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一日中、ビーチで過ごす幸せ



 ぼくは海辺の田舎町でノタノタと暮らしています。
 ぼくにとって自宅で過ごす時間は、基本的に幸せです。
 そしてアウトドアで過ごす時間は、もっと幸せです。
 特に幸せなのは、一日中海のそばで波の音を聞き、潮風に吹かれながら過ごすことです。
 たとえば朝起きて、チェアとテーブルとピクニックセットを持って、家の前のビーチに行って、そこで本を読んだり、コーヒーを飲んだり、スノーケリングやシーカヤックなどのウォータースポーツをしたりして過ごします。
 海を眺め、波の様子を観察し、空を見上げ、遠くの島々に視線を移します。
 潮の香り、波の音、肌を撫でる潮風。
 日が東から、南中し、西へ傾いていきます。
 そして夕方クーラバッグから冷えたビールを取り出して夕陽を眺めながらマジックアワーを楽しみます。
 一日中、海の自然の中にいる、というか曝露している、さらされていると、気持ちが伸びやかに大らかになります。
 やっと自分らしい自分にもどれたなあと思うのです。
 平日に仕事に行っている自分、満員電車で息を潜め、上司のバカバカしい指示に従い、それが必要なのかどうかよくわからない仕事に取り組んでいた自分から離れて、本来の自分になれるのです。
 太陽の光を浴び、潮風に包まれ、波の音を一日中聞いていると、身体の中の不純物が洗い流されていく気がします。
 家に戻り、風呂に入り、音楽を聴きながらビールを飲むと、まだ身体がビーチにいるような感覚があります。そのまま波の音の残響を聞きながら眠りにつくのは、とても深く眠れて幸せなのでした。








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海のことを考えて、気分を少しでも上げていこう



 鴨長明とかいろいろな人が書いていた気がしますが、世の中で生きていくのはいろいろとあってたいへんですね。
 仕事もたいへんだし、出世もあるし、家族のこともあるし、親の介護のこともあるし、自分の健康のことも気がかりだし、世間体だってあるし、細かなイライラもありますよね。人ってそういう悩みを抱えながら生きて死んでいくのかなあなんて思ったりします。
 ぼくは何かに追われて、急かされて何かするのが苦手なんです。あとは人口密度の高いところが苦手です。そんなことがあって海辺の田舎町に引っ越したのでした。
 それでも日々の心配事やイヤなことは尽きません。なぜそうなのかなあって考えてみたんですが、それは自分が心配事やイヤなことを考えてしまうからじゃないかと思いました。
 なんだか変な結論ですが、どれもこれも差し迫って対応しなきゃいけないことじゃないし、考えなければ存在しないも同然じゃないかって思ったんです。
 ぼくの場合、心配事やイヤなことを考えるのは、電車での移動時間と寝る前が多いんです。逆に海で遊んでいるときや海を眺めているときは、ほとんど考えません。なので、心配事やイヤなことを考えがちな時に、海遊びや海辺の暮らしを楽しむことを考えれば楽しく過ごせるんじゃないかと思ったんです。とても単純ですが…
 実際やってみると、 心配事やイヤなことというのは自動的に考えてしまっているようです。なので、なるべく早くそれに気づいて、別な楽しいこと〜ぼくの場合、海のこと〜を考えるようにしています。
 それで状況は改善されているような気がします。
 具体的に海のどんなことを考えるのかというと、これまで試したものだと、今度の休みはどんなウォータースポーツをしようかとか、こんなことをしたらもっと楽しいんじゃないかとか、次の長期の休みはどこに旅行に行こうかとか、まだ行ったことのない美しい海はどこだろうかとか、まあそんなことを考えていると気分も少し上がります。
 単純ですけどね…











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この冬のドライウェアのインナーにワークマンのアンダーが活躍しました



