海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ボッーとするのが好きです
価値観・そのときしかない時間・一度しかない時間
今までの自分を思い出してみると「寄り道」ばかりしていたなーと思います。
こうと決めた目標に向かってひたすら頑張るということってなくて、その時自分がしたいことをフラフラやっていました。
一流企業のサラリーマンやキャリア官僚の人や金持ちを目指す成り上がり志向の人からすれば、「ダメなヤツ」てなことになるんでしょうなー、ハッハッハッ。
でも今振り返ってみると、その時々で自分の興味のあることをやってきたのはよかったなーと思えます。
やっぱり年齢ごとに興味のあることって移り変わっていくことが多々あるでしょうし、その時にしかやれないことっていうのもあると思います。
それをそのまま正直にやってきたし、これからもそうしたいなと思います。
人によって価値観はそれぞれですし、それはそれでいいと思うんですが、ぼくにとっては、そのときの時間が一番大切です。
そんな価値観になったのは、やはりウォータースポーツをやってきたからかなーと思います。
というのも、海に出られる日というのは、そのときの海況に左右されますし、仮に出られたとして、同じ状況の日というのは1日もないんですね。そして、すごく気持ちのいい日とそうでない日というのもあります。
ぼくは20数年ウォータースポーツをやっていますが、「今日はすごく気持ちのいい日だな」といのは20~30回くらいだと思います。仮にぼくがあと20年元気に生きられても、すごく気持ちいい日に巡り会うのはその程度の回数なんだと思うんです。
そういうことを考えていると、そのときの時間は一番大切。その日、その時間を逃すと2度と取り戻せないです。いくらお金があっても。
ちょっと時間ができたら海へ
海辺に住んでいるからといって、いつも海に出ているかというと、そうでもないのです。たとえば海が荒れてどんな海遊びもできない日がありますし、いろいろな用事で海に出られないこともあります。
そんな時でも時間を見つけてビーチまで行くようにしています。たとえ30分くらいでも…
ジョギングだったり、散歩だったりいろいろですが…
ビーチに出て海を見て、潮風に吹かれるだけで、ずいぶん気分がスッキリします。この効果は驚くほどです。
休日でも、昼間に用事があって夕方には時間ができるというようなパターンの日がたまにあります。
そんな日にぼくがよくやるのは、海にビールを持っていって、ビーチで飲むということ。
ちょうど夕暮れの時間、太陽の色が赤味を増しています。それが水面に反射して、海に赤い道ができているように見えることがあります。午後のオンショアの風は夕方にはたいてい強くなって、潮風を運んできます。
そんな景色を眺めながらビールを飲みます。
潮風に吹かれながらビールを飲むのは、すごく気持ちいいものです。って書いてしまうとありきたりですが、それはかなり気持ちがいいのです。もちろんビール自体もうまいのですが、潮風の中で飲むという行為に爽快感があります。
ぼくの友達はビールじゃなくて、冷えた白ワインを持って行くという人もいます。確かにそれもうまそうです。海辺で酒を飲むというのは、けっこうみんなやっているんですね。
気持ちのいい日は仕事をサボって海に行こうの会を発足したらどうかな?
