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高度文化病をアウトドアスポーツで克服しよう



 以前から漠然と感じているんですが、今の日本にはある種の人達が多いんじゃないかと思うんです。
 それはぼくにいわせれば「高度な文化病」とか「都会病」ですね。
 すごく限定されたことの細部にこだわったりすることです。
 たとえば昔、オタクがやっていた特定のキャラのフィギュア収集なんかがそうでした。もっと昔はトムソン物体というのもありました。
 そうしたこだわりが特定の人ではなく多くの人がそうなっていて、かつ、こだわりが細分化しているのが最近の特徴なのかなーって思います。
 鉄ちゃんも乗り鉄とか細分化していますしね。
 工場の夜景にこだわる人がいたり、マンホールにこだわる人がいたり、あらゆる物事にこだわることが可能です。
 海遊びでいうと、サーフィンでは、サーフボードのフィンだけ集める人もいますし、サーフボードを作ることに夢中になる人もいます。
 スキューバーダイビングでは、ウミウシとかハゼとか特定の種にこだわりがある人もいますし、器材集めに走る人もいます。
 シーカヤックでいうと、シーカヤックのフォルムの美しさに惹かれて、シーカヤックを集めるだけの人がいます。
 楽しみ方は人それぞれなのでそれはいいんですが、共通点は本来のその主目的から外れていることです。

 こういうことってそのこだわりが細部に及ぶほど起きるような気がします。

 そんな風潮を見ていると、日本の家電メーカーがケータイでガラパゴス化してスマホ時代に乗り遅れたことを思い出しちゃいます。
 あのときメーカーは、細かな機能の追求に走っていて、モバイル機器の本来の目的と大きな流れを見ていなかったから、ああいうことが起きたんじゃないかって、ぼくは勝手に想像しちゃいます。
 日本ってこういうことがとこどき起きるんじゃないかな?
 たとえば江戸時代末期に幕府は細かな国内政策ばかりに目を向けていて、諸外国の攻勢に対応できなかったですよね。
 ぼくは構造として似たものを感じてしまいます。キーワードは微視的。本来の目的から外れて細部にこだわりすぎて、生き残るために大切なことを忘れてしまう状態です。
 日本でこういうことが起きるときって、平和が続いて、文化的に成熟する時代がおおいんじゃないかなって思います。
 ここまでかなり強引で根拠のない理屈づけですが、まあ、ぼくはそう思っているということです。

 そんな微視的状況を抜け出すのって、生きるとか生き残ることの本質に立ち返ることじゃないでしょうか?
 実際それを体験できる選択肢として、アウトドアスポーツで限界に挑む(グランピングとかじゃなくて)こともありうるんじゃないかな…
 って、これもかなり強引な展開だけど…
 ぼくは最低限の物で暮らしていく、アウトドアスポーツやキャンプやサバイバルというのは、人を生き延びることに目を向けさせると考えているので…








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海辺暮らしで人生は変わるのか?



 海辺の暮らしで何が変わるのか?
 何も変わらないんだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。
 たしかにどうせ同じ人間ですから、基本同じです。人はそんなに簡単に変わりませんもんね。
 ただ住む環境によって、少しは変わる部分もあるかもしれません。
 そして人によっては大きく変わる可能性もあります。

 特に海辺の暮らしでは…

 おそらくナチュラルな生き方を指向する素地がある人、ストイックな傾向がある人、自然が好きな人、都会が嫌いな人などは、よりその傾向が強まるかもしれません。
 少なくともぼくがそうでした。

 それまでは都内の職場に近い街に住んでいました。
 マンションに住んでいましたが、マンションよりも高いビルが建て込んでいて、陽が当たらず、窓を開けてもビルが見えるだけでした。車も多く歩道が狭い町でした。公園も近くにはなくて、広々とした空間というのがない暮らしでした。もちろん通勤時の地下鉄は満員で、1つか2つ見送ってやっと乗れるという感じ。

