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海とココロ

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 断捨離という言葉が流行りました。それに関するやましたひでこさんの本を読みましたが、高野山に行った時の体験やヨガ道場での経験が元になっているようですね。
 やましたひでこさんはものを捨てることによって、心が軽くなるという主旨のことを書いていました。

 そうですね。そういう面は確かにあるかもしれません。
 ただ、ぼくはもう少し直接的にココロの断捨離をします。

 ものだけでなくて、ぼくのココロには余計なものが、たくさんまとわり付いています。世間体だとかプライドだとか将来への不安だとかいろいろです。

 海に行ってボーっとすると、少しはそういう余計なものが洗い流される気がします。
 それは自分で気持ちの奥の方に入っていって、考え方を見直してみることによってなされます。自分のココロの奥の方を手探りでうろつく感じです。そういうことをすることで、自分の考え方の癖や余計な部分に気づき、それを軌道修正します。
 つうか、もう中年だし、余生もそれほど長くないんだから、めんどくさいから今のままでいいや、っていう考え方もあります。
 でも、そんなこといっていると、ぼくとしての進歩はそこで止まってしまうわけで、人間的な問題は全然改善されないままっていうことになります。自分も納得いかないですし、周囲の人にも迷惑をかけ続けることになるかもしれません。
 って、話しが横道にそれましたが、ぼくにとって海とはココロの断捨離をする場です。
 海がココロの奥への階段を降りていく媒介になってくれます。

 もう少し詳しくいいましょう。
 ぼくが海にいる時というのは、自分の中の階段を降りていく時間です。ボーッとしているようですが、でも頭は勝手に動いていて、それは内側へ向かっていきます。
 それは最終的には、ずーっとぼくが変えられないでいた一般的に「弱さ」と呼ばれる部分に突き当たります。
 ぼくはその「弱さ」のまわりを何度か回るわけですが、その中に入っていけません。なぜそれがあるのか、どうしてあるようになったのかは、なんとなく推測がつきます。
 でも、その「弱さ」をどうしようもない、というところでいつも海から上がります。

 その時間、その行為から何が得られるのかは、実はわかりません。
 だた、自分の考え方を自覚したり、弱さを自覚して、多少なりとも改めようとは思います。

 海から離れることで、ぼくはココロの奥へ降りる階段の扉を閉じて、日常のぼくに課せられた役割を演じることを意識的に行います。
 スイッチを入れるように「自分らしく振る舞おう」とします。
 なぜそうするかというと、他人から思われる自分像「元気で、強く、しっかりしていて、冷静」が好きだからです。その役を演じることによって、ぼくの生活は世間一般の基準でいうところの「うまくいく」状態になり、周りの人に迷惑をかけません。

 海に行くたびに必ずそういう「重い」ことをしているわけではありませんが、海に長くいると、たいていそうなります。
 それがいいことか悪いことがはわかりません。


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