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やっぱりワタシ、都会で暮らせないわ



 わけあって都内の親戚の家に1週間ほど滞在し、そこから通勤する機会がありました。
 親戚の家は渋谷まで電車で10分程度の住宅街のマンションの高層階です。
 それで感じたのは、やっぱりぼくは都会では暮らせないなということです。
 なんだか息がつまりそうなのが一番の理由です。
 なんで息がつまりそうなのかなと考えていたんですが、自分家と比べると、空が狭いですね。そして当たり前ですが、海がなくて山がないです。窓からの景色もマンションが見えるので、景色が抜けていない、広がっていないです。そしてどこに行っても人がいる。それも結構な人口密度で…
 で、なんだか疲れてしまった1週間なのでした。
 普段我が家にいるとそれが当たり前になっていて、最近ありがたみを感じていなかったんですが、海が見えて、潮騒が聞こえて、潮風の匂いがして、山の緑があって、鳥のさえずりが聞こえて…っていろいろあるわけですが、そういう海辺に住んでいると当たり前のことが、自分にはとても大切なことだとわかりました。
 もちろん津波など自然災害のことは心配なのですが、そういう自然災害のリスクはおそらく日本に住んでいると、どこの地域でも多少はあるでしょうから、自分が安らげる場所で暮らすのは、やはり大切なんだろうなあと思うのです。
 こういう自分は、もっと自然が豊かなところで暮らす方がいいんでしょうけど、家族のこととか、仕事のこととか、様々なしがらみがあって、今はその妥協点みたいな感じの選択をしています。それはそれで、現状では一番よい選択だろうと思っているんですが、実はもっと自由で、いろいろなタガを外して生きてもいいんだろうなあとも思います。
 大学時代の友達で、やたら世界中を旅して、今もそうして暮らしているヤツがいますが、そいつの話を聴くと、自分が常識的でつまらない人間に思えてきて、若干自己嫌悪になったりもします。
 正しい生き方なんてないと思いますし、自分は自分なわけですが、全開で自分らしく振る舞っているわけでもない現在の自分の、その中途半端さが、自分でイヤだなと思う今日この頃なのでした。




