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自然-海-は多くを与え多くを奪いますが、ぼくはそれでも自然に寄り添って生きたい

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 このブログにeさん(仮称)からコメントをいただきました。
 以下引用です。
『「海」をキーワードにブログを渡り歩いていて、目にとまった”gifts from the sea”。 穏やかな語り口が素敵です。 海を見ていると、人の世の営みなど取るに足らぬものに思えてきます。 宮城の海辺の我が家を一瞬に失い、まもなく2年。 身一つで逃げ、妻と二人今を生きる幸せは天に感謝するほかありません。 海は限りなく与え、癒しそして時にすべてを奪ってしまうものです。 それでも僕は海を見て、空気を感じて暮らしたい。 ブログ、楽しみにしてます。』


 コメントありがとうございます。

 ぼくとしては、東日本大震災でつらく苦しい思いをされ、日々暮らしていらっしゃる方のことを思いつつ、こんなお気楽なブログを書いていることにある種の負い目を感じています。
 ぼくは相模湾に面した海辺に住んでいますが、あの近辺で想定されているいくつかの地震が起きたら、大きな被害があるだろうなとは予想しています。
 近所の人の中には、東日本大震災後に引っ越した方もいました。

 ぼくは元々海が好きで、海で死ねれば本望だと考えて生きてきました。
 なので、引っ越す気はさらさらないです。

 eさんがおっしゃるように自然は人間の力をはるかに超えた力を持っていて、時に与え時に奪うものなのでしょう。
 そのとおりだと思います。

 町で暮らしていると忘れがちですが、ぼくらがコントロールできることなんて、実際はかなり限定された範囲でのことです。
 たまに台風やゲリラ豪雨で都会の機能が麻痺した、行政は何をやっているんだなんて、マスメディアが叩いていますが、もともとすべてをコントロ-ルできるという前提がおかしいと思います。
 ぼくらにそんな力はありません。ある限定された中で成り立っている安全・安心なわけで、マスメディアの見識が低いのか、世論に迎合的なのか知りませんが、本質からはずれていることは間違いありません。


 自然の大きな力の中で、揺られながら、生きているのだと思います。
 その力はいつも変化していて、ある時にはわれわれの想定内であろうし、ある時にはそれをはるかに超えるものであるでしょう。今後いくら技術が進歩しても、100%自然の力をコントロールすることは、おそらく難しいのではないでしょうか?


 海辺に住んで、ウォータースポーツをしてきて、何人かの知り合いを海で亡くしました。それ自体は悲しいことですが、ぼくはそれは自然の大きな流れの中で、起きうることだと受けとめていますし、海に散った知り合いもそう考えていたと思います。
 少なくともぼくの周囲のウォータースポーツをしている人は、ある種の覚悟をして、海に入っていきます。

 連綿と続く命のリレー。命の大木の、それぞれの人が大切な枝であることは間違いありません。その命は時に(人間から見れば)理不尽に奪われてしまうかもしれませんが、それは大木にとっては決して無駄なことではないと、ぼくは考えています。
 そういう意味で死を悲しむことも怖がることもないと考えます。

 自然は多くのものを与え、多くのものを奪います。ある種のタイプの人は、それでも自然に寄り添って生きていくことに喜びと癒やしを感じるのだと思います。
 たとえ危険であっても、そこから離れて暮らすことを選択しないのでしょう。



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