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なぜそんなにせかせかしているの?



 東京に住んでいる知り合いが、我が家に遊びに来たことがあります。
 別にぼくがぜひ来てくれといったわけではなくて、向こうが海を見たいから遊びに行ってもいいかといったんです。この時点でぼくが彼に好感を持ってないことが、みなさんには伝わっているかもしれません。
 たぶんぼくだけじゃないと思いますが、人って直感的に相手が自分の世界観に共感してくれるかどうか見抜けるところがあるような気がします。
 その知り合いを、最寄りの駅まで車で迎えに行ったんですが、第一声が「けっこう遠いね」です。それから車で我が家まで何十分か、かかります。そしたら「まだなの」です。
 家に着いたら、妻との挨拶もそこそこに「海が見たい」というので、海へ行きました。
 海に行ったらスマホで海を背景に自撮りで何枚か撮影して、「どこか名所みたいなのはないの」です。砂浜にいる時間は10分、いや5分ちょっとでしょうか…海を見ていた時間は、あれ?海を見てたのかな?
 ぼくはビーチで半日でも1日でもボーッとしてられる才能をもっているので、ちょっとこのペースにはついていけないなと思いました。なんでそんなにセカセカ、次から次に何かしないといけないんでしょうか?
 これは東京の人みんなが持っている特性ではないでしょうし、その知り合いがそういうタイプなんだと思います。それにしてもすごいですよね。
 さて、ここから学ぶ教訓は何か?
 自分が直感的に共感できないと感じた人とはあまりお近づきにならない。






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なんとかなるさ



 生きていると、いろいろ心配なことはありますねえ。大変なこともありますしねえ。責任もありますしねえ。
 ぼくのようないい加減でテキトーで気楽な日々を過ごしているヤツはそうでもありませんが、世間一般で、働いている人で、ぼくぐらいの年齢で、かなりの責任を負っている人というのは結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?
 ぼくは海遊びをやる中で、テキトーだけれでも、生き死にに関わる部分では一応なんとかする、という訓練(自称)を何十年にもわたって続けてきたので、まあよほど「ヤバイ、今回こそは死ぬかも」(自称)みたいな状況になっても「まあなんとかなるさ」と考えられるようになりました。って、「それはお前が元々お気楽な性格だからだよ」という友人もいたりしますけど…
 ぼくが好きな言葉で「この世のことはこの世でなんとかなる」というのがあります。ぼくはこの言葉を、今は亡き政治家の金丸さんが話していらしたの聞いて知りました。
 金丸さんという政界の重鎮みたいな人が、国を左右するような状況に置かれて、その重圧に負けないでいるという背景を知った上でこの言葉を聞いたので、わりとすっと腹落ちしたんだと思います。
 自戒の念を込めて書きますけど、仕事をしていれば、ミスしたりウマくいかなかったり責任を問われたり、いろいろあると思うんですけど、まあそれでどうのこうのということはありません。気にすることもありませんし、それで世の中がどうかなっちゃうということもないと思うんです。国とか自治体とか会社とかいう組織は、結構強いです。特に日本のように、伝統的な経緯を経て、今の組織ができているような国は、ちょっとやそっとのことで組織が崩れたりはしません。なんていったって太平洋戦争で負けたって組織は壊れませんでしたから…
 だから「なんとかなるさ」と思うのがいいじゃないでしょうか。そしてどちらかというと組織に個人が押しつぶされないように注意する方がずっと大切なことじゃないかと思うんです。
 もちろん自分のプライドの問題として、この程度のことをミスして自分が許せないという人もいるかもしれません。ぼくからいわせると、そんな生きるのにたいへんそうなプライドなんて捨てちゃえ、ということになりますけど、きっとそうもいかないんでしょう。できるところまで頑張ってくださいね。
 人の生死に関わることだとなかなかに重大事項ですけど、某電力会社の元責任者で、原発事故で非常に多くの人に迷惑をかけても、(たぶん)平気な顔で生きている人もいる(少なくとも責任を感じて自殺したという話は聞かないので…いやすごいよね…図々しくて…)くらいですから、それくらいの事故までは、(たぶん)okです。それくらい面の皮が厚くないと、世の中渡っていけません。世の中図々しい人は掃いて捨てるほどいるので、マジメすぎる人は、そういう人の存在を考えて、自分のマジメさを中和するといいじゃないでしょうか?