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桃源郷に憧れますね




 桃源郷というのはなんともワクワクする言葉ですね。
 ぼくも今度引っ越すときには桃源郷のようなところに引っ越したいと思っています。
 ちなみにぼくの桃源郷への思いを高めるために原典を振り返ってみたいと思います。
---------
陶淵明、桃花源記より
晋の太元のころ、武陵にひとりの漁師がいた。漁師はある日、いつものように
小舟を操り、魚を求めて山峡の川に沿って上がっていった。
どれほど舟を進めたことだろう。ずいぶん遠く、見覚えのないところ
へ出た。と、そこらあたり一面に桃花の林が広がっていた。その広さ
はどうやら数百歩ほどあったろうか。だがそのなかには一本も雑樹は
見当たらず、桃の木ばかりがえもいえぬ甘美な香りを漂わせ、美しい
花片が華やかに舞っていた。
見事な景観に、漁師はしばらく見惚れていたが、やがてその林のもっと
先を突き止めてみたくなった。そこでさらに舟を進めて行くと、水源の
あたりで山に突き当たった。その山には小さな穴が開いていて、
ぼんやりと明るいので、漁師は舟を下りてその入り口から中に入って
いった。初めはやっとひとりの人間が通れるほどの広さが、五、六十歩
も歩くうち、にわかにぱっと四囲が明るく開けた。
眩しい眼を見開いて眺めると、土地は四方に広がり、住居がきちん
と建ち並び、遠近に地味豊かな田畑があり、桑や、竹も育っている。
田のなかの路も縦横に通じ、鶏や犬の鳴き声も聞こえるし、畑仕事の人々や
往来する男女はみな異国人のような装いをし、黄髪の老人も子供たちも
にこやかに楽しそうであった。
ぼんやりと突っ立ている漁師に気付いた人々は見慣れぬ男に驚いて、
どこからやって来たのかと訊ねた。漁師がありのままをつぶさに答え
ると、さっそく彼を一軒の家に案内し、酒をつけ鶏をつぶして馳走をつくり、
大いに歓待するふうであった。やがて漁師のことを伝え聞いた村中の人々が
集まってきて、交々彼に訊ねるのであった。
そして人々の言うのには、
「私どもの祖先が、妻子ともども村の者たちと秦の世の戦乱を逃れて
 この絶境に来て以来、一度もここを出ませんので、とうとう他所
 の人さまとまったく関わり合いがなくなってしまいました。ところで、
 今は一体どういう時世なのですか?」
と、漢のことも知らなければ、もちろん、魏・晋のことも知らない。
漁師が詳しく説明すると、みな感に堪えたように聞いている。
こんなことで、漁師は家から家へと連れて行かれ、酒食を振る舞わ
れては人々に話をするので、四・五日もいてしまった
やっとその村に別れを告げて、元の舟を繋いだ所に出、川沿いに
帰路についた。帰り際に、「私どものことは言うほどのこともありませんから、
他所さまにはお話しにならないでください。」と、言われたものの、
途中所々に目印を残しておいた。
さて家へ辿りついた漁師は、さっそく郡の太守のもとへ行き、
自分の珍しい体験談を話した。太守も大いに興を覚え、人を差し向
けて再びそこへ案内させた。しかし、帰途につけた目印はいくら探し
ても見当たらず、前に行った路を見出すことはできなかった。
たまたま、南陽に劉子驥(りゅうしき)という君子がおり、
この話を伝え聞き、欣然としてその仙境へ行こうとしたが、その志
を果たさぬうちに病で世を去った。こののち再び赴こうとする者は
なかったということである。
---------
 ぼくが好きなのは「その山には小さな穴が開いていて、
ぼんやりと明るいので、漁師は舟を下りてその入り口から中に入って
いった。初めはやっとひとりの人間が通れるほどの広さが、五、六十歩
も歩くうち、にわかにぱっと四囲が明るく開けた。」という件です。
 で、その先には平和な村の営みが広がっているというのも堪りません。
 ぼくは常々思うんですが、社会って(おぉっ大げさな物言い)心根のいい良識ある知的な人が集まってこそよい社会ができるのではないでしょうか。
 それって極端な選民思想に繋がる危険性はあるのですが、われわれが1000人以内の集落に住んでいれば、子供達は集落のみんなで育て、教育をし、集落のすべての人と密な意思疎通をすることで、その共同体は平和に知的に維持できるのではないかと思うのです。
 今の世の中はおそらく逆で、様々な生い立ちや立場や宗教観の人が互いに意見を交わし、智恵を絞ることで、これまでになかった新しい良いものが生まれるであろう。それこそが社会を革新するパワーの源泉である、というのが大まかな思想的な枠組みだと思うんですね。ぼくも理念的には理解できます。でも現実はうまくいかない。相互理解不足と無関心と差別と貧富と争いが絶えません。
 それはおそらく人が直感的に把握できる日常生活レベルでの集団というのは、多くても100人、適性規模だと20人くらいだと思うんです。それをグローバルだ世界規模だ地球は1つだとかいいだすと、いろいろな問題が表面化してしまうんではないでしょうか。
 それでもそうした多様性を受容するグローバルでの人間社会がうまく機能するようになれば、人はもっと平和に楽しく暮らせるようになるかもしれません。
 ただ、ぼくはもうオジサンでして、あと20年~30年生きればいいとこでしょう。
 だからぼくは限られた人による小さな共同体を作ったほうがいいんじゃないかなーという気がします。
 というか小さな把握可能な共同体の方がいいというのは、ぼくのかねてからの持論です。国家とか県とか何百万人なんていう市だと、みんなの共同体への帰属意識が薄くなるから、たぶん1000人以下のみんなが何してるかなんとなく把握できるような規模が共同体としてベストだというのがぼくの持論です。そこでの公務員の役割はみんなが当番制でやると。なので公的セクターを支える税金は少なくて済む。そうした共同体が連邦するような形で国が存在するというのが理想なのではないかと思っています。
 どの共同体に属するかは選べるようにするわけで、そうすると競争や富を蓄積するのが好きな人は、そういう共同体に属すればいいですし、ノンビリ過ごしたい人はそういう共同体を選べばいい。エコで自給自足な価値観を大切にする人が集まるとオーストラリアのクリスタル・ウォーターみたいなところを選ぶといいのでしょう。
 桃源郷はさながら良識あるノンビリ派の人達の集まりなのかなあと思います。
 ぼくだったら、海辺で、みんながノンビリしていて、あくせく働かなくて、ウォータースポーツを楽しんでいるような共同体を選びたいですね。湘南の一画にそんなのできないかなー。

 あぁいいなあ。そういうの。

 桃源郷とかユートピアというのは、歴史的に人の欲求のひとつなのでしょう。
 殺人や戦争が歴史的になくならないのと同じように、歴史的に人はより良い、より幸せな社会の実現に向けてこれからも少しずつ進歩していくと信じています。