海辺で遊んでいて気持ちのいい季節というのがあります。初夏と秋はテッパンです。
んで、じゃあ夏とか冬は気持ちよくないのか?というとそうでもなくて、初夏と秋は絶対に気持ちいいのか?というとそうでもないわけですね。
で、何が違うのかなーって前から考えてたんですけど、陽射しと風と気温の要素が大きいんじゃないかと…
どんより曇っているよりもやっぱり晴れてたほうが気持ちいいんですが、暑すぎるともちろんツライわけです。
あと風ですね風。潮風もいろいろあって、湿ってる潮風と乾いている潮風があります。こりゃやっぱり乾いている潮風の方が気持ちいいわけですね。
ぼくの場合、相模湾に面したところに住んでいるんで、冬以外の季節だと、高気圧が本州から北の方にあって、低気圧が八丈島あたりにあると乾いた北風が吹いて来るわけですね。すごく限定的な例を挙げましたが、要は北高南低の気圧配置で、高気圧が強めだとまあまあ似たような状態になります。で、このケースだと真夏でも気持ちいいです。
ただこのケース、冬に来ると寒くて強い北風で、いわゆるからっ風というヤツでんな。これは結構キツいです。暖かいお部屋でヌクヌクノンビリシアワセシアワセという状態が恋しくなります。
えーと、何の話だっけな。
そう気持ちいい状況なんですが、湿った風が絶対イヤ、もうイヤ、ムリムリかっていうと、そうでもなくて真夏で一番イヤなのは、まったく無風の時ですね。あんまりないけど…
空気が動かない暑さというのが、どれほど不快かというのを思い知らされます。
で、気温ですが、ヒトというのはなんともワガママなもので15度だと寒いっていうし、30度だと暑いっていうしで、快適なのは25度くらいですけど、ぼくの場合、これまでのジンセイで寒いよりは暑い方がまだまし、という価値観を持ち続けているので、暑くても風が吹いててくれれば、日陰に逃げ込んで昼寝しちゃうもんねという必殺技を繰り出すので大丈夫です。
よく暑い国の人が昼寝しますが、あれはもうたいへんごもっともなことだと思うのですね。
というわけで、以上の組み合わせで、非常に気持ちいいAAAクラスの天気の日というのは、1年に10回あるかなー?という感じだと思うので、そういう日は会社をサボって海に行こう!という会を発足する準備委員会を企画中です。です。
海辺で飲むビールも、波と潮風の様子で味が違いますなあ
ダイビングやスノーケリングやシーカヤックをして、その後ビーチでノンビリしながら、ビールを飲むのは海辺の幸せのひとつです。
って、似たような文章を以前にいくつも書いてますが…
「真夏・海・デッキ・潮風・ビール・音楽」
「やっぱり海とビールでしょ」
「この季節、朝と晩が気持ちいいですね」
「海辺のキャンプ」
「休日は海でグタグタなオジサン」
で、ぼくの場合、チェアとテーブルを出して、ビールを飲みながら、うたた寝などするんですが、波や潮風によって心地よさが違うんだなって、気がつきました。
穏やかな波のときは、当然だけど波音も小さめで、そういうときはたいてい風も微風だったりして、全体にまったりムードなわけです。それはそれで平和な海辺の一日的な情景でとてもよろしいわけです。
一方で、うねりや大きな波が入ってきている時は、波音も「ザッパーン」みたいな感じで、そういう時は風も強かったりして、しかも夏の午後だもんだから、たいていオンショアの湿気混じりの潮風だったりするわけです。そういう日が心地悪いかというと、ぼく的にはそういう日の方が好きなんです。
ちょっと荒々しいくらいの海を見ていると、自分の中の「男」が目覚めるといいますか、「いっちょやったるで」といった気分になるのでございますよ。
強い潮風に吹かれながら海を眺めていると、なんともいえない切ない気持ちになります。
なんでかなーと考えてみたんですが…
これも経験的な決めつけですが、夏の終わりほど、波が高くなり、西風が多くなる関係で、オンショアの強い日(ぼくの家のそばのビーチは西向きに開いているので…)が多くなるような記憶があります。
で、波が大きく、潮風が強い日は夏の終わりの記憶と結びついていて、それが切ない気持ちにひっついていると、まあこんな心理なのかなーと思った次第です。
「だからなんなんだ結論を述べよ」といわれても困るんですが、以上をもちまして、新郎新婦への祝福のご挨拶に代えさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。
真夏・海・デッキ・潮風・ビール・音楽
いやー、暑いですね。
