海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
大切なひととき
海好きが昂じて、海辺に住むようになり20年くらい経つでしょうか。
それでも飽きず毎日海を眺めています。
もちろんずっと眺めているわけではないですけど、家事の合間にふと海を眺めます。
自分でもどうしてこうも飽きないのかなあと不思議でなりません。
たいていのことは飽きっぽいんですから…
朝、昼、夜と海の様子は違いますし、季節によっても違います。もちろん海況によっても違います。
それらを感じ取るのが好きなんだと思います。
ふとした瞬間がすごくいいなあと思うんですね。
ぼくの好きな瞬間というのをいくつかあげてみたいと思います。
初夏の霧の朝の海辺が好きです。
まだ気温が上がっておらず、少し涼しい初夏の朝、風が緩やかに海から陸に吹いています。そんなとき海に迫った山から霧が下りてきて、海辺も霧に包まれます。別な世界の海辺に来たような気がしてきます。
薄く白く煙った空気の中に波の音が聞こえてきてます。波打ち際は見えますが、遠くは見えません。そんな砂浜をポクポクと歩いていくと、なんだか心が落ち着きます。
真夏の夕暮れの海が好きです。
太陽がだんだん西に傾き、遠くの山々に沈もうとしています。海から心地よいオンショアが吹いてきて、昼間の暑さが和らぎます。
さっきまでジリジリ陽射しに焼かれた肌がほてって、そんな身体を冷ましたいのか、冷たいビールをゴクゴクと流し込むのは小さい幸せです。
ビールを飲んでいるうちに日が山の陰に隠れ、山際が紫とも青ともいえない色になります。
そしてやがて周囲が薄暗くなり、左手の灯台の光が目につくようになります。
夜の海が好きです。
夜、防波堤に座ってビールを飲みます。潮風に吹かれながら飲むビールは特にうまいものです。
遠くに灯台の灯り、海辺の道沿いに車のライト、真っ暗な海には点々と漁り火。
いい歳をして恥ずかしいんですが、なんだか切ない気持ちになります。
海へ下る右にカーブした道が好きです。
ぼくの家の近所には県道が通っています。その道は海沿いに海に向かって下るように伸びています。
道は右手に緩やかにカーブしています。そのカーブの向こうに海が見えます。
初夏の夕方には、その海が西に傾いた太陽に照らされて、キラキラと光っています。
海へ下る道をゆっくり歩きながら、海を眺めるひとときは大切な時間です。
いろいろな好きな瞬間があって、それを年に何度か目にするだけでとても幸せな気持ちになります。
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秋の一日、値千金
この季節、風が爽やかで、空も高くて気持ちいいですね。
夏のあいだはあんなに暑くて、湿気も多くてうんざりしていたのが、ほんの1~2ヶ月でまったく違った気候になってしまうんですから、日本の季節というのは面白いですね。
10月と11月はぼくの海遊びにおいては、すごく大切な時期です。
台風が来ない限り気候が安定しているし、西風もまだ強くない、北風も吹いていない、気温はほどよく、空気は爽やか、海の中はまだ温かい。
スキューバダイビングよし、セイリングよし、シーカヤックよしとやることはたくさんあります。
そんな感じなので、休日は1日たりとも無駄にしたくないというのが本音です。
やむを得なく出張が入ったり、それほど親しくない人の結婚式が入ったりすると、ムムムという気持ちになります。
秋の一日、値千金ですね。
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人口の少ない離島の旅が好きです
離島好きです。
ぼくがリアルタイムで知っているわけではないですが、昔、離島ブームというのがあったそうです。1970年代の頃から続いていたようです。
ぼくの記憶の隅にあるのは、新島に若者が大挙して行っていたとか、与論島ツアーがやたらテレビCMで流れていたということです。
実際、リアルタイムでぼくが島に行くようになったのは沖縄本島、石垣、宮古、伊豆大島、八丈島です。目的はスキューバーダイビング。
