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自然の強力さ・世の中のもろさ・確かなもの



 海のそばで暮らし、自然の中で遊ぶようになって、ぼくの中で変わったことはいくつもあります。その中で特に大きなことは、世の中には圧倒的に強力なものがある、ということです。
 ぼくは海辺に住んでいますし、しょっちゅう海旅にも行くのですが、折々に自然の強大なパワーを見たのが変化のきっかけです。
 自宅の話しでは、たとえば台風が来た翌日、うちの近くの港の防波堤がすべて根こそぎなくなったことがあります。小さな防波堤ではなくて、30mくらいの長さがある防波堤のコンクリートのかたまりがすっかりなくなっていました。それだけはなくて、港の駐車場のアスファルトが剥がれてぐちゃぐちゃになっていたのです。
 旅先で見た光景では、やはり台風の時、ホテルの近くの木造の家が、丸ごと飛んでしまったのを見ました。台風が過ぎた後、近辺を散策したら、昨日まで建っていた家が無く、コンクリートの基礎だけが残っていたのです。
 このときぼくはそのパワーに圧倒され、怖いと思いました。自分がすがる何かが失われたような心細さを感じました。
 これは一例ですが、その後、海と近く接する生活をする中で、自然のパワーに圧倒される経験を何度もしています。
 それまでは、人間が造った橋やビルや道路や港が壊れることは頭の中にありませんでした。もちろん理屈では壊れることは理解していましたが、映像以外で実際に実物として壊れた様子を見たことはありませんでした。人間が造った物は、頑丈に安定的に、そこに存在すると思っていたのです。
 それがわりとよく壊れる様子を見てからは、ぼくが当たり前の存在としている、社会の構造物は以外にもろいものだと考えるようになりました。
 以前、不良施工されたマンションが傾くニュースが報道されていましたが、それは珍しいことでも不良のせいだけでもなく、しばしば誰の身にも起きうることだろうと思いました。
 社会の構造物が意外にもろいと理解したのち、社会自体も実はもろいんじゃないかと思うようになりました。今の日本社会は戦後の自由主義・資本主義の世界観の秩序で構成されていますが、それもぼくが考えているよりももろいかもしれないと思うようになりました。
 自然というか地球という地面は、けっこう変化するし、そうした変化の前では、自分はちっぽけな存在だし、人の営みもちっぽけなものだと思います。
 そうした認識の変化がぼくの実生活にどう影響したかというと、簡単にいうと刹那的になりました。日々の暮らしというか、今日一日が無事暮らせればいいやと思うようになりました。
 いろいろなことを心配しても、準備しても、対策をとっても、それはあくまでも自分が考えうる範囲のことだけであって、限定的で不完全なのです。それを完全にしようとする試みは、ぼくの人生の短さからすれば、ほぼ不可能であって、だったら不完全さを受け入れて、とりあえず短期的に幸せに暮らそうと思うようになったのです。自分が幸せを感じる瞬間瞬間は、ぼくの中では事実で変わらないものなのですから…








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