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タイダウンベルトってカーキャリアメーカー以外にもいろいろ出ているんですね。



 海の近くに住んでいますが、ときどき遠出をしてシーカヤックやスキューバーダイビングに行きます。
 シーカヤックの時には、カートップにキャリアをつけてシーカヤックを積むわけですが、固定するのにタイダウンベルトを使います。最近やっと気がついたんですが、タイダウンベルトによって作業が少しだけ楽になったり、タイダウンベルト自体の耐久性がずいぶん違うんですね。
 最近はあまりやりませんが、一時期はOPをカーキャリアに積んで遠出していたりもしました。
 で、シーカヤックにしろOPにしろをカーキャリアに積む工程は次のようになります。
 積む→タイダウンベルトで固定する→目的地に着く→タイダウンベルトをほどく→降ろす→遊び終わる→積む→タイダウンベルトで固定する→自宅に帰る→タイダウンベルトをほどく→降ろす
 こんなことを繰り返していると、だんだん面倒くさくなるのが人の心というものでしょう。しかも重さが30kgくらいあるものをキチンと固定しないともし外れたときに大事故になるので、タイダウンベルトの信頼性というのも大切です。
 以前ホームセンターで買った、荷物をまとめるためのベルトを使っていたんですが、1年も経たないうちにダメになってしまいました。確かに、潮水で濡れるし、強い太陽にさらされるし、結構長い距離を高速道路で走る風圧を受けるし、ベルトへの負荷は高い状況だと思います。
 それに懲りて値段の高いThule純正のカヤック用のタイダウンベルトを使ったら、耐久性もいいし、ベルトが適度にザラついていることによる摩擦でベルトが緩まないし、ベルトを固定するバックルの金属がカヤックを傷つけないようにカバーがついているし、ということで、その使い勝手のよさに驚いたのでした。
 今回、シーカヤックを2艇積む必要があって、あと2本タイダウンベルトが必要になったので、どうしようかなあとwebで調べていたら、よさそうなのがあったので買いました。
 これもシーカヤック用のメーカーから出ているもので、SEA TO SUMMITのBomber Tie Downsという製品です。まだ一度しか使っていないので耐久性はわかりませんが、バックルの保護カバーがついているのと、ベルトのしっかり感はThule並の使い勝手でした。SEA TO SUMMITの製品は他にも使ったことがあるので、品質についてそれほど心配はしていませんが…
 タイダウンベルトというのは、なんとなく自動車アクセサリーのジャンルに入るのかな?と思ってカーキャリアのメーカーばかり調べていましたが、ウォータースポーツのメーカーからも製品が出ているんですね。
 もしタイダウンベルトを買おうと迷っている方がいらっしゃいましたら、そういうメーカーのも調べてみるといいかもしれません。思いの外、使い勝手がいいものがあるかもしれません。
 余談ですが、海外のサイトで、カートップにシーカヤックを上げるための滑車がついた製品も見たことがあります。かなり大がかりな代物なので買おうなんて思いもしませんでしたけど…








