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海のことを考えて、気分を少しでも上げていこう



 鴨長明とかいろいろな人が書いていた気がしますが、世の中で生きていくのはいろいろとあってたいへんですね。
 仕事もたいへんだし、出世もあるし、家族のこともあるし、親の介護のこともあるし、自分の健康のことも気がかりだし、世間体だってあるし、細かなイライラもありますよね。人ってそういう悩みを抱えながら生きて死んでいくのかなあなんて思ったりします。
 ぼくは何かに追われて、急かされて何かするのが苦手なんです。あとは人口密度の高いところが苦手です。そんなことがあって海辺の田舎町に引っ越したのでした。
 それでも日々の心配事やイヤなことは尽きません。なぜそうなのかなあって考えてみたんですが、それは自分が心配事やイヤなことを考えてしまうからじゃないかと思いました。
 なんだか変な結論ですが、どれもこれも差し迫って対応しなきゃいけないことじゃないし、考えなければ存在しないも同然じゃないかって思ったんです。
 ぼくの場合、心配事やイヤなことを考えるのは、電車での移動時間と寝る前が多いんです。逆に海で遊んでいるときや海を眺めているときは、ほとんど考えません。なので、心配事やイヤなことを考えがちな時に、海遊びや海辺の暮らしを楽しむことを考えれば楽しく過ごせるんじゃないかと思ったんです。とても単純ですが…
 実際やってみると、 心配事やイヤなことというのは自動的に考えてしまっているようです。なので、なるべく早くそれに気づいて、別な楽しいこと〜ぼくの場合、海のこと〜を考えるようにしています。
 それで状況は改善されているような気がします。
 具体的に海のどんなことを考えるのかというと、これまで試したものだと、今度の休みはどんなウォータースポーツをしようかとか、こんなことをしたらもっと楽しいんじゃないかとか、次の長期の休みはどこに旅行に行こうかとか、まだ行ったことのない美しい海はどこだろうかとか、まあそんなことを考えていると気分も少し上がります。
 単純ですけどね…











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海のそばで、虚飾を排して大らかに暮らそう



 情けない話しですが、サラリーマンとして働いていると、自分がチマチマ細かいことにこだわっていくのがわかります。そういう視点に、そういうリズムに、自分が捕らわれていくことを自覚しています。おそらく組織とか仕事が働き手に、何か作用を及ぼしているんでしょう。
 ぼくは週末に海遊びをしますが、それを通じて、チマチマしがちな自分の考え方をリセットしているようなところがあります。
 海のいいところは、そういう効果があるところです。
 だからこそぼくは通勤時間がかかっても、海辺の田舎町に引っ越したのでした。
 サラリーマン生活を続けて20年くらいになりますが、その間なんとか自分らしさを保ってこられたのは、海辺の田舎暮らしと海遊びのおかげです。
 平日の労働者としての自分にさすがに嫌気がさしてきても、週末に何をするか考えていると楽しくなります。だいたいぼくは天気や海況によって次のようなことをします。
 海が穏やかでお金があれば、スキューバーダイビングします。
 海が穏やかで、すごく寒くなければ、シーカヤックをします。
 波がある日はサーフィンをします。
 海が荒れている日で雨が降っていなければ、海辺をサイクリングしたりウォーキングしたりします。
 定期的に庭仕事や家のメンテをします。
 近所の農協の野菜直売所に買い出しに行ったり、漁協の直売所に魚を買いに行ったりするのも楽しみです。
 海で遊んでいると、人が生きていくための根本的に必要なことが何かを考えさせられます。それはぼくの場合、海が漁の場だという意識があり、漁をとおして、食べていくとか生きていくとか生活していくということをイメージするからだと思います。
 実際、もし仕事がなくなったら海で魚や貝や海藻を獲って暮らせばいいかなあ、なんていうことを考えたりします。
 もうひとつ海が、ぼくに生きていくための根本的に必要なことを考えさせる理由だと思うのは、海というのは台風などで荒れるとたいへんなことになります。そんなとき、家のようなシェルターって大事だとか、水や電気やガスはやっぱりありがたいとか考えたりするんですが、要は生きていることそれだけで価値があるし、それを最低限キープするために何が必要かを認識させてくれるからなのです。
 極端な例をに出すならば、台風で家が飛んでいきそうで、停電断水しているときに、ブランドもののバッグがあっても仕方がないということなんですが、それを海辺に住んでいると、年に何回かは実感させられます。
 もっといえば、服は丈夫で安価であればいいし、車は安くて動けばいい。その先には虚飾を排した暮らしがあります。
 そう、海辺に暮らしていると、虚飾ということについて考えさせられるのです。
 どこからが文化的でどこからが虚飾なのかはよくわからないのですが、おそらく他者に対して見栄っ張りで物質を伴うのが虚飾で、精神的で人生を豊かにしようという取り組みが文化的なのではないかと、おぼくとしては勝手に考えています。
 ともかくそういうことに無自覚であるよりはマシかなと思います。