 季節はだいぶ暖かくなってきましたが、ドライの時期はまだまだ続くと思いますので、ちょいと備忘的に記事をまとめてみたいと思います。
 ぼく的には今年はワークマンをやたら使ったような気がします。世間的に流行っていたというのもありますし、安くて丈夫で実用的というのもあったと思います。
 特にドライウェアのインナーには、ワークマンを多用しました。それは「キルトレイヤー丸首長袖シャツ」です。
 キルト地というかワッフル地で起毛していて保温力が高いわりに、かさばらないので余計な浮力を増やさないところがこの製品のいいところです。また汗で濡れても重くならないのもスポーツに向いているように思います。
 これをベースにして、フリースを重ねたり、ユニクロの極暖シャツを合わせたりして温度を調節していました。
 キルトレイヤー丸首長袖シャツは、スキューバーダイビング以外でも使っていました。シーカヤックのアンダーウェアとか、海辺のウォーキングのベースレイヤーにもしていて、冬のベースレイヤーで一番よく使いました。
 なぜかなーって振り返ってみると、着心地がいいのと、他の高機能ベースレイヤーに比べて温かいのと、値段が安い(1900円)のでガシガシ使えるのが、その理由な気がします。
 ぼくが使っている他のブランドの冬用ベースレイヤーは、HELLY HANSENのLIFAロングスリーブ(たしか6000円くらい)と、モンベルのスーパーメリノウールの中厚手の長袖シャツ(やっぱり6000円くらい)と、finetrackのベースレイヤーのドラウトシリーズの長袖(たしか8000円とか10000円とか)を使っています。
 速乾性とか、水分を溜めないとか、肌触りとか、着心地ではやっぱりスポーツブランドのがいいわけですけど、やっぱり値段が高いし、ウォータースポーツで使った後って洗濯機でガシガシ洗った方が楽なので、手洗いとか陰干しとかメンテに気を遣うのは面倒くさいのです。あと値段が高いと、引っかけたりしないかとか、ドライのファスナーに噛んだりしないかとか、貧乏性のぼくとしては気にしてしまいます。
 一方でユニクロのアンダーウェアも値段はそこまで高くないですけど、基本日常使いのアイテムなので、タフな状況では機能的に物足りません。
 そんなこんなで、ちょっとしたすき間を埋めるような感じでワークマンを使うことが多くなったのでした。
 ちなみにキルトレイヤー丸首長袖シャツは、今は品切れで次のシーズンまで発売されなさそうです。









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海のそばで、虚飾を排して大らかに暮らそう



 情けない話しですが、サラリーマンとして働いていると、自分がチマチマ細かいことにこだわっていくのがわかります。そういう視点に、そういうリズムに、自分が捕らわれていくことを自覚しています。おそらく組織とか仕事が働き手に、何か作用を及ぼしているんでしょう。
 ぼくは週末に海遊びをしますが、それを通じて、チマチマしがちな自分の考え方をリセットしているようなところがあります。
 海のいいところは、そういう効果があるところです。
 だからこそぼくは通勤時間がかかっても、海辺の田舎町に引っ越したのでした。
 サラリーマン生活を続けて20年くらいになりますが、その間なんとか自分らしさを保ってこられたのは、海辺の田舎暮らしと海遊びのおかげです。
 平日の労働者としての自分にさすがに嫌気がさしてきても、週末に何をするか考えていると楽しくなります。だいたいぼくは天気や海況によって次のようなことをします。
 海が穏やかでお金があれば、スキューバーダイビングします。
 海が穏やかで、すごく寒くなければ、シーカヤックをします。
 波がある日はサーフィンをします。
 海が荒れている日で雨が降っていなければ、海辺をサイクリングしたりウォーキングしたりします。
 定期的に庭仕事や家のメンテをします。
 近所の農協の野菜直売所に買い出しに行ったり、漁協の直売所に魚を買いに行ったりするのも楽しみです。
 海で遊んでいると、人が生きていくための根本的に必要なことが何かを考えさせられます。それはぼくの場合、海が漁の場だという意識があり、漁をとおして、食べていくとか生きていくとか生活していくということをイメージするからだと思います。
 実際、もし仕事がなくなったら海で魚や貝や海藻を獲って暮らせばいいかなあ、なんていうことを考えたりします。
 もうひとつ海が、ぼくに生きていくための根本的に必要なことを考えさせる理由だと思うのは、海というのは台風などで荒れるとたいへんなことになります。そんなとき、家のようなシェルターって大事だとか、水や電気やガスはやっぱりありがたいとか考えたりするんですが、要は生きていることそれだけで価値があるし、それを最低限キープするために何が必要かを認識させてくれるからなのです。
 極端な例をに出すならば、台風で家が飛んでいきそうで、停電断水しているときに、ブランドもののバッグがあっても仕方がないということなんですが、それを海辺に住んでいると、年に何回かは実感させられます。
 もっといえば、服は丈夫で安価であればいいし、車は安くて動けばいい。その先には虚飾を排した暮らしがあります。
 そう、海辺に暮らしていると、虚飾ということについて考えさせられるのです。
 どこからが文化的でどこからが虚飾なのかはよくわからないのですが、おそらく他者に対して見栄っ張りで物質を伴うのが虚飾で、精神的で人生を豊かにしようという取り組みが文化的なのではないかと、おぼくとしては勝手に考えています。
 ともかくそういうことに無自覚であるよりはマシかなと思います。