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流行にのらない海遊び



 ぼくは学生時代をバブルとバブル崩壊で過ごしました。
 その頃、大学生であるぼくの周りの友人は、独り暮らしだけど車を持っていたり、株式投資をしていたりしました。大人も大人で、多くの人が、株式投資をしたり、投資用ワンルームマンション買ったりしていました。そこまでいかなくても、多くの人が疑問も持たず、1着数万とか数十万位する服を買って、ワンシーズンしか着ないみたいなことをやっていました。ユニクロのような服(当時はまだユニクロは普及していませんでしたけど…)を着ていると、周囲の人にバカにされました。
 機能を満たしたリーズナブルな服が普通に着られるようになった今は、昔に比べれば暮らしやすい気がします。特にぼくなどのような無頓着でお金がない人には、デフレの世の中は暮らしやすいです。いやーめでたしめでたし。
 あれっ?何を書こうとしてたんだっけ?
 こうした現象は経済を成り立たせるという面では、別に悪いことではなくて、むしろたくさんお金を使うことで経済が活性化するという面では良いことともいえます。その後ロスト・ディケイドを経験した今では、経済学的には、お金を使えば使うほど活性化するというのは、理論的に正しいようだなと思えます。
 ただ、人の暮らし方という面で考えると、無理があったり、ともすると気持ちが荒んでしまうという面もあったと思います。
 そんな時世の影響か、サーフィンを趣味としていた大学生であるぼくの周りにもバブルの影響がありました。お金がかかる遊びがいいこととされ、船をチャーターしての海上パーティーとか、豪華客船でのクルーズというのが流行っていました。お金がかかる遊びに人が集中するという面では、サーフィンは見向きもされず、ウインドサーフィンとかクルージングとかスキューバーダイビングに人が集まっていました。
 そのためスキューバーダイビングの講習費は跳ね上がって、ポピュラーな講習先である大島とか八丈島は宿や飛行機が予約できないという状況が起きていたのです。いずれCカードを取りたいと思っていたぼくとしては、バイトで貯めたお金では到底足りず、諦めかけていたのです。でもその後、バブルがはじけて、スキューバーダイビングの講習費は値下がりし、ぼくはスキューバーダイビングを始めることができたのです。いやーめでたしめでたし。
 ぼくは、高校から大学という、人として、もう少し踏み込んでいうと男として、多感で成長する時期に、そうした世の中の動きを見て過ごしたのです。
 そこから得た教訓を少し挙げますと…
お金は大切だけど、それは手段に過ぎない
経済に振りまわされてはいけない
流行っていることをやるとロクなことがない
時代は変わる 世の中は変わる 正しい基準も微妙に変わる
ということです。他にもいろいろなことを学びましたが、経済と自分の距離感に関係することとしては、だいたいそんなことを学んじゃいました。できればバブルの恩恵を受けて浮かれてから学びたかったのですが、ぼくはバブルブレーク世代なのです。
 先ほども書きましたが青年期の影響というのはその後の人生に大きな影響を与えるものかもしれません。
 その後ぼくは、多くの人がやろうとしていること、やっていること、つまり流行っていることを努めてやらないようになりました。妻いわく「少し意固地なんじゃない?」というくらいに…「普通は流行っているみたいだからちょっとやってみようかなって思うでしょ」…「それが違うんだよね」…「みんながやっているとやりやすくなったり、みんなと話が合ったりするじゃない」…「人と話を合わすためにやるわけじゃない」…以下いつものやりとりが繰り返される…、という感じで、バブルの影響は夫婦関係にも微妙な影響を及ぼしたりして、えらい迷惑なのでした。
 なぜ流行っているのをやらないのかというと、理由がふたつあって、ひとつは勘違いした人が入ってくるのでその場が荒れるということと、サービスが下がって価格が上がるからです。
 以下はぼくの想像ですが、おそらくメカニズムとしてはこういうことが起きたんではないかと思うのです。たとえば屋久島とか小笠原諸島が自然遺産に登録されて、観光客が増えたときがありました。そのときその2つの島の自然の貴重さを理解して訪れる人の割合は、おそらくそれまでよりも下がったと思うんです。自然遺産に登録されたからという理由で観光に来る人が増えたわけです。それによって現地の自然ガイドの人はわからない人に貴重な種のことについて話したりするわけですが、そこがちゃんと伝わらなくて虚しい思いをしたんじゃないかと思うのです。あるいは本来入っちゃいけないところに入っていったり、自然を粗雑に扱ったりして、自然を壊したりしたこともあったと思うのです。ざっくりいうと猫に小判、豚に真珠で、価値がわからない人に、貴重な自然を見せても無駄というわけです。
 ガイドの人だって価値を本当に理解してくれる人に説明した方がやりがいがあるんじゃないかなーと思うのです。
 それからやはりガイドひとりが受け持てる観光客の人数は上限があって、いくら頑張っても何百人も増やせないでしょう。そこに何千人単位で観光客が増えれば、予約は取りづらくなるでしょうし、価格も上がると思うのです。これもざっくりいうと、自然を対象にするようなサービスなんかでは特に、流行で千とか万単位で需要が増えたとき、受け皿はそんなにすぐに増やせないということです。
 観光客が増えて地域が経済的に潤うのはいいことですが、それは瞬間的なことでして、長期的にいいかどうかは、よくよく状況を調べてみたほうがいいでしょう。
 それにねー、だいたい人というのは、人で混雑するとイライラしたり焦ったりするものです。それに仕事が忙しくなれば、いくら好きな仕事でもやっぱり疲れたりイライラしたりするものです。そういうガイドさんに案内してもらうよりは、ゆとりを持って丁寧に案内してくれるガイドさんに着いた方がいいように思うのです。
 そんなわけで、ぼくの流行にのらない方針は、その後存分に発揮され、10年くらい前にサーフィンがまた流行り始めたら、ポイントが混んでうっとおしいのであまりやらなくなりました(すごく波があってポイントが空いているときは出ます)し、シーカヤックが少し流行り始めたら、その間控えていました(その後流行りが過ぎたので今はよくやります)。スキューバーダイビングもセイリングも流行が来ないので、悠々自適に楽しんでいます。
 そこには本当に潜りが好きな人や風などの自然を相手に頭を使いながら走るのが好きな人(ばかり?)がいます。そんな仲間と混雑していない環境で遊べるというのは、とても快適で楽しいのでした。