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ぼくが海辺に住む理由〜都会的な階層構造から離れたい〜



 ぼくは海辺の田舎町が好きで、大雑把にいうと東京→湘南→三浦半島の田舎町という感じで引っ越してきました。
 なぜかというのは以前にも書いたので、今回は別な角度からぼくの気持ちをまとめてみたいと思います。
 そのうちのひとつとして、持っているお金の多寡で階層ができていて、多くの人が見栄っ張りで、それによって本来感じなくてもいい不幸を感じるから、東京がイヤになったのです。正確にいえば東京的な都会的な暮らしがイヤになったのです。
 どういうことかというと、ぼくの女友達であるAさんがブランド物のバッグを持っていました。彼女はそれが気に入っていたみたいです。で、あるとき別の女友達であるBさんとAさんが同席する場面があって、そのときBさんはAさんが持っているバッグと同じブランドの高価な最新のデザインのバッグを持って来たのです。そのときAさんは少し恥ずかしそうに、自分のバッグを隠すような仕草をしたのです。
 こうした一連の事象を仮にここでは「社会の階層化」と呼ぶことにしましょう。
 これに類することというのは、住んでいる家でも車でも宝石でも宿泊先のホテルでも腕時計でも起きます。
 社会の階層化で、ぼくが一番よくないと思うのは、Aさんが本来感じなくてもいいようなマイナスの気持ちを抱いてしまうことです。不幸とまではいわなくても、プライドを傷つけられるとか負い目を感じるとか、恥ずかしい思いをするとか、まあそういうことです。
 社会の階層化が起きるのには条件があるんじゃないかと思うんです。
 まず物やサービスの種類とか、ブランドとか、その値段とかをみんなが知っている必要があります。
 次に、そうしたブランドの物やサービスを多くの人が欲しがっている必要があります。
 ブランドの物やサービスの値段的な序列を、自分の社会的な序列とほぼ同じようなものだと、多くの人が認識している必要があります。
 まとめていうと極めて高度に文化的な社会である必要があるんだと思うのです。
 ぼくはそうした社会で暮らしていくのがイヤだったんですね。今思えば…
 何がイヤって、だいたいめんどくさいし、そんな細かいルールを前提とされるのがイヤだし、生きること・食べていくことと直接関係がないようなそんな文化なんて軽蔑しているし、世の中はもっと公平であるべきだと思っているし、わざわざ人が大勢いる都会に集まって住んでおいて、自分は他者と違うって主張すんなよ、そんなに違うっていいたいなら独りで生きてみろって思うし…
 なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、あの時の自分の判断は正しかったと今でも思います。
 さて、話しは次のフェーズに移るんですが、東京から引っ越した理由は今書いたとおりだとして、なぜ湘南から引っ越したかなんです。それは湘南って、社会の構造が、東京と変わらないと感じたからです。ただ、東京ほど人が集まっていないし、海があるというのは違いますが、社会の階層化があるのは同じです。というか自意識の強い人が集まっている分、その傾向は強いかもしれません。
 たとえば値段の高いアウトドアウェアを着ているとか、年に2回はハワイに行くとか、でかい4駆の車に乗っているとか、表面上の見え方は東京とは少し違っていますが、やっていることは同じです。そういう小賢しいのってうんざりだなって思って引っ越しました。
 結論めいたことをいうと、この文章を読んでくださっている方で移住したいと思っている方がいるとして、動機が自然が豊かだけど文化的な暮らしがしたい方は、たぶん湘南とか外房とか軽井沢とか那須とか八ヶ岳とか沖縄本島みたいな場所を選んだ方がいいと思います。自然が豊かな中で社会的な煩わしさから離れたいと思っている方は、人口が少ない田舎に、できればポツンと一軒家的なところに住んだ方がいいと思います。










