海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
葉の緑と海の青の組み合わせが好きです
うちの裏山が雑木林なので、それをいいことにいろいろな種をまいています。
天海和尚の故事に倣って、柿を食べたら柿の種を、夏みかんを食べたらその種を…という具合にめったやたらと種を蒔いています。一説にはそれは蒔いているんではなくて、捨てているんじゃないかという意見もありますが、いえいえ、そんな、まあまあ、どうぞどうぞ…
今のところ芽が出たものはないんですが、そのうちもしかしたら…と思いつつ蒔いています。
裏山で木々に囲まれながら土いじりして、一段落ついたところで顔を上げると、海が少し見えます。葉っぱや木の枝の間から…
その瞬間が好きです。
特に新緑の頃のみずみずしい葉の色と海の濃い青色の組み合わせが好きなんだと思います。
この幸福感はどこからくるんでしょう?
自分でどれだけ考えてもよくわかんないんですよねー。
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沖縄の離島はいいなあー
沖縄の離島に行くのが好きでございますよ。
人口が何千人とか何百人という島に行くと、時間がすごくゆったり流れています。
島の人というのは独特の雰囲気があって、それに影響されます。島に行くと気持ちがゆるーくなります。なんか自分のココロの芯のあたりがほぐれていくような感じですね。
これは海外のリゾートに行ってリフレッシュするのとはまた違った感覚です。
たとえば、そうですねー、小さな島だと、スーパーとかなくて、昔の雑貨屋みたいなのがあったりしますが、そこのオバーが近所に出かけていて、店に誰もいないから、欲しい品物をとって代金を置いとけばいいとか、まあそういうことです。
それに対して誰も文句をいわないし、そういうもんだと思っているというところがいいです。
あと待ち合わせで時間を決めてもたいてい時間どおり来ないとか、フツーですね。
酒を飲んでいて盛り上がってくると誰かが三線を引き出して、みんな踊り出すとか、そんな飲みが夜半まで続くとか…
そういう暮らしぶりを見ると、普段自分がいかに細かいことにとらわれているか実感します。いや、ぼくもだいぶ大雑把だといわれますけど…
そういう方には是非沖縄の離島に1週間くらい行ってもらいたい。
人生楽しく過ごすのが何よりだし、細かいことに目くじらたててもしょうがない、それはお互い様、そういう沖縄の人々の考え方が好きなんですね。それはぼくのいつもの生活にはないものだから…
わからないけど、もしかしたらそういう雰囲気というのは昔は日本中にあったかもしれません。
それがどこかのタイミングで、町が発展して、地縁が薄れて、暮らしが匿名化して、自己の利益の最大化が最善のこととなって、共同体の1人という意識が低くなっていったのかなーと想像します。
たぶん昔の感覚だと、クレーマーとかモンスターペアレンツは存在しなかったんではないかと…
だいぶ話しが大きくなってしまいましたが、とりあえず沖縄の離島はいいなあ、ですね。
危ないことが好きな自分は家庭を持ってはいけなかったのかな?
