海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
真夏・海・デッキ・潮風・ビール・音楽
いやー、暑いですね。
まあ暑いのはしょーがないから、エアコンの効いた部屋でアイスレモンティでもいただこうかしら、なんてことは全然なくて、炎天下の中、海に出るわけですね、ぼくの場合。
熱中症にならないように気をつけてはいます。
たとえばそうですねー、水分はたいてい2Lは持つようにして、たえず水分補給してます。暑くなったら、海に飛び込むと… それからなにしてたかなー、飴をなめますね。あと帽子をかぶります。
でも、若い頃には、スキューバーダイビングでタンクなど総計40kgくらいの荷物を背負って、ゴロタの浜を何十分も歩いて、ダイビングして、上がったら、日影のない炎天下で休憩して、また潜って、みたいなことをしていたので、余程のことでなければ、今でも大丈夫です。
真夏のど真ん中でも、エアコンの効いた部屋に1日中いるとなんかダルくなるので、基本、海に出て、汗をダラダラかきます。そっちの方が気持ちいい実感があります。
真夏の過ごし方は、朝から海に出て、暑くなったら海に入って、寒くなったら上がって、てなことを繰り返しつつ、潮風に吹かれて、夕方になったら、風呂に入って、デッキで汗がひくのを待ちつつ、海を眺めながらビールを飲む、これです。
運動と風呂上がりのほどよい疲れ、そこに流し込むビール、潮の匂いのする風、ステレオからは好きな音楽。
まったく小市民的ですが、これこそがぼくの夏の楽しみです。
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海辺への移住で、暮らしの原点に戻ってみたりして…
ぼくも、一応、社会人をしてまして、まあ、たぶん、普通程度には忙しいんだろうと思うんです。
仕事のストレスだってないわけじゃないんです。たぶん。(お気楽&アバウトな正確なので、たぶん普通の人よりは少ないと思いますけど)
やっぱり仕事が忙しいので、若い頃はなるべく職場に近いところに住んでいました。そうすると気が付いたことがあるんですね。
職場にいる時間が長くなればなるほど忙しくなるっつーことに…
多くの方が経験されていると思いますが、仕事はやればやるほど増えていきます。
で、そんな若い頃は、週末ごとに海に遊びに行ってストレス解消をしていたんですが、ある時「このままだとやばいな」と感じたんですねー。
何がやばいか、うまくいえないんですが、なんだかいつもイライラ、セカセカしていました。
限りなく増える仕事。プレッシャー。仕事をすればすれほど周囲は認めてくれるけれど、それに伴って求められる仕事の質も量も上がっていくわけです。人ってそんなものです。
無駄なことはできる限り効率的にやって、できた余裕はどこへいくかというと、さらに上乗せされる仕事にまわるっていう感じで、疲れてもいたし、キリがない感じもありました。
で、終電まで仕事をやる日々でした。
「これってオレが望んでいた暮らしなのか…」
それである時思ったんですね。「職場から離れた海辺に住もう」と。
海のそばで暮らしたいというのは、海好きの人にとっては、当然の希望ですよね。ただ、みんないろいろなしがらみがあって、なかなか実現できないわけですよ。
たとえば、通勤時間、子供の転校、家族や親の友人関係や近所付合い、その他にもいろいろあるでしょうね。たぶん。
人によっては通勤時間が長い場所に転居するというのは、その会社での出世は諦めたという意味にとられてしまうこともあると思います。
正直なところ、そういった細かいことを考えたら職場から離れた海辺に住むなんてとてもできないですね。
まあ、それを思い切ってやるかどうか、ですね。
そんなこんなで海辺に住むことにしたんですが、海辺で暮らすようになって一番いいのは、毎日家に帰ってくると気分が切り替わることですね。
会社であったイヤなことや過密なスケジュールでバタバタしていたリズムも、電車から降りて、海を眺めると切り変わるんです。町の空気や雰囲気がユルくて、なんとなく身体の力が抜けていくんですね。ワサワサした感じがヌターってゆっくりになります。
潮の匂い、海辺特有の湿った風、遠くの山々、東京よりもきれいに見える星。
そんな環境に身を置いて海を眺めていると、自分が気に病んでいる細かいことが、まったく取るに足らないことに思えてきます。
「生きるために必要でないことはどうでもいい」っていう、そういう土台というか基本の考え方に立ち返ることができるんです。
自分が大切だと思って気に病んでいることが、文字通り「気のせい」だということに気づかされます。
