海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海辺に住んでいると休みの日に遠くに出かける気がしなくなる…かなー?
会社の同僚とかで、都市部、あるいは都市近郊に住んでいる人に、「海辺の田舎暮らしっていいね、うらやましいね」っていわれます。
あの、大人ですから、この言葉の真意は人によってニュアンスがいろいろで、イヤミ80%くらいの揶揄、時候の挨拶程度、話題がないから、昨日テレビで田舎暮らしをやっていて「ちょっといいなあ」と思った、わりと田舎暮らしに憧れている、マジで海が好きで、海辺の田舎に移住することを検討している、などなどに分けられるかなあと思います。
ああ、大人ってめんどくせえ。って思ってもそれが世間というもの、そんなものです。
ぼくも社会人を長年やっているオジサンなので、相手の真意をくみ取りつつ、適切な返しを、随時うまいことやるわけです。
で、わりと田舎暮らしに憧れているとか、マジで海が好きという、同好の士のニオイがする人だった場合、こちらもちゃんと答えるようにしています。
そうすると先方もだいたい興味があるわけですから、質問が続いていくわけで、そうすると話が盛り上がるという、「話が盛り上がる法則その1」が成り立つわけでございますね。
そうするとだんだんディープな質問になっていきます。まあよくあるケースとしてはこんな感じでしょうか。
→海辺に住んでるんですね。いいなあ。
→どのあたりですか?
→あの辺って砂浜が多いですけど、マリンスポーツとかやるんですか?
→サーフィンってアサイチとかやります?
→ロングですか?ショートですか?SUPとかもやりますか?
→やっぱ土日って、道、混みます?
→暮らしてて大変なこととかあります?
→いいなあ、自分も引っ越したいなあ。
→家賃とかの相場ってどれくらいですか?
→東京までどれくらいかかります?
そんな感じです。
海好きな人に海辺の暮らしを訊かれたときにぼくが必ず答えることがあります。
それは…
→海辺の田舎は、住民が優しいというかノンビリ、おっとりしている。
→こだわりを持った人が住んでいておもしろい。
→海まで徒歩で5分以内じゃないと、だんだん海に行かなくなる。
→毎日海が見られるのはやっぱりいい。
→海のコンディションがいいときとか、すぐに海に出られるのがいい。
→休みの日に寝坊してからでも海に行けるのがいい。
→雨の日の海もアンニュイでグルーミーでステキ。
→渋滞はするときもあるけど、時間を選んだり、抜け道をすればまあ大丈夫。
→スーパーやドラッグストアやコンビニがあるし、通販もあるから、買い物関係は、そんなに不便じゃない。
→自然が多い場所は、虫とかもやっぱり出る。
→自転車は錆びる。
→エアコンの室外機も錆びる。
→物干し竿とかもとにかく錆びる。
→土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる(自分の家で十分楽しい)。
→家庭菜園とかガーデニングとかDIYとか好きな人は、近所にたいてい詳しい人がいるから、いろいろ教えてもらえる。
まあ、そんな感じで何十年も海辺に住んでいると、日常会話のパターンというかマニュアルみたいなものは、まあなんとなくできてきてしまうのでした。
なかでも、歳をとって特に強くなってきたのは、土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる、ということです。出かけるパワーが若い頃ほど強くなくなるというのもあるんでしょう。
わざわざ混雑しているリゾートに、混雑している乗り物とかで何時間もかけて移動するのはかったるいし、よく考えたら自分の家もリゾートじゃん、ということなのです。
それよりも、朝は砂浜を散歩して、朝ご飯は近所のパン屋さんでおいしいパンを食べて、日中は海遊びして、昼ご飯は砂浜でテーブルとチェアを出して、波音を聴きながら食べて、家に帰ったらゆっくり風呂に入って、夕食は新鮮な魚貝類を使った凝ったものを作って、夕陽を眺めながら晩酌した方が楽しいじゃんじゃん、という風に考えてしまうようになったのです。
