海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
アシタバが庭に植わっていて、よかったなあと思う今日この頃
うちの庭(猫の額よりは少し広い)には、アシタバが2本植わっています。
1本は行きつけの八丈島のダイビングサービスのオーナーからもらったもの、1本は行きつけの三宅島のダイビングサービスのオーナーからもらったものです。
根付いてからもうずいぶん長く経って、大きくなりました。
2本あるとアシタバの葉はほぼ自給できます。春先からは、我が家の食卓には週一ペースで、アシタバのおひたし、天ぷら、炒め物でアシタバが出てきます。
ぼくの個人的な感覚ですが、アシタバを食べるとお酒が翌日に残りにくい気がします。ウコンほどではないかもしれませんけど、お酒を飲んでも肝臓がいい感じです。
アシタバはどんどん生えてきて、その元気のよさがいいですね。
それから食事にもう一品あった方がいいなというときに、アシタバを摘んできて、おひたしなんかがチョチョっとできるのもいいですね。
だからといってたくさん飲んではいけません。そういうつもりでアシタバを食べているワケではないのです。そういうつもりでダイビングサービスのオーナーからアシタバの苗をもらったワケではないんです。本当です。いえいえ、そんな、どうぞどうぞ、いやそれほどでも…
えーっとなんでしたっけ、そうそう、うちの庭には、イタリアンパスレーとかパセリとかパクチーとかミントとかが植わっていますが、アシタバはとても活躍してくれていて、本当にあってよかったなあと思う今日この頃です。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!


ランキングに参加しています。クリックお願いします!
PR
海辺の暮らしでは、虫や動物よりも化学物質の方が怖いと思うわたくし
わが海辺の田舎町には何年かに一度都会から引っ越してくる人がいます。
狭い町なのでだいたいわかってしまうんです。
どうしてわかってしまうかがみなさん不思議なようなので、一応解説しますと、不動産屋や地銀関係者や工務店関係者が、昔からの知り合いだったり、同級生だったり、子供が同級生で親同士も友達だったり、親戚だったりするから…
それはおいといて、都会から移住した人がつまづくポイントというのがありまして、塩害とか湿気とか虫とか、そのあたりが多いところです。
特に女性は、ヘビとかムカデとかゲジゲジとかすごくでかいクモとかリスとかタヌキとかイノシシとかとかとか、まあそのあたりに慣れるか慣れないかで、定着するか、また引っ越すかが分かれるような気がします。
家族であっても、奥さんやお母さんがもう引っ越したいといえば、無視するわけにはいかないですもんね。
ぼくはいろいろな虫や動物がいる環境の方が、いない環境よりも、より健全だと思っています。
大学の同級生で、各種防虫剤を発売している会社で働いている奴がいて、そいつとはなんだかウマが合うようで、酒を飲みながらいろいろな話をしますが、そうすると殺虫剤・防虫剤というのは普通に使っているけれど、まあできるなら使わない方がいいとのことです。
そういわれれば、虫が死んじゃうんだから、人間にも害があっても不思議じゃありません。
法律で基準があって、人間に害がない範囲になっていると思いますが、それでも日常的・反復的に接すれば、何らかの影響はあるかもしれません。それに人って個人差があります。すごく強く影響を受ける人もいるかもしれません。
都会では、ドブネズミとかハトとかカラスといったようにある種の動物だけが数が多くなることがありますが、これは動物のいる環境が自然の淘汰が起きない状況になっているからではないでしょうか。
田舎だと、そういうことってあまりありませんし、ある年、ある種の動物が増えても、翌年とか翌々年にはまた元のバランスに戻ることが多いです。
マムシとかムカデって毒がありますし有害ですから、そりゃ気をつけなければいけません。でも人間の方からちょっかいをかけなければ、まあ刺されることはありません。それに人間ってたぶん何千年か何万年か知りませんけど、こういう有毒生物がそばにいるところで暮らしてきたんですよね。だからやたら怖がるのはどんなもんなのかなあーって思います。
それより一吹きで一晩中蚊を殺す効果が持続する…みたいな化学物質の方がよくわからないだけに、ぼくは怖いと思いますね。
いくら理屈をいっても怖いものは怖いでしょうけど、ちょっと考え方を変えれば、その先に楽しい海辺の暮らしが続いていたかもしれない…なんてタラレバの話をしてもしょーがないですね。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!


