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観光客をどう考えるか問題



 海辺の町に住んでいます。
 ときどき観光客をどう考えるかということが、同じ地域に住んでいる仲間の間(たいてい海遊び仲間ですけど)で話題になることがあります。これが京都とか沖縄とか、観光が昔からその町の主要産業である場合は、あまり議論にはならないでしょう。どちらかといえば、観光客が少なくなる方が問題ですもんね。
 ただぼくが住んでいるところは、そのあたりが微妙なんです。というのも場所が、いわゆる湘南というエリアでして、観光客目当ての店もありますが、普通に横浜や東京などの企業などで働いている通勤者も結構住んでいます。
 自治体の税収がどうなっているか詳しく知りませんが、たぶん結構な割合がサラリーマンからの税収なんだと思います。おそらく観光客向けのお店は個人商店が多く、そこまで売上は高くないので、そんなに税金は納めてないんじゃないかって思うんですが、ちゃんと調べてないですから、これはぼくの勝手な推測です。
 それで観光客が来れば、道も電車も混みますし、マナーの悪い人がいるとゴミをポイ捨てしていったりします。夏は夜遅くまで花火をしたり、大騒ぎする人もいます。ビーチで飲み過ぎて救急車で病院に運ばれる人もいますが、こういう人の対応のために税金が使われていると思うと、ちょっとモヤモヤします。
 ぼくは東京に通勤するサラリーマンで、土日が休みなんですが、せっかくの休みの日に道が渋滞していたり、海が混雑するのは正直なところ迷惑でしかありません。
 元々、ゆったりした静かな暮らしを求めて海辺の田舎町へ移住してきたので、偏狭なようですが、観光客が来るのは嫌なのです。
 地元の知り合いにこういう考え方について意見を訊いてみると、当たり前ですが観光客向けの商売をしている人は、観光客ウェルカムです。ぼくの考え方は排他的すぎるといわれます。それはそうでしょうね。
 一方、サラリーマンや、仕事をリタイアしてゆっくり過ごしたいために移住してきた人は、ぼくと同意見です。
 立地がもともと観光地ならば、ぼくも納得がいくんですが、そうでもないわけです。たぶん首都圏近郊でベッドタウンでもあり、首都圏の人の観光地でもあるという微妙さが、このモヤモヤの原因なんだと思いますし、似たような立地に住む人は、たぶん同じようなモヤモヤを抱えているのでしょう。
 今回は全体に愚痴に終始してしまいました。もっと大らかでウェルカムな性格になれればいいなあと、若干自己嫌悪です。







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Tシャツ・短パン・ビーサンで過ごせる町が好きです



 先日大学時代の友人に会うために、久しぶりに自由が丘に行きました。Tシャツ・短パン・ビーサンで…
 ぼくは春から秋までは、毎日この服装で過ごしているので…
 そうしたら、街を歩いていたらぼくの服装が浮くこと浮くこと…
 いやはや、ぼくはこういう街には住みたくないなと思いました。
 地元の海辺の田舎町だと、どこに行くにもTシャツ・短パン・ビーサンで違和感ないし、周りの大人も子供もそんな格好です。なんとも気楽でラフな暮らしが営めますからねー。余談ですが、ぼくの子供が小学生だった頃、父兄参観で学校に行くと、お父さんはみんなTシャツ・短パンでした。
 靴って、革靴はもちろんスニーカーだって、足を締め付けるからうっとうしいと、ぼくなんかは感じてしまうんですよね。長ズボンも足にまとわりついて、うっとうしいと思います。
 楽な方がよくないですか?
 とか、いいつつぼくの大学生時代はバブルの頃で、大学生でも結構高い服を着て、ディスコ(まだクラブとは呼んでいませんでした)に行ったりしてたので、たぶんぼくの中で価値観が変わったんだと思います。もっと楽に自然に伸び伸びと暮らせるのがいいなあ、と思うようになったんでしょう。時代の雰囲気も変わったかもしれません。
 というわけで、今日もTシャツ・短パン・ビーサンでスーパーに行く予定です。