年寄りくさいといえばそうもいえるかもしれません。いやいや物事はポジティブに考えた方がいいって、アメリカ人がいっていたような気がしますので、スローライフというか、LOHASというか、ノンビリした海辺の田舎暮らしというか、すてきなナチュラルライフというか、トータルに女性雑誌的なおっしゃれーなイメージでまとめてみたいものです。
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海遊びのいいのはヘンな人に会わないこと
この間、電車に乗って東京に行く用があったんですが、刺青というかタトゥーといって欲しいんだろうけどやっぱり刺青だよなと思うんですけど、刺青を入れたオニイチャンが車内のある人をジッと見つめたまま、ブツブツ独り言をいっていました。瞳孔も開いていたんで、ぼくは車両を移りました。
で、恵比寿に用があったんですが、20代前半くらいの女の子4人が駅の構内を横に広がってゆっくりノンビリLOHASな感じで歩いていて、後ろから来たサラリーマンっぽいお兄さんに怒鳴られていました。
で、用が終わってスタバで休憩しようと席に着いて、コーヒーの香りなどを楽しんでいたら、隣の席の2人連れの話が聞こえてきてしまいました。なんだか1人が宗教の人らしく、もう一人の人を勧誘しようとしているらしい感じでした。
たった半日ほど久しぶりに都会に行ったら、かなり濃い光景が目に飛び込んできて、海辺の我が家に帰ったらドッと疲れて、ビールを飲んで、寝てしまいましたとさ。めでたしめでたし。
って、めでたく終わっている場合じゃありません。
東京っていろんな人がいて、お金持ちも貧乏人も、著名人も凡人も、常識的な人も非常識な人も、東京生まれ東京育ちの人も田舎から来た人も、本当にいろいろな人がいます。まあ、さしずめ人間のワンダーランドやなー、と思ったりするわけです。
しかもそれぞれの人が気を張って生きている感じがして、それがボケーっと歩いているぼくにも伝わってきて疲れるんですね。
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
です、いい歳になってからは、無理してまで価値観の合わない人と付き合わないようにしようと思っています。
仕事なんかで一緒に行動しなきゃいけなときはしょーがないですが、それも最低限でいいやと思っています。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
数年前、下流社会とか日本人は階層が2極化しているなんて話がありました。
それを思い出しながら、この間の東京での出来事とかがノーリに浮かびつつ、自分のまわりの人々を眺めていると、興味関心とか暮らし向きとかで、いくつかの層が何層にもあるような気がします。あるいはいろいろな塊がたくさんあるといってもいいかもしれません。
海辺に住んで、海遊びをしていると、長年付き合っている仲間はだいたい似たような価値観の人になってきます。これは発展性がなくて凝り固まっているといえばそうですが、そうやって暮らしているぼくとしてはとても心地いいものです。
だいたい海遊びを長年続けている人というのは、やはり一定の範囲内の価値観の人ですし、ましてや流行っているわけでもないスキューバーダイビングとかシーカヤックとかセイリングをわざわざやっている人というのも、一定の範囲内の価値観の人です。
それからコンスタントにそれらのウォータースポーツを続けている人というのは生活が安定している人でもあります。
類は友を呼んだりして、同好の士は似たようなところに集まるようです。
ザックリまとめてしまうと、そういう付き合いのいい点は「ヘンな人に合わなくていい」ところです。
たとえばこういうことがありました。
以前知り合いが、海辺の我が家に遊びに来ました。「家から海が見えるなんていいね。一度行ってみたい」ということで遊びに来ました。まあ我が家に遊びに来ると、だいたいウォータースポーツがオマケでついてくるわけですが、「シーカヤックとかサーフィンとかやる?」と訊いたら「危ないじゃん。サメとか出たらどうするの?」だそうで、砂浜を散歩することにしました。そうしたら「○○で買った靴が砂まみれになっちゃった。家に戻ろう。あーあ高い靴だったのに」とのこと。我が家は森の中に建っているので、鳥や蝉の声がします。しかも我が家はエアコン嫌いなので、窓を開け放してあります。一応網戸はあります。そうしたら「なんか蝉とかうるさいね」だそうです。