ランキングに参加しています。クリックお願いします!
オフグリッドな暮らしへの憧れ
東日本大震災のときに、ぼくはありがたいことに命は無事でしたが、停電・断水がしばらく続いて、日々の暮らしがなかなか安定しなかったときのことは、よく覚えています。相方もかなり不安そうでした。
ぼくはたまたまウォータースポーツが好きで、その関係でキャンプもするので、家には、ガスバーナーとかランタンとか小型の太陽光パネルで充電池が充電できるGOALZERO一式とかがありました。他のご家庭よりは家のライフラインが停まることについての耐性はあったのだと思います。
そうしたアウトドアグッズのおかげで、そこそこの食事を作るのと、最低限の灯りとスマホやラジオの電源をとることはできました。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
「いやーやっぱり普段からアウトドアとかやってるから、こういうとき役立つんだね」なんて、軽く自分の道楽がたまには役立つことをアピールすることも忘れませんでした。
そのときの経験から、電力会社とガス会社にライフラインをがっちり押さえられていることに、「これでいいのかな?」と疑問を持つようになったんです。これはうちの相方も同意見のようで、それからいろいろ調べたようです。「オール電化にしなくて本当によかった」「日本の電気・ガス料金は世界的に見ても高いらしい」「プロパンガス会社は定期的に見直していろいろな会社を比較したい」「水は井戸を掘れないのかしら」などとぼくも驚くような力の入れようです。
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
そうなのです彼女は普段は心配なほど大雑把、いや大らかで、何かにこだわることがないんですけど、何か引っかかることがあると、すごく集中してこだわっていくことがあるのは、もう慣れました。
人ってそういうものですよね、みつを先生…
それはそれで、ぼくはぼくでビオトープとか雨水利用とかパーマカルチャーとか、環境負荷を減らす暮らしに興味があったんで、相方の変化は渡りに舟です。
震災からしばらくしてオフグリッドという言葉をよく耳にするようになりました。
暮らすうえで大切なライフラインを電力会社とガス会社に押さえられていて(水道は会社じゃないですけど)、会社を選ぶ選択肢がほぼない状態で、しかもその会社が実はあまりきちんと運営されていなかったことへの不信感。こうした理不尽さを感じたのはぼくだけではなかったんでしょう。
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
ああもしかしたらそうかもな、日本人ってちゃんとしてるようで、そういうところがグズグズなんだけど、やっぱりそうだったか、と思ったのはぼくだけでしょうか?
普段エラソーにしてる大きなカイシャのヤツとか官僚のヤツとかって、たいていアテにならないんだよなって、そう思ったのはぼくだけでしょうか?
