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海遊びと料理の共通点についてオジサンが勝手に思うこと

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 さてさて、会社などの組織で仕事をしている方は、一度は感じたことがあるのではないかなーと想像することがあります。
 それは「自分のやりたいようにやれない」ということです。

 もちろんぼくも組織で働く者として、日々そんな気持ちを抱えています。
 何か新しい企画が必要だとして、自分の中にいいアイデアがある。それを実現していくためには、数々の段取りと調整があり、結果として完成したものは、当初自分がイメージしていたものとは、全然違うもの…
 そんなことはしょっちゅうありますよねー。


 ぼくの場合、自分の好きなようにやりたいという欲求を、海遊びで解消しているところがあります。

 海遊びの良さは、自分で好きなことをやって、すべて自分の責任というところです。この明快さが好きです。
 もちろん完全に自由なわけではなくて、そこにはルールがありますし、たぶんそれは多かれ少なかれ、どこでも、なんでも、そうじゃないかと思います。
 ただやはり圧倒的に自由度が高いんです。
 できればもっと自由な方がいいんですが、今の状況では最善の選択です。

 たとえばシーカヤック。
 今日は海に出るかどうか、どういうルートをとるか、波にどう対処するか、すべて自分の判断です。一から十まで自分の好きなようにできます。判断に甘いところがあれば、そのツケは自分で負わなければなりません。
 
 ここで話が急に変わってしまいますが、料理も似ています。
 何をどう作ろうが自分の勝手です。そのすべてのプロセスを自分でコントロールできるのです。

 たまに男性で料理好きな人がいますが、おいしいものを食べたいということもあるでしょうが、「プロセスのすべてが自分の判断でできる」ということに魅力を感じている方もいるんじゃないでしょうか?
 工夫をすればおいしくなる。もっと工夫をすればもっとおいしくなる。自分の努力と結果に隔たりがありません。

 そういう面では、海遊びと料理は似ているところがあります。
 って結びは強引すぎるでしょうか?






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海に春の風が…



 冬ですねー。
 1月から2月にかけて、北風が強く吹き、身体の芯まで冷えるような日が続きます。

 それでも2月には、ときどき南よりの強い風が吹く日があります。そうすると空気の冷えがいくぶん柔らかくなって、すこーし春の気配が感じられます。

 そう、そんな南風の日がだんだん増えていくと春の訪れです。

 ぼくはこの時期の海が好きでして、なんといいますか、人間関係に喩えると、それまでよそよそしくて冷たかった人が、少し自分に心を開いてくれた時、のような嬉しさがあります。

 そんな日にビーチを強い風に吹かれながら散歩するのです。

 日々近づいてくる本格的な春を楽しみにしながら…

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春の海の匂いは海藻の匂い

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 初春というか晩冬というか、まだまだ北風が強くて寒い時期によくビーチを散歩します。(といっても年がら年中、海にはいるんですが…)

 それはワカメやヒジキの育ち具合を見に行くためです。ワカメやヒジキをいいタイミングで収穫したいからです。 そしてその頃の海は海藻の匂いが強くなる時期でもあります。
 海の潮の香りが強くなる時期なんです。
 漁師町のような、ちょっと土臭いような、どこか懐かしい自然の匂いがぼくは好きです。
 その匂いを嗅ぐと、もうすぐ春だなと感じます。

 森の木々が芽吹くように、海の中の海藻も、毎年規則正しく育ちます。そこに季節の移りかわりとそれをキチンと受け止める自然のすごさを感じます。

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春の海の匂いは海藻の匂い

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 初春というか晩冬というか、まだまだ北風が強くて寒い時期によくビーチを散歩します。(といっても年がら年中、海にはいるんですが…)

 それはワカメやヒジキの育ち具合を見に行くためです。ワカメやヒジキをいいタイミングで収穫したいからです。 そしてその頃の海は海藻の匂いが強くなる時期でもあります。
 海の潮の香りが強くなる時期なんです。
 漁師町のような、ちょっと土臭いような、どこか懐かしい自然の匂いがぼくは好きです。
 その匂いを嗅ぐと、もうすぐ春だなと感じます。

 森の木々が芽吹くように、海の中の海藻も、毎年規則正しく育ちます。そこに季節の移りかわりとそれをキチンと受け止める自然のすごさを感じます。

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海だってパワースポットだよね


 ちょっと前にパワースポット巡りが少し流行りましたね。
 各地の滝や神社、山などに行くと、元気になる、スピリチュアルなパワーがもらえるということだったように思います。

 ぼくは、スピリチュアルとか霊的とか、そういうの、よくわかんないんですけど、海に行くと確かに元気になります。そういう意味では海もパワースポットじゃんかよ、と思ったりします。

 実際、すごい風と波で、サーフィンやスキューバーダイビングなど、どんなウォータースポーツもできないような海況のときでも、ビーチにいってノンビリしているだけで、びっくりするくらい気分転換になります。


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寒くても海!


