海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
うねりに女性の身体のラインを思い浮かべてしまうワタクシ
犬が好きとかやっぱり猫が好きとかいう人はよくいます。
まあそうでなくても山登りが好きとか、高原が好きとか、海が好きという人も、まあいますね。日常会話に出てきても驚いたりはしません。
もちろんぼくも海は好きですけど…
ただぼくの場合、海のいろいろな魅力の中でもうねりが好きなのです。波も好きなのです。日常会話の中で、「ぼくはうねりが好きです。休日はうねりを見て一日過ごします」なんていうと、若干その後の会話に影響がありそうです。
海遊びをしている人にとって、うねりと波の違いは明かなのですが、「わたしは海遊びをしない」とか「そもそも海がそれほど好きじゃない」という方もいらっしゃると思いますので、一応説明を書くことにしますが、厳密な定義は検索していただくとして、ぼくの実感的両者の違いとしては、次のような感じになると思います。
波=風が吹いていると起きる。海の表面が波立つ。波長が短くて、波頭は尖っていて、バシャバシャしている。
うねり=風が吹いていなくてもある。海全体が盛り上がったり、下がったりする。波頭みたいなものはなかったりする。波長は長く、緩やかなカーブを描く。
それで、うねりと波の違いは、ウォータースポーツをやるときにすごく実感します。一番影響があるのはサーフィンです。
サーフィンではうねりが強くて波長が長いほど、ビーチで大きくブレイクしますから、サーファーにとっていいうねりは大好物です。大きくていいうねりは、日本のたとえば湘南などの場合、年に数回あるかどうかという感じなので、いいうねりが入ってきた日には、サーファーは仕事を休んででも海に行きます(もちろんそんなサーファーばかりではありません)。一方、波はサーフィンしにくいのです。波は小さくてバシャバシャしているので、うまく乗れないのです。また、ときに、うねりと波が同時に来た場合、うねりの良さを波が打ち消してしまうことさえあります。
サーフィン以外のウォータースポーツ、たとえばスキューバーダイビングなどでも波とうねりは、及ぼす影響に大きな違いがあります。スキューバーダイビングでうねりに遭遇した場合、水中ではうねりの来る方向にゆらゆらと揺られます。水中全体が揺られて動くような感じです。波の場合は、水面では揺られますが、潜ってしまえばそれほど影響はありません。それから水面でスノーケルで移動したり、待機したりする際にやたら上下したり、水がスノーケルに入ってきたりします。
特にボートダイブの場合、エキジットといって、ダイビングを終えて、船に上がるタイミングがあるんですが、うねりがあるときは、船もダイバーもうねりに合わせて上下しますので、タイミングを見てうまく船に上がる必要があります。うねりもときに2m以上ある日も潜りますから、そんな日は、船から海を眺めた場合、ダイバーがうねりの谷に入ると、まったく見えなくなってしまうこともありますし、船によじ登ろうとして跳ね上げられてしまうこともあります。
ずいぶん前の経験になりますが、ダイビングを始めて間もない頃、結構大きなダイビングボートがうねりの間に間に2m以上も上下する光景を初めて見たときは、圧倒的な海の力の感じたものでした。ダイバーなんてゴミのようなものだなと思いました。
よくダイバーの漂流事故がありますが、ボートがそばにいてもうねりがあると、うねりのタイミングでダイバーが見えなくなってしまうんです。そのわずかな時間に潮の流れがあるので、ダイバーは別な場所に流されていて、それが繰り返されてボートからダイバーを見失うんだと思います。
そういう状況で、できる限り見つけてもらいやすくするために、ダイバーによってはオレンジとかイエローといった目立つ色の器材を使う人もいます。海上保安庁の方がオレンジ色の器材を使っていますが、あれはレスキューオレンジといって、やはり意味のある色なんだと思います。
ウォータースポーツをする際のうねりと波を違いを思いの外長々と書いてしまいましたが、実はこれからが本題なのです。あきれてもう読む気がなくなった方もおられると思いますが、そんなあなたは正しいと思います。すばらしい。人間こんなことで時間を無駄にしてはいけないと、近所のオジイサンもいっていました。
海に入ると、時に怖いこともあるうねりと波ですが、ビーチから眺める分には怖くありません。
ぼくはうねりや波を眺めるのが好きです。三度の飯よりは好きではありませんし、女性とあんなことやこんなことするよりも好きではありません。
でも、ウォータースポーツをした後、シャワーを浴びて、ビールを飲みながらうねりや波を見る時間は好きです。はたまた気の合う仲間と海辺のキャンプで、焚き火を囲みながら、夕陽に照らされるうねりや波を見る時間も、とても好きなのです。
