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枯れる草花の美しさしたたかさ



 相方が花が好きで、ぼくもだんだん興味を持つようになりました。
 知識はぜんぜんありませんが、鉢植えを買ったり、庭に木や花を植えたりしています。
 うちは海辺で潮風があたりますし、夏は陽射しが強いので、そんな環境に合う植物と合わない植物があっておもしろいなあと思います。
 冬になるといつも思うんですが、草花や木々はなぜ枯れるんでしょうか?
 一旦は枯れて、次の年にまた花咲く多年草もありますが、1年だけで枯れてしまう草花もあります。木々も生きてはいても、冬の間、葉を落とす種類があります。
 それってなぜなんだろうと…
 ダーウィン的な種の保存からいえば、いつも元気で花を咲かせ、実をつけ、種を出した方が、その草花としてはいいんではないかと考えるんですが、割りと多くの草花が枯れます。夏と冬ではそんなに太陽のパワーが違うんでしょうか?
 これは植物学的な面から考えればいろいろ答えがあると思うんですが、人から見た人生訓としての面から考えてみるとおもしろいなあと思うんです。
 人も生まれて死ぬので、それはわかります。生命というのはそういうものです。ぼくが勝手に想像しているだけですが、物質は消耗したり劣化したりするので、永遠ということはありえないのでしょう。また、種としては、代替わりをすることで、変化に適応しやすくしているのでしょう。
 そして同じ人の一生でも盛りの時期と耐える時期があるのかなあと思ったりします。花を咲かせ、実を結ぶ時期と、耐えて、生き抜くことに集中する時期があるのでしょう。
 庭の枯れた花を見ると、美しいなと感じ、そしてなんだか勇気づけられるのです。






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生き延びるために、なんとかする力をウォータースポーツから学んだ気がします



 日々いろいろあって、たいへんなこともあれば、悲しいこと、ツラいこともあったりしますね。
 たまたま運が悪いということもあるでしょうし、自分の思慮が浅いために招いたこともあるでしょう。はたまた、理由のない他者の悪意によることもあるかもしれません。
 世の中、自分でコントロールできないことの方が圧倒的に多いですから、なぜ自分がこんな目に遭うんだ、ということが起きてもしかたがない、と考えるようにしています。理不尽といえば理不尽、運命の不思議といえば運命の不思議。
 まあ、生きてるんだからしかたがありません。生きていなければそもそもツラさなど感じないでしょうから…と、ぼくは考える人間なんですが、むかーし昔、若い頃に付き合った女性に「そんな投げやりな考え方はよくない」といわれたことがありました。
 なるほど、確かにそんな考え方もありますね。いろいろなことをしかたがないと考え始めると、ほとんどすべてのことを運命のせいにしてしまい、努力をしなくなるだろうと、彼女はそういいたかったんだと思います。
 ぼくは暇さえあれば海に出ていますが、自然というのも、人間から見ればとても理不尽だと思います。そもそも自然に意図はありません。たとえば地震が東北や熊本で起きなくて別な場所で起きてもいいですし、あの時起きなくても別な時でもよかったわけです。でも、人間側から見れば、それで犠牲になった人がいるわけで、なぜあの時あの場所なんだと考えざるを得ません。
 海では天候が急変して荒れたりすることはしょっちゅうですし、いろいろな要素が絡み合って深刻な状況になることもあります。想定外のこと、理由のわからないことばかり…それでも「なぜなんだ」とか「なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ」愚痴ってもしかたがないわけで…とにかくその状況を切り抜けて生き延びるしかありません。
「事前によく考える。一旦海に出たら、生き延びるために、その場その場の状況に対処しながら、できる限りのことをする」というのが、ぼくがウォータースポーツから学んだことです。
 一例ですが、スキューバーダイビングをするときは、その日の潮回り、海水温、潜るポイントの典型的な潮の流れ、天候、海の様子、風の様子、自分の体調、一緒に潜る人の体調やスキルレベルなどをすべて考え合わせてダイビングプランを作ります。そして器材のチェックをして、そしてなお、万が一起きうるトラブルを想定して、その対処策を頭に思い浮かべながら潜り始めるのです。
 水中でも、潮の流れ、透明度、水温、残圧、体内窒素量、器材の状態、一緒に潜っている人の様子などをウォッチしながら潜ります。何かしら予兆を感じたらすぐに最善の策を考え判断し行動します。1分でも判断が速ければ、それだけ生き延びる可能性が高まるから。
 ぼくがスキューバーダイビングにハマったのは、ダイビングのプロセスで頭を使うからです。スキューバーダイビングを含めたウォータースポーツは、身体を動かすのはもちろん、かなり知的な作業なのです。そこがおもしろい、とぼくは思います。
 それでもなお自然の中ではいろいろなことが起きます。また自然の力は圧倒的に強くて、いくら人間が頑張ってもどうしようもないときもあります。
 その場合は、しようがないのです。ただただ生き延びるために最善の行動をとるだけです。結果、ぼくは今無事で、こうして文章を書いていますが、もしかしたら次に海出るときには死んでしまうかもしれません。
「なぜそんな思いまでして海に出るのか?」と尋ねられることがありますが、ぼくにとってその質問の意味がよくわからないんです。ぼくからすれば、日々生活することも海に出ることと、ほとんど同じだと思うから。アクシデントやトラブルが起きる密度は違うかもしれませんが、自分がコントロールできないことで満ちている点は同じです。いや、ぼくからすれば、家庭や会社などでの人間社会での活動の方が、自然よりも読みにくい点で、難しいとさえ思います。
 ニュースを見ていると、ビルの工事現場で物が落ちてきて、たまたま下を歩いていた人に当たって亡くなったり、老人の運転する車にひかれて亡くなったり、精神的な病の人に刺されて亡くなったり、というような事件・事故が起きます。
 ぼくにとっては自然よりもそういう事件・事故の方が予想しにくくて怖いように思えます。
 ぼくは、ぼくのコントロールできない状態で生きなくてはいけなくて、だからどうしようもないことが起きてもなんとかしていくしかないし、なんとかする力をウォータースポーツから教わったと思います。