世の中のことはたいてい何とかなるし、何とかならないと思っているのは、自分の思いこみだったりします。
じいちゃんがいっていた口癖に「地面の上で起きたことは地面の上でなんとかなる」というのがあるんですが、若い頃はそれの意味がぜんぜんわかりませんでした。
最近それは「世の中のことはたいていなんとかなる」という意味なのかなー?と思うようになりました。
もうちょっとわかりやすく教えてくれてもよかったんじゃないか、じいちゃん…と思ったりして…
さてそんな感じで、以前よりは多少ノンビリした海辺生活を送っているわけですが、本当は、もっと田舎の無人島とか人口100人以下の海辺の町に住んでみたいなあ-と思っております。
なんとか実現したいですね。
ところでぼくは、毎朝、仕事前にビーチを散歩します。
目の前の海は、おそらく何万年もの間、今あるのと同じような状態で存在し続けてきたでしょうし、これからも存在し続けるでしょう。
自分の存在なんて、砂粒のようなものです。
こう考えてみると、海辺に住むということは、けっこう人生の根本的な事柄に繋がっているような気がします。
海辺の暮らしは自由への入口かも…
海のよさというのは、比較的ルールが少ないことです。もちろん海辺でもルールはあって、バーベキュー禁止、キャンプ禁止、密漁禁止、駐車禁止という具合ですが、少しノンビリしたところに行けばユルい空気が流れています。
そういう雰囲気が好きで海辺に住むようになりました。
一度ルールの少ない状況で暮らしてしまうと、そうじゃない環境がすごく窮屈に感じてしまいます。
たとえば都会だと大人が短パン・ビーサンでいると少し変な感じですし、上半身裸で一般道を歩くとやっぱりマズいし、家や車の鍵はロックしないといけないですし、信号がやたらあるし、制限速度で車を走らせていると煽られるし、大声だすと変な目で見られるし、立ちション・野糞はできないし…ってキリがないですが、とにかく生活の細かいことにいろいろ気を遣わなくちゃいけなくて、それが窮屈に感じるんだと思います。
で、海辺の比較的ルールの少ない生活を経験してしまうと、それまで当たり前だと思っていた、モロモロの束縛に気づくことになります。「ああ、あれは束縛だったんだ」と。
それから別の面でのルールや束縛もあります。
ぼくの友人は都内の住宅地に住んでいますが、周りはいわゆるサラリーマンばかり。いい歳した男はスーツを着て働きに行くのが当然という雰囲気なんだそうです。で、友人は昔は自由なアウトドア人でしたが、だんだん企業的なちゃんとした人になってしまいました。
これは極端な例ですが、日々暮らしていると、家族や仕事などなど、知らず知らずのうちにしがらみにとらわれてしまって、自分の枠の中にはまってしまいます。
それも自分が作った枠なんですよね。
ミスチルの歌みたいですが、その中でどうしてもやっぱりもがくというか、枠から出てみようとするわけです。
枠からでなくてもいい、オレはオレだみたいな人もいますが、それっていわゆる頑固ジジイです。
べつに頑固ジジイでもいいんですけど…
少なくとも自分は、漂うように、流れるように、気ままに、好きなように、って、えらい漠然としてますが、暮らしたいなあ、と思っています。
最近忘れかけてましたが、ぼくらは自由主義の社会に住んでいて、一定の条件のもとに基本的に自由なのでした。そう自由なんですね。
どうにか生きていけるさ
あのー、そのー、なんちゅうか、ぼくの住んでいる周りの人の中には何をして食べているのか分からない人が、結構います。
たとえばちょっと海の家をやってみたり、サーフショップをやっているんだけどほとんどお客さんが来ていなかったり、カフェをやっていたかと思うと1年くらい海外旅行にいっちゃったり、というような具合です。
で、独り者もいますが、結婚している人もいますし、子供がいる人もいます。
どうやって暮らしているんだろうと思うんですが、なんとかなっているんですね。
まあ、奥さんが一生懸命働いているというパターンもありますけど…
そういうのって全然普通になってきているような気がします。自分の好きなことをやって、とりあえず食べていく、死なない程度に食べていける。それでいいんじゃないかと…
メディアからは就活がたいへんだとか、就活うつとか、就活で失敗したから自殺したというニュースが流れてきます。リストラとかそういうニュースも流れてきます。
個別にはいろいろ事情があるんでしょうけど、そういうのって本末転倒というか、別に生きていればなんとかなるよねって思うんですけど…
ぼくは甘いのかな?