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あなたもブルー・メディテーションしてみませんか?




 グリーン・エクササイズにあやかってブルー・エクササイズをやりましょうといっているワタクシです。
 海辺の自然の中でからだを動かしたり、散歩したりすると気分もスッキリするし、身体を動かすと気持ちいいですよという趣旨です。
 ブルー・エクササイズの中には、いろいろなウォータースポーツがあり、ブルー・メディテーションがあります。構造的には以下のようになります。
ブルー・エクササイズ------ブルー・メディテーション
           |
           ---ウォータースポーツ------セイリング
                      |
                      ---などなど
 そんなわけで今回はブルー・メディテーションについて書いてみたいのです。
 みなさん瞑想ってしてますか?
 ヨガをされるかたは、セットで瞑想をしているかもしれません。
 禅の流行から、ビジネスパーソンでも瞑想を日常的にしている人がいるそうです。
 気持ちを落ち着け交感神経と副交感神経の働きのバランスをとるともいわれています。
 この瞑想を海辺でやるというのがブルー・メディテーションです。
 ブルー・メディテーションなんていうと、すごい形式張ったことのように聞こえますが、早い話、ぼくは日常的に瞑想するようにしていて、たまたまシーカヤックで誰もいない入江で休憩しているときに瞑想してみたら、すごくよかったというのが始まりです。
 会社みたいなところで仕事をしていると毎日ワサワサしているし、やらなきゃいけないことはたくさんあるし、ストレスみたいなのもありそうだし、そういう環境に影響されたせいか自分の気持ちがアップダウンしてしまうことが多かったんです。それであるとき鎌倉の建長寺の坐禅体験をしたらすごく気持ちがスッキリしたので、独学で瞑想するようになりました。瞑想する時間をとることで、忙しい毎日でも気持ちがスッキリして落ち着くことができるようになったんです。
 そういうことからぼくが日常的に瞑想する習慣ができまして、そういう習慣っておもしろいもので、ちょっと時間があると瞑想するようになるのです。だから海辺の入江でボーッとしているときにちょっと瞑想してみたということなのです。
 みなさんご想像のとおり、瞑想するのでも、海辺で、潮風を浴びながら、波の音に包まれながら、太陽の光を浴びながら、瞑想するとやっぱりなんとなく気持ちいいわけです。ですから、ぼくはウォータースポーツをやったり、海辺を散歩したりすると数分瞑想する習慣がつきました。
 これはなかなかいい習慣だと我ながら思うので、図々しくもみなさんにオススメさせていただいているわけです。
 さあ、あなたも今日からレッツ!ブルー・メディテーション!ビバ!ビバ!ということがいいたいのです。






