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喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回りたい



 喜望峰とホーン岬。
 セイラーにとっては難所とされている場所です。ホーン岬を回ったセイラーは「ケープホーナー」と呼ばれ賞賛され、尊敬されるようです。
 そこをシーカヤックで回るエクスペディションツアーはいろいろあって、いつかやってみたいと思い続けていました。
 シーカヤックでホーン岬を回った日本人は、新谷暁生さんという方がいて、その様子はホームページでも見ることができます。
 それを読むとなんだか身体がムズムズしてきて、すぐにでも航空券を予約してしまいたくなってしまいます。
 ぼくは大航海時代とかアメリカの西部開拓時代の本を読むのが好きなんですが、何が好きかというと、それらの時代は、未開拓の場所があって、冒険という行為があって、それに挑戦する人達がいるというところです。別にそんな危険を冒さなくても生活はできるのに、敢えて挑戦するというところに魅力を感じます。身体がムズムズしてきます。
 そして目標を成し遂げるために、頭を使って、綿密に計画を立て、できる工夫は何でもするというところが好きです。なんというか合理的に考えればやめとこうと結論がでることを敢えてやる、そこが人間らしくていいなあと思ってしまいます。
 もしAIが発達して、コンピューターが合理的な選択肢を提示することができたとしても、冒険のような選択肢は提示できないんではないかと想像します。そういうのって人間らしいんではないかなーっと。わかんないけど…
 ぼくは小心な人間でそこまで大がかりな冒険はできませんが、でも憧れていて、いつかはやってみたいと思うんです。それが喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回ることなんですが、別に他のことでもいいような気はしてます。
 どんなアウトドアスポーツにも難所とか憧れと呼ばれる場所があって、登山だとアンナプルナとか、サーフィンだとノースショアがそうですね。
 ぼくはそういう場所をクリアしてみたいんだと思います。
 なぜだろう?
 わかりません。 人生は謎だらけ…




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これまで公開したチェックリストをまとめてみました



 自分がウォータースポーツとか海遊びに使うために備忘的な意味で(いやー、最近物忘れが激しくてねー)チェックリストを作っているんですが、それが他の方にも多少は役に立つかも、と思って公開してきました。
 いくつかあるので、今回はそれをまとめてみたいと思います。

スキューバーダイビング持ち物リスト

潜水前 ダイビング器材安全チェックリスト

スキューバーダイビング器材安全チェックリスト

海水浴に持っていくものチェックリスト

海遊びの時のファーストエイドキットチェックリスト





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沖出しの風とウォータースポーツ




 沖出しの風というのがあります。別な言葉でいえば、オフショアの風。陸から沖に吹く風のことです。赤出汁とか昆布出汁とかだとおいしそうですが、ウォータースポーツをする者にとっては、あんまりいい言葉ではありません。地方によっては、「だし」とか「陸風」といわれたりします。
 陸から沖に吹く風というわけで、風向は海岸の向きによって違います。たとえば東伊豆と西伊豆では単純にいえば沖出しの風は逆向きになるはずです。ただ、実際の海岸線は西伊豆であっても南に向いていたり北に向いていたりするので、単純にはいえません。
 この沖出しの風、漁師さんや船乗りにとっては要注意の風といわれています。一方サーファーにとっては、オンショアよりはマシな風と受けとめられていると思います。セイラーにとっても風が強すぎなければ、いい風でしょう。
 理由は、船乗りにとって沖出しの風は、外洋に流されていく可能性のある風なので要注意というわけです。サーファーにとっては、オンショアだと波の頭が潰れて乗りにくくなるんですが、オフショアだと波が掘れて乗りやすくなるためです。ただそれは波がある程度以上高いことが前提なわけですが…そしてセイラーにとっては、風がないのが一番ツラいわけで、だったら沖出しの風の方がいいとなるわけです。
 具体的には沖出しの風って、どのようなものなのでしょうか?
 ぼくは関東の三浦半島の西岸に住んでいますが、北東の風が吹く日があります。そういう日が沖出しの風です。冬とか春先とかに多く見られます。
 一方、夏の終わりから秋にかけては西風が吹きますが、これはぼくの住んでいるエリアだとオンショアの風になります。
 沖出しの風は、気象条件ももちろんですが、それと合わせて地形の影響が大きいと思います。たとえば逗子から佐島あたりを例にすると、このエリアは大楠山やその他小さな山が続いています。ただ、連峰になっているわけではなくて、それぞれが別の山です。そうすると山と山の間に谷間ができるわけですが、この谷間で沖出しの風が強く吹きます。
 地名でいうと逗子湾は、陸に向かって左側に大崎があり、披露山があります。右側に桜山があります。その谷間の逗子の町は狭い平野になっているわけですが、ここを風が通ります。それが北寄りの風であれば沖出しの風になります。逗子湾は大きくえぐれた湾ですから、湾内は風が吹いても波が入ってこず、穏やかです。この地でヨットが盛んになったのはこうした地形的な理由があるんじゃないかなあと想像します。いやたぶんそうです。わかんないけど…

