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アウトドアウェアはファッションになってダメになる?

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 ちょっと以前にアウトドアウェアが流行りました。山ガールとかそういう流行とタイミング的には一緒だったのかな?って感じています。

 もう20年くらいウォータースポーツをやっていまして、その間に「その道の通」が使うウェアがファッションとして流行るということが何度かありました。
 それ自体はいいんですが、その流行の後で、その「その道の通」が使うウェアのブランドの質が低下することが多かったような気がします。
 アウトドアスポーツをする人にはそういう現象を苦々しく受けとめている人もいるようです。

 たとえばウォータースポーツでいうと、ずっと以前にHELLY HANSENというブランドが流行りまして、それまでは、セイリングに特化したラインナップで、本国(ノルウェー)かアメリカからの輸入だったんです。流行り始めると日本のアパレルがライセンスを取得し製造するようになり、ラインナップも売れる街着中心になりました。
 もちろんマリンウェアとしてセイラー向けのラインナップもありますし、それらの機能は毎年進化してより良いものになっていますが、でもアメリカから取り寄せた方が、より多くの選択肢から機能的で実用的な製品を選ぶことができます。

 同じ事がサーフィン関係のブランドでも多く見られました、というかサーフブランドの方がひどかったですね。サーフブランドのロゴが付いているけれど、海ですごく使いにくい製品が溢れた時期がありました。
 あるサーフブランドの子供用海パンを買いましたが、これがとても海遊びのことを知っている人が作ったとは思えない製品でした。生地は水を吸って重くなり、ポケットには水抜き穴がないため、水がたまり、あるいは空気が抜けずってな具合です。

 ぼくは山登りはしませんので、そっちの方面のウェアのことは知りませんが、まあ似たようなことが起きているんじゃないかと想像します。

 ぼくの勝手なイメージとしては、流行という「台風」がやってきて、通り過ぎると、その後がメチャクチャになっている感じです。

 ウォータースポーツで使うウェア(アウトドアウェアといってもいいかもしれません)は、万が一の時は生死を左右することもあるので、機能が大切です。その機能性に対して、普通の衣類よりも高いお金を払います。
 そのウェアが必要なんですね。
 だから簡単に質やラインナップを変えて欲しくないなと思います。
 できれば同じ程度の質のラインを絶やさず売り続けて欲しいです。ウェアは消耗しますから、定期的に買い替えたいんです。
 でも、その頃には以前使っていた製品はないということもあります。
 そういうのって、頭が固いかもしれないけど、「困るなー」って思っているのは、ぼくだけでしょうか?



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海辺の田舎暮らしをするようになって魚をおろすことが多くなりました



 海辺に住むようになって、新鮮な魚と接する機会が増えました。
 近所の友達にもらうこともありますし、近くの漁港で買うこともあります。
 とにかく新鮮な魚が手に入りやすいんですね。

 で、自然に魚をおろすことを覚えました。
 最初は上手くいきませんでしたし、今も決して上手ではないんですが、見た目はよくないにしろ、刺身にして食べるくらいならできます。

 そのために出刃包丁も買いました。さすがに柳刃包丁までは買っていませんが、出刃包丁でなんとかなっています。
 新鮮な魚が手にはいるとニヤニヤしながら出刃包丁を研いでおります。端から見るとちょっとアブナイおじさんですね。

 なにしろ新鮮な魚の刺身は、スーパーで売っている魚とは違うおいしさがあります。
 それを味わえるだけでも幸せです。




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現実とバーチャルの情報量の違いをあらためて海で感じたりして

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 海好きなぼくですが、四六時中海に接していられるかというと、そういうわけにはいかないわけです。
 やっぱし。
 そりゃね。

 で、手帳に海の写真を挟んだり、スマホで海の動画を見たり、PCの壁紙を海の写真にしたりしてますけど、やっぱりイマイチなわけです。

 これはもう誰もが実感してると思うんですが、いくら写真やテレビやインターネットでいろいろな情報が手に入ったとしても、情報量としてはまったく少ないですね。
 現実に海に行けば、風や匂いや日の光や音などなどがあって、ぼくはそれらを全身で受けとめているわけです。で、全部ひっくるめて、海にいることの幸せを感じるわけで…

