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もっと長い目で考えてもいいのかなー

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 海を眺めていると、ときどき思うんですが、自分ってまあせいぜい生きても70年くらいですよね。それで、少なくとも日本の歴史だって何千年もあるんだなあって思うんです。
 しかも目の前に広がってる海は何億年前からその状態だったわけですよね。

 一方で陸に目を移すと、ぼくの家のあたりは別荘地なので、威容を競うような建物が建っているわけです。
 それらの建物も数十年単位で持ち主がわったり、建て替えられたりしてるんですね。

 そういうのを見ると、人が生きている間にできることって、本当に高が知れてるなあ-と妙に実感するわけです。

 自分の人生だけでできないことってあるわけで、それが組織とか会社みたいな形態になって引き継がれるのかもしれないんですけど、ぼくは少なくとも会社や官僚組織は、ある意思を正確には引き継げない「仕組み」を内包しているんじゃないかな?って感じます。

 組織の中にいる人間が変わるからには、当然組織だって変わるでしょうし、ある人の意思を別の人が100%引き継ぐことなんてできないでしょう。
 たぶん永続的なものというのは作れないんじゃないかと…
 その中でより良い選択は、制度を作って、徳川幕府のように、誰がトップでも安定して運営できるようにするか、もうひとつは絶えずスクラップ・アンド・ビルドを繰り返して、常に新しい組織を作るようにするかだろうなあ、と思うんですね。
 前者は時代の変化が大きい場合に存続できない可能性がありますから、後者の方が優れた形態なのかな?って気がします。



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通勤時間がかかっても海辺に住むわけ

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 ぼくは海辺に住んで、毎日、町まで電車に乗って出稼ぎに行っています。

 そんな生活を送っているからかもしれませんが、よく相談されることがあります。
「自分も海辺に住みたいんですけど、通勤に時間がかかちゃうと大変じゃないですか」
「海辺に引っ越したいけど、子供の学校を転校させるのはちょっと…」

 ひとつめは、自分の問題なんで簡単ですね。海辺で暮らす時間と仕事や通勤にかける時間を秤にかけて、どちらをとるかっていうことですね。
 ぼくの周りの本当に海が好きな人って、そんなことで躊躇したりしないですよ。好きな海で暮らすために仕事とかバンバン変えちゃってるもんね。
 もう少し現実的な話しとして、通勤時間が長くなったことは、一日の時間としてはやっぱりキツいです。
 ただ、電車の中で本を読んだり、考えごとをしたりできるので、自分独りの時間は増えたと思います。自分独りというのは、仕事人でもなく、家庭人でもなく、まあ素の自分というような意味です。
 通勤時間がONとOFFを切り替えるスイッチになっているということあります。

 それから仕事の後に飲むことが当然あるわけですが、帰りの電車のことがあるので、早く切り上げるようになりました。昔は家も近かったし、若かったしで、日付変更線を越えてダラダラ飲むこともありましたが、そういうことはしなくなりました。これも見方によっては自分の時間を増やしたことになります。

 なによりも好いことは、毎日海を見られるということです。これによって気分転換ができます。ストレスを貯めないということでいうと効果絶大です。 


 さてさて、相談のふたつめですが、これは何ともいえませんね。家族会議をして、みんなで相談したらいいと思うんですけど…
 ちなみにぼくの周りの人で、シーカヤックで世界中を巡りたいからって、離婚しちゃった人いますけど…
 それはさすがにすごい決断ですが、どこかしらに妥協点はあるんじゃないでしょうか?

