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ぼくが海辺に住む理由〜都会的な階層構造から離れたい〜



 ぼくは海辺の田舎町が好きで、大雑把にいうと東京→湘南→三浦半島の田舎町という感じで引っ越してきました。
 なぜかというのは以前にも書いたので、今回は別な角度からぼくの気持ちをまとめてみたいと思います。
 そのうちのひとつとして、持っているお金の多寡で階層ができていて、多くの人が見栄っ張りで、それによって本来感じなくてもいい不幸を感じるから、東京がイヤになったのです。正確にいえば東京的な都会的な暮らしがイヤになったのです。
 どういうことかというと、ぼくの女友達であるAさんがブランド物のバッグを持っていました。彼女はそれが気に入っていたみたいです。で、あるとき別の女友達であるBさんとAさんが同席する場面があって、そのときBさんはAさんが持っているバッグと同じブランドの高価な最新のデザインのバッグを持って来たのです。そのときAさんは少し恥ずかしそうに、自分のバッグを隠すような仕草をしたのです。
 こうした一連の事象を仮にここでは「社会の階層化」と呼ぶことにしましょう。
 これに類することというのは、住んでいる家でも車でも宝石でも宿泊先のホテルでも腕時計でも起きます。
 社会の階層化で、ぼくが一番よくないと思うのは、Aさんが本来感じなくてもいいようなマイナスの気持ちを抱いてしまうことです。不幸とまではいわなくても、プライドを傷つけられるとか負い目を感じるとか、恥ずかしい思いをするとか、まあそういうことです。
 社会の階層化が起きるのには条件があるんじゃないかと思うんです。
 まず物やサービスの種類とか、ブランドとか、その値段とかをみんなが知っている必要があります。
 次に、そうしたブランドの物やサービスを多くの人が欲しがっている必要があります。
 ブランドの物やサービスの値段的な序列を、自分の社会的な序列とほぼ同じようなものだと、多くの人が認識している必要があります。
 まとめていうと極めて高度に文化的な社会である必要があるんだと思うのです。
 ぼくはそうした社会で暮らしていくのがイヤだったんですね。今思えば…
 何がイヤって、だいたいめんどくさいし、そんな細かいルールを前提とされるのがイヤだし、生きること・食べていくことと直接関係がないようなそんな文化なんて軽蔑しているし、世の中はもっと公平であるべきだと思っているし、わざわざ人が大勢いる都会に集まって住んでおいて、自分は他者と違うって主張すんなよ、そんなに違うっていいたいなら独りで生きてみろって思うし…
 なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、あの時の自分の判断は正しかったと今でも思います。
 さて、話しは次のフェーズに移るんですが、東京から引っ越した理由は今書いたとおりだとして、なぜ湘南から引っ越したかなんです。それは湘南って、社会の構造が、東京と変わらないと感じたからです。ただ、東京ほど人が集まっていないし、海があるというのは違いますが、社会の階層化があるのは同じです。というか自意識の強い人が集まっている分、その傾向は強いかもしれません。
 たとえば値段の高いアウトドアウェアを着ているとか、年に2回はハワイに行くとか、でかい4駆の車に乗っているとか、表面上の見え方は東京とは少し違っていますが、やっていることは同じです。そういう小賢しいのってうんざりだなって思って引っ越しました。
 結論めいたことをいうと、この文章を読んでくださっている方で移住したいと思っている方がいるとして、動機が自然が豊かだけど文化的な暮らしがしたい方は、たぶん湘南とか外房とか軽井沢とか那須とか八ヶ岳とか沖縄本島みたいな場所を選んだ方がいいと思います。自然が豊かな中で社会的な煩わしさから離れたいと思っている方は、人口が少ない田舎に、できればポツンと一軒家的なところに住んだ方がいいと思います。










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島旅で大らかな気持ちを取り戻す



 去年のことですが、大学の頃からの長い付き合いの友人と与論島に旅しました。5日という期間で、初日と最終日はほぼ移動時間なので、島に居られたのは3日間。サラリーマンとしては精一杯の休暇です。

 ぼくも友人も普段は仕事で忙しく、何も予定のない休日に一緒にスキューバーダイビング行きます。だいたい日りか一泊。

 今回は久しぶりの連泊です。

 ぼくも友人も、羽田から那覇まではなんとなく社会人のオジサンっぽい雰囲気です。うまくいえませんが、次の予定をどんどん確認して、どんどん計画を詰めていって、段取りよく動いてしまします。