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通勤の間に、まったく違う環境に身を置く不思議さ



 僕は海辺の田舎町に住んで、毎日長い時間をかけて東京の職場に働きに行っています(気分的には出稼ぎという感じです)。通勤時間が長いのには慣れてしまいました。それよりも日々、自然のそばに暮らすことで得られる癒しの方が勝っているので、もう何十年もこうした暮らしをしてきました。
 そして毎日通勤していて感じるんですが、それは東京と自分の家のある町との様々な違いです。
 まず感じるのは、自然の多さの違いです。東京にも大きな公園には森や林がありますが、それ以外のところは街路樹や小さな公園があるくらいです。
 ぼくの住んでいるところは、海と山があって、海はもちろん様々なウォータースポーツを楽しめますが、山もちょっとしたハイキングができるくらいの山です。これが東京から2時間弱の場所だろうかというくらい自然が豊かです。
 そして空が広いというのも自然の多さに含めてもいいのかなって思います。東京は高層の建築物が多いのでどうしても、空が狭く感じます。
 地元は高い建物なんて皆無なので、空は広く感じられます。
 総じていえるのは、地元に帰ってくると、山の緑と海の青さと空の青さを感じられて、気持ちが癒されます。
 それから町全体のスピード感が違います。東京は歩いている人のスピードも、車のスピードも、コンビニのレジの人も対応なども、おしなべて全体が速くて、ぼくなどはなんとなく追い立てられているような気がして落ち着きません。
 もちろん会社では仕事をするので、その時間内のスピード感も速く、そのときばかりはぼくでさえ「仕事モード」に入ってバタバタ仕事をします。そのせいもあってか、東京にいると日々がワサワサしている感じがします。
 地元では、みんな(ビーサンとかクロックスとかで)ゆっくりノンビリ歩いています。走っている人は、ジョギングしている人は別として、見かけません(ジョギングやサイクリングしている人は東京の数倍は見かけます)。それから車のスピードもゆっくりです。スーパーやコンビニでも店員さんの対応もノンビリしています。
 なので、地元ではすべてがノンビリゆったりしていて、ぼくはそちらの方が居心地がよく感じますし、ストレスを感じません。地元に居るときは基本的に仕事がないときですので、ストレスを感じないのは当たり前かもしれません。
 通勤の2時間弱で、ずいぶん違った環境になるわけで、そのギャップってすごいなあと、何十年も通勤していても感じます。

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海辺に住むことで、季節折々の海という自然のよさを感じます



 海辺に住んでいると、季節ごとに、「あー海っていいなー」と感じる時があります。
 ぼくが大好きな季節は、春から初夏にかけてでして、しかも早朝が気持ちいいんです。
 ぼくの家の裏は小高い丘のようになっていて、木々が茂っていて森になっています。春になるとウグイスをはじめとして、いろいろな鳥が鳴きます。そのさえずりを聞いていると癒されます。「あー春だな」って思います。
 春から初夏の早朝に海辺を散歩すると、まだ張りつめた空気が新しいような気がして、そんな新品の空気を胸いっぱいに吸うと、体が綺麗になるように感じます。根拠もなくぼくが勝手にそう感じているだけですが…
 春から初夏の空気は、湿度が低く爽やかで、暑くも寒くもなく、微かに夏の予感を含んでいます。そんな空気の質感が好きです。
 もうひとつ好きな季節がありまして、それは秋です。秋という時季は夏の喧噪が去り、海辺が静かに普段の様子に戻っている季節です。観光客が少なくなり、地元の人がいつものように暮らしています。砂浜を散歩していても人の気配が少なくて、静かで穏やかです。
 秋も気持ちのいい時間帯がありまして、それは早朝と夕方です。
 早朝は爽やかで、空気が綺麗な感じが好きです。夏のほてりが残っているというか、まだ完全に冷え切っていない、生暖かい朝の空気。それが潮風と混ざり合って気だるいよさがあります。
 夕方は、日中の暑さが少し残っていながらも、海風が吹いてきて涼しくなります。ふと冬の気配がする日もあります。秋の夕方に、砂浜に座って、ビールを飲みながら、夕陽が沈むのを眺めているのは、ちょっと恥ずかしい表現ですが、ロマンティックな時間です。空の色がオレンジ色から紫色に、そして墨色に変わっていく様子は、まさにマジックアワーという感じがします。
 こうして季節折々の海という自然のよさを楽しめるのは、やはり海辺に住んでいるからだと思います。観光でたまに海に遊びに行くだけでは、こうした微妙な自然の移り変わりのよさにまで気づくことができないような感じがします。