 たまになんでもインターネットで検索して、すべてを知ったような気になっている人がいますが、こうした状況は気をつけるべきだと思っています。自分もそうなりがちなので、自戒の意味も込めて…

 そんな思いがあって、休みの日にはPCの電源は入れず、海辺にいるようにしています。
 それで気がついたんですが、休みの日にPCをいじっていると結構疲れるんですね。なんかイヤな疲れ方をします。
 で、海にいるとスッキリするんですね。
 不思議です。


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泡盛に呑まれて



 沖縄に行く愉しみのひとつにやっぱり酒があります。
 オリオンビールはもちろん泡盛に酔っていくというのは、なんとも楽しいひとときです。
 本土で買うと結構高い泡盛も、沖縄の現地では焼酎よりも安い「日常生活価格」というのも嬉しいです。

 最初に泡盛を飲んだときは、ちょっと癖のある味に少し抵抗がありましたが、それは酒飲みのことですので、酒が進んでいくうちに、すっかり馴染んでしまいました。
 泡盛で酔っぱらうと、なんだか酔いが深い気がするんですね。で、最後はベロンベロンになちゃう。そういうところも魅力です。
 泡盛はたくさんの種類があり、島ごとに味に特徴があって、その違いを比べるのも楽しいものです。そういうところは少しスコッチに似ているかもしれません。
 シングルモルトのスコッチのように泡盛が世界中で飲まれるようになるといいですね。






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ウェットスーツのインナーに着るのにいいウェアを見つけました



 スキューバーダイビングでウェットスーツの下にラッシュガードを着るのは、最近すっかり定着してきましたね。そんな使い方をするうえで、ラッシュよりももっといいインナーがありました。

 finetrack(ファイントラック)のフラッドラッシュラピットです。

 この製品自体はfinetrackシリーズのさまざまなアイテムと組み合わせてレイヤリングすると効果が高いという作りになっています。
 ただ、フラッドラッシュラピットだけでも十分使えます。汗の水分を外に逃がし、外部の水分は撥水し、生地が水分を含まないので寒くないというもので、ウェットのインナーはもちろんシーカヤックやセイリングなどスプレーを浴びるような状況でも快適です。

 ぼくはこれの下にフラッドラッシュアクティブスキンを重ね着しています。

 メーカーの宣伝を真に受けるのはいささかどうかと思いますが、この製品については、それなりに効果を実感できます。
 もしラッシュガードを探している方は、これも候補に入れてみてはいかがでしょうか?






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ボーッとする時間の大切さ

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 まあ多くの人は忙しい毎日を過ごしていらっしゃることでしょう。
 かなり怠惰なぼくでも、町に出稼ぎに行っているせいか、なんだかんだと慌ただしい毎日です。

 ぼくの場合、その慌ただしさを切り替えるスイッチが2つあります。
 ひとつは毎日あるんですが、町から自分の家のある海辺へ帰る時です。この移動途中で自分の気持ちや行動のリズムが変わります。スイッチがオフになるみたいに…
 もうひとつは週末にあります。
 休みの日ですね。
 金曜日の夜に帰宅すると暗い海辺を散歩します。波の音、灯台、遠くの街灯りなどを眺めながら歩いていると、かなりノンビリできます。ココロの芯の固まりがほぐれていく感じ。
 そして家に帰って、風呂に入って、ビールを飲んで、完全海辺モードになります。

 週末の休みは海で遊ぶ以外は、なるべく用事をしないようにしています。でもやっぱりコマゴマしたことはありますけど…
 それで昼間はひたすら海でボーッとします。
 家に帰ってもテレビは見ません。パソコンのスイッチもいれません。音楽を聴いて、本は読みます。
 夜は間接照明にして、少し薄暗くします。
 気候のいい頃は、デッキに出て空を眺めたり、潮騒を聴いたりしています。