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田舎の海辺暮らしの自給自足の気風



 ぼくの住んでいるところの男衆は、たいていDIYをします。暮らしに必要なものがあったら、まず自分で作ったり修理したりできないか考えます。
 それが当たり前になっているので気にもしませんでしたが、1年くらい前に同じ町内に東京から引っ越してきた家族がいまして、そこの旦那さんがびっくりしていました。みんなDIYするんですね、と。
 で、その旦那さんもだんだんDIYするようになってきたんですが、庭で何かやっていると、通りがかった近所のオッサンがいろいろアドバイスをするんですね。木材には必ずペンキを塗れとか、廃材はどこどこでただでもらえるとか、ネジを打つ向きはそっちじゃないとか、いろいろと。
 おせっかいな気もしますが、ぼくはそういうのに慣れてしまったのでなんとも思いませんし、そんな押しつけがましい好意もあたたかさだなあなどとポジティブに受けとめています。
 それがきっかけで気づいたんですが、ぼくの住んでいる田舎の海辺で、少なくともぼくの知り合いは、暮らしで何か足りないものや壊れたものがあったら、買うとかプロに修理を頼むことが頭に浮かぶんではなくて、まず自分でなんとかならないか考えるようなんですねえ。しかもなるべく安くあげようとする感じです。
 で、どうしてもプロに頼まなきゃいけない、家の基礎とか、ガスの配管とか、そういうのも知り合いのツテをたどって、自分も手伝うから安くやってもらうということが多いんです。
 もちろんぼくの知り合いがあまり裕福でないのもあるかもしれませんが、というより、やはり自分の身の回りのことは自分でやるという意思が強いのと、自分の住んでいる家の構造とかは自分で知っておきたいという気持ちが強いような気がするんです。
 そういう目で見てみると、自分ちで食べる野菜を自分の庭で育てるのも、なるべく医者にかからないように食生活に気をつけるのも、同じ心持ちから出た行為といえるかもしれません。
 海辺の田舎がどこもそうだとはいえませんが、田舎暮らしには往々にしてそういう気風があるのかもしれないので、移住を考えている方で、DIYが苦手だとか、人付き合いがイヤだとか、そういう人は移住先を選ぶときに注意した方がいいんじゃないでしょうか。