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離島の旅で感じる、鍵をかけるという行為の奥にある心の負担



 みなさん、ちょっと近所に買い物に行くのに、家に鍵をかけますか?
 ちなみにぼくはかけません。
 たぶんですけど、ぼくの住んでいるあたりの人は、半々くらいじゃないでしょうか?
 ちなみにぼくが旅した、沖縄の離島、小笠原の父島母島などは鍵をかけていない人が多い感じでした。伊豆七島は島によって違う気がします。
 ぼくが、この「鍵をかけるという行為が象徴する心理的負担感」に気がついたのは、離島を旅したときです。
 都会での会社員生活に疲れ気味だったぼくは、沖縄の宮古島・多良間島に2週間近く旅しました。10年とか15年に一度大目の有給休暇がもらえる制度があったので、それを使って離島の旅をしたんです。多良間島は人口1300人。離島ではよくあることですが、スーパーというか何でも売っている店が1軒、郵便局、農協、派出所、役場、小中学校の公共機関1セットがギュッとまとまっています。
 当然、島の人はみなさん顔見知り、旅行者も船か飛行機で入って来るので、だいたいどんな人が来たのかは把握されています。そんな島に2週間もいると顔を覚えてもらえて、道を歩いていると声をかけてもらったりしました。
 あるときレンタカー屋兼雑貨屋の店に行ったんですが、お店のオバアは不在。しばらく待っていると島の人が来て、洗濯洗剤を手に取って、代金をレジのようなところ(レジスターはない。電卓はある。)に置いて、出ていったのです。それがその店の普通のやり方でした。
 あと、島では車に鍵をかけるなといわれたのも覚えています。邪魔なときに誰もがすぐに移動できるようにキーは挿しっぱなしにしておいてということです。このルールは他の島でもいわれたことがあります。
 こうした島に10日間ほど滞在すると、だんだん自分がリラックスしていくのがわかるんです。リラックスというだけではなく、心がほぐれて伸びやかになっていきました。大らかにゆるやかな心持ちでいられるようになったんです。
 それはおそらく南国な暖かい気候や海という自然の近くでの暮らしという要素もあったと思いますが、島という閉鎖された空間で、住民の顔が見えるコミュニティでの安心した暮らしという要素もあったと思います。それからもしかしたらぼく自身が30代中頃で、都会生活よりも田舎暮らしの方に価値を見出す年齢になっていたからかもしれません。
 そんな風にぼくの気持ちが変わっていったことと、鍵をかけない暮らしというのは関係が深いと思うのです。 
 以前にも似たようなことを書いているんですが、ぼくは家とか車に鍵をかけなければいけないか、かけなくても平気かで、そのコミュニティの暮らしやすさがおおよそわかるんじゃないかと考えています。
 鍵をかけるということは、気持ちのどこかで、誰かが自分の財産を脅かす可能性があると考えているわけでしょう。しかもこの場合の誰かというのは、自分の知っているコミュニティ以外の人が、たいてい想定されています。
 自分の知らない誰かが急にやってきて、自分の財産を狙っているかもしれないと考えているんですね。鍵をかける行為って、わりと無意識にやることだと思うんですが、それって先に書いたような警戒心を心に持っているということでしょう。それがあるとないとでは、心理的な負担はだいぶ違うんだろうな、というのが離島を旅して感じることです。
 ストレスについて考えるときには、大きな悲しみや苦しみが短期的にあるということも重要だと思いますが、小さな心理的負担が長期間にわたって続くという面も重要だと思うんです。
 離島の暮らしにはそうした小さな心理的負担が少ないんじゃないかな?
 沖縄の島の人が歳をとっても若々しくて元気なのはそういう理由もあるのかもしれません。
 まあ、そんな理屈を考えてしまうのも離島を旅すると、リフレッシュとか癒しとかそういう軽めの言葉では表せないほど、本当に心が軽くなるからなのです。
 鍵をかけるという行為に限って話しを進めましたが、鍵をかける必要のない暮らしっていうことをもう少し書いてみたいと思います。
 先ほども書きましたが、車が盗られる心配もないし、店の物を盗られる心配もありません。自分のことを周囲のみんなが知っているし認めてくれているコミュニティです。知らない人がすれ違いざまに襲ってくることもありません。オートロックも必要ありませんし、エレベータに見ず知らずの人と一緒になって警戒することもありません。セールスの人がインターホンを鳴らすこともありません。
 そうした小さなストレスの要素が少ないと、人の心ってやっぱりずいぶんと違うんじゃないでしょうか?
 そしてそうした日々が、70年も80年も累積すると、それはやっぱり健康にもえいきょうするよなあ、なんて思うのです。