 これ、どうってことないですけど、やってみるとずいぶん気持ちが休まります。

 テレビとかパソコンとかスマホが、いかに疲れるものかがわかります。その疲れ方がココロの奥の方が疲れていく感じ。それから解放されるのって、結構ラクです。

 こうして週末に完全スローペースになることは、ぼくにとってはとても大切なことです。



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ヨットパーカーと女性インストラクターと若い頃のぼく

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 ぼくがスキューバーダイビングを始めたのは大学生の頃でした。
 今思えば、その前後がスキューバーダイビングが最も流行った頃でした。
 OLとか女子大生とかがやたらスキューバーダイビングをやっていました。
 今はそんなバブル的状況も過去のこととなり、穏やかにノンビリとスキューバーダイビングが楽しめる時代になりました。
 スキューバーダイビングを生業としている方は大変だと思いますけど…

 スキューバーダイビングを始める時には、講習を受けなければならず、講習を受けた後、Cカードという、まあ免許証みたいなものが発行されます。
 ぼくが講習を受けた時のインストラクターは20代の女性でした。
 なかなか可愛くて、明るくて、元気で、「いいなあ」と思いました。

 もちろんぼくは海が好きでしたので、スキューバーダイビングを始めたのも続けてきたのも、海が好きだからですが、やっぱりこの「いい感じ」のインストラクターに教わったのもひとつの理由かなと思います。
 大学生の男子にとって、可愛いちょっと年上のオネーサンというのは、やっぱりいいものです。

 今でも覚えていますが、そのインストラクターの女性がよくヨットパーカーを羽織っていました。今でこそヨットパーカーは当たり前のアイテムですが、その頃はヨットパーカーが流行った初めての時代でした。
 彼女はわりとざっくりとヨットパーカーを羽織って、パーカーからのぞくTシャツには胸の膨らみがありました。
 ヨットパーカーを羽織った後に、長い髪をまとめてパーカーの襟の外に出す仕草を、今でもなぜか鮮明に覚えています。

 べつにそれで性的に興奮したというわけではなくて、なんか女性的なものへの憧れみたいな気持ちを感じたのを覚えています。余計なことですが、ぼくには彼女がいたので、そのインストラクターの女性を好きだとか、そういう気持ちにはならなかったんです。
 うまくいえませんが、甘酸っぱいような感覚です。
 単にぼくが、フリフリのいかにも女性的な服を着ている人よりも、スポーティな服を着ている人に好意を持つということかもしれません。

 今でも町を行き交う女性がヨットパーカーを着ているのを見ると、インストラクターの女性を思い出して、自分が初めてスキューバーダイビングをした頃のことを思い出します。



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ダイビング後の風呂と減圧症との関係について



 先日DANの会報を読んでいたら、ダイビング後に風呂に入ることは、減圧症罹患リスクを上げるのかどうかという記事がありました。
 結論からいうとリスクを上げるとはいえないということでした。
 血管の内側についた窒素が気泡化して血中に流れ出やすいかどうかというところがポイントらしいんです。
 ところが、入浴は関係ないらしいんですが、激しい運動はよくないらしいという内容なんです。
 これって納得できないですね。
 入浴も運動も両方とも血流は良くなると思うんですがね。

 学者のいろいろな研究を読んでいると、減圧症ってまだまだ原因も対応方法も完全に明確になっているわけではないんだなとつくづく感じます。
 リクリエーショナル・ダイブ・プラナーでは無減圧限界の水深と潜水時間が設定されていますが、それ以浅の深度や時間でも減圧症になることは多々あります。
 ぼくらはリクリエーショナルダイビングが定着した世代で、これからいろいろな事例をもとに医学的な解明が進んでいくのでしょう。


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自然-海-は多くを与え多くを奪いますが、ぼくはそれでも自然に寄り添って生きたい