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湘南、いろいろな時代、いろいろな人々、そして海…




 観光客がいつもやってくる町、湘南。
 地元の人は湘南とはいいませんが、あの一帯を指すには便利な言葉なので、必要な時に限ってぼくは使います。
 夏になるといつもにも増して人がやってきます。
 無邪気に海で休日を楽しんでいる人を見るとなんとなく考えごとをしてしまいます。



 湘南あたりの観光地は、観光客や暴走族や不良などが夏になると集まる場所と、地元の比較的裕福な人が行動するエリアは、はっきりと明確に分かれています。
 そういう人達の人間模様を見ていると、日本って決して平等な社会でもないし、格差が少ない社会でもないと思います。というよりかなり階層が固定化されつつある格差のある社会ではないでしょうか。

 たとえば七里ケ浜のセブンイレブンで相模ナンバーのヤン車を駐めて、からあげ棒をかじっている若者からおよそ5km離れた、七里ケ浜の丘の上の1億円くらいの家では、近所の奥様方のティーパーティーが開かれています。
 小田急で鵠沼海岸にやってきた大学生が、砂浜で日焼けしている頃に、松が岡の邸宅では、芝生を貼った広い庭のデッキチェアに寝転んでノンビリ過ごす奥様がいます。
 東京から横須賀線でやってきた観光客が逗子海岸まで歩いている時に、逗子マリーナでは自分のクルーザーを出して、洋上でパーティーを開いたりしている人がいます。
 

 もともと葉山、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、大磯は、明治の頃から政財界の人達の別荘地でした。なので、いまだにそうしたコミュニティが残っています。

 たとえば、ぼくの友人はフツーのサラリーマンですが、それでも大学の卒業生の会のなんたら支部というのに入っていて、年に何度か会合があるようです。しかも彼はヨット部だったので、部の先輩後輩との付き合いもかなり濃厚なようです。
 会合は馴染みの料亭で開かれ、わりと有名な顔ぶれの先輩達に励まされ、活を入れられるというような、下積みの20数年という典型的年功序列型の人生。
 その先輩のじいちゃん達が政治家の子供だとか、親戚だとか、孫だとか、宮家の血筋だとか、有名な会社の相談役だとか、監査役だとか、代々、外交官だとか、そういう面々が揃っていて厳然と実権を持っているので、いろいろ利害があって頭が上がらないそうです。今の会社も先輩の紹介で入ったといっていました。

 ぼくの身近なフツーのサラリーマンの友人でさえこんな感じなので、もっとコアな人達はさらに独特なコミュニティがあると思います。
 ぼくが漠然と感じているのは、何代かにわたってそういう感じの層とただのお金持ちは別なコミュニティらしいということです。
 コミュニティが細分化されているのですね。
 そう、仲間は限られた同士の方が連帯が強くなりますから…


 一方で目を転じると、海が広がっています。
 海はおそらく何万年も変わらずそこに存在していたのです。
 そして今日も変わらずそこにあります。
 海から見たら人の営みというのは、どんな風に見えるのでしょう。

 湘南という土地を踏まえるとなお一層感慨深いのです。
 少し遡るだけで、そこでは三浦氏が権勢を誇り、源氏に滅ぼされ、源氏も滅び、北条氏も滅び、江戸の末期には浦賀にペリーがやってきて、その後江戸幕府は大政奉還し、昭和には陸軍・海軍の基地があったのです。
 それぞれの時代にその時代の権力を握った人がいて、それが100年も経たないうちに移り変わった。そしてそれが繰り返されている…


 そんなことを考えていると、なんとなく切なくなってきます。
 この切なさはどこからくるのか?自分でもよくわかりません。
 人はいつまでたっても変わらないのでしょうか?






