海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
波に向かっていく快感
サーフィンをしていて楽しいのはもちろん波にうまく乗れたときなんですけど、もうひとつ楽しい状況があります。
それは大きめの波に向かってパドルアウトしていくときです。
あのワクワク感はなんなんでしょう?
もちろん怖いという思いもあります。
怖さをコントロールしながら大きな波に向かっていく自分ってすごいというナルシーな気持もあります。
小さなジェットコースターに乗っているような爽快感もあります。
圧倒的な自然の力を自分の体で受けとめている充実感もあります。
眼前に広がる大海原と、どんどん打ち寄せる波の風景が感動的ということもあります。
いろいろな気持ちがないまぜになってワクワク感や楽しさになっているんだと思います。
やっぱりやめられないですねえ。
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いい歳して、やっちゃいました
いやー、まいったまいった、まいりました。
サーフィンで足を捻挫しちゃいましたよ。
歩けるんで大したことないんですけどね。体重をかけると痛いんで早く歩けないしジョギングできない、のがもどかしいです。
あーあ、ヤラレましたね。
周りの人からは「いい歳して、もう少し身体のこと考えたら?」なんていわれちゃて…ハハ、確かに…
でもまあ別にいいや。そういうオジサンなんだオレは。
という感じで、周りの人にも諦めてもらおうと思っている秋の夜長なわけです。
ここのところ立て続けに台風や低気圧が来て、サーフィンにはいいコンディションです。最近はよほどいい波じゃないとサーフィンしなくて、シーカヤックかダイビングをやっちゃうんですけど、これだけいいコンディションだと、サーフィン楽しいですね。
暇があれば海に出て、何かしら遊んでるわけですが、そのときどきの海のコンディションに合わせて遊んでいると、それぞれの海の良さがわかっていいものです。
ベタなときもいいし、多少荒れているときもいいし…
いつまでも海で遊んでるオジサン→オジイサンを目指しましょうかね。
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あえて今のサーフィン状況に苦言を呈してみたいと思います
ぼくはサーフィンをかれこれ20年以上やっています。
やっぱり海が好きで、サーフィンならではの面白さが確かにありますから…ただ今回はちょっと苦言を呈することを書いてみたいと思います。
ぼくがサーフィンを始めた頃は、大きな流行が過ぎ去って、廃れて、ちょっとビンボー臭くてダサいとされていました。ウインドやスキューバーダイビングをする人はいてもサーフィンをする人は少なかったのです。
というわけで、ポイントも空いていましたし、サーフィンをしている人もだいたい顔なじみでした。
その後、芸能人がサーフィンをやっているとかいうあたりから、サーファーは増えました。ポイントも混み始めました。
基本的にサーフィンは好きですが、正直、湘南や外房や伊豆で乗るのは嫌いです。それは人が多すぎるから。
よく湘南あたりのサーファーが「サーフィンをやっていると本当の自分に戻れる」とか「地球のリズムと一体になっている感じがする」なんていってますが、あんなの嘘っぱちで、少なくとも湘南でのサーフィンは、小さな波に乗るために、狭いポイントに人がひしめいて、波の取りあいです。
たいして大きくもない波をセコセコ追いかけている、そんな感じのスポーツです。
見栄えのいい高価なボードを見せびらかして、なるべくボードにキズがつかないようにソーッと波に乗っているような人もいます。
たまに外房や茨城の人のいないところで乗ってますが、そうすると後からサーファーが来るんですね。
誰か入っていればいい波が来るんだろうということと、独りでゲレンデにいるのは流された時怖い、誰かいれば安心というのもあるんでしょう。サーファーもずいぶん弱っちくなったもんです。
セイリングやスキューバーダイビングやシーカヤックもやるぼくとしては、今の一部のサーファーの状況は、ファッション化してしまって、軟弱で、バカらしく感じます。