 葉山に大浜という浜があります。御用邸の南側の砂浜です。ここは陸に向かって左側が三ヶ岡山、右側が長者ヶ崎で、その内陸は、湘南国際村のある大楠山があるんですが、この大楠山が大浜の背後で標高が低く、少し谷間になっています。この谷間を風が抜けるので大浜も沖出しの風が強く吹きます。北東の風が吹いているときは要注意です。
 佐島方面からやって来て、長者ヶ崎を越えたら急に風が強く吹いていた、なんてことがあったりします。
 佐島の先の小和田湾も大きくえぐれた湾ですが、ここもちょうど山の谷間になっています。なので風は吹きますが、湾の懐が深いので、海は穏やかです。やはりセイリングに適した土地といえるでしょう。
 大ざっぱにいうと(ぼくは大ざっぱにいうのが大好きです。うふふ)風向きに対して、風上に山があれば風が遮られますが、山がなければ風が吹きます。山と山の谷間だと、風が集中してそこを通るので強く吹きます。船で航行するとき、地形を見れば、風が抜けそうかどうか、ある程度の心積もりはできます。
 三浦半島西岸で沖出しの風がやっかいなのは、北東の風で、それがたいてい冬から春の気圧配置の不安定な時期に吹くわけで、ときに突風といってもいいほど強く吹きます。
 というわけで、ウォータースポーツをやる方は、その日の潮回りとか、気圧配置とか、風向とか、波高とかをチェックして海に出ると思いますが、だいたいの風向がわかったところで、こんどはその土地ごとの地形をイメージして、このあたりは風が強そうだと予想しながらその日の計画を立てるのがいいのではないかと思います。









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なんだか「ゾワゾワ」するんです。ウォータースポーツしているとき…



 宮田珠己さんの本を読んでいると、ときどき「身体の中から、うりゃうりゃした気持ちがこみ上げる」という表現があります。特にジェットコースターに乗りまくったことを書いた本(『ジェットコースターにもほどがある』)にはよくその表現がでますので、たぶんあの気持ちかなーという推測はできます。
 ぼくも宮田さんと同じかわかりませんが、「うりゃうりゃ」した気持ちがこみ上げるシーンがいくつかあって、ひとつはサーフィンで(ぼくとしては)ワリと大きな波に乗れたときです。
 もうひとつはシーカヤックで(ぼくとしては)ワリと荒れた海を無事に航海できたときです。
 ぼくの「うりゃうりゃ」は腹の底の方からこみ上げるワクワク感というかソワソワ感でして、どちらかというと「ゾワゾワ」といった方が自分としてはしっくり来るような感覚で、ジェットコースターに乗ったときにも感じます。それからプールの飛び込み台から飛び込むときにも感じます。
 そしてこの「ゾワゾワ」は、海でちょっとピンチな時に感じるようなのです。いわゆる武者震いのようなものなのでしょうか?
 すごく大きな波が来て、「うまく乗れるかな、ヤラれちゃうかな?」という恐怖感と「やってやるぜ!」というやる気が併存しています。そしてその恐怖感を乗り越えてうまく波に乗れると、自分がヒーローにでもなったかのような高揚感があります。
 シーカヤックで荒れた海を漕ぎきったときも、「ああすごいうねりだな。沈するかもな。結構キツいな。なんでこんな日に海に出ちゃったかな」という恐怖と「大丈夫。オレならやれるぜ」というやる気が併存していて、そのときは五感が冴え、頭がフル回転している感覚があります。