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新鮮な地元の野菜や魚を食べる楽しみ



 ぼくが住んでいるあたりは、相模湾に面した漁師町です。ただ、近くに畑もたくさんあって、農業も盛んです。
 そんなわけで地元で獲れたての旬の食材が手に入るのが日々の楽しみのひとつになっています。
 たとえば海の幸ですと、漁協の直売所で新鮮な季節の魚ーたとえば、アジ・イワシ・サバ・ボラ・タイ・ホウボウ・カサゴ・イサキなどーがスーパーより安い値段で手に入りますし、ワカメやヒジキやテングサもお得な値段で買えます。といいますか、春先はワカメやヒジキは自分で海に採りに行くので、その時期はただです。
 山の幸では、農協の直売所、といっても、それはいわゆる道の駅のような店で季節の野菜などーたとえば、タケノコ・大根・キャベツ・白菜・レタス・ニンジン・ジャガイモ・サツマイモ・シソ・ネギ・シイタケなどなどーが、やはりスーパーよりも安く買えます。
 それに加え、卵や牛乳や肉なども作っている農家があって、新鮮な食材が食べられます。
 我が家では土日の休日に、食材の買い出しに行くことが多いんですが、漁協の直売所に寄って海の幸を入手して、次に道の駅に寄って野菜や漬物を買って、その後足りない物をスーパーかドラッグストアに買いに行くというのが、定番の買い物スタイルになっています。
 家族が好きな魚や野菜で、新鮮な物が手に入ると、みんなのテンションがかなり上がります。食べるのが好きな家なんです。
 たとえば魚ですと、カサゴとかホウボウといった白身で味の深い魚が好きなんですが、それのいい型のが手に入ると、みんな大喜びです。野菜だと、タケノコが好きなので、新鮮な柔らかいタケノコが手に入ると、タケノコご飯や煮物にして食べます。
 旬のおいしい食材をおいしく料理して食べるのって、小さいけれど幸せなことですし、体にもいいような気がします。







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人口密度の違いによる人の振る舞いの違いについての疑問



 ぼくは離島が好きです。それもできるだけ人口の少ない離島が好きです。
 以前、小笠原諸島の母島に1週間くらいダイビング旅行で滞在しましたが、なんともくつろいだ時間を過ごすことができました。母島の人口は500人以下です。集落はひとつしかなくて、港のそばにほとんどの人が暮らしています。スーパー(というか雑貨屋ですね、あれは…)は1軒、漁協がやっている店が1軒あります。そんな島に1週間も居ると、島の人もぼくの顔を覚えてくれて、あいさつしたり、話しかけてくれたりしました。なんだか故郷に帰ってきたような居心地のよさを味わったのでした。
 ぼくは以前から不思議に思っていることがありまして、人は他人が少ないところでは、その人に厚く接するのに、他人が多いところでは、ほぼ人として認識していないくらい軽く捉えているなあということです。
 それはたとえば母島の通りで人とすれ違うと、あいさつしたり、会釈したり、時には立ち話したりしますが、澁谷のセンター街を歩いていたりすると「人が多いなあー、うっとーしいんだよ」と、愚痴ったり、ときには肩がぶつかったりして、喧嘩になったりします。
 一体この差はなんなのか? 長年疑問だったんです。
 同じ人間がすれ違うだけなのに、どうしてこんなに態度が違うんでしょうか?
 ぼくが自分で勝手に考えた理屈はこういうものです。
「人はなんでもそうですが、たくさんあるものは軽視し、少ないものを珍重する習性があるのではないか。」
「人は人口密度が高いと、他者に対して、無関心になるか、あるいは状況によっては攻撃的になるのではないか。」
 この理屈は当然ですが科学的なものではないですし、ぼく個人が勝手に思っているだけなんですが、ちゃんとした理屈をご存知の方は教えてください。
 ぼくとしては断然人口密度が低いコミュニティの方が好きですし、生きやすいと感じます。そんなぼくが東京の会社に勤めているのは、なんとも皮肉なことですが、なんとなくそうなってしまって、家族ができてからは安易に生き方を変えることもできなくて、結果的に現在にいたる、という感じです。
 おそらく生きやすいコミュニティの規模というのは、人によって違うんでしょうね。