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海と接することで自己肯定感が高まります



 海辺の田舎町で暮らしています。海況がよければウォータースポーツをし、荒れていれば海辺を散歩します。
 海にいると、ぼくはこれでいい、自分の生き方は間違っていないと思えます。
 それって理屈ではない、もっと身体の奥から感じる安心感のような感覚です。
 この気持ちはなんだろうと、ずっと考えてきたんですが、すっきりまとまりません。
 身体の奥から感じる安心感は、次のようなときにやってくるのです。
 ぼくの生き方が、根本的に間違っているんじゃないかと心配になったり、あるいはいろいろな人から批判されて、自分ってやっぱりダメなんじゃないかって思ったり、あのときの自分の判断は大きなミスなんじゃないかって考えてしまうような心持ちのときです。
 そんなときに海にいると、大昔から人って今の自分のようにこの海辺で暮らし、海を眺めていたはずだと考えます。
 そしてその人も悩みや不安を抱えていたはずだと考えます。
 おそらくこの海辺で魚や貝や海藻を獲りながら暮らしていたんだと想像します。
 大昔から人がやってきたことを自分もただやっているだけ、たぶん間違っていない、って考えます。
 海という変わらない自然と、そこで暮らしてきた人々への思いが、自分の不安のバランサーになっているのかもしれません。
 海を見てこんな風に考える人はあまりいないのかもしれませんが、ぼくはそう考えることで元気が出てきます。








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シーカヤックで沖縄から宮崎まで、その勇気とタフさに感動します。杉 健志郎 『水平線を超えろ』