既存のインフラのネットワークから外れて、いざとなったら自立して暮らせるようにしなくてはいけないと考えるのは、自律的自立的な市民として健全な考え方だと思うのです。民主主義の社会に生きる者として、大切なことだと思うのです。ドン(演題を拳で叩く音です)。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
でも実際はぼくもヒマじゃないし、お金もかかるし難しいですよね。
日々使う電気を太陽光とか風力とか、家庭でなんとかできるものから得ようとすると、コストパフォーマンス的には電力会社から買うよりも高くなっちゃう。
なかなか世の中うまくいきませんね。
でも、ぼくの中には、水・電気・排水・廃棄物を全部自分で自家調達・自家処理してみたいなという思いはあるんです。いつかは…
そして、ちゃんとやってくれてるんだろうな、世の中は…などと見てもないことを信用してはいけなくて、そういうものを根拠もなくアテにしないで暮らせるようになろうと思うんです。いつかは…

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

そして、ちゃんとやってくれてるんだろうな、世の中は…などと見てもないことを信用してはいけなくて、そういうものを根拠もなくアテにしないで暮らせるようになろうと思うんです。いつかは…

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
毎日楽しく過ごす、そのメカニズムについて考えてみたりしたりして…
海遊びが好きで、海辺に住んで、暇さえあればウォータースポーツをしています。
こんなぼくですから、毎日楽しく過ごしたいと考えていて、楽しくなるためにあれやこれや考えていたりします。
あれをやったらもっと楽しいんじゃないかとか、あいつとこれをやったら面白そうだとか、まあだいたいそんなことばかり考えています。一例としては、スキューバーダイビングの昼ご飯のときに、自分でコーヒー豆とミルとお湯を持って行って、その場でドリップコーヒーを淹れたら、もっとおいしいコーヒーが飲めるんじゃないか、で、それを同じチームのみんなと飲めたら盛り上がるんじゃないか…みたいなことを考えているわけです。
毎日楽しく過ごすためのちょっとした工夫を考えていると、基本的にネガティブなことを考える時間がなくなるので、そういう面でも楽しくなります。
一日一日を楽しく過ごしたいと考えているときに、ちょっと思ったのは、楽しく過ごすこと自体は、自分の頭の中の問題ではないか、ということです。実際スキューバーダイビングでコーヒーを淹れるという行為自体はもちろん楽しいんですが、それを考えることが日々を楽しくしているわけです。
楽しいことを考えるか、面白くないことやイヤなことを考えるかで日々の楽しさは変わります。
なので、逆にぼくが日々つまらなく過ごしたければ、仕事でたいへんなことやこじれていることを考えればいいわけです。
事実としての行為は変わっていないのに、頭の中で考えることが楽しいことであるというだけで、日々が楽しくなるのではないか…それがぼくがたどり着いた現時点での暫定楽しさのメカニズムです。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!


ランキングに参加しています。クリックお願いします!
趣味のときは、自分と合わない人と遊ばない
ぼくは自他共に認めるアバウトな性格でして、そんなヤツだから海遊びみたいなことが性に合っているのかもしれません。
具体的にいうと、ぼくはシーカヤックで海を漕ぐのが好きですが、一方で、陸上の道路を車で走る(って当たり前ですね。車を運転するってフツーの人はいいますね)のが苦手です。
左側を走りなさい。センターラインを越えてはいけません。赤信号で停まりなさい。青信号で走りなさい。車が停まっていて追い越すときはウインカーを出しなさい。駐車場では白線の中に駐車しなさい。美人が歩いていてもよそ見してはいけません…
ルールがいっぱいありすぎて、全部守るのはぼくには無理です。たぶんルールに共通する趣旨としては、人や車や物にぶつからないように運転しなさい、ということなのだろうと推測するわけですが…
話が横道にそれっぱなしになりそうなのでちょいと戻すと、細かいことまでちゃんとしなければ気が済まない人と一緒にいるのが割りと苦手です。
細かいことっていっても、人によってこだわりポイントが違いますし、同じ人でもこだわるところとこだわらないところの濃淡はあります。