こういうこともありました。
職場の仲間に連れられて異業種交流会なるものに参加したことがあります。やたら名刺交換して、話をしていると、ビッグデータとかIoTとか「○○さん(有名な経営者らしい)が融資の時に口をきいてくれて…」とか「××の経営戦略は…」とかそういう話で、よくわからないし、興味もないし、ぜんぜん面白くなかったのです。
そういえばこういうこともありました。
近所の友達の住んでいる家に遊びに行ったときのことです。その家の隣の敷地が古いアパートになっていて、古いからか賃料があまり高くないそうです。そのためか知りませんが、ある部屋がヤンキーの溜まり場になっているらしく、夜中も騒いでうるさいし、バイクなんかをアパートの前に路駐して、友達の車が出入りできないし、ゴミはルールどおり出さないからカラスが荒らして散らかるし、いくら苦情をいっても聞かないそうです。
こうした類のことは、まあ、暮らしていれば誰の身にも多かれ少なかれ起きることですが、海遊びをしていていいのは、そういう自分の価値観とは違う人達と接することが大幅に減ることです。それはすなわちストレスを受けることが少なくなるということです。
先ほども書きましたが、こういう考え方って狭量で偏屈な年寄りにありがちで、意固地で頑固な印象もありますが、ぼく自身は、そういう批判を受けても、もういいかなと思うようになりました。やはり世の中は自分の思うどおりにはなりませんし、思うどおりにならないことを受け入れて人間の度量を増やそうという努力も、もう若くないので、することもないな、と思います。
それよりも日々楽しく暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
わざわざイヤなことや汚いことを見ることはありません。できる限り自分の好きなことや、綺麗なものや、いいことを見て暮らしたいなと思うのです。
仕事帰り、森と海を眺めると、ホッとします…
仕事が終わると会社から電車に揺られて我が家に帰ります。
我が家に帰る途中で気持ちが、仕事モードからいつもの自分モードに切り替わります。
帰る間に、車窓から緑が見え始め、我が家に近づくにつれて海が見え始めます。
ぼくはこの時間がとても好きです。
若い頃は木々の緑がこれほど自分の心をホッとさせるものとは知らずにいました。そして自分がこれほどまでに海を求めているかを知らずにいました。
若い頃に都会で働いて、都会に住む生活を何年か続けるうちに、ある時、自分のジンセイがこうした灰色のコンクリートジャングルの中でほぼ終わってしまうのは結構ツライなと考えるようになりました。それを取り戻すかのように、週末は朝から海に遊びに行ってましたが…
たとえば仕事をしている時間が10時間、寝る時間が8時間、モロモロの家事・雑用をやる時間が2時間。1日のほとんどが都会の中で完結してしまいます。せっかくの週末も仕事で疲れていると、海に出かける元気がない時があります。
そんなこんなで多少通勤時間がかかっても、自然が豊かなところで暮らしたいと思ったのです。
今は、だから通勤の帰りに、次第に緑が増え、海が見えるようになるとホッとします。ココロの中心のコリがほぐれるようなそんな気持ちになります。
我が家は窓から海が見えます。そして家は小高い丘の中腹にたっており、ちょっとした森というか林の中です。
我が家に着けば、潮騒が聞こえ、木の葉が擦れる音が聞こえ、鳥の声が聞こえます。
そうした自然の気配を感じながらビールを飲みます。
眠りにつくときも自然の音が遠くに聞こえます。
朝は波の音と、鳥の鳴き声で目を覚まします。窓から朝陽を浴びる森が見えます。そしてきらめく海が見えます。起きたままの格好でサンダルをつっかけて、砂浜を散歩します。気持ちが穏やかになります。
そういう日々のちょっとした瞬間がとても幸せに感じられます。
今思えば、たぶんぼくは遅かれ早かれ、自然のそばで暮らすことを選んでいたでしょう。それが大切な価値だと気づいたわけですから…
そしておそらく同じような価値観を持つ自然の中で暮らしている方には、きっとこのような気持ちはわかってもらえるのではないかと思います。そういう価値観の人はどうしても自然のそばに惹きつけられてしまうし、都会のようなところでは暮らしていけないでしょう。