 ぼくが住んでいるあたりは、少し足をのばすと鎌倉があったり、三浦氏の城趾があったりします。鎌倉街道があったり大山街道があったり旧東海道があったりします。
 ウォータースポーツをしながら、1000年くらい前にもこのあたりには人がいて、戦争をしたり、勢力争いをしたりしていたんだなあ、でも人々は日々の暮らしを営んでいたんだろうなあ、そして日々の暮らしの中で、悩んだり苦しんだりしながら、生まれて死んで、そういうのが続いてきたんだろうなあ、なんて思ったりするんです。
 それでも変わらず、多少は地形は変わったかもしれませんが、海はあったでしょうし、三浦半島はあったでしょうし、江ノ島もあったでしょう。
 個人から見れば、心配や不安や責任って事実として感じられることなんでしょうけど、自然や人間の営みから見れば、それは泡沫のようなもののように思えます。
 まあ、なんとかなるし、なんとかならなくても大したことじゃないし…
 
 という具合に、心配や不安や責任という心理的な課題を、社会的・歴史的なことから考えたら少しは楽になるかなーって思って書いてみたんですけど、説得力ありますかね?







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遊びに真剣になれるなんてすごい



 ずっとウォータースポーツをしてきて、いつもすごいなあと思うのは、新しいウォータースポーツってだいたい海外、それも欧米から入って来ることです。
 たとえばカイトサーフィンというのがありますけど、あれってサーフィンとウインドサーフィンとパラセイリングを合わせたようなスポーツです。
 準備もたいへんだし、器材も大仕掛けです。やっている人が少ないから器材も選択肢が少なくて割高です。
 それを大の大人がマジメに一生懸命やっているというのがすごいなあと思うんです。そしてだいたい新しくできたウォータースポーツは、当初はあり合わせの道具を転用していて、使いにくいところを改良しながら専用の道具ができていくんですよね。だから当初は、道具類も手作りだったりすることが多いんです。そういうところもすごいなあと思うんですよね。
 遊ぶためにそこまで労力をかけるか?っていつも思います。それがすごいなあって…
 そしてそれが普及して、みんなが参加するスポーツになって、大会が開かれて、スポンサーがついて、ビジネスになる、文化になるそういうのがすごいと思うんですけど…





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のんびり気楽にいこう



 海辺でのんびり気楽に暮らしたいなと思うんです。
 出世とかお金とか、そういうのって、日々暮らせれば、ぼくの場合、まあ、わりとどうでもいいことなのです。
 その日一日、海辺でのんびり暮らせて、夕陽を眺めながらビールが飲めれば、まあそれでシアワセではないかと…
 で、のんびりというのと気楽ということって、自分としてどうしたいのか考えてみたんです。
 のんびりっていうのは、誰かに急き立てられず自分のペースで日々を送りたいということなんだろうと思うんです。人ってそういうところありますよね。誰かに強制されるとイヤだけど、自分で進んでやることはたいへんなことでも苦じゃないっていうこと…
 気楽っていうのは、自分の価値観が何かにがんじがらめに凝り固まっているんじゃなくて、自由で柔軟性がある状態であり、かつ何かに強制されて、何かをしなければいけない状態ではないということなんだろうなあって思います。
 そうやって細かく考えてみると、ぼくは何かに強制されるのがイヤなんだということが見えてきます。
 じゃあまったく強制されず責任もない状態が、本当にハッピーなのかって想像してみると、もしかしたらそういう自分の状態を寂しいと感じるかもしれません。人というのはないものを欲しがるところがありますねえ。







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海ではデジタルデトックスするのもいいかもね



 いろいろハイテクなものが出てきて、スマートウォッチでも防水なものがありますね。ウォータースポーツで十分使えるものもいくつかでてきてるみたいです。ぼくは使ったことありませんけどね。
 ぼくは海ではできる限りスマホを見ないようにしています。一応緊急連絡用に持っていくようにはしてますけど、バッグの中にあるか、車の中にある、みたいな感じです。
 スマホってなんかないと不安になりませんか?
 あと、あるとしょっちゅう見ちゃうんですよね。
 ぼくはわりとそういうデジタルなものに疎いタイプなんで、スマホを持ち始めたのも遅かったんです。そんなぼくでも今ではスマホなしでは居られない身体になっちゃったの。って急にオネエみたいになっちゃいました。
 で、海にいるときくらいスマホを見ないようにしているわけです。
 なければないで、見ないなら見ないでなんとかなるんですけど、頭に何か思い浮かんで、ちょっと調べてみようかな、っていうときに反射的にスマホを探しているんですよね。習慣ってすごいよなあ。
 海にいるときくらい、自然にどっぷり浸かって、五感をフルに使って自然を感じるのがいいんじゃないかって思ったりするんです。







