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海遊びで手に入れる自由



 自由っていいですよね。でも、世の中に完全な自由なんてないといっていいでしょう。

 この文章では自由の制限について、力により自由が制限されているというよりは、社会でみんなが不愉快な思いをしないように生きていくためには、法律やルールやマナーが必要で、結果として自由が制限されているという文脈で語ってみたいと思います。

 強的な誰かが力を行使することもあると思いますが、それよりはみんながヤイノヤイノ言っているうちに、法律やルールやマナーがえていくことも結構あるよな、ってぼくは思うんです。

 まったくのりで生きていくことが現実的でないですから、他者と関わりながら生きていかなければならないので、法律やルールやマナーは発生します。

 ぼくだって、電車の中が、足を組んで座り、酒を飲みながら、大声で話す人ばかりになったら、「もうちょっとマナーを守れよな」と思ってしまうでしょうから、ぼくのいっている自由の制限はお互いなのでしょう。

 ただ、自由か不自由かの0か1かではなくて、比較的、ルールやマナーが少ない生き方がある、あるいはそういう場所があるんじゃないかとも思います。

 ぼくが見つけたポイントは、次の2つです。

 ひとつは人口密度。人口密度が低い方が他者への配慮が少なくてむので、ルールやマナーが少ない傾向があるように思います。

 もうひとつは組織やチームに属さないこと。組織の中に自分の居場所を作るとすれば、他者への配慮が必要なため、ルールやマナーにをつけなければなりません。

 ぼくが海遊びが好きなのは、この2つをたしながら過ごせるからです。そこでは少しだけ自由になれます。念ながら仕事では組織に属しているので、休日だけは、組織やチームから離れて自由でいたいと思っています。

 人がいない海を1人でシーカヤックで進んでいく、他人のいない入江でキャンプをする、たとえばそんな過ごし方です。

 週末の休日に手に入れるいつもよりも少しだけ自由な時間。それをしみに日々暮らしています。







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今年は台風の被害がないといいですね…



 毎年のことですが、また台風が発生する季節になりました。
 海辺に住んで20年以上経ちますが、だいたい3年に一度ぐらいのペースで、台風の大きな被害があるような感じです。そのペースが最近はもっと早くなっているような気がします。
 記憶にあるのは、2007年9月7日の台風9号、2017年10月23日の台風21号、2018年7月28日の台風12号、2019年9月9日の台風15号です。
 2007年の台風9号のときは、葉山港の防波堤や駐車場がグチャグチャになっていたのを思い出します。グチャグチャというのは、波でコンクリートが破壊されて防波堤は一部がなくなり、駐車場は地面が地震の後のように凸凹になっていました。また、西湘バイパスの防波堤も壊れてしばらく通行止になりました。しばらくといっても1日とかではなくて数か月だったような記憶があります。
 2017年の台風では、秋谷の防波堤が壊れたり、海沿いのマンションのエントランスの自動ドアが丸ごと流出してしまったり、1階の部屋の窓ガラスがバリバリに割れてしまったり、地下駐車場が冠水したりしました。
 2018年の台風では、小田原港付近の防波堤や道路が波で持っていかれました。熱海のホテルのレストランの窓ガラスが割れたのは、ニュースでも報道されていたので覚えていらっしゃる方もおられるでしょう。
 2019年の台風では、千葉の停電が話題になりましたが、神奈川県も2日ぐらいは停電しました。また、近所の家々の屋根瓦が飛ばされたのも目にしました。
 こうしてみると最近は、ほぼ毎年のように台風被害があるような感じですね。沖縄出身の友人などは、台風は進路によって被害があるのが当たり前だといっていましたが、以前はそれは南国沖縄だけの話しだと思っていましたが、最近は沖縄に限らず本州のどこでも同じような被害があり得ると考えてもいいのかもしれません。
 それが地球温暖化のせいなのか、たまたま台風被害の多い周期にあたっているのか、ぼくにはよくわかりません。ただ経験的にいえるのは、台風の被害は進路のちょっとした違いで格段の差があるということと、一度被害があると台風の力というのはすごいということです。なにせ長さが何十メートルもある大きな防波堤が丸ごと無くなってしまうくらいですから…
 幸い2020年は、うちの近所はそれほど大きな被害はありませんでしたが、2021年はどなることやら…