そのことはうすうす気がついてはいましたが、ぼくの行動に影響を及ぼしたのは、結婚生活でした。今でこそ、相方のこだわりポイントや全然こだわらないポイントはだいたい把握していて、ある基準を越えないようにうまいことやっていますが、それを把握するまでは、なかなか大変でした。というか多分相方の方が大変だったのは間違いありません。お互いにお互いの基準を理解するまではいろいろとあるわけです。
そういうのって時間が解決してくれるんですが、全面的にかなり細かい人と仕事をするのも結構しんどいわけですが、全面的にかなり細かい人とウォータースポーツをするのはもっとしんどいです。
仕事ならお金が絡みますし、求められる結果を出さなければならないので、こだわるべき一定の基準がある程度明確になっていますからまだいいんです。仕事だからしょーがないと割り切れますから…
ウォータースポーツのときは、やっぱり楽しみとしてレジャーとしてやっているわけで、仕事ではないわけです。もちろん海遊びは危険を伴いますので、注意深くすべきところはあります。でも、それはそれで全面的にかなり細かくする必要はないわけです。いや、どちらかというと余暇を楽しむためにやってるんだからもっと楽しくやろうよということなんだと思うんです。
しかもたいていの場合、全面的にかなり細かい人は自分の基準を、他人に守ることを求めてくるんです。それはまあそうで、自分だけが細かくこだわってやっていてもチームのみんながその基準に達していないと結果はでないことが多いですからね。
あとは、全面的に細かい人というのは自分の細かさに誇りを持っている感じがします。そういうことに気がつく自分を繊細で感受性が強く違いのわかる人間である、なので、周囲の人は、より優れた自分をお手本とすべきであると思っている様子が、表情とか言葉の端々に表れているようにぼくには思えるのです。
現実的な対策として、ぼくはウォータースポーツのときは、そういう全面的にかなり細かい人と一緒に遊ばないようにしていますし、こちらからは近づかないようにしていますし、仮に少し親しくなったとしても全面的にかなり細かい人だとわかった時点で、ソーッと離れていくようにしています。
こんなことを書くと、ぼくは狭量な偏屈な人だと思われるかもしれませんが、どう思われてもいいので、ウォータースポーツのときくらいは、自分の好きなように楽しみたいので、ご了承ください、ということなのです。
そしてこれは概ねすべてのことにいえると思いますが、趣味を楽しむときくらいは、自分と合わない人と無理に合わせようとしない方がいいのではないでしょうか?

ランキングに参加しています。クリックお願いします!


ランキングに参加しています。クリックお願いします!
ネット通販で田舎暮らしが変わるかも…
ぼくは海辺の田舎暮らしをしています。
でも、それほど田舎でもないんです。
チャンスがあればもう少し田舎に住みたいなあと思っています。
なので海遊び仲間で、海辺に住んでいる人は何人かいて、そういう人達の暮らしぶりを、今後の自分の参考として、なんとなく観察している今日この頃だったりします。
田舎暮らしが不便なのでは?と思っていたんですが、どうもそうでもないようです。
特に毎日使う日用品については、だいぶ状況が変わってきているみたい。
ここ10年くらいで、ネット通販が当たり前になって、田舎暮らしでも、ゆうパックとか宅急便が来てくれるところなら、どこもそれほど不便ではなくなりつつあります。島嶼部はさすがに送料が高くなるし、特に船や飛行機の定期便が週に何回かという島だと、届くのに時間がかかります。ただ、そうでなければ、まあ日本中の多くの場所は、不便ではなくなっているといえるでしょう。
都会の便利なところに住んでいる人でもネット通販で物を買うことが多いと思いますので、その暮らしぶりはさほど違わないでしょう。
生鮮食料品ですが、これはやはり毎日とか週に何日かスーパーに買い物に行くことになると思います。田舎というか、日本の郊外のよくあるモデルとして、車で何十分か走ると、イオンとかがあってそこで何日分かの生鮮食料品を買うというのがあります。海辺の田舎暮らしでも、だいたいこの日本のよくあるパターンに当てはまるようです。
ただ生鮮食料品といっても、実際にスーパーで定期的に買わなければならないのは、すごく絞り込むと野菜・卵・牛乳くらいでしょう。
