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海が荒れている日にマリーナのカフェでノンビリする



 海が荒れている。寒い。すごい雨。
 どうやったって海に出て遊べないような日、ぼくはマリーナのレストランでのんびりすることがあります。だいたいそういう日はマリーナは空いています。
 マリーナでなくても、空いている海辺のカフェとかレストランとかリゾートホテルのラウンジで、ボーッと海を眺めながら過ごすのが、ぼくは好きです。
 いつものパターンですが、何かをやらなければならないわけではなく、急かされるわけでもなく、混み合ったところでギスギスするのではない、のんびり、マイペース、そういう状況がぼくは好きです。とてもリラックスできます。肩の筋肉に力を入れて一気に脱力する、みたいな動作をするとさらにリラックスできます。
 荒れた海、マリーナで停泊している船、どんより曇った空、窓を打つ雨、人気のない海、そんな風景を眺めながら、こんど海況がよい日は何をしようかな?なんて考えたりします。いつかは雨も上がり、天気のいい日がくるでしょう。








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タラソテラピーって?



今、海べりのリゾートホテルに行くと、タラソテラピーというのをやっています。
中にはやたら高額で怪しいのもあって、本当に効くんだろうか?とかねてから感じていました。
そこで、タラソテラピーについて調べてみると、意外に文献も情報も少ないんですねえ。とりあえず手近な文庫本を読んでその概略をまとめてみました。


【何に効くの?】

この本によると以下の病気に効くそうです。
①リューマチ
②外傷
③脊椎の静的障害
腰仙痛
座骨神経痛
④神経障害
下肢の麻痺
半身不随
⑤安定した代償性の心臓血管系の障害
⑥慢性呼吸器障害(喘息を除く)
⑦疥癬
⑧婦人科疾患
⑨代謝障害
肥満
セルライト
膠原病
⑩スポーツ活動に起因する疾病
肉ばなれ
腱炎と骨端炎
伸長
⑪いわゆる文明病
鬱病
精神的肉体的疲労
自律神経失調
早生更年期障害



【歴史】

要はかなり長い歴史があるということで、紀元前484年ヘロドトスが海の効能について述べていることから始まり、16世紀にはアンリ三世は皮膚の疥癬治療のために海水浴を行ったそうです。17世紀に、英国の医師J・フロイヤーが海水による最初の治療を行い、1847年にヒルシュ女史がセート(地中海に臨むフランス南部の港湾都市)に海水療法と太陽療法を並行して行う最初の施設「ラ・メゾン・キュルゲール」を開設し、その後も主にヨーロッパで海洋療法がおこなわれてきました。1869年頃ド・ラ・ボナルディエール博士が「タラソテラピー」なる用語を創始しました。



【種類】

バルネオテラピー、マッソ・キネジテラピーテラピー、エレクトロテラピー、エルゴテラピーの4種類があります。


 
  Ⅰ.バルネオテラピー
一般的にタラソテラピーといわれてイメージするのがこれではないでしょうか?
プール・入浴・ジェット・ファンゴテラピー(海泥療法)・アルゴテラピー(海藻療法)があるようです。

・プール
新鮮で汚染されていない海水を、消毒とかしないで天然のまま34℃~36℃に温めて使うのが大切なようです。この温度は海水中のイオンを皮膚から体に浸透させる効果が高くなるためだそうです。(本当にイオンが浸透するのか?)あと、筋肉の痙攣を抑えたり、痛みを和らげる効果もあるようです。
プールのような設備に歩行浴用、上半身用、ワークプール、足湯用などのエリアがあって、そこにつかることで、浮力や水圧を受けます。それが平衡感覚や歩行運動神経の回復に役立つというわけです。
入浴、ジェットはこれの変化形だとぼくは思いました。

・ファンゴテラピー(海泥療法)
鎮痛・消炎作用が期待できます。
汚染されていない海底の泥を使うのですが、いくつかのバリエーションがあるようです。①海水のバスタブに溶かして入浴剤として使う ②パックとして使う ③泥を肌に塗って滅菌ガーゼで覆う

・アルゴテラピー(海藻療法)
そのへんの海藻を取ってくればいいというものではないらしく、深海のひばまた類やこんぶ類を冷凍粉砕法で処理したものを使います。
使い方は、①入浴剤として使う ②海藻パックとして塗り、赤外線照射で温める ③海藻マッサージ


Ⅱ.マッソ・キネジテラピー
簡単にいっちゃうとマッサージや体操をすることです。


 
  Ⅲ.エレクトロテラピー
これまでのケアに電気を使ったものです。
電気の種類と治療の組み合わせについては読んでてもよくわからなかったのですが、とにかくいろいろ種類があるようです。
ただし、エレクトロテラピーはバルネオテラピーなどと結びついて二次的役割を果たすものです。

直流電流の使用
電極の使用による多大な活性効果・鎮痛効果
ノボカイン、サリチル酸塩と組み合わせた鎮痛効果
副腎皮質ホルモンによる消炎作用
低周波電流の使用
中周波・サイン波・交流電流の使用
高周波電流の使用


