海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
秋谷の防波堤、次の台風までに直るかな
ぼくの家のそばに秋谷という海があって、そこには漁港があります。
都心にお住まいの方にはマーロウのレストランがあるところというと分かってもらえやすいんです。
ぼくはあまり人がいないノンビリしたビーチが好きなので、秋谷はあまり好きではありません。観光客が多いのと、マリンジェットというか水上オートバイがやたら走っていてうるさいからです。ただ魚が釣れるのと、通り道なのでちょくちょく行きます。
秋谷といえば2017年の台風21号でけっこう大きな被害がありました。ただあのときは三浦半島のあちこちで大きな被害がありました。
江ノ島のハーバー(正式な名称は湘南港だったかな?よく眺めるとヘンな名前!)も秋谷港も佐島港も葉山港も被害があったんですが、秋谷港の防波堤が壊れたのは、あの界隈では結構話題になりました。
あの時は北寄りの西から波が来ていたので、三浦半島の西海岸は被害が大きかったですね。どちらかというと三浦半島の西海岸の港は南寄りの西からの波に強いように作られているように思います。その理由はその方向から大きな波が来ることが多いからなわけですが…
秋谷港の防波堤の20mくらい(かな?)が壊れてしまいました。その規模で防波堤が壊れると防波堤としての機能は果たせないので、現在も立ち入り禁止です。ちなみに江ノ島の駐車場もまだ修復されていませんね。そうこうするうちに2018年はすでに台風が3つ発生しています。防波堤が壊れた状態で台風が来たら被害は大きそうで怖いなあと思っています。
自分の記憶を整理するためにメモしておくと、ここ何年かの間に神奈川で大きな台風被害があったのは2007年9月7日の台風9号、そして2017年10月23日の台風21号です。2007年の台風9号のときは、葉山港の防波堤や駐車場がグチャグチャになっていたのを思い出します。西湘バイパスの防波堤も壊れてしばらく通行止になりました。
話があちこちにいってしまいましたが、いいたいことは防波堤は結構壊れるものだということ、だからいくら頑丈な防波堤があるといっても、海のキワキワに住むといくらなんでもヤバいということ、そして一度壊れた防波堤を修復するには1年以上はかかるので、その間にまた大きめの台風が来たらかなりヤバいということです。

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概念とかマクロなことで、自分の暮らしを考えない
休みごとに海に出ています。
海で遊ぶことしか考えていないといっても過言ではありません。
一方、テレビを見ているとにはいろいろなことが起きています。北朝鮮がどうとか、アメリカの大統領がどうとか、高齢化対策がどうとか、日本経済を再生させなければとか…なんて情報が流れています。
まあそうかもしれません。
時代の移り変わりは速いもので、その時々のムードというのは2、3年単位で変わっているような気がします。ぼくが大学生になった1990年前半はバブルの絶頂期でした。街もメディアも周囲も世の中全体が異様に浮かれていました。ハイテンションでした。
それからしばらくしてバブルがはじけて一気に沈滞したムードになりました。
そして失われた10年とか20年といわれるように、日本経済は構造的に抱えている問題を解決できずにいました。
そしてリーマンショックでさらに深い沈み込みがありました。
最近では国境問題にからんで世の中が右傾化しているという見方もあります。
ざっくりいうとぼくは社会に出てから、右肩下がりの中で暮らしてきたのです。
世の中の動きにアンテナを張るのは大切だと思いますし、職業上それが不可欠な方もいると思います。
たまたまぼくは、そんな世の中の動きを、わりと冷静に眺めていられる状況でした。そんなわけで、2、3年という、ぼくとしては短い単位で価値観やライフスタイルを変えていく必要はなかったですし、それが結果的に良かったと思います。
