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人の話を聴くのに疲れたら海に行くと元気になれます




 自分でいうのもなんですが、ぼくは人の話を聴くのが好きなほうです。会社の小山さんや高槻さんもそういっていたので、たった2人の証言ですが、まんざら嘘でもないでしょう。
 逆に自分が話すのは苦手です。
 飲み会は好きですが、たいてい人の話を聴いています。
 ただ、ワタクシの偉大なところは、合いの手というか、質問が巧みで、相手の話をどんどん引き出してしまうところです。これは誰も証言者がいないのが残念ですが、ぼくが請け合います。

 で、もう何十年も聴き役が得意と自認して生きてきましたが、話をする人によってこちらも楽しい場合とツライ場合があることに、最近になって、気づきました。って、そんなの当たり前なんだからもっと早く気づけよっ、てなもんですな。
 こちらが楽しくなる人というのは、話あるいは話し手側にこちら側に何かを与えようという姿勢がある場合です。
 逆にツライ人というのは、話あるいは話し手側が自分が何かを得るとか、自分の満足感だけを目的としている場合です。
 単純にラベルをつけると前者がギブタイプ、後者がテイクタイプといえるかもしれません。

 そして長年いろいろな人を見ていると、ギブタイプの人は話に限らず仕事でも遊びでも周囲に何かを与えようとするので、周囲に好かれるし、評価もされるんですね。
 で、テイクタイプの人は仕事でも遊びでも嫌われて、疎んじられることが多いような気がします。

 以上が話を聴くことにこだわったワタクシの経験的な結論です。

 で、話を聴くのが三度の飯ほどは好きではないですけど、けっこう好きなぼくでさえ、テイクタイプの人の話をやたら聴かざるを得ないことが続くと疲れてきます。なんというのかな、疲れるというか自分のエネルギーを吸い取られるというんでしょうか。
「うるせえなあ。お前の話は聴きたくねえよ」といえればいいんですが、この洗練された日本社会でそんなストレートなことをいうのは実際は難しいですね。なんとなく話をそらすとか、忙しそうにしてどこかに行くとか、さりげない逃げが吉、待ち人来たる、失せ物見つかる、方角は南南東が吉、というのが大人の処世術です。
 それでですね、タガメのようなテイクタイプの人にエネルギーを吸い取られてしまったら、ぼくは独りで海に行きます。なんか昔の青春ドラマみたいですが、いいんです。「恥ずかしがっちゃダメ、やりたいことをやりなさい」って小学生の頃の担任の先生もいっていました。
 海を見たり、砂浜を散歩したり、潮風を浴びたり、「あーいいなあー」とかつぶやいたりしていると、なんだか自分が細かいことを気にしていたように思えます。なんだかどうでもよくなります。そうしてだんだんと元気になります。
 海の効果なのか、独りでいることで人恋しくなるのか、そのあたりはよくわかりませんが、結果として、まあたいてい、いや、ほぼ必ず元気になります。
 不思議なものですねえ。






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潮風の気持ちよさ




 海辺に住んでいて思うんですが、朝起きてうーんって伸びして、窓を開けると「ああいい気持ちの日だな」「今日はちょっとこれは…」とその日の感じがだいたいわかるわけですね。
 で、それって、まあ、いろいろな要素があるわけで、天気、気温、湿度などですが、ぼくはその中でも大切な要素は海風というか潮風だと思うんですね、ええ。ここで科学的な人なんかだと、気温が摂氏25度で、湿度が30%、南西の風が毎秒5mだと心地いいというような客観的な測定をおこなったりするんでしょうが、ぼくは「はあ、なんだか気持ちいいなあ」で終わってしまうわけです。このあたりがぼくの限界というか、進歩しないところというか、今日一日楽しく生きていられればいいかなという場当たり的刹那的享楽的な生き様が表れているところでもあるんですね。

 冬に潮風がビュービュー吹いているときというのは、いくら天気がよくても、かなりツライというか居心地が悪いというか、海に歓迎されていない感じがするものです。
 一方で、夏に風がないのも、暑くて、空気がどんよりしていて堪らないんですよね。
 それがたとえば初夏の晴れた日で、暑すぎず、湿気もそれほどなく、海からは適度な潮風が吹いている、なんていう日だと、とても気持ちがいいわけです。こういう日は一日中海で遊んでいても楽しくて時間があっという間に過ぎてしまいます。こういう日の気持ちよさは、ぼく的にはなかなかなくて、あの男女のホニャホニャの時よりも気持ちよくて、スポーツした後の爽快さに近くて、なんといったらいいんでしょう。
 しかも経験的にこういう気持ちのいい日というのは、自分が休みの日という前提で、年に多くても数日だと思うんですね。