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都会のイライラを海辺の田舎町に持ち込まないで欲しいと思う件



 海辺の田舎町で暮らしています。
 町の中や近所で行動しているだけだと、いたってノンビリした日々が過ごせます。それはたとえばスーパーに買い物に行ったり、郵便局に行ったり、ATMに行ったりとかそういうことです。あとはぼくの場合、海で遊ぶか、家の修繕などをするか、海遊び友達と飲むくらいで、一日が過ぎていきます。
 ぼくはノンビリ暮らしたかったので、今の環境に満足しています。急いだり、慌てたり、焦ったり、ワサワサしたりするのは嫌なのです。自分の気持ちが荒むから…
 海遊び友達と近所の飲み屋で飲んでいるときに、夏に観光客が来ると嫌だよね、という話になりました。何が嫌って、道が混むというのが一番ですが、都会の人は急いでいたり、イライラしているからです。
 イライラというのは伝染するような気がするんですが、他所の人が来て、その人がイライラしていると、それが周囲に伝染して、町全体がワサワサした雰囲気になります。
 ここまでが今回の話しのあらすじですが、もう少し細かく話してみましょう。
 ぼくが暮らす町というのは、(観光客が来ない時期の)普段は、みんながゆっくり暮らしています。
 道も渋滞しませんし、車も時速30kmとかで走っています。40km出ているとちょっと速いなあという感じです。
 スーパーのレジも並びませんし、レジのパートの人もたいてい知り合いなので、ちょっとした雑談をするほど余裕があります。
 妻などは、道を歩いていて会った知り合いとちょっと長めの立ち話をし、またしばらく歩くと、知り合いに会って立ち話をし、というコントのようなことを本当にしています。
 海で遊んでいてもみんな知っている人で、ビーチでダベったりします。
 みんながそんな感じなので、それで怒られたり、「早くして」といわれたりもしません。
 そういう雰囲気だと、たとえばスーパーのレジに同時に2人が入ろうとした場合、相手に譲ろうとするんです。別に待ってもタカがしれているし、隣のレジに入ればいいからです。
 ここで語っていることをまとめると、サービスや物を手に入れる機会とか時間に関する人の心理は、その機会や時間が希少であればあるほど、求める気持ちや価値がエスカレートするということです。機会や時間が希少でなければ(余っていれば)、人は急いでそれを求めようとしません。
 その状態自体が、心理的なゆとりとか余裕を生み出すと、ぼくは考えています。ぼくはそのゆとりとか余裕を大切にしたいから、きっと海辺の田舎町で暮らすことを選んだのでしょう。
 さて、夏になって、わが海辺の田舎町にも都会から観光客が来ます。
 よくマナーの悪い観光客のゴミのポイ捨てが問題になりますが、それはそれで慣れっこです。
 それよりも、この人達は普段列に並んだり、車を速く走らせたり、少しでも速く動く車線や列にスイッチしたりして、少しでも速く目的地に着こうとしている人達です。あるいは他人よりも少しでも先に行きたいと思って日々過ごしている人達です。急いだその先に何があるのかは知りませんが、とにかく他人よりも先にいかなければと考えている人達なのです。
 そういう人達が来て何が起こるかというと、たとえばいつものスピードで走っている地元の車は煽られます。
 珍しくスーパーのレジには列ができますが、いつものペースで並ぼうとすると、横からスッと入ってきて先に並ばれてしまいます。

 道で立ち話していると邪魔者扱いされます。

 こういうことが起きると、ノンビリ暮らしている地元の人の気持ちも変わってくるんですね。やっぱりいつもより少し急いだりするのです。都会の人のイライラがうつるんです。町全体がワサワサした雰囲気になるんです。