 あとは大海原にひとりポツンと浮かんでいて、自分なんて木の葉のようなもんだな、このまま誰にも知られずこの世からいなくなってしまうかもしれない。でも、世の中や自然は何も変わらず日々動いていくんだろうなと考えると、寂しいような、でもやっぱり生きたいなという気持ちが身体の芯から湧き上がってきます。
 
 ぼくはどうもそういう場面でやっとやる気が出てくるようでして、そういうのってぼくだけなのかなあと周囲の人に訊いてみたりするんですが、みんな???みたいな反応なんですね。うーむ。まあ別に自分だけでもいいんだけど…
 こういう自分は、もしかして日常に満足していて、生存に関わるような状態じゃないのかもしれないなあと思います。もし日々生きるのに精一杯だったり、常に生死の境を意識する生活なら、わざわざサーフィンでそういう気持ちを体験しようなんて思わないかもしれません。





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SUPをめぐるゴタゴタについて、なんとなく考えてみる



 SUP多いですね。
 で、ぼくの地先の海でもちょっとゴタゴタがあったりするようです。
 まあだいたい新しいウォータースポーツが入ってくると、漁協とか既存のウォータースポーツをやっている人から、批判なりゴタゴタがあって、それを経て馴染んでいくというのは、よくあることです。
 20年以上もウォータースポーツをやっているとそんなのたくさん見てきましたから、またか!という感じでもあります。
 スキューバーダイビングも当初は漁協といろいろトラブルがありましたし、ウインドやシーカヤックもいろいろありました。
 SUPを取り巻く、主にサーファーからの批判というのも、まあよくあることだよなと思っています。
 ぼくはサーフィンをやります。ロングもショートも…
 で、シーカヤックもやります。
 なので、わりと引いた(多少は客観的な)立場でSUPを巡る議論を聞いています。どちらの言い分も理解できるような気がします。
 ぼくが初めてSUPをハワイで見た時に、やりたいと思わなかったんですね。
 これはすごく小さな波の時やテイクオフが体力的にツラくなってきたオジサンのやるものだなと思いました。
 そしてボードが大きいんで、ある時代にウインドサーフィンが置き場所に困ったり、取り回しが面倒で廃れたときと同様の経緯を辿るんじゃないかなー、少なくともあれだけ大きなボードをコントロールするには結構うまくならないと無理だし、波の大きいときはやれないだろうなと思いました。
 で、まあ有名な話ですが、そして多くのウォータースポーツをやる人がよそうしていたことですが、SUPとサーフィンの事故が起こりました。

 ぼくの周りでSUPを始める人というのは、サーフィンを経験していない人が多いです。というかウォータースポーツをやったことない人がSUPならやれるかも、ってな感じで始めています。
 でも、これって逆で、あれだけ大きなボードを使うんだから、まずサーフィンができないとマズいだろうと思うんですよね。
 ボードが大きいから、普通のサーファーよりも前で波が拾えるわけですが、少しでも波が大きかったり、ダンパー気味だと、波にヤラれちゃいますよね。下手すると、波に巻かれてボードが折れることもあるでしょう。
 なので、後ろで波待ちをしている、あるいはパドリングしているサーファーはそれのとばっちりを受ける可能性があります。
 だいたいサーフィンというのは波の取り方の優先順位や自分がルート上にいた場合の対応ルールがあって、それを知らないSUP乗りが同じ波のラインにいるのは、これはもうたいへんだろうな、揉めるだろうなと思いました。
 サーファーでさえときどき揉めるし、そうするとオレはロコだとかビジターがでかい顔するなとかイザコザがあるんです。
 それからサーファー同士でも事故ってあるんです。一番多いのは衝突事故です。
 だからサーファーはボードのコントロールができるようになるまで、手前のサーフブレークで練習したり、サーファーが少ない端の方で練習したりします。
 それからサーフィン上達本を読んだり、海況を判断できるようになるまで慎重に行動します。
 SUPから始めた人はたぶんそういうこと知らないんじゃないでしょうか?