特にうねりというのは、とても緩やかで滑らかなカーブを描くのです。ぼくはその曲線が好きです。男であるぼくは、曲線に女性らしさを感じますが、うねりの曲線はすごく素敵なモデルの身体のラインほどに美しいのです。たとえが卑近な感じになってきましたが、実際、ぼくはうねりの曲線を見ると女性の背中からおしりにかけてのラインを思い浮かべてしまうのです。ああ、ぼくってヤツはいい歳してどうしようもない生き物ですね。
うねり、特に波長が長くて、力の強いうねりというのは、見た目はそれほど激しさや荒々しさは感じないんですが、それがビーチでブレイクすると予想以上の大きな波だったりします。そのあたりに自然の力のすごさを感じたりします。よく台風などで、堤防が壊れたりしますが、自然の力の前に人間の構造物の儚さは切ないくらいです。
思うにサーフィンというのは、うねりという自然の力と戯れる楽しさがありますね。うねりに揺られ、うねりの美しいカーブの背中に乗り、自然の力と絡んでいるところがステキです。しかもぼくの中ではうねりのカーブは女性の身体の曲線を連想させるので、サーフィンというのは自然の力との前戯みたいな感じなのかもしれないと、今、そんな風に考えました。
波も眺めるのは楽しいです。うねりとは違って、バシャバシャした尖り加減が魅力的です。似ているものとして焚き火の炎があります。炎を眺めていても飽きませんが、波を見ているのは、それに似ています。自然の造形なのに部分的に鋭角で、しかも同じ形がほぼないというのも炎との共通点かも知れず、見ていて飽きない理由かも知れません。
うねりや波の魅力をここまで書いてきて、読んでいる人に呆れられているかもとか、この人はヘンな人なのではないかと思われているかもと、少し反省しました。でも、そう思われてもいいやと開きなおれるのがオジサンの楽なところです。イエイイエイ。ビバ!オジサン。

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海辺でボーッとすることの効能
海が好きです。それも田舎の人があまりいない海辺が好きです。
逆にいえば都会のビルが立ち並んでいるところが苦手です。1日そういう場所にいると頭が痛くなり、気持ちの芯のあたりが疲れます。
ウォータースポーツをして身体を動かすのも好きですが、海辺でボーッとしたり、砂浜を散歩したりするのも好きです。
ボーッとするといっても、海を眺めたり、空を眺めたり、雲を眺めたり、鳥を眺めたり、波を眺めたりしているわけですが、だからといって、そういう自然を観察しているわけではありません。ただなんとなく視線が動いているだけです。なので、やっぱりこれはボーッとしているんだと思います。
外見はボーッとしているように見えても、実は頭の中で、仕事の戦略を考えたり、世界情勢を分析しているかというと、そんなことはありません。ほとんど何も考えていません。いや本当に何も考えないことは結構難しいんで、何か頭に浮かぶことがあってもそれはどんどん移ろっていきます。何かを考えようとはしていません。ただ今「○○が頭に浮かんだな」という風に自覚するようにはしています。
なぜボーッとするのか?
それはボーッとするのが好きだからですが、そういう時間を過ごすと気持ちがゆったりして、軽くなって、落ち着いて、安らかになるからというのが正確な理由です。カッコイイ言葉でいえば心の安寧が得られるからです。
海という自然に囲まれて、頭の中の雑事の大掃除をしているような感じがするんです。
ぼくは海の力を借りて自分の体調を向上させる行為を「ブルー・エクササイズ」と勝手に呼んでいますが、この海辺でボーッとすることはブルー・エクササイズの良さが一番感じられることです。
ぼくがやっていることは瞑想というほど大げさなことではありません。ぼくは正式に瞑想を習ったことはありません。ただ本を読んで、自律訓練法はやるようにしています。腹式呼吸(丹田呼吸)をして、思考を身体のどこかの部位に集中させることで、余計なことを考えないようにして気持ちを鎮め楽にするのです。
なので、ぼくが海辺でボーッとしているとき、無自覚に自律訓練的なことをやっている可能性はあります。自律訓練法に近くて、瞑想まではいっていない行為だと、自分では分析しています。
気持ちがいらだったり、疲れたり、悩みがあったり、悲しかったり、心配ごとがあったり、あるいはすごくテンションが高かったり、妙にソワソワしたり、はしゃいだり、あるいは人を恨んだり、嫉んだり、そんな気持ちのアップダウンが顕著なときに、海辺でボーッとすると特に効果があります。
もしこれを読んでいる方で、日々の都会の暮らしの中で自分本来の安らかな気持ちを忘れがちになっている方がいらっしゃったら、今年の夏に人のいない海辺に行って、ゆっくりボーッとした時間を過ごされてみてはいかがでしょうか?