世の中の動きはもちろん大事ですが、ぼくらの目の前にあるのは日々の暮らしで、毎日何を食べ、何を飲み、何をするかということで構成されています。ぼく的には、そのひとつひとつを大切にしていきたいのです。
海で遊び、ビールを飲み、よく寝る。
それだけです。
一方でぼくが考えてしまうのは、20年とか50年先に世の中がどうなっていて、そのために自分は今、何ができるのかということです。 ぼくはたまたまこの世に生を受けました。それは間違いなく連綿と続いてきた生命の営みの結果です。ぼくの先祖の誰か1人でもいなければ、ぼくという人間は今ここに存在していないわけですから…
なので、その生命の営みの連続性を次にバトンタッチしていくというのが、第一に重要なことだろうと考えています。
そして、その生命が生きる場としての社会というかコミュニティというか、そんな大げさなことではなく、自分が暮らす、小規模の人々の集団が、楽しいものであったらいいなあとは思います。
もっと自分の目に見える小さなコミュニティの範囲で考えて、それが集積したのが、市だったり県だったりという風にならないものでしょうか?日本というのは単位としては大きすぎると思いますし、肥大化硬直化した行政組織は無駄も多いような気がします。
ぼくの信念として、組織や集団は個人を犠牲にすることが多くて、助けてくれません。所詮自分独りで生き延びていかなくてはならないのです。ならば自分が過ごしやすいコミュニティを作った方がいいではないか、というのがぼくの思いです。
海辺で、その日その日を食べていけるものがあって、自分の気の合う人が近くにいて暮らす…あまりに都合がよすぎるかもしれませんが、それがぼくにとっての理想の暮らしです。

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理想のウッドデッキとは
ウッドデッキっていいですよね。
ぼくは家の中よりも屋外にいることが好きなので(冬でも…)、ウッドデッキってあるとすごく嬉しいんです。
うちにもありますけど狭いとかいろいろ不満があります。
で、ぼくが次に家を建てるとしたら、理想のウッドデッキはこんな風だというのをまとめてみたいと思います。
・海に張り出している
なにせ海好きですから、ウッドデッキで海を見ながらビールを飲みたいわけです。なので海に向かって張り出してるウッドデッキがいいなあと思います。
・遮るものがない
隣家が迫っているとか、電線が横切っているとか、そういうものがないのが理想です。しかもデッキの向こうは海というロケーションがいいと思います。
・プライバシーが保てる
あんまり建て込んでいたり、デッキのそばをやたら知らない人が行き来するようだと落ち着かないので、周囲に何もないようなところがいいですね。
・リビングと続きになっている
リビングと面一で、窓を開ければ、スムーズに行き来できるのがいいですね。リビングからの景色もいいですし、広く感じますし、内と外が曖昧なのもいいです。
・南西に向いている
家を建てるとき、居住空間が、南向きとか東向きになるように間取りをとることが多いと思います。それは日当たりのよさを考えれば当たり前ですもんね。確かに冬でも、日当たりがいいと家はわりと温かく保てます。屋外も日当たりがいいと、そんなに寒くありません。なのでデッキが南に張り出しているのがいいのは当たり前なんです。
ただぼくの希望は、南も西も見渡せること。西が見えるのは、夕陽がみたいからです。海に夕陽が沈んでいく様子を見ながら一日を終わりたいんです。
・ある程度広い
ある程度というのがどの程度なのかは微妙ですが、ぼくの感覚として8畳もあればいいんじゃないかと思います。あまり広すぎるのも間延びしてしまうという例を見たことがあります。というのは、ぼくの知り合いの家なんですが、リビングからの続きでウッドデッキが張ってあるんですが、それがざっくり20畳くらいはあると思うんです。