 寒くても北風が強くても、海に出たくなる病にかかっているのはぼくだけでしょうか?
 いえいえ大勢の方がいらっしゃるはずです。
 
 とはいえ、周囲の人々は、ぼくのそんな行動を、突然変異で巨大化したトイプードルでも眺めるような目つきで見ます。一体わたしはどうすればいいんでしょうか?36歳主婦より。

 なんて、わけのわからないことは置いておいて、冬の休日には、寒くても海に出たいのです。できればシーカヤックかサーフィンをしたいんですが、海況で難しい時は散歩でも十分楽しいんです。

 寒いのは最初だけで、海に出て身体を動かせば暖かくなります。
 それに開けた場所で、広い海を見渡していると、気分がスッキリします。
 冷たい空気を胸一杯に深呼吸すると、身体の中の汚れた空気が出ていくような気がします。

 家の中でジッとしていると、ぜんぜん動かなくなるし、気分が盛り上がらないので、頑張ってエイヤッって海に出ます。
 そうすると必ず海に出てよかったと思えます。

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無事に暮らしていけるだけ幸せ

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 たまーにですが、家族そろって、海辺を散歩することがあります。

 潮風を浴びながら、砂浜をサクサクと歩いていくのは、気持ちがいいものです。

 貝を拾う人、棒っきれを振りまわす人、遠くの景色を眺める人、たまたま会った友人と話す人(砂浜にいるとよく友人に会うんです)、家族がそれぞれ勝手なことをしながら、散歩します。

 太陽は暖かくぼくらを包んでくれています。

 こうしてなんとかみんな元気で過ごせることは、何にも代え難い幸せですね。

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チッタ・スローって何?

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 雑誌を読んでいたら「チッタ・スロー」のことが出ていました。
 ぼくは初めてきいた言葉だったので、ナンダナンダと思いつつ読みました。
「チッタ・スロー」ってスローシティ(ゆったりした市)の事みたいですね。
 まあ、方向性としてはスローフードと同じですね。
 スローフードって、自分達の食べるものをキチンと選んで、丁寧に作って、食を楽しんで、健康的で豊かな生活をしようっていうことだと思うんです。ファストフード見たいなものが象徴するライフタイルへの反抗だといえると思います。
「チッタ・スロー」も同じ方向へのライフスタイルの転換を目指していると思います。

 で、ぼくなんかは海辺の町に暮らしていて、趣味でいろいろな海辺に行くんですよ。そうすると多いのが、「都市化して全国的におんなじおんなじ地方都市的雰囲気」になっているところと、「やっぱり観光にチカラを入れて地元経済を潤さねばならぬならぬ」になっているところです。
 海に限らず日本の地方の多くが似たような感じになっていると思います。
 前者は茅ヶ崎とか藤沢とか浜松なんかですね。後者は熱海とか伊東とか被災する前の気仙沼とかですね。

 自然も豊かで、海産物や農業が営める土地ならば、「チッタ・スロー」という町づくりの選択もあると思うんです。ぼくはそういう町があれば移住してみたいし、できればそういう町づくりに携わってみたいです。
 例えば町のエネルギーをすべて再生可能エネルギーで賄っているとか、走っている車やバイクは全部電気で動くとか、町の食料自給率が100%ですべて有機農法だとか、町の人は必ず昼寝をするとか、ここ30年犯罪は起きていないとか…
 なんか楽しそうじゃないですか。こういうところで子供を育ててみたいじゃないですか。
 そんなことでは住民の生活がとか過疎化がとか、いろいろ問題はあるんでしょうが、やってみる価値はあると思うんです。というか、近い感じの町は、もうあるんじゃないでしょうか?