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夏の夕立
夏になると夕立が降ることが多いですね。
以前、神奈川県の藤沢の海辺に住んでいましたが、夏の夕方はよく夕立が降りました。
今は三浦半島の西岸に住んでいますが、それほど夕立が降りません。距離としてはそれほど離れていないと思うんですが、気象というのは面白いものです。
気候のだいたいの傾向というのは地域ごとにあると思うんですが、具体的なことはその土地土地によって違いがあるんでしょう。
出張でしばらく前橋にいたことがありますが、夏のあいだ、毎日ほぼ決まった時間に雷が鳴って夕立が降りました。
みなさんご存知のことと思いますが、夏に夕立が降るのは昼間に熱せられた大気が蒸発してそれが飽和点に達するからです。どの程度湿度が高いか、どの程度飽和点に達しやすいかによって夕立が降りやすいところとそうでないところの差ができるのだと思います。
藤沢の場合、海が近くにあるので、真夏はとても湿度が高いのです。そして海からの陸への風(オンショアの風)が吹くと陸で次第に気温が下がりはじめ、水蒸気の飽和点に達しやすくなり、雲ができ、雨が降ります。
前橋の場合、内陸で気温が高いことと、関東平野の北端ということで、東、北、西が山に囲まれており、南からの湿った風が、山に当たることで雲ができ、雨が降ります。
藤沢も北側に高い山があればもっと夕立が降りやすい気候になっていたんではないでしょうか?経験したことがないんですが、もしかしたら丹沢山地ノ影響で小田原とか国府津とか二宮の方が夕立が降りやすいかもしれません。
夕立の理屈はともかく、夏の暑い日に夕立がザッと降ると、気温が下がり、さっぱりしていいですね。暑さでしおれ気味の木々も元気を取り戻すような感じです。ぼくはとても好きです。
ぼくは海遊びをしていることが多いんですが、夏の夕立ならそのまま濡れて雨が降る様子を楽しんだりしています。どうせ海遊び用の濡れてもいい服装でいるわけですし、寒くもないわけで、というか昼間の暑さにヤラレ気味の身体にちょうどいいんです。
夕立が降ると、海の水面が雨に叩かれてザワザワと波紋を広げます。暑くて歩けなかった砂浜もクールダウンします。ぼくの日焼けした肌も濡れてクールダウンします。江の島も雨に霞んでやっと見える程度です。さっきまで大勢いた海水浴客の人達もいなくなりました。30分くらい前とは別の場所のようです。人の声が聞こえなくなり、波と雨音だけが満ちています。自然の音に意識を集中すると気持ちが穏やかになるようです。こんな静かな世界がずっと続くといいなあなんて思ったりします。

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波の音、潮の香り、そして記憶
海辺に住んでいて幸せに感じるのは、ほんの些細な瞬間です。
ぼくがいつもいいなあと思うのは、夏の夜、寝るときに窓を開けると波の音が聞こえることです。(我が家はみんなエアコンが嫌いで、窓を開けて扇風機をつけて寝ます。物騒じゃないか?田舎町ですから大丈夫です。夜中に人が近寄ってくることが余程のことでないとありませんし、もし近寄ってきても犬がけたたましく吠えます)
海が荒れていれば荒れているように聞こえますし、穏やかなならばかすかに聞こえます。
ああ、海が荒れているなあー何て考えているうちにウトウトするのがなんとも心地いいんです。
小さい頃、家族旅行で海に遊びに行って旅館の窓から潮騒を聴いたことを思い出します。
あの頃は楽しかったなあなんて思いつつ、眠りにつくのです。
もうひとつ、いつもいいなあと思うのは、低気圧が近づいてきて風が強くなると潮の香りがすることです。そういうのって梅雨から秋の時期が多いですね。
潮の香りと雨の匂いが混じって、ちょっとワクワクというか切ないというか、いろいろな気持ちが混ざった複雑な思いがします。
大学生の頃、彼女と海をデートしていると雨が降ってきて、近くのファミレスに雨宿りしたときのことを思い出します。大きなガラス窓に雨が流れて、その向こうに少し荒れた海が見えていました。せっかくの海辺デートなんだから晴れて欲しかったのに残念なような、なんとなく気だるいような、ノンビリ時間が過ぎるのを楽しむような、そんな気持ちでした。