 そんな暮らしの中で、週末はスキューバーダイビングやサーフィンに行っていました。そのときに空があんなに広いことに感動しました。広々とした空間に身を置くことの快適さにも気づきました。自然がそばにあることでどれほど癒されるかにも気づきました。

 このままこの街で暮らし続けていたら、ぼくも妻も体調を崩してしまうんじゃないかって、本気で心配するようになったのです。

 ぼくの経験に似た日々を、似たような気持ちで過ごしている人は、海辺に暮らすことで、日々が変わるかもしれません。それに伴って、気持ちや健康面で変わることがあるかもしれません。

 なんといっても毎日、窓からビルの壁を見て過ごすのと、海を眺めて過ごすのでは、気持ちに与える影響が違います。車の音やクラクションの音を聞いて過ごすのと、鳥のさえずりや波の音を聞いて過ごすのとでは、だいぶ違います。

 それが喜びであり、その価値が感じられる人は、海辺に引っ越すことで何かが変わる可能性があります。

 もちろんいろいろな事情で簡単に引っ越すことができないこともあるでしょう。

 一度の人生、それを作っているのは一日一日、その一日を気持ちよく過ごす、ぼくにできることはそれしかないだろうって思のです。










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まあ、テキトーにノンビリやろう



 世の中いろいろな人がいて、いろいろな事が起きてますが、ぼくはといえば、何かすごいことができるとか、すごい能力があるというわけでもなく、一応法律を犯さず、平凡な小市民として暮らしています。
 そんなぼくに過度な期待をする人が、極たまにですが、いまして、そういう人に遭遇すると、全力でその期待を打ち壊すようにしています。
 もともとそんな大した人間ではないので、その日一日がテキトーに、ノンビリ、楽しく過ぎればいいと思っています。
 今日は波が高いなあとか、南風が強いねーとか、庭のコスモスが咲いたよとか、今度買ったコーヒー豆は値段の割りにおいしくてアタリだとか、そんなことを考えているうちに、おっそろそろ風呂入ってビール飲も、って寝ちゃう、今日もそんな日だったらいいなあというわけです。
 それでも一応仕事をし、税金も払い、家族も養い、冠婚葬祭には出、町内会の役割も担当していますが、まあそれでいっぱいです。世の中にはなぜこんなにやることがあるんでしょうか?教えてオジイサン…
 そんな日常の中では、世界平和とか経済成長とか外交問題とか営業利益とか中計とか部の目標とか、そういう小難しいことは脇に置いときたい気持ち200%で生きています。そんなぼくをけしからんとか、もっとちゃんとしろという人もいますが、それは人を見ていって欲しいわけです。そういうすごいことはもっと優秀で余裕がある人に考えて欲しいわけで、ぼくは自分の半径5m以内のことをなんとかこなしていくだけで、精一杯です。
 だからまあいいじゃないか、ぼくはそういう人なんだし、一応ギリギリ社会人やってるし、あとは毎日ビールをおいしく飲めれば、それでいいじゃないか、放っておいてくれないか…って思います。











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インド洋ダイポールモード現象について調べてみました



 本を読んでいて、ぼくが知らなかったことがありましたので、ちょっとまとめて見ようかなと思いました。
 今回は「インド洋ダイポールモード現象」です。
 エルニーニョとラニーニャが発生すると、気候に影響しますよね。ぼくは毎年一応チェックしています。エルニーニョが発生すると冷夏になると、ぼくは単純に覚えています。複雑だと覚えていられないんですう、フニャフニャ…
 本当はもっと複雑な影響があると思いますけど…
 ちなみに気象庁の見解によると2019年夏はエルニーニョ現象が続く可能性が高いそうです。
 で、インド洋ダイポールモード現象です。
 この項は、主にJAMSTECのHPを参考にさせていただきました。
 インド洋ダイポールモード現象は「インド洋で起こるエルニーニョ現象」といわれているそうです。
 インド洋ダイポールモード現象はdipoleということで正と負があるそうです。
 それで、正の方は、熱帯インド洋西部(アフリカ側)で海面水温が高くなるヤツで、負の方は南東部(アジア側)で海面水温が平年より高くなるヤツです。正と負が数年周期で起きるようです。
 正のイベントが発生すると、日本は暑く乾燥した夏になりやすい傾向があるとのことです。
 ウォータースポーツをする我が身としては、「今年の夏の傾向はどうかな?」ということを考える上で、エルニーニョ現象と並んでインド洋ダイポールモード現象も押さえておくといい情報のようです。