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旅先としての海・生活の場としての海


 旅行で海に行くというのは楽しいものです。
 国内でも海外でも風景は目新しく、刺激に満ちています。宿でリラックスしておいしい食事を楽しむというのも旅行の良さですね。
 ぼくは海辺に住んでいますが、海への旅行も好きです。

 でも一方で、海辺に住んで気がついたのですが、日々の暮らしで接する海との関係は、旅行では味わえない良さがあります。
 その良さというのはちょっとしたことなんですが…

 海の色とか、風とか、波とか、陽射しとか、知り合いとのやりとりとか、季節の魚のおいしさとか、行きつけの喫茶店で飲むコーヒーの味だとか、いつも通る道の草花の様子とか…
 そういう日常の出来事なんです。
 そんなひとつひとつを定点観測みたいに眺めているというのは、意外に飽きないものです。

 旅行で訪れる海というのは、こちらはお客さんなわけで、海もその時の表情しかわからなかったりします。海辺の町だって、たぶん細い路地の隅から隅まで歩くということは、限られた時間の中では難しいでしょう、きっと。

 生活の場としての海はその反対です。荒々しい海、穏やかな海、寒い海、暑い海…いろいろな表情を見ることができます。
 新鮮さは少ないですが、いろいろな表情の変化が愉しみになります。
 海辺の町も隅から隅まで知っていて、小道を歩けば知り合いに会って、井戸端会議が始まります。

 そんな居心地の良さを味わってしまうと、もう離れられません。
 いいです。海辺の暮らし。

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海辺に通う?移住する?その違いって?

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 ぼくは海辺で自然の豊かな場所が好きです。
 たぶん人にはいろいろな好みがあって、六本木ヒルズに住んで夜景を眺めるのが好きという人もいるでしょう。

 ぼくは街に行くとそれだけで疲れちゃうんです。
 人が多いのと人のリズムが速いのが苦手です。
 目の前にビルとか何かしらの建物が建っていて、視線が抜けていない感じも息苦しさを感じます。
 空が狭くしか見えないのも圧迫感があります。

 海辺に暮らし始めて、十数年が経とうとしていますが、それまでは東京に住んでいたのでした。
 基本はさっき書いたような気分だったので、イライラや抑鬱感は、今思い出せば相当なものだったと思います。
 そのウサを晴らすように、毎週末、というか具体的にいうと金曜日の夜から、海遊び道具を車に積んで、伊豆や房総、伊豆七島などへ通っていました。戻ってくるのは日曜の夜か月曜の朝。月曜の早朝に自宅に荷物を置いて、シャワーを浴びて、スーツに着替えていたのを思い出します。

 海、潮風、陽射し、広い視界、自然との近い距離、ゆるい空気、人々のリズム、どれをとっても今の暮らしの方が、ぼくの好みです。気持ちが安らぎますし、毎日その空気の中にいることに意味があります。

 職場は残念ながら街にあるところに通っています。
 本当は、職も自然が多い、家に近いところで得たいのですが、なかなか思ったとおりにはいきません。

 うまい喩えではないかもしれませんが、ぼくは肩こりでして、年に何回かは鍼灸・整体に行って肩こりをほぐしてもらうんです。でも本当は肩こりをしない暮らしをするのがベストなはずです。
 自然に近いところで暮らすのも同じようなものかもしれません。街に住んでいると、知らず知らずのうちにココロに澱のようなものがこびりついていくような気がします。それをレジャーでウサを晴らすのですが、毎日、澱が溜まるような無理をしていることは間違いないわけです。

 よく知り合いに訊かれるんですが、都心に住んで、海辺に別荘を持って、週末はそこで暮らした方が、肉体的にも時間的にもいいんじゃない? と…
 それははっきりと違います。
 毎日海のそばで起きて、その空気を吸って、一旦は出かけますけど、またそこに戻ってくるというのが、すごく大切です。

 先ほどの喩えでいうと、肩こりがひどくなる前に毎日ストレッチして、その都度リセットするのに似ています。

 置いている軸足の位置が基本的に違うということは、表面的には大差がないようですが、気がつかないだけで、それはさまざまなところに現れてくる、ということは一般的によく経験することです。

 さて、もしこれを読んでいる方に、ぼくと同じような状況の方がいたとして、本当は海辺に引っ越したいんだけど、仕事が…家族が…と迷っている方がいるようでしたら、同情します。
 できる範囲で自分の望む生活に近づけていくなんてことでどうでしょうか?

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