海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
なんでもやれる自由さがウォータースポーツのよさ
長年海遊びをしているせいか、年下の人から質問されることがあります。助言を求められているといってもいいかもしれません。
いえ、もしかしたら会話をしないといけないと思って、間を埋めるためにむりやり質問を考えているのかもしれません。
ぼくはかなり大雑把でテキトーなタイプですから、ウォータースポーツをするときもあまりこだわりとかありません。
「楽しく、他人に迷惑をかけず、生きて帰ってくる」ということ以外に気にしていることはありません。もう少しいうと、それ以外は自由だからこそ、ぼくはウォータースポーツが好きなんだと思います。
よくある質問のひとつが道具に関することです。いろいろなバリエーションがありますが、たとえばスキューバーダイビングのBCとかフィンについては「今度BC(フィン)を買おうと思っているが、どのBC(フィン)がいいのか?」という質問をされることがあります。
これは「自分が好きなのをテキトーに選んでください」というのがぼくの答えです。
今、ダイビングショップに行って店頭に並んでいるフツーの値段のフツーの物を買えば、まあだいたい大丈夫だと思うからです。あとはやっているうちに自分に合った物がわかるんじゃない?ってのがぼくの考えです。
次によくある質問が、ウォータースポーツのテクニックに関することです。これもいろいろなバリエーションがあります。イメージが湧きやすいように例を挙げますと、「スキューバーダイビングで中性浮力をうまくとるには、どうすればいいのか?」と質問されることがあります。
これも「何回も潜っているうちにうまくなるんじゃないでしょうか」というのがぼくの答えです。
質問されることに対するぼくの答えは、だいたいこんな感じです。そうすると質問する人は少し不満そうな表情になります。おそらくもっと丁寧で、こだわりとうんちくが含まれた答えを期待していたんでしょう。あるいは、手順が明確で、それぞれの手順ごとにやることや注意点がハッキリしていた方が、やりやすいと思ったかもしれません。
ぼくの答えは、前近代的な「経験すればなんとかなる」というものだから、現代にフィットしないのかなあ、などと思ったりします。
ただ、ぼく自身、これまでウォータースポーツを始めるときに、教えてもらったのはスキューバーダイビングだけでして、これもCカードを取らなければならないから、しょうがなく習ったのです。あとはすべて見よう見まねです。
海遊びは自分が楽しければいいんで、楽しければそれが本式のやり方と違っていたっていいじゃん、って思うんです。やりたいことをやっているうちに、もしかしたら新しい遊びが生まれるかもしれません。道具を使ってみて使いにくけりゃ自分で作ればいいし、そうすると画期的な道具が生まれるかもしれません。
伝統を踏襲することも、人間社会の大切な要素だと思いますが、伝統とか既存の在り方を無視して、やりたいことをやるのも大切な要素だと思うんです。ぼくにとってウォータースポーツはそれができる分野だから、自分のやりたいようにやることを大切にしたいなあと思う今日この頃です。

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リスクゼロ?