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海は広いし大きいし自由だし



 青い海、遠くまで広がる水平線、それと接する空、見渡す限りの海、ありきたりな表現ですが、そんな風景が好きです。
 早朝散歩しながら、休日海遊びしながら、そんな風景を飽きもせず眺めています。
 これもありきたりな表現ですが、でっかい海を見ていると、日常生活のイヤなことや悩みってどうでもよくなるんです。すべてはとるに足らない小さなことで、何十年、何百年もすれば跡形もなく、誰も知ることもなくなってしまうと思うと、それに思考を割いている自分がバカバカしくなります。
 っていうか、もともとかなりバカで愚かな存在だと思うので、まあしょーがないっていえばしょーがないわけですけど…
 そいでね、奥さん、アタシ思うのよー、っていきなりオバサンになってしまいますが、そうしたことを強く感じるのも、アタシが普段は、というか平日は、会社というところで、細かいことを気にしながら仕事をしなければならない状態で、それをとるに足らないくだらないことだ、もうちょっとはっきりいえば「どうーでもいいじゃねぇか」と本心では思いながらも、食べていくためにそうした環境でソツなく過ごさなければならないからでしょう。だからこそ対照的な海という自然をより素晴らしく感じるのでしょう。
 ぼくの中の感覚にある、その対象を文字にすると…
平日は灰色=建物のコンクリートやオフィスの壁紙の色
休日は青色=海の色
です。
 そしてもう少しいうと…
平日は不自由=会社や社会のルールに縛られている
休日は自由=海はみんなのものだし、あまり大したルールはない
です。
 そいでね、さらにいうとさー…
平日は守られている=街のインフラとか治安とか会社という組織に守られている
休日は自分の身は自分で守る=自由である代わりに死なないように怪我しないように飢えないように自分で気をつけなければならない
という感じなのよ。アハハ。わかってもらえないかもしれないけどー。
 ぼくは、ふと、会社勤めをしないで、ずっと海辺の田舎で生計を立てながら暮らしていきたいなあと思ったりしますが、そうしたときに果たして今ほど海のありがたさを実感しながら日々を送れるかなあと疑問に思ったりします。今は、平日の不自由さとか、くだらないヤツとの接触があって、そこから解放される海という存在の特別感があるわけですが、それが日常になったら今ほど嬉しいだろうか、と考えたりしますが、みなさんそんな風に考えることありますか?っていきなり訊かれても困るかもしれませんけど…
 卑近なたとえですが、いつもは発泡酒を飲んでいて、たまにプレミアムモルツを飲むとおいしいわけですが、毎日プレモル飲んでいるとそれが当たり前になっちゃって、有り難みや嬉しさが感じられなくなるんじゃないかなあ。 
 まあ、それはともかく海でも山でも自然の中に入っていって、独りであるいは気心の知れた仲間だけで行動したりする人の気持ちはよくわかりますし、隠れ家みたいな場所を作って、自分の世界に没頭したい人の気持ちはわかります。本来的に男はいつまでたってもガキなんではないでしょうか?
 大人の男として、社会や家庭という場で、そこそこ役割を果たさなければならないわけでー、これもありきたりな表現ですけど、普段は社会人・夫・父としての役割を演じなければならなくて、でもたまには本来のガキの自分に戻りたいがために、社会や家庭という場から隠れてしまいたいという欲求を持つのではないでしょうか。






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うねりに女性の身