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海はテキトーでいられるからいいな




 ぼくは物心ついた頃から大雑把な性格のようで、よく周りの人からいわれてきました。よくいえば大らか、悪くいいえば大雑把・アバウト・テキトー。
 でも性格というのは直らないようでして、オジサンになっても相変わらず大雑把なままで、たぶんこのまま大雑把なまま死んでいくでしょう。
 一方、ぼくは海が好きでして、海が居心地がいいんですが、それは大雑把さを受け入れてくれるからかなーと思います。
 基本的に海は誰のものでもなく、って正確には国のものだったり、漁業権がありますが、私有地ではないという意味で自由です。それに自治体が管理している公園のように「あれは禁止、これも禁止」という何もできないような場所に比べると、はるかに自由です。
 アウトドアスポーツをする人による、アメリカなど海外に比べ日本の自然利用の不自由さを嘆く声はずっと続いてきましたが、まあそれはそうだと思いますが、「都会なんかよりもずっと自由だもんね。だから比較的ラクなんだもんね」とぼくは思っています。
 海という自然自体がたいていのものを受け入れてくれる感じがします。それはもちろん極少ない数の人間の場合ですが…
 たとえばぼく一人が海辺で海藻をとったり、おしっこをしたりしても(すみません。できる限り公衆トイレを使うようにしてます)、それはほとんど影響がないわけで、そういう感じが好きなのかなあと思います。
 短パンにビーサンにTシャツ、寝癖の髪の毛、髭ぼうぼうって都会だとヘンな人だと思われますが、海辺では別にどうってことありません。
 気候がよければ、砂浜で寝られます。
 砂浜で一日ボーッとしていても、誰も何とも思いません。
 大きな声を出したり、鼻歌を歌ったり、砂浜を走り回ったりしても大丈夫です。
 シーカヤックやボートで海の上に出ればもっと自由です。
 そういうのって大したことじゃないようですが、町ではできないことで、それができるっとやっぱり気が楽です。
 それから、死ななきゃいいみたいなところがあるのも、大雑把なぼくには好ましいですね。
 そう、海で遊ぶうえで大切なことは、この死なないで帰ってくるということで、とてもわかりやすいですね。そのわかりやすさがいいです。







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ボーッとする時間って大切だなーって思います




 みなさん毎日忙しい日々をお過ごしのことと存じます。
 といいつつ通勤電車なんかで見ていると、ひとかどのサラリーマンが、本を読むわけでもなく、ボーッとしているんですよね。そういう人が圧倒的に多いんですよね。
 ボーッとしている人と何かやっている人の割合は、だいたい8:2くらいだと思います。
 別にボーッとしているように見えても、たぶん頭の中では、仕事のこととか家庭のこととか恋人のこととか考えていると思うんですが…
 ぼくは海遊びをしているときに、いろいろ考えたりボーッとしたりしています。いろいろ考えるというのは、風や波や潮の流れなどの自然条件が変化していないかとか今の自分の判断は適切なのかといったようなことです。安全に海遊びをするためのことを考えているわけで、仕事のことを考えているわけではありません。
 あとはボーッとしています。
 つくづく思うんですが、このボーッとする時間って大切ですね。
 仕事に集中したり、難しい本を読んだり、テレビを見たり、パソコンやスマホを見ていると、ぼくの場合結構疲れてきます。身体ではなく頭の芯が疲れる感じです。で、ある一定のところまでいくと頭が働かなくなる感じがします。
 そういうときにボーッとするのって大切だなと思います。
 ぼくの場合、海でボーッとするのが一番ですね。
 気分がスッキリします。頭もスッキリします。






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さすらいたい




 海が好きで、旅が好きで、そんな日々を過ごしていたらオジサンになってしまいました。
 日本の海を巡りたい。
 世界中の海を訪れたい。
 そんな気持ちがいつもあります。
 さすがに家庭があるので実際はできませんが、年に何日かは海辺の旅をします。

 そこには知らなかった美しい海があり、人々の暮らしがあります。
 できれば気の向くまま旅を続けてみたいと思うことはしょっちゅうです。
 暮らしやすそうな海辺があれば、半年か1年かわかりませんが、居たいだけ居てみたいと思うこともあります。

 旅から帰ってくれば、次の行き先を考えるともなく考え始めています。
 地図を眺めて、赤道や南回帰線のあたりの島々の情景を想像します。強い陽射し、熱い砂、見たことがないような青さの海。
 ぼくの旅への思いは止むことがありません。