Ⅳ.エルゴテラピー
これについても簡素な説明しかなくてわからないんですが、本の内容をそのまま引用すると、医療施術方法のひとつであり、労働による機能の回復療法、となります。
具体的には運動感覚障害を治療するため、ドアの開け閉め、物の持ち運び、釘打ち、縫い物などを行うことです。



 
 
【海の何が効くのか?】

・海にはミネラル元素と微量元素が含まれていて、それらは皮膚から吸収される。吸収される程度は塩分濃度と温度が高いほど吸収されやすい。
・海水には抗菌性がある。
・海藻も良いらしい。
・海泥も良いらしい。
・海洋性の気候(ヨーロッパの場合だが)が良いらしい。



【タラソテラピーは家庭でやれるのか?】

ぼくはこれに興味がありました。真っ先に頭に浮かんだのはKNEIPP(クナイプ)ですね。それにぼくの家は海の近くにありますから、自宅でタラソテラピーができればとても楽なんです。
結論からいうと、自宅でタラソテラピーをやるのはちょっと難しそうです。

というのも次のものが必要です。
バスタブ
300リットルの水
8kgの塩(8kgってすごいよな)
3.5kgの硫酸ナトリウム
0.7kgの塩化カルシウム
0.35kgの塩化マグネシウム
少しばかりの新鮮なプランクトンと少量の抗生物質(ぜったいムリ)
いくらかの海藻

それに加えて次のことに注意しなければならないそうです。
海水は新鮮なものを用いること
海水は再生したものでないこと
海藻は海中でしか生きていないし、海中でしかオリゴエレマンを放出することもない




参考文献 『タラソテラピー 海から生まれた自然療法』 ジャック=ベルナール・ルノーディ 日下部喜代子訳 文庫クセジュ




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持って行くと、海遊びがもっと楽しくなるグッズ





さあ、海遊びが好きなサーファーやダイバーのみなさん、車で海に行くとき、何を持っていきますか?

サーフボードやダイビング器材!

それは当たり前ですね。
ただもう少し持ち物を工夫するだけで、もっと海遊びが快適に、充実したものになります。




【その1 チェア&テーブル】


手始めに折りたたみのチェアとテーブルなんてどうでしょう。
海からあがってひと休みする時に、砂浜や岩場に座るのもいいのですが、チェアとテーブルをセットするとグッーと快適になります。

アウトドア用の折りたたみ可能なチェアとテーブルがホームセンターなどで売っています。
試しに手に入れてみてはどうでしょう。

チェアはリクライニングのできるものやディレクターズチェアっぽい背もたれが立ったものなどいろいろなタイプがあります。
リラックスして本を読んだりするのであれば背もたれが寝ていてゆったり座れるものがいいのですが、テーブルでお茶したり、数人で談笑したりするのなら、背もたれが立ったものがいいでしょう。
 
photolifestylesurfgoods1.jpg


 

【その2 保温ポットにコーヒー】


次にオススメするのはコーヒーや紅茶など自分が好きな飲み物を保温ポットに入れて持って行くことです。
海に入ると体が冷えますね。
そんなときに暖かい飲み物を口にすると体が温まります。ずいぶん違うんですよ。
それからほっと一息つけるのもいいんです。海辺でティータイムを楽しむなんて、ちょっと優雅じゃないですか?

あ、そうそう、カップも忘れずに。カップは割れにくいものがいいですね。

photolifestylesurfgoods2.jpg




【その3 ポータブルコンロ】


さてさて次のオススメは、ポータブルコンロとコーヒーです。
アウトドア用のポータブルコンロで湯を沸かして、コーヒーを淹れてしまおうというのです。
コーヒーはスーパーなどで売っているドリップパックのものなんてどうでしょうか?

手間がかかって面倒くさいって?

やっぱりコーヒーは淹れたてがおいしいですから。それにチェアに座って淹れたてのコーヒーを飲みながら海を眺めるのは、なかなかいいものですよ。






【その4 折りたたみ自転車】


さらに次のオススメです。次は折りたたみ自転車。
車があるんだから自転車は要らないと思うかもしれません。それがそうでもないんです。

例えば朝一でサーフィンをして、休憩で浜に上がったとしましょう。飲み物を買い忘れた、ワックスがなくなったなどでちょっとコンビニへ行きたい、なんて状況があるとしますね。
別に車を使ってもいいんですが、自転車だと身軽に動けます。

それから少し離れたポイントの波がどうなってるかチェックしたいけど、駐車場はそこしかない、いったん動いちゃうと場所をとられちゃうかも、みたいな状況の時も使えます。

例えばダイビングの時、2時か3時くらいでダイビングが終わる事ってよくありますね。でももう少し遊びたい。そんなアフターダイビングのときに自転車でポイントの周りを散歩風に走るんです。
車では見過ごしていたものが見えますし、道が細くて車では入れないところもスイスイ行けます。
その町の新しい面が見つかることがありますよ。



 


【その5 スケボー】


最後のオススメです。海に持って行くと意外にいいもの、それはスケボーです。
サーファーは持って行っている人、割と多いんじゃないでしょうか?
サーフィンが終わった時や、ちょっと休んでいる時に車のトランクからサッと取り出して、パッと乗る。子供じみているかもしれませんが、これが楽しいんです。

ダイバーのみなさんには、ちょっとわかってもらえないかもしれません。
でもどうせ遊びに行くんですからやりたいことは全部やっちゃうくらいの勢いでいいんじゃないでしょうか?

