのです。
最初は夏場に汗をかくと痒くなりました。それまで汗疹とか痒みとは縁遠い暮らしをしてきたのです。蚊に刺されても気にもしませんでした。それが自分の汗で痒い…なかなか納得できません。だって自分の身体から出たものでしょう。それが痒いってどうゆうことだよと思ったものです。
次はシャツやパンツの、タグっていうんでしょうか、サイズとか洗い方が書いてあるピロピロのあいつ。あれが痒くなってきました。それまでなんてことなかったのに…
その次がウェットスーツです。ウェットスーツの汗がたまる背中〜腰のあたりに汗疹ができるようになりました。汗疹って痒いですね。アトピーの方の辛さが少しだけ想像できるような気がします。
今のところの対処法は、汗をかいたら流すこと。ぼくの場合海水でもokみたいです。それからラッシュガード(finetrackのスキンメッシュが汗を発散していいような気がします)を着て腰のあたりがウェットスーツに直に触れるのを防ぐこと、ドライスーツを着る時用のパウダー(最近はベビーパウダーを使ってます)を使うこと、痒みの塗り薬を塗ることです。
シーカヤックに乗ることは自分に向き合うこと
暇な時間ができると家の前の海にシーカヤックで漕ぎ出します。
ぼくがシーカヤックが好きな理由のひとつが、肉体的にも精神的にも自分に向き合えるということがあります。
それはどういうことかというと、仲間と漕ごうと自分独りで漕ごうと、シーカヤックは自分の力のみで進んでいくものだからです。自分がどれくらい疲れているか、あとどれくらい漕げるかを決めるのは、誰でもなく自分だけです。ぼくがシーカヤックで肉体的に自分に向き合うというのは、こういう意味合いで使っています。
精神的に向き合うというのは、いくつものパターンがあります。
先ほどの体力の限界を見極めるというのも含まれます。
それから、無事に航海するための計画を考えるーたとえばこの海況ならどのように漕ぐと安全か、死なずに帰るためにはどうすればいいかを考えるーことも含まれます。
また、海の上では基本的に独りで、シーカヤックを漕ぐときは、他にやることがないので、自分の過去や将来について考えるのですが、それも含まれます。
肉体・精神、両方を使って自分に向き合うときもあります。それは海況が荒れてギリギリの状態に追い詰められたときです。波があっという間に高くなってきて、ああこれはヤバイなというときに、どうしようか、どこにエスケープしようか、どうやって陸に上がろうか、体力的にはかなりキツいぞ、というときに自分の持っている力や頭脳を総動員して対処するそのときが、一番自分に向き合っていると思います。
もちろんぼくも死にたくはないし、恐怖感はあるのですが、こういう状況で意味がないのはパニックになることです。それを自覚しながらパニックと恐怖と冷静さの狭間でギリギリのバランスをとることも自分の精神的限界に向き合っていると思います。
こんなプロセスを経て、無事生きて陸に戻れたとき、あぁ自分は自分に負けないで、そして自然に負けないで何かを乗り越えられたなと思います。
好きな島の目安・人口が少ない・信号がない・コンビニがない・離島…
島を旅するのが好きで、どんな島に旅しようか決めるときにけっこう気にするのが、人口です。日本の場合、人口によってだいたいそこに何があるかわかります。それは島でも島じゃなくてもそうですが…
具体的には、経験的に人口が1000人台の島だとコンビニはありません。ちゃんとしたスーパーマーケットもありません。たいてい何でも売っている商店があるだけです。人口が10000~30000人くらいだとパチンコ屋とかカラオケボックスがあったりします。地元の人向けのスナックみたいなのも現れ始めます(1000人台の島だと民宿や旅館の食堂が島の男達の飲み場所も兼ねていたりします)。50000人を超えると、マックスバリューはありますが、イオンはありません。ドラッグストアもあります。
横道にそれますが島や村の中心地を探すのは簡単で、役場・警察署・消防署・郵便局・JAがあるところです。いい方を変えると数百人の島でも村でも、それが中心地であれば、郵便局は日本全国どこにでもあります。そういう点では郵便局ってすごいですね。で、町の中心地にはたいてい食堂や雑貨店があります。