 最後に「地縁があって好きな場所に引っ越せない」「家やお墓を守らなきゃいけないから、引っ越しなんて考えられない」ということもあるかなーと思います。
 確かにきちんとした考え方でいけば、そのとおりです。
 ぼく個人としては、少子化の世の中で兄弟も少ない家が多いわけで、最低限、子孫を残すという役割を果たしたら、他のことは大目に見てもらうようにしてもらっています。申し訳ないけど、自分もやりたいことがあるし、一度きりの人生だし、自分が充実して生きることが、親や祖父母への恩返しだと、勝手に解釈しています。


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その道が好きな人にはたまらない雑誌 『島へ』




『島へ』  (海風舎)

 世の中には島好きな人がいます。
 って他人事みたいにいっていますが、ぼくがそうです。

 島というのは独特のノンビリ感と安心感がありまして、それがなんとなくリピートする理由のような気がしてなりません。
 島の魅力に憑かれてしまうと、日本中、いやいや世界中の島に行きたくなります。

 それからだんだん人口の少ない離島に行きたくなる傾向があるような気がします。

 そんな人が作った、そんな人のための雑誌。それが「島へ」です。

 好きな人はどうしたってハマるし、そうじゃない人はどうしたってハマらないというのは、どんな趣味にも共通することのような気がします。

 この雑誌は発売日が楽しみで、逆に発行部数が少ないのか、発売日が過ぎてしばらくすると手に入らなくなります。
 こういう発売日が楽しみな雑誌があるのって、ちょっとした幸せですね。


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船の上で潮風に吹かれる快感

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 島が好きで船に乗ることがあります。
 たまにセイリングをすることがあります。
 スキューバーダイビングでボートに乗ることがあります。
 シーカヤックをします。

 たぶん海遊びをしない人に比べたら、数百倍船に乗っていると思います。

 一方で漁師さんや海関係を仕事にしている人に比べたら、たまに船に乗っているわけです。

 で、たまに船に乗る自分としては、船に乗るときというのは、特別な気持ち良さがあると実感します。

 船のスピードが上がるにつれて、身体に潮風が当たります。これがめっぽう気持ちいんです。
 それから波を越えていくときの揺れ。これもすごく気持ちいい。
 船酔いしやすい人には絶句されるかも知れませんが、ぼくはかなり揺れても酔わないので、まるでジェットコースターに乗っているように楽しいんです。
 一度、御せに乗せてもらって、けっこう荒れた海にでることがあったんですが、酔いもせず、寒くても平気だったので、漁師さんに褒められたことがあります。
 他に取り柄というものがないんですが、船酔いに強いのは、ぼくの唯一の取り柄かなーと感じます。

 そんなわけで、船の上は、ぼくにとってすごく居心地のいい場所なんです。
 船に乗るたびに「やっぱりいいなあ」と思います。



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「なんとかなるさ」そして「なんくるないさ」

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「なんとかなるさ」っていいですよね。
 沖縄の人は「なんくるないさ」っていいますね。
 この言葉にこめられている思いというか、生き方に共感します。

 周囲にも必ず1人はいると思いますが、すごく細かいことに目くじら立てて大騒ぎする人。
 すごく悲観的な人。
 自分と反対の意見を持っている人。
 マスコミなんかも、政治家の取るに足らない言動の揚げ足をとって、減点させてやろうという媒体や会社があります。
 他人とのちょっとした差を気にして、自分らしさを失ってしまう人もいます。
 すごく深刻なトラブルに直面して、もがき、がんばっている人。
 
 世の中のことはたいていなんとかなる、という先人の教えは大切だなと思います。
 まあ、自分的には、なんとかならなくても死ぬだけじゃん、と思っていますけど。
 
 海辺に住んでいて、海遊びをしていると「なんとかなるさ」という言葉がひときわココロに染みいります。
 というのも大きな台風が来ると、作物は台無しだし、ヘタすると家は壊れちゃうし、港だって壊れます。
 でもまあ、また作ればいいし、とりあえず生きていれば、一歩を踏み出すことができるわけですから。

「これはたいへんだ。どうしよう。もうだめだ」って考えるのは、その人の頭の中の話しだけであって、客観的に見ると「なんとかなるさ」っていうことが結構あるような気がするんです。

 ぼくもこれからいろいろなことがあると思うんですが、「なんとかなるさ」を忘れないようにしたいです。


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大雑把ですけど何か?