 行動のスピードも街のモードです。

 RACのプロペラ機で与論島に降り立って、レンタカーを借りて宿に荷物を下ろして、近くのビーチの防波堤に座って、缶ビールを飲んだあたりから、行動のリズムがゆったりしてきて、心の芯がほぐれてくるようながします。友人との会話もだんだん学生時代のトーンにっていきます。

 持ちが大らかになるというか、雄大になるというか、あぁやっぱり仕事でセコセコしてたんだなぁと思います。

 島旅をする度に感じるんですが、街のサラリーマン生活で、知らず知らずのうちにセカセカしたり、周して警戒心を持ったりしていたことを、それがなくなってやっとづくことができます。無意識に心に課された重荷は、それを下ろさないとづくことができないんだと思います。

 ぼくは暇があれば海遊びしていて、比較的心の荷物を降ろしている方だと思いますが、ガチガチに真面目な人だと病んじゃうだろうな、きっと…

 島のリズム、広い海、広い空、島特有の隔離感…そういったものが合わさって、ぼくの心は癒されていったのだと思います。

 癒されるって手垢のついた言葉だけれど、他の言葉で言い替えれば、持ちがほぐれるとか、心にこびりついた垢が落ちるとか、失いつつあった心の大事な成分が補給されるとか、人間らしい持ちを取りせるとか、たぶんそういうことなんだと思います。

 島に3日間在するうちに、ぼくらオジサン二人は大らかにノンビリとゆったりと考え、行動できるリズムを取りしたのでした。











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都会のイライラを海辺の田舎町に持ち込まないで欲しいと思う件



 海辺の田舎町で暮らしています。
 町の中や近所で行動しているだけだと、いたってノンビリした日々が過ごせます。それはたとえばスーパーに買い物に行ったり、郵便局に行ったり、ATMに行ったりとかそういうことです。あとはぼくの場合、海で遊ぶか、家の修繕などをするか、海遊び友達と飲むくらいで、一日が過ぎていきます。
 ぼくはノンビリ暮らしたかったので、今の環境に満足しています。急いだり、慌てたり、焦ったり、ワサワサしたりするのは嫌なのです。自分の気持ちが荒むから…
 海遊び友達と近所の飲み屋で飲んでいるときに、夏に観光客が来ると嫌だよね、という話になりました。何が嫌って、道が混むというのが一番ですが、都会の人は急いでいたり、イライラしているからです。
 イライラというのは伝染するような気がするんですが、他所の人が来て、その人がイライラしていると、それが周囲に伝染して、町全体がワサワサした雰囲気になります。
 ここまでが今回の話しのあらすじですが、もう少し細かく話してみましょう。
 ぼくが暮らす町というのは、(観光客が来ない時期の)普段は、みんながゆっくり暮らしています。
 道も渋滞しませんし、車も時速30kmとかで走っています。40km出ているとちょっと速いなあという感じです。
 スーパーのレジも並びませんし、レジのパートの人もたいてい知り合いなので、ちょっとした雑談をするほど余裕があります。
 妻などは、道を歩いていて会った知り合いとちょっと長めの立ち話をし、またしばらく歩くと、知り合いに会って立ち話をし、というコントのようなことを本当にしています。
 海で遊んでいてもみんな知っている人で、ビーチでダベったりします。
 みんながそんな感じなので、それで怒られたり、「早くして」といわれたりもしません。
 そういう雰囲気だと、たとえばスーパーのレジに同時に2人が入ろうとした場合、相手に譲ろうとするんです。別に待ってもタカがしれているし、隣のレジに入ればいいからです。
 ここで語っていることをまとめると、サービスや物を手に入れる機会とか時間に関する人の心理は、その機会や時間が希少であればあるほど、求める気持ちや価値がエスカレートするということです。機会や時間が希少でなければ(余っていれば)、人は急いでそれを求めようとしません。
 その状態自体が、心理的なゆとりとか余裕を生み出すと、ぼくは考えています。ぼくはそのゆとりとか余裕を大切にしたいから、きっと海辺の田舎町で暮らすことを選んだのでしょう。
 さて、夏になって、わが海辺の田舎町にも都会から観光客が来ます。
 よくマナーの悪い観光客のゴミのポイ捨てが問題になりますが、それはそれで慣れっこです。
 それよりも、この人達は普段列に並んだり、車を速く走らせたり、少しでも速く動く車線や列にスイッチしたりして、少しでも速く目的地に着こうとしている人達です。あるいは他人よりも少しでも先に行きたいと思って日々過ごしている人達です。急いだその先に何があるのかは知りませんが、とにかく他人よりも先にいかなければと考えている人達なのです。
 そういう人達が来て何が起こるかというと、たとえばいつものスピードで走っている地元の車は煽られます。
 珍しくスーパーのレジには列ができますが、いつものペースで並ぼうとすると、横からスッと入ってきて先に並ばれてしまいます。