なので、島で宿を探す時のひとつの目安は、港や空港からの距離と、島の中心地がどこかということです。
さらに横道にそれますが一見してもわからないことですが、NTTと携帯電話と電力会社の施設は島の中心地から少し離れたところにあります。それが何の関係があるかというと、NTTと電力会社の施設があるということは、その従業員が定住・駐在・出張しているということなので、そのあたりにも宿や食堂や雑貨店がある可能性が高いということです。
いよいよ本題ですが、ぼくが好きな離島は人口100人台のところです。なので、郵便局と雑貨屋はあります。それ以外はありません。信号もありません。いえ、正確にいうと宿はあります。JAもあります。警察も消防もあります。漁協もあります。自販機もあります。
信号がないというのは、ぼくが行きたい島の目安として大切なものです。これは車が少ないということで、「信号なんかなくってもみんな安全に走るさ」ということなのです。もっとちゃんというと本当は1000人台の島でも信号が必要ないところはたくさんあるのです。ただ、子供達の教育上「高校で那覇に行ったら困らないようにしないとさあ」という理由で、信号を設置しているのです。
コミュニティを維持するためのルールが少ないとか、ルールのための設備が少ないということは、より効率的で自由で住みやすい可能性が増えることなので、ぼくはそういうところが好きなのです。逆にルールやマナーでがんじがらめの場所というのは苦手です。
なぜ人口が少ない島が好きなのかという前に、なぜ島が好きなのかというのは、そこが外部のコミュニティと物理的に隔絶されているからです。ぼくはそこにかすかに、桃源郷とかシャングリ・ラのような人が辿り着くのが難しい楽園の雰囲気を感じとります。
外部と離れているのとひっついているのでは、気持ち的にだいぶ違うと思う理由は、韓国人と日本人の国境というものへの感覚が違うんじゃないかと推測されるのと、理屈としては同じです。
物理的に外部と離れていると、外から入ってきた人はすぐにわかります。それがコミュニティ全体の安心感に繋がっていると思います。反面、外部に対しての警戒心が強いとか、排他的であるともいえるかもしれません。ぼくはそういう感覚を肯定的に受け止めています。
では次に人口。なぜ人口が少ない島が好きかというと、ぼくの勝手な仮説というか実感として、人は稀少なものをありがたがる傾向があって、それは人であってもダイヤモンドであっても、同じではないかと考えているからです。ちょっといい方に角が立つので、別ないい方をすると、人は、人口密度が高いか低いかで他者に対する認識を変えるんじゃないかとぼくは考えているのです。
たとえば渋谷のセンター街とか通勤時間帯の埼京線とかでは、人は他者を「うっとおしいなあ」と感じる(そう感じている人が多いんじゃないかなあとぼくが思っているだけかも…)のに、峠道を一日歩いて、その日初めて向こうから来た人に対しては「あぁ人だ。どうも、どうも!どちらから来たんですか?」と振る舞ったりするんじゃないでしょうか。
島でも同じことが起きていて、宿や店などでもすぐに顔を覚えてもらえて、だんだん馴染んでくるといろいろ声をかけてもらえます。
実際にぼくが人口の少ない離島を旅するときは、できる限り1週間以上滞在するようにしています。たとえばですが、10日間の休みがとれたとして、宮古島と池間島に5日ずついるということはせずに、池間島に10日間いるようにするということです。
島を旅すると最初の2、3日は、島の人がぼくのことを「あぁ旅行者だな」と認識するのが伝わってきます。
5日目くらいで、「あぁ、あんたは●●さんとこに泊まってる人だね。どこから来たんだい?」ということになります。島の人はぼくのことを個人として認識したことがわかります。そしてどこどこに泊まっている東京から来た人(実際は神奈川といってもわかってもらえないので、横浜とか東京とかいうことが多いです)と認識されたわけです。