海遊び、最近はスキューバーダイビングとシーカヤックをすることが多いです。
ぼくにとって海遊びのおもしろさは、自分ではどうしようもない状況の中で、なんとかする、どうにか生き延びることにあります。そしてその状況は刻々と変わります。
そうしたことを観察し、判断し、対応する、そしてその結果無事帰ってくることができる、そのことが自分自身の判断や行動の正しさの証明になります。
たとえば海況が急に変化して荒れそうなときがあります。経験的にはこうした海況がすぐに好転する可能性は低いことがわかっているんです。でも目の前の状況は、まだそれほど深刻にはなっていません。そんなとき、まだ大丈夫じゃないか、まだまだ行けるんじゃないか、今その判断をするのは性急なんじゃないかと迷ったりすることがあります。でも、もし海況がさらに悪くなるとしたら、今がその判断のとき…
そんな状況では、自分との闘いです。判断のミスは自分の命に関わってくるのです。そういうシビアさがとわかりやすさがぼくは好きなんだと思います。
これが組織の場合、誰の力がどう働いてどんな結果が出たのかわかりにくい状況が多いと思うんですが、それに比べて、全部自分の判断、自分の力、自分の責任です。
友人にそのことを話してもたいてい「わかんない」といいます。海好きな友人に話せばわかってもらえます。登山好きな友人に話してもわかってもらえます。そのあたりのことがわかるかどうかは、ぼくが人を見るときのひとつの尺度になっています。
「わかんない」という人は、なぜわざわざ自分から進んで危険があるとわかっているところへ出ていくのかわからないといいます。別にそんなことしなくても、砂浜で遊んでいればいいし、海の見えるレストランでおいしいものを食べてもいいし、映画を見てもいいし、ショッピングをしてもいいじゃないかと…わざわざ危ないとわかっていることをするなと…
確かにね。ごもっともですね。
それに対するぼくの考えは、こうです。
まず、海遊びの楽しさというのはやってみるとわかるものです。そしてスキューバーダイビングやシーカヤックをはじめとする海遊びの楽しさは、その危険を見込んでも十分やるに値します。
それから、すべてを自分で判断し行動し結果が出るという全体をコントロールしている実感は、なかなか日常生活にはないんです。それを体験することが、自分を取り戻すいい機会になっています。それは誰かが与えてくれる娯楽では味わえません。
最後に、ぼくからすれば、暮らしの中で危険がないことなんてないと思えます。車でドライブするのも交通事故の可能性がありますし、事故の確率でいえば、スキューバーダイビングで死ぬのと車の運転で自分や誰かを死なせる確率は、たぶん後者の方が高いんではないかと思います。人々はリスクがあるからといって車の運転をやめたりはしません。
それから映画を見るのも、ショッピングをするのも、火事や地震やテロや流行の病気への感染や頭のおかしな人いきなり襲われるといったような危険があります。それは確率が低そうですが、自分が何かをコントロールしようとしていない分、ぼくにとっては怖いです。不意打ちされるような怖さがあります。極端な例を出すと、ぼくにとっては荒れた海に出るよりも、池袋の町を歩く方が怖いです。
だいたい安全で安定した人生なんて、どこにも存在しないでしょう。
海遊びをするうちにできる友達
ウォータースポーツを長年やっていると、なんとなく海遊び友達ができます。
最初はちょっと顔を合わせるだけだったのが、だんだん話すようになり、予定を合わせて一緒に海に行くようになり、飲みに行くようになり、泊まりがけで海旅に出たりします。
ぼくなんかは基本的に独りで、行きたいところに行きたくなったら行くわけです。友達がいないと寂しいし、独りだとなんかぁつまんないしー、少しこわいしー、アッコも一緒に行こうよー、なんてことは0.001マイクロシーベルトほども思ったことはないし、どちらかというと他人に気を遣うよりは独りで自由にやりたいとさえ思っている人種ですが、それでもだんだん海友達というのはできてきます。
無理して付き合っているわけではないので、海友達になるということは、お互いにどこか気が合うというか惹かれ合うところがあるのでしょう。そんな風になんとなく時間を経て海友達になった人と一緒にいると楽しいし、気持ちが休まります。
お互いに海遊びではそれなりに海千山千だったりするので、変にベタベタしないところもいいです。
また、お互いにウォータースポーツの経験があるため、状況によって、次に何をしなければいけないのか、相手が何を考えているのか、目線で伝わることもありますし、たとえ言葉を発する場合でも、一言二言で伝わって、めんどくさくないところもいいわけです。
端から見れば、男同士がほとんど会話もなく、黙々と海に出ているわけで、仲が悪いのか、何かケンカでもしたのかと思われるかもしれません。