 余談ですが、ぼくは最近あまりサーフィンをしないで、シーカヤックとスキューバーダイビングをすることが多くなりましたが、それはサーフィンのこのゴタゴタが面倒くさいのと、湘南あたりの波待ちで、もう渋滞というか人工密度が高い中で、たいして大きくもない波を取り合うのが馬鹿馬鹿しく感じたからでした。なんか平日仕事で周りに気をつかって、せっかくの休日に海で隣のサーファーに気を使うのって、ぜんぜんストレス解消にならないじゃんって思うからです。
 話を元に戻すと、SUPをやる方は、まずロングボードでいいから、サーフィンの練習をした方がいいと思います。少なくともボードのコントロールはできるようになった方がいいでしょう。
 波のない海を散歩したければシットオントップのシーカヤックの方が安全ですから、そちらをやったらいいと思います。で、サーファーのいないずっと沖の方で思う存分やってはどうでしょうか?

 ちなみぼくはSUPをやりたいと思いません。
 ロングボードで十分です。
 たまに長者ヶ崎の鼻でブーマー(ショアブレイク)が起きていて、乗りたいと思いますが、そういう時もSUPでなくてロングボードでパドリングしていきます。





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ウォータースポーツ雑誌の栄枯盛衰



 もともとカヌーやカヤック人口がそれほど多くないためか、カヌー・カヤック関係の雑誌も多くはありません。現在は舵社から『カヌーワールド』という雑誌のみが出ていいます。
 ちょっと前に、枻出版社から『カヌーライフ』という雑誌が出ていましたが、休刊になりました。この『カヌーライフ』というのもその前に同名の雑誌が出ていまして、それは創工社から出版されていました。おそらくたぶん日本で定期的にカヌー・カヤック雑誌が出たのは、この創工社の『カヌーライフ』が初めてではないでしょうか。それはだいたい2000年代前半のことでして、その頃日本におけるカヌーブームがあったのだと記憶しています。その後『カヌーライフ』は休刊になります。

 ウォータースポーツをわりと長くやっていると似たようなことを目にするもので、以前はサーフィン雑誌がそうでしたし、ダイビング雑紙もウインドサーフィン雑誌も似たようなことがあります。
 ぼくがサーフィンを始めたのは1990年代前半でした。その頃はサーフィンが今ほど流行っておらず、大きなブームが去った後の谷間のような時期でした。当時大学生だったぼくは、友達から「サーフィンなんかやってるんだ」「なんでサーフィンなんかやるの?」とよくいわれるくらいな感じでした。
 サーフィン雑誌も確か2誌くらいしかなかったんじゃないかと思います。
 一方その頃スキューバーダイビングも始めましたが、こちらは結構流行っていました。ちょうどブームが起きてそれが一段落しそうな頃だったんです。
 なので、スキューバーダイビング雑誌は、確か4、5誌くらいはあったんじゃないかなと思います。今では水中写真専門誌を含めても3誌です。あれ?あまり減ってませんね。すごく減った印象を持っていたんですが…

 まあ、だいたいそんな感じで、趣味の雑誌というのは、当たり前ですが、それを楽しむ人口に左右されるわけで、その人口って、結構流行に左右されるんですよね。
 ぼくは一度始めたことは、余程のことがないとやめませんが、こうして流行廃りと競技人口をザックリ見ていると、流行廃りで趣味を変えている人の層が一定数いるんだなということがわかります。
 ランニングブームやサイクリングブームを見れば、それはうなずけます。

 そして、そういう流行っているから「○○してみようかな?」という人は、一体どういう心理でそうなるのか、ぼくはそういうタイプじゃないんでよくわかりません。たとえば運動した方がいいと思うんだけど、何をしたらいいかよくわからなくて、たまたま友達に誘われたからやる、みたいな感じなんでしょうか?
 