今日はいい1日
海辺でボーッとする
ボーッとすることってありますか?
電車の中なんてわりとボーッとすることが多い状況なんじゃないかな?と思います。
ぼくは普段は(平日は)ほとんどボーッとしないんです。(ぼくを知っている人からすると意外らしいです。「いつもボーッとしてんじゃん」といわれます。うーん)
本を読むとか、何かしらやっています。
だけどビーチではボーッとしています。
ビーチで、フォールディングチェアに座りながら、海を眺めていると、半日や1日くらいあっという間にたってしまいます。
その間に身体の芯がほぐれてきて、頭のネジが緩くなる感じがします。うまくいえないんですが身体全体のコリが抜けていくというんでしょうか?(周囲の人はもともとコッてないんじゃないのかっていいます。うーむ)
そしていろいろなことを考えます。これまであったことも考えますし、これから先のことも考えます。家族のことや自分の海遊びでやりたいこと、仕事のことなんかも考えます。
気持ちの奥の方に沈んでいた気にかかっていたことが、ボコッ、ボコッって泡のように浮かんでくる感じです。
そういうのをメモするわけでもなく、ただ放っておくんですが、そうすると気持ちがスッキリします。
なんかが抜けていったんでしょうか。
ぼくにとってはそんなon the beachな時間はとても貴重なものです。
この季節、朝と晩が気持ちいいですね
夏らしい季節になってきやがりましたね。海辺に住んでいると真夏のど真ん中というのは、ベストシーズンではないとぼくは思っています。特に歳をとったせいもあるでしょうけど。
やっぱり暑すぎる!ちゅうことですね。
海辺のベストシーズンは春から初夏と秋です。
ただ、暑い夏にも楽しみがありまして、それは朝と晩です。
海辺の朝というのは意外に涼しいものです。
そんな中、ビーチを散歩するのが楽しみです。
我が家は朝型でして、相方とぼくは4時半には起きてます。(都会の人にこの話をするとびっくりされますけど、うちの近所ではそのくらいの時間に起きている人がわりといます)そんで、数十分ですが、ビーチを散歩します。
この散歩つうのが今の季節すごく気持ちいいんですね。
まだ真新しいビーチを端から端まで歩くと…
潮風、陽の光、雲の様子、山の緑、海の青、そんなのが五感にいっぺんに飛び込んできて、ばっちり目が覚めます。
さて晩です。
晩も、風があると意外と涼しいです。我が家はエアコンは使いません。扇風機です。エアコンは都会からお客さんが来て、ツラそうにしている時にしか使いません。
家族がエアコンの風が嫌いというのもあります。
汗をかいて、その都度着替えた方が気持ちいいということもあります。
経験的にエアコンの効いた部屋にずっといると身体がダルくなります。そうじゃなくて汗をかきかき、ジャスミン茶なんかをこまめに飲みながら、汗をかいたほうが疲れにくいと、海辺暮らしの中年男性100名にアンケートをとった結果、そういう感じになりましたとさ。
暑い日中に、海遊びで思いっきり汗を流して、風呂に入ってさっぱりした後に、涼しい海風に吹かれながらビールをゴクゴク、ングング空けるというのが、夏の晩の楽しみです。
虫の声、波の音、潮風、そんな中でボーッとしていると、すごく贅沢に時間を使っている感じがします。
黄昏どきの海
日中、海でさんざん遊んで、ちょいと疲れて砂浜でボーッと海を眺めていたりします。
自分の感覚では、ほんの短い間のように思っていますが、気がつくと結構時間が経っていたりします。
さっきまで高かった太陽が、伊豆半島の山々に隠れてしまいそうになっています。
山の輪郭が黒くなって、その周りの空がワインのような色になっています。