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潮風に吹かれているだけで、海辺に住む価値があります



 海辺に何十年も住んでいて、幸せな瞬間というのがいくつかあります。
 そのひとつが潮風に吹かれているときです。
 海遊びのときも、海辺を散歩しているときも、自宅のデッキでコーヒーを飲んでいるときも、潮風が吹いてくると、なんだか幸せな気分になります。理由はよくわかりません。ただ、心地いいのは確かです。その心地よさをじっくり味わいます。
 たとえば海のそばにあるスーパーに買い物行ったとき、ふと潮の香りが漂ってきて、潮風を感じられたりすると、心地よさがココロに広がって「あぁ、海辺に住んでいてよかったなぁ」と思います。
 潮風が特に心地よく感じるのは、時季と時間がありまして、冬はさすがに寒くて心地いいとはいえないんですが、春だとポカポカと陽射しが暖かい昼頃です。潮風が爽やかで軽やかです。そんな時間に海辺を散歩しているのはとても気持ちいいんです。
 夏だと早朝と夕方です。日中の暑さがない時間帯の潮風は、まだムッとした暑さがなくて心地いいものがあります。
 秋は昼間から夕方が気持ちいいんです。潮風に吹かれながら海に落ちる夕陽を見ながら砂浜を散歩するのは、小さいけれど幸せな時間です。
 なぜ潮風が心地いいのかということをぼくなりに考えてみたんですが、あの海の匂いはもちろんその理由のひとつだと思うんです。それ以外にも風が柔らかい感じがします。肌にあたる感じが柔らかいというんでしょうか。風が海の上を通ってくるうちに、何かしら海のミネラル成分を含んだんじゃないか?とさえ思ったりします。
 潮風という、ありきたりで何気ないことで、幸せを感じられて、海辺に住んでいてよかったと思います。







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旅が終わるときの寂しさ



 ぼくは南の小さな離島へ旅するのが好きなんですが、離島に限らないかもしれませんけど、旅が終わって、家に帰るときの寂しさはなんともいえませんね。明日からまた、あの仕事仕事ばかりの日々が始まると思うとウンザリしてきます。「あー、またあの離島に戻りたいな」と思ったりします。いや、世の中には仕事が三度の飯より好きという人もいるようなので、そういう人は、ぼくのように感じたりしないのかもしれません。ぼくは三度の飯と晩酌が仕事より、よほど好きなので、そういう人の気持ちはわかりません。
 離島旅に行くには、飛行機で行くときもあれば、船で行くときもありますが、離島の旅から帰るときは、どちらも寂しさが伴います。
 飛行機の場合は、空港に着いて、チェックインする時点で、ぼくは既にブルーになっています。飛行機が飛び立って、窓から珊瑚礁の海が見えたりすると、いい歳して涙ぐみそうになります。
 船の場合は、乗船してから荷物を置いて、デッキに出るわけですが、出航するときに、島がだんだん離れていくのを見ていると、いい歳して号泣しそうになります。
 たとえば小笠原旅行の場合、おがさわら丸が父島を出航するとき、島のダイビング船などが伴走してくれて、お別れの見送りをしてくれるんですが、あれなどはうれしい反面、とても切ないものです。もう来週にでも父島に戻りたいとさえ思います。
 あと船旅のときは、東京での到着港が竹芝桟橋であることが多いんですが、竹芝で船を降りて、浜松町駅まで歩いて、山手線に乗った時点で、気分はサイテーになってしまいます。
 旅の間は、ビジターとして非日常の日々を送っていて、楽しいことしかないわけですが、そこから日常の生活に戻るときにはギャップがあって、そのギャップでヤラれてしまいます。