 ぼくの勝手な想像ですが、全国の季節的に人が来る観光地の人は、こうした状態に「うんうん」と共感してくれるんじゃないでしょうか?
 観光客の人は「観光客が落とす金で暮らしているんだろう」というかもしれませんが、ぼくの住んでいるあたりは、夏のお盆くらいしか観光客が来ず、それで暮らしている人はほぼいません。商店とかレストランも年間の9割は地元の人の売上で成り立っていますし、自治体の税収も住民税の占める割合が高いのです。
 で、都会の観光客の方には、「郷に入っては郷に従え」ということわざにあるように、自分たちのルールを持ち込むんじゃなくて、その土地のルールに合わせて欲しいなといいたいのです。
 そして地元の住民の生活を乱してほしくないなあと思うのです。








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海にいる時間をもっと楽しく過ごそう!



 海辺の田舎町で暮らし、ウォータースポーツをしながら暮らしています。いえいえ一応会社勤めをしていて、生活費を得るために働いてもいます。
 ぼくにとっては「海辺の暮らし=仕事がオフな時」です。
 会社勤めのウサを晴らすように、海辺の暮らしを楽しんでいます。
 会社勤めのウサを晴らすと書きましたが、それについてはこのブログに「会社勤めはイヤなことばかりではない(大意)」という注意のコメントをいただきました。世の中には会社や仕事が好きな人も多いらしく、ぼくの価値観を当たり前のように語ってはいけないんだなあと思った次第です。
 そういわれてみれば、ぼくのそばにも嬉々として働いている人がいたのを忘れていました。
 ぼくはできるのであれば、誰からの指示も受けたくないし、やりたくないことを無理にしたくはないと考えて生きてきました。仕事にやりがいがないわけではありませんが、企業などの組織というのは、成り立ちとしてすべての個人を活かすようにはできていないので、一人ひとりの個人はなんらかの無理を強いられるわけです。というか社会というものはそういうものかもしれません。
 みんながなんとか一緒に暮らしていくには、それぞれ多少は我慢しましょう、ということなのかなーと考えたりする今日この頃です。
 それにしても、会社、イヤじゃないんだね…
 だいぶ横道にそれましたが、ぼくの頭の中はこうなっています。
 海辺にいる時間=自由・反組織・自発的・自然・家族・個人
 会社・仕事・町での時間=不自由・組織・強制・同僚・社会人
 それだけに海辺の暮らしはとても楽しいし、もっと楽しく過ごそうって思うんです。だとすると、ぼくは会社で仕事をしているからこそ、海辺の暮らしを楽しんでいるともいえそうです。リタイアしてずっと海辺で暮らしていると、もしかしたら飽きてしまうかもしれません。でもまあ、これまでも長期休暇の時は、ずっと海辺で行動していたんですが、まった飽きることなく、もっと長く休みたいと思ったくらいなので、たぶん大丈夫でしょう。
 海が好きで、海にいるとストレスから解放されるし、会社では自分のまわりに張り巡らした見えない防護壁があるけれど、それもなくなります。
 海にいる時間をもっと充実させたいから、スキューバーダイビング・サーフィン・シーカヤック・セイリングといろいろな海遊びに手を出してきました。どれもおもしろいし、そのときどきの海況に合わせて海を楽しめます。
 こんな生活パターンをもう30年近く続けていて、それでも飽きないし、きっと動けなくなるまでこうして海遊びをしながら暮らしていくんでしょう。
 でも、そんな人生でいいかもしれません。