ほんの数分で、空の色はもっと濃くなり、黒に近づいていきます。山の輪郭も以前ほどはっきりしません。
「あー、あのあたりが万三郎かな?いやいやもっと南だから、違う山かな?」なんてことを考えたりします。
刻々と変わる空の色、そしてそれと共に遠くの海との境界もあいまいになっていきます。見えるのは近くの波が崩れる白さだけです。
気がつくとあたりはかなり暗くなって、もうすっかり夜です。
そろそろ家に帰りましょう。
朝の散歩
ぼくは仕事に出かける前の早朝、ビーチを散歩するのが日課です。相方も一緒です。
冬の暗くて寒い日も散歩はするんですが、やはり今の時期からがだんぜん気持ちいいですね。
朝、散歩するようになったのはたまたまだったんですが、あまりに気持ちいいので日課になってしまいました。
それまでは遅くまで寝ていてバタバタと支度をして、全体に「バタバタ」「あたふた」的な慌ただしい朝だったんですが、早めに起きて散歩するとゆとりがあるんですね。
で、そのゆとりのある気持ちがその日全体に影響しているみたいです。
仕事をしている時もわりとゆとりをもって落ち着いていられるようになりました。
大きめのアクシデントが起きても取り乱すことが少なくなったような気がします。
これって精神衛生上すごいことだと自分では感じています。
カピバラのようにアクティブでない相方も最初は、散歩に出かけるぼくを、ダウンタウンの道路脇に転がっているゴミバケツを見るような目で見ていましたが、ぼくがあまりに気持ちよさそうにしているので、一緒に散歩するようになり、ついには日課になってしまいました。
というくらい気持ちがいいのです。
朝のビーチは空気がキレイな気がします。少しピーンと張っていて、空気も抜けていることが多いのです。ビーチは人影も少なくてノンビリしています。波の音と潮風と昇ってきたばかりの太陽の中、歩いているとなんだかすごく幸せです。
ボーッとする時間の大切さ
まあ多くの人は忙しい毎日を過ごしていらっしゃることでしょう。
かなり怠惰なぼくでも、町に出稼ぎに行っているせいか、なんだかんだと慌ただしい毎日です。
ぼくの場合、その慌ただしさを切り替えるスイッチが2つあります。
ひとつは毎日あるんですが、町から自分の家のある海辺へ帰る時です。この移動途中で自分の気持ちや行動のリズムが変わります。スイッチがオフになるみたいに…
もうひとつは週末にあります。
休みの日ですね。
金曜日の夜に帰宅すると暗い海辺を散歩します。波の音、灯台、遠くの街灯りなどを眺めながら歩いていると、かなりノンビリできます。ココロの芯の固まりがほぐれていく感じ。
そして家に帰って、風呂に入って、ビールを飲んで、完全海辺モードになります。
週末の休みは海で遊ぶ以外は、なるべく用事をしないようにしています。でもやっぱりコマゴマしたことはありますけど…
それで昼間はひたすら海でボーッとします。
家に帰ってもテレビは見ません。パソコンのスイッチもいれません。音楽を聴いて、本は読みます。
夜は間接照明にして、少し薄暗くします。
気候のいい頃は、デッキに出て空を眺めたり、潮騒を聴いたりしています。
これ、どうってことないですけど、やってみるとずいぶん気持ちが休まります。
テレビとかパソコンとかスマホが、いかに疲れるものかがわかります。その疲れ方がココロの奥の方が疲れていく感じ。それから解放されるのって、結構ラクです。
こうして週末に完全スローペースになることは、ぼくにとってはとても大切なことです。
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