例えばダイビングって港でやることが多いじゃないですか?
そこで少しスケボーをやってみるとか?
伊東の港やIOPのスロープなんておもしろいと思うんですが…
スケボーの変化球としてキックボードもいいかもしれません。折りたたみ自転車とかぶっちゃうかもしれませんが…







どうせ海で遊ぶんなら、思いっきり楽しんだほうがいいですよね!



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夏の海辺の朝の潮風・夕方の潮風…



 梅雨から夏へと季節が変わると、毎日暑くなりますね。特に最近は気温が40度になることもあって、命の危険を感じるほどです。
 都会では、早朝も夜もモアンとした暑さです。特に内陸部は独特の暑さです。
 海辺はそこまで暑くないんです。もちろん暑いんですが、都会の暑さに比べればずいぶん過ごしやすいと思います。
 夜には海からの風が吹いて、モアンとした熱気が払われます。早朝などは、ちょっと肌寒いくらいです。
 日中だって、日向は暑いですが、日陰に入って、風が吹いていればそれほどではありません。
 ぼくは夏の海辺の夜の匂いが好きです。早朝の澄みきった空気の張りが好きです。なんだか子供の頃の夏休みの記憶が思い出されます。
 ぼくの休みの日の楽しみとして、日中ウォータースポーツをして、家に帰ってシャワーを浴びて、ビールを持って、近所にある防波堤に出かけます。防波堤に座って、潮風を浴びながらビールをグイッと飲むんです。夕陽で空の色が刻々と変わるマジックアワーも楽しめます。
 潮風には適度の湿気と爽やかさがあって、家にいるよりも過ごしやすかったりします。防波堤のコンクリートに溜め込まれた太陽の暑さをお尻に感じながら、潮風に吹かれてビールを飲みます。1時間もすると半袖短パンの我が身には少し肌寒さを感じるほどです。
 クールダウンしていると適度な眠気が訪れます。
 朝はビーチを散歩します。澄んだ空気を深呼吸して身体の中に取り込みます。
 太陽が照りつける前の海辺は暑くはなくて、潮風が肌に心地よいのです。海の湿気が海岸沿いの丘に当たって、霧になります。うっすらと霧がかかったひそやかなビーチを歩いていると、心の奥がシンと静まるような感じがするのです。
 ベッドで固くなったからだが、軽い運動でほぐれて、一日の準備ができます。
 ぼくはこんな日々が過ごしたくて、海辺の田舎町に移り住んだのでした。










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「なぜ海辺に住むのか?」という問いに対する語りにくい答え



 ぼくは田舎の海辺が好きで、わざわざ引っ越しました。
 その理由はいろいろあるんですが、一番大きな理由は、海辺にいると癒される・楽になれるということです。これは他人に理解されやすい理由です。
 自分の中でも、3番目くらいの理由で、かつ他人に説明しにくく、また、なかなか理解してもらえない理由として、田舎の海辺(自然の近く)での暮らしは、大きく人を損なわない、価値観の変動が少ないということがあります。
 これは何をいっているのか、説明したいのです。
 人は昔から漁をしたり農業をしたりして生きてきたんだろうと思うのです。そしてその暮らしは現代でも行われています。
 ぼくは、今の会社員としての仕事を辞めても、海で漁をしたり、庭で畑を耕したりすれば、最低でも食べていけるんじゃないかなぁと、ときどき考えます。
 現実的ではないにしても、いざとなれば、食べ物を得ることはできます。
 変わらない人の暮らし方がそこにあるというのは、ぼくにとって、とても大きな意味があります。それは安心感というか、人生という正解のない空間と時間の中で、自分の位置を固定するアンカーのような意味を持っています。
 社会というのは、流行廃りがあったり、正しさが変動したりします。偏見や差別や抑圧や暴力が大きく幅を利かせるときあります。特に戦争となると大勢の人の命が失われます。
 社会というか、集団というか、組織は、往々にして個人の自由を制限します。組織の目的のために、個人を抑圧したり、犠牲にします。ぼくは常に「組織は個人を救わない」と思って生きています。
 それは集団のメンバーが最大公約数的に快適に過ごすために致し方がないわけですが、ときとして大きく逸脱することもあるように思います。
 仮にそういうことが起きても、人が少ないひっそりとして田舎の海辺にいれば、そうした社会・集団・組織と自分を切り離したり、距離をとって、昔の人がやっていたように暮らしていくことができるんじゃないかと思うのです。
 この世の中の片隅で、自然に根を張りながら、なんとか自分だけは暮らしている安心感があります。
 社交辞令的な「どうしてそんなに離れた海辺に住んでいるんですか?」という問に、まさかこんなことは答えられないわけですが…









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頭と体をフルに働かせるウォータースポーツという遊び



 ウォータースポーツは、海という自然の中で遊ばせてもらうものです。結構危ない目にも遭います。
 都会で暮らす知り合いによくいわれるのは、なんでそんな危ないことを自分で進んでするのか?ということです。それについては、これまでもいくつか書いてきました。

運が悪けりゃ死ぬだけさ…

海遊びの危険とかリスクについて思うこと…

リスクゼロ?