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不満のタネの行き先…



 ぼくは海辺の田舎町で暮らし、街に通勤しています。できればずっと海辺の田舎町に居て、仕事もそこで完結させたいのですが、なかなかうまくいきません。
 街に出ると人が大勢いて、ぼくはそれがストレスです。海辺の田舎町でノンビリ過ごせたら、それほどストレスはないのになあ、なんて思ったりします。
 話しが変わりますが、先日定年退職した海遊び仲間の先輩と飲みました。
 定年後の暮らしについて話したのですが、その先輩がいうには、人というのはストレスがなさ過ぎるのもよくないそうです。
 ストレスがなくなると、人というのはどんどん自分の快適なことだけをするようになるし、腹を立てる対象がどんどん細かくなるそうです。
 その話を聴いてなるほどなあ、と思ったものです。
 確かに親戚のおじさんで、長年会社勤めをしてきた人はわりとちゃんとしていて、所作や物腰や判断などがこなれている印象でした。自分の立ち居振る舞いや言動がコントロールできている感じでした。いわゆる社会性があるという言葉でまとめてもいいんじゃないかと思います。まあ、たまたまそのおじさんがそういう人だったかもしれませんけど…
 会社勤めとストレスの強さがどの程度関係しているのか知りませんが、集団で組織的に何かをしなければならないので、社会性みたいな特性は強くなるんでしょう。
 おそらく独りだけで暮らしていたり、単独でする仕事(そんなのがあるかなあ)ばかりしていると、そのおじさんのようにはならないんじゃないかなあと推測するのです。
 もうひとつ、人というのは、何かしら不満があるもので、大きな不満の対象があればそれについて腹を立てたり、考えたりするんだと思うんですが、その大きな対象が解消されると、2番目に大きな不満の対象に腹を立てるんだと思います。それがだんだん小さく細かくなるというのはあるかもしれません。
 たまにすごく細かいことに腹を立てる気難しい人がいますが、それはそういうメカニズムなのかなあ、と思ったりします。
 とはいえ、仕事のために通う街でのストレスはとても不快なので、もう少しマイルドなストレス環境で生活したいなあと思うのでした。








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海辺のわが家へ来たお客様の「う〜ん」な言動とは…



 まず、思い出すのは、家の近所の海に面した駐車場での出来事。
 その駐車場は、個人の家の庭を夏の間だけ観光客向けに駐車場にしているんですけど、そこに停めていた車の人が駐車場のオーナー(家の人)に文句をいっているんです。オーナーはご近所で知り合いなので、ちょっと心配で話しを聞いてみると、文句をいっている内容は、潮風で窓ガラスが汚れて、砂浜から飛んできた砂で車が汚れたといっているわけです。
 海のすぐそばの駐車場ですから、一日中、車を置いておくとそうなるのは当たり前なんだと思うんですけど…車が汚れるのがイヤなら海に来るなよ…っていうか車に乗るなよってな感じです。
 これはわが家のお客さんの話です。
 せっかく海辺に来たんで砂浜でも散歩したいというので、案内しました。でもいざ砂浜に着くと砂浜に降りようとしません。靴が汚れるのがイヤだそうです。
 だったら散歩したいっていうなよ、っていうかいってくれればビーサン貸したのに…
 これも別のお客さんの話。
 サーフィンをしてみたいというので、わが家のサーフボード、リーシュコードを1セット貸して、一緒にサーフィンをすることにしました。ひととおり基本的なことを教えて、いざ海に入ろうとすると「けっこう波が高いね。こんなの恐くてムリ」だそうです。
 サーフィンって波があるところでやるものだし、今日は波がないほうだよ。
 これも別なお客さんの話。
 妻のお友達が来て、近所の海の見えるレストランに行ったり、ビーチを散歩したりしていました。家に戻ってお茶をしていたら、道を水着姿で歩いている人が多くて、みっともなくて、人前で恥ずかしくないのかとご立腹。
 なるほど…夏は多いんですよ。観光客の人が多いんですけどね。それが当たり前だと思ってました。
 これも別なお客さんの話。
 ぼくの会社の先輩がわが家に遊びに来て、飲んでいたら、突然お説教モードに。「お前はスキューバーダイビングやらサーフィンやら、結構危険なことをしているけど、もしお前の身に何かあったら、奥さんやお子さんはどうなるんだ!」とのこと。
 いやはやごもっとも。でもそんなこといったら、登山とかスキーとかも危ないじゃん。いやいや車の運転も危ないでしょ…
 まだまだたくさんあったような気がするんですが、思い出せません。
 でも、ここに書いたような話題は、地元の人と話していると絶対出てこないんですよ。たぶん前提としていることが違うんでしょう。
 住むところが違うと考え方も違ってくるのかなあ?