ウォータースポーツで怖いという感情と向き合う。その先にあるのは…
ぼくはサーフィンとスキューバーダイビングを25年くらい続けていることになります。シーカヤックは20年くらいになります。あぁだいぶ歳をとってしまいました。
それはおいといて、どのウォータースポーツにもいえることがあるなあと思います。
それは最初の1、2年は楽しくてハマるワケですが、いろいろな経験を積むと怖さがわかってくるということ…
そうなんです。おそらく他のいろいろなことにも当てはまるかもしれませんが、いろいろなことがわかってくると怖さを知るようになります。
たとえばスキューバーダイビングを例に見てみましょう。
スキューバーダイビングを始めた1、2年は楽しくて仕方がありませんでした。
何年かすると、器材トラブルとか、すごい潮の流れとか、残圧がなくなりかけるとか、海況が急変するとか、そういう経験をして、周囲の状況がよく見渡せるようになって、怖さを知るようになります。
あるいは同じチームでトラブルを起こした人のことを見聞きしたりして、経験や知識のデータベースが増えてくると、これまでなんとも思っていなかったことが危険の因子を含んでいるような気がしてきます。
こういう状況だとこういう危険性がありうるという連想が働きやすくなるのでしょうか。
ぼくは根が楽天的で、リスク選好タイプなので、怖さを知ってもスキューバーダイビングをやめようとは思いませんでした。少し慎重に行動するようになって、ちょうどよかったかもしれません。それにこれまでも似たようなことがあったので、何でも長く続けているとあるとき怖さを知るようになるということはわかっていました。
だから怖さを踏まえて続けているうちに、自分のペースや限界が理解できて、本当にヤバいリミットが見えてくるだろうと思っていました。
経験のすごいところは、こうした共通したパターンは他のことにも適用可能で、役立つんですよね。
ぼくの場合、楽しくなって、怖さを知って、それでも続けていると、怖さと向き合うようになります。怖さと向き合うというのは、具体的にいうと、自分はどの程度のどういう状況が怖いと感じるのか、それは実際の危険度と比べて敏感なのか鈍感なのかを見つめるということです。それってやっていることは自分の感情を客観的に見るということです。
その先にあるのは、自分の感情に流されないということです。怖いと感じても、慌てたり、動転したり、すぐに行動したりしないで、一旦自分の怖さと客観的状況を比較して評価して、それから最適な判断をするということです。
海遊びでこのプロセスを繰り返しているうちに、ぼくは感情を客観的に見る癖がついてきたような気がします。
喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回りたい
喜望峰とホーン岬。
セイラーにとっては難所とされている場所です。ホーン岬を回ったセイラーは「ケープホーナー」と呼ばれ賞賛され、尊敬されるようです。
そこをシーカヤックで回るエクスペディションツアーはいろいろあって、いつかやってみたいと思い続けていました。
シーカヤックでホーン岬を回った日本人は、新谷暁生さんという方がいて、その様子はホームページでも見ることができます。
それを読むとなんだか身体がムズムズしてきて、すぐにでも航空券を予約してしまいたくなってしまいます。
ぼくは大航海時代とかアメリカの西部開拓時代の本を読むのが好きなんですが、何が好きかというと、それらの時代は、未開拓の場所があって、冒険という行為があって、それに挑戦する人達がいるというところです。別にそんな危険を冒さなくても生活はできるのに、敢えて挑戦するというところに魅力を感じます。身体がムズムズしてきます。
そして目標を成し遂げるために、頭を使って、綿密に計画を立て、できる工夫は何でもするというところが好きです。なんというか合理的に考えればやめとこうと結論がでることを敢えてやる、そこが人間らしくていいなあと思ってしまいます。
もしAIが発達して、コンピューターが合理的な選択肢を提示することができたとしても、冒険のような選択肢は提示できないんではないかと想像します。そういうのって人間らしいんではないかなーっと。わかんないけど…
ぼくは小心な人間でそこまで大がかりな冒険はできませんが、でも憧れていて、いつかはやってみたいと思うんです。それが喜望峰とホーン岬をシーカヤックで回ることなんですが、別に他のことでもいいような気はしてます。
どんなアウトドアスポーツにも難所とか憧れと呼ばれる場所があって、登山だとアンナプルナとか、サーフィンだとノースショアがそうですね。
ぼくはそういう場所をクリアしてみたいんだと思います。
なぜだろう?