『水平線を超えろ』 杉 健志郎  (東洋出版)
 シーカヤックをやるぼくとしては、こうした航海本は好きで、目にすると読むようにしています。どの本でも感じるんですが、よくそんな航海をするよなあ、ということです。その勇気に感心させられます。
 当然ですが、海況が荒れていればとても危険ですし、出航の際に海が荒れていなくても漕いでいるときに荒れることもよくあります。
 それから島を渡る航海も感心させられることです。島から島の距離が長井とその間陸地はないわけで、途中で海が荒れたり、器材が破損したり、体調を崩したら遭難につながりかねません。また、自分の航路をキチンと把握していないと目的の島に辿り着かないこともあり得ます。今はGPSがあるので、自分の現在位置を見失うことはあまりありませんが、海流に流されてしまうと大変です。
 杉さんの本を読んで感じたのは、杉さんがベーシックな器材だけで、沖縄から宮崎まで漕いでいることです。つまり島と島の間もGPSなしでコンパスだけです。GPSは調達するけれどもテストで水につけて壊れてしまいます。杉さんはどうするかというと、新しいGPSを調達することなく出航してしまいます。
 このあたりの思い切りのよさや器材に過度に頼らないところが杉さんの特徴のような気がします。
 ぼくが杉さんようにできるかと自問しながら読み進めるのですが、ぼくには無理だと思います。それは歳のせいというのもあるかもしれませんが、ぼくには勇気がありません。正直なところトカラ列島で黒潮を横断するのは恐いです。
 ぼくはやっぱり大したことがない人間なんだなとつくづく思います。
 それをやってします杉さんはじめ、多くのシーカヤッカーはすごいです。
 人の偉大さと己の小ささを改めて感じるのが、こうした冒険本のよくある読後感です。








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ぼくが海辺に住む理由〜都会的な階層構造から離れたい〜



 ぼくは海辺の田舎町が好きで、大雑把にいうと東京→湘南→三浦半島の田舎町という感じで引っ越してきました。
 なぜかというのは以前にも書いたので、今回は別な角度からぼくの気持ちをまとめてみたいと思います。
 そのうちのひとつとして、持っているお金の多寡で階層ができていて、多くの人が見栄っ張りで、それによって本来感じなくてもいい不幸を感じるから、東京がイヤになったのです。正確にいえば東京的な都会的な暮らしがイヤになったのです。
 どういうことかというと、ぼくの女友達であるAさんがブランド物のバッグを持っていました。彼女はそれが気に入っていたみたいです。で、あるとき別の女友達であるBさんとAさんが同席する場面があって、そのときBさんはAさんが持っているバッグと同じブランドの高価な最新のデザインのバッグを持って来たのです。そのときAさんは少し恥ずかしそうに、自分のバッグを隠すような仕草をしたのです。
 こうした一連の事象を仮にここでは「社会の階層化」と呼ぶことにしましょう。
 これに類することというのは、住んでいる家でも車でも宝石でも宿泊先のホテルでも腕時計でも起きます。
 社会の階層化で、ぼくが一番よくないと思うのは、Aさんが本来感じなくてもいいようなマイナスの気持ちを抱いてしまうことです。不幸とまではいわなくても、プライドを傷つけられるとか負い目を感じるとか、恥ずかしい思いをするとか、まあそういうことです。
 社会の階層化が起きるのには条件があるんじゃないかと思うんです。
 まず物やサービスの種類とか、ブランドとか、その値段とかをみんなが知っている必要があります。
 次に、そうしたブランドの物やサービスを多くの人が欲しがっている必要があります。
 ブランドの物やサービスの値段的な序列を、自分の社会的な序列とほぼ同じようなものだと、多くの人が認識している必要があります。
 まとめていうと極めて高度に文化的な社会である必要があるんだと思うのです。
 ぼくはそうした社会で暮らしていくのがイヤだったんですね。今思えば…
 何がイヤって、だいたいめんどくさいし、そんな細かいルールを前提とされるのがイヤだし、生きること・食べていくことと直接関係がないようなそんな文化なんて軽蔑しているし、世の中はもっと公平であるべきだと思っているし、わざわざ人が大勢いる都会に集まって住んでおいて、自分は他者と違うって主張すんなよ、そんなに違うっていいたいなら独りで生きてみろって思うし…
 なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、あの時の自分の判断は正しかったと今でも思います。
 さて、話しは次のフェーズに移るんですが、東京から引っ越した理由は今書いたとおりだとして、なぜ湘南から引っ越したかなんです。それは湘南って、社会の構造が、東京と変わらないと感じたからです。ただ、東京ほど人が集まっていないし、海があるというのは違いますが、社会の階層化があるのは同じです。というか自意識の強い人が集まっている分、その傾向は強いかもしれません。
 たとえば値段の高いアウトドアウェアを着ているとか、年に2回はハワイに行くとか、でかい4駆の車に乗っているとか、表面上の見え方は東京とは少し違っていますが、やっていることは同じです。そういう小賢しいのってうんざりだなって思って引っ越しました。
 結論めいたことをいうと、この文章を読んでくださっている方で移住したいと思っている方がいるとして、動機が自然が豊かだけど文化的な暮らしがしたい方は、たぶん湘南とか外房とか軽井沢とか那須とか八ヶ岳とか沖縄本島みたいな場所を選んだ方がいいと思います。自然が豊かな中で社会的な煩わしさから離れたいと思っている方は、人口が少ない田舎に、できればポツンと一軒家的なところに住んだ方がいいと思います。