そういう自然の匂いって、どこかで昔の記憶と結びついていたりするもので、ふとした瞬間に、意外なことを思い出したりするものですね。
ぼくの場合、大学生の頃から本格的に海遊びを始めたので、思い出すことはたいてい若い頃のことです。
南の離島に強く惹かれるワタクシ
南の島が好き、なんていうとちょっとミーハーな感じですね。
テレビ番組のコーナーかなんかで渋谷にいる女の子に「旅行に行くとしたらどこがいい?」みたいな質問をして、「えー、南の島とか、チョー行きたーい」みたいな答えが返ってくる感じとでもいうんでしょうか。
ぼくの場合は、離島が好きで、20年いろいろな離島に行ってきました。
南の離島の良さはいくつもありますが、たとえば沖縄や小笠原まで南に行くと、気候も違うし植生も違います。それがまずいいですね。
あと、ぼくはスキューバーダイビングをやりますけど、やはり離島というのは人が来ることが少ないので、つまり比較的海の中が荒らされていないので、サンゴの状態も良く、魚影が濃いということもあります。
もうひとつ離島の良さですが、これはもう一番の良さといってもいいと思いますが、人の良さですね。人が優しいし、温かい。もちろんコミュニティの中に入ればいろいろあるんでしょうけど、少なくとも観光客には優しいです。
そしてその人の良さから醸し出されて島中を包んでいる、大らかさとノンビリさ、これはぼくが離島に行きたくなる理由の大きなものです。
島の大らかさやノンビリさの良さを、正反対の例を出して説明してみたいと思います。たとえば車で環七とか環八とか走っていると、前の車との車間距離が空いているとすかさず、他の車が割り込んできますし、少しでもゆっくり走っていると煽られたりクラクションを鳴らされたりします。みんなが先を急いでいて、他の人よりも速く走ろうとしています。その先に何があるか人それぞれでぼくの知ったことじゃありませんが、走っているとこっちの気持ちがすさんでくるのは確かです。
ぼくは都会のそういうことに象徴される人と人との関係性がイヤで田舎町に移住したんですが、それでもやはり年に何度か南の離島に旅したくなります。
小さな南の島に1週間くらいいると、島の人も顔を覚えてくれて、挨拶してくれたり、ちょっと縁側でお茶でも飲んでけと勧められたりして、島のゆっくりした時間に、自分がどっぷり浸かっているのがわかります。
自分の中のセカセカ追い立てられる、あるいは自分自身を追い立てるような気持ちが抜けていくのがわかります。
そうすると、ありのままの自分を受け入れることができて、自分がとても楽になります。これこそブルー・エクササイズの一番の効果だとぼくは思っています。
強い陽射し、吹き抜ける潮風、サトウキビ林、レモン林、そんな風景に自分が溶け込みつつあるのがわかります。
そうすると、ありのままの自分を受け入れることができて、自分がとても楽になります。これこそブルー・エクササイズの一番の効果だとぼくは思っています。
強い陽射し、吹き抜ける潮風、サトウキビ林、レモン林、そんな風景に自分が溶け込みつつあるのがわかります。
海にも「気がいい」ところとそうでないところがありますねえ
テレビを見ているとたまにパワースポット特集とか、ここはパワースポットなんですよ、みたいなことをいっていたりします。確かに霊験あらたかな感じがする場所というのはありますよね。
ちょっと違うかもしれませんが「気がいい場所」「いい気の場所」というのがありますね。
ぼくはいろいろな海に行くんですけど「気がいいな」と感じるところが何ヶ所かあります。ぼくだけが感じているのかなと思っていたんですが、先日相方も同じように「ここは雰囲気がいいわ」といっていたので、同じように感じているんだなと思いました。もしかしたら、ぼくがいろいろな海に連れ回しているんで価値観が似てきちゃっているのかもしれませんけどね。
今住んでいるところも、大学生の頃にふと訪れて「いい海だな」と思ったのでした。その後10年以上経って、物件探しをしているときに不動産屋に紹介されて「あっここだ!ここがいい」と直感したのでした。
論理的に考えることも大切ですが、感覚というも大切ですね。人って自分が自覚している以上に多くの情報を受けとって処理して判断しているんだと思います。