わかりません。 人生は謎だらけ…
これまで公開したチェックリストをまとめてみました
自分がウォータースポーツとか海遊びに使うために備忘的な意味で(いやー、最近物忘れが激しくてねー)チェックリストを作っているんですが、それが他の方にも多少は役に立つかも、と思って公開してきました。
いくつかあるので、今回はそれをまとめてみたいと思います。
→スキューバーダイビング持ち物リスト
→潜水前 ダイビング器材安全チェックリスト
→スキューバーダイビング器材安全チェックリスト
→海水浴に持っていくものチェックリスト
→海遊びの時のファーストエイドキットチェックリスト

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沖出しの風とウォータースポーツ
沖出しの風というのがあります。別な言葉でいえば、オフショアの風。陸から沖に吹く風のことです。赤出汁とか昆布出汁とかだとおいしそうですが、ウォータースポーツをする者にとっては、あんまりいい言葉ではありません。地方によっては、「だし」とか「陸風」といわれたりします。
陸から沖に吹く風というわけで、風向は海岸の向きによって違います。たとえば東伊豆と西伊豆では単純にいえば沖出しの風は逆向きになるはずです。ただ、実際の海岸線は西伊豆であっても南に向いていたり北に向いていたりするので、単純にはいえません。
この沖出しの風、漁師さんや船乗りにとっては要注意の風といわれています。一方サーファーにとっては、オンショアよりはマシな風と受けとめられていると思います。セイラーにとっても風が強すぎなければ、いい風でしょう。
理由は、船乗りにとって沖出しの風は、外洋に流されていく可能性のある風なので要注意というわけです。サーファーにとっては、オンショアだと波の頭が潰れて乗りにくくなるんですが、オフショアだと波が掘れて乗りやすくなるためです。ただそれは波がある程度以上高いことが前提なわけですが…そしてセイラーにとっては、風がないのが一番ツラいわけで、だったら沖出しの風の方がいいとなるわけです。
具体的には沖出しの風って、どのようなものなのでしょうか?
ぼくは関東の三浦半島の西岸に住んでいますが、北東の風が吹く日があります。そういう日が沖出しの風です。冬とか春先とかに多く見られます。
一方、夏の終わりから秋にかけては西風が吹きますが、これはぼくの住んでいるエリアだとオンショアの風になります。
沖出しの風は、気象条件ももちろんですが、それと合わせて地形の影響が大きいと思います。たとえば逗子から佐島あたりを例にすると、このエリアは大楠山やその他小さな山が続いています。ただ、連峰になっているわけではなくて、それぞれが別の山です。そうすると山と山の間に谷間ができるわけですが、この谷間で沖出しの風が強く吹きます。
地名でいうと逗子湾は、陸に向かって左側に大崎があり、披露山があります。右側に桜山があります。その谷間の逗子の町は狭い平野になっているわけですが、ここを風が通ります。それが北寄りの風であれば沖出しの風になります。逗子湾は大きくえぐれた湾ですから、湾内は風が吹いても波が入ってこず、穏やかです。この地でヨットが盛んになったのはこうした地形的な理由があるんじゃないかなあと想像します。いやたぶんそうです。わかんないけど…
葉山に大浜という浜があります。御用邸の南側の砂浜です。ここは陸に向かって左側が三ヶ岡山、右側が長者ヶ崎で、その内陸は、湘南国際村のある大楠山があるんですが、この大楠山が大浜の背後で標高が低く、少し谷間になっています。この谷間を風が抜けるので大浜も沖出しの風が強く吹きます。北東の風が吹いているときは要注意です。
佐島方面からやって来て、長者ヶ崎を越えたら急に風が強く吹いていた、なんてことがあったりします。
佐島方面からやって来て、長者ヶ崎を越えたら急に風が強く吹いていた、なんてことがあったりします。
佐島の先の小和田湾も大きくえぐれた湾ですが、ここもちょうど山の谷間になっています。なので風は吹きますが、湾の懐が深いので、海は穏やかです。やはりセイリングに適した土地といえるでしょう。