 自然なので、気象や海況などは刻々と変化します。天気予報の精度が高まっているとはいえ、先のことはなかなか見通せません。
 よく不確実性の時代をどう生きるかというテーマのビジネス書が書店に並んでたりしますけど、海遊びをしていると、なんでそんな当たり前のことを本にしてるの?不確実じゃない時代なんてあったの?と本屋の通路でブツブツいっている自分がいたりします。海ってそれだけ変化するので、それに自分が慣れちゃってるんだなーと気づかされる瞬間です。
 気象や海況の変化を表す例でよくあるのは、スキューバーダイビングをするときのことです。スキューバーダイビングって圧縮空気の入ったタンクを背負って(見たことあるでしょ?)潜るんですけど、潜ってる時間は、まあざっくり40分とか50分くらいです。
 エントリー(潜り始める)のときは、なんてことない海況だったのに、エキジット(海から上がる)のときには海が大荒れだったなんてことは、ざらにあることです。
 シーカヤックやセイリングでも、午前中に海に出て、午後に急に荒れる(海はたいてい午後の方が風が吹く)ということもよくあることです。風が吹いて波がたって海が荒れ出すとしばらく続きますから、われわれ人間にはどうしようもありません。陸に上がってビールを飲むのが最善の策です。
 これもビジネスの現場でよく聞く言葉ですが、自己効力感が高い(低い)という表現があります。この言葉を分かりやすくいうと、いかに自分が役立たずじゃないって思えるかということだと思いますが、自己効力感というのも海遊びの場面では、あまり使いません。前提として自然の中で人間は無力だからです。それを踏まえて海遊びをしているのです。基本無力なんだけど、なんとかうまくやって生き延びるというのが、海遊びの基本姿勢です。
 ビジネスで使う自己効力感は、基本起きる現象に対して、自分がなんとかできるというのが前提になっている語感があります。そんなにハードル上げられちゃうとビジネスマンとしてはたいへんツラいところでしょう。いやいや基本どうしようもないんだけど、まあなんとか被害を最小限にできたという風に考えるといくらか気が楽になるんじゃないでしょうか?
 そういうわけでウォータースポーツにおいては、自己効力感は、いかに自然の状況に合わせて自分がいい思いをできるかとほぼイコールです。
 ぼくのように、その日の海の様子を見てスキューバーダイビングができるならやり、できないならシーカヤックをやり、それもできないならサーフィンをやり、それもできないなら陸でビールを飲むというのは、たいへん自己効力感が高いといえますし、不確実性にうまく対応しているといえるでしょう。
 そんな不確実で圧倒的な力を持つ自然の中で、危険を顧みず、なぜ海遊びをするのかということですが、ぼくの場合は、それが楽しいからです。正確にいうと、わからなくて自分の力でどうしようもない状況で、海遊びをして、無事生きて帰ることが楽しいんです。最近はこの楽しさはかなり本能に訴えかけるものじゃないかと考えるようになりました。もしかしたら祖先が、危険な自然の中で狩りや漁をして、それを人間の本能として楽しんでいた記憶が自分のどこかにまだ残っているんじゃないかとさえ思うほどです。そんなの検証しようもないですけど、それほど強い楽しさです。

 その楽しさを伝えるのは難しいので、かなりまわりくどく説明します。
 ぼくはゲーム(ってほらソニーとか任天堂とかが売ってるヤツです)ってあまり好きじゃありません。たいていパターンが決まっているからです。ゲームよりもボードゲームの方が好きです。それは参加者によって展開が違うからです。で、ボードゲームよりも将棋や碁の方が好きです。相手のタイプや戦法を前提に、先々まで考えて、こちらも打ち手を変えていけるのが楽しいからです。将棋や碁よりも、かくれんぼや鬼ごっこの方が好きです。それは空間や屋外の要素が加わるからです。
 何がいいたいかというと、ぼくが何かを楽しく感じる状況というのは、自分がどうしようもないことを考えてなんとかするプロセスが自体だということです。で、そのプロセスが複雑で、多要素で、不確実で、予測不可能であるほど楽しく感じるんだと最近気づきました。
 その点で、海遊びはすべての要素を満たしているから、だから楽しいんです。そういう意味では、山登りもぼくは楽しむでしょう。ウォータースポーツは、ぼくにとっては、頭と体をフルに働かして生き残りをかける遊びです。