 ちなみに黒潮の動きも気候に影響しますが、それに関しては以下の記事を読んでみていただけるとうれしいな…

今年も継続中! 黒潮大蛇行についてまとめてみました









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もっとユルく生きていきたい



 ぼくは大雑把でテキトーでアバウトでファジーだと周囲の人からいわれるんですが、本人としては結構ちゃんとしようとしているし、細かいことも気にシーだと思っています(まあ、だいたいそういうものですね)。
 で、自分としてはわりと疲れるので、海遊びで自分を癒やしたりしているわけです。相手が若いオネエチャンとかスナックのこなれたママじゃないところが、いかに周囲に気を使って気疲れしているかが推し量られるところでしょう。ぼくが癒やされる場所は海しかない!ってやつです。
 自分の基準に対して、もう少しユルくおおらかにできたら、今よりももっと楽しく生きられるんじゃないか、と考えたりするのです。
 なので、日々、自分の振る舞いに対してこれでよかったのか気にしています。「もっとおおらか」にという目標をキャッチフレーズのようにしたら、習慣として定着するかもしれません。
 もっとナチュラルに…
 もっと自分らしく…
 もっと破天荒に…
 もっとアメリカンに…
 もっとロックンロールに…
 もっと高田順次に…
 って、キリがないですね。
 スポーツの試合の応援の声風にしたらどうでしょうか?
 ヘイ、力抜いて行こー
 リラックス・リラックス
 ドンマイ・ドンマイ
 One for all, All for one
 っていうか、こんな文章書いていられる時点で十分お気楽テキトー人生なのかもしれないですね。










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人がどうであろうとマイペースに暮らしたい



 日々、のんびりマイペースに暮らしたいと思っています。
 もともと他人に急き立てられたり、急いで何かやらなければいけないとか、人がたくさんいて競争しあっているとか、そういうのが苦手です。物心ついてから、ずっと自分のペースで生きてきました。都会のギスギスした雰囲気が嫌い(苦手ではない)で、海辺の田舎に引っ越してきたのです。
 都会では、みんなが急いでいます。ゆっくり歩いていると、後ろからぶつかられたり、舌打ちされたりして、イヤだな思います。
 都会では、通勤ラッシュの電車で腕が上げられないほど混雑しています。ときどき咳が出て、人ににらまれたりして、こわいなーって思います。
 都会には、道いっぱいに人がいます。そしてみんなが急いでいるのって、すごく気持ち悪いなーと思います。
 都会では、高そうな外車に乗っている人が偉そうにしています。そういう人を見ると人間ってさもしいなって、自分が同じ人間なのがイヤになります。
 海辺の田舎で暮らして改めて実感したのは、やっぱり妥当な人口密度ってあるんだなーということと、自分のペースで暮らすのってストレスが少ないんだなーということと、自然に接するのって人にとって大事なんだなーということです。
 平日の朝の満員電車って不快ですよね。休日の渋谷とかも人が多すぎでしょう。
 ぼくはそういう場所にいると疲れてしまうんです。
 それから人が多すぎると、そして人と人の距離が近すぎると普段は穏やかな人でも、ちょっと人が変わったりすることがあります。これまで何度も書いていますし、何度でも繰り返しますが、人が密集して暮らすと物事やコミュニティが変質するとぼくは思っているし、密集して暮らす~つまり街で暮らす~ことによる匿名性がコミュニティを運営するコストを増加させると思います。
 だから、今住んでいるところのように、道を歩いていると1時間に一人くらい他人に会うかもしれないとか、すごく遠くの方に誰かいるようだとか、それくらいの距離感というか人の密度が、ぼくは居心地がいいのです。