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島旅で大らかな気持ちを取り戻す



 去年のことですが、大学の頃からの長い付き合いの友人と与論島に旅しました。5日という期間で、初日と最終日はほぼ移動時間なので、島に居られたのは3日間。サラリーマンとしては精一杯の休暇です。

 ぼくも友人も普段は仕事で忙しく、何も予定のない休日に一緒にスキューバーダイビング行きます。だいたい日帰りか一泊。

 今回は久しぶりの連泊です。

 ぼくも友人も、羽田から那覇まではなんとなく社会人のオジサンっぽい雰囲気です。うまくいえませんが、次の予定をどんどん確認して、どんどん計画を詰めていって、段取りよく動いてしまします。

 行動のスピードも街のモードです。

 RACのプロペラ機で与論島に降り立って、レンタカーを借りて宿に荷物を下ろして、近くのビーチの防波堤に座って、缶ビールを飲んだあたりから、行動のリズムがゆったりしてきて、心の芯がほぐれてくるような気がします。友人との会話もだんだん学生時代のトーンに戻っていきます。

 気持ちが大らかになるというか、雄大になるというか、あぁやっぱり仕事でセコセコしてたんだなぁと思います。

 島旅をする度に感じるんですが、街のサラリーマン生活で、知らず知らずのうちにセカセカしたり、周囲に対して警戒心を持ったりしていたことを、それがなくなってやっと気づくことができます。無意識に心に課された重荷は、それを下ろさないと気づくことができないんだと思います。

 ぼくは暇があれば海遊びしていて、比較的心の荷物を降ろしている方だと思いますが、ガチガチに真面目な人だと病んじゃうだろうな、きっと…

 島のリズム、広い海、広い空、島特有の隔離感…そういったものが合わさって、ぼくの心は癒されていったのだと思います。

 癒されるって手垢のついた言葉だけれど、他の言葉で言い替えれば、気持ちがほぐれるとか、心にこびりついた垢が落ちるとか、失いつつあった心の大事な成分が補給されるとか、人間らしい気持ちを取り戻せるとか、たぶんそういうことなんだと思います。

 島に3日間滞在するうちに、ぼくらオジサン二人は大らかにノンビリとゆったりと考え、行動できるリズムを取り戻したのでした。











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都会のイライラを海辺の田舎町に持ち込まないで欲しいと思う件