ぼくが気がいいなと感じた海は、ひとつは伊豆の弓ヶ浜です。山に囲まれた地形ですが、明るくて風が抜けている感じがします。
次は宮古島の池間大橋付近です。海がきれいというのはもちろんありますが、それ以上に雰囲気がいいなと感じます。
あとは千葉の南房総の千倉から平砂浦あたりもいい感じがします。
それから、えーとどこだったかな、鳥羽もいいですね。それから串本もいいですね。
基本的に海が好きなので、海に遊びに行っているだけでゴキゲンなんですが、気がいい海にいると不思議に元気になるような気がします。まあこれも気の持ちようというか、そういう気がするだけかもしれません。でもまあ、科学的根拠が今はないけど、自分がそう感じるんならそれでいいんじゃないかと思っています。
潮風に台風の予感がすると、胸がザワザワします
子供の頃は台風がくるとちょくちょく停電しました。今は余程のことがないと停電しませんね。停電するということは他にもかなり被害が出ているような状況だといえるかもしれません。
ぼくは子供の頃から台風が好きでした。もちろん被害は怖いですが、あの低気圧が迫ってきて、町や人がちょっと緊急時な感じを見ると、なんとなく胸がザワザワします。
大人になってもそれは変わらなくて、なんとなく雲の流れが速くなり、風に湿り気が混じってきたなと思うと、波の音が高まってきたりして、そうするとなんとなくソワソワします。意味もなく砂浜に行ってみたりします。
やがて風に潮の匂いが強くなり、木々の揺れる音が大きくなり、雨が断続的に強くなったり弱くなったりします。そうすると上下を雨具に着替えて、傘もささず、再び砂浜に降りていって、大波が押し寄せる様子を眺めたりします。
危ないからやめなさいと相方にはいわれますが、家の中にジーとしていることができません。
そんな日の海は凶暴というか圧倒的というか、もうその力の前にはなすすべもない、自分がまったく無力な小さな存在だと感じます。穏やかな日の海と台風の日の海。同じ海の大きな変化は、自分の知っていることや自分のできることの範囲が有限であることを実感させます。
終わりなく続きそうな大波をただただ呆然と眺めていて、気がつくと1時間くらい経っていたりします。
あの台風の日のザワザワ感やソワソワ感はなんなんでしょう?
いったいぼくの中の何が家の中にジッとさせないのでしょう?
自分が無力で有限な存在であることを確認するためでしょうか?
それとも気圧の変化にぼくの脳が影響されたのでしょうか?
理性では危険だとわかっていながら、面倒くさいのにわざわざ着替えて海に行く、合理性があるのでしょうか?
よくわかりません。
東京湾が近づくと寂しくなりますねえ
旅に出たくなります。ムラムラと、唐突に…
特に離島に行きたくなります。
この衝動は、新しい病気か、生い立ちに問題があったのではないかと、母ちゃんに訊いてみたくなるほど強いもので、結構困ってしまいます。衝動買いというのはよく聞きますが、ぼくの場合は衝動旅ですね。
仕事を休みが取れれば、沖縄なり海外の離島に行けばいいんですが、なかなかそんなに休みが取れません。
そんなぼくが、大学時代からこれまで、離島へ旅立ちたい衝動が起きたときに行くのは伊豆七島です。特によく行くのは八丈島、三宅島、新島、大島ですね。
八丈島は飛行機で行くことが多いですが、その他の島は船で行きます。
なにせ金曜の夜、仕事が終わったら旅立って、日曜の夜に帰ってくればいいんです。
そうすれば会社の誰に後ろ指を指されることなく、堂々と衝動旅ができます。
八丈や三宅まで行くと、陽射しもギラギラと強く、植生もどことなく南国です。海の青さも外洋の色です。ぼくはスキューバーダイビングをしますから、このあたりの海に潜ればけっこう大物が見られるかもなあとワクワクしてしまいます。リゾートへ来たという嬉しさは堪りません。
そんな週末離島旅をこれまで何度してきたことでしょう。
若い頃お金がないときは八丈も船で行っていました。あの頃は飛行機のチケットが取りづらいということもありました。船のよさは飛行機に比べ減圧症の心配をせず潜れることです。理想的なダイブプロフィールでは、飛行機搭乗の24時間前までにダイビングを終えていないといけません。18時間とかいろいろな時間がいわれていますが…