 そんな話しを飲みの席で海遊び仲間と話すと、割と共感してもらえて盛り上がります。みんな同じようなことを喜びとして感じているんじゃないかな?って思います。

 










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海が最高に気持ちいい日は、ネットで体験できないし、Amazonでも売ってない…



 新型コロナウイルス感染予防の関係で外出を控えていらっしゃる方もいるのでしょう。
 そういうぼくもいつもよりは家にいたり、海遊びをするにしても人がいないところを通ってそそくさと海上にでるようにしています。
 そしてたとえばダイビングなどは割と密なのでしないようにしているんですが、そのウサをネットのダイビング記事を読んだりして紛らわしています。そんなときに、つくづく海ってリアルにそこにいることが大切なんだなと思うのです。

 ぼくは海辺の田舎町に引っ越して20年以上経ちます。自宅から会社までは結構かかります。それを週5日はやっているわけです。

 知り合いによく訊かれることとして、海辺に引っ越す必要があったのかという質問があります。会社の近くに住んで、週末に海に出かければいいじゃないかという意見なのでしょう。

 そういうことを実はやっていたのです。海辺に引っ越す前は…

 都に住んで、金曜日の夜に房総や伊豆に車で出発。連泊して日曜日の夜か、月曜日の朝にってきていました。でもやっぱり海辺に引っ越したいなと思ったのです。

 その理由はいくつかあります。

 ひとつは海が持ちいいときにそれを逃したくないということと、もうひとつは東京の暮らしにはうんざりしていたことと、最後は子供をのびのびと育てられる環境のところに住みたかった、という3つです。

 今回はひとつ目についてまとめてみたいと思うのです。

 海が持ちがいい日というのが、どういうものかというと、温が暑くもなく寒くもなく、陽射しもちょうどよく、海況もよく、風もそれほど強くなく、湿度も高くなく、人で混み合ってもいない…それらいくつかの要素がちょうどいい塩梅に組み合わさった日なんですが、ぼくの経験で、「今日はすごく持ちがいい日だな」というのは、年に3、4日しかありません。そんな日に、たとえ仕事があるとしても、朝、散したり、夜、防波堤に座ってビールを飲むだけでも、とても持ちがいいんです。もちろん一日中海にいられたら最高です。

 そういう日を逃したくないという思いが強いのです。日々海に接しているから、そういう素晴らしい日の存在を知ることもできるし、そういう日を逃さないこともできるんです。

 今はネットで仮想現実とか張現実とかいろいろな技術がありますよね。でも、その場に身を置いて感じる情報に比べればまだまだ少ないと思います。海の持ちがいい日の、陽射しのまぶしさ、風のいや肌触り、潮で湿ったような空感…それらに包まれて過ごす時間のなんと素晴らしいことか。それってその場にいないと絶対味わえないんです。

 ネットで体もできないし、持ち運べないし、お金でも買えない、Amazonでポチることもできない…だからこそ価値がある。

 そんな持ちいい日に海にいたい、そのためならあとの350日の通勤時間を我慢したってぜんぜん苦じゃありません。

 ぼくの周りの海好きな人達は、たいていそんな気持ちいい日を知っています。これぞ生きる喜び。






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スキューバーダイビングでパニックになりそうなときの対処法



 スキューバーダイビングを何十年もやっています。
 そうするとダイビング先でいろいろな人とグループを組むんですが、中には初心者の人もいます。
 そしてダイビング中にパニックになる人もわりと見かけるのです。ぼくはPADIのDMでガイドをすることもあるので、パニックになる人のサポートを何度もしたことがあります。見ていると「この人はパニクりそうだな」というのが勘でわかるものです。
 ぼくもダイバーとしてパニックになりそうになったことは、もう数え切れないくらいあります。
 なので、今、自分がパニックになりそうだなというのもわかるようになりました。
 パニックになりそうなときの見分け方ですが、まず気持ちが焦っています。恐怖心があります。その恐怖心は自分が死ぬかも…という恐怖心です。そして呼吸が浅くなってます。身体に力が入っています。
 気持ちが焦っているのは、たいていその場の状況を自分が勝手に~脳内妄想的に~ヤバいととらえているものです。冷静になって後から考えてみればそこまでヤバくないのです。
 そんなこんなでパニックを防止するぼく的な方法としては、こんな感じ…
・死ぬことを恐れない
 どうせ人はいつか死ぬんだし、それが今だとしても至極当然のこと。当然のことが当然のように起きようとしていると考えるんです。ぼくの好きなフレーズで、ずっと昔、日テレで「俺たちは天使だ」というドラマの決めの台詞「運が悪けりゃ死ぬだけさ」というのがありますが、それをココロで繰り返しています。
・楽天的な気持ちを持つようにする
 なんとかなるさ、自分は死なない、これもいい経験、この状況を切り抜けたらオレってタフですごい、などなど、これでもかと楽天的になるように気持ちを誘導します。
・意図的に呼吸を深くする
 日頃自主練的に瞑想をしてますので、呼吸を深く大きくすることは身体が覚えています。呼吸が整うと気持ちが落ち着きます。
・丹田に力を落とす
 焦ってくると、全体に身体の上の方に重心が移るような気がしているんですが、それを下の方に移します。イメージとしては丹田の下の方に力を込めるようにすると、落ち着いて、身体がどっしりするような感じがします。
・次善の策を考える
 気持ちが落ち着いてきたら、最悪の場合にどう対処するかストーリーを頭の中で描きます。そうすると「まあなんとかなりそうだな」と思えて、現実的な行動に集中できるようになります。
 今こうやって振り返ってみると、ぼくは経験と共に、パニックにならない術を身につけてきたんだなあと実感します。ただ、ウォータースポーツについてのぼくの経験を振り返ると、やり始めた頃は怖い状況が判断できないので、恐怖心というのはあまり湧いてこなかった気がします。少し経験を積んでからの方が怖いと感じるようになりました。パニックへの対処法はその時期以降の学びですね。