5日目以降は、島の人と突っ込んだことをいろいろ話すようになります。お互いの職業とか家族とか、そういうことを話します。そうすると島の人が「こいつは悪いヤツではなさそうだ」と認識するのがわかります。このあたりから、島の人がいろいろ話してくれて、優しくしてくれるようになります。優しくって別に膝枕して頭を撫でてくれるわけじゃなくて、お茶でも飲んでけとか、黒糖をやるからもってけとか、レンタカーのガソリン代はいらないとか、立ち寄り温泉の値段を安くしてくれるとか、まあそんなことです。
島の人に受け入れられる感じとか、そこまでの島の人のぼくに対する気持ちが変わっていく様子が、ぼくにとってはおもしろいんです。そんなわけで、ぼくは島を旅するのが好きです。
島に行くたびいつもすごいなと思うのは、近くに陸や島がない、孤島のようなところだと、昔の人はよくこんな島に移り住んで暮らしたな、と人間のたくましさに感心します。
歴史の本を読むと、かなり以前、紀元前からずーっと、中国・台湾・沖縄・フィリピン・インドネシアあたりの島々、もっとミクロネシアとかポリネシアもそうですけど、人が行き来していたようです。まあそりゃそうです。人が移り住んだんでしょう。でも、実際エンジンも帆船もない頃に丸木舟かなんかで、何千キロも航海したというのはすごいことですよね。
それから日本の歴史という点から見ても、日本が西洋に目を向ける前は、主に中国に目がいっていたわけで、その頃の日本人にとってみれば、中国からフィリピンあたりというのは今よりもずっと近い感覚だったのかなあ、なんて思ったりします。
とりとめもなくそんなことを考えるのも島旅の楽しさです。
島好き、離島好きな人は一定数いるみたいで、それぞれがそれぞれの魅力を感じて島を訪れているんだと思います。それだけ魅力のある場所だということはいえるかもしれません。

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人はなぜ海に漕ぎ出したんだろう? 補陀落渡海・浄土・桃源郷・リスク
離島を旅するたびに感じるのは、昔の人は、今のような動力がない船で、どうやってこんな絶海の孤島に辿り着いたんだろうか?ということです。それはテクニックももちろん、なぜそんなリスクを冒したのかということに興味があります。もちろん生きるために魚を獲らなければいけなくて、より遠くに漕ぎ出さなければならなかったということはあるでしょう。あるいはたまたま漂流して辿り着いたということもあるでしょう。
海洋史によると、ずいぶん昔から、ポリネシア、ミクロネシア、フィリピン、台湾、中国、琉球列島、日本と人間が行き来していたといわれています。
さて、ここで話が変わるのですが、海が好きなので、海辺の寺社仏閣にときどき行きます。そんなに信仰心があるわけではありません。
そんな流れでいつ頃からか補陀落渡海(ふだらくとかい)のことを知りました。
補陀落渡海のことはウィキペディアから引用すると次のとおりです。
概要
この行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。ただし江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化する。
最も有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという[1]。この他、足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも補陀落渡海が行われたとの記録がある。
熊野那智での渡海の場合は、原則として補陀洛山寺の住職が渡海行の主体であったが、例外として『吾妻鏡』天福元年(1233年)5月27日の条に、下河辺六郎行秀という元武士が補陀洛山で「智定房」と号し渡海に臨んだと記されている。
補陀落渡海についてはルイス・フロイスも著作中で触れている。
渡海船
補陀落渡海に使う渡海船についての史料は少ないが、那智参詣曼荼羅には補陀落渡海が描かれており、補陀洛山寺には復元された渡海船が置かれている。これによると、一般的な貨客のための渡海船とは異なり、和船の上に入母屋造りの箱が置かれ、その四方に四つの鳥居が建てられている。鳥居の代わりに門を模したものを付加する場合もあり、この場合は門のそれぞれに「発心門」「修行門」「菩提門」「涅槃門」との名称がある。
