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海が好きでしょうがない人達

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 世の中にはいろいろな趣味があるもので、車が好きでしょうがないとか、ゴルフが好きでしょうがないとか、盆栽が好きでしょうがない、というのは普通の趣味の部類に入ると思うんです。

 世の中には、海が好きでしょうがないという人がいます。
 海辺に住んでいると、そういう人って結構いるんだなと実感します。
 もちろんぼくも海が好きです。

 例えば、知り合いのサラリーマンは土日はたいてい海にいます。それも朝から暗くなるまで。 やっていることはいろいろなんです。
 シーカヤックだったり、ディンギーだったり、釣りだったり、時にはただボーッと海を見ているだけだったりするんですが、とにかくこの人は海にいるのが好きらしいんです。

 もう一人は海辺で喫茶店といいますかカフェをやっている人で、この人はスキューバーダイビングのインストラクターをやったり、フリーターをやったり、海の家をやったりしてたんですが、ついにとうとう海の見えるカフェを始めてしまいました。
 もちろんコーヒーを淹れながら海が眺められます。

 もう一人はもう60歳近いオッサンです。
 今は役場のアルバイトみたいなことをやっているんですが、何年か前は大企業のサラリーマンでした。希望退職制度に応募してリタイアして、海辺の町に家を建てました。
 年金がまだもらえないので働かなきゃいけないらしいんですが、なかなかいい職がないそうです。
 みなさん境遇はいろいろですが、海が好きでどうしようもない人たちです。


 海の何がいいんでしょうか?

 たとえば、初夏の頃、気温はちょうどよくて、陽射しがまぶしく水面に反射しています。潮風が気持ちがいい感じ。波の音が繰り返しています。
 そんな中でボーッとしているとなんとも幸せな気分になります。
 のんびりして、心の真ん中あたりがほぐれてくる感じです。
 肩の辺りの力がスーッと抜けていきます。
「ああ、今自分は幸せだな」と感じます。
 世の中のすべてが輝いています。
 そういう瞬間が年に何回かあります。それを一度体験してしまうと、海にハマります。

 一言でいえば癒されるとかリラックスできるということだと思いますが、実際に体と心に及ぼす作用はもっと大きく深く、ある意味で重いものです。

 一方でサーフィンなどのウォータースポーツの楽しみももちろんあります。
 ウォータースポーツそれぞれに魅力があります。
 これは上達したり、新しい場面に遭遇したり、冒険っぽい体験をすることを通して楽しみが得られます。
 やはり年に数回ですが、ウォータースポーツしている時に、先ほどのすごくいい状況に出くわすことがあります。
 そのときの幸福感というのはまた格別です。
 ぼくの場合、意識を集中すれば、過去のそういった場面や自分の気持ちをかなりリアルに想い出すことができます。

 そういう経験をすると、ウォータースポーツは海と接する方便という気がしてきます。いろいろな人を見ていると、たまたまそのウォータースポーツをしているだけで、結局は海で遊びたいだけなじゃないかと思うのです。
 海に接して、海のパワーをもらっている、それ自体が好きなんだと思うのです。
 でも、そういう海との付き合い方ってアリだなって思います。

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なんとかなるだろうと考えることの効用

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 えーっと、海遊びしているとたまにあるんですが、「これはヤバイな」っていうくらい危険な時…

 自分の能力を超えたコンディションになった時とか、無理をした時にそうなります。

 そういうときには「なんとかなるさ」「運が悪けりゃ死ぬだけさ」と思うことにしています。そうすると肩の力が抜けて冷静でいられます。
 逆に「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、もうダメかも」と思っちゃうとパニクっちゃいます。

 これって仕事にも使えます。別に使えなくてもいいですけど…

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海辺の時間の流れ方

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 海が好きで、海外も含めていろんな海辺に行ってきました。
 気がついたことのひとつに、そこで暮らしている人のノンビリした暮らし方があります。