 道で立ち話していると邪魔者扱いされます。

 こういうことが起きると、ノンビリ暮らしている地元の人の気持ちも変わってくるんですね。やっぱりいつもより少し急いだりするのです。都会の人のイライラがうつるんです。町全体がワサワサした雰囲気になるんです。

 ぼくの勝手な想像ですが、全国の季節的に人が来る観光地の人は、こうした状態に「うんうん」と共感してくれるんじゃないでしょうか?
 観光客の人は「観光客が落とす金で暮らしているんだろう」というかもしれませんが、ぼくの住んでいるあたりは、夏のお盆くらいしか観光客が来ず、それで暮らしている人はほぼいません。商店とかレストランも年間の9割は地元の人の売上で成り立っていますし、自治体の税収も住民税の占める割合が高いのです。
 で、都会の観光客の方には、「郷に入っては郷に従え」ということわざにあるように、自分たちのルールを持ち込むんじゃなくて、その土地のルールに合わせて欲しいなといいたいのです。
 そして地元の住民の生活を乱してほしくないなあと思うのです。








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人がいない海が好きです



 人がいない海辺が好きです。
 なんでなんだろう?自分って人嫌いなんだろうか?と思ったりします。
 確かに偏屈で人嫌いなのかもしれません。
 それについて少し考えてみました。
 ぼくが海が好きなのは以前にもいろいろ考えたので置いておくとして、なぜ人がいない方がいいのでしょうか?
 その理由は、たぶんぼくが人に気を遣うとか、人に嫌われたくないとか、人と揉めたくないと思っているからでしょう。で、人がいると気を遣って自分が疲れるから、人がいない方がいいと思っているんでしょう。
 もうひとつの理由としては、ぼくが人が密集しているところが嫌いだからです。
 って、みんなそうですよね? 満員電車とか混雑している店とか…もしかしたら好きな人いるのかなぁ?
 そんなに極端じゃなくても、独りでサーフィンしていて、近くに寄ってきて波待ちするサーファーがいますが、あれがよくわかりませんが、それはまた別の機会に書くことにします。
 もうひとつの理由としては、海を独占したいというのもあるかもしれません。
 ぼく的には、僻地のような海辺で、何日か人と会わずに暮らしていて、久しぶりに買い物に出て、「人に会えて懐かしい!」くらいの感じがちょうどいいです。
 離島などに旅をすると、港や島の中心地は人がいますが(あたりまえですけど)、ちょっと離れた海岸に行くと、人がいないことがあります。人がいないっていったら本当にいません。ちょっと心配になるくらいです。
 でもまあ、ぼくとしてはそういう状況は大歓迎なわけで、人がいないビーチでスノーケリングをしたり、泳いだり、砂浜を散歩したり、バーナーで昼メシを作ったりとノビノビと過ごすことができるのです。丸一日そんなことをして、宿に帰って、宿の人と話すのが妙に嬉しかったりするので、ぼくはそんな感じの人との距離感が好きなんだなーと思うのです。









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三浦で海を眺めながらおいしいイタリアンを食べられる店 ヴェント・エ・イル・レオーネ 風工房