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今年も継続中! 黒潮大蛇行についてまとめてみました



 ぼくは30年くらいスキューバーダイビングをやっています。主なゲレンデは伊豆半島です。そして住居は相模湾沿岸。
 そんなぼくにとって黒潮大蛇行の情報はとても重要。

 八丈島や三宅島にダイビングに行ったりすると、今年は黒潮が直接当たってるから…とか、今年は黒潮が離れているから…という話がよく出ます。ダイバーだけでなく漁師さんも島民の方々も、多くの人が感心を持っているようなのです。
 島でなくても近畿・東海・関東あたりに住んでいると、その年の気温やダイビングで見られる魚など、黒潮の影響は大きいものです。
 なんだかわかっている気になっているけど、正確には説明できない黒潮大蛇行を、今回はまとめてみたいなあと思いました。

 今回参考にさせていただいたのは以下のサイトです。

海洋政策研究所

ウェザーニュース
【黒潮大蛇行とは】
 黒潮大蛇行って何かということなんですが、黒潮が蛇行するんですよね。ヘビみたいに…たいへんなことですよ、これは…
 正確な知識はwebで検索してください。
【どうして蛇行するの? ねえどうして?】
 なんで蛇行したりしなかったりするのかということなんですが、太平洋岸では伊豆諸島のあたりが、沖に向かって浅くなっていて、伊豆海嶺っていうらしんですけど、それが要因のひとつとなり、黒潮が東海あたりから本州を離れて大蛇行することがあるそうです。大蛇行までいかなくても、ちょっと離れて行く離岸流路というのもあるそうです。
 まとめると典型的な流路は、①非大蛇行接岸流路 ②非大蛇行離岸流路 ③大蛇行流路の3つらしいんだよね。
 ①は本州の近くをとおり、②は紀伊半島あたりで本州から離れて八丈島の向こうを通って房総半島に近づく、③は四国あたりで本州を離れて伊豆半島あたりに戻ってくるんだって。

 
【黒潮大蛇行で、ぼくらの暮らしにどんな影響があるの?】
 黒潮大蛇行の影響として、黒潮が当たる地域の潮位が20~30cmくらい上がる、気候に影響を与える、海洋生物へ影響を与え、漁業に影響を及ぼしたりするそうです。
 2017年に始まった黒潮大蛇行では、シラス漁の不良、カツオ漁場が沖合に移ったため燃料費がかさむ、関東地方で大雪が降るなどの影響があったようです。
 ダイバーも当然影響を受けるわけですが、黒潮が当たっていると、水温が高くなったり、大物の回遊魚が見られたり、サンゴが死んだりといった影響があります。

【最近はどうなっているのか】
 最近は2017年8月から始まり、現在(2019年4月)まで続いています。








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鈍感・マイペース・テキトー・自己中に生きていきたい



 長年海辺に住んで、スキューバーダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングなどのウォータースポーツをしてきました。そして平日はフツーの社会人でもあります。
 遊びでも仕事でもいろいろな人と接点がありました。
 マジメな人・几帳面な人・頭のいい人・繊細な人・敏感な人・周囲に気配りをする人…
 不真面目な人・テキトーな人・頭の悪い人・大雑把な人・鈍感な人・自己中な人…
 別にどちらがいいとか悪いとか思いません。
 ただ、個人として幸せなのは、後者のような人なんじゃないかなあ、と眺めています。もちろん周囲に迷惑をかけすぎると、だんだん疎んじられたり変わり者扱いされたりしますけど…
 一方、世の中は前者の人達がいろいろ努力して回っているところがあります。ただ前者の人達の中には自分が正しいとか苦労していることを自認していて、正義をふりかざしたりする人もいます。キチンとしすぎてストレスを抱えている人もいます。あるいは自分ばかりが損をしていると被害者意識を持っている人もいたりします。
 そういうのを見ていると、生きづらそうだなあって思います。なおさら後者の人達の方が幸せなんじゃないかって思えます。結局、自分が幸せならそれでいいわけだし、他人にいい人だといわれても、それは評価する人によって違うわけですから…
 人に迷惑をかけすぎたり、疎んじられたりしない程度に、鈍感でテキトーでマイペースなのが生きやすくていいんじゃないかなあ…
 って、日々海遊びをして、自分のやりたいことをやっているボクは、すでにそういう人だと周囲からは見られているかもしれません…