まあ暑いのはしょーがないから、エアコンの効いた部屋でアイスレモンティでもいただこうかしら、なんてことは全然なくて、炎天下の中、海に出るわけですね、ぼくの場合。
熱中症にならないように気をつけてはいます。
たとえばそうですねー、水分はたいてい2Lは持つようにして、たえず水分補給してます。暑くなったら、海に飛び込むと… それからなにしてたかなー、飴をなめますね。あと帽子をかぶります。
でも、若い頃には、スキューバーダイビングでタンクなど総計40kgくらいの荷物を背負って、ゴロタの浜を何十分も歩いて、ダイビングして、上がったら、日影のない炎天下で休憩して、また潜って、みたいなことをしていたので、余程のことでなければ、今でも大丈夫です。
真夏のど真ん中でも、エアコンの効いた部屋に1日中いるとなんかダルくなるので、基本、海に出て、汗をダラダラかきます。そっちの方が気持ちいい実感があります。
真夏の過ごし方は、朝から海に出て、暑くなったら海に入って、寒くなったら上がって、てなことを繰り返しつつ、潮風に吹かれて、夕方になったら、風呂に入って、デッキで汗がひくのを待ちつつ、海を眺めながらビールを飲む、これです。
運動と風呂上がりのほどよい疲れ、そこに流し込むビール、潮の匂いのする風、ステレオからは好きな音楽。
まったく小市民的ですが、これこそがぼくの夏の楽しみです。
海辺への移住で、暮らしの原点に戻ってみたりして…
ぼくも、一応、社会人をしてまして、まあ、たぶん、普通程度には忙しいんだろうと思うんです。
仕事のストレスだってないわけじゃないんです。たぶん。(お気楽&アバウトな正確なので、たぶん普通の人よりは少ないと思いますけど)
やっぱり仕事が忙しいので、若い頃はなるべく職場に近いところに住んでいました。そうすると気が付いたことがあるんですね。
職場にいる時間が長くなればなるほど忙しくなるっつーことに…
多くの方が経験されていると思いますが、仕事はやればやるほど増えていきます。
で、そんな若い頃は、週末ごとに海に遊びに行ってストレス解消をしていたんですが、ある時「このままだとやばいな」と感じたんですねー。
何がやばいか、うまくいえないんですが、なんだかいつもイライラ、セカセカしていました。
限りなく増える仕事。プレッシャー。仕事をすればすれほど周囲は認めてくれるけれど、それに伴って求められる仕事の質も量も上がっていくわけです。人ってそんなものです。
無駄なことはできる限り効率的にやって、できた余裕はどこへいくかというと、さらに上乗せされる仕事にまわるっていう感じで、疲れてもいたし、キリがない感じもありました。
で、終電まで仕事をやる日々でした。
「これってオレが望んでいた暮らしなのか…」
それである時思ったんですね。「職場から離れた海辺に住もう」と。
海のそばで暮らしたいというのは、海好きの人にとっては、当然の希望ですよね。ただ、みんないろいろなしがらみがあって、なかなか実現できないわけですよ。
たとえば、通勤時間、子供の転校、家族や親の友人関係や近所付合い、その他にもいろいろあるでしょうね。たぶん。
人によっては通勤時間が長い場所に転居するというのは、その会社での出世は諦めたという意味にとられてしまうこともあると思います。
正直なところ、そういった細かいことを考えたら職場から離れた海辺に住むなんてとてもできないですね。
まあ、それを思い切ってやるかどうか、ですね。
そんなこんなで海辺に住むことにしたんですが、海辺で暮らすようになって一番いいのは、毎日家に帰ってくると気分が切り替わることですね。
会社であったイヤなことや過密なスケジュールでバタバタしていたリズムも、電車から降りて、海を眺めると切り変わるんです。町の空気や雰囲気がユルくて、なんとなく身体の力が抜けていくんですね。ワサワサした感じがヌターってゆっくりになります。
潮の匂い、海辺特有の湿った風、遠くの山々、東京よりもきれいに見える星。
そんな環境に身を置いて海を眺めていると、自分が気に病んでいる細かいことが、まったく取るに足らないことに思えてきます。
「生きるために必要でないことはどうでもいい」っていう、そういう土台というか基本の考え方に立ち返ることができるんです。
自分が大切だと思って気に病んでいることが、文字通り「気のせい」だということに気づかされます。
世の中のことはたいてい何とかなるし、何とかならないと思っているのは、自分の思いこみだったりします。