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海を眺めて、今日も一日いいなあ、なんて思うひととき
朝起きるとカーテンを開き、窓を全開にします。そうするとちょっと遠くに海が見えます。青くて朝日に照らされキラキラしている海です。遠くには富士山や伊豆半島や大島が見えます。
そこでたいていぼくは大きく深呼吸と伸びをします。
普通の大人に比べれば、もしかしたらぼくは気楽にやっている方かもしれませんが、それでも一応心配事みたいなものはあります。
そんなときに海を眺めると、海は日々様子が違って、荒れているときもあれば穏やかなときもあります。でも、富士山や伊豆半島や大島や海岸線といった地形は、何百年とか何千年単位でないと目に見えて変化しません。いつもと同じように潮が満ち、そして引き、朝になり夜になるんだなーなんて考えたりします。あるいは、あの伊豆半島が何万年も前に本州にぶつかっったんだな、それってスゲーなとか、伊豆七島って火山の噴火でできたんだなー、それってスゲーなと考えたりします。
この風景を前の世代の人もその前の世代の人も見たのでしょう。江戸時代の人も見たのでしょう。おそらく源氏の誰かも同じような風景を見たことでしょう。でもそんな人達も今は跡形もないもんなあー、なんて考えたりします。
文字で書くとしつこく考え込んだりしてるみたいですが、伸びをして、首のあたりをカクカク回したりしている間に、なんとなく考えたりしているんです。まあ、きっとそういう時間って誰にでもありますよね。
毎朝、そうして海を眺めていると、たいていのことはどうでもいいことだなと思えてきます。
もちろん心配事などはぼくの頭の中にはあって、それはぼくにとってはワリと大切なことなのですが、そんな自分の頭の中のことを少し引き離して眺めることができるようになります。
ぼくにとっての心配事など、他人からはわからないし、ましてや心配事があろうとなかろうと、いや、ぼくが存在していようといまいと、それは海という自然の在り方からすれば、ほとんど関係のない誤差のような、あるいは塵芥のようなものなんだろうなと思えるのです。
だから自暴自棄になるという考え方もあるかもしれませんが、ぼくの場合は、どうせ誤差のような、塵芥のような一生なんだから、楽しくやりたいことをやってしまえという方向に考えるのです。なぜかはわかりませんがそう考えます。
海はリアルに体験しないとね
リア充という言葉が一時期使われてましたね。
ぼくには意味がよくわかりませんけど…たぶん勝手に想像すると、ネットの世界を中心に活動している人達に対比して、普通に?生活しているけどネットも使うみたいな人達のことをいうんだろうかなあーなんて思っています。そういう人達はネットだけでなくリアルな生活も充実していると…違うかなあ?
ネットでいろいろなことができて、ぼく自身買い物とか調べ物とかやたらネットを使います。ちょっと検索してクリックすれば、いろいろできるって便利です。
行きたい海を調べるのもネットで調べたりします。
ただ行ってみないとわからないというのが海のおもしろさですね。
海のでかさを感じて、光の強さに目を細め、湿気を含んだ潮風を肌に感じる。それがシアワセです。
海のでかさを感じて、光の強さに目を細め、湿気を含んだ潮風を肌に感じる。それがシアワセです。
以前から感じているんですが、ネットやテレビという画面を通した情報というのは、やっぱり平面的で情報量が圧倒的に少ないですね。しかもネットの情報は、よくいわれますが、玉石混淆です。
ネットで海の画像とか見てもフラストレーションが溜まるだけですが、実際の海に行けば気分がスッキリします。
これに似たことって、多かれ少なかれみなさん体験されたことがあるのではないでしょうか…
たぶんおそらくですが、バーチャルリアリティ(VR)がすごく高度になっても現実を再現するのは難しいんじゃないでしょうか。
海でいえば、潮騒がありますし、潮の香りがありますし、風景の広がりがあります。太陽の光を肌で浴び、潮風の湿り気を肌で感じます。
そういう諸々が、海に遊びに来て「やっぱり海っていいなあ」という気持ちに繋がっているんだろうと思うんです。
そういうのってやっぱり仮想と現実では隔たりが、どこまでもあるんじゃないかと思ったりします。
ただ、あんまりこむつかしいことを考えるとめんどくさくなるので、やめて、泡盛飲んで、三線ひいて、踊りましょう、テケテケ…
そういうのってやっぱり仮想と現実では隔たりが、どこまでもあるんじゃないかと思ったりします。
ただ、あんまりこむつかしいことを考えるとめんどくさくなるので、やめて、泡盛飲んで、三線ひいて、踊りましょう、テケテケ…
この極私的ブログを読んでくださっている奇特な方は、たいてい海好きでリアルに充実した海辺生活を営まれていると想像しますが、もし万が一、海に行ったことがなくて、ネットだけで海の情報に触れているような方がいらっしゃったら、それはもう、そういうのってやめた方がいいんじゃないかと思います。かえってフラストレーションが溜まるだけでしょうから…