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海辺の森を散歩する冬の一日




 ぼくは海が好きですが、植物をはじめとした森や林も好きです。なので高原も好きなのですが、海がないことが多いのでそこが残念です。
伊豆高原のように海が近くて山があるなんていう土地はとても好きです。
 ぼくの家のあたりは海べりなのですが、ただ海が近いだけでなくて、海のそばまで山が、山といっても低い山ですが、迫っています。珊瑚礁の海やカリフォルニアのような海ではありません。でもそんな海と山が近い景色が好きです。
 例えば出張や旅行で地元から離れていて、数日ぶりに戻ってきた時など、海と山の風景が目に入ると、なんとも懐かしい思いと共に肩の力が抜けていきます。
 美しい風景だなと、豊かな自然をありがたく思います。
 大雑把に日本全体が火山島だと考えれば、火山が噴火して、あるいは土地が隆起して陸ができているわけですから、それ以外は海というのがよくある風景なわけで、そうした場合カリフォルニアのように平地がノペーっと続いている土地の方が少ないのではないでしょうか。
 ぼくの家のそばに小網代の森というのがあって、雑木林や葦などが群生しているところです。
 たぶんこれはずっと昔、山の根と根の間に海が入り込んで、入江になって、それからまた海が引いて陸になったところに葦などが群生したんじゃないかなと思います。
 そういう海と山が近くて両方の良さを楽しめる土地が好きです。
 海況のいい日は海で遊び、海が荒れてたり、すごく寒い時は山を散歩するというのが、ぼくの休日の過ごし方です。三浦半島の名もない山(というか岡)なんて誰も登りに来ないので、人に会うとびっくりするほどです。そんな山道をポクポク歩いて、ところどころで昼ご飯を食べたり、コーヒーを淹れて飲むなんてのが楽しいです。
 冬だと空気が抜けていて遠くの景色まで見渡せます。木々は葉を落としていますが、幹や枝振りがはっきりわかります。シンとした森の中にぼく1人だけジッとしていると、何かしら木々の気配を感じるほどです。
 ぼくにとっては冬の風の強い日が山日和、そんな冬の一日も楽しいものです。





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海辺で穏やかに暮らしたい




 ぼくは海が好きで、三浦半島の海辺の田舎町に移り住みました。
 子育ての環境を考えたり、仕事一辺倒で一生過ごしていいのかなという思いがあったりして、移住に踏み切りました。
 本当はもっとノンビリした場所、というか率直にいうと田舎、を選びたい気持ちもありましたが、家族や仕事のことが制約になりました。
 同じ首都圏近郊の海辺でも、茅ヶ崎とか藤沢とか鎌倉とか勝浦とか鴨川に引っ越さなかったのは、ノンビリ穏やかに暮らしたかったからです。海が好きでしたから、首都圏近郊の海はだいたい何度も訪れていて、しかも藤沢や大磯には何年か暮らしていましたから、土地勘みたいなのはありました。
 ぼくの理想のイメージは、(夏でも)人がいないビーチでウォータースポーツしたり散歩したり、近所の人と親しくお付き合いするというものだったんですが、先ほど書いた町は、文字どおり町で、ビーチは人が多く、道も慢性的な渋滞で、休日は観光客でワサワサしていました。まあ大雑把にいうと東京近郊の住宅地と日々の暮らし自体はさほど変わらないと思いました。
 ぼくが海辺に引っ越したかったのは、穏やかに暮らしたかったからなのです。
 静かな環境と豊かな自然とノンビリした人々との暮らしの中で、家族を中心にして、ウォータースポーツなどで海と接する日々を送りたい。そんな暮らしが、ぼくにとってはとても価値の高いものなのです。
 仕事もおもしろいですし、町で付き合う友人との時間も楽しいです。しかしそれはぼくにとっては最優先の事柄ではありません。やはり海にからんだ時間が大切です。
 ただ海に関係していればいいのかというとそうでもありません。
 それから海関係の友人をやたら増やしたり、人脈を構築してどうのこうのというのにも関心がありません。
 以前、スキューバーダイビングで知り合った人と、ダイブトリップに行ったことがありますが、この人がせっかちで、旅先で何かやっていないと気が済まないという人でした。次から次へとアクティビティのスケジュールが入って、一緒に旅行していて疲れてしまいました。
 ぼくはノンビリ穏やかに海辺での時間を過ごしたいんです。
 そんなぼくとペースが合う人と付き合えればいいやと思っています。
 偏屈かもしれませんが、今さら自分の好みを抑制してまで友人を増やそうとは思いません。今付き合っている友人達だって、スケジュール調整して年に数回遊ぶのがやっとなんですから…
 季節によって少しずつ変わっていく雑木や草花の様子を眺めたり、そこにやってくる鳥の種類を調べたり、海で季節の魚や海藻をとって料理をしたり、日々変わる海の様子を感じたり、野菜を直売所で買って旬の味を楽しんだり、そういうひとつひとつのことを、丁寧に慌てないで行いながら、過ごしたいなあと思います。