 でも、そういう流行に左右されながら、雑誌を発行する雑誌社の人はたいへんでしょうね。まあ、もともと趣味の雑誌なんてそんなに儲からないでしょうし、雑誌の発行者や編集者自身がその趣味が好きで、趣味を続けながら食べていければいいやっていう感じなのでしょう。





















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冬の海遊びもまた楽し




 よくある会話で、ウォータースポーツをしない人に「冬でもスキューバダイビングやるんですかあ?」と訊かれることがあります。そうすると「それがやるんですよ。ぼくは海バカだから」と答えるという、とてもベタな会話です。
 そう、ウォータースポーツをやる人にとっては当たり前のことですが、冬でもセイリングもシーカヤックもスキューバダイビングもサーフィンもやります。
 だいたい大学の頃からウォータースポーツをやっていた人にとって、2月3月は春休みで、合宿で、一番練習する季節なんです。だから冬だろうがなんだろうが海に出ます。
 それが当たり前になっているような気がします。
 もちろん寒いです。
 寒いですけど、家でじっとしているよりも海に出た方が気分がスッキリするんですよね。
 相方などは冬でも嬉々として早起きして海に行くぼくを、宇宙人か何かのように見ていますが、だいたい結婚する前からそうだったじゃないかといいたいね。
 寒いですけどね、近年防寒ウェアや防寒グッズが進化しているので、そういう装備をきちんとすれば大丈夫です。もちろん寒いものはどうしたって寒いです。そういう装備を充実させても、決して夏のようになるわけではありません、もちろんですが…
 たとえばスキューバダイビングですと、ドライスーツというのがあります。これを着ると中に水が入ってこないんですね。そして、よくあるヒートなんちゃらとかいう服をインナーとして着ると、暖かいんです。もっと寒い時はフリースとか、山用のインナーをレイヤードすることもあります。頭はフードをかぶります。グローブも冬用の分厚いヤツがあります。
 服装や道具は確実に進歩していて、以前よりはずっと快適になっています。
 夏のダイビングのように快適ではないかもしれませんが、まあ楽しく潜れます。
 今どきはどこのダイビングサービスに行っても、施設内は暖房が効いてますし、風呂やシャワーもいつも温かいです。温泉掛け流しがウリのダイブサービスもあります。
 暖かい部屋で着替えて、海に潜って、温かいシャワーを浴びて、着替えて、暖かい部屋でコーヒーなどを飲むというのが、よくある冬のスキューバダイビングです。
 というような具合で、冬のウォータースポーツは、ふさわしい服装、ふさわしい道具、整った拠点があれば、それほどツライというものではありません。
 ただ、一方で海況が崩れそうなときは、安全側に振った判断をした方がいいです。
 寒いというだけで体力を消耗しますし、万一海の中でトラブルがあった場合、夏なら海面に浮かんで救助されるのを何時間か待てますが、冬だとそうはいかないでしょう。おそらく判断ミスから死に至る可能性は夏よりも冬の方が高いのではないでしょうか?
 そういう点を注意して冬の海遊びを楽しみましょう。