今度の休日に海に来てください。
そして海辺の空気を思い切り吸い込んでください。そして、五感を総動員して海を感じてください。
たぶん海はそんなあなたに数え切れない把握不可能なくらい多くの情報を与えてくれるんじゃないでしょうか…
風が流れている場所へ~海辺・潮風・生きていくこと~
ぼくが幸せを感じる状況は、ウォータースポーツをし終わって、砂浜で夕陽を見ながら潮風に吹かれているときです。
流れる風を肌に感じ、その中に身を置いていると不思議と安心するようなのです。
格好つけるワケじゃなくて、本当に、海を前にお外でボーっとしているのが好きです。
格好つけるワケじゃなくて、本当に、海を前にお外でボーっとしているのが好きです。
都会のビルだと窓がはめ殺しになっていて、全館空調というのが今は当たり前ですね。この窓が開かないというのは、ぼくにとってはかなりツライというか、息苦しいというか、すごく不自然な感じがする状況です。
というか、もうちょっと本音をいうと頭がおかしくなりそうなくらい閉塞感を感じるのです。
全館空調だと、すべて中央のコントロールで外気の導入割合とか、温度設定とか細やかにやって省エネで、1年中快適ですよ、飛び降り自殺の心配もなくて安全ですしね、というのが設計会社・ゼネコン・空調設備会社側の言い分だと思うんですが、ぼくの実感ではそんなことはありません。たとえ全館空調であっても、陽が当たる側と廊下側だと温度が違って、そこまで細やかに空調のコントロールができている建物って経験したことがありません。全館空調の建物は冬は暑すぎて、夏は寒すぎるというのがぼくの全般的な感想です。それにダクトだって機械だって汚れたりホコリが溜まったりするでしょうし、導入する外気だって都会の空気をどこから吸っているかによって清浄さの度合いは違うでしょう。いくらフィルターで綺麗にするといっても、そのフィルターをどの程度いい物を使っているかわかりません。
何がいいたいかというと、全館空調ってそもそも不自然だし、綺麗な外気を窓を開けっ放しにして、風が通るようにするのが一番だということです。
そうすればホコリだって抜けていくし、カビだって生えないし、結露もしないし…
頼むからそういう建物建てないで欲しいけど、ぼくの頼みなんか誰も関心ないでしょうから、ぼくの方からゴメンだい!
さらにさらに問題なのは外気がそこまで綺麗か?ということですが、これはかなり深刻な問題です。ぼくは外気が綺麗なところに移住します。
さらにさらに問題なのは外気がそこまで綺麗か?ということですが、これはかなり深刻な問題です。ぼくは外気が綺麗なところに移住します。
我が家は年中エアコンはつけません。夏も外気と扇風機です。それでなんとか過ごせます。汗をかきますが、日に何度かシャワーを浴びて着替えます。逆に夏にエアコンの効いた部屋に1日中いると体調が悪くなります。たぶん汗をかかないからだと思います。
冬はさすがに窓は閉めていますが、日中の暖かい時間は窓を開けます。それに換気扇やシーリングファンがどこかで必ず回っていますから、空気が流れている感じがあります。たぶん省エネという点では良くないでしょうが、それよりも新鮮な外気で家中を満たして、それを呼吸する方が大切だと思うんです。気分が落ち着きます。
風が通って、空気が流れている感じが心地よさを生むのかなって思います。
沖縄の離島に遊びに行って、そいで、夕方、民宿の縁側で扇風機にあたってたりするととても幸せです。眼下に海が見渡せたりしてね。海風が吹いてきて、オリオンビールなんか飲んじゃったりして…いいなあ、そういうの。
沖縄の離島に遊びに行って、そいで、夕方、民宿の縁側で扇風機にあたってたりするととても幸せです。眼下に海が見渡せたりしてね。海風が吹いてきて、オリオンビールなんか飲んじゃったりして…いいなあ、そういうの。
おそらくこういう生活って都会では難しいかもしれません。都会は外気自体が排気熱やヒートアイランド現象で暑くなっていますし、近隣への騒音にも気を配らないといけません。
なので、やはり長い目で見ると、自分はそういう場所に住んではいけないんだろうな、と思います。そういうところに住んでいるとストレスが澱のように溜まって、結果としていいことは起きないだろうなという直感があります。
そういう場合は、自分が快適に暮らせる土地に移り住むのがいいのでしょう。
すべての人が自由に住まいを選べるわけではないでしょう。職があるかが大切ですし、それに地縁・血縁というのがあります。お墓や先祖の土地を大切にすることも重要です。
でも、やはり人は生き延びるのが大切で、外部環境が変化する以上、それに合わせて生きられる土地へ移っていくというのも、生き残りの大切な選択なのではないでしょうか?