じいちゃんがいっていた口癖に「地面の上で起きたことは地面の上でなんとかなる」というのがあるんですが、若い頃はそれの意味がぜんぜんわかりませんでした。
最近それは「世の中のことはたいていなんとかなる」という意味なのかなー?と思うようになりました。
もうちょっとわかりやすく教えてくれてもよかったんじゃないか、じいちゃん…と思ったりして…
さてそんな感じで、以前よりは多少ノンビリした海辺生活を送っているわけですが、本当は、もっと田舎の無人島とか人口100人以下の海辺の町に住んでみたいなあ-と思っております。
なんとか実現したいですね。
ところでぼくは、毎朝、仕事前にビーチを散歩します。
目の前の海は、おそらく何万年もの間、今あるのと同じような状態で存在し続けてきたでしょうし、これからも存在し続けるでしょう。
自分の存在なんて、砂粒のようなものです。
こう考えてみると、海辺に住むということは、けっこう人生の根本的な事柄に繋がっているような気がします。
海辺の暮らしは自由への入口かも…
海のよさというのは、比較的ルールが少ないことです。もちろん海辺でもルールはあって、バーベキュー禁止、キャンプ禁止、密漁禁止、駐車禁止という具合ですが、少しノンビリしたところに行けばユルい空気が流れています。
そういう雰囲気が好きで海辺に住むようになりました。
一度ルールの少ない状況で暮らしてしまうと、そうじゃない環境がすごく窮屈に感じてしまいます。
たとえば都会だと大人が短パン・ビーサンでいると少し変な感じですし、上半身裸で一般道を歩くとやっぱりマズいし、家や車の鍵はロックしないといけないですし、信号がやたらあるし、制限速度で車を走らせていると煽られるし、大声だすと変な目で見られるし、立ちション・野糞はできないし…ってキリがないですが、とにかく生活の細かいことにいろいろ気を遣わなくちゃいけなくて、それが窮屈に感じるんだと思います。
で、海辺の比較的ルールの少ない生活を経験してしまうと、それまで当たり前だと思っていた、モロモロの束縛に気づくことになります。「ああ、あれは束縛だったんだ」と。
それから別の面でのルールや束縛もあります。
ぼくの友人は都内の住宅地に住んでいますが、周りはいわゆるサラリーマンばかり。いい歳した男はスーツを着て働きに行くのが当然という雰囲気なんだそうです。で、友人は昔は自由なアウトドア人でしたが、だんだん企業的なちゃんとした人になってしまいました。
これは極端な例ですが、日々暮らしていると、家族や仕事などなど、知らず知らずのうちにしがらみにとらわれてしまって、自分の枠の中にはまってしまいます。
それも自分が作った枠なんですよね。
ミスチルの歌みたいですが、その中でどうしてもやっぱりもがくというか、枠から出てみようとするわけです。
枠からでなくてもいい、オレはオレだみたいな人もいますが、それっていわゆる頑固ジジイです。
べつに頑固ジジイでもいいんですけど…
少なくとも自分は、漂うように、流れるように、気ままに、好きなように、って、えらい漠然としてますが、暮らしたいなあ、と思っています。
最近忘れかけてましたが、ぼくらは自由主義の社会に住んでいて、一定の条件のもとに基本的に自由なのでした。そう自由なんですね。
どうにか生きていけるさ
あのー、そのー、なんちゅうか、ぼくの住んでいる周りの人の中には何をして食べているのか分からない人が、結構います。
たとえばちょっと海の家をやってみたり、サーフショップをやっているんだけどほとんどお客さんが来ていなかったり、カフェをやっていたかと思うと1年くらい海外旅行にいっちゃったり、というような具合です。
で、独り者もいますが、結婚している人もいますし、子供がいる人もいます。
どうやって暮らしているんだろうと思うんですが、なんとかなっているんですね。
まあ、奥さんが一生懸命働いているというパターンもありますけど…
そういうのって全然普通になってきているような気がします。自分の好きなことをやって、とりあえず食べていく、死なない程度に食べていける。それでいいんじゃないかと…
メディアからは就活がたいへんだとか、就活うつとか、就活で失敗したから自殺したというニュースが流れてきます。リストラとかそういうニュースも流れてきます。
個別にはいろいろ事情があるんでしょうけど、そういうのって本末転倒というか、別に生きていればなんとかなるよねって思うんですけど…
ぼくは甘いのかな?
今日はいい1日
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