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90~95%の安全を計算して海に出る




 海遊びは危険なものです。
 ハハ、海遊びに限りませんね。山登りもボルダリングも危険です。
 ぼくにいわせれば、車の運転の方が危険だと思いますけどね。
 これまでン十年海遊びをしてきて、「今度は死ぬかな」と走馬燈が頭の中を回ったことがありましたが、なんとか今こうしてくだらないことを書いていられてシアワセです。
 で、海に出るときに初めから危険なことをしようと思って出るわけではないんです。
「そんなん当たり前だろう」と思われるかもしれません。
 そうなんです。海に出るときは十分安全を確認したつもりで海に出ているんです。
 というか、ぼくは海遊び仲間ではどちらかというと慎重な方でして、海に出る前にはおよそ2000の安全確認項目をすべて指差し確認している(ウソです)ほどです。
 というほどではないですが、安全確認のチェックリストを作っているのは本当です。もちろんそんなの頭の中に入っているので、チェックリストを見ながら確認したりはしません。
 それだけ安全確認しても海では危ない目に遭います。それは車でいえば、自分はすごく安全に配慮して運転していても、危険な運転をする車が追突してきたらどうしようもないのに似ています。
 海遊びの場合は、安全を見込んでも危険になる状況というのは、ぼくの経験では、一番が自然の状況です。海況の変化とか、自分が知らない特異な(その場所や時に限られた)自然の状況です。二番目は、人の側の不注意やアクシデントです。
 これもある程度事前に情報を集めることでほぼ回避できます。自然の変化も天候に関することであれば、天気予報・天気図、海況状況を確認することである程度予想できます。
 天候が崩れそうであれば、それがどれくらい危険なのかを評価し、海に出るのをやめるか、天気が崩れてもいい服装などの準備をしていきます。
 特異な海況というのは、たとえば八丈島にナズマドというダイブポイントがあります。ここは八丈島と八丈小島の海峡に面したポイントでして、潮汐の関係で強い流れになることがあります。こうしたことも事前に地元の人に聞いたり、ダイブショップにガイドをお願いしたりすることで、チェックすることができます。
 村上春樹さんが小説で書いていたように「世の中のたいていの情報は時間をかければ調べることができる」(表現は正確ではありません。だいたいそういう主旨の記述でした。)のです。
 それでもなお、ぼくらが予想できない自然の変化は起こりえます。
 それさえもぼくらが注意深く周囲の状況を観察していれば気づけることが多いように思えます。注意不足やわかったつもりで、自然の変化の兆候を見逃していることも多々あります。
 ですが、やはり100%安全を保障することはできません。
 感覚的には90~95%くらいまでは、なんとか安全度を高めることはできると思います。つまり100回に5回は安全ではない状況に遭遇するということです。
 ぼくの経験からいって、この95%という数字について考えてみますと、スキューバダイビングとシーカヤックでは少し状況が違いますので、まずスキューバダイビングについて考えてみることにします。
 100回というのは、1日だいたい2本潜りますから、50日分です。50日というとぼくの場合、だいたい1年から1年半くらいで潜る感じです。
 直近の50日を振り返ってみましょう。
 50日潜っていると、だいたい器材関係のトラブルが1回くらい起きます。それも自分の事前のチェックが甘い、不注意が原因のトラブルです。それも慣れからくる慢心が根っこにあります。
 ですが命に関わるほどシリアスではないことが多かったです。たまたまですが…
 たとえばレギュレーターのマウスピースがちぎれかけていたとか、ダイブライトが水没して点かなくなっていたとか、そんなようなことです。
 このトラブルを回避することは、理屈ではできます。おそらく設備や自動車のメンテと同じで、部品の耐用年数は製造者によって想定されているので、その年数に従って器材をメンテしていけばいいわけです。ただ実際そんな几帳面なことをぼくがやれるかというと、実際は難しいです。
 たとえば、BCやレギは年に一度はオーバーホールに出すとか(これはやっています)、HPホースの交換を何年かおきにやるとか、マウスピースやフィンのストラップやマスクのストラップ交換を何年かに1度やるとか、そういうことですが、わかってはいるものの、実際はダイビングに行ってみて、器材を着けてみて、「ありゃ。ちぎれかけているなあ」ということが多いのです。
 なので、理論上は限りなくゼロに近づけられますが、実際のダイビングではこの種のトラブルはあり得るということになります。
 それから身体面でのトラブルがあります。まあ、これも1~2回程度です。これは事前の準備運動などで軽減できますし、体調の悪いときは潜らなければいいので回避できます。
 足がつるとか耳抜きがしにくいとかそういうトラブルです。
 ぼくもだいぶ歳ですからこのトラブルの可能性は年々高まるでしょう。
 あとは自然状況についてのトラブルです。まあ、これも1~2回程度です。
 たとえば、直近であったことといえば、予想よりも潮の流れが強かったとか、すごく濁っていて、ツアーのメンバーがバラバラになりそうだったというようなことです。
 これもある程度は避けることができることもあり、避けられないこともあるといった感じでしょうか。
 ただし経験豊富になるにつれて、海況を読む力や予測する力やそういう状況に遭遇した場合の対処法などが身についているので、どちらかといえばこのリスクは減らせる方向にあります。
 ただ他のリスクとの違いはどうしてもゼロにはできないだろうということです。
 こうしてみると、安全を90~95%程度確保するというのは、まあ妥当なところだと思います。
 それでも残る5%程度のリスクを受け入れられるかどうかというのは、その人の感覚でしょう。
 ぼくの友人でとても心配性なヤツがいますが、彼はスキューバダイビングのCカードを取っただけで、その後ダイビングをやらなくなりました。その理由は危ないからだそうです。ちなみに彼は、ぼくが誘ってサーフィンもやりましたが、1回でやめてしまいました。
 最近会ったので休みの日に何をやっているかと訊いたら、家で映画やドラマのDVDを見ているそうです。
 なるほどですね。
 ぼくからすれば、リスクゼロの人生なんてありえないし、生きていないのも同然という気がするのですが、そんなのは人それぞれでしょう。