話がだいぶ大きくなり、そして逸れましたが、ぼくは空気が動いて風が抜けている場所が好きです。
シーカヤックで数泊の旅に出ますが、1日中外にいて、食事も外、テントも風の動きを感じられる、そんな時間を過ごすことができるとぼくはとても幸せなのです。
年に1度か2度くらいですがおよそ1週間くらいの海旅に出ます。スキューバーダイビングかシーカヤックをするんですが、1週間くらい南の海辺にいると、自分の中の毒が抜けて、さっきいったような澱のようなものが身体の外へ流れていく気がします。まあそんな気がするだけのことですが…でも、それでも日々自分がどれほど自分にタガをはめて暮らしているか自覚させられます。
海辺に住んでいると休みの日に遠くに出かける気がしなくなる…かなー?
会社の同僚とかで、都市部、あるいは都市近郊に住んでいる人に、「海辺の田舎暮らしっていいね、うらやましいね」っていわれます。
あの、大人ですから、この言葉の真意は人によってニュアンスがいろいろで、イヤミ80%くらいの揶揄、時候の挨拶程度、話題がないから、昨日テレビで田舎暮らしをやっていて「ちょっといいなあ」と思った、わりと田舎暮らしに憧れている、マジで海が好きで、海辺の田舎に移住することを検討している、などなどに分けられるかなあと思います。
ああ、大人ってめんどくせえ。って思ってもそれが世間というもの、そんなものです。
ぼくも社会人を長年やっているオジサンなので、相手の真意をくみ取りつつ、適切な返しを、随時うまいことやるわけです。
で、わりと田舎暮らしに憧れているとか、マジで海が好きという、同好の士のニオイがする人だった場合、こちらもちゃんと答えるようにしています。
そうすると先方もだいたい興味があるわけですから、質問が続いていくわけで、そうすると話が盛り上がるという、「話が盛り上がる法則その1」が成り立つわけでございますね。
そうするとだんだんディープな質問になっていきます。まあよくあるケースとしてはこんな感じでしょうか。
→海辺に住んでるんですね。いいなあ。
→どのあたりですか?
→あの辺って砂浜が多いですけど、マリンスポーツとかやるんですか?
→サーフィンってアサイチとかやります?
→ロングですか?ショートですか?SUPとかもやりますか?
→やっぱ土日って、道、混みます?
→暮らしてて大変なこととかあります?
→いいなあ、自分も引っ越したいなあ。
→家賃とかの相場ってどれくらいですか?
→東京までどれくらいかかります?