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海の一番いいコンディションをつかまえたい。だから海辺に住む…



 海辺に住んでいていつも思うことがあります。
 夏に海水浴に来る人はたくさんいますが、実は夏は暑すぎて蒸して、海辺の気持ちよさを最高に味わえる時期ではないんですね。いえ、ぼくは夏の海も好きですけど…
 それよりも4~6月とか10~11月が気持ちいいんです。
 年に何度かすごく気持ちいい日があります。暑すぎず寒くもなく、空気がカラッとしていて、陽射しもほどよく、空は高く、空気が澄んでいる、そんな日です。そんな日は一日中ビーチでノンビリしていても飽きませんし、心地いいんです。そういう日があるのが、さっきの時期です。
 自然っておもしろいもので、とても厳しい状況のときもあれば、とても穏やかな状況のときもあります。
 ぼくを含め周りの友達がわざわざ海辺の田舎町に住んでいるのは、そんな自然のいい時を逃さず楽しみたいからという人が結構います。それは海でやることよっていろいろで、サーファーなんかはいい波が来たときにそれを逃したくないとか、ウインドならいい風のときを逃したくないとかなんですけど、変化する自然のベストな瞬間を楽しみたいという点で共通しています。
 今、都会に住んでいて、ウォータースポーツが好きで、週末ごとに海に来ているような人であれば、「あぁ海のそばに住んでいいコンディションを逃さず思いっきり楽しみたい」と、きっと思っていることでしょう。
 たぶんそういう人が海辺に移住して満足する人です。
 逆に、海が好きだからとか、海の景色を眺める暮らしがしたいからという人は、たぶんしばらくすると飽きてしまって、海なんか眺めもしないし、ビーチにも行かないということになります。けっこう決めつけていますけど、ぼくの近所にはそういう人も大勢いて、結局、引っ越して行くのを見てきたから、わりと自信があります。






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海が広くて空が広いことのよさ



 都会から友達が、海辺の我が家に遊びに来ることがあります。
 そうすると砂浜を散歩したり、砂浜でBBQをしたり、海辺のカフェに行ったりと、まあ海でなければできないようなもてなしをするわけです。もちろんウォータースポーツをする奴なら、思う存分海遊びをします。
 都会から来ると、みんながたいてい似たようなリアクションをするんですが、一番多いのは「わぁ海だあ」という海に喜ぶことです。そうぼくも子供の頃海水浴に連れて行ってもらって、海を見ただけで大興奮でした。それと似たような反応ですね。
 次に多いのが、「わぁ空が広いなあ」です。
 ぼくとしては、見慣れてしまって当たり前になっていることですが、人にいわれると改めてそうだなあと思うのです。
 暮らしてしまうと日々の暮らしの一部になってしまって、ありがたい環境でも、当たり前になってしまうんだなあとも思いました。
 そういわれれば確かに街に用があって出かけて帰ってくると、海の青さや広がりと、空の広さを実感するのです。地元に帰ってきて、なんとなく気持ちがいいとか、気分がスッキリするというのは、そういう視野の広がりみたいなことも関係があるのかもしれません。
 そうやって考えると、人が生活する環境というのは、無意識に影響を与えそうなので、大切にしなきゃいけないんでしょうね。