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忙しい毎日の反動としての海辺のノンビリした休日



 ぼくはノンビリとマイペースに過ごすのが好きです。
 休日は、海遊びをしたり、コーヒーなどを飲みながら本を読んだりしています。
 なぜこんな風になったのかといえば、それは仕事の反動なんじゃないかと思っています。
 仕事をしている方ならおわかりいただけると思いますが、仕事って、細々したタスクと締切りにまみれた日々の積み重ねです。絶えず入って来るタスクとそれを締切りまでにこなすことが日々繰り返されていて、ぼくなどのオジサンはそれを20年以上続けているわけです。そうすると毎日絶えずワサワサした気持ちで暮らすことになります。ぼくの場合は、タスクに追い立てられるような気持ちになることがあります。
 そんな日々ですから、休日くらいはタスクをあまり入れずにノンビリしたいと、ぼくは考えるのです。
 とはいえ休日にタスクが何も入らないかといえば、そうでもありません。家で使う雑多な物の買い物、家や車の掃除、家の修繕、家族のショッピングに付き合う、友人と飲む、冠婚葬祭などなど、大小様々なタスクが入ってきます。なので、何もタスクがない休日というのは、ぼくにとって珠玉のように貴重な時間なんです。時間を、自分の意思で自分の使いたいように使えるということは、ぼくのような会社勤めで家庭がある人にとっては結構貴重でして、その貴重な時間を海遊びやノンビリすることに使いたいわけです。特にノンビリ何もしないというのは、時間をすごく贅沢に使っている感覚がぼくにはあります。
 家のデッキで海を眺めながら、コーヒーを飲みながら、ボーッとするというのが幸せな時間です。

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離島への旅で、飛行機や船に乗るときのワクワク感



 ぼくは南の島を旅するのが好きです。たいていがスキューバダイビングを楽しむ旅です。しかも小さな離島に行くのが好きなんです。
 離島に着くときのあのワクワクした気持ちはなんなんでしょう。
 島に行くには飛行機で行くときと、船で行くときがありますが、どちらも感慨深いですね。
 ぼくが行くような小さめの島だと飛行機で行けたとしても、降りるときはタラップです。タラップを降りるときに、深呼吸すると、空気が南国になっていて、ときに甘い香りがしたりします。空港の建物は平屋の小さな建物だったりして、なんだか可愛らしく思えます。
 そんな小さな島の飛行場のノンビリした感じが好きなぼくからすれば、羽那空港なんて大都会の空港に思えます。
 船で行くときも、なかなかいい感じでして、だいたい船旅というのが雰囲気がいいんです。船に乗るときからワクワクしてきて、船が桟橋をゆっくり離れて、大海原に出るときにも「あぁ、これから旅立ちだ!」という気分になります。
 やがて目的の島が水平線に見えてくるんですが、すぐには着きません。だんだん島が大きく見えてきて、港に回りこんで、そこから接岸作業があります。その間のプロセスが終わって港に降り立つと「あぁ、やっと旅の目的地についた!」という喜びがあります。
 こうして書いてみると島旅っていいな、と改めて思います。また、沖縄方面の離島行ってみたいなあ…







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