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ぼくが湘南から引っ越したワケ…



 雑誌などを読んでいると、「湘南暮らしがオシャレ」とか「湘南暮らしの憧れ」みたいな記事を目にしたりすることがありますが、ぼくにはそのよさがよくわかりません。
 というぼくも以前、湘南と呼ばれるエリアに住んだことがあります。藤沢市の鵠沼海岸から10分ほど陸側に入ったエリアです。
 閑静な住宅地でしたが、住んでいるうちに不満がたまったので引っ越しました。
 その不満を説明する前に、なぜぼくが海辺に引っ越したかを説明させてください。
 それまでは東京の区内に住んでいました。職場まで地下鉄で20分くらいでした。
 ただそこの暮らしがとてもイヤだったのです。
 まず通勤時の満員電車です。20分とはいえ、とても人間の扱いではないくらいの混みようでした。
 それから車の騒音です。国道に面していたため通行量が多く、昼も夜もうるさかったです。洗濯物をベランダに干しておくと排気ガスの粒子がついてしまい、手でこすると炭のように黒い部分が広がるような感じでした。
 次は治安です。街を歩いていると、ちょっとヘンな若者がたむろしていて、妻は駅から自宅までの道のりを歩くのを怖がっていました。また、うちはオートロックのマンションでしたが、何軒かに空き巣が入りました。幸いわが家は被害に遭いませんでしたが、不安なことは変わりません。
 次は混雑です。道も混むし、レストランも混むし、スーパーも混むし、郵便局も混むし、区役所も混んでいるんです。何かをするのに列に並ばないということはあり得ないという感じでした。
 それから自然がないことです。公園はありましたが、まともな木々はありませんでした。
 ぼくはこうした都会の暮らしがイヤで海辺に引っ越すことにしました。引っ越し先が湘南の鵠沼海岸でした。
 ところが、湘南の藤沢あたりも、けっこう街です。
 なので、基本的な不満は解消されなかったのです。
 とはいえ満たされたこともあります。それは自然がわりと豊かなこと、治安がいいこと、閑静であることです。
 ただ、スーパーやレストランは混雑していました。役所も混雑していました。車も結構走っていました。一番イヤだったのは、夏になると観光客で街も海も道路も混雑するし、観光客のマナーが悪く殺伐とすることです。
 このときぼくが認識したのは、ぼくは田舎のノンビリした暮らしを望んでいるということです。自然が豊かで、寂しいくらいに人気がなくて、昭和な田舎の漁師町が好きなんだと気づきました。
 ぼくは大学生の頃からスキューバーダイビングをしており、よく伊豆に潜りに行っていました。特に西伊豆のノンビリした感じに惹かれていました。西伊豆の小さめの漁村がぼくのイメージに近かったのです。
 そういうぼくにとって湘南という場所は、やはりまだまだ街だったのです。
 ぼくの望む生活には、オシャレな雑貨屋とか人気のレストランとかレジェンドがやっているサーフショップは必要ないのです。寂れた定食屋と地元の人がやっている小さなスーパーと暇そうにしているガソリンスタンドがあるような、これぞ漁村!というような雰囲気が好きなのです。
 というわけで、職場に通えるギリギリの線で、海辺の田舎町を探しそこに引っ越しました。
 そこもぼくの望むほどの田舎ではありませんが、それでも車も少なく、観光客が来るほど有名でもありません。
 この町に引っ越してから、列に並ぶということはほぼありません。列ができていると「おっ、今日はなんだ? 何があるんだ?」という感じです。
 道ですれ違う人はたいてい知り合いで、挨拶しますし、スーパーで買い物していると知り合い同士で雑談が始まります。
 海に行けばよく知った顔ぶればかりです。
 町全体をのんびりした雰囲気が包んでいます。
 こののんびりさとストレスのなさを、ぼくはとても気に入っていて、意図して作られているものではないので、何よりも価値が高いと思っています。
 盆暮れなどの仕事が長い期間休みのときに、ずっと自分の町にいると、ココロに溜まった疲れが洗い流されて軽くなるような感じがします。