そしてだんだんより人口が少ない離島に行くようなりました。
多良間、西表、御蔵、小笠原父島、母島…
行くのに時間がかかる人口の少ない島には独特の魅力があります。一方で手軽に行ける島は都会化してしまって少し残念です。旅行者のエゴ丸出しで恥ずかしいのですが…
都会化してしまうというのは、いいたいことを正確にいっていない気がします。そうですねえ、島にいる客層が軟弱でチャラくなっていて、そういうお客を扱うために島の人もそれっぽくなっているのが残念という方がいいかもしれません。
たとえば母島にいる旅行者と沖縄本島にいる観光客では、客層がかなり違います。前者は、自然とかツーリズムに対して気合いが入っているのに対し、後者は、ただの観光客です。
たとえば沖縄本島や石垣島や八丈島は、東京から飛行機で1~3時間で行けます。3日休みがあれば、まあ楽しめます。それだけ手軽なんですが、そうすると島の感じというのは町とそんなに変わらない、ってやっぱり変わりますが、昔の石垣はもっとノンビリしていました。
一方で小笠原の父島は東京の竹芝から船でしか行けませんし、船に乗っている時間は25時間です。そしてその船は通常1週間に1便しか出ないのです。つまり、6日間ないと父島には行って帰れないというわけです。さらに母島は父島から船で2時間かかります。
これでは旅行者の層が違ってもしょうがないでしょう。
それに人口の少ない島のよさというのは2、3日も滞在していると顔を覚えてもらえて、まあ、たいていみなさん優しいわけです。そこにずっと暮らすとなるとそれはそれでいろいろ煩わしいこともあると思うんですが、旅行している分にはその親密な感じは居心地がいいんですね。
ぼくのこれまでの経験からいって、アットホームな感じが体験できるのは、人口が3000人以下で、できれば空港がない島です。それくらいだと、郵便局1つ、JAが1つ、雑貨屋みたいな商店が2つか3つ、飲み屋が数軒というのが相場でして、3日もいれば、同じ店に何度も行くし、島のメインストリート(って数百メートルの小径だったりしますが)を何往復もしているわけで、当然、島の人とも顔を合わせるし、挨拶するようになるし、そうなるとだんだんいろいろな話をするようになって、夜は飲みに誘われたりしてって、そういうのが楽しいんですね。
そういうんじゃなくて、リゾートホテルに滞在して、プールで泳いで、エステやって、ホテルのバーで飲んで、後から考えると島の全体像はよくわからなくて、島のビーチに一歩も足を踏み入れなかった、足が汚れなくて潮臭くならないそんな旅が好き、という人もいると思うんですが、それはそれでいいと思いますが、ぼくはそういう人とは仲良くなれないと思います。
人口が少なくて、空港がない島には、一種独特の閉塞感があって、それは守られ感というか、今、島にいる人の全容がだいたいみんな把握できている感じがあります。それは一方で匿名性がなくなるわけですが、そのメリットとデメリットは都会のマンションで暮らしているのと正反対に表れてくる気がします。
都会のマンションで暮らしていると、隣の人が誰なのか、同じフロアの人がどういう人なのかわかりません。マンションのゴミ捨て場にルールを破ってゴミを捨ててもわかりません。自分が多少だらしがないことをやってもわからないという、悪い意味での自由さと無責任さがあります。そして一方で、すごく過密に人が住んでいるのに孤独を感じるということもあります。極端なケースでいえば、よくニュースで行方不明の人の遺体が山林で発見されたなんてことがあるわけですが、それって人が一人くらいいなくなっても誰も気にしない状況があるということなのかもしれません。
人口が少ない島の特徴はそれと正反対です。
誰がいつ何をやっているかはなんとなくわかる、だから各自はコミュニティのルールをきちんと守る。一方で誰かが困っていればすぐにわかるので、すぐに助ける。誰かが不意にいなくなるなんてことは考えられないわけです。