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母島旅情



 離島が好きで、いろいろな島を旅してきました。
 離島というのは到着してしまうと、隔絶感というのか、なんというのか、えーっと「おこもり感」というか「隠れ家にいる感」というか、うまくいえませんがそういう安心感があります。
 なのでぼくは島旅が好きでして、しかも大きな島よりも小さな島の方が好きです。
 人口は1000人以下だと、かなり好ましいですが、3000人以下でも好ましいです。
 人口が少ないと何がいいかというと、島の人が優しいというのと、隔絶感がより強く、安心感が高いからです。おそらく誰が何をやっていて、どんな旅行者が入ってきているか把握できているというのと、人が少ないと競争よりは調和や助け合いの気持ちが強くなるからではないかなあと思ったりしますが根拠はありません。たぶん東京のような都会がギスギスしている感じがするのは、競争が激しくて、人は自分の序列をより上に上げようとしているからではないかと思います。
 上といっても所詮、相対的な、あるいは主観的なものであって、それは幸せ感とは異なります。都会の人が経済的に豊かだけれどどことなく幸せに暮らしている印象が薄いのは、そういう面があるのかもしれないですね。
 そして、より不便な島が好きです。最寄りの便利な場所から遠ければ遠いほどぼくにとっては魅力的です。
 なので、ずっと小笠原に行ってみたかったんです。しかも母島に行ってみたかったんです。母島は小さな島で、不便(たぶん)です。
 人口は約450人。島には、なんでも扱う雑貨屋が1軒、農協と郵便局と小学校と警察と役場が徒歩2~3分のエリアにあります。
 そしてぼくがこれまでしてきた島旅の中で最高にいいところでした。
 1週間滞在しました。スキューバーダイビングして、山をトレッキングして、その後風呂に入って、堤防でビールを飲む日々。だんだん島の人に顔を覚えられて、あいさつしたり、飲みの席に誘ってもらったりして、なんともいい居心地でした。
 沖縄の離島との大きな違いは、古くから住んでいる人が少なくて移住者が多いところ。沖縄がローカルと外来者を峻別して、しかも外来者を温かく迎え入れる感じなのに対し、小笠原の島は、よそ者に開かれているというか、ローカルと外来者が同列な感じがしました。それが居心地のよさの一番の理由でした。
 島旅に行くといつも思うのです。島で暮らすのはいろいろな面でたいへんでしょうが、もしできるならばぼくも島暮らしをしてみたいなあと思うのでした。








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俗っぽい人に近寄らないようにします



 海辺の小さな田舎町で暮らしています。
 近所の人や海遊び仲間は気のいい人が多くて、毎日楽しく暮らしています。
 そんな海辺の田舎が暮らしで脅威といっていいことを発見しました。
 それは何か?
 津波。それはそうです。
 塩害。それもそうです。
 今回発見した脅威は俗っぽい人です。
 俗っぽい人はどこにでもいて、どんなことも世俗的な利害に引き寄せて考える人です。俗っぽい人との距離は、かなり遠くて埋めようとしても時間の無駄です。お互いに違うのはしょうがないので、適当な距離を保つに限ります。といってもわかりにくいでしょうから、ぼくと海仲間の会話と俗っぽい人との会話を再現して、その違いを具体的にできればいいなあと思います。
 海仲間との会話
ぼく>今度さあ、知床半島をシーカヤックで回るツアーに行きたいと思ってるんだ。
海仲間>あっ、いいね。すごくいいらしいね。
ぼく>そうらしいね。野生生物がまだまだ多いらしいから、今のうちに行ってこようかなと思ってね。
海仲間>そうだね。だいぶ観光地化してるらしいから、今のうちに行っといた方がいいかも…。エゾシカとかヒグマとか見たいよね。行くなら夏かな?
ぼく>うん。やっぱりベストシーズンは夏みたい…
 俗っぽい人との会話
ぼく>今度さあ、知床半島をシーカヤックで回るツアーに行きたいと思ってるんだ。
俗っぽい人>シーカヤックって?いくらかかるの?
ぼく>シーカヤックって自分で漕ぐ小さい船だよ。だいたいツアー費だけで13万円くらいらしいよ。
俗っぽい人>えー。自分で漕いで疲れるじゃん。それに高いわ。それだったらいい宿に泊まっておいしいもの食べられるよ。ていうかアウトレットでブランド物買った方がいいなあ。
ぼく>でも、野生動物が間近で見られるし、知床の自然の中にずっといられるんだぜ。
俗っぽい人>野生動物みたってしょーがないし、危ないじゃん。
 俗っぽい人とどんな会話をしてもロマンティックにならないし、ワクワクした楽しさにつながりません。
 ぼくのようなタイプの人間は近寄らない方がいいです。それが今回学んだことです。