箱の中には三十日分の食物や水とともに行者が乗り込むが、この箱は船室とは異なり、行者が中へ入ると入り口は板などで塞がれ、箱が壊れない限りそこから出ることは無い。図には帆が描かれているが、一般には艪、櫂なども含めて航行のための道具は備えていない。これは、生還することなく遺骸となっても戻ってこないことが浄土へ至った証との思想に基いている。沖合まで伴走船が曳航した後、人々が海流に流されて漂流していく船を見送る。
思想的および地理的背景
仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落(補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来に共通する、古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。補陀落は華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土である。
浄土信仰が民間でも盛んとなった平安後期から、民衆を浄土へ先導するためとして渡海が多く行われるようになった。渡海は概ね黒潮が洗う本州の南岸地域で行われた。特に南紀・熊野一帯は、それより以前から密教の聖地、さらに遡って記紀の神話も伝わる重層的な信仰の場である。『日本書紀』神代巻上で「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ」という他界との繋がりがみえる。黒潮は地球規模でも強い海流の1つであり、この流れに漂流するとかなりの確率でそのまま日本列島の東側の太平洋に流されていき、戻ってくることがない。 ごくまれに南下する親潮により南への循環流に乗り、再び日本の沿岸へ漂着することがある。
琉球における影響
『琉球国由来記巻十』の「琉球国諸寺旧記序」によれば、咸淳年間(1265年~1274年)に禅鑑なる禅師が小那覇港に流れ着いた。禅鑑は補陀落僧であるとだけ言って詳しいことは分からなかったが、時の英祖王は禅鑑の徳を重んじ浦添城の西に補陀落山極楽寺を建立した。「琉球国諸寺旧記序」は、これが琉球における仏教のはじめとしている。また琉球に漂着した日秀上人は、現地で熊野信仰及び真言宗の布教活動を行ったり、金武町に金武観音寺を建立した。
以上が引用部分です。
補陀落渡海のことを知って、ぼくが最初に連想したのは、即身成仏のことです。修行僧が死を前提とてして厳しい修行をする事例は多くあります。次に連想したのは、この海の向こうのどこか遠くに浄土があるんだという思いです。こういう発想の枠組み自体は、桃源郷とかシャングリ・ラとか古今東西いろいろな話が多く見られます。
また、海や山といった自然が信仰や修行の場や対象になることもよく見られることです。
さてさて、ここからはぼくのつまらない考えなんですが、ぼくは、海にいるときに、この太平洋の先に本当にアメリカがあるんだろうか?と考えたりします。もちろん地図にはそう書いてありますし、googleマップで調べればそう出てきます。
いやでも本当だろうかと…
実際ぼくはそれをやっていないし、自分の目で見たわけじゃない…
それはそういわれているだけで、実は別な世界が広がっているんじゃないか?
あるいは、途中で別の次元の世界に入り込んでしまうんではないか?
はたまた何かの拍子に、まだ人間が踏み込んだことのない未知の場所に着いてしまうんじゃないか?
そしてそこは桃源郷のように、みんなが幸福に暮らしている理想の世界があるんじゃないか?
21世紀に生きるぼくでさえ、海の向こうの行ったことのない土地についてこんな考えを巡らせるんです。ましてや世界全体の知識や情報が不完全だった昔ならなおさらだったんではないでしょうか?
そして、飢饉や人口増加や政治的に追放されるなど、今の土地で生きるのが厳しい時に、もしかしたら人は、桃源郷、いやそこまで素晴らしくなくても、今よりもマシなまだ見ぬ土地目指して危険な航海に出たかもしれない。それは十分あり得るんではないかと思ったりするのです。

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