そんな島では、家に鍵をかける人はいないし、車もキーはさしっぱなしだし、何か足りない道具があれば近所の人に貸してもらうし、収穫で人手が足りなければ手伝ってもらうということなのでしょう。
ぼくはそういう中にいた方が安らげます。気持ちが楽になります。それはもしかしたら自分が歳をとったせいかもしれません。あるいはもともと自分の中にそういう性質があるのかもしれません。海辺の田舎町に住んでいるくらいですから…
なかなか時間がないんですが、年に1度くらいはそんな離島の旅をしたいなあと思います。
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霧の砂浜をサクサクと…
海辺に住んでいて、初夏から晩夏にかけての楽しみは、霧です。
ぼくはたぶん早起きなほうでして、4時半から5時くらいに起きます。起き抜けにジョギングしたり散歩したりするわけですが、初夏から晩夏の間の朝方に霧が出ることがあります。
気象的には当たり前なわけで、海からの温度の高い湿気を多く含んだ大気が、夜の陸の温度で冷やされて、霧になるわけなのでしょう。
霧の朝というのは、いつも見慣れた風景が白っぽく霞んでいて、なんだが神秘的な印象です。
そんな何もかも白っぽい日に、砂浜を散歩するのがとても好きです。
まだ人がいないひっそりした砂浜が、数十メートル先が見えないほどの霧で包まれていて、そんな中をサクサクと歩いていきます。
いつもは見える岬の灯台も今日は見えません。
海風で霧が流れ、切れ間から山の緑がときどき見えかくれします。
風景が見えないだけに、波の音はいつもよりもクリアに聞こえます。
今は霧に煙っていますが、おそらくあと数時間もすると、太陽がギラギラと照りつけ、何もかもがその中で隠れるところもない見慣れた夏の海辺になることを想像すると、今の白い風景が別世界のことのように感じられます。
こんな風に一日一日の自然を感じながら過ごせる喜びと、また今年も霧の季節が巡ってきて、過ぎ去っていくのだなあ、なんて考えながら、歩きます。
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夏の陽射しが好きです
連日の猛暑で、熱中症になる方も多発する状況でこんなことを書くのは、不謹慎かもしれませんが、ぼくは夏の暑さが好きです。
夏の陽射しは強すぎるという人もいますが、ぼくはべつに気になりません。歳をとってきたせいか、たまにキツいなと感じることもありますがたいてい好きです。
もちろん紫外線を浴びることが健康上いいことではないことは知っていますが、そんなこといっていたら究極的には外に出られないわけで、ましてやウォータースポーツなんかやってられません。
夏の陽射しが強くても、海の上で潮風に吹かれているとそれほどではありません。暑ければ頭から海水をかぶったり、海に浸かったりします。そしてまた潮風に吹かれると、ともすると涼しいというか肌寒いと感じるときもあるほどです。
サーフィンをしていてもすごく暑いという感じにはならないのは、足が海に浸かっているせいでしょう。
逆に冬の陽射しが弱い日に海出ると、寒くて、濡れた物が乾かなくて、ジメジメのベトベトのサムザムという状況になって、これならば夏の方が断然過ごしやすいと感じます。
夏の海で辛いのは、風がないときでしょう。そんな日にビーチにいて、しかも日陰でなければ、それは暑いと思います。そういう日ならスノーケリングなどで、ずっと海に浸かっていると比較的快適です。
海に入って、冷えたら上がって、太陽の光を浴びて、肌が塩を吹くくらいな感じがぼくは好きです。
少し季節が秋めいて、陽射しが柔らかくなると、過ごしやすいなあと思う反面、少し寂しくなるのです。
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天童木工のロッキングチェアに揺られながら、ビールを飲みながら、海に沈む夕陽を眺めるシアワセ
ボクの家からは海が見えます。わりと海に近いところに建っています。
だからといって住宅雑誌のようにオシャレでもなんでもなく、ただ海遊びに便利な立地なので選びました。