海好きでして、しかもちょっと危ないくらいの海況が好きなわたくしでございます。
スキューバーダイビングでは、リクリエーショナルダイビングとしてはちょっと…というような深さまで潜ってしまったこともありますし、サーフィンでは、自分の力量も考えず、大きな波の日に出てしまったことも何度かあります。シーカヤックでは、沖出しの風が強い日に出てしまって、岸に戻るのに必死だったこともあります。
そのたびに頭によぎるのは家族のことでした。
自分は、自分の意思で危険な状況に入っていくわけで、海で死ねるなら本望なんですが、残された家族はたいへんでしょう。
それを考えるとあまり無茶なこともできないなあーと、わりと自重している今日この頃です。
危険なこととどまらず、自由への渇望も止みがたく、数年くらいかけてアイランドホッピングの旅に出てみたいなあとか、タヒチに移住したいなあとか、世界の海を巡ってみたいなあ、などと夢想したりします。
ウォータースポーツに限らずアウトドアスポーツが好きな人で、冒険や自由を志向する人は、もしかしたら家庭など持ってはいけないのかもしれません。もちろん極論ですけど…
海辺で楽しく過ごす時間を最優先した人生・人の価値観などについて
ぼくは要領がいい方ではありません。
よくどんな状況でも人間関係でも、うまく対応できて、とても頭のいい、感じのいい人がいますが、「ああすごいなあ。でも自分には無理だろうなあ」と思ってしまいます。
金持ちになりたいとも思いません。
いわゆる世間的に成功したいとも思いません。
一時期「ヒルズ族」なる人がいて、IT関係の会社を立ち上げて儲けて、成功者だというような扱いがされていましたが、その暮らしの魅力がよくわかりません。
人それぞれ価値観はいろいろだと思うので、別にかまわないのですが、こんなにも価値観って違うんだなー、とその開き具合に感心したものです。
のんびり、ブラブラ、テキトーに暮らしているぼくのような人間は、そういう成功者の人から見たら、たぶんよくわからないでしょうね。
ぼくが大切にしているのは、時間です。海で楽しんでいる時間…
人なんていつ病気になるかもしれないし、死んでしまうかもしれないと、かなり本気で思っています。
なので、ぼくにとって時間は有限で貴重です。その大切な時間を自分の好きな海で使いたいのです。
社会的に成功していないし、貯金もないし、その日暮らし。それは自分が選択した結果としてそうなっているわけです。
話しは変わりますが、ぼくの家のそばにすごく広くて立派な海べりに建つ別荘風の邸宅があります。近所なのでなんとなく様子がわかるのですが、使われているのは1年のうち夏の数回くらい。
どうしてか知りませんが、もし忙しくて別荘に来れないんだとしたら、ぼくにとってその人の生き方はまったく無価値です。
ぼくであれば、豪華な別荘を建てる仕事よりも、粗末でもいいから海で過ごす時間を得られる仕事を選択するでしょう。
どの価値観が良い悪いということでは、「もちろん」ないわけですが、ぼくにはぼくの価値観があって、しかも人生は1回きりで、複数の選択はできないので、今の生き方を選択しているということです。
また話しが変わりますが、(都会の)人と会話していて「海辺に住んでいるんですかー。いいなあー。うらやましいなあ。自分も海辺に住みたいなあ」といわれることがあります。
その人には事情があるんでしょうが、本当に海が好きなら、本当に海辺に住みたいなら、たった一度の人生を選択するとしたら、どんなハードルも越えて海辺に住むでしょうから、その人が現在海辺に住んでいないとしたら、それはそういう価値観の現れだといっていいと思います。
人っておもしろいですね。
なんて考えながら、のんびり海辺を散歩して「気持ちいいなあ」なんてつぶやいている今日この頃です。
世界の海を訪れてみたい
これまでも何カ国かの海外へ行きました。もちろんぼくの場合、目的は海です。
で、他にも行ってみたい海はたくさんありまして、たぶん死ぬまでにすべて行けないだろうなと思います。
フロリダ、カリブの島々、コートダジュール、コスタデルソル、タヒチ、セイシェル…
国内も同じでして、行ってみたい海がたくさんあります。こちらも死ぬまでにすべて回りきれるかどうか…
初めての海で、そこが素晴らしい場所だったりすると「来て良かった」「こんないいところをこれまで知らなかったなんて」なんて感じちゃいます。そういうことがしょっちゅうあります。
それぞれの海にはそれぞれの特徴があって、ひとつとして同じ風景はありません。海の色も、地形も、そこに流れている空気も、雰囲気もすべて違います。
そんなこんなで、いろいろな海に行ってみたいというぼくの熱意は、冷めることがありません。
休みの日は海でリズムをリセット
休みの日はできるかぎり海にいるようにしています。
不思議なんですが、1時間でも海にいると、自分の気持ちがギアチェンジして、ノンビリモードに変わる気がします。
というのは海に行って気がつくことなんですけど…
平日、仕事で町に行っていると、自分で自覚しないうちに、テンポが町モードになっているんですね。柄にもなくセカセカしちゃったりしてね。
周りの雰囲気って大切なんだなーとつくづく思うわけです。やっぱり影響されちゃうんですよね。
それからこれも前から不思議なんですけど、町を歩いている人のスピードが早い日と遅い日がありますね。月曜日や年末や年度末は全体に歩く人のスピードが速い傾向があります。逆に週末や夏は遅い傾向があります。
もしかしたらぼくの気づいていない法則があるかもしれません。たとえば満月の日は速いとかね…
ぼくは努めて自分のペースを崩さないことを意識しているので、こういうことに意識がいくのでしょうかね?