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ふまじめな人なので、どうかほっといてください



 わたくし海遊びが趣味です。んで地元の友達も海遊び仲間が多くて、こういう人達は、だいたいぼくのことをわかっているので、いいんです。そうじゃなくて、初対面の人とか、まだぼくのことを深く知らない人がぼくのことを誤解するので、困っています。
 えーっと、あのですねぇ、ヒトというのは、他人も自分と同じような考え方をするヒトとして、接してしまいがちですよね。
 何の話かというと、ぼくの周りにはマジメな人がけっこういて、ぼくも当然マジメだと思って接してくるのが困るということです。海遊び仲間以外の人達にそういう人がいるわけです。
 マジメだと誤解されるのは、まだいいんですけど、実際ぼくがマジメじゃないことが発覚したときに、落胆したり、失望したり、あるいははっきり言葉に出してきたり、自分と同じ程度のマジメさを求めてきたり…というのが困るのです。
 ぼくは別にマジメだと思って欲しくないのに、相手が勝手に思ったんですよー。
 というわけで、そういう誤解をされないように、普段から不断にフマジメさをアピールする努力が大切だと思う今日この頃です。
 っていうか、年がら年中、海遊びして、日焼けして、短パン・Tシャツ・ビーサンでほっつき歩いているオッサンを見て、マジメだと誤解する人もどうかと思いますが…どこがマジメやねん。
 で、他人に期待されると、その期待に応えたいなあ、なんて考えたりすることありますよね。それから、いい人だと思われたいなあと考えることもあります。あとは嫌われたくないなあとか、だらしがない人だと思われたくないなあと考えることもあります。
 まあ、そういうのってフツーに割りと多くの人が考えるパターンだったりするし、そうだからこそ社会って成り立つと思うんですけど、そのパターンに無意識にハマりすぎちゃうと、自分が疲れますよね。
 そういうときは、前向きにアグレッシブに、他人の期待に応えないとか、あえて嫌われることを意識すると、パターンから抜け出せていいです。
 あえて忘れる。あえてボケる。あえて見当違いのことをいう。あえて同じことを何度もいう。あえて締切りを守らない。あえて約束を守らない。仕事がたくさんあるのにあえて海遊び。あえてテキトー。
 
 ぼくもこのように努力をするので、周囲の人もぼくに期待しないでいただきたいなあと思うのですね。そして、周囲に迷惑をかけないようにはするので、どうか放っておいて欲しいなあと思うんですね。






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そろそろ秋だし、楽しいことを考えよっと…



 みなさんお元気ですか?
 暑さが峠を越してしまうと、これから秋になって冬になって、だんだん寒くなるなあと考えたりします。暑い夏が大好きで、寒いのが苦手で、本気で石垣島か宮古島に引っ越す計画を立てて、相方に止められたぼくとしては、寂しいです。
 1年中ビーサン・短パン・Tシャツで暮らしたいぼくとしては、冬になって、寒さで、長袖・長ズボンを着なくちゃいけなくなると、なんとも寂しいんでございますよ。なんで長ズボンって足にまとわりつくかねぇ。洗濯物も増えるし、旅の荷物も増えるし。
 そうした基本的に寂しい初秋という時季に、ぼくのような気楽なオジサンであっても、いろいろ世の中のアレとかコレとかあって、めんどくさいですね。フツーに生きているだけなんですけどねぇ。
 そういうときは楽しいことを考えるのがよかったりします。
 試しにやってみようーっと。
・そうだ温泉に行こう。
・石垣島にダイビングに行こう。いやいや宮古島もいいな。直行便だとすぐだし。
・まだ行ったことのない海でシーカヤックしよう。
・キャンプして、焚き火して、おいしいお酒を飲もう。
・そうだおいしい肉買ってBBQしよう。
・三崎に行っておいしいマグロ買おう。そうすると金目の干物も欲しくなるよな。まとめてイカの干物も買って、サザエも買っちゃおう。
・新しいダイビング器材を買おう。
・ていうか、友達で420を売りたがってる人がいるから、それを買おうか。あっ、置くとこがないか。
・最近行ってない三宅島のダイビングショップに顔を出そう。
・来年は長い休みをとって母島にドーンと2週間行っちゃおう。
・1週間くらいテント泊で山歩きしたら楽しいよな。
・仁淀川を川下りでテント泊なんていいな。ていうかドーンとユーコンとか行ってみたいな。
・1週間くらい自転車でずっと走るというのはどうだろう。テント泊とビジネスホテルでどこまで行けるかやってみるというのはどうだ。
 と、こういうことを書いているとぼくの趣味というか、好みが露骨に出てしまって恥ずかしいですわ。てへっ。
 制約なしでやりたいことを考えるのっていいですね。
 めんどくさいことは少なくして、できる限りシンプルに生きたいと思っていつつ、やりたいことや欲しい物があって、それがないと気持ちのハリがない…なんだか矛盾しているような気がします。けど、そういうものかもしれません。