そんな感じです。
海好きな人に海辺の暮らしを訊かれたときにぼくが必ず答えることがあります。
それは…
→海辺の田舎は、住民が優しいというかノンビリ、おっとりしている。
→こだわりを持った人が住んでいておもしろい。
→海まで徒歩で5分以内じゃないと、だんだん海に行かなくなる。
→毎日海が見られるのはやっぱりいい。
→海のコンディションがいいときとか、すぐに海に出られるのがいい。
→休みの日に寝坊してからでも海に行けるのがいい。
→雨の日の海もアンニュイでグルーミーでステキ。
→渋滞はするときもあるけど、時間を選んだり、抜け道をすればまあ大丈夫。
→スーパーやドラッグストアやコンビニがあるし、通販もあるから、買い物関係は、そんなに不便じゃない。
→自然が多い場所は、虫とかもやっぱり出る。
→自転車は錆びる。
→エアコンの室外機も錆びる。
→物干し竿とかもとにかく錆びる。
→土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる(自分の家で十分楽しい)。
→家庭菜園とかガーデニングとかDIYとか好きな人は、近所にたいてい詳しい人がいるから、いろいろ教えてもらえる。
まあ、そんな感じで何十年も海辺に住んでいると、日常会話のパターンというかマニュアルみたいなものは、まあなんとなくできてきてしまうのでした。
なかでも、歳をとって特に強くなってきたのは、土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる、ということです。出かけるパワーが若い頃ほど強くなくなるというのもあるんでしょう。
わざわざ混雑しているリゾートに、混雑している乗り物とかで何時間もかけて移動するのはかったるいし、よく考えたら自分の家もリゾートじゃん、ということなのです。
それよりも、朝は砂浜を散歩して、朝ご飯は近所のパン屋さんでおいしいパンを食べて、日中は海遊びして、昼ご飯は砂浜でテーブルとチェアを出して、波音を聴きながら食べて、家に帰ったらゆっくり風呂に入って、夕食は新鮮な魚貝類を使った凝ったものを作って、夕陽を眺めながら晩酌した方が楽しいじゃんじゃん、という風に考えてしまうようになったのです。
年寄りくさいといえばそうもいえるかもしれません。いやいや物事はポジティブに考えた方がいいって、アメリカ人がいっていたような気がしますので、スローライフというか、LOHASというか、ノンビリした海辺の田舎暮らしというか、すてきなナチュラルライフというか、トータルに女性雑誌的なおっしゃれーなイメージでまとめてみたいものです。
海遊びのいいのはヘンな人に会わないこと
この間、電車に乗って東京に行く用があったんですが、刺青というかタトゥーといって欲しいんだろうけどやっぱり刺青だよなと思うんですけど、刺青を入れたオニイチャンが車内のある人をジッと見つめたまま、ブツブツ独り言をいっていました。瞳孔も開いていたんで、ぼくは車両を移りました。
で、恵比寿に用があったんですが、20代前半くらいの女の子4人が駅の構内を横に広がってゆっくりノンビリLOHASな感じで歩いていて、後ろから来たサラリーマンっぽいお兄さんに怒鳴られていました。
で、用が終わってスタバで休憩しようと席に着いて、コーヒーの香りなどを楽しんでいたら、隣の席の2人連れの話が聞こえてきてしまいました。なんだか1人が宗教の人らしく、もう一人の人を勧誘しようとしているらしい感じでした。
たった半日ほど久しぶりに都会に行ったら、かなり濃い光景が目に飛び込んできて、海辺の我が家に帰ったらドッと疲れて、ビールを飲んで、寝てしまいましたとさ。めでたしめでたし。
って、めでたく終わっている場合じゃありません。
東京っていろんな人がいて、お金持ちも貧乏人も、著名人も凡人も、常識的な人も非常識な人も、東京生まれ東京育ちの人も田舎から来た人も、本当にいろいろな人がいます。まあ、さしずめ人間のワンダーランドやなー、と思ったりするわけです。
しかもそれぞれの人が気を張って生きている感じがして、それがボケーっと歩いているぼくにも伝わってきて疲れるんですね。
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
です、いい歳になってからは、無理してまで価値観の合わない人と付き合わないようにしようと思っています。
仕事なんかで一緒に行動しなきゃいけなときはしょーがないですが、それも最低限でいいやと思っています。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
数年前、下流社会とか日本人は階層が2極化しているなんて話がありました。
それを思い出しながら、この間の東京での出来事とかがノーリに浮かびつつ、自分のまわりの人々を眺めていると、興味関心とか暮らし向きとかで、いくつかの層が何層にもあるような気がします。あるいはいろいろな塊がたくさんあるといってもいいかもしれません。
海辺に住んで、海遊びをしていると、長年付き合っている仲間はだいたい似たような価値観の人になってきます。これは発展性がなくて凝り固まっているといえばそうですが、そうやって暮らしているぼくとしてはとても心地いいものです。