で、今日はみんなのペースが速いなというときは、意識的にマイペースにするようにしています。
無意識に周りに影響されますから…
ぼくの場合、週末、海に出ることで、自分のペースの基準みたいなものができて、そこで一旦リセットされます。で、そのノンビリモードから町に行くので、そういう変化に敏感なのかもしれません。
周りのペースに流される日は、何時間かして疲れているのに気づきます。たぶんペースが自分のものではないからかな?って想像します。
とにかくマイペース。
自分の正しいと思ったこと以外はしない。
いくら流行っていても自分の感性にマッチしないことはやらない。
いささか意固地なオレ流の調整方法なのでした。
昔、アイドルの海っぽい曲を聴いていたことは内緒にしておきたい
ぼくが小・中学生の頃はアイドル全盛期でして、音楽番組がゴールデンにあって、ピンクレディとか松田聖子とかが出ていました。そういう世代なんですうー。
まあアイドルの歌というのは、恋愛がどうしたとか、真夏の海で恋したとか、だいたいそういう歌詞が多いわけです。
で、一方で杉山清貴とかTUBEとかが、楽曲を提供されながらも、歌唱力で売れているという状況がありました。
ぼくはその頃、洋楽にはまりだしていて、AORをよく聴いていました。
で、日本のアイドルの曲を若干バカにしつつも聴いていたのが、大瀧詠一さんや林哲司さん作曲で、松本隆さん、有川正沙子さん、青木久美子さん、康珍化さんが作詞していた曲です。
若干バカにしていたのは、やっぱり当時は洋楽=かっこいい、邦楽・アイドル=ダサい・音楽がわかていない、という戦後のギブミーチョコレート的な単純構造を、世間一般が引きずっていたからですね。
で、なぜそういうアイドルの曲を聴いていたかというと、「海っぽかったから」です。
サーフィンブームみたいなのが一段落して、海外リゾートに多くの人が行くようになって、金のかかるマリンスポーツが流行っていました。時代としてそういう状況だったんですね。
なので、アイドルの歌う曲にも海っぽい曲はけっこうありました。
そういう曲を選んで聴いていました。
当時はまだ若かったので、自分でマリンスポーツができるような状況ではありませんでした。サーフィンやスキューバーダイビングにはすごく憧れていたんですが…
で、その憧れの代わりとして、海っぽい曲を聴いていたんですね。
今思えば、ぼくの海好きは、はっきりとその頃から顕在化していたんですね。
船で島から帰るときはなんだか寂しい
今まで何度も船で島へ行きました。
遠距離の旅行では飛行機が当たり前ですけど、そこは離島、唯一の交通手段は船というところがけっこうあります。
特にぼくの場合、滑走路さえ作れない小さな離島が好きなんで、やっぱり船が多くなるわけです。
で、毎度毎度感じるんですが、離島で遊んで帰るときは、なんだかミョーに寂しいですね。
これは休みが終わって旅先から帰るのが寂しいのもあるわけですが、それが船だと、なお一層寂しいわけです。
よく昔のテレビドラマで、恋人が旅立って別れ別れになるときに、船が桟橋から離れて、紙テープで別れを惜しむというシーンがありましたが、まさにあの世界。
船に乗り込んで荷物を置いて、デッキに出る。そうすると島の人が手を振っています。こちらも手を振ります。
船が動き始めて、だんだん島が遠くなっていくわけですね。このだんだん、ゆっくり遠くなるというところが、どうも船で旅立つときに寂しくなる原因のような気がしてしょーがありません。
あんなに楽しいオフを過ごした島が小さくなっていく。
明日からは仕事で忙しい日々がまた始まる。
てなわけで、ヘンに感傷的になるのであります。
離島フリークというのは、こういうのも含めて離島が好きなんでしょうね。きっと…
コーヒーを楽しむためにシーカヤックに乗る?