ぼくの知り合いで田舎暮らしをしている人は、冷蔵庫とは別に冷凍庫を持っていて、肉は(魚は海辺だとすぐに手に入ることが多いので)まとめ買いして冷凍していたりします。調味料や酒もまとめ買いしてストックしてます。野菜などは自分の家で栽培して、あとは近所の農家に分けてもらったりしているので、そうすると卵と牛乳だけはスーパーに行かなくてはならないという状況です。
ただこれだって、たとえば静岡とか千葉あたりで、生協とか大地を守る会とかの食材を配達してくれるサービスがあれば、スーパーに行かなくても済むわけです。それに生鮮食料品であったも、クール宅急便でお取り寄せしたりすることはよくあるので、コストさえ割高にならなければ、日常使いの生鮮食料品を通販で買ってもいいじゃんということかもしれません。
ぼくの知り合いの場合、ワインを通販でチリとかフランスから箱単位で買ったりしていて、その方が安くておいしいらしいので、保管するスペースが気になる以外は、とても魅力的な暮らしぶりなのでした。
ちなみにその人は、DIYたいていのことはやってしまう人ですが、ホームセンターに行かずモノタロウで通販してしまうそうです。
たいていのものが通販で入手できるので、田舎暮らしであってもそれほど不便ではないのかもしれないと思えてきます。
もちろん今回は日用品のことだけ考えていて、その他の病院とか学校とか銀行とかそういったこともちゃんと考えないといけませんけど…
何もない大海原を突き進む爽快感
船に乗って海を走ると爽快な気分になります。
加山雄三さんみたいなことをいってますけど、確かに航海するのは独特の楽しさがあります。
といってもぼくが船に乗るのって、島に行く船とか釣り船とかダイビングボートとかシーカヤックですから、クルーザーとか豪華客船とかそういうゴージャスなヤツではありません。
道も信号もない大海原を自分の目指す方向へ舵を切る。水面をかき分けて走って行く。
船の舳先に立って、遠くを見ていると、「ハハハ」と高笑いしたくなります。
航海していると、日常の社会生活の細々したことが面倒くさくなります。
世の中には、そうした細かいことにこだわったり、キッチリやったりすることが好きな人もいますが、そういう人の価値観って、残念ながらぼくにはわかりません。たいていのことは理解しようと努力してますけど…人の考えというのはずいぶん違うものです。
航海するのは、気象や海況や地形など気をつけなければいけないことはありますが、基本は安全に目的地に到着するということだけです。とても単純。わかりやすい。目的が明確である。そこんところが関八州で一番大雑把ともっぱら評判のぼくの性格にフィットしています。
あぁ、なんて爽快なんでしょう。
つくづく思うんですが、大航海時代に生まれたかった。
未踏の地を目指して航海して、そこを自分の領地にするなんて、乱暴ですが、わかりやすくて、やりがいがあります。細かいルールがなくて、力と知恵の勝負。いいですねえ。
いったいいつから社会はこれほど複雑に洗練されてしまったんでしょう。そしてこの先どこまで複雑さは増すのでしょう。
ハイビスカスやブーゲンビリアみたいな雰囲気がいいですね
なんてことないんですが、沖縄とか八丈島とかを訪れて、そこらへんにハイビスカスとかブーゲンビリアが咲いていると「あぁ南の方に来たんだなあ。うれしいなあ」と思っちゃいます。
子供の頃、憧れていた南の島のリゾートのイメージそのまま…
なぜかなー。ぼくにはずっと南への憧れがあるような…
ハイビスカスもブーゲンビリアも鮮やかな明るい色。この派手なわかりやすさがさらに南国感を出しています。
他にもレモンとかパイナップルとかケンチャやしとかサトウキビとか、南国っぽい植物は多いんですが、彩りが明るいという点では、ハイビスカスもブーゲンビリアが目を惹きます。
他にもレモンとかパイナップルとかケンチャやしとかサトウキビとか、南国っぽい植物は多いんですが、彩りが明るいという点では、ハイビスカスもブーゲンビリアが目を惹きます。
侘び寂び、ではなく、オープンで直射日光当たりまくりな感じが、ぼくは好きなんでしょう。
そういえば、ぼくは思春期の頃から体育会系。同級生で文学とか映画とか音楽とか好きなヤツとかいて、なんかこだわったり、少し病弱だったりしつつも自分の世界をアピールしてたりするのが好きじゃありませんでした。
あくまで強く、明るく、裏表なく、元気いっぱい。
ぼくの生き方のイメージとハイビスカス・ブーゲンビリアのイメージはとても近いのでした。
伊豆諸島の地物の食材はいいなあー
八丈や三宅にお邪魔することがあります。
スキューバーダイビングをすることが多いんですが、美しい海、島という適度な閉鎖感、山や森の独特な植生、南国っぽい雰囲気、などなども併せて楽しんでいます。