1.ロケーション ☆☆
2.こだわり ☆☆
3.店の雰囲気 ☆☆☆
4.味 ☆☆
5.値段 ☆☆
6.音楽 
7.手入れ&掃除 ☆☆☆
8.総合評価 ☆☆
9.コメント
 大学時代から油壺周辺にはよく行っていました。ヨット部の友人がいて、練習を見に行ったものです。ぼくはスキューバーダイビングをしていましたが、セイリングもやりたかったんです。でもお金も時間もなくて諦めていました。その思いを取り戻すかのように、社会人になってからやるようになりました。
 油壺はそんな懐かしい場所…
 油壺周辺は複雑な入江が多いんですが、北から、小網代湾、油壺湾、諸磯湾と並んでいます。
 ヴェント・エ・イル・レオーネは、諸磯湾に面して建っているイタリアンレストランです。
 海のそばですが、海からの高さがないので、「海が望める」とまではいえません。ただ、諸磯湾を行き来するヨットやディンギーを見ることができます。
 ヴェント・エ・イル・レオーネの海に面した前庭は、きれいに手入れされたリゾートっぽい庭です。和風ではなく、南のリゾートの雰囲気をうまく出してあって感心します。芝生が貼られた広い庭はとても気持ちがいい空間です。
 店内のインテリアは、シックな雰囲気でまとめられて、おじさん世代のぼくは、90年代のカフェバーを思い出しました。
 さて、料理ですが、おいしいです。
 これまではおいしいパスタやピザが無性に食べたいという時に、横浜や東京まで足を伸ばそうか迷ったりすることがありますが、ここに来ればいいなあと思いました。
 値段は絶対値としては安いとはいえません。ランチで前菜とパスタとコーヒーで、1人あたりざっくり2000〜4000円というところでしょう。ただ、味を考えれば、高くはありません。
 ぼくにとって大切なのは、海のそばで、おいしい食事を楽しめる、ゆったりのんびりした時間なのですが、そういうぼくにとってはとてもいい店です。
 ちなみにこのお店は、風工房という陶芸・染め物教室・ガラス細工体験などができる施設のひとつです。








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海にいる時間をもっと楽しく過ごそう!



 海辺の田舎町で暮らし、ウォータースポーツをしながら暮らしています。いえいえ一応会社勤めをしていて、生活費を得るために働いてもいます。
 ぼくにとっては「海辺の暮らし=仕事がオフな時」です。
 会社勤めのウサを晴らすように、海辺の暮らしを楽しんでいます。
 会社勤めのウサを晴らすと書きましたが、それについてはこのブログに「会社勤めはイヤなことばかりではない(大意)」という注意のコメントをいただきました。世の中には会社や仕事が好きな人も多いらしく、ぼくの価値観を当たり前のように語ってはいけないんだなあと思った次第です。
 そういわれてみれば、ぼくのそばにも嬉々として働いている人がいたのを忘れていました。
 ぼくはできるのであれば、誰からの指示も受けたくないし、やりたくないことを無理にしたくはないと考えて生きてきました。仕事にやりがいがないわけではありませんが、企業などの組織というのは、成り立ちとしてすべての個人を活かすようにはできていないので、一人ひとりの個人はなんらかの無理を強いられるわけです。というか社会というものはそういうものかもしれません。
 みんながなんとか一緒に暮らしていくには、それぞれ多少は我慢しましょう、ということなのかなーと考えたりする今日この頃です。
 それにしても、会社、イヤじゃないんだね…
 だいぶ横道にそれましたが、ぼくの頭の中はこうなっています。
 海辺にいる時間=自由・反組織・自発的・自然・家族・個人
 会社・仕事・町での時間=不自由・組織・強制・同僚・社会人
 それだけに海辺の暮らしはとても楽しいし、もっと楽しく過ごそうって思うんです。だとすると、ぼくは会社で仕事をしているからこそ、海辺の暮らしを楽しんでいるともいえそうです。リタイアしてずっと海辺で暮らしていると、もしかしたら飽きてしまうかもしれません。でもまあ、これまでも長期休暇の時は、ずっと海辺で行動していたんですが、まった飽きることなく、もっと長く休みたいと思ったくらいなので、たぶん大丈夫でしょう。
 海が好きで、海にいるとストレスから解放されるし、会社では自分のまわりに張り巡らした見えない防護壁があるけれど、それもなくなります。
 海にいる時間をもっと充実させたいから、スキューバーダイビング・サーフィン・シーカヤック・セイリングといろいろな海遊びに手を出してきました。どれもおもしろいし、そのときどきの海況に合わせて海を楽しめます。
 こんな生活パターンをもう30年近く続けていて、それでも飽きないし、きっと動けなくなるまでこうして海遊びをしながら暮らしていくんでしょう。
 でも、そんな人生でいいかもしれません。











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逗子マリーナの先、和賀江島の手前 神奈川県逗子市小坪 for Local