何かのお店とかならいいと思うんですが、家族4人の個人宅です。ウッドデッキで3on3は余裕でできます。
知人を招いてのバーベキューパーティとかも当然できます。
そういうイベントの時はいいんですが、普段はガランとしていて、ちょっと殺風景な感じなのです。住まいというのは広ければいいというものじゃなくて、落ち着くサイズ感ってあるんだなあと思いました。
・蚊がこない
ぼくの家のウッドデッキで不満があると最初に書きましたが、そのひとつが蚊がやたら来ることです。ぼくの家は周囲が森になっていて、ウッドデッキはその森に張り出すように張ってあります。その森からヤブ蚊が発生するんです。その数や蚊のタフさはおそらく、普通の方は想像できないと思います。田舎暮らし30年の経験からヘビ・ムカデ・ゲジゲジ・ゴキブリ・タヌキ・リスなどたいていの虫や動物は気にしないぼくであっても、ちょっとたじろぐほどなのです。
というわけで夏場はほとんど使えません。蚊取り線香を使ったり、蚊がこない防虫剤をつけたりしてもぜんぜん効き目がないほどです。11月から5月までが使える期間。つまり1年の半分の期間は使えない残念さ。デッキでビールを飲むのが大好きなのに…ビールはやっぱり夏がおいしいのに…
・ウォータースポーツの器材置き場が併設されている
ウォータースポーツをする方ならわかると思いますが、海に出た後は器材を必ず使いますよね。それはたとえばウェットスーツだったり、リーシュコードだったり、PFDだったりします。で、海に入ったら、必ず水洗いして、陰干しします。ぼくはこの干すのがウッドデッキなんです。ちなみにメンテもウッドデッキでやってしまいます。潮風を浴びながら、スキューバーダイビングの器材のメンテをしつつビールを飲むなんて、ぼくにとってはとても幸せな時間なんです。
・メンテがしやすい
ウッドデッキって傷むものです。なので、定期的なメンテはやって当然です。ペンキ塗りがしやすいとか、傷んだ材を交換できる構造であるとか、そういうのって大切です。
まあ、そんなこんなで、ぼくは家にいるときは、ウッドデッキにいることが多いし、天候が悪いとき以外は、ビールはウッドデッキで飲むので、それだけ快適であることは大切です。

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ぼくが惹かれる海のパターン
ぼくは海好きで世界や日本のいろいろな海に行ってみたいと思っていますし、機会があれば行くようにしてます。
もちろん世界や日本は広く、たぶん死ぬまでに行きたい海の半分も行けないと思います。
いろいろな海を旅していて、自分が好きだなーという土地というか環境があるのに気がつきました。
それはだいたい鄙びた漁村です。少なくとも茅ヶ崎とか辻堂のような街ではありません。あと開発された熱海のようなところでもありません。鄙びた漁村で、しかも集落から離れた人気のない海が好きです。
そしてだいたい道が狭くて、こんな道を入っていいんだろうか、私道じゃないかなくらいの細い道を通って行くのです。国道に面しているとか、観光客がガンガン通るような場所は好きじゃありません。
道のどん詰まりに、そんなに広くない入江か砂浜があって、その両端は磯になっているところが好きです。だだっ広い砂浜ってあまり好きじゃありません。道のどん詰まりって、知ってる人しか来ない安心感がありますよね。
海としては、入江の穏やかな場所といい感じで波が立つ場所があるところが好きです。って、そんなところってあまりありませんけど…だからガンガン波が来るサーフスポットみたいなところは好きじゃありません。なんというかな、変化というか、メリハリというか、和の細やかさというか、そういうのがある海が好きです。
しかもできれば海の背後は、山なところが好きです。内陸まで平野が続いているところって好きじゃありません。