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ちょっとしたストレスの積み重ねが日々のシアワセを形づくっているのかかもね…



 離島を旅するのが好きです。
 もちろん、青い空、広い海、豊かな自然に惹かれるというのはあるんですが、ぼくの心に訴えかけるのはもう少し違う何かです。
 離島を年に何度か旅をし続けてきて、ぼくは「離島的な何か」が好きなんだと気づきました。
 前にも書いたんですが、離島に1週間とか2週間とかいると、今住んでいる海辺の田舎の暮らしもストレスが多いと感じてしまいます。ましてや都会の暮らしなんてとてもできません。
 以前書いた記事もぜひご覧ください。


海という自然・小さなコミュニティ・幸せ…

離島の好きなところアレコレ

離島の旅で感じる、鍵をかけるという行為の奥にある心の負担
 たとえば離島の暮らしの何がストレスが少ないかというと次のようなことです。これを読んでいただければ、ぼくが「離島的な何か」と呼んでいるもののイメージが伝わるかもしれません。
【鍵をかけない】
 ぼくが行くような離島、たとえば母島とか多良間島とか阿嘉島とかの人口が多くても1000人台の島だと、家も車も鍵をかけません。慣れるまではとまどうんですが、慣れてしまうと鍵をかけたり開けたりするのって、いちいちというかけっこう面倒くさいことがわかります。
 それから鍵をかけるという行為は「もしかしたら盗られるかもしれない」とか「もしかしたら殺人鬼が入って来るかもしれない」ということを警戒しているわけで、そうした警戒心がないだけでもずいぶんストレスが減ります。
 その無意識的な警戒心があるかないかで、ストレスってずいぶん違います。
【行列待ちがない】
 なにせ人が少ないので、待つとか行列ができるということがありません。スーパー(というかなんでもある雑貨屋というのが多いですけど…)、町がやっている温泉、郵便局、道、どこも並んだり待ったりすることがありません。慣れてしまうと、行列のある生活に戻りたくなくなります。
【広いというか混雑していない】
 人が少なく人口密度が低いということは、土地にゆとりがあるということです。なので、たとえば駐車場のような空間があったとして、都会の駐車場のように白線で停める位置が指定されているのを離島では見たことがありません。
 車でコンビニに買い物とか病院に行くとか、ちょっとした用事のときに駐車場の白線に車を入れるのって結構面倒なのです。
 あるいはちょっと路肩に駐車するとクラクションを鳴らされたり、警察官に注意されたり、地元の人ににらまれたりします。
 これって、そのコミュニティの快適さを維持するのにルールを守らなければならないからそうなんているんだと思うんですが、そういう高めのハードルが必要なコミュニティ自体が、ぼくにとっては息苦しいのです。