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寒いからこそ、ビーチを散歩&深呼吸



 寒いからといって家の中にずっといると、身体を動かさないから、さらに寒くなって、身体も縮こまってしまいます、たぶん。

 寒い日こそ厚着して砂浜を散歩したり、ジョギングしたり、がっちり暖かい装備をしてウォータースポーツをするのが、オレ流の冬の休日の過ごし方だぜ。
 って、急に文体が変わってしまいました。

「冬の海=寒い」というのは、昭和の時代の話。今は着心地のいいドライスーツやら暖かい高機能インナーなどが出ているので、装備をきちんとすれば、「冬の海=そんなに寒くない」となるのです。いやいや日によっては「冬の海=汗ダラダラ」ということもあります。
 身体を動かすと、代謝がよくなり、体温が上がり、筋肉もほぐれ、気分もすっきりします。そういういい循環をつくりたいですね。
 ぼく的には、寒いなーという日こそ、エイヤッと海に出ることにしています。
 ちなみにビーチを散歩したりジョギングするだけでも気持ちいいんですが、そのとき深呼吸&伸び(ストレッチというんですかね)をすると、もっと気持ちいいです。
 ぼくの場合、深呼吸から瞑想に移っていくこともよくあります。数分でいいので、気持ちを静めると、気分のすっきり度合いがずいぶん違います。
 これぞブルー・エクササイズの効用ですね。




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ダラダラ・グズグズ・フニャフニャと過ごしていきたいですう



 ぼくは小さい頃から性格がダラダラ・グズグズ・フニャフニャしていると、ご近所でも評判だったそうです。自分でもそう思いますし、成長しても人の性格ってそんなに変わらないものです。
 いい歳したオッサンになっても、基本、ダラダラ・グズグズ・フニャフニャなわけです。
 そんなぼくでも一応生きていて、税金を納めたり、家族がいたりしているわけで、世の中なんとかなるものというか、頑張った自分にご褒美をあげたいというか、えーっとなんでしたっけ?
 それで一応社会人として働いているワケですが、すごくキレッキレのビジネスマンなんかと接すると、ワリとひいちゃいます。
 ひくというか、見ていて小っ恥ずかしくなるという方が近いですかねえ。
 いや、もう、そういう人って優秀で仕事ができて、日本経済とか引っ張ったり、グローバルに活躍したりしてるんでしょうけど、そんなもん全面に出されたら、フツーひくっつーの。
 ぼくはできればダラダラ・グズグズ・フニャフニャと日々を過ごしたいんです。
 というわけで、そういうキレッキレのビジネスマンが近くにいると、何か無理な仕事を振られるんじゃないかと警戒して、できれば近寄らないようにして、これまで過ごしてきました。
 これからも海に出て遊んだり、ビーチを散歩したり、ビールを飲んだり、カトレアの鉢に水をやったり、アフタヌーンティを楽しんだり、ちょっとアンニュイにため息ついたりして、それから少し仕事をしてもいいかなという感じで、日々乗り切っていきたいですねえ。






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まとまった休みに海に出つづけると、とてもリラックスできますねえ