 台風の進路予想など気象情報の収集については以前書いた駄文がありますので、よろしければご覧ください。

気象情報の収集の仕方と情報源についてのまとめっぽいもの

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晴漕雨読の日々を送っています



 海辺に暮らし始めて30年以上経ちました。
 その間、海況によってスキューバダイビングとシーカヤックとサーフィンをし、海が荒れてどうしてもウォータースポーツができない日は、庭いじりをしたり、マリングッズのメンテをしたり、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしています。
 特にシーカヤックについては、始めてからかれこれ20年くらい経ちますが、一番やりやすいので、自ずと回数も多くなります。やりやすいという意味を詳しく書くと、海況がある程度穏やかで(サーフィンができるほど波がなくて)、朝起きて、思いついたらすぐできる(スキューバダイビングのように事前にダイブサービスに予約する必要がない)ということです。
 まさにぼくの海辺暮らしは、晴耕雨読ではなくて晴漕雨読という感じになっています。
 でもウォータースポーツができない日がつまらないかというとそうでもなくて、音楽を聴きながら、窓から海を眺めつつ、昼ならコーヒーを、夜ならビールを飲んだりして、そんな時間もなかなか楽しいものです。

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海が荒れているときは、カフェで海を眺めてノンビリする



 休みの日に海で遊んだり、海辺を散歩したりすると、スッキリ気分転換できます。
 でも海が荒れていたり、大雨だったりすると、それもできません(小雨だったら海に出ちゃいます)。
 そんなときは海の見えるカフェに行きます。そこはわりといつも空いているので、ゆったりできて気に入っています。
 自分でも不思議なんですが、海を眺めていると気分転換できます。かれこれ30年近く休日ごとに海で気分転換をしているので、習慣になっているのかもしれません。とにかく自分にとって心地いいことは確かです。
 カフェの窓越しに海を眺めながら、コーヒーを味わう、ただそれだけなんですが、そうした時間をとるだけで、気分がスッキリします。
 窓を流れる雨、白波が立つ海、遠くにかすむ漁船、港の防波堤、そんな風景を眺めながら、何をするわけでもなくのんびりした時間を過ごします。
 海を眺めていると、自然ってすごいなあと思ったりします。台風のときなどは恐ろしいほどに荒れるし、ベタ凪のときは池のように穏やかです。人はずっとそんな海からいろいろな恵みを受けて生きてきたんだろうな、なんて考えたりします。
 ぼくと同じように海を眺めながら、海に癒されて生きている人もいるんだろうな、なんて考えたりもします。
 そんなどうでもいいことをいろいろ考えながら、海を眺めている時間が、ぼくにとっては結構大切なんだと思います。
 ずいぶん長い時間、海を眺めていたような気がします。さて、雨もそのうち上がって、太陽が照り、海も穏やかになるでしょう。そうしたら、また海に出ましょう。







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南国への憧れ



 以前、与論島を旅したときに「南十字星が見える島」というフレーズを見たことがあります。南十字星という響き、いいですよね。
 南の地への憧れがあります。南の地といってもわかりにくいですね。たとえば沖縄とかハワイとかモルディブとかそんなイメージで使っています。
 珊瑚礁・まぶしい陽射し・青い空・薄いブルーの海・ゆったり流れる時間…
 なぜなんでしょう。日本の本州の海も好きなんですが、それでも、もっと南の海に憧れてしまいます。ぼくのなかでは楽園のイメージとつながっている気がします。
 そう…楽園、実在はしないとわかっていながら、憧れてしまう存在…その楽園に少しでも近い場所が、もしかしたら南国にはあるかもしれない、いや、ありそうだなあとぼくは思ってしまうから憧れてしまうのでしょう。
 でも桃源郷とかパラダイス、ユートピア、極楽浄土、補陀落と楽園に近いイメージは、昔から世界中に見られるようですから、人々は厳しい現実を生きながら、楽園を夢見ていたのかもしれません。