 自分の住んでいる地域の暮らしでは当たり前だと思っていたんですが、離島で車に乗ると、駐車場っぽい土地に車を「ガッ」と入れて、帰るときは「ガッ」と出すだけなのです。
 そういうのに慣れてしまうと、都会の大規模スーパーとかショッピングモールとかの大型施設の狭めの白線にバックできちんと枠の中に車を入れるのって、「すごく神経質な行為」で「自分の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が侵された」気がしてきます。
 しかもとなりの高級車にドアをぶつけないように慎重に開けて、駐車券をレジで認証してもらうのを忘れないようにして、自分の車ってどこに停めたっけ?5階のE9だっけ?と迷わないようにして、店によっては入庫と出庫で渋滞ができてたりして、こんなことを考えると買い物に行くのがめんどくさくなります。みんなよくやりますよね。
【開けている】
 都会で暮らしている方がタワーマンションに住みたくなるのってわかる気がします。タワーマンションからの眺めはいいですもんね。ぼくはあの広い空間を見渡せる感じって好きです。
 でも、なぜタワーマンションに住まなきゃならないかというと、低いマンションとか一軒家だと他のビルが高いから視界が遮られるからじゃないでしょうか?
 ぼくが都会で苦手なのは空が狭くて息がつまりそうになることです。空が狭いというのは高いビルがぎっちり並んでいるから空が見えないんです。
 離島では、家はたいてい2階建てか平屋ですし、そんなに家が建て込んでいないのです。そういう場所は全体に空間が開けていて、空が広くて、陽の光が入るので明るく、風通しもいいのです。あの空間がノンビリした雰囲気に一役かっていると思います。
【誰が誰かわかる】
 離島で3日も滞在すると近所の人は顔を覚えてくれます。これはどういうことかというと、島の人は誰が誰かを認識して暮らしていて、そこに知らない顔の人間が入って来ると、「知らないヤツ」と認識するということです。で、3日もすると「あいつはあそこの宿に泊まっているダイビングに来ている旅行者で危害を及ぼすようなヤツではない」と認識するということだと思うんです。
 ぼくは誰が誰だかわかっている状況というのが好きです。それを息苦しいと感じる人もいるみたいですが…
 先日東京に住む友人の家(マンション)に遊びに行きましたが、両隣に住んでいる人はわかるらしいんですが、同じフロアに住んでいる人全部はわかならないといってました。ぼくはそういう生活環境ってちょっと苦手です。そしてちょっと恐くもあります。
【満員電車がない】
 みなさん満員電車は好きじゃないと思いますが、我慢して乗ってるわけですよね。離島では当然そんなのありません。離島の旅から帰ってきて、羽田から電車で我が家に帰るときに、混雑した電車に乗ってしまうと、心の芯から疲れてしまいます。あの疲れ具合というのは、何かしら人間のかなり大切な部分に悪い影響を及ぼすんじゃないかと思います。あのイヤな状態を経験しないですむだけでも離島とか田舎に住む価値があるように思えます。
【慌てない、ノンビリしている】
 「この仕事、あと30分でやっといて!」とか「あれまだなの? 急いで!」とか「おい速く行けよ」とか何かに急き立てられるのってイヤですよね。それって自分のペースが乱れるからイヤなんだと思うんです。日々自分のペースでゆったりノンビリ暮らせたら、それだけでストレスはだいぶ減るんじゃないでしょうか。
 こうしていろいろ小さなストレスを書き出してみました。書いているうちにこれって離島じゃなくて田舎でもそうだよね、いわゆる都会じゃなければいえることだよね、って思いました。
 小さなストレスですが、これが日々積み重なってそれが何十年と続くと、やっぱり人生違うよなーって思うのでした。
 ぼくがこの小さなストレスに気づいたのは、離島に2週間くらい旅したときです。それまでは自分の日々の生活にストレスがあるなんて気づきもしませんでした。だって、駐車場の白線の枠に停めるのって当たり前じゃないですか? でもそれって当たり前じゃないし、ストレスだったんです。この「自分が当たり前だと思っている」ってことが怖いですよね。













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海にいると健康になれる…とぼくは思っている



 毎日朝か晩には砂浜を散歩しますし、週末はウォータースポーツをします。
 ぼくは海が好きで海辺の田舎町で暮らしています。さんざん書いといて今さらですが、海が好きで、海にいると癒されます。
 なので、過去にも似たようなことを書いています。

タラソテラピーって?

