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大楠山へ登るのも、また楽し

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 大楠山ってご存知ですか?
 一応、三浦半島最高峰の山です。

 登るには、まず、秋谷にベースキャンプをはって、一応酸素ボンベを持っていって…というのはウソで、そんなに高くなくて、ハイキングというか散歩にちょうどいいんです。

 登山口は葉山側と秋谷側にあります。秋谷側から登るのがわりと一般的でしょう。
 登頂?すると、展望台がありまして、三浦半島の城ヶ島あたりから鎌倉、富士山まで一望できます。
 なかなかの眺めです。

 近くの大楠小学校の遠足コースになっていたり、犬の散歩コースとして使っていらっしゃる方もいたりして、足腰の強さに自信がない方もokです。
 運動不足解消にちょうどいいです。

 Youtubeの映像がありました。

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南風


 北風に混じってときどき南風が吹く時期です。
 春一番ももうすぐといったところでしょうか…

「ああもうすぐ春だなー」なんて思いながら海を眺めているときの胸のワクワク感はたまりません。

 南風が吹くと気温が上がりますが、この時期の南風はたいてい強いので、海岸の開いている向きによっては、海が荒れることが多いのです。
 仮に穏やかで海に出られたとしても、急に風が吹き始めて海が荒れ出すのもこの時期の特徴です。

 海に出るときは注意するんですが、出られない日でも陸はわりと暖かかったりするので、ビーチでノンビリというのも気持ちいい過ごし方です。
 とにかく春が来たというだけでうれしくて海を眺めているだけで幸せ、といった具合なんです。

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心がささくれ立った時こそ海ですね

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 ココロが「ささくれ立つ」時ってないですか?
「ささくれ立つ」なんていうと、なんだか材木みたいですけど、ちょっとしたことでイライラするというか、殺伐としているというか、潤っていないというか、モヤモヤしているというか、なんかそんな気持ちの時です。

 普段は借りてきたネコのようにおとなしく、まるで悟りの境地に入った修行僧のように穏やかだと一部でいわれているような気がしないでもないぼくですが、仕事が忙しい時が続いたり、プライベートでバタバタが重なったりするとココロが「ささくれ立」ちます。
 不思議なもので「ささくれ立」っている人のそばにいると、その雰囲気は周りに伝染するみたいで、周りの人もイライラしてきたりします。
 自分の気持ちが、自分はもちろん周りの人にも影響を与えているとなると、これは良いことではありません。

 さて、そんな時は、ぼくは意識して海にいるようにしています。朝起きてからすぐに海に行って、シーカヤックをしたり、ビーチで本を読んだりして、夕方まで過ごします。
 そうすると「ささくれ立」ったココロの表面が滑らかになっていくような気がします。ココロの芯のあたりも、なんだかほぐれて柔らかくなったような気がします。
 まるで肩こりの時にマッサージをしてもらった時のように、凝っていた筋肉の深いところがほぐれていく感じといいましょうか…

 ちょっと興味が湧いた方は試してみてはどうでしょうか?
 結構違いますよ。




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海とココロ

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 断捨離という言葉が流行りました。それに関するやましたひでこさんの本を読みましたが、高野山に行った時の体験やヨガ道場での経験が元になっているようですね。
 やましたひでこさんはものを捨てることによって、心が軽くなるという主旨のことを書いていました。

 そうですね。そういう面は確かにあるかもしれません。
 ただ、ぼくはもう少し直接的にココロの断捨離をします。

 ものだけでなくて、ぼくのココロには余計なものが、たくさんまとわり付いています。世間体だとかプライドだとか将来への不安だとかいろいろです。

 海に行ってボーっとすると、少しはそういう余計なものが洗い流される気がします。
 それは自分で気持ちの奥の方に入っていって、考え方を見直してみることによってなされます。自分のココロの奥の方を手探りでうろつく感じです。そういうことをすることで、自分の考え方の癖や余計な部分に気づき、それを軌道修正します。
 つうか、もう中年だし、余生もそれほど長くないんだから、めんどくさいから今のままでいいや、っていう考え方もあります。
 でも、そんなこといっていると、ぼくとしての進歩はそこで止まってしまうわけで、人間的な問題は全然改善されないままっていうことになります。自分も納得いかないですし、周囲の人にも迷惑をかけ続けることになるかもしれません。
 って、話しが横道にそれましたが、ぼくにとって海とはココロの断捨離をする場です。
 海がココロの奥への階段を降りていく媒介になってくれます。