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休日はのんびりとマイペースに過ごしています



 海でのんびりとマイペースに過ごす時間が好きです。
 休日に、予定など入れず、目的地も決めず、海辺を散歩したり、シーカヤックをしたりすると気分転換になります。
 こうした時間が自分にとって大切だということは、普段はそうじゃない暮らしをしているということなのかな?と思ったりもします。
 マイペースというのは、自分で、やることや時間をコントロールして過ごすことを意味するんだと思うんですが、会社勤めをしているとこれがなかなかできません。
 のんびりというのは、ぼくが元来せっかちなので、放っておくと急いで何かをやろうとしてしまうんです。急いで何かをやったとしても、やることは尽きないわけで、次に別なことを急いで済まそうとします。そして次…という具合にきりがなくて、自分が疲れてしまうのです。
 そんなわけで、ことさら自分でのんびりとマイペースに過ごそうとしているんだと思います。
 自分の行動を振り返ってみると、海にいるときと、海を眺めながらコーヒーを飲むときと、ビールを飲むときはのんびりとマイペースに過ごせていることに気づきました。それをしている間は他のことをしないし、次のことを考えないし、慌てて何かをしようとしないようにしています。
 こういう時間を持つことが多いのか少ないのかよくわかりませんが、休日の中で大切な時間です。それ以外の時間は何かしら家事や雑用をやってしまいますから。
 こうして考えてみると、ぼくにとって海というのは、慌ただしい日々にポカンと、のんびり・マイペースに過ごせる時間を与えてくれる媒介役になっているように思います。

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海辺の暮らしの実際(気候編)




海辺に住んでいると、よく訊かれることがあります。それは海辺の気候は暮らしやすいかということです。
ぼくは相模湾に面した土地で何回か引っ越しをしました。それ以前は都心に住んでいました。その経験の結論は「暮らしやすい」です。その暮らしやすさについて具体的に書いてみたいと思います。


1.冬が冷え込まない

冬の特に朝ですが、ご存じのように内陸の方が冷え込みます。海というのは陸ほど気温の変化がなくて、冬でも水温は15℃くらいあります。海辺は、海という巨大な蓄熱エリアのそばにあるということで冷え込みがきつくありません。
これは寒がりのぼくとしてはとても助かっています。

ときどき「海辺って気候が温暖なんですか?」と訊かれることがあります。ぼくの住んでいるところは相模湾に面した海沿いなので、緯度としては東京とほとんど変わりません。
それでも冬に体の芯まで冷えることってあまりありません。底冷えするという感じがないのです。空気が少しやわらかい気がします。
東京で年に数回感じる耳が痛くなるような寒さというのは、ほとんどありません。
これは余談ですが、都心のビル風というのはなんともイヤなものですね。都心や市街地だとビルの建て込み具合で、すごく風の強いエリアがあります。そういう風の強いところは冬はすごく寒いし、洗濯物なんかはやたら飛ばされちゃうしで、暮らしにくいです。冬の雨の夜にビル風地帯を歩いていると心の芯から寒々しくなることがあるんですが、それはぼくだけでしょうか?

東京都心で暮らしている人が、熊谷とか八王子とかの内陸部へ行くとすごく寒く感じるという話を聞いたことがあります。内陸の底冷えする感じが、東京ではマイルドに、そして相模湾ではさらにマイルドになるということがいえるかもしれません。

相模湾あたりだと、1月まではそんなに寒くありません。海にも出られるくらいです。ぼくはシーカヤックやサーフィン、ダイビングをよくやります。2月、3月になると北風が強くて、さすがに寒いなという感じです。海の水温としては4月が一番冷たいと思います。
そんなわけで年が明けるまでは、近所のオジサン達って短パン・Tシャツで外を歩いていたりします。
相模湾では東京よりも冬でもやや暖かいということなんですが、ぼくがよくダイビングにいく東伊豆は、相模湾よりももう少し暖かい感じがします。緯度も少し南ですしね。