他のウォータースポーツは少なくともサーフィンよりは、自由で満足感が高いものです。よりナチュラルで、自然と向き合い、海遊びの楽しさを追求したものです。
つうか、遊びなんだから楽しむのが当たり前じゃん。
ぼくがサーフィンを始めた頃を懐かしんで、あえてオヤジサーファーとして、サーフィンの現状を嘆いてみました。チャンチャン。
サーファーの海難事故に関して思ったこと
年に何回かはサーファーの海難事故がニュースで流れます。
まあ、サーファーなんて危険を覚悟で海に出ていくわけですから、海で死ぬのは本望とさえいえますが、周囲に迷惑をかけてしまいます。
ときとしてサーファーの海難事故が、「荒れた海況の中、無謀に海に出て事故を起こした」というニュアンスで報道されることがあります。
サーファーの事故として多いのは、カレントに流される、テトラポッドや隠れ根にぶつかる、サーファー同士が衝突する、雷に打たれる、などなどだと思います。いずれも誰に起きてもおかしくないことです。
海難事故が起きると、海上保安庁や警察、消防はもちろん近所の漁協は捜索の協力をさせられます。山の遭難では費用が遺族に請求されますが、海の場合は、基本的にお金はかかりません。
それがシーマンシップと呼ばれるものです。
で、できる限り事故は起こして欲しくないわけで(当たり前ですね)、しかもサーファーが好む海況というのは波が高いときですから、普通の漁師さんなんかは海に出ない日なわけです。
「そんなプロでも海に出ない日に遊びのために海に出て事故を起こした」という論調になるんじゃないかな、と想像します。
日本の海は、地元の漁協が幅を利かせています。実質的に漁協と行政が一体となって管理しているといっていいと思います。
その日本の海で遊ぶにはいろいろしがらみがあって、たとえばスキューバーダイビングでは、ダイブサービスは漁協に協力費を払って、お互い持ちつ持たれつの関係になっています。ダイバーは組織化されていて管理されているということです。
同様の構造になっているのがクラブやマリーナに所属しているセイラーやボート乗りです。
さて、サーファーの話しに戻りますが、サーファーは管理されていません。自分達で勝手に海に入るわけです。自分達で勝手に海に入って、事故に遭うのは自業自得ですが、その捜索に無料で協力する漁協は正直おもしろくないでしょう。
おそらくサーファーの海難事故に批判的なニュアンスが含まれることがあるのは、そういった日本の海の状況が一因かもしれません。
もちろん釣り人やシーカヤッカーも管理されていませんので、事故ると似たような現象が見受けられます。
ウォータースポーツを含めてアウトドアスポーツは自己責任が原則です。自分で計画を立てて、海に入って、無事に戻ってこれるまでは一人前とはいえないでしょう。ウォータースポーツをやる人はそれを自覚する必要があると思います。
一方で、事故を起こすかもしれないから、なにもかもダメというのも、いかにも日本的過保護事なかれ主義で、おかしい。そんなこといったら極端な話し、家の中でジッとしているのが一番いいことになります。
両者がもっと大人になるべきだ、というのがぼくの意見です。
だいぶ定着してきましたね、SUP
最近海でよく見かけるのが、スタンドアップパドルサーフィンです。スタンドアップパドルとかSUP(サップと読むらしいです)とかパドルボードとかパドボーとか呼ばれています。
ロングボードよりも厚くて長く、でもウインドサーフィンよりも薄くて小さいボードに乗って、パドリングして、波に乗るというサーフィンです。
ずいぶん以前にハワイでやっている人を見たことがありますが、多くのウォータースポーツがそうであるように、アメリカ→日本、という昔ながらの図式が、ここでも成立しております。
ぼくはやったことがありませんが、ロングボードをやりますし、シーカヤックで波乗りをすることもありますから、雰囲気はわかります。
SUPというのは、パッと見た感じ中途半端な感じがします。