逗子マリーナの先、和賀江島の手前 神奈川県逗子市小坪 for Local
【コメント】
※「for Local」の海岸に訪れる際は、注意事項を読んでください。
 田舎っぽい海辺の漁村が好きなぼくとしては、鎌倉とか逗子というようなオシャレっぽい場所には近づかないようにしています。一見オシャレな鎌倉方面にも日本の昭和風味の漁村の雰囲気を残した場所があります。
 逗子マリーナの鎌倉寄りに公園がありまして、そこから先に材木座に抜ける小道があります。そのあたりがわりとノンビリしています。
 地元の人の散歩道という感じでしょうか。
 都会から来た観光客は、逗子マリーナのパームツリーの並木道あたりまでしか来ませんから、その先はローカルの人がゆっくりできる空間です。
 なによりも和賀江島とか鎌倉の町の風景を眺めながら、「よくまあ鎌倉時代にこんな埋立地を作ろうとしたものだ…」などと歴史に思いを馳せることができます。
 それから和賀江島に最も近づける場所がこのあたりでして、石のひとつひとつまで見えるほどです。
 
【評価】
水の美しさ ☆
砂浜の美しさ 
景色 ☆
アクティビティ 釣り、散歩
自然の豊かさ 
ノンビリ度 ☆
トイレ 無
駐車場 無
総合評価 ☆









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不満のタネの行き先…



 ぼくは海辺の田舎町で暮らし、街に通勤しています。できればずっと海辺の田舎町に居て、仕事もそこで完結させたいのですが、なかなかうまくいきません。
 街に出ると人が大勢いて、ぼくはそれがストレスです。海辺の田舎町でノンビリ過ごせたら、それほどストレスはないのになあ、なんて思ったりします。
 話しが変わりますが、先日定年退職した海遊び仲間の先輩と飲みました。
 定年後の暮らしについて話したのですが、その先輩がいうには、人というのはストレスがなさ過ぎるのもよくないそうです。
 ストレスがなくなると、人というのはどんどん自分の快適なことだけをするようになるし、腹を立てる対象がどんどん細かくなるそうです。
 その話を聴いてなるほどなあ、と思ったものです。
 確かに親戚のおじさんで、長年会社勤めをしてきた人はわりとちゃんとしていて、所作や物腰や判断などがこなれている印象でした。自分の立ち居振る舞いや言動がコントロールできている感じでした。いわゆる社会性があるという言葉でまとめてもいいんじゃないかと思います。まあ、たまたまそのおじさんがそういう人だったかもしれませんけど…
 会社勤めとストレスの強さがどの程度関係しているのか知りませんが、集団で組織的に何かをしなければならないので、社会性みたいな特性は強くなるんでしょう。
 おそらく独りだけで暮らしていたり、単独でする仕事(そんなのがあるかなあ)ばかりしていると、そのおじさんのようにはならないんじゃないかなあと推測するのです。
 もうひとつ、人というのは、何かしら不満があるもので、大きな不満の対象があればそれについて腹を立てたり、考えたりするんだと思うんですが、その大きな対象が解消されると、2番目に大きな不満の対象に腹を立てるんだと思います。それがだんだん小さく細かくなるというのはあるかもしれません。
 たまにすごく細かいことに腹を立てる気難しい人がいますが、それはそういうメカニズムなのかなあ、と思ったりします。
 とはいえ、仕事のために通う街でのストレスはとても不快なので、もう少しマイルドなストレス環境で生活したいなあと思うのでした。