 もう少し詳しくいいましょう。
 ぼくが海にいる時というのは、自分の中の階段を降りていく時間です。ボーッとしているようですが、でも頭は勝手に動いていて、それは内側へ向かっていきます。
 それは最終的には、ずーっとぼくが変えられないでいた一般的に「弱さ」と呼ばれる部分に突き当たります。
 ぼくはその「弱さ」のまわりを何度か回るわけですが、その中に入っていけません。なぜそれがあるのか、どうしてあるようになったのかは、なんとなく推測がつきます。
 でも、その「弱さ」をどうしようもない、というところでいつも海から上がります。

 その時間、その行為から何が得られるのかは、実はわかりません。
 だた、自分の考え方を自覚したり、弱さを自覚して、多少なりとも改めようとは思います。

 海から離れることで、ぼくはココロの奥へ降りる階段の扉を閉じて、日常のぼくに課せられた役割を演じることを意識的に行います。
 スイッチを入れるように「自分らしく振る舞おう」とします。
 なぜそうするかというと、他人から思われる自分像「元気で、強く、しっかりしていて、冷静」が好きだからです。その役を演じることによって、ぼくの生活は世間一般の基準でいうところの「うまくいく」状態になり、周りの人に迷惑をかけません。

 海に行くたびに必ずそういう「重い」ことをしているわけではありませんが、海に長くいると、たいていそうなります。
 それがいいことか悪いことがはわかりません。


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海と自由

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 海辺に住むこと、海で遊ぶこと。
 ぼくの中では、それは自由に暮らすことと繋がっています。

 海は漁業組合や法律など、もちろんありますが、陸に比べたらずっと自由です。道もないし、信号もないし、制限速度もありません。
 ブランド物の服で自分を誇示することもありませんし、満員電車もありません。
 海では一流企業の社員だろうが、フリーターだろうが関係ありません。

 そういった社会のルールやしがらみから、かなり自由な場がぼくにとっての海なんですね。
 ぼくは海のそういう部分が好きなんです。

 海ではぼくのココロはずいぶん自由になります。
 まず身なりを気にせずに済みますし、周りに人がいないので気を遣わなくてもいいのです。社交辞令をいう必要もありませんし、命令されたり、頭をこづかれたりすることもありません。上司も部下もいません。
 ただあるのは広がった海。そこで必要とされるのは生き抜く知恵とタフさです。
 そういう場にいるとぼくは解放されます。
 すごく気持ちがいいのです。
 ラクなのです。
 すべてが自分の判断で、その結果はすべて自分の責任です。とてもわかりやすいのです。
 今を生きている実感が確かにあります。

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海辺に移住して変わったことといえば…

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 ぼくは相模湾に面した海辺に暮らしています。

 周囲は結構家が建て込んでいて、自然がいっぱいとはいえませんが、海までは歩いてすぐですし、家の裏は山になっていて、木々や鳥、小動物など豊かな自然があります。
 ずーっと以前は東京都内のマンションに住んでいました。
 その頃と比べると気持ちや生活がずいぶん変わりました。


♪ 生活のリズムが変わりました。

 以前はいつも何かに急かされるように暮らしていました。
 たとえば車に乗れば、追い越し車線を走って1台でも車を追い抜こうとするとか、電車を乗る時も後ろの人に追い越されないようにするとか、いつも誰かより前に行こうとしていました。
 よくイライラしていました。
 海辺に越してきてからは、そういう気持ちがほとんどなくなりました。
 歩くスピードから日々の行動まで、すべてがゆったりして、むやみに急ぐことがなくなりました。