大ざっぱにいうと(ぼくは大ざっぱにいうのが大好きです。うふふ)風向きに対して、風上に山があれば風が遮られますが、山がなければ風が吹きます。山と山の谷間だと、風が集中してそこを通るので強く吹きます。船で航行するとき、地形を見れば、風が抜けそうかどうか、ある程度の心積もりはできます。
三浦半島西岸で沖出しの風がやっかいなのは、北東の風で、それがたいてい冬から春の気圧配置の不安定な時期に吹くわけで、ときに突風といってもいいほど強く吹きます。
というわけで、ウォータースポーツをやる方は、その日の潮回りとか、気圧配置とか、風向とか、波高とかをチェックして海に出ると思いますが、だいたいの風向がわかったところで、こんどはその土地ごとの地形をイメージして、このあたりは風が強そうだと予想しながらその日の計画を立てるのがいいのではないかと思います。

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なんだか「ゾワゾワ」するんです。ウォータースポーツしているとき…
宮田珠己さんの本を読んでいると、ときどき「身体の中から、うりゃうりゃした気持ちがこみ上げる」という表現があります。特にジェットコースターに乗りまくったことを書いた本(『ジェットコースターにもほどがある』)にはよくその表現がでますので、たぶんあの気持ちかなーという推測はできます。
ぼくも宮田さんと同じかわかりませんが、「うりゃうりゃ」した気持ちがこみ上げるシーンがいくつかあって、ひとつはサーフィンで(ぼくとしては)ワリと大きな波に乗れたときです。
もうひとつはシーカヤックで(ぼくとしては)ワリと荒れた海を無事に航海できたときです。
ぼくの「うりゃうりゃ」は腹の底の方からこみ上げるワクワク感というかソワソワ感でして、どちらかというと「ゾワゾワ」といった方が自分としてはしっくり来るような感覚で、ジェットコースターに乗ったときにも感じます。それからプールの飛び込み台から飛び込むときにも感じます。
そしてこの「ゾワゾワ」は、海でちょっとピンチな時に感じるようなのです。いわゆる武者震いのようなものなのでしょうか?
すごく大きな波が来て、「うまく乗れるかな、ヤラれちゃうかな?」という恐怖感と「やってやるぜ!」というやる気が併存しています。そしてその恐怖感を乗り越えてうまく波に乗れると、自分がヒーローにでもなったかのような高揚感があります。
シーカヤックで荒れた海を漕ぎきったときも、「ああすごいうねりだな。沈するかもな。結構キツいな。なんでこんな日に海に出ちゃったかな」という恐怖と「大丈夫。オレならやれるぜ」というやる気が併存していて、そのときは五感が冴え、頭がフル回転している感覚があります。
あとは大海原にひとりポツンと浮かんでいて、自分なんて木の葉のようなもんだな、このまま誰にも知られずこの世からいなくなってしまうかもしれない。でも、世の中や自然は何も変わらず日々動いていくんだろうなと考えると、寂しいような、でもやっぱり生きたいなという気持ちが身体の芯から湧き上がってきます。
あとは大海原にひとりポツンと浮かんでいて、自分なんて木の葉のようなもんだな、このまま誰にも知られずこの世からいなくなってしまうかもしれない。でも、世の中や自然は何も変わらず日々動いていくんだろうなと考えると、寂しいような、でもやっぱり生きたいなという気持ちが身体の芯から湧き上がってきます。
ぼくはどうもそういう場面でやっとやる気が出てくるようでして、そういうのってぼくだけなのかなあと周囲の人に訊いてみたりするんですが、みんな???みたいな反応なんですね。うーむ。まあ別に自分だけでもいいんだけど…
こういう自分は、もしかして日常に満足していて、生存に関わるような状態じゃないのかもしれないなあと思います。もし日々生きるのに精一杯だったり、常に生死の境を意識する生活なら、わざわざサーフィンでそういう気持ちを体験しようなんて思わないかもしれません。
SUPをめぐるゴタゴタについて、なんとなく考えてみる
SUP多いですね。