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 休日ごとに海を眺めているせいでしょうか、細かいことがどうでもよくなっちゃって、職場などで「大雑把」「テキトー」「アバウト」などといわれてしまう今日この頃です。
 でもさあ、まあ大抵のことはそれほど目くじらたてるほどのことではないなあって思うんです。逆に大事なことについてはわりとこだわっているつもりです。

 職場の人なんかでよくいるんだけど、どうでもいい細かいことにうるさくて、大事なことに対して持論がなかったり方向性が出せなかったりする人の方が、ずっと害が多いですね。こういう人ってわりと中間管理職に多くて、そのうち部下からも見限られちゃって、細かいこと注意しても「ハイハイ」って軽くあしらわれちゃうんですよね。

 海で大切なのは死なないことです。死なないためには、風向きや天気や波の様子などに注意し、大切な時には適切な判断と行動が必要です。
 そういうことを日頃やっているので、どうでもいいことはどうでもよくて、大切なことは大切なことというラインが、死ぬかどうかなんですね。
 だから仕事みたいな場で、ちっぽけなことにこだわっている人の気持ちが理解できなくて、ズレちゃってるのかなって思います。
 で、ぼくはそのズレは全然いいと思っているし、ぼくの方が正しいと思っています。

 まあ細かいことも大切なんで、そういう人がいないと組織も成り立たないでしょうが、それがすべてみたいな考え方をされちゃうと、そりゃどうかな?って思います。



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いろいろなウォータースポーツを最初に考えた人はすごいなと思います

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 ぼくはウォータースポーツをやります。そのたびに思うことがあるんですが、こういう遊びを考えて、そのための道具をきちんと作って、ひとつのスタイルにまで完成させる人ってスゴイなということです。

 まあ、こういうウォータースポーツはたいてい外国から、それもアメリカとかヨーロッパから入ってくることが多いといえると思います。

 サーフィンにしても、ウィンドサーフィンにしても、シーカヤックにしても、大のいい歳した大人が真剣に遊ぶための道具を工夫して、今に至っているわけですよね。
 その情熱には感心します。

 新しいスポーツというのは、たぶん最初の頃は、見慣れないから、周りの人に「なんだあれー、ヘンなの」なんていわれていた時期があったと思うんです。でもそれでもめげずに遊び続けていて、周囲の人もだんだんそれを受け入れて、大きな流れになっていくのかな?と想像します。
 こういう雰囲気って日本だとあまりないような気がするんですね。

 たとえばカイトボードなら、ああいうものがアメリカで流行ってるらしいよ、っていうところから入って、新しい物の好きな人がそれを取り入れて日本で始めると。で、なんかカッコイイよね、オシャレだよね、みたいな感じで広まっていくことが多いんじゃないかと思うんです。
 これが別にアメリカで流行ってなくて、単純に日本人の誰かが始めたとしても、なんかヘンなことやってる人、で終わっちゃうんじゃないかな?っていう気がするんです。
 そういうことって他でも見られるかな。

 まあこのメカニズムを、戦争に負けて、アメリカすごい-日本ダサい、という昭和的な価値観で説明するのは無理があるのかな?と思います。もっと根深い日本人の行動パターンのような気がします。

 逆に海外から入ってきたものを、工夫して洗練させて日本独特の形にするというのは、よくあると思うんですよね。これもひとつのパターンなのかな?


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MUSTOがすごくいい気がします


 ウォータースポーツをするためのウェアというのは、いろいろな会社がいろいろなブランドを出していますね。

 ウォータースポーツによってもメジャーなブランドが違います。
 たとえばサーフィンだったら、 billabongとかStussyとかよく見かけます。
 スキューバーダイビングなら、SCUBAPROとかSASですね。
 セイリングならHELLY HANSENなどです。
 で、それぞれ用途によって少しずつ機能が違うわけですね。

 ぼくは基本的に安くて良い物ならなんでもいいやって思っているんですが、ウィンドブレーカーというか雨具ですね、それはだけはちゃんとしたのを買います。
 雨が降ったり、スプレーがかかったりする状況で、水が浸みてくるウェアを着ると、不快というだけでなくて、体温が下がってツライというか、万が一かもしれないけど、命にも関わるからです。