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海辺のわが家へ来たお客様の「う〜ん」な言動とは…



 まず、思い出すのは、家の近所の海に面した駐車場での出来事。
 その駐車場は、個人の家の庭を夏の間だけ観光客向けに駐車場にしているんですけど、そこに停めていた車の人が駐車場のオーナー(家の人)に文句をいっているんです。オーナーはご近所で知り合いなので、ちょっと心配で話しを聞いてみると、文句をいっている内容は、潮風で窓ガラスが汚れて、砂浜から飛んできた砂で車が汚れたといっているわけです。
 海のすぐそばの駐車場ですから、一日中、車を置いておくとそうなるのは当たり前なんだと思うんですけど…車が汚れるのがイヤなら海に来るなよ…っていうか車に乗るなよってな感じです。
 これはわが家のお客さんの話です。
 せっかく海辺に来たんで砂浜でも散歩したいというので、案内しました。でもいざ砂浜に着くと砂浜に降りようとしません。靴が汚れるのがイヤだそうです。
 だったら散歩したいっていうなよ、っていうかいってくれればビーサン貸したのに…
 これも別のお客さんの話。
 サーフィンをしてみたいというので、わが家のサーフボード、リーシュコードを1セット貸して、一緒にサーフィンをすることにしました。ひととおり基本的なことを教えて、いざ海に入ろうとすると「けっこう波が高いね。こんなの恐くてムリ」だそうです。
 サーフィンって波があるところでやるものだし、今日は波がないほうだよ。
 これも別なお客さんの話。
 妻のお友達が来て、近所の海の見えるレストランに行ったり、ビーチを散歩したりしていました。家に戻ってお茶をしていたら、道を水着姿で歩いている人が多くて、みっともなくて、人前で恥ずかしくないのかとご立腹。
 なるほど…夏は多いんですよ。観光客の人が多いんですけどね。それが当たり前だと思ってました。
 これも別なお客さんの話。
 ぼくの会社の先輩がわが家に遊びに来て、飲んでいたら、突然お説教モードに。「お前はスキューバーダイビングやらサーフィンやら、結構危険なことをしているけど、もしお前の身に何かあったら、奥さんやお子さんはどうなるんだ!」とのこと。
 いやはやごもっとも。でもそんなこといったら、登山とかスキーとかも危ないじゃん。いやいや車の運転も危ないでしょ…
 まだまだたくさんあったような気がするんですが、思い出せません。
 でも、ここに書いたような話題は、地元の人と話していると絶対出てこないんですよ。たぶん前提としていることが違うんでしょう。
 住むところが違うと考え方も違ってくるのかなあ?












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海でマジックアワーを楽しむ



 マジックアワーという言葉があります。日没(日の出も)の前の空の色が独特になる時間をいうんだそうです。
 ぼくは海好きで、今までいろいろな海辺の夕暮れを見てきました。自宅でもそうですし、旅先でもそうです。
 自宅では夕暮れの時間にデッキでビールを飲むことにしていて、空が刻々と色を変えていく様子を見ています。自宅からほど近い海岸で散歩がてらマジックアワーを楽しむこともあります。
 自宅のそばの海からは方角の関係で、夕陽が海に沈むところは見られません。太陽は伊豆半島か富士山か丹沢に沈みます。
 ただ夕暮れ時の空の色の変化と、海が青から漆黒に色を変えていく様子は見ていて飽きないもので、マジックアワーのすべてを見るとだいたい1時間半とか2時間くらいかかると思うんですが、ぜんぜん飽きません。だいたいぼくはボーッとする時間が好きなんです。
 空の色はその日の天気によっても違いますが、ピンクからオレンジ、青紫、紺色、黒と変化していきます。またそれぞれの色がグラデーションになっていて、こんな色がこの世に存在していたんだと気づかされます。
 特にぼくが好きなのは、海の色が変化するところです。太陽の光が当たっていると、海の色は青だったり紺色だったりします。そして夕陽が水面に反射するようになると、オレンジがかった色になります。太陽が沈む頃、陽の光が弱くなると、海の色は黒くなります。
 旅先では、できるのであれば、西側に開いた海辺の宿に泊まるようにしています。そうすると風呂に入っている時間や食事の時間にマジックアワーを楽しむことができます。
 ぼくは経験的に海辺のマジックアワーを楽しむようになりましたが、旅行業界に勤めている知り合いの話によると、リゾート地にホテルを建てるときに夕陽が見られるかどうかというのはとてもおおきなぽいんとだそうです。ぼくが知らなかっただけで、海を旅するのなら夕陽を楽しみたいというのは、常識なのかもしれませんね。
 マジックアワーと並んで魅力的なのは、グリーンフラッシュですね。ぼくは見たことがありません。ちなみにグリーンフラッシュとは、太陽が沈む直前、昇る直後に太陽の光が緑色に光る現象のことだそうです。
 船旅をする旅に見られないかなーとその時間にデッキにいるようにしているんですが、まだ見れていません。
 陽が沈むと漆黒の海が広がります。月が出ているときは、ムーンロードができることがあります。ムーンロードも幻想的で見ていて飽きません。
 ムーンロードについては以前少し書いてみました。
 漆黒の海を見ているのも楽しいもので、湘南あたりだと街明かりや灯台の光がキレイです。もっと田舎の海でも、いろいろな楽しみがあります。遠くの島の町明かり、船の漁り火、沖を横ぎる大型の長距離を行く船の光などを眺め、そこで暮らし、働いている人の思いを想像したりするのが好きです。
 そんなことをしていると、マジックアワーから深更まで海を眺めていたりします。忙しい日々の中で、そんなにボーッと海を眺めている時間もいいものです。








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