で、ぼくの地先の海でもちょっとゴタゴタがあったりするようです。
まあだいたい新しいウォータースポーツが入ってくると、漁協とか既存のウォータースポーツをやっている人から、批判なりゴタゴタがあって、それを経て馴染んでいくというのは、よくあることです。
20年以上もウォータースポーツをやっているとそんなのたくさん見てきましたから、またか!という感じでもあります。
20年以上もウォータースポーツをやっているとそんなのたくさん見てきましたから、またか!という感じでもあります。
スキューバーダイビングも当初は漁協といろいろトラブルがありましたし、ウインドやシーカヤックもいろいろありました。
SUPを取り巻く、主にサーファーからの批判というのも、まあよくあることだよなと思っています。
ぼくはサーフィンをやります。ロングもショートも…
で、シーカヤックもやります。
なので、わりと引いた(多少は客観的な)立場でSUPを巡る議論を聞いています。どちらの言い分も理解できるような気がします。
ぼくが初めてSUPをハワイで見た時に、やりたいと思わなかったんですね。
これはすごく小さな波の時やテイクオフが体力的にツラくなってきたオジサンのやるものだなと思いました。
そしてボードが大きいんで、ある時代にウインドサーフィンが置き場所に困ったり、取り回しが面倒で廃れたときと同様の経緯を辿るんじゃないかなー、少なくともあれだけ大きなボードをコントロールするには結構うまくならないと無理だし、波の大きいときはやれないだろうなと思いました。
で、まあ有名な話ですが、そして多くのウォータースポーツをやる人がよそうしていたことですが、SUPとサーフィンの事故が起こりました。
ぼくの周りでSUPを始める人というのは、サーフィンを経験していない人が多いです。というかウォータースポーツをやったことない人がSUPならやれるかも、ってな感じで始めています。
でも、これって逆で、あれだけ大きなボードを使うんだから、まずサーフィンができないとマズいだろうと思うんですよね。
ボードが大きいから、普通のサーファーよりも前で波が拾えるわけですが、少しでも波が大きかったり、ダンパー気味だと、波にヤラれちゃいますよね。下手すると、波に巻かれてボードが折れることもあるでしょう。
なので、後ろで波待ちをしている、あるいはパドリングしているサーファーはそれのとばっちりを受ける可能性があります。
だいたいサーフィンというのは波の取り方の優先順位や自分がルート上にいた場合の対応ルールがあって、それを知らないSUP乗りが同じ波のラインにいるのは、これはもうたいへんだろうな、揉めるだろうなと思いました。
サーファーでさえときどき揉めるし、そうするとオレはロコだとかビジターがでかい顔するなとかイザコザがあるんです。
それからサーファー同士でも事故ってあるんです。一番多いのは衝突事故です。
だからサーファーはボードのコントロールができるようになるまで、手前のサーフブレークで練習したり、サーファーが少ない端の方で練習したりします。
それからサーフィン上達本を読んだり、海況を判断できるようになるまで慎重に行動します。
SUPから始めた人はたぶんそういうこと知らないんじゃないでしょうか?
余談ですが、ぼくは最近あまりサーフィンをしないで、シーカヤックとスキューバーダイビングをすることが多くなりましたが、それはサーフィンのこのゴタゴタが面倒くさいのと、湘南あたりの波待ちで、もう渋滞というか人工密度が高い中で、たいして大きくもない波を取り合うのが馬鹿馬鹿しく感じたからでした。なんか平日仕事で周りに気をつかって、せっかくの休日に海で隣のサーファーに気を使うのって、ぜんぜんストレス解消にならないじゃんって思うからです。
だからサーファーはボードのコントロールができるようになるまで、手前のサーフブレークで練習したり、サーファーが少ない端の方で練習したりします。
それからサーフィン上達本を読んだり、海況を判断できるようになるまで慎重に行動します。
SUPから始めた人はたぶんそういうこと知らないんじゃないでしょうか?