 で、潮風に吹かれていると「空気が動くってすごく快適さに関係しているんだな」と実感します。
 なんなんでしょう?
 潮風というの都内の風とやはりどこか違っていて、適度な湿気と丸みというかまろやかさがあるような気がするんです。また高原の乾燥した爽やかな涼しい風とも違っています。「丸みとかまろやかさってなんなんだ。ちゃんとわかるように表現しろ」といわれても、ぼくは科学的ではない人なのでわからないんだな。それよりおにぎりくださいなんだな。
 それにぼくは花粉症のアレルギーがあるんですが、潮風に吹かれると耳鼻咽喉系の症状が緩和されるように思います。

 気持ちいい風に吹かれて一日が過ごせる、あるいは「ああ今の一瞬ってすごく気持ちいいな」と感じる、ただそれだけのために、ぼくは二十数年海遊びをし、海辺に住んできたのかもしれません。




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時間とは物事の順序である




 小さな離島に行くのが好きです。
 島というのは隔離感がいいですね。
 小さな島だと人がどこで何をしているかわかるというのもいいです。
 だから人に対する警戒心が少なくなるような気がして、それもいいです。
 娯楽施設とかがなくて何もやることがないのもいいです。
 ただ起きて、ご飯を食べて、海で遊んで、酒を飲んで、寝る。
 それ以外にやることがないのがとてもラクです。
 そんな毎日を1週間ほど続けていると、気持ちがラクになります。
 そしてそんな1週間はあっという間に過ぎてしまい、昨日と2日前と3日前がよくわからなくなってきます。
 そういうのがイヤじゃないんですね。とてもラクなんです。

「時間とは物事の順序である」という言葉を聞いたことがありますが、やるべき物事が少ないと時間の流れ方も違ってくるように思います。
 普段の自分はといえば、海で遊ぶのが主ですが、やらなければいけない家のことをやったり、時間があれば本を読んだり、スマホをいじったり、コンピュータで何かやったりしています。
 何か時間が余るのがいけないことかのように何かをやってしまいます。
 それで自分の人生がすごく充実しているかというと、「忙しい感じ」とか「何かやっていた感じ」は残るのですが、それは別にやらなくてもよかったことなんではないかなーと思えます。
 だったら海でボーッとしていた方が、自分らしくていいのではないかなーと思います。






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「もっと気楽に、自由に、大らかに、適当に」と自分にいい聞かせようと思います




 海が好きで、海外のリゾートに行くことがあります。
 お金がないのでそんなにやたらと行けないんですが…

 で、まあぼくが海が好きなのは、その自由さだったり豊かさだったりするわけですが、海が好きな理由のひとつに、住んでいる人が大らかだからというのもあります。
 人々の大らかさが海外の温かい海に行くと、際だっているのが、ぼくにとってはたいへん嬉しいことです。

 そんな大らかな人々と接していると、日本での自分がいかに細かいことまでちゃんとやろうとしていたか、ちゃんとやらなければいけないと自分を規制していたか、再認識します。
 それは別に日本人らしさで、悪いことではないかもしれません。でも、自分がツライとか苦しいとか、そんな風に追い込むまで自己規制するのは本末転倒なのかもしれません。
 楽しく暮らしてこその人生。
 心配事は考え始めたらキリがありません。
 リスクがゼロになることはおそらくありません。

 自分に対し、 海が好きで、海外のリゾートに行くことがあります。
 お金がないのでそんなにやたらと行けないんですが…

 で、まあぼくが海が好きなのは、その自由さだったり豊かさだったりするわけですが、海が好きな理由のひとつに、住んでいる人が大らかだからというのもあります。
 人々の大らかさが海外の温かい海に行くと、際だっているのが、ぼくにとってはたいへん嬉しいことです。

 そんな大らかな人々と接していると、日本での自分がいかに細かいことまでちゃんとやろうとしていたか、ちゃんとやらなければいけないと自分を規制していたか、再認識します。
 それは別に日本人らしさで、悪いことではないかもしれません。でも、自分がツライとか苦しいとか、そんな風に追い込むまで自己規制するのは本末転倒なのかもしれません。
 楽しく暮らしてこその人生。
 心配事は考え始めたらキリがありません。
 リスクがゼロになることはおそらくありません。