だいたいぼくは仕事で家にあまりいないし、休日も海に出かけていて家にいないし、長い休みはやっぱり遠くの海に出かけて家にいないというわけで、家に対する思いはそれほど強くないのかもしれません。極端にいえばテントとかエアストリームでもいいかなあと思います。
ただ、そんな家でも、好きな場所があります。
ひとつはハンモックで、もうひとつはロッキングチェア、でもうひとつはデッキ(すでに家の中じゃなくなってますけど)です。
ハンモックは自立式のもので、これに寝っ転がりながら、海を眺めるのが好きです。
もうひとつはロッキングチェアで、やはりこれに揺られながら、海を眺める時間が好きです。
どちらも揺れるのが共通してますが、あまり自覚してなかったんですが、ぼくはキチンと座ってじっとしているのが苦手なんですね。そういえば、学校の授業も苦痛でした。新しいことを知るのは楽しかったですけど、できれば寝転がったり、教室の好きな場所に居て、授業を聴きたかったなあと思います。
ロッキングチェアは先輩の家にあったのに座らせてもらって、それがすごく心地よくて、人の家というか先輩の家でありながら、ウトウトしてしまったくらいです。
で、同じ物を買ったのです。
天童木工のヘロン・ロッキングチェアです。
ぼくにとっては高い買い物でしたが、まあ、家にひとつくらいいい家具があってもいいだろうということで、購入しました。
以来、もう20年近くこれに揺られながら海を眺めています。
ぼくの住んでいるところは、海岸が西に開けている場所なんですね。こういう表現でいろいろわかる方は、海に詳しい方ですね。
そう海好きな方には、西に開けているのが好きな方と、東に開けているのが好きな方と、南に開けているのが好きな方がいます。北が好きな方には、今のところ会ったことがありませんけど。
で、西に開けているということは、海が西にあるということ。
ということは夕陽が海に落ちるのが見える、あるいは夕陽が見えるということです。
話が長くなりましたが、ぼくはロッキングチェアに座って海を眺めながら、だんだん夕陽が海に沈んでいくのを楽しんでいるんです。
できれば日中海で遊んで、いい感じに身体が疲れて、シャワーを浴びてサッパリした状態が望ましいですね。
そして、片手に缶ビール、ロッキングチェアの揺れ、まどから海をオレンジ色に照らす夕陽…
いやはや、いいですねえ。
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夏の夕方の「ビール風」
漁師さんや海関係者が海に吹く風を呼ぶ名前があります。
コチとかナライが代表的ですね。
地方によって呼び方も違ったりして面白いんですよね。
ちなみにコチは東風と書くようで、東からの風といわれています。別な説もありますが、現在の日常的な使われ方では東からの風を指します。
ナライは北西の風ですが、これも地域によっては、北風や北東の風を意味することがあるようです。冬に北風が吹くと海が荒れるので、ナライと海が荒れるはほとんどイコールのイメージがあります。ぼくが住んでいるあたりではナライは北西、北東はダシということが多いです。
と、まあ海遊びをする人にとってはお馴染みの風を表す言葉ですが、ぼくが個人的に呼んでいる風の名前がありまして、それは「ビール風(かぜ)」です。
それはたとえばこんな状況で使います。
夏のある日、朝から海に出て、日に焼け、身体もほどよく疲れた夕方。シャワーを浴びてさっぱりしたときに、海からオンショアの心地いい風が吹くことがありますね。そういうときに「ああ、いいビール風だ」という具合につぶやいて、冷蔵庫からキッチリ冷えた缶ビールを取り出す。
と、まあこんな感じです。
ぼくはやたら使っているので、ぼくの周りの人は「またか」とか「おっビール飲もうぜ」となるわけで、局地的に理解されているようです。
ぼくの気持ちの問題かもしれませんが、「あぁ、いいビール風だ」とつぶやいて飲むビールは、いつもよりもおいしい気がします。潮風を感じながらビールを飲むのが好きなのです。
「ビール風」どうですかね?