もうひとつ楽しみなのが、その宿のご飯です。もう10年以上同じ宿に通っているので、その季節ごとにいろいろおいしいメニューを出してくれます。
宿の人に教わって知った食材もあります。
島オクラ、明日葉、島らっきょう、細筍、芋餅、くさや、アカモク…
だいたい宿の畑で採れたものだったり、漁港であがったばかりのものだったりするので、新鮮でおいしいんです。
初めて食べたときにびっくりしたのは、島オクラです。すごくでかくて、味が濃くて、それまで食べてたオクラと全然違っていました。土や水や陽射しが違うから味も違うんでしょう。
そういう食材を食べると、ぼくは気のせいか体調がいいようなのです。
都会生活の海、田舎暮らしの海
以前、東京湾沿岸の町に住んでいたことがありました。
職場にある程度近くて、できる限り海のそばで暮らしたい思いとの妥協案でした。
自分は「湾」とか「港」というのは好きではないんだな、とそのときはっきりわかりました。
コンクリートで固められて、機械類があって、たいてい埋立地でノペーとした平面的な土地で、碁盤の目のように太い道が通っていて、そういう人工的な環境に馴染めませんでした。
先日、東京湾岸のタワーマンションに住む友人の家に招かれて、以前の自分のストレスフルな気持ちを思いだしたのでした。
それでぼくは「湾」とか「港」ではない相模湾沿岸の土地に引っ越しました。そこは比較的自然が残っていて、田舎の海辺の漁村の雰囲気が残っているところで、ぼくはそこの土地は気に入ったのです。
都会での仕事を終えて、自宅に帰ってきて自然を眺めるとホッとするからでしょう。
同じ海でもずいぶん違うんですよね。
よく行く八丈や三宅から船で帰ってくるとき、房総半島や三浦半島が見えてきて、やがて東京湾に入るわけですが、それまでの紺碧の海から黒く濁った海に変わります。そして沿岸の風景はコンクリートで固められたグレーになります。
楽しい旅行から帰ってきて、明日から仕事ということと、東京湾の薄暗い風景があいまって、なんとかく下向きな気分になるのです。
でも、自分も首都圏に生活する身として、東京湾の港に陸揚げされる物資を消費し、コンビナートで作られた素材でできた製品を使い、電気やガスの恩恵を受けて暮らしているわけなので、東京湾が汚くて暗いと一方的に非難するのもどうかな、と思ったりします。
ぼくなどは、海を汚して得た快適な現代生活と、住む場所は比較的自然が残された海という両方のいいところを利用させてもらっているわけで、ある意味、いいとこ取りをしているともいえます。
人が暮らすうえで現実的に工業化が必要なのだとしたら、そうした設備が集積する場所と、人が暮らしやすい場所は分けた方がいいかもしれないと思ったりするのです。
たとえばですが、東京湾のあるエリアには港や工場群が集積していて、それ以外の場所は自然を残し住居として快適な街造りをするというようにしたらどうでしょう。
今の東京湾は千葉から神奈川までほとんど工業地帯になっていて、あまりにも暮らしにくいと思うのですが…
それは太平洋ベルト地帯全般にいえることですが、たとえば静岡県なんて、太平洋に面している沿岸の距離は長いわけですが、工業エリアと自然保護エリアと分けたら、ずいぶん魅力的な海辺に変わると思います。
高度成長期に工業化を進めたことは日本にとって大切なことだったのでしょうが、時代が変わって、人々が工業地帯が続く風景を味気ないものと感じ、もっと自然を大切にしたいという機運が強くなっている時代に、街造りはついていっていないような気がするのです。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!


ランキングに参加しています。クリックお願いします!
カテゴリー
最新記事
(05/11)
(05/10)
(05/04)
(05/03)
(04/27)
(04/26)
(04/20)
(04/19)
(04/13)
(04/12)
(04/06)
(04/05)
(03/30)
(03/29)
(12/29)
(12/28)
(12/22)
(12/21)
(12/15)
(12/14)
(12/01)
(11/30)
(11/24)
(11/23)
(11/17)
最古記事
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
アーカイブ
ブログ内検索
PR
カレンダー
最新コメント
[10/31 TOM]
[06/10 TOM]
[06/10 TOM]
[11/09 porn]
[07/09 和]
PR
google