 たとえば沖縄の島々では、農作業などをしている人は、昼は暑いので2、3時間は休憩していたりする光景を見ました。
 町の商店に行っても、店主はどこかに行っていていないということも結構ありました。店は開けっ放しなんですけどね。

 別に沖縄まで行かなくても、伊豆あたりでも、みなさん、わりとノンビリ仕事をしているような感じです。もちろんぼくは旅行者として、その人達の一面しか見ていないのかもしれませんけど…
 ただ東京のオフィス街にいる人のリズムと明らかに違います。

 ぼく的な感覚でいわせてもらうならば、大企業のお偉いさんや中間管理職の方々は、一度沖縄の離島あたりに1週間くらい行ってみたらどうでしょうか?
 普段の異常に忙しく、異常に細かく、異常に何かに追われているような自分の生活を、ちょっと引いて眺めることができるかもしれません。

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海辺をのんびり歩くだけ

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 初秋の休日の早朝。昨日の暑い海の空気が山に当たって、少し靄がかかっているような日。日が出たばかりでまだ暑くない時間。

 たとえば、つれあいや家族で、砂浜を歩いてみてはどうでしょうか?

 どこに行くというわけでもなく、のんびり歩くだけです。
 波は穏やかで、砂浜には犬の散歩させる人がチラホラというるだけです。
 靄がかかった空にはトンビが飛んでいます。
 夏ならば蝉が鳴き始める時間ですが、今の季節は静かなものです。
 時折海から吹いてくる風に松の枝や浜ダイコンが揺れています。

 最近起きたことや話し忘れていたことを、ポツポツと話しながら、砂浜の端をなんとなく目指して歩いていきます。

 これまでいろいろなことがあったし、これからもいろいろあるでしょう。どうしたらいいかわからないことも山積みだし、将来の不安は相変わらずなくなりそうもありません。

 それでも、まあこうして、みんなで気持ちのいい時間を過ごせることは、間違いなく幸せなことです。それでいいんじゃないか、それだけで十分ありがたいことではないか、と思いながら、少しずつ歩いていく。

 そんな時間を過ごしてみませんか?

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海辺の暮らしは自由への入口


 今は世界的な不況で、食べていくのに精一杯、仕事を見つけるのがたいへんなご時世です。そんなときに何をいっているのかと顰蹙をかってしまうかもしれませんが、あえていいましょう。

 どうせ一度の人生なら気楽に楽しく自分のやりたいことを精一杯やりたい。

 それが世の中の間尺に合わなかったり、ちょっと非常識だったりすることはあるかもしれません。でも常識に合わせようとして汲々とするのも、自分として生まれてきた甲斐がないじゃないですか?(もちろん法律違反はいけませんよ)
 ぼくにとって、そういう生き方の象徴というかフィールドが海辺の暮らしなんです。
 多数を頼むわけじゃないんですが、海辺に住んでいると似たような考えの人が結構いるんです。
 いわゆる良い大学出て、大企業に勤めて、あるいは起業して、金儲けて、外車に乗ってみたいな人の反対側の人です。世間の価値観で自分の人生を計ろうとする人の反対側の人です。企業で出世するために、本当は納得いってない上司のいうことをハイハイってきいている人の反対側の人です。そういう人が少なからずいるんですね。

 自分の価値観に忠実にやりたいことをやっている人。見ていて気持ちいいというか、清々しいというか、応援したくなります。憧れます。
 海辺の暮らしをとおして、自由を手に入れたい、そんなことを思う今日この頃です。

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今日1日が楽しければいいや

 いい歳をした大人のみなさん、いかがお過ごしでしょうか?
 きっと毎日いろいろなゴタゴタと格闘しながら、忙しい日々を送っていらっしゃる方は多いんじゃないでしょうか?
 ときどきイヤになっちゃうこともあるんじゃないでしょうか?