シーカヤックの楽しみはいろいろあります。
ツーリングの愉しみ、海上散歩の愉しみ、釣りの愉しみ、スピードを競う愉しみなどなどですかね。
ぼくは、ただコーヒーをおいしく飲みたいだけのためにシーカヤックに乗ることがあります。
「はあ?」「リアリー?」「ばっかじゃないのー」「ちょーキモイんだけど」なんていうリアクションがありそうですが、だって実際おいしいんだもん。いいじゃん。
通常のカヤックグッズは当たり前ですが、コーヒー豆とミルとドリップグッズとミネラルウォーターとガスバーナーとコッヘルを積み込みます。
それに加えて、おつまみも用意します。日によって違いますが、たとえばブルーベリーデニッシュとかチョコチップクッキーとかスコーンとかバウムクーヘンとかがいいですね。
それらを積み込んで、お気に入りの、陸からは人が来ることができない岬の入江にいきます。
まあ、なんというか無人状態な場所なわけですね。
そこでバーナーとコッヘルをセットして、豆を挽いて、丁寧にコーヒーをいれます。おつまみをつまみながら、ゆっくりコーヒーを楽しみます。
誰もいない場所で、海を眺めて、ゆっくりした時間を過ごす。
悪くないですよ。うん。
サーファーの海難事故に関して思ったこと
年に何回かはサーファーの海難事故がニュースで流れます。
まあ、サーファーなんて危険を覚悟で海に出ていくわけですから、海で死ぬのは本望とさえいえますが、周囲に迷惑をかけてしまいます。
ときとしてサーファーの海難事故が、「荒れた海況の中、無謀に海に出て事故を起こした」というニュアンスで報道されることがあります。
サーファーの事故として多いのは、カレントに流される、テトラポッドや隠れ根にぶつかる、サーファー同士が衝突する、雷に打たれる、などなどだと思います。いずれも誰に起きてもおかしくないことです。
海難事故が起きると、海上保安庁や警察、消防はもちろん近所の漁協は捜索の協力をさせられます。山の遭難では費用が遺族に請求されますが、海の場合は、基本的にお金はかかりません。
それがシーマンシップと呼ばれるものです。
で、できる限り事故は起こして欲しくないわけで(当たり前ですね)、しかもサーファーが好む海況というのは波が高いときですから、普通の漁師さんなんかは海に出ない日なわけです。
「そんなプロでも海に出ない日に遊びのために海に出て事故を起こした」という論調になるんじゃないかな、と想像します。
日本の海は、地元の漁協が幅を利かせています。実質的に漁協と行政が一体となって管理しているといっていいと思います。
その日本の海で遊ぶにはいろいろしがらみがあって、たとえばスキューバーダイビングでは、ダイブサービスは漁協に協力費を払って、お互い持ちつ持たれつの関係になっています。ダイバーは組織化されていて管理されているということです。
同様の構造になっているのがクラブやマリーナに所属しているセイラーやボート乗りです。
さて、サーファーの話しに戻りますが、サーファーは管理されていません。自分達で勝手に海に入るわけです。自分達で勝手に海に入って、事故に遭うのは自業自得ですが、その捜索に無料で協力する漁協は正直おもしろくないでしょう。
おそらくサーファーの海難事故に批判的なニュアンスが含まれることがあるのは、そういった日本の海の状況が一因かもしれません。
もちろん釣り人やシーカヤッカーも管理されていませんので、事故ると似たような現象が見受けられます。
ウォータースポーツを含めてアウトドアスポーツは自己責任が原則です。自分で計画を立てて、海に入って、無事に戻ってこれるまでは一人前とはいえないでしょう。ウォータースポーツをやる人はそれを自覚する必要があると思います。
一方で、事故を起こすかもしれないから、なにもかもダメというのも、いかにも日本的過保護事なかれ主義で、おかしい。そんなこといったら極端な話し、家の中でジッとしているのが一番いいことになります。
両者がもっと大人になるべきだ、というのがぼくの意見です。
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