 自分に対し、もっと気楽に、自由に、大らかに、適当にやろうといい聞かせたりしています。

 自分がちゃんとやろうとし過ぎているときは、南の海辺に住んでいる人々の大らかさを思い出そうと思います。やろうといい聞かせたりしています。

 自分がちゃんとやろうとし過ぎているときは、南の海辺に住んでいる人々の大らかさを思い出そうと思います。




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いい感じのおじいさんに一瞬で癒されました




 その日ぼくは少しイライラしていました。イライラまではいかないかな。ちょっと慌ただしくしていました。
 たいていノンビリと淡々と日々送っているぼくですが、たまにはそういう気分の日もあります。

 で、前日付き合いで飲み過ぎた二日酔いの低調なコンディションのまま、相方の買い物に付き合わねばならず、車で30分ほどのホームセンターに行きました(ぼくの家から最寄りの繁華街というかそういう買い物ができる場所は車で30分かかります)。ひろーいホームセンター(最近のホームセンターは本当に広いですね)をあちこち回り、レジのながーい列に並んで、大きな荷物を抱えてひろーい駐車場で自分の車を探しました。やっと車を探して、トランクに荷物を積み込んだとき、ちょっとくたびれたなーという実感がありました。おそらくぼくの表情にも表れていたでしょうし、ぼくの目つきは険しかったのでしょう。




 隣に停まっていたトヨタのランドクルーザーに向かって近づいてきたおじいさんがいました。ブルージーンズにダンガリーシャツのおじいさんがリモコンでキーを解除して運転席のドアを開けようとしていました。

 なんとなく、ぼくとおじいさんの目が合ったのです。

 おじいさんはいかにも力の抜けた自然ないい方で「まだハイラックスサーフに乗っている人って珍しいねえ。生産終了になってずいぶんたつもんねえ。いい車だよね」と話しかけてきたのです。微笑みながら、とても優しい言い方で…
 ぼくはいきなり話しかけられて反射的に返事ができず、少し間をおいて「そ、そうですね」としか答えられませんでした。
 おじいさんはエンジンをかけて、駐車場を出ていってしまいました。

 残されたぼくは、ちょっと険しい目つきを見られたんだろうなと思いました。もしかしたらあのおじいさんはぼくの目つきを見て、少したしなめるような意図を持って、あんなユルイいい方で話しかけたのかもしれないなとも思いました。こんなことでイライラして、オレってつまらない小さな人間だなって思いました。

 おじいさんとの会話の後、ぼくは気分がすっかり変わって、いつものヌボーとしたマイペースでノンビリした自分に戻っていました。

 おじいさんありがとう。
 そしてこういう人がいる海辺の町っていいなあと改めて思いました。







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海遊びと温泉とハーブティとビール




 海遊びが好きで海辺の田舎町に住んでいます。
 自分に合った暮らしなので不満はなく、日々楽しく過ごしていますが、もしあればもっといいなあと思うことがあります。
 それは温泉。
 温泉は我が家にはないんです。

 ぼくの海遊びにもれなくセットでついてくるのが、海遊びの後の温泉とビールなのです。
 なので海遊びに遠征するときはできる限り温泉のあるところ、しかも効きそうな温泉のあるところへ出かけるようにしています。

 もちろん自分家の前の海で遊んで帰ってくると風呂に入ります。
 入浴剤などをいれて温泉気分を出してみますが、やっぱり本当の温泉がいいなあなどと思いつつ入っています。
 特に冬の海遊びは身体が冷えるので風呂で温まりたいわけですが、やっぱり温泉だと温まり方が違います。身体の芯まで温まりますし、湯冷めしにくいです。温まる
 風呂から上がった後のビールを考えると、ここはじっくり温まりたいわけです。

 で、これまで行った海辺の温泉で好きなのは、鳥羽と熱川で、この2箇所は「効いてるなあ」という実感があります。
 
 さてさてちょいと話が変わるんですが、我が家では体調を整えるためにハーブティを飲みます。緑茶やほうじ茶を飲むような感じでハーブティを飲みます。季節によって違いますが、冬はエキナセアやエルダーフラワーやショウガ(生姜はハーブじゃないかもしれませんけど)のお茶を飲みます。
 これも海遊びと関係していまして、冬の海遊びで冷えた身体を温めるのにとてもいいんです。
 相方はガーデニングが好きですが、ローズマリーやミントなどのハーブなども育てていて、それらもハーブティや料理になります。

 そんな温泉とハーブが好きなわたくしにとって熱川というのは魅力的な場所です。
 というのも熱川にはハーブテラスという、とある個人がやっているハーブ園がありまして、そこにはあまり手に入らないハーブの苗やエッセンシャルオイルがあるからです。
 そこのご主人と話すのも楽しいですし、見たことのないハーブを発見する楽しさもあります。