♪ 緊張していることが少なくなりました。

 以前は、外出すると誰かから何かされるんじゃないかとか、何かに巻き込まれるんじゃないかというような緊張感がありましたが、今はほんとんどありません。少し極端に聞こえるかもしれませんが、意識していないところで緊張していたと思います。そういう状況から抜け出して、かつての自分が緊張していたことを自覚しました。今はすごく肩の力を抜いて暮らしています。


♪ 自然の音に耳を傾けることが多くなりました。

 木々の葉音、鳥のさえずり、虫の音、波の音、風の音、雨の音。そういった自然の音に注意を向けて聴くことが多くなりました。気がつくとそんな音を楽しんでいます。


♪ 休日はできる限り外にでるようになりました。

 用事があるときもあるので毎週というわけではありませんが、休日には、家族、友人、あるいは独りで、海で遊ぶのが当然のことになりました。
 体を動かすし、太陽の陽射しを浴びて気分がすっきりします。

 いいですよ。海辺の暮らし!

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海は気持ちのスイッチ

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みんな忙しいみたいですね。

周りの人を見ていると、「ぼくは暇だ」という人に会ったことがないです。人によってかもしれませんが、忙しい人は、ものすごく忙しいみたいなんですね。
朝晩、電車は満員ギュウ詰めで、宅急便の荷物の待遇が羨ましくなるくらい。

仕事は毎年ハードに、効率的になっていくし、目標はどんどん切り上がっていく。正直いってどこまでがんばり続けられるか、みんな不安なんじゃないでしょうか?

プライベートは、子育て、親の介護、いろいろな付合いで、これまた忙しいんですね。たまの休暇で行楽地に向かえば、混雑や渋滞でストレスがたまってしまいます。

割と大きな町に住んでいる人には、こんな生活をしている人もけっこう多いんじゃないでしょうか?

そんな時は海に遊びに行って、気持ちのスイッチを入れ替えるのもいいかもしれません。


こんなことを書くと、友人からは「海が混んでしょうがないし、都会のヘンなヤツが来て困るから書くのやめろ」といわれますが、まあいいではないですか。海は誰の物でもないですよ。

ぼくが休みごとに海で遊ぶようになってからかれころ20年くらい経つでしょうか。そして今では海辺に住むようになってしまいました。

海で遊び、暮らすようになって一番いいのは、気分がすっかり切り替わることです。日常生活のグチャグチャした問題やバタバタしたリズムも、海を眺めると切り替わります。いったん棚上げにして、頭を休憩させられるんです。
というのも海辺の空気や雰囲気がもうユルイからなんですね。そこに身を置くだけで体の力が抜けます。その時初めて、「体のヘンなところに力が入っていたんだ」と気がつきます。

 
   潮の匂い、海辺特有の湿った風、遠くの山々、都会よりもきれいに見える星。
そんな環境に身を置いて海を眺めていると、自分が気に病んでいる細かいことが、実につまらないことに思えてきます。生きるために必要でないことはどうでもいい、そういう土台というか基本の考え方に戻って来ることができるんです。
目の前に広がる海はおそらく何万年もの間、今あるのと同じような状態で存在し続けてきたし、これからも存在し続けるでしょう。
そんな考え方をしてみると、自分が取るに足らない存在であることが自覚できるし、どうせ取るに足らないんであれば、思う存分楽しんだ方がいいですよね。
人生は一度っきり、やり直しはできないし、あっという間に終わってしまうでしょうから。

こうやって気持ちをスイッチするととても楽になれます。

ただ、困るのはのんびりしすぎて仕事のペースに戻すのが大変なことですね。

もし、今仕事に追われまくっていたり、いろいろややっこしい課題を抱えている方がいたら、海を見に行ってはいかがでしょうか?