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都会の暮らしに合う人、田舎の暮らしに合う人



 何十年も前に海辺の田舎町に引っ越したのは、都会に疲れていたのかもしれません。もちろん海が好きだし、自然の豊かな場所で子育てしたかったというのも理由です。でも、一番強かったのは都会での暮らしに疲れて、イヤになってたからなんだと思うんです。
 ぼくはよく人から、お人好しでおっとりしているといわれます。
 それは元々そういう性格だというのもありますが、人に好かれたくて(人に嫌われたくなくて)自分でわざとやっている面もあります。
 そういうタイプの人間が都会で暮らしていると、損をしたり、割を食ったり、イヤな思いをすることがあります。
 お人好しな性格は、長期的にメンバーが変動しないコミュニティでは、信頼感が蓄積されてコミュニティメンバーに一目置かれるようになるので、お人好しによる短期的な損は、長い目で見ると相殺されるか得になるのです。
 ただ都会のように、コミュニティメンバーの匿名性が高いとか、メンバーがどんどん変わるコミュニティでは、短期的に得をすることが最善策です。結果的にぼくのような性格の人は損ばかりすることになります。
 それはたとえば、町内会とかマンションの管理組合とかPTAのようなボランティアベースのコミュニティ活動をイメージしてもらうと、わかっていただけるかもしれません。
 だからきっと、ぼくのような性格の人間は都会の暮らしに合わなかったんでしょう。
 今ぼくが住んでいる海辺の田舎町では、マンションやアパートという賃貸物件はありません。みんな一軒家で持ち家です。引っ越しで出て行く人や入って来る人は、たまにある程度です。
 そんな町では、どこの誰がどういう人かというのはだいたいわかっているんです。人に嫌われない性格というのは、そういうところだとなかなか居心地がいいのです。いい人だと思われますし、みんなも自分を認めてくれて、ちょっと無理なお願いも聞いてくれたりします。
 もちろん都会でうまくいかない人が、みんな田舎でハッピーになれるといっているわけではありません。たまたまぼくの経験でこの部分だけは理屈として成り立つことがあっただけです。
 おそらくそういう町だと、自分だけの短期的な得だけを求めるガツガツした人は、長く暮らすうちに疎んじられるんだと思います。というのも、自分の得というのは誰かの損の上に成り立つことが多いと思うんですが、その損するのが町の人だとあっという間に関係がこじれるし、得の源泉である町の人もそんなに多いわけではなくて、いずれ自分の得も頭打ちになるから…
 もちろん町外の人から得を持ってくれば、町の中はハッピーなんですが、それがうまくできる人とできない人はいるでしょう。
 ぼくはなかなかそんなに器用にはできません。
 もし、この駄文を読んでいて、都会の暮らしで何かうまくいかないと感じている人がいらっしゃったら、もしかしたらあなたは田舎の方がうまくいくタイプかもしれません。








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ノンビリ、ボーッとするのが好きなワタクシ



 ノンビリするのが好きです。ボーッとするのが好きです。
 急かされて何かをするのが苦手です。次から次へとやらなければならないことがあって、ワサワサするのが苦手です。
 休みの日に予定が入っていなくて、海を眺めながらデッキでコーヒーを飲んでいたりすると、とても幸せです。これから何をしようかなって、自分で決められるのがいいんです。
 つくづく自分は怠惰で、社会に適応していないなあと感じます。
 旅先でも、予定を詰め込まないようにしています。
 だからパックツアーはありえません。
 行き先を決めず、できれば宿を決めず、そのとき行きたいところに行くようにしています。途中で見たいところがあったらゆっくり見ます。
 離島好きの、スキューバーダイビング好きですが、普通、ダイバーは潜りをぎっちり入れます。そういうこともしません。潜らない日を作って、空いている時間にレンタカーやレンタサイクルで島をまわったり、カフェでボーッとしたり、ビーチを散歩したり、知り合った人(島のオジイとかオバアとか)とおしゃべりしたりします。別にそうしようとしているわけではなくて、なんとなくしたいことをダラダラとしていたらそうなったという日を作るようにしています。
 実際は、休日でも予定が入っていないということはあまりなくて、やらなければならないことが結構ありますねえ。
 だからこそ、何もしない日とか特定の目的を持たない日を作って、自分が自由であることを確認するようにしています。








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