 熱川でダイビングして、温泉に入って、ハーブテラスでお茶して、宿でビールを飲んで、地魚を食べるというのは、ぼくの好きな海遊びコースとなっております。





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忙しいときほど海に行く




 仕事をしている方は、12月から3月まではいろいろと忙しい時期ではないでしょうか。
 忙しいと、ついイライラしたり、慌てて仕事をしてミスをしたりします。何よりも自分のペースや自分らしさを失うことが一番ダメージが大きいですね。
 ぼくはやたらめったら海に出ているわけですが、そんなぼくでも忙しい時期ほど意識して海に出るようにしています。
 何をするんでもかまいません。海が穏やかならシーカヤックもいいですし、荒れていたり寒ければ、ビーチを散歩するのでもいいです。海が見えるカフェでお茶するだけでもいいんです。
 とにかく海を見るようにしています。

 そうすると何が起きるか…

 経験的にいって、気分がかなり変わります。
 海を見慣れているぼくがいっても説得力はないかもしれませんが、水平線と開けた風景を見るだけでも気分転換には効果があると思います。
 そして潮風、潮の香り、波の音…

 それらが相まって気持ちを芯のところからほぐしてくれるような気がします。

 都会に住む友人は決まってこの時期、我が家に遊びに来ます。車で1時間弱、1日海で遊んで夜に帰ります。それだけでずいぶんリフレッシュするそうです。夏もいいですが、この時期の海もいいとのこと。
 都会の雑踏の1人でも多くが気持ちにゆとりを持って過ごせば、もしかしたらトラブルや揉め事が未然に防げるかもしれませんね。






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シーボニアでのんびりランチをしました



 冬ですね。
 北風が上がって、海が荒れ荒れの日ってありますけど、そんな日はみなさんどうしてますか?
 コタツでみかん? それもいいですね。
 暖かい部屋でDVD鑑賞? それもなかなか。

 ぼくは散歩が多いです。
 散歩して、お気に入りのレストランでランチなんていうのが好きです。

 先日は相方と海べりを散歩しました。
 寒かったですけど、冬は空気が抜けていて景色がキレイに見えるのがいいですね。
 で、時間もよかったんで、シーボニアというマリーナのレストランでランチしました。
 シーボニアというのは、セイラーやバブルの頃海遊びした方はご存知でしょうが、三浦半島の油壺にあるマリーナです。
 マリーナというと逗子とか葉山とか江の島を思い浮かべるかもしれませんが、油壺が好きなセイラーは多いのです。で、バブルの頃にこのあたりが少しブームっぽくなったのでした。
 そのブームが過ぎてから寂れてしまったんですが、海が好きな人は通い続けている場所といっていいんではないかと思います。

 ぼくもその一人。

 で、シーボニアですが、何年か前に持ち主がリビエラリゾートに変わりました。で、リビエラさんが改修したり手入れして、とてもいい感じになってきたんです。

 マリーナには必ずレストランとクラブハウスがあります。もちろんロッカーやシャワーやトイレもありますが…
 そのレストランは別に船を置いていなくても、クラブメンバーでなくても使えることが多いんですね。
 シーボニアのレストランもビジターが使えます。
 シーボニアのレストランはマリーナの一番奥の2階建ての建物にありましたが、台風の被害を受けたそうで、今はプールサイドのクラブハウス内で営業しています。

 ぼくと相方は波葉とブリの刺身のランチを食べました。1800円。
 ぼくは波葉に目がなくて、自分でも採って食べるんですが、海苔やあおさとは違ったおいしさがあって、もうこれだけは他人にあげたくない、独り占めしたいと思うくらい好きです。海藻特有の海の香りと、昆布ダシっぽいうまみ、適度な歯ごたえがたまりません。

 このクラブハウスでの食事は、食事を楽しむのはもちろんですが、小網代湾、そしてそこに浮かぶヨット、その先の富士山という景色が楽しいのです。舌と目が同時に楽しめるんですね。
 景色を眺めながらゆっくりと食事を楽しみ、食後のお茶を楽しむ。
 ぼくは冬の海に出られないこんなひとときも好きです。





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海辺に暮らすことは自由になること




 海に出ることは、ぼくの中では、自由になることと同じ意味を持ちます。
 昔、教科書では、いろいろな自由と権利と義務を教わりましたが、現実にはなかなか自由というのはないものです。ぼくにとっては、海に出ているときは、かなり広い範囲で、一定時間自由になれるのです。

 海が怖いという人もいます。もちろんそうでしょう。板子一枚下は地獄ともいわれますし…
 でも、リスクを冒さなければ自由は手に入らないという前提に立てば、ぼくにとっては海に出ることは、そのリスクの割に自由の度合いが高いと思います。
 リスクさえ取れば、それに見合った自由が手に入るのですから、そんなにいい話はないとさえ考えます。