「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」
スキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンを毎週のようにやっています。
ぼくはマイペースかつワガママなので、どちらかというと独りでやる方が好きです。
もちろん気心の知れた仲間と一緒にウォータースポーツをやるのも好きですが、たいていぼくの方が経験があるので、事故がないように心配したり、旅などがスムーズにいくように気を遣ったりするので、自分が気疲れします。それでもみんなと一緒に遊ぶのは楽しいので、なんともいえません。
一方、独りでウォータースポーツをやるのは、自由に行きたいところへ行けるし、多少危ないことをしても、自分の判断と体力の限界に挑戦する面があるので、それもすごく楽しいのです。もともと幼い頃からそういう面が自分にはありました。
たまに、必ず誰かと一緒にウォータースポーツをしたがる人がいて、そいういう人の気持ちって、ぼくにはよくわかりません。寂しいのか、不安なのか、みんなと楽しむのが好きなのか、まあその人が楽しいならそれでいいんですけど、ぼくとしては、あまりベッタリされるとうっとうしいんです。
経験的に、寂しがり屋で依存心の強い人には要注意という法則があるので、自分からはあまり近づかないようにしています。
また、少し違った話ですが、ぼくは、誰もいないポイントを探してサーフィンをするのが好きですが、そいういうところで乗っていると、必ず別のサーファーが後から入ってきます。これもうっとうしいなあと思います。たぶん後から来るサーファーの気持ちとしては、行列ができている店に並ぶのと心理的には同じだと思いますが、サーファーなら自分で判断して、自分でポイント探せよと思うんです。そういうサーファーって、同じサーファーでもぼくとはかなりメンタリティが違うのでしょう。
だいたいにおいて、人がやっていることと同じことをする人とは親しくならない方が無難なので、適当に距離をとるのがぼくの信条です。まとめると「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」ということになります。
逆に共感するのは、山登りでもロングトレイルでも、本来のコースではないところを地図を頼りにかき分けていくような人です。そういうメンタリティで、ぼくは海遊びをしたいなあと思っています。
地球上で人が入っていない自然は、ほぼなくなりつつあるといわれていますが、それでも探せば、人が通ったことのない山、人が通ったことのない海、人が訪れたことがない入江はあるはずで、もしかしたらそこに得もいわれね楽園のような場所があるかもしれない…なんて考えるとワクワクしてきませんか?

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海辺の小屋とかツリーハウスに憧れます…
一時期ツリーハウスが話題というかブームというかちょっと流行になっていたことがありました。
っていう書き出しで、「?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、アウトドアとかナチュラルとか田舎暮らしとか、そういうのに興味がある人の間では…ということです。
いいですよね。
男の子なら一度は憧れたことがあるんじゃないでしょうか?
ツリーハウスの延長線上で、小屋もいいですよね。
海辺の小屋、小さなボートハウス、なんて憧れます。
水道も電気もトイレもなくて、2、3日分の水と食料と酒(これ大事!)を持ち込んで、週末を過ごす。
そういうのが好きな人は好きですよね。
これを併せて海辺のツリーハウスなんていいなあ、なんて空想しています。ちょっと高い木の上から海が眺められて夕陽を浴びながらビール飲むなんてどうでしょう?