2.夏もそれほど暑くない

海辺というのは夏が暑いと思われるかもしれません。確かに暑いことは暑いのです。高原のようにさわやかではありません。ただ、すごく暑いのは真夏の日中だけで、夕方になって海からの風が吹くとそれほど暑くはないのです。朝など掛け布団なしで寝ていると肌寒いくらいです。
海からの風があるので、陽射しが当たっていなければ、それほど暑くないんです。
都心に住んでいた頃は、夕方から夜のムッとする暑さが苦手でした。あの不快な暑さはなんだろうと思います。

ぼくは頻繁に伊豆や千葉に行っていますが、ほぼ同じ事がいえます。伊豆の海辺は夏の朝晩は、相模湾より涼しいと感じます。といっても土地というのはちょっと地形が違うだけでずいぶん気候が違いますので、ひとまとめにはいえませんが、概ねそのような傾向を感じます。









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海と緑に囲まれて暮らしたい



 以前たまたま伊豆に旅行したときに泊まった宿のことをよく覚えています。
 その宿は海からは少し離れていて、小高い山というか丘の中腹に建っていました。前面の窓からは遠くに海が望めました。一方で角部屋だったので、横の窓からは山の緑が見えました。
 建物自体が緑に包まれて建っていて海が望める立地です。
 視線の先には海か緑が見え、鳥のさえずりが聞こえ、遠くに波の音が聞こえるのです。車の音はたまにしかしません。
 朝はベッドでグッスリ眠ることができて、鳥のさえずりで目が覚めました。カーテンを開けると林の木々が見えるのです。もう一方のカーテンを開けると海が朝日にきらめいていました。
 そのときにぼくはこういう環境で暮らしたいなと思ったのです。
 当時ぼくは東京のマンションに住んでいました。周りもマンションが建ち並んでいて、緑といえば街路樹か遠くにある公園にしかありませんでした。
 そんな生活がいかに殺伐としたものであるか、伊豆の宿に泊まって改めて認識したのです。
 以来ぼくは、東京の職場に通える範囲で、伊豆の宿のようなイメージの立地を探すようになったのです。
 今住んでいるところは三浦半島の相模湾に面した小さな町ですが、海まで徒歩3分、裏が山という立地です。ほぼ希望に添っているものの、窓から海が少ししか見えないのが残念です。
 もしかしたらこれから先、理想の立地が見つかったら引っ越すかもしれません。
 でも、緑に囲まれていますし、波の音、木々の葉音、鳥のさえずりや虫の音が聞こえて、それを楽しみながら暮らしています。
 特に好きな時間というのがありまして、ひとつは朝目覚めて窓を開けたときに、海と緑が見え、鳥のさえずりが聞こえること。もうひとつは休日の朝、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲む時間。もうひとつは夕方風呂上がりにデッキや2階のリビングから海と夕陽を眺めながらビールを飲む時間です。
 そうしたちょっとした時間に幸せを感じることができます。