 ぼくには陸上の活動の方がリスクが多くて自由が少ないと思えます。
 たとえば車に乗れば、交通事故のリスクがありますが、それは海の事故よりも、たぶん、確率は高いのではないでしょうか? それも交通ルールを守ったり、渋滞にはまったりした上での、さらにリスクです。その割に全然自由じゃないと思えます。
 山登りもルールが多くて自由に思えません。いわゆるメジャーな山に行くからなんでしょうが、登山道が決まっていて、トイレも決まっていて、泊まる場所も決まっていて、けっこう混んでいて、渋滞していたりします。
 街などはリスクの固まりのように思えます。人が多いし、それらの人がどんな人かまったくわかりません。車も走っているし、工事もしています。その割にルールだらけです。海でやっているようなことを街でやったらおそらく問題になるでしょう。

 人嫌いなぼくから斜に構えて見れば、人が多いところほど、リスクとそれに応じた自由の見返りが少ないという気がします。おそらく人が集まるとルールが多くなって、自由が少なくなるのでしょう。その代わり安全になるのでしょうが、その安全さが、ぼくのような人間から見れば安全に思えないということです。それから人が集まるとインフラが整備されて便利になるという面がありますが、一方で過去の文明が滅んだのは、人が集まる都市であり、そこに暮らす人々のために森林伐採や水の過剰採取やゴミなどの排出物による汚染が原因だという説もあります。
 人が集まる場所が必ずしも暮らしやすいところとは限らないといえるのではないでしょうか。

 海というのは自然が相手ですから、注意して観察すればだいたい予測できるのです。こちらが油断しなければ、かなりリスクを減らせるのです。
 逆に人が集まるところのリスクというのは、ぼくにとっては予測できないし、人と人との感情のこともあったりして、まったくややこしいのです。


 海の何が自由かといえば、いろいろあるわけですが、たとえば小さなことでいえば、短パン・ビーサンとか水着でいても許されます。なぜかわかりませんが同じことを都会でやるとダメでしょう。
 大声で歌ってもいいですし、走り回ってもいいわけです。
 砂浜で、テーブルとチェアを出して家族でランチをするのは普通の光景ですが、同じことを道玄坂の途中でやったら問題になるでしょう。
 あまりいいことではないですが、その辺りで立ちションすることもありうるでしょう。
 水着に着替えるのに砂浜のあたりで着替えても、まあちょっと恥ずかしいというくらいです。
 海に出てしまえば信号も渋滞もありません。目的地はあるにしろ、そこまでにどのようなルートを通ろうと自由です。
 陸上では、舗装された道の国道何号線を通らなければどこどこに着けないということが結構あります。
 海の場所にもよりますが、車をどこに駐めてもいいとか、車にロックなどしなくても誰も盗んだりしないとか、そういう大らかさもあります。

 書いてみると細かな自由ですが、それが積もり積もるとココロの負担が違います。


 ぼくはたまに東京に車で行きますが、いろいろ気を遣うことが多くて、行って帰ってくるだけでかなり疲れます。それだけ負担が多いんだと思います。慣れの問題かもしれません。
 地元に戻ってきて、スーパーのガラガラの駐車場に、適当に-白線の枠の中にきちんとではなく-車を駐めて、ロックせずに窓も開けっ放しで、ちょっと買い物をするときなどは、すごい解放感があります。
 そのラクさは味わった人しかわからないでしょう。






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近くの山に靄がかかっているのが好きです




 海辺の暮らしでうれしいのは、日常のちょっとしたことで自然を身近に感じられることです。
 たとえばうちの裏は森になっているんですが、鳥のさえずりがよく聞こえます。たまに変わったさえずりを聞くと、「おや」と感じるのです。そういう瞬間がうれしかったりします。
 ぼくは鳥の知識がなくて、どんな鳥が鳴いているのか分からないのが寂しいですが、知識があればもっと楽しくなるでしょう。

 そういうちょっとした楽しみのひとつで、ぼくが好きなことがあります。
 それはうちのそばの、海べりの小高い山というか丘に霧がかかるときです。
 そういうときって、基本的に曇っていて、雨が降り出しそうな天気なわけで、ぼく的な気分的にはそんなに盛り上がらないわけですが、雲が低く垂れ込めて、丘のような低い山にも霧がかかるのが、ああここも山なんだなー、まるで高原にいるみたいだなー、なんて感じます。
 何気ない自然を意識させられる瞬間です。

 こんな小さいうれしいことに気づきながら一日一日を過ごせたらいいなと思います。




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