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ストレスになるルール、ならないルール ~海は広いな大きいな~




 以前にも海はルールがないから(あるいは少ないから)自由で好きだ、というようなことを書きました。と、のっけから見て欲しいアピールをしてしまいます。
 都会や職場に比べると、確かに海は、より自由で、だからこそストレスが少ないといえるような気がします。そのことをあれからなんとなく考えてきて、ひとつ思いついたことがあるので書き留めたいと思います。
 海にもルールがありますが、町で暮らすルールに比べれば少ないですし、より自由だ!というのがぼくの実感です。
 気にすることが少ない状態を、「自由だ」と表現するのではないかと、最近のぼくは考えます。ということは今の世の中では、自由は絶対的な状態ではなくて、「より自由」とか「昔より自由」といった程度の状態を表すのではないかな、そんな気がするな、どうかな、違うかも知れないけど…と思ったりします。
 そしてルールが少なければ少ないほど、より自由であればあるほど、生きていく上でのストレスは少ないんではないだろうか?違いますか?ねえ、そう思わない?というのが、ぼくのいいたいことなわけです。

 で、さらに最近は、そのルールってヤツにも内容があるんじゃないの?というようなことを考えていたりするのです。

 ぼくが思春期の頃はヤンキー(今となっては懐かしい言葉ですねえ)というか不良というのが社会現象になっていました。校舎の窓ガラスを割ったり、校庭に他の学校の不良がバイクで入ってきたりということもありました。尾崎豊の歌詞そのまんまです。
 この不良達はルールを守ることに対しても反発していたんですが、このルールというのは、靴下は白で、10cmくらいで、三つ折りにすること、とか髪の毛は黒で、パーマは禁止とか、そういうまあどうでもいいようなルールでした。確かに不良でなくてもみんなバカバカしいと思っていましたが、逆らうのも面倒くさいので、なんとなく言うことを聞いていたというのが、その頃のクラスのみんなの総合的な思いであったような気がします。そりゃもうぼくだってそんなルールうっとうしかったです。
 だから学校というのは、友達と遊ぶ以外は楽しいものではなくて、なんだか四六時中窮屈な感じがするところなのでした。
 そして社会に出ると、学校とは別にいろいろなルールや法律があり、中にはとても大切な法律とザル法というようなあってもなくても誰も困らないような法律もあったりします。
 大学の授業で六法全書を買わされましたが(ここでも受け身の表現)、「世の中に主だった法律でもこんなに数があるんだー。誰が作ったの?誰が守るの?たいがいにしといたらええんちゃうん?」とため息が出たものでした。
 たとえば人を殺してはいけないという法律は、道徳的にも宗教的にも人の歴史からいっても社会で多くの人々が最大公約数的に求めるもので、法律としての「太さ」「強さ」があります。
 一方で青年向けの書籍を販売してはいけないという条例がある都市がありますが、これは人間が、特に男性が強く性的衝動を持っていることとを、本性と認識するのならば、現実離れしたやや理想的な条例といわざるを得ないでしょう。そういう意味では、法律として「細く」て「弱い」ように思います。
 法律までいかないルールやマナーとなるともっと細かくなって、たとえば朝の電車の何両目は女性車両とか、携帯電話はマナーモードにするか電源を切るとかそういうこといわれちゃうと、ぼくなんか、もうグッタリして、それだけで東南アジアのどこかの国に移住したくなります。
 とか書いているうちに気がついちゃったんですけど、法律とかルールには、危険を防止するためにあるものと、社会を成り立たせるためにあるもがあるみたいです。
 で、不良が反発したり、ぼくがグッタリするのは、社会を成り立たせるための法律とかルールの方で、これは結局、われわれのひいじたんとか、じいちゃんとかオヤジあたりの世代が作ったもので、ぼくは全然賛成してないのに、その法律が運用されているわけです。だから今ある法律をもう一度国会で審議しなおしてくれるなら、かなり真剣に選挙に行くと思いますが、昔できた法律を、世代を超えて、再審議もなく当然のように守らなければならないのは、それは法学的に正しいんでしょうか?
 それから社会を成り立たせるためのルールというのは「太く」て「強い」ものは、まあたいていみんな賛成でしょうけど、「細く」て「弱い」ものは賛否両論があっただろうけど、法律として成立してしまったものもあるはずで、その場合、反対意見の人は、法治国家だから従いますけど、日常生活的な実感としては守りたくないわけです。
 その主に2点に不良が窓ガラスを割って反発する原因とぼくがグッタリしたあげく海へエスケープする原因が隠されているような気がしてますが、だいたいここまで読んでくださっている方というのはいらっしゃるのでしょうか?
 読んでくださっている方はたいへん奇特な方といってもよく、きっといいことがあるでしょう。ラッキーカラーはオレンジ。
 いや、読んでくれなくてもいいんだい。どんどん書いちゃおう。
 で、海遊びをするうえで関係する法律やルールというのは、たいがい命を守るためのものです。その意味も納得できますし、守らなければ自分が危険な目に遭うので、守るわけです。そういうルールはそんなにストレスを生まないんじゃないかなーと思いますが、どうでしょうか?というか逆に「ああそんな法律があって命が助かった。ありがとう」となるんではないでしょうか。というか法律とかルールというのは本来そういうものばかりでなければならないんではないのか、と考える今日この頃です。みなさんいかがお過ごしでしょうか?黒柳徹子です。
 ぼくは、というか自然を相手に何かすることが好きな人は、社会で何かすることにストレスを感じる人が比較的多い気がします。だから自然という場所だと生き生きするという方もいるんではないでしょうか。で、その根っこの辺りにあるのは…
自然を相手にして生きる=死なないで生きればok
社会でうまくやる=人間関係的にうまくやらなければいけない
ということで、さっきのルールとか法律の話でいえば…
自然を相手にして生きる=命を守るルールを守る
社会でうまくやる=社会を成り立たせるためのルールを守る
ということになるのだろうと思います。
 そいでね、あたしそれぞれに適応できる人とそうでない人がいるだろうと思うのね。で、だんだん考えるの面倒くさくなってきたので、まとめていってしまうと、ぼくは海にいるとすごくリラックスしてストレスが少なくて楽しく過ごせるので、これ以上海に関するルールとか法律とか作らないでください、ということなのです。






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