 海辺の田舎町で暮らしています。
 町の中や近所で行動しているだけだと、いたってノンビリした日々が過ごせます。それはたとえばスーパーに買い物に行ったり、郵便局に行ったり、ATMに行ったりとかそういうことです。あとはぼくの場合、海で遊ぶか、家の修繕などをするか、海遊び友達と飲むくらいで、一日が過ぎていきます。
 ぼくはノンビリ暮らしたかったので、今の環境に満足しています。急いだり、慌てたり、焦ったり、ワサワサしたりするのは嫌なのです。自分の気持ちが荒むから…
 海遊び友達と近所の飲み屋で飲んでいるときに、夏に観光客が来ると嫌だよね、という話になりました。何が嫌って、道が混むというのが一番ですが、都会の人は急いでいたり、イライラしているからです。
 イライラというのは伝染するような気がするんですが、他所の人が来て、その人がイライラしていると、それが周囲に伝染して、町全体がワサワサした雰囲気になります。
 ここまでが今回の話しのあらすじですが、もう少し細かく話してみましょう。
 ぼくが暮らす町というのは、(観光客が来ない時期の)普段は、みんながゆっくり暮らしています。
 道も渋滞しませんし、車も時速30kmとかで走っています。40km出ているとちょっと速いなあという感じです。
 スーパーのレジも並びませんし、レジのパートの人もたいてい知り合いなので、ちょっとした雑談をするほど余裕があります。
 妻などは、道を歩いていて会った知り合いとちょっと長めの立ち話をし、またしばらく歩くと、知り合いに会って立ち話をし、というコントのようなことを本当にしています。
 海で遊んでいてもみんな知っている人で、ビーチでダベったりします。
 みんながそんな感じなので、それで怒られたり、「早くして」といわれたりもしません。
 そういう雰囲気だと、たとえばスーパーのレジに同時に2人が入ろうとした場合、相手に譲ろうとするんです。別に待ってもタカがしれているし、隣のレジに入ればいいからです。
 ここで語っていることをまとめると、サービスや物を手に入れる機会とか時間に関する人の心理は、その機会や時間が希少であればあるほど、求める気持ちや価値がエスカレートするということです。機会や時間が希少でなければ(余っていれば)、人は急いでそれを求めようとしません。
 その状態自体が、心理的なゆとりとか余裕を生み出すと、ぼくは考えています。ぼくはそのゆとりとか余裕を大切にしたいから、きっと海辺の田舎町で暮らすことを選んだのでしょう。
 さて、夏になって、わが海辺の田舎町にも都会から観光客が来ます。
 よくマナーの悪い観光客のゴミのポイ捨てが問題になりますが、それはそれで慣れっこです。
 それよりも、この人達は普段列に並んだり、車を速く走らせたり、少しでも速く動く車線や列にスイッチしたりして、少しでも速く目的地に着こうとしている人達です。あるいは他人よりも少しでも先に行きたいと思って日々過ごしている人達です。急いだその先に何があるのかは知りませんが、とにかく他人よりも先にいかなければと考えている人達なのです。
 そういう人達が来て何が起こるかというと、たとえばいつものスピードで走っている地元の車は煽られます。
 珍しくスーパーのレジには列ができますが、いつものペースで並ぼうとすると、横からスッと入ってきて先に並ばれてしまいます。

 道で立ち話していると邪魔者扱いされます。

 こういうことが起きると、ノンビリ暮らしている地元の人の気持ちも変わってくるんですね。やっぱりいつもより少し急いだりするのです。都会の人のイライラがうつるんです。町全体がワサワサした雰囲気になるんです。

 ぼくの勝手な想像ですが、全国の季節的に人が来る観光地の人は、こうした状態に「うんうん」と共感してくれるんじゃないでしょうか?
 観光客の人は「観光客が落とす金で暮らしているんだろう」というかもしれませんが、ぼくの住んでいるあたりは、夏のお盆くらいしか観光客が来ず、それで暮らしている人はほぼいません。商店とかレストランも年間の9割は地元の人の売上で成り立っていますし、自治体の税収も住民税の占める割合が高いのです。
 で、都会の観光客の方には、「郷に入っては郷に従え」ということわざにあるように、自分たちのルールを持ち込むんじゃなくて、その土地のルールに合わせて欲しいなといいたいのです。
 そして地元の住民の生活を乱してほしくないなあと思うのです。








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