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海好きは今日もまた海へ出ていく




 ぼくはオジサンでして、海遊びをする仲間の多くは同年代の人が多いです。もちろんおじいさんもいますし、若者もいますが…
 同年代の仲間のその人生的な状況というのは、奥さんがいて子供がいて、職場でも相応の地位だったりします。それなのにまだ海遊びをしているというのは、やはりどこかしら海が好きでしょうがないような人ばかりといっていいでしょう。
 だいたい家族ができて仕事が忙しくなるあたりで、趣味はそこそこにしてしまう人が割合としては多いんじゃないでしょうか。それはぼくのようなタイプの人からは「歳をとった」「魂を会社に売った」「自分らしさをなくした」とケーベツの気持ちを含むあからさまな視線を注がれるわけですね。
 でも世間の常識からすれば「仕事を一生懸命やっている」「家族思いの人」「常識をわきまえた人」と評価されるだろうと思います。
 ぼくは相方と結婚する前からずっと海遊びをしてきました。
 それこそ有給休暇を使いまくり、上司や同僚の冷たい視線を軽いジョークでかわしつつ国内海外の海へ行っていました。そのころはスキューバダイビングとサーフィンがメインでした。
 若さ故に無理目のダインビングをしたり、かなり高いうねりの中でサーフィンをしたりしました。今思えばよく死ななかったなと思います。
 そして相方と結婚し、子供もでき、いわゆる普通の家庭を築いてきたわけですが、それでもよく海遊びに行きます。(子供が小さい頃は一応子供の世話をしてましたよ!)
 相方はそんなぼくに対して不満があるかというとそうではないといいます。まあ本心はどうか知りませんけど…
 たとえば女や博打にはまるよりいいとか、いってもどうせ聞かないしとか、海遊びをやめさせてストレスが溜まってもいけないとか、そういう打算的なことを考えているかもしれません。
 でも、ぼくは20代からずっと海遊びをしてきましたし、他の趣味をするわけでもなく(実際ぼくはどんなに誘われてもゴルフやスキーはやらないことにしています)、ずっとそれを続けてきました。それに対し相方は相方なりに、ぼくのそういうこだわりを尊重しているように感じます。そしてそれがぼくという人間であり、それをとったらぼくはぼくでなくなるということを理解しているようにも思えます。
 そして子供達もぼくがそういう海遊びで、かなりハードな状況でも海に出て無事に帰ってきたり、あるいは世界のかなり辺境の島に行ったりすることに対して、「かっこいい」と思っているような気がします、たぶん… もしかしたら内心は「しょーがねえオヤジ」と思っているかもしれません。
 自分でこんな事を書くのは恥ずかしいですけど…だいたい自己評価というのは甘いものです。
 海遊びはぼくにとって、直らない習慣であり、青年時代からぼくをぼくたらしめてきた要素であり、ストレス解消法であり、人生を過ごしていくうえでの学びの場なのです。
 そしてぼくの海遊び仲間のオジサン達は、相変わらず集まっては、海に出ていくのです。





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島の人達の暮らしから生きることの原点を思う




 ぼくは離島が好きです。それもできる限り人口が少ない観光客があまり来ない離島が好きです。
 離島が好きな理由はいろいろあるので別な機会に書くことにします。
 離島に行くたびに感じるのは、島の人の暮らしというのは非常にわかりやすいなということです。
 まず、人口が少ないのでサービス業のような第三次産業はあまり盛んではないです。
 商店が1軒か2軒。飲み屋も1軒か2軒。自動車整備工場が1軒。ガソリンスタンドも1軒。役場、小中学校。あとは漁業か農業です。
 で、島の人と話すと、だいたい今日食べるものが獲れればまあいいんでないの、みたいな考えでいらっしゃるわけですね。
 このあたりがすごくわかりやすいなあと思うわけです。
 ぼくは東京に働きに出ていて、オフィスワークをします。そして給料をもらって生計をたてています。やっぱり仕事ですからキツいなとか、大変だなという時期もありました。そのたびに思い浮かべていたのは島の人の暮らしです。
 いざとなれば人というのは、その日食べるものを収穫して暮らしていけるのだということを、知っているのと知らないのとでは、これはずいぶん気持ちというか世界観として違うと思うような気がします。
 ワタクシは一応家庭がありまして、子供がいます。
 子供は勉強して、学校に行って、会社に入ろうなんて、よくあるイメージを持っているようですが、子供にはときどき離島に連れて行って、島の人達の暮らしを見せるようにしています。
 生きるということの一番シンプルな状態は、今日食べるものを獲得することである、そしてそれが続けば人は生きていけるということを知って欲しいと思うからです。






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