でも、住んでいる人に迷惑になるようなことはやめてくださいね。


 

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都会で沖縄民謡ライブ


 ぼくは沖縄が好きです。
 沖縄のあのゆるーい雰囲気が好きで、しばらく行かないと身体の「沖縄エキス」が切れてきます。

 でも、沖縄ファンはけっこういらっしゃるんじゃないかと思います。

 沖縄好きの理由はいろいろありますが、そのひとつに沖縄民謡があります。民謡自体がそれぞれに哀愁があって好きですが、沖縄民謡は明るさとノンビリさと哀愁がいい感じでブレンドされていて、なんともココロにしみてきます。
 沖縄の人は、泡盛を飲んで、三線が鳴り出すとノリノリで踊り出したりしますが、そういう感じも好きです。

 沖縄に行くと、民謡酒場があって、そこで酒を飲みながら、ライブを聴くのが楽しみです。
 が、東京などにも沖縄民謡酒場がたくさんあります。そこでもライブを聴けるし、踊ったりできます。
 ぼくがよく行くのは…

かりゆし(新宿)
かちゃーしー(新宿)
やいま(神田)

 行くと、すごくノンビリした雰囲気が漂っていて、沖縄に行きたいなあと思います。少しだけ沖縄のことを思い出して、気持ちが和みます。
 身体の中の「沖縄エキス」が足りなくなってきたときには、近場の沖縄酒場に行って、「沖縄エキス」を補充すると、慌ただしい都会暮らしを乗り切っていけそうな気がします。



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海遊びと料理の共通点についてオジサンが勝手に思うこと

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 さてさて、会社などの組織で仕事をしている方は、一度は感じたことがあるのではないかなーと想像することがあります。
 それは「自分のやりたいようにやれない」ということです。

 もちろんぼくも組織で働く者として、日々そんな気持ちを抱えています。
 何か新しい企画が必要だとして、自分の中にいいアイデアがある。それを実現していくためには、数々の段取りと調整があり、結果として完成したものは、当初自分がイメージしていたものとは、全然違うもの…
 そんなことはしょっちゅうありますよねー。


 ぼくの場合、自分の好きなようにやりたいという欲求を、海遊びで解消しているところがあります。

 海遊びの良さは、自分で好きなことをやって、すべて自分の責任というところです。この明快さが好きです。
 もちろん完全に自由なわけではなくて、そこにはルールがありますし、たぶんそれは多かれ少なかれ、どこでも、なんでも、そうじゃないかと思います。
 ただやはり圧倒的に自由度が高いんです。
 できればもっと自由な方がいいんですが、今の状況では最善の選択です。

 たとえばシーカヤック。
 今日は海に出るかどうか、どういうルートをとるか、波にどう対処するか、すべて自分の判断です。一から十まで自分の好きなようにできます。判断に甘いところがあれば、そのツケは自分で負わなければなりません。
 
 ここで話が急に変わってしまいますが、料理も似ています。
 何をどう作ろうが自分の勝手です。そのすべてのプロセスを自分でコントロールできるのです。

 たまに男性で料理好きな人がいますが、おいしいものを食べたいということもあるでしょうが、「プロセスのすべてが自分の判断でできる」ということに魅力を感じている方もいるんじゃないでしょうか?
 工夫をすればおいしくなる。もっと工夫をすればもっとおいしくなる。自分の努力と結果に隔たりがありません。

 そういう面では、海遊びと料理は似ているところがあります。
 って結びは強引すぎるでしょうか?






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海に春の風が…



 冬ですねー。
 1月から2月にかけて、北風が強く吹き、身体の芯まで冷えるような日が続きます。

 それでも2月には、ときどき南よりの強い風が吹く日があります。そうすると空気の冷えがいくぶん柔らかくなって、すこーし春の気配が感じられます。

 そう、そんな南風の日がだんだん増えていくと春の訪れです。

 ぼくはこの時期の海が好きでして、なんといいますか、人間関係に喩えると、それまでよそよそしくて冷たかった人が、少し自分に心を開いてくれた時、のような嬉しさがあります。

 そんな日にビーチを強い風に吹かれながら散歩するのです。

 日々近づいてくる本格的な春を楽しみにしながら…

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