 盆暮れには仕事がわりと長い休みに入るという方は多いのではないでしょうか?
 ぼくもそうです。
 なんで長期の休みは盆暮れだけなのか?という大問題もあるわけですが、それは今回勘弁してあげましょう。
 ぼくは仕事よりも海で遊んでいるのが好きなので(多くの人がそうでしょうね。いや、そうじゃない人もいるんだよなー)、長期の休みは心身共に奥の方までリラックスできて、とても嬉しいのです。
 というのも、住んでる地元はノンビリした海辺の田舎町で、仕事場は一応都会なのです。都会に出るとなんだかギスギスしてるし、ワサワサ慌ただしいし、空気はあまりキレイじゃないし、いろいろな音がうるさいし、人が多いし、空が狭いし、どうも気疲れしてしまうんです。そんなに嫌いなら都会に行かなきゃいいじゃないかという話なんですが、仕方がありません。食べていくためには働かなければいけません。
 週に5日は都会に出稼ぎに行って、2日は海辺でノンビリしているわけですが、2日だと、どこかしら仕事モードが抜けない面もあります。いやー、だいたいぼくがそれを望んだわけじゃなくて、常識的にそうなっているだけであって、ぼく的には、4日働いて3日休みでも、いっそのこと7日全部休みでもいいわけです。会社側は、そんな遠慮なさらず、そのような制度にしていただいても構いません、いえいえどうもどうも…
 それが長期の休みになるともっとずっとノンビリできるわけで、そういう身体の芯の部分までリラックスできるというのがぼくにとっては大切なんだと思います。
 社会人の中には、仕事から長いこと離れる不安という人もいて、こういう人はワーカホリックだと思いますが、ぼくは全然そういうことはなくて、仕事から離れられればセイセイするというか、できることならばずっと離れていられて、なおかつ給料だけはもらいたいという立派な心掛けのヒトなのです。
 海辺にいるとやることはたくさんあって、セイリングしたりシーカヤックしたりサーフィンしたりスキューバーダイビングしたり海遊びしたり海遊びしたりで、暇な時間などありません。
 1週間くらいそんな感じで海辺の田舎モードに浸ると、ようやく心身共に奥の方のコリがほぐれてくる感じがします。ぼくとしては2週間、いやいや1ヶ月、もう一声半年、いっそのことずっと、海辺の田舎モードの中で過ごすと、フニャフニャの軟体動物みたいになれるんではないかと期待している今日この頃であります。
 さて、ところでなんでぼくは海辺の田舎モードだとリラックスできるのか、ということを考えてみたんですが、大きな要因としては、仕事を強制されないということ、自然の中にいるということの2点があると思うのです。
 人は無理矢理やらされてイヤイヤやるとストレスになるけれども、同じ事を進んで、自分からやりがいを持ってやると楽しく感じられるということは、何かの本で読んだ気もしますし、実感としてもうなずけます。
 それから野生の動物を動物園に入れると不適応で具合が悪くなるということ聞いたことがありますが、これは人間にとってもいえるのかもしれず、人にとってもある程度の野生というのは必要ではないのかと思ったりするわけです。
 個人差があるでしょうが、周りの男達を見ていると、自然や野生に接していないと落ち着かないタイプというのが、一定層いるような気がします。
 まあ、人間は、社会的な動物であるということと、狩猟や採集や農耕を営んで食べ物を得ていたということを学校で習ったので、生活の糧を自然を相手に得ていくタイプがいても不思議ではありません。会社と家庭という社会的な場のみで暮らしが完結してしまうのが性に合わないぼくのような人間は、何日かでも自然の中にいることで自分の本能的なバランスをとっているんでしょう。
 いや、まったく毎日海に出られると気持ちが穏やかになります。








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とても気持ちのいい日



 海辺に住んでいて、1年のうちに何度かとても気持のいい日というのがあります。自分のスケジュールが空いていて、気温もほどよく、湿度も高くなく、さっぱり爽やかな日というのは意外に多くないんです。
 そんな日に当たれば、ぼくもそうですが、近所の人もこぞってビーチに出ます。だいたいいつも同じ顔ぶれのご近所さん。
 散歩したり、お弁当を食べたり、お茶を飲んだり、たいしとこをやらなくても、お金をかけなくても、ビーチで、潮風を浴びながら、太陽の下でいられれば、それはとても楽しい時間になります。

 ちょっとした幸せ…
 大きな幸せというのはどういうものかよくわかりませんし、それがどれくらい長く続くのかもわかりません。
 でもちょっとした小さな幸せは、ぼくには簡単にイメージできます。そしてそれはタイミングさえつかめばすぐそこにあるんです。お金も要らないし、社会的地位も不要です。みんなに等しくあります。
 それをつかむかどうか…
 それを楽しめるかどうか…