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春の海辺の暮らしの楽しみ



 春の海辺の暮らしについて書こうと思うんですが、春の海辺なんてちょっとムードがありそうな感じですが、あまり格好つけずにリアルに日々の暮らしについて書いてみたいと思います。
 僕の住んでいるあたりでは、農家がやっている野菜の無人販売所があるんですが、そこに並ぶ野菜で春を感じます。タラの芽、フキノトウ、菜の花、ダイコン、キャベツ、葉ショウガといったものが、時期を少しずつずらして並び始めると春を感じます。
 海産物も似たような事がおきまして、漁港直営の魚のお店があるんですが、地ダコ、ホウボウ、カサゴ、イサキ、イナダ、アジ、生しらすといったあたりが目につき始めると春が近づいているんだなーと感じます。ちなみに生わかめ、生ヒジキ、波葉、岩ノリが並び始めるのも春の頃です。
 季節の旬のものを新鮮なうちにいただくというのは、海辺の暮らしの春の楽しみです。妻と共に春ものが出てくるのを毎年楽しみにしていて、春は日々の献立が楽しみです。
 うちの家の裏は森になっているんですが、いろいろな種類の鳥が鳴き始めるとやはり春を感じます。ぼくは鳥の種類は区別が付かないんですが、鶯くらいはわかります。鶯などは春になるとうるさいほど鳴きます。それを聞いていると、あぁ春が来たんだなと思います。
 ベッドで眠っているとき、鳥のさえずりで目を覚ますときにぼくは幸せだなあと感じます。
 植物でいうと、家の裏の森はもちろん、近所の家の庭の木々や草花でも春を感じることができます。梅が咲いて、次に水仙、そして桜、やがて山吹という感じで春の訪れを感じることができます。
 休日に昼間シーカヤックなどのウォータースポーツをやって、シャワーを浴びた後、家のデッキでビールを飲むんですが、そのとき庭の草花を眺めながら飲むと、なかなか美味しく感じます。
 ウォータースポーツの話しが出たので、その流れでいうと、春の海は注意が必要です。朝起きて、窓から海を眺めて、今日は荒れてないなと思って海に出ても、数時間すると強い風が吹いてきて、あっという間に海が荒れるのも春の特長です。ぼくはスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンをしますが、よほど気圧が安定していても油断ができません。
 寒がりのぼくとしては、冬が去り春の訪れるというのは、日々の暮らしが快適になるのでうれしいのですが、ウォータースポーツもやりやすくなって、とてもうれしい時期です。夏になって海が観光客で混み始めるときよりも、春の方がうれしいかもしれません。








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自由な海への憧れ…自分自身がやること





  野田知佑さんの本でユーコンをカヤックで下るという話がありました。ぼくはなんともあの話が好きで、何度も読み返してしまいます。
 グリズリーとかが出てくるので、川岸で野営しているときもライフルが手放せないとか、鮭を獲って丸焼きにして食ったとか、意外に蚊が多いんだとか、そういう話しが何とも魅力的でした。
 かの地では、自然の中に入っていくのも日本ほどうるさいルールがないようです。自然環境やごみについてのルールはもちろんあるようですけど…日本のルールは海では遊泳区間だけで泳げとか、遊歩道を外れるなとかその手のルールで、ルールが目的としていることが違うんだと思います。
 カナダは自然に人が入っていくときの自然へのダメージに関するルール。日本は市民の安全のためといいながら行政の責任を逃れるためのルール。
 カナダでは基本的に自由。その代わり何かあっても自己責任。
 そういうのがキッパリしていていいですね。

 日本の場合、何かあると、人々は行政のせいにします。行政は責任を取らされたくないから、細かな規制をやたらつくります。これで役人の仕事が増えて、その役人の給料は国民の負担になります。それから規制によって、国民が何かをやろうとしたときの負担が増えます。
 もうひとつのパターンとしては、行政が自分達の権限拡大を狙うために要らんルールを作るとうのがありますけど…

 たとえば日本の海ではキャンプやバーベキューをやっちゃいけないとか、夜10時以降は花火をやっちゃいけないとか、いろいろなルールがあります。それって国防上必要だとか自然環境保護のために必要だとか、そういうんじゃないですよね。すごくレベルと民度の低いルールな気がします。
 ぼくは海遊びを何十年もやってきて、だんだんそういうモロモロが見えてきてうんざりした時期がありましたが、そういうものと向き合いながら、いうべきことはいおうという考えになってきました。

 もちろん多くの規制の中には本当に必要なものもあると思いますが、おそらく要らないものや過剰なもあると思います。

 結局、行政を肥大化させてしまっているのは、われわれ一人一人、そしてそれに乗っかるマスコミという面がなきにしもあらずです。(もちろん役人どもが自分達の権益を広げようとして、勝手にいろいろな規制を作るという面もあります。新しい法律を作ることが役人の評価になったりする面もあるようです)

 可能なことは自分達でやる、行政には頼らないというのが、小さな政府、自由な社会を実現するうえでの前提だと思います。







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