余談ですが、ぼくは最近あまりサーフィンをしないで、シーカヤックとスキューバーダイビングをすることが多くなりましたが、それはサーフィンのこのゴタゴタが面倒くさいのと、湘南あたりの波待ちで、もう渋滞というか人工密度が高い中で、たいして大きくもない波を取り合うのが馬鹿馬鹿しく感じたからでした。なんか平日仕事で周りに気をつかって、せっかくの休日に海で隣のサーファーに気を使うのって、ぜんぜんストレス解消にならないじゃんって思うからです。
話を元に戻すと、SUPをやる方は、まずロングボードでいいから、サーフィンの練習をした方がいいと思います。少なくともボードのコントロールはできるようになった方がいいでしょう。
波のない海を散歩したければシットオントップのシーカヤックの方が安全ですから、そちらをやったらいいと思います。で、サーファーのいないずっと沖の方で思う存分やってはどうでしょうか?
ちなみぼくはSUPをやりたいと思いません。
ロングボードで十分です。
たまに長者ヶ崎の鼻でブーマー(ショアブレイク)が起きていて、乗りたいと思いますが、そういう時もSUPでなくてロングボードでパドリングしていきます。

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ちなみぼくはSUPをやりたいと思いません。
ロングボードで十分です。
たまに長者ヶ崎の鼻でブーマー(ショアブレイク)が起きていて、乗りたいと思いますが、そういう時もSUPでなくてロングボードでパドリングしていきます。
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ウォータースポーツ雑誌の栄枯盛衰
もともとカヌーやカヤック人口がそれほど多くないためか、カヌー・カヤック関係の雑誌も多くはありません。現在は舵社から『カヌーワールド』という雑誌のみが出ていいます。
ちょっと前に、枻出版社から『カヌーライフ』という雑誌が出ていましたが、休刊になりました。この『カヌーライフ』というのもその前に同名の雑誌が出ていまして、それは創工社から出版されていました。おそらくたぶん日本で定期的にカヌー・カヤック雑誌が出たのは、この創工社の『カヌーライフ』が初めてではないでしょうか。それはだいたい2000年代前半のことでして、その頃日本におけるカヌーブームがあったのだと記憶しています。その後『カヌーライフ』は休刊になります。
ウォータースポーツをわりと長くやっていると似たようなことを目にするもので、以前はサーフィン雑誌がそうでしたし、ダイビング雑紙もウインドサーフィン雑誌も似たようなことがあります。
ぼくがサーフィンを始めたのは1990年代前半でした。その頃はサーフィンが今ほど流行っておらず、大きなブームが去った後の谷間のような時期でした。当時大学生だったぼくは、友達から「サーフィンなんかやってるんだ」「なんでサーフィンなんかやるの?」とよくいわれるくらいな感じでした。
サーフィン雑誌も確か2誌くらいしかなかったんじゃないかと思います。
一方その頃スキューバーダイビングも始めましたが、こちらは結構流行っていました。ちょうどブームが起きてそれが一段落しそうな頃だったんです。
なので、スキューバーダイビング雑誌は、確か4、5誌くらいはあったんじゃないかなと思います。今では水中写真専門誌を含めても3誌です。あれ?あまり減ってませんね。すごく減った印象を持っていたんですが…
まあ、だいたいそんな感じで、趣味の雑誌というのは、当たり前ですが、それを楽しむ人口に左右されるわけで、その人口って、結構流行に左右されるんですよね。
ぼくは一度始めたことは、余程のことがないとやめませんが、こうして流行廃りと競技人口をザックリ見ていると、流行廃りで趣味を変えている人の層が一定数いるんだなということがわかります。
ランニングブームやサイクリングブームを見れば、それはうなずけます。
そして、そういう流行っているから「○○してみようかな?」という人は、一体どういう心理でそうなるのか、ぼくはそういうタイプじゃないんでよくわかりません。たとえば運動した方がいいと思うんだけど、何をしたらいいかよくわからなくて、たまたま友達に誘われたからやる、みたいな感じなんでしょうか?
でも、そういう流行に左右されながら、雑誌を発行する雑誌社の人はたいへんでしょうね。まあ、もともと趣味の雑誌なんてそんなに儲からないでしょうし、雑誌の発行者や編集者自身がその趣味が好きで、趣味を続けながら食べていければいいやっていう感じなのでしょう。
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