サーフィンでもない、カヤックでもない、かといって、セイリングの艤装の煩わしさを省いてサーフィンのダイナミックさを取り込んだウインドサーフィンのような面白さもなさそうです。
でもこのSUP、テイクオフの時のたいへんさがなくて(腹筋と背筋が弱くなっている人はテイクオフがツライ)、比較的小さな波でも乗れるというわけで、オジサンを中心に、波の小さい湘南あたりではかなり定着してきています。
ただ本当に波のある日は、ボードが大きいのでパドルアウトが難しいわけで、普通のサーフィンを(しかもショートで)楽しんだ方がいいですよね。
SUP状況がどうなるか、今後の様子を見たいものです。
自作リーシュコードを作ってみました
サーファーやボディボーダーには当たり前の道具に、リーシュコードがあります。ボードが流されないように、ヒモで足首(ボディボードの場合手首)とボードを結びつけるものです。
これは製品が売っていて、いろいろな工夫がされているのです。たとえばヒモの部分は、なんだかプラスチックっぽい、少し弾力のあるものでできています。
この製品にぼくは前から気に入らないことがあって、ヒモの部分が定期的に切れます。それからけっこう高いじゃないですか。
切れやすいというのは、結構な力がかかるので、しょうがないのかもしれませんが、1~2年しかもちません。
これはあんまりにも短いんでないの?と思うわけです。
ぼくはスキューバーダイビングやシーカヤックもやりますが、1~2年で壊れるような道具は見たことがありません。
で、腹がたったので、切れたリーシュコードのヒモの部分だけを切って、セイリングで使う太めのロープで代用したものを自作しました。(さすがにスイベルとベルクロの部分は、既製品を流用しました)
ボードの流れ止めとしての機能は十分果たしますが、問題もあることがわかりました。
ひとつはボードが流れた時、波の強い日だと、ロープを通じて足に伝わるショックが強いということですね。あのリーシュコードのプラスチックみたいなのは、ショックをやわらげる役割があったんだな、と実感しました。
もうひとつは、ロープが身体のどこかに巻き付いた時の危険性です。ワイプアウトした時にロープが腕とか首とかに巻き付いて、波でボードが引っ張られたら、これは結構危険ですね。そういう面でも例のリーシュコードのコシのあるプラスチックは身体に絡まりにくいんですね。
やっぱり売り物はよく考えてあります。
そういうリスクも踏まえて、「カウンターカルチャー的にサーフィンの原点を味わってやるぜ」という方は、ぜひ自作してみてください。
昔は木の板でサーフィンしてたんですから…
たまに、すごくきれいに塗装したボードに傷がついて、悔しがっている人を見かけますが、そういうのってどうなんだよ、と思うぼくです。そんなに大事なボードなら家に飾っとけ、と思う今日この頃です。
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バイクや自転車にサーフボードホルダー・サーフボードキャリア
先日、東京で暮らしている友人が我が家へ遊びに来ました。彼はまったくウォータースポーツをしない人です。
そんな彼が驚いていたのは、道で見かける原チャリやチャリにサーフボードを固定するホルダーがついていることです。最初は何がついているのか、何のために使う物なのかわからなかったそうです。
実際にそのホルダーにサーフボードがついた原チャリが走っているのを見て、やっと使い方がわかったそうです。
テレビで「フィリピン付近で台風が発生」とか「大型の低気圧が近づいてくる」というニュースを耳に挟むと、仲間同士、ケータイのメールで海の様子が飛び交います。もちろんケータイのサイトもあります。(波伝説リンク)いい波が立つとサーフボードをくくりつけた原チャリやチャリがやたら走り始めます。少しでもいい波のポイントへ移動するわけです。
サーファーというのは、年に何回かあるすごくいい波に巡り会うために、すごく頑張るんです。
ホルダーをつけた原チャリが走っているのを見ながら、仕事に出かける日というのは、なんともくやしいものです。
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