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自分の力だけで進むスポーツの魅力




 ランナーズハイという言葉がありますが、その感じよくわかります。

 サーフィン、スキューバーダイビング、セイリング、シーカヤックといくつかのウォータースポーツをしてきて、やはり自分の力でやるスポーツの方が性に合っているなと感じます。
 それに加えて、いつも違う自然の状況を判断しながら、自分の力の限界も見極めながら、頭を働かせてやるのもウォータースポーツの魅力です。

 特に、シーカヤックというのは、ひたすら同じ動作を繰り返すわけですが、ランナーズハイと同じような心理的状況になることがあります。
 一漕ぎ一漕ぎを意識して、それをずっと繰り返す、その行動が、無心になるというか頭がボーッとしてくる感じに繋がっていると感じます。
 一日に何時間も単調なパドリングを繰り返していると、だんだん自分がどこにいるのか、どのくらい疲れているのかわからなくなったりします。
 この不思議な感覚は一体なんなんでしょう。

 ジョギングやサイクリングですと、信号があったり、車が走っていたり、段差があったりで、その都度、意識が判断を迫られるわけですが、シーカヤックだと、そういう細かな情報がないので、より速く無心に近づくことができます。

 ときどきシーカヤックって面白いのかな?とあからさまに冷静に考えることがあるんですが、休日ごとに暇があれば、海へ出てパドリングしているのを、十数年も続けているんですから、面白いんだと思います。
 じゃあ何が面白いのか?

 ひとつは、広い海を進んでいく爽快感です。これは船に乗っていても感じられるんですが、シーカヤックはより目線が海に近いのがよろしいですね。

 ふたつめは、海況や気象を見ながら、自分のスキルの範囲で遊んで無事帰ってくるという判断力を求められるところです。自分の命がかかっていますから、真剣に適切な判断をしようとしますし、判断をするために取り乱さないような精神力を養うことができます。無事帰ってくることができたときは達成感があります。

 みっつめは、自分の力で進むことでしょう。エンジンがついている、たとえばクルーザーとか車などだと、自分がすごい力を身につけたように錯覚してしまい、調子にのってしまいます。尊大になってしまうと思うんです。よくいるでしょう、高速道路で速い車に乗って前の車を煽っている人が…あれって別にその人がすごいんじゃなくて車がすごいんですよね。前の車を煽っている人というのはたぶんそのことを自覚していないんじゃないかな?と思います。あるいは本当に急ぎの用があるかもしれませんけど…
 自分の力で進むスポーツ、それはたとえばジョギングだったり登山だったりシーカヤックだったりいろいろあるわけですけど、そこは自分の力がすべてなわけです。
 シーカヤックの場合、パドリングだけで進むわけで、自分の体力と相談しながら、状況を判断するわけですね。でも、一方で自分の体力だけキチンと把握していれば、必ず目的地へ到達できるわけです。このところが素晴らしいですね。
 これがたとえば車なんかだと、機会の調子がどこか悪くなってしまうと、そこから先に進めないわけですもんね。もしかしたら修理できるかもしれませんけど、今のテクノロジーの塊のような車を修理するのって、一般の乗り手にとってかなり難しいと思います。