 これまでいろいろなものを試してきました。山用のアウトドアブランドも含めて…
 その中で、すごく良かったのは、MUSTOのジャケットです。MUSTOはセイリングのブランドです。これは他のウェアと比べても、抜きんでています。

 まず縫製が丁寧で丈夫です。
 撥水も十分です。
 海で使うためのいろいろな工夫がされています。
 耐久性があります。

 雨具として使うにはオーバースペックかもしれませんが、アウトドアで濡れる状況で使うには信頼できるものです。

 それまではHELLY HANSENpatagoniaを使うことが多かったんですが、MUSTOを知ってからはMUSTO一辺倒です。

 なんか宣伝みたいになっちゃってイヤなんですが、いいものは紹介したいわけで、こんな文章を書いてしまいました。





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海好きなその日暮らしをおくることについて

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 休みの日はたいてい海に出て遊び呆けています。
 お気楽な道楽者になるのが、ぼくの今のところの目標なので、その目標に向かって一生懸命がんばっているわけです。
 ただ周囲の人には、その努力がわかってもらえないようで、誠に遺憾でございます。
 世間の常識というのは、誠にもってなんとも難物でございますな。

「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上を潰した」という歌がありますが、一度しかない人生で自分の好きなことをやって身上を潰すなら本望だよなあと思うぼくです。
 逆に、好きでもない仕事を一生懸命やって、財テクやって、小金を貯めて死んでいく人生に何の意味があるのか、ぜひ教えてもらいたいなあと思います。もちろんそういう人生にも意味はあると思います。ただぼくが実感としてわからないから知りたいというだけです。

 一方でたいへんだなーと思うのは、由緒ある家に生まれて、たとえば歌舞伎の名家とか茶道の家元に生まれて、その家を継がなければいけないという人もいるでしょう。そういう方には心から同情と賛嘆申し上げたいと思います。
 人の生き方のかなり根っこの部分に、子孫を残して次代に命をつなぐという本能というか社会的責任のようなものがあると考えますが、それが社会的に重要な役割を負っている場合には、特にその責任は重いでしょう。
 そういうちゃんとした人がいないと国としても不味いでしょうから、がんばってください。 

 たまに経済評論家みたいな人の言説で、このままでは日本の国力が落ちるので、若い世代にはがんばってもらいたい、なんてのを見たり聞いたりしますが、「無責任なこというんじゃないよ」と思います。一般論としてそういう言説はあり得ると思いますが、受け取る側が個人だったらちょっと問題です。若い人でまともに受け取る(純朴な)人がいたら、その人の人生に責任持てるの?って思います。

 健康で暮らしていけるだけで丸儲けとはよくいったもので、その日一日が楽しければ御の字の大儲けです。っていう考えの大人もいるので、若い人は、どうぞよろしくうまいことやってください。

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海上保安庁のレジャーダイビング事故統計から思うこと


 海上保安庁から毎年レジャーダイビングの事故統計が公表されます。
 まあ公表されるのはレジャーダイビングだけじゃありませんけど…

 レジャーダイビングの事故の最近の特徴は、よくいわれていることですが、ダイバーの高齢化が原因のものが多いようです。たとえば心疾患や脳梗塞など、もともと高齢者として病気の兆候があって、それがダイビング中に表面化するということでしょうか?

 思えばダイビングが爆発的に流行ったのは80年代後半です。そのあたりで20代だった人は、50代~60代です。そりゃハードな海況なら肉体的にツライわなーと思います。
 しかも以前ダイビング事故というのは経験が浅い人が起こすことが多かったですが、最近のデータによると経験年数・本数が多い人が、事故を起こしているようです。

 ここから推測されるのは、経験豊富だけど、年齢が結構高くなって、若い頃のようなつもりでダイビングをしていて、突然、たとえば脳梗塞になっちゃうみたいなケースです。これってわりとリアリティがあって、自分がそうなってもおかしくないなと思っちゃいます。

 まあ、ウォータースポーツに事故はつきものですし、ダイバーにとって、好きな海でポックリ死ねることは、まあ悪くないことかなーと、個人的には思うので、この事故統計に目くじらたてることはないんじゃないかなって思います。

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