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夏・夕陽・海の家・ビール・富士山・江の島
相模湾に面した三浦半島西岸に住んでいます。
西岸の良さというのは夕陽が見られること、悪いところは冬の西風が強いこと。大雑把にいうとそういうことになるような気がします。
ぼくの住んでいるあたりでも夕陽がきれいです。
時季によって違いますが、たいてい伊豆半島に日が沈みます。当然ですが富士山も見えます。そして江の島も見えます。
夕陽、海、富士山、江の島の4点セットがなかなか美しいのですね。
これは相模湾ならではの良さといえるのではないでしょうか。
伊豆半島の西岸ですと、夕陽、海、富士山という3点セットなんですよね。これもいいものですが…
夕陽の時刻になると犬の散歩がてら、ジョギングがてら、あるいは夕陽を見るために砂浜に来る人がいます。砂浜には誰が置いたのか古ぼけた椅子があって、そこにおじいさんが座って、缶ビールを飲みながら夕陽を眺めていたりします。
ぼくも夕陽好きでして、海遊びが終わった後、しばらく砂浜に座って夕陽を眺めたりします。
特にいいのは、夏でして、さんざん海で遊んだ後、海の家に入って、ビールを飲みながら夕陽を眺めることです。
単純にシアワセだなと感じます。
ビールが何本目かになる頃にはかなり暗くなって、伊豆半島の山際が微かに明るいというよりも紫っぽくなって、江の島の灯台の灯りが周期的にクルックルッっと辺りを照らします。
今日も一日なんとか元気に暮らせて良かったなと思いながら、家に帰ります。
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アジサイ…そして海開き…盛夏
若い頃は花や木などの植物にまったく興味がなかったんですが、そんなぼくでも歳をとると多少は「ああキレイな花だなあ」と思うようになりました。
近所を散歩していても、植物にも目がいきます。
椿、梅、桜、山吹、サツキ、チューリップ、バラなどなど、冬から少しずつ変わっていく花々を見ていると季節の移り変わりを感じられて、なんだかシミジミします。
この時季はアジサイですね。
多くのアジサイの花が一斉に開いている様子には、どうしても視線が惹きつけられます。
少しずつ違う花の色も楽しいものです。
アジサイの時季が過ぎるとぼくの住んでいるあたりでは、海開きのシーズンです。
海はいよいよ夏の盛りに向けて賑わっていくのです。
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テキトーでいいんじゃないでしょうか…
いろいろたいへんな世の中ですね。
仕事をしている方は、自分の仕事に対して、ちゃんとやらなければいけないというのは当然のことですね。
細やかで、緻密で、こだわるというのは、仕事をする上で美点とされていますから。
ぼくも一応働いていまして、ノルマとか営業成績とかこの四半期の必達目標などがあるわけです。確かに組織として何かを成し遂げるということは一人ひとりが頑張らなければいけないわけで、それはそうだろうなと思います。
一方でぼく個人としてはそういう目標とかノルマとか好きじゃありません。波とかピーカンとかビキニのオネーサンなどが好きなオジサンです。
その個人の思いと労働者としての思いをいかに断絶なく自己の中に統合できるか?それが目下のわたくしの課題といってもいいでしょう。
そのひとつの解決策として、仕事とプライベートを切り替えるという方法があります。
もうちょっというと、プライベートではなるべくテキトーでいたいなあと思うわけです。
「まあ、いいか」
「こんなもんでいいか」
「細かいことはどうでもいいや」
「テキトーでいいや」
ということを大事にしたいなあと思うわけです。
と、いうようなことを書くと、とても自堕落な印象になってしまうんですが、それは一面で事実ですが、それでもいいのかなあと思います。
やっぱり個人差というのがあって、もともとだらしない人がテキトーにやるのと、ちゃんとし過ぎている人が少し力を抜くのは、実際はだいぶ意味が違うからです。
ぼくは自分がちゃんとし過ぎてるとは思いませんが、少し力を抜いてラクに生きた方がいいんだろうなという自覚があります。同僚の高木さんもそういってくれているので、きっとそうなのでしょう。
ぼくの小さい頃のかすかな記憶ですが、ぼくの周囲のオジサンというのは、たぶん夕方の6時頃には家に帰ってきていて、家族でメシ喰って、野球の巨人×阪神戦なんかを見ていたような気がするんです。
つまり今みたいなキリキリガチガチ仕事仕事な日本人の男性の生き方というのは、歴史としてはそんなに古くないんじゃないでしょうか?
というわけで、ぼくも古き良き日本のオジサンのライフスタイルを取り戻すべく、レコンキスタだっけ?えーっとそうそうルネッサンスを起こそうと思います。
題してテキトールネッサンス。
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