 こんな面白さがあるから、ぼくは休みがあると、いそいそと海に出ていくのでしょう。




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ウォータースポーツで危ない目に遭う度に自分の存在意義を考えるワタクシ




 この前数えたら、ぼくは海遊びを20年以上続けて来たんですね。大学生の頃からですから…あっという間にオジサンになっちゃいましたけど…
 で、数々の危ない目に遭ってきました。
 その度になんとか助かって、今こうして文章を書けているわけです。

 サーフィン、スキューバーダイビング、シーカヤック、セイリング、もちろんそれぞれにそれなりに危ないことがあって、それをなんとかしてきました。

 いつからか、そうした危ない状況-つまり自分の判断が間違うと自分が死んでしまう状況-に遭遇すると、「あっ、またやっちゃったな」とその危険度が直感的にわかるようになりました。

 もちろん事前に慎重に状況判断して、危なくなくすることが大前提ですし、基本的にそうしようといつも心掛けています。

 危ない状況だと判断すると、自分の中のモードが「緊急事態モード」に切り替わります。

 切り替わってからは、死なないことだけを最優先して行動するようになります。それは一例を挙げれば、ダイビング器材は最悪捨ててしまおうとか、よくわからない場所だけど、とにかく陸地にたどり着こうとか、そういうことです。平常時であれば余裕を持って海から上がって、要領よく片付けて、早くビールを飲もうということを予定していますが、そういう予定や計画など選択肢として捨ててしまうのです。
 これは書いてしまうと簡単なのですが、実際できるようになるのは、わりと高いハードルです。
 今だって毎回躊躇します。
 1台数十万円するシーカヤックを捨ててしまって、泳いで陸までたどり着いて、濡れた服でどうやって家に帰ろうなどと考えると判断が鈍ります。その度に自分が死なないことだけを考えようといいきかせます。

 そして海の状況(波、うねり、透明度、透視度、潮の流れ、干満のタイミングなど)、風(風速、風向)、天気(雨か晴れか雷の虞はないか)、自分の体力、自分の器材の状況(故障してないか、壊れてないか、スキューバーダイビングなら残圧があるか)、自分のいる位置(陸地まで何マイルか)などなどの情報が頭の中で駆け巡ります。
 そしてこれまでの経験も考慮して、自分が死なない最善の手順が頭の中にできあがります。
 この手順を判断するまでが、おそらくぼくが生きているうちで、一番頭が働いている時間だと思います。
 パニックになりそうな自分を抑えながら、努めて冷静に速く適切な判断をするのです。

 ここまでは、おそらく自然を相手に少し危険なスポーツをする方には共感いただけるのではないかと思います。

 さて、手順ができあがるまでは、昔も今も同じです。違っているのは行動部分なんですね。
 昔はすぐに行動していました。
 それが最近は手順ができた後で、ふと考えるんです。
「自分は本当に生きなくてはならないのだろうか?」と…
「死んでも別に構わないんじゃないか?」と…
「歳をとったオジサンなどいない方が世の中のためではないか?」と…
 ぼくが悩んでいるとか自殺願望があるとかそういうことではないです。

 おそらく、たぶん、なんとなく、自分が世の中でやらなければいけないことはたいていやってしまったんじゃないか?という気持ちがどこかにあるんじゃないんでしょうか。
「自分は本当に生きなくてはならないのだろうか?」という問いの後に、家族がいる、子供の教育費が…、仕事でもやりかけのことがある、キレイなオネエサンと仲良くなりたい(ウソです)などといった現実的な自分が必要とされる状況を思い浮かべて、「やはり自分は生きて還らなければならない」と判断し、行動し始めるのです。
 以前は生きて還ることは、無条件に本能的に善でした。やらなければならないことでした。考えるまでもないことでした。
 それがいつからか、本当にそうなのか?考えるようになったんです。

 こうした心持ちの変化がいいことなのか、悪いことなのか、またはもう自分は棺桶に片足突っ込んでいるのか、もう欲がなくなっているのか、そのあたりはよくわかりません。
 自分の心持ちの変化があったのは事実なんですけど…





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