だいたい海遊びを長年続けている人というのは、やはり一定の範囲内の価値観の人ですし、ましてや流行っているわけでもないスキューバーダイビングとかシーカヤックとかセイリングをわざわざやっている人というのも、一定の範囲内の価値観の人です。
それからコンスタントにそれらのウォータースポーツを続けている人というのは生活が安定している人でもあります。
類は友を呼んだりして、同好の士は似たようなところに集まるようです。
ザックリまとめてしまうと、そういう付き合いのいい点は「ヘンな人に合わなくていい」ところです。
たとえばこういうことがありました。
以前知り合いが、海辺の我が家に遊びに来ました。「家から海が見えるなんていいね。一度行ってみたい」ということで遊びに来ました。まあ我が家に遊びに来ると、だいたいウォータースポーツがオマケでついてくるわけですが、「シーカヤックとかサーフィンとかやる?」と訊いたら「危ないじゃん。サメとか出たらどうするの?」だそうで、砂浜を散歩することにしました。そうしたら「○○で買った靴が砂まみれになっちゃった。家に戻ろう。あーあ高い靴だったのに」とのこと。我が家は森の中に建っているので、鳥や蝉の声がします。しかも我が家はエアコン嫌いなので、窓を開け放してあります。一応網戸はあります。そうしたら「なんか蝉とかうるさいね」だそうです。
こういうこともありました。
職場の仲間に連れられて異業種交流会なるものに参加したことがあります。やたら名刺交換して、話をしていると、ビッグデータとかIoTとか「○○さん(有名な経営者らしい)が融資の時に口をきいてくれて…」とか「××の経営戦略は…」とかそういう話で、よくわからないし、興味もないし、ぜんぜん面白くなかったのです。
そういえばこういうこともありました。
近所の友達の住んでいる家に遊びに行ったときのことです。その家の隣の敷地が古いアパートになっていて、古いからか賃料があまり高くないそうです。そのためか知りませんが、ある部屋がヤンキーの溜まり場になっているらしく、夜中も騒いでうるさいし、バイクなんかをアパートの前に路駐して、友達の車が出入りできないし、ゴミはルールどおり出さないからカラスが荒らして散らかるし、いくら苦情をいっても聞かないそうです。
こうした類のことは、まあ、暮らしていれば誰の身にも多かれ少なかれ起きることですが、海遊びをしていていいのは、そういう自分の価値観とは違う人達と接することが大幅に減ることです。それはすなわちストレスを受けることが少なくなるということです。
先ほども書きましたが、こういう考え方って狭量で偏屈な年寄りにありがちで、意固地で頑固な印象もありますが、ぼく自身は、そういう批判を受けても、もういいかなと思うようになりました。やはり世の中は自分の思うどおりにはなりませんし、思うどおりにならないことを受け入れて人間の度量を増やそうという努力も、もう若くないので、することもないな、と思います。
それよりも日々楽しく暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
わざわざイヤなことや汚いことを見ることはありません。できる限り自分の好きなことや、綺麗なものや、いいことを見て暮らしたいなと思うのです。
仕事帰り、森と海を眺めると、ホッとします…
仕事が終わると会社から電車に揺られて我が家に帰ります。
我が家に帰る途中で気持ちが、仕事モードからいつもの自分モードに切り替わります。
帰る間に、車窓から緑が見え始め、我が家に近づくにつれて海が見え始めます。
ぼくはこの時間がとても好きです。
若い頃は木々の緑がこれほど自分の心をホッとさせるものとは知らずにいました。そして自分がこれほどまでに海を求めているかを知らずにいました。
若い頃に都会で働いて、都会に住む生活を何年か続けるうちに、ある時、自分のジンセイがこうした灰色のコンクリートジャングルの中でほぼ終わってしまうのは結構ツライなと考えるようになりました。それを取り戻すかのように、週末は朝から海に遊びに行ってましたが…
たとえば仕事をしている時間が10時間、寝る時間が8時間、モロモロの家事・雑用をやる時間が2時間。1日のほとんどが都会の中で完結してしまいます。せっかくの週末も仕事で疲れていると、海に出かける元気がない時があります。
そんなこんなで多少通勤時間がかかっても、自然が豊かなところで暮らしたいと思ったのです。
今は、だから通勤の帰りに、次第に緑が増え、海が見えるようになるとホッとします。ココロの中心のコリがほぐれるようなそんな気持ちになります。
我が家は窓から海が見えます。そして家は小高い丘の中腹にたっており、ちょっとした森というか林の中です。
我が家に着けば、潮騒が聞こえ、木の葉が擦れる音が聞こえ、鳥の声が聞こえます。
そうした自然の気配を感じながらビールを飲みます。
眠りにつくときも自然の音が遠くに聞こえます。
朝は波の音と、鳥の鳴き声で目を覚まします。窓から朝陽を浴びる森が見えます。そしてきらめく海が見えます。起きたままの格好でサンダルをつっかけて、砂浜を散歩します。気持ちが穏やかになります。