なので、船便を選択した場合、竹芝から乗船します。
金曜日の夜、スーツを着替えて浜松町のコインロッカーに入れて、Tシャツ・短パン・ビーサンに着替えたときの解放感は、感動的でさえあります。そこから竹芝桟橋まで歩いて、途中で酒とつまみをしこたま買って、八丈行きの船に乗り込みます。船に乗った時から、日常のあれやこれやからは離れることができて、その解放感はやはり旅ならではでしょう。
船から島影が見えてきたときというのも嬉しいものです。
島ではほとんどスキューバーダイビングをして過ごします。
潜って、宿に帰って、酒飲んで寝る。翌日は、船に乗って東京へ帰るわけですね。三宅島だと午前中に1本か2本潜れますけど…
いつもいつもそうなんですが、八丈や三宅から帰ってくる船というのはどことなく寂しいのです。そして本州が見えてくると、だいたい伊豆半島か房総半島が見えてくるわけですが、そうなるとかなり寂しいのです。リゾートの世界から日常の世界戻って来ちゃった感じがします。ぼくなどは毎回このタイミングで号泣してしまいます。橘丸のデッキで号泣しているオジサンがいたらそれはたぶんぼくです。
東京湾というのは海もちょっと灰色っぽくて、空も青くないんですよね。
ああ東京湾…アア東京ベイ…って一曲できちゃいそうです。
東京湾というのは海もちょっと灰色っぽくて、空も青くないんですよね。
ああ東京湾…アア東京ベイ…って一曲できちゃいそうです。
海の男というのはテキトーなもんです
宮田珠己さんの日記風のエッセイを読んでいたら、だいたいこんな主旨の件がありました。
~これまで居丈高をいじょうだかと読んでいた。会社員のときは、おざなりとなおざりがゴッチャになっておなざりといってしまった~
と、まあだいたいこんな内容だったと思います。
宮田さんといえば、頭のいい教養もある人だと思いますが、そんな人でも結構間違えているんだなと笑えると共に、こちらも気が楽になりました。ぼくだったらさしずめ「オナずり」と間違えたいなあ、その方が妙な雰囲気が漂っていいなあ、職場の女性にどん引きされそうだし、酒の席でのネタになりそうだし…などと思うのでした。
って、まあ、そんなにちゃんとした文章を書く必要もなく、そんなにちゃんと生きなければいけないという法律があるわけでもありません。
といってもそれは、ぼくの暮らしている周囲の人がとてもちゃんとしている人が多くて、税金もちゃんと納めているし、ゴミの日は間違えないし、マイナンバーカードはちゃんと受けとってキチンと貴重品箱に保存しているし、有給休暇だってフルにとったことはないし、仕事の締め切りをオーバーしたことはないし、NHKの受信料も払っているし…以下たくさん続けようと思えば続けられるけどやめときます。
そんな人ばかりに囲まれてるレベルで、ちゃんとし過ぎなくてもいいといっているので、働けるけど働かないで生活保護受けてるとか、法律違反ギリギリのことをするとか、家をゴミ屋敷にして近所の人に迷惑をかけるとか、そういうことをいっているのではないのですね。
あくまでもフツーの人のフツーの暮らしのレベルで、フツーの市民として生きていく範囲で、そんなに全力で一生懸命ちゃんと正しく生きなければいけないなんて考えると疲れちゃうんじゃないですか?ということがいいたいのです。
ぼくは海遊びをしてきて、友達はサーファーやダイバーやセイラーですが、そんな人達というのは、もちろんちゃんとした人もいるんですけど、やっぱりどこかマイペースというか、アバウトというか、海の男というか、小さなことなんか気にせんでよか、男はどーんと大五郎、みたいな人が多いんです。
ぼくはそういう人達の中にいると気がラクでとっても快適に暮らせるんですけど、ワリと几帳面なぼくの相方などはちょっと苦手みたいです。
毎日、海に出て酒飲んで、その日が楽しくて、それが毎日続けば、まあいいんじゃない…みたいな生き方とか、ちょっと今、南米の海がいい感じだから、半年くらい行って来るわ、でその後、アフリカにも寄って来ようかな…みたいな生き方とか、そんな人達がぼくの周囲には大勢いて、ぼくもそんな風になりたいなあなどと思う春の宵なのでした。

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