 そんな楽しいひと時があれば、生きているのが楽しくなります。
 ぼくが海辺に住む理由は、そんなタイミングをきちんとつかまえるためなのです。






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海辺に移住したい人に役に立つかな?と思われる情報提供みたいなこと



 海辺の小さな田舎町に引っ越してもう20年くらいたとうとしています。それ以前も海辺の町を転々としていました。その経験を書いてみたいと思います。海辺の町に住みたいと思っている方に参考になるかなあと…
 以前に似たような記事を書いたことがあるのでそちらもご参考まで…
 海辺に住む際の土地探しでポイントになるのが、海が見える眺めを重視した立地を選ぶか、海に行きやすい立地を選ぶかということです。この2つを満たす土地もあり得ます。
 詳しく説明しますと、たとえばセイリングやシーカヤックやウインドサーフィンといったウォータースポーツをする方の場合、海が自分のやりたいウォータースポーツに適しているか、海まで近いか、階段などの段差なしで海まで行けるルートがあるか、砂浜などの海へ入りやすい場所があるかがとても大切です。なのでウォータースポーツのやりやすさを重視する方は、このあたりにとてもこだわります。そうした場合、たいてい海の眺めは優先順位が下がるので、往々にして自宅からの眺めはたいしたことないことが多いんです。
 一方、ウォータースポーツをしなくて、たまに砂浜を散歩するというような方の場合、海がいかに美しく見えるかにこだわります。住宅雑誌によく出てくるような、リビングの大きなガラス越しに全面ガラス張りで、その向こうに海ということにこだわるわけです。そうした方の場合、海の眺め、灯台があるかどうか、富士山や大島や江ノ島といったアクセントになる風景があるか、窓からの海の眺めに電線や道路が入らないか、リビングからもダイニングからも寝室からも浴室からも海が見えるかといったことにこだわります。
 この2点は両立もできますが、どちらかへのこだわりが強ければ強いほど両立しづらくなります。どちらを選ぶかはとても大切です。
 ぼくの経験では、海までの距離が歩いて3分より遠くなると、ボードやシーカヤックを運ぶのが結構しんどいです。
 また、海に近すぎると風や潮や砂の影響を受けて、日々の暮らしに影響があるので、できれば防風林などがあった方がいいです。
 そして海からの眺めを重視して納得した立地を得ても、日頃の暮らしの中で、いつも海を眺めているかというとそうでもありません。海の眺めが当たり前になってしまって、5年もすれば海なんて見もしなくなるということはよくあります。
 海を見ておもしろいとか海を見て飽きない人というのは、潮目がわかるとか、海に出られるか海況が気になるとか、気象や海況に関心が高い人で、そういう人は、たいていウォータースポーツをやるわけで、そうするとそういう人は海の眺めよりは海へのアクセスのよさを選ぶのです。
 というわけで眺めだけがウリの立地というのは、意外に住人の移り変わりが激しくて、つまり眺めがよくて引っ越して来たけど、飽きてまた引っ越して行ったということが繰り返されているのです。もう少しいうと、そんなに海が好きでもなくて、たまのドライブで海に来て「ああー海。やっぱりいいね」なんていいつつ、なんとなく海の眺めがいいところでの生活に憧れていた程度の人が、眺めがいいだけの立地を選ぶ傾向があるわけです。
 このあたり少し悪意のあるような表現になっているかもしれませんが、悪意はありません。ぼくの近所でもそうやって短い期間で引っ越して行く人を結構見てきたので、結構そういう人っているんだなー、割りと深く考えないで行動する層もいるんだなーということを感じたのです。
 ぼくの海関係の知り合いはほとんど海好きで、海遊びがライフワークになっているような人とか海のある部分にこだわりがある人ばかりなので、そういうぼくらから見れば、海の眺めが好き=移住ってよくわからないのです。旅行とか別荘でいいんじゃないかと思えるわけです。
 あくまでも海で暮らしている者からの経験に基づく情報提供がしたかったのでした。






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