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 このブログにeさん(仮称)からコメントをいただきました。
 以下引用です。
『「海」をキーワードにブログを渡り歩いていて、目にとまった”gifts from the sea”。 穏やかな語り口が素敵です。 海を見ていると、人の世の営みなど取るに足らぬものに思えてきます。 宮城の海辺の我が家を一瞬に失い、まもなく2年。 身一つで逃げ、妻と二人今を生きる幸せは天に感謝するほかありません。 海は限りなく与え、癒しそして時にすべてを奪ってしまうものです。 それでも僕は海を見て、空気を感じて暮らしたい。 ブログ、楽しみにしてます。』


 コメントありがとうございます。

 ぼくとしては、東日本大震災でつらく苦しい思いをされ、日々暮らしていらっしゃる方のことを思いつつ、こんなお気楽なブログを書いていることにある種の負い目を感じています。
 ぼくは相模湾に面した海辺に住んでいますが、あの近辺で想定されているいくつかの地震が起きたら、大きな被害があるだろうなとは予想しています。
 近所の人の中には、東日本大震災後に引っ越した方もいました。

 ぼくは元々海が好きで、海で死ねれば本望だと考えて生きてきました。
 なので、引っ越す気はさらさらないです。

 eさんがおっしゃるように自然は人間の力をはるかに超えた力を持っていて、時に与え時に奪うものなのでしょう。
 そのとおりだと思います。

 町で暮らしていると忘れがちですが、ぼくらがコントロールできることなんて、実際はかなり限定された範囲でのことです。
 たまに台風やゲリラ豪雨で都会の機能が麻痺した、行政は何をやっているんだなんて、マスメディアが叩いていますが、もともとすべてをコントロ-ルできるという前提がおかしいと思います。
 ぼくらにそんな力はありません。ある限定された中で成り立っている安全・安心なわけで、マスメディアの見識が低いのか、世論に迎合的なのか知りませんが、本質からはずれていることは間違いありません。


 自然の大きな力の中で、揺られながら、生きているのだと思います。
 その力はいつも変化していて、ある時にはわれわれの想定内であろうし、ある時にはそれをはるかに超えるものであるでしょう。今後いくら技術が進歩しても、100%自然の力をコントロールすることは、おそらく難しいのではないでしょうか?


 海辺に住んで、ウォータースポーツをしてきて、何人かの知り合いを海で亡くしました。それ自体は悲しいことですが、ぼくはそれは自然の大きな流れの中で、起きうることだと受けとめていますし、海に散った知り合いもそう考えていたと思います。
 少なくともぼくの周囲のウォータースポーツをしている人は、ある種の覚悟をして、海に入っていきます。

 連綿と続く命のリレー。命の大木の、それぞれの人が大切な枝であることは間違いありません。その命は時に(人間から見れば)理不尽に奪われてしまうかもしれませんが、それは大木にとっては決して無駄なことではないと、ぼくは考えています。
 そういう意味で死を悲しむことも怖がることもないと考えます。

 自然は多くのものを与え、多くのものを奪います。ある種のタイプの人は、それでも自然に寄り添って生きていくことに喜びと癒やしを感じるのだと思います。
 たとえ危険であっても、そこから離れて暮らすことを選択しないのでしょう。



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海辺の霧の朝



 海辺では季節によって霧が出ます。(もちろん他の場所でも出るでしょうが…)
 年中出ますが、特に初夏から夏の朝が多いような気がします。

 ぼくは霧が好きでして、そういう日は好んで散歩したり、海に行ったりします。なんだかワクワクするんですね。

 霧の日は危ないので海に出ない方がいいんですが、自分の家の前の海は、勝手知ったる海ということで、穏やかな日に限り、シーカヤックで出てしまいます。
 霧の中を漕いでいくのはなんとも幻想的です。
 普段知っているはずの海が、違う海のように感じます。
 ワクワク感と心細さが両方あります。
 このまま霧が濃くなって、方向もわからなくなって、全然知らない場所にいたら…
 なんて、おとぎ話みたいですね。
 できればその知らない場所に美女と美酒などがあれば最高なんですけど…


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