 ぼくはそんなとき、週末に海遊びするのを楽しみにして乗り切っていますが、ぼくの知り合いでもっとすごい人がいるんです。
 その人は仕事がかなりできて、バリバリ働いているタイプです。
 彼はテンパりそうになったときは、今日のことだけしか考えないんだそうです。今日1日を楽しくなんとか過ごせればいいや、って考えているそうです。

 なるほどと思って、それからは真似させてもらってます。

 ところで、世間のよしなしごとが、めんどくせーなーなんて思っている時は、たぶんちょっと疲れ気味なんじゃないかと思うんです。
 そういう時は、ぼくの場合は思いっきり海遊びですね。

 海のいいところは、海自体のスケールが大きいので、細かいことがどうでもよく感じちゃうことです。ぼくの場合「まあ細かいことがうまくいかなくたって死ぬわけじゃないよな」って思えます。
 その海の効能に助けれて、日々ノンビリ生きてます。
 

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日々の暮らしへの愛着


 自分の暮らしに愛着を持つ、なんて変ないい方ですね。自分の生活に愛着がない人なんているのか?という疑問が湧いてきます。

 どういうことかというと、毎日忙しくてやらなければいけないことに追われていたりすると、一つひとつのことをじっくりできなかったり、次のことを考えながら流すようにやってしまったり、お金を出して人に頼んだり、そういうことがよくあるわけです。
 そういうのをできる限りやめて、ゆっくりと日々の生活を味わうように過ごしてみたらどうかな?と思うのです。
 そうすると自分の暮らしに愛着や思い入れが生まれるんじゃないでしょうか。

 例えば食事だって、自分の畑や近所で採れた食材を料理して作るのと、ファーストフードを食べるのとでは、一食に対する思い入れ、愛着というのが違ってくるだろうと思うのです。

 家に飾る花にしても、花屋で買ってきてももちろんいいわけですが、近所の山々から採ってきて活けると、その花の命に対して感謝とか愛着が湧きます。

 そういう一つひとつのことを大切にしていくことは、結構大切なのではないかと思います。日々の暮らしを「自分のものにする」ことの充実感は、ひたひたと自分の気持ちや日常に染み通ってきて、時間が経つと人生に大きな差が出てくるのではないかと思います。

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海辺への移住の意味ってなんだろう



たぶん人にはいろいろな好みがあって、六本木ヒルズに住んで夜景を眺めるのが好きという人もいるでしょう。

ぼくは街に行くとそれだけで疲れちゃうんです。
人が多いのと人のリズムが速いのが苦手です。
目の前にビルとか何かしらの建物が建っていて、視線が抜けていない感じも息苦しさを感じます。
空が狭くしか見えないのも圧迫感があります。


海辺に暮らし始めて、十数年が経とうとしていますが、それまでは東京に住んでいたのでした。
基本はさっき書いたような気分だったので、イライラや抑鬱感は、今思い出せば相当なものだったと思います。

そのウサを晴らすように、週末毎に、というか具体的にいうと金曜日の夜から、海遊び道具を持って、伊豆や房総、伊豆七島などへ通っていました。戻ってくるのは日曜の夜か月曜の朝。月曜の早朝に自宅に荷物を置いて、シャワーを浴びて、スーツに着替えていたのを思い出します。

海、潮風、陽射し、広い視界、自然との近い距離、ゆるい空気、人々のリズム、どれをとっても今の暮らしの方が、ぼくの好みです。
気持ちが安らぎますし、毎日その空気の中にいることに意味があります。
職場は残念ながらまだ都心にあるところに通い続けています。本当は、職も自然に近いところで得たいのですが、なかなか思ったとおりにはいきません。


うまい喩えではないかもしれませんが、ぼくは肩こりでして、年に何回かは鍼灸・整体に行って肩こりをほぐしてもらうんです。でも本当は肩こりをしない暮らしをするのがベストなはずです。

自然に近いところで暮らすのも似たようなものかもしれません。街に住んでいると、知らず知らずのうちにココロに澱のようなものがこびりついていくような気がします。それをレジャーでウサを晴らすのですが、毎日、澱が溜まるような無理をしていることは間違いないわけです。