海ではみんなが楽しそう…ブルーエクササイズ

海で癒される「ブルー・ヒーリング」

 多くの人が観光やスポーツで自然に接し、自然の中で遊ぶのを好んでいらっしゃいます。それはやっぱり自然と接すると気持ちいいし癒されるという面があるからではないでしょうか。
 歴史的にも、世界的にも、自然の美しいところに住んだり、別荘を持ったりするのはよく見かけることです。科学的に証明されているかどうか知りませんが、ぼくは自然と接することで癒されます。
 癒されると一口にいいますが、ぼくが何を感じているのか少し考えてみます。
【気分がスッキリする】
 海辺にいると気分がスッキリします。たとえば仕事でうまくいかないことがあってモヤモヤしていても、海辺を散歩していると気分がスッキリします。身体を動かすとさらに効果的です。
【気持ちが落ち着く】
 ぼくは街中の人混みが苦手です。混雑した駅のコンコースを人にぶつからないように歩いたり、満員電車に乗るとイライラします(みなさんも同じでしょうか?)。海辺にいるとそれと反対の気持ちになります。穏やかで落ち着いた気分になります。これは理由として空間の広がりということもあると思いますが、波のリズミカルな音も影響しているんじゃないでしょうか。
【気持ちが晴れ晴れする】
 海と空という開けた広い空間にいて、そういう空間を見ていると、気持ちも大きく晴れ晴れします。晴れ晴れした気持ちというのは鬱屈した気持ちの反対の気持ちという意味でぼくは使っています。
【自分のペースを取り戻せる】
 独りで海辺にいると、何をやるかやらないかは自分で決められます。周囲の人に遠慮することもありません。何もかも自分のペースで決められます。これってやってみるとすごく気持ちいいですね。日頃いかに自分が周りを気にして行動を制限しているかわかります。
【細かいことを気にせず大らかになれる】
 海辺というのは、まあだいたい都会よりも土地があって広くて人口密度が低いことが多いです。こうした空間的にゆとりがあるということは、たとえば車をざっくり停められるとか、イスやテーブルやテントなんかを使うときも好きな所に置けたりするわけです。こうしたことなど取るに足らないことのようですが、まあぼくなどは根が大雑把な性格なので、3mくらい向こうにスキューバーダイビングの器材バッグ、その1mくらい横にボストンバッグ、その1mくらい横にテーブルとイス、10mくらい向こうに脱いだビーサンといった具合です。こうした雑な空間の使い方ができるとぼくはなんだかうれしいんです。いいよなあ、こういうのって思うんです。何だかこの辺一帯自分の土地みたいだな、やっぱり土地が広いって大事なことなんだな、やっぱりおにぎりはおいしんだな…と思うんです。
 えーっと何の話かというと、空間的にゆとりがあるということは人を豊かな気分にさせ、ゆったりした気分にさせるのではないだろうか…とぼくは思うということです。
【他人に優しくなれるかも…】
 これはぼくだけの感覚かもしれませんが、都会の人が多いところだとうっとうしいなと思ったりします。人いきれで疲れたりします。土日の渋谷なんか歩いていると、人が多すぎて他人をきちんと認識しない自分がいたりして「オレってこんな冷たい人間なんだ…」と呆然としたりします。
 なぜこんなことをぼくが感じるのかというと、たぶん離島などを旅することが結構あるからじゃないかって考えます。人口の少ない離島を歩いているとだいたい人と会うことがそんなにないわけです。そして会ってすれ違うだけでも、相手の性別・年齢・どこの人か(あそこの民宿の主か、農協の隣の家のオバサンか)といったことを考えるわけです。そして会釈したり、「今日も暑いねえ」くらいの会話を交わしたりします。だから都会での人と人との距離感とのギャップがすごくて、いつの頃からか、人口密度と他人との付き合い方の関係について考えるようになったのでしょう。
 そしてぼくの現時点での考えは、「人は他人の人数の多少によって認識を変える」、もっとざっくりいうと「他人が希少だと大事にする」というものです。
 こうした他人を大事に思う気持ちというのが、自分の心の状態全体の柔らかさとか優しさとかゆとりという感覚につながっていくんじゃないでしょうか?
【海水や潮風がなんらかの影響を及ぼしているんじゃないだろうか?】
 うちの子供が幼い頃、夏に汗疹ができていたものです。で、海水浴に行くとそれが収まるということがありました。ぼく自身の経験では、鼻水が出る程度の風邪の引き始めだと、海に入った方が治りが速い実感があります。ぼくは花粉症ですが、海辺に住むようになってから症状が緩和したような気がします。ざっくりぼくの感覚では耳鼻咽喉っぽい方面、皮膚方面、過敏に反応している症状方面には、何かしら影響があるのではないかと感じます。
 また、これは海水ではなく太陽の影響だと思いますが、睡眠リズムが狂っているとき~たとえば夜寝つけないとか、夜更かし気味で起きるのが遅くなっているようなとき~砂浜でノンビリしたり、海で泳いで身体を疲れさせると割りと早く元の睡眠ペースに戻せます。
 一方で、一応経験談なので書いておきますけど、風邪が悪化しているときに海に入ってもさらに悪化します(当たり前!)。喘息がひどくなっている状態で、海に入ってもよくなりません(当たり前!)。
 タラソテラピーという療法もあるくらいですから、過信するのはよくないと思いますけど、海水や潮風は、身体になんらかの影響を及ぼしているんじゃないかな?というのがぼくの思いです。 
【独りになって自分と向き合える】
 自分のペースを取り戻せると似ているんですが、海辺で人が来ない入江で一日ボーッとすることがあります。そうすると何だか癒されているような気がします。そのときぼくの心の中で内が起きているかと考えてみると、他人の存在を気にせず、自分の来し方行く末についてなんとなく考えていたりします。たぶん自分の考えに没入していて、自分と向き合っていたんじゃないでしょうか。そんな時間があると何かしら気持ちが安定するみたいです。これには2つの面があって、ひとつは、他者のことを気にしないでいる、つまり人は他者がいるとその人の存在を無意識にけっこう気にしているということ、家の中ではなく自然の中で自分に向き合っているということです。瞑想は気持ちの安定に効果があるといいますが、瞑想するのも家の中よりも自然の中の方がいいのかもしれません。
 と、いろいろ書いてみました。ぼくが海にいて癒されるなー、気持ちいいなあーと感じるのは事実でして、それを言葉で説明しようとするとなかなか難しいのです。こんなのはわかる人はわかるし、わからない人はたぶんわからない…価値観が違う、住む世界が違う、見ている景色が違うということなんでしょう。
 それでもこんな文章を読んで海という自然と共に暮らしたいと思った方は、今週末にでも海を訪れてみてはいかがでしょうか?










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