ぼくは、シーカヤックにキャンプ道具を積んで、誰も来ない入江に行って、キャンプをするのが好きですが、そういうのって独りか、親友二人の少人数で行きます。
女の人とか連れて行きたくないですね。うちの相方なんかは、なかなか信じてくれなくて、ぼくが良からぬことをしてるんじゃないかって疑ってたことありますけど、独りで焚き火をしながら海辺で酒を飲んで一晩を過ごす楽しさって、理解できないみたいでした。
わざわざ嬉々として不便なところに行って、不便な思いをするのか、家なら暖かいし、柔らかいベッドもあるし、冷蔵庫もあるし、テレビもあるし…
そういうことじゃないんだよね。
最小限の道具で、簡素な食事をして、焚き火を見つめながら酒を飲む…
潮騒と月の明かり…
友達と行っても、ときどきボソボソと話すだけ…
いろいろな考えが頭をよぎる…
テントでウイスキーをすすりつつ、本を読みながら、潮騒をBGMに眠りにつく…
朝起きたら海と太陽がある、その素晴らしさ…
その場に女の人がいてベチャクチャしゃべられるとちょっと興ざめですね。
三宅島でアカコッコ
年に何度か三宅島と八丈島に行きます。というか知り合いがいるので、行くようにしています。
ぼくが三宅島へ行く時は、知り合いと一緒に、何とかのひとつ覚えみたいにダイビングばかりをするのです。とにかく連日朝から晩までダイビング。
ですが、この間行った時は、海が荒れていてダイビングができませんでした。
というわけで、その日は、陸で遊びました。
望遠鏡で鳥を見ているとそれぞれに個性があって、かわいいんですね。
海の塩っていろいろあって楽しい
塩の話です。
塩にこだわっている人っていますね。
スーパーに行くと岩塩や昔ながらの塩田で作った塩やいろいろな塩が並んでいます。それぞれに味わいが違っていて、確かにおいしいし、こだわる人の気持ちはわかります。
一方で、海好きなぼくとしては、別な見方で塩に注目しています。
今、日本の各地の海に行くと、地元の海の塩がお土産になっていたりします。
ぼくは塩自体にそれほどこだわっているわけではないんですが、海に行くのが好きなので、その土地土地の食べ物には興味があり、その流れで海の塩もお土産に買ったりします。もちろん干物や海藻なども好きですが…塩というのは腐らないし、小さなパックになっていて、1つの単価が数百円というものが多いので、お土産にちょうどいいんですよね。
ぼくが最初に観光資源としての塩に気づかされたのは、宮古島に行ったときのことです。それってもう十数年前の話ですが、その頃すでにあの有名な「雪塩」がありました。雪塩をご存知の方は多いと思いますが、味わいが深いのと、マイルドなので、塩としてもおいしいし、お土産としても珍しいので、わりと注目されていたのを覚えています。
もちろん伯方の塩みたいな、精製された塩でないものは、すでにスーパーで出回っていましたが、雪塩のおもしろいのは、明らかに地域の名産として打ち出そうとしていたところでした。
ぼくはそれ以来、海に行って、そこで塩を売っていると買って、味の違いを味わうようになったのでした。
今のところ一番おいしいと感じるのは小笠原の塩です。
味わいが深いんですが、塩からさが舌に強めに感じられるので、サラダにコショウと共に振りかけたり、キャラメル系のケーキやお菓子に少し振りかけたり、おしるこに少し入れたり、お刺身に少しつけたりするのに適しています。
塩のおいしさというのは人それぞれ好みがあると思いますが、ぼくはマイルドなだけだとちょっと物足りないので、ちょっとだけ塩からさの主張がある塩が好きなのです。

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海辺の温泉っていいですねぇ
もう何度も書いていて枕詞みたいになってますけど、海が好きです。
そしてこれはたまにしか書かないんですが、温泉が好きです。
温泉は若い頃から好きで、高校生の頃、友達と旅行に行くのにわざわざ温泉地を選んだり、大学生の頃、ちょっと時間を見つけては立ち寄り温泉に入っていました。もともと寒がりで肩こりなので、温泉は相性がいいみたいです。若いくせにジジ臭かったんです。
温泉も長湯で、結構熱い湯でも長く入っています。そして指のマッサージとかツボを押すとかしながら、来し方行く末を考えたりしてます。まあ、ジジ臭いといえますけど、もう実年齢がジジイになりつつあるので、やっと外見と行動が一致してきたみたいです。
そんなぼくとしましては、海に行ったら温泉に入るのはセットです。海遊びで身体を動かして、その後温泉でくつろぐというのは、すごく楽しい時間です。
当然のように海でも温泉があるところがうれしいわけで、しかも温泉もいろいろあって自分の好みに合う温泉がいいわけで、しかもしかも温泉も町営とか共同の浴場があるところが好きなわけです。
なぜか?
それは安いというのももちろんありますが、飾らない雰囲気と地元の人と話すのが楽しいんです。共同温泉にいるのはたいてい地元のオジイサンかオジサンですが、そういう人とどうでもいい話をするのって結構楽しいです。ぼくもオジサンなので、オジサン同士は打ち解け合いやすいのかもしれません。
西伊豆とか中伊豆とか八丈島とかに行くとすごく安くて(場所によっては無料で)、ノンビリできる気持ちのいい温泉があってうれしいですね。それだけで行く価値があると思います。
海があって、山があって、人々が暮らしていて、その日その日が無事暮らせればよくて、健康で、日々楽しく生きられたらいいわけで、そういう平和な世の中が続くといいなあ、なんて思いながら、温泉の窓の景色を眺めている今日この頃です。

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「そんなにマジになるなよ」な、ぼくらの世代の気分とウォータースポーツ
ぼくらの世代は1990年代の前半で高校とか大学とかの多感な時期を過ごしました。
時代はバブルからバブル崩壊に差しかかっているところで、世の中ってこんなに大きく変化をするんだなあって実感していたのを覚えています。
小中高大と学生時代には、クラスでは、あまりマジになるのってかっこ悪いっていう雰囲気がありました。学生時代の同世代のそういう空気って結構影響力があったりします。
この「あんまりマジになるな」というのは、今でも自分の中に残っているように思います。
「あんまりマジになるな」というのを一応説明しますと、ガリガリ一生懸命やるのってかっこ悪いとか、どこかしら余裕があるのがいいとか、世の中の制度と体制にベッタリになると後々裏切られるかもしれないから信用するなとか、所詮人間は独りなんだから他人に頼るなとか、自分の価値観ややっていることを絶対だと思わず、客観的に見ている余裕があった方がいいとか、だいたいそういう意味を含んでいたと思います。
どんなこともいい面と悪い面がありますが、「あんまりマジになるな」にも両面があります。
悪い面では、なんとなく冷めているとか、泥まみれでもがいて必死になって何かをしないとか、少し孤独の陰があるといったことです。
いい面では、何かに依存しないで独立的であるとか、ある価値観に盲従しないといったことです。
先ほどぼくの中に「あんまりマジになるな」が今でも残っているといいましたが、それは仕事に取り組むときにも表れます。ぼくの場合は、仕事とプライベートの趣味であるウォータースポーツの関係で典型的に表れます。ぼくの親というのは団塊の世代前後ですが、会社人間とか過労死とかそういうのがよくありました。ぼくはそれを少し批判的に見ていたんです。
そんなに会社とか組織とかに忠誠を尽くして、挙げ句の果てに自分は病気になったり、過労死したりして、それっておかしいよねって…組織~会社とか国とか~そういうものへの懐疑ってあったと思います。
そういう懐疑が、ぼくの場合、自分のプライベートな生活を充実する方にいったんでしょう。自分の生活だけは確かだし、一生ついて回るものだろうと考えました。それは結構意識的にそうしてました。
もちろん仕事はやりがいもあるし、大切だけど、なによりも生活や家族が一番大切で、そしてプライベートを充実させようとした場合たまたまウォータースポーツに表れたわけです。
ここまで「あんまりマジになるな」ということを意識しながら、仕事とプライベートのバランスを少し引いた目で見る習慣がついた、ということを書きました。でも、自分がそれを意識して自分にいいきかせているということは、たぶんぼくも団塊の世代の人達と同じ気質を持っていることを自覚しているんだと思います。ともすれば仕事や組織に貢献することを優先しがちな自分がどこかにいる、それが極端にならないように歯止めをかけているというところがあります。
いろいろややこしいことを書いてしまいました。
こういう客観的で理屈っぽいことって、それだけが浮き上がってしまう傾向がありますよね。実際は、日々の暮らしって、平和で健康で安全であればそれがなによりも幸せなわけで、日々の小さな幸せを楽しみながら、生きていければそれでいいなあと思っています。

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