よく知り合いに訊かれるんですが、都心に住んで、海辺に別荘を持って、週末はそこで暮らした方が、肉体的にも時間的にもいいんじゃない? と…
それははっきりと違います。
毎日海のそばで起きて、その空気を吸って、一旦は出かけますけど、またそこに戻ってくるというのが、すごく大切です。

先ほどの喩えでいうと、肩こりがひどくなる前に、毎日ストレッチして、その都度リセットするのに似ています。


置いている軸足の位置が基本的に違うということは、表面的には大差がないようですが、気がつかないだけで、それはさまざまなところに現れてくる、ということは一般的によく経験することです。


さて、もしこれを読んでいる方に、ぼくと同じような状況の方がいたとして、本当は海辺に引っ越したいんだけど、仕事が…家族が…と迷っている方がいるようでしたら、同情します。
できる範囲で自分の望む生活に近づけていきましょう。


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いい歳をしたオトコが昼間からブラブラしていることについて


 ぼくの住んでいるあたりでは、いい歳をしたオトコが昼間からブラブラしている光景をよく見ます。

 たぶん都市郊外の住宅街なんかだとあまりみない光景ではないかなと思います。(そうでもないかも…)
 ぼくの幼い頃は働き盛りのオトコが自営業でもないのに、家にいると、「○○さん家の旦那さんは何してるのかしら?」みたいに奥さん方のうわさ話になっていました。

 で、いい歳をしたオトコがブラブラしているのは、たぶん自由業の人や自営業の人が多いせいかなと思うんです。
 で、それならそれでいいんですが、ぼくの知り合いのいい歳したオトコなんかは、奥さんが大黒柱で、旦那さんが家事担当なんですね。
 こういう状況を見ると、「だらしない」って思う人と「うらやましい」って思う人に分かれることが多いと思うんですけど、みなさんどちらですか?

 ぼくは「うらやましい」派ですねえ。わりと家事とか好きなんですよね。

 もうひとつ良いなと思うのは、住んでいる人がそれを気にしていないことですね。普通に、いい歳をしたオトコと奥さんが世間話してたり、幼稚園バスのお迎えをしていたり、PTAの集まりに混じっていたり、そういうのが違和感がないんです。
 いやあー、おおらかで自由でいいですな。

 って、ぼくがそう考える感覚がおかしいのかな?

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タラタラするのが好きでございます


 ぼくは学生時代、体育会系の部活に入っていましたので、学生時代は部活でよく監督や先輩に「オラ!タラタラすんな!」と怒鳴られていました。
 というような青春時代をおくってしまった反動で、今はタラタラするのが大好きです。できる限りタラタラしたい、力の限りタラタラしたいと思っています。

 ビーチでデッキチェアに座って、日がな一日タラタラしてるのは最高ですね。

 タラタラしながらも、一応、波の音をきいたり、潮風を感じたり、遠くの船を見たり、鳥を見てその種類を考えたりして、本人としては、わりと忙しくしているんですが、どうも周りの人は理解してくれません。わたしはどうしたらいいでしょうか? いいアドバイスをお願いします。ペンネーム「渚のシンドバッド」より。

 というようなことはどうでもいいんですが、タラタラしていると、普段考えない、いろいろなことを考えて、時にはこれまでいい解決策が見つからなかったことでも、いいアイデアが浮かんだりすることもあります。それから、何十年も先のことを考えて、お墓をどうしようとか戒名はやっぱり居士だよなとか、まあサラリーマン的にいうと長期計画とか事業見通しについて思いを巡らしてしまったりして、それがいいんだか悪いんだかよくわかりません。

 ただ何もしていなくてタラタラしているからといって、無駄というわけではないんだよ、ということでしょうか…たぶんそういうことです。

 もし「タラタラ愛好者全国会」みたいな会があったらぜひ入会したいです。
 やっぱりそういう会は、みんなめんどくさがりなので、会合とかやらず会報とかは出さないでしょうね。

 どうでもいいことを長々と書いてしまいました。
 本日の企画グループからの報告は以上です。

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