そういう日々のちょっとした瞬間がとても幸せに感じられます。
今思えば、たぶんぼくは遅かれ早かれ、自然のそばで暮らすことを選んでいたでしょう。それが大切な価値だと気づいたわけですから…
そしておそらく同じような価値観を持つ自然の中で暮らしている方には、きっとこのような気持ちはわかってもらえるのではないかと思います。そういう価値観の人はどうしても自然のそばに惹きつけられてしまうし、都会のようなところでは暮らしていけないでしょう。

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夏の夕立
夏になると夕立が降ることが多いですね。
以前、神奈川県の藤沢の海辺に住んでいましたが、夏の夕方はよく夕立が降りました。
今は三浦半島の西岸に住んでいますが、それほど夕立が降りません。距離としてはそれほど離れていないと思うんですが、気象というのは面白いものです。
気候のだいたいの傾向というのは地域ごとにあると思うんですが、具体的なことはその土地土地によって違いがあるんでしょう。
出張でしばらく前橋にいたことがありますが、夏のあいだ、毎日ほぼ決まった時間に雷が鳴って夕立が降りました。
みなさんご存知のことと思いますが、夏に夕立が降るのは昼間に熱せられた大気が蒸発してそれが飽和点に達するからです。どの程度湿度が高いか、どの程度飽和点に達しやすいかによって夕立が降りやすいところとそうでないところの差ができるのだと思います。
藤沢の場合、海が近くにあるので、真夏はとても湿度が高いのです。そして海からの陸への風(オンショアの風)が吹くと陸で次第に気温が下がりはじめ、水蒸気の飽和点に達しやすくなり、雲ができ、雨が降ります。
前橋の場合、内陸で気温が高いことと、関東平野の北端ということで、東、北、西が山に囲まれており、南からの湿った風が、山に当たることで雲ができ、雨が降ります。
藤沢も北側に高い山があればもっと夕立が降りやすい気候になっていたんではないでしょうか?経験したことがないんですが、もしかしたら丹沢山地ノ影響で小田原とか国府津とか二宮の方が夕立が降りやすいかもしれません。
夕立の理屈はともかく、夏の暑い日に夕立がザッと降ると、気温が下がり、さっぱりしていいですね。暑さでしおれ気味の木々も元気を取り戻すような感じです。ぼくはとても好きです。
ぼくは海遊びをしていることが多いんですが、夏の夕立ならそのまま濡れて雨が降る様子を楽しんだりしています。どうせ海遊び用の濡れてもいい服装でいるわけですし、寒くもないわけで、というか昼間の暑さにヤラレ気味の身体にちょうどいいんです。
夕立が降ると、海の水面が雨に叩かれてザワザワと波紋を広げます。暑くて歩けなかった砂浜もクールダウンします。ぼくの日焼けした肌も濡れてクールダウンします。江の島も雨に霞んでやっと見える程度です。さっきまで大勢いた海水浴客の人達もいなくなりました。30分くらい前とは別の場所のようです。人の声が聞こえなくなり、波と雨音だけが満ちています。自然の音に意識を集中すると気持ちが穏やかになるようです。こんな静かな世界がずっと続くといいなあなんて思ったりします。

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波の音、潮の香り、そして記憶
海辺に住んでいて幸せに感じるのは、ほんの些細な瞬間です。
ぼくがいつもいいなあと思うのは、夏の夜、寝るときに窓を開けると波の音が聞こえることです。(我が家はみんなエアコンが嫌いで、窓を開けて扇風機をつけて寝ます。物騒じゃないか?田舎町ですから大丈夫です。夜中に人が近寄ってくることが余程のことでないとありませんし、もし近寄ってきても犬がけたたましく吠えます)
海が荒れていれば荒れているように聞こえますし、穏やかなならばかすかに聞こえます。
ああ、海が荒れているなあー何て考えているうちにウトウトするのがなんとも心地いいんです。
小さい頃、家族旅行で海に遊びに行って旅館の窓から潮騒を聴いたことを思い出します。
あの頃は楽しかったなあなんて思いつつ、眠りにつくのです。
もうひとつ、いつもいいなあと思うのは、低気圧が近づいてきて風が強くなると潮の香りがすることです。そういうのって梅雨から秋の時期が多いですね。
潮の香りと雨の匂いが混じって、ちょっとワクワクというか切ないというか、いろいろな気持ちが混ざった複雑な思いがします。
大学生の頃、彼女と海をデートしていると雨が降ってきて、近くのファミレスに雨宿りしたときのことを思い出します。大きなガラス窓に雨が流れて、その向こうに少し荒れた海が見えていました。せっかくの海辺デートなんだから晴れて欲しかったのに残念なような、なんとなく気だるいような、ノンビリ時間が過ぎるのを楽しむような、そんな気持ちでした。
そういう自然の匂いって、どこかで昔の記憶と結びついていたりするもので、ふとした瞬間に、意外なことを思い出したりするものですね。
ぼくの場合、大学生の頃から本格的に海遊びを始めたので、思い出すことはたいてい若い頃のことです。
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