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なぜぼくは田舎暮らしに憧れるのか?~あるいは悩みの種類について~



 海が好きで、いろいろな海を訪れて、地元の人の暮らしぶりを見るのが好きです。
 そうすると自分は、毎日慌ただしく、あくせくして暮らしているんだろうと反省します。
 もっと日々を楽しみながら暮らせばいいんじゃないかと、いつもいつも前に前に行こうとあくせくしなくてもいいんじゃないかと。
 って、他の人(都会のビジネスパーソンとか)から見れば、ぼくなんて相当ノンビリしているように見えるかもしれませんけど…
 でもさらにもっとノンビリゆったりすべきなのだ。そう、それが人間のあるべき暮らし方なのだ。今こそヒューマニズムの原点に立ち返って…なんだっけ?
 一生懸命働いて日本のGDPを維持するのは、都会のビジネスパーソンとかいう人達に任せて、ぼくはちょっとぼくなりのじじょうがあるんで、これで失礼しまーす。という感じでマイペースで人間らしくノンビリ(だらだら?)と暮らそうと思うのです。
「一億総活躍社会」なんて政治家と官僚がいってやがることも、いえいえ、そんなぼくなんて活躍しなくても、もう社会の隅のほうでなんとかやっているので、ぼくなんか放っておいてどうぞみなさんで、キラキラ活躍してください。
 と、いうようなことを、海辺に行くと、というか特に島に行ったりすると、思うのです。
 島の人達は、その日一日楽しく暮らしているよなあ、などと海辺でビールを飲みながら考えるのです。島の人達だってそりゃ悩みもあるだろうけど、都会の人と何が違うんだろう、てなこと考えているのです。
 さて、ここで人が暮らすうえで、ありそうな悩みをまとめてみましょう。
Aグループのお悩み
深刻な病気怖いね
子供の学校どうしようか
お金がなくて今月も厳しいね
お隣、夜、音がうるさいね
3丁目のガードレールが壊れているから役所にいって、早くなおしてもらわないと
Bグループのお悩み
なんだか毎日分単位で時間に追われてヘトヘト
会社の仕事と人間関係がうまくいかなくてうつっぽい
○○部のAさん働き過ぎで自殺しちゃった。明日は我が身か
満員の通勤電車で痴漢に間違われないように気をつけながら毎日通勤するのマジ疲れる
会社の資金繰りをなんとかしなきゃ
部下でいうこと聞かないヤツがいて、どうしたもんだか
お隣ってベンツ買ったのね。うちももっといい車乗らないと…
新しいオシャレなビルにおいしいレストランができたから行ってみたいけどお金がない
友達が有名大学に合格したから悔しい、自分なんて能力がないんだ、ダメなんだ
 Aグループってきっと、誰でも生きていると経験する悩みや不安なんだと思います。Bグループって、人が街のようなところで集まって暮らすと出てくる悩みなんじゃないかと思うんです。
 別ないい方でまとめると、人の悩みには、生きていく上で最低限の衣食住に関する悩みと、人間が社会を形成してその中で暮らす中で出てくる社会的・文化的悩みがあるんじゃないかと、ぼくは思っているんです。
 そして、都会ではBグループの悩みの割合が高くなっていくんじゃないかなあ。
 Bグループの悩みって、本人は真剣に悩んでいるんですけど、でも、生き物として生きるという視点から眺めると、実は必須の悩みではないじゃないでしょうか?
 また、それがわかっていても悩むことから抜け出せない自分がもどかしい、っていう面も加わわってあるような気がします。
 こういう悩みの複雑さが背景にあることを、ぼくは直感的に感じているから、海辺の田舎の人の暮らし方に接すると、ホッとしたり、安心したり、憧れたりするのかもしれません。
 じゃあ、実際にBグループの悩みにはまってしまってどうしようもなくなったらどうすればいいのでしょうか?
 ぼくが思うに、社会的・文化的な部分をできる限り切り離して、生き物として生きることだけにしてみるという手があります。それが難しいことは想像できますが、でも本当に悩みが深刻だったらしかたがないかなって思うんです。




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