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なんとなく感じる違和感を大切にしたい



 海が好きで、海辺の田舎町に引っ越して、20年が経ちました。ダイビングを始めて、今住んでいる海に通い始めた頃から計算すると30年以上になります。
 ぼくが来た頃は、なんてことない漁師町でしたが、サラリーマンでコジャレた人達が多く住むようになりました。
 本当に海が好きで、ウォータースポーツが好きな人もいますが、単に海辺に住んでいると言いたいだけの人もいます。後者はやはり定着しないで、また都会に戻っていくことが多いようです。どんな分野でもそうですが、本質を捉えている人と表層だけを見ている人は、どちらも必ずいるものです。
 どちらがいいとか悪いとかいう気はなくて、自分の海辺の暮らしを楽しくするのは、本質を捉えて、本当に海が好きな人とお付き合いすることだって思って暮らしています。
 つくづく思うんですが、ぼくは、少し寂れたような漁村が好きです。漁港があって、漁師さんがいて、防波堤でネコが釣り人のそばにいて、家の軒先ではワカメを干してたり、干物を干しているようなノンビリした漁村が好きです。なので、藤沢とか茅ヶ崎とかの都会に近い海辺の町って、ぼくの海辺のイメージからはダイブ離れています。友達が住んでいるので、たまに遊びに行きますが、そのたびに戸惑ってしまいます。ずいぶん市街地で、海は太い道路の向こう側にあって、暮らしと海の間にだいぶ距離がある感じがします。人々の暮らしも海と関係なくなりたっている感じ…友達の話によると、砂浜の漁師小屋が美観を損ねるので撤去を要望する住民がいるのだそうです。

 その違和感は、ぼくの住んでいる町に、海が好きでもないのに住んでいる人に感じる違和感と似ている気がするんですが、この感じは何なのでしょう。
 違和感。何かがズレているような違和感。
 これまで暮らしてきた経験から、そういう違和感があるなら、それに近づかない方が無難だということはいえます。












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ギリギリの状況なのに、また海に出たくなる



 長年海遊びをしてきて、何度も死にそうな目に遭ってきました。それでも懲りずいい歳をして、もう少し行くと、もう少し潜ると、すごいシーンに出会えるんじゃないかと思い、危険なことを繰り返してしまいます。
 これは一種の病気じゃないかとさえ思います。
 いずれ海で死ぬんだろうと既に覚悟はしてます。海遊びを始めてもう30年。そんなぼくはベッドで死ぬよりも海で死んだほうがましだと、本気で思っています。それでも今回だけは無事に帰ってきたい。無事に帰ってビールを飲みたい。人の生への執着は、自分の考えを超えて強いものだと知りました。
 急に海況が荒れて、高い波で行く先さえ見えないとき。
 少しでも船の向きが変わったら沈すると、思うほどうねっているとき。
 ダイビングで思いのほか流されてボートがはるか遠くに見えるとき。
 25mくらいでいきなり高圧ホースとゲージの接続部分からエアが噴き出したとき。
 サーフィンでこれくらい乗れるだろうと、2m~3mくらいの波で出て、引き返せなくなったとき。
 今日海に出るんじゃなかったと、何度後悔したことでしょう。それでもやはり海に出てしまう自分がいます。なぜぼくは自分をそこまで追い込むんでしょう。
 ギリギリで頑張っているときのヒリヒリするような生きている実感。自分のすべての知力と体力を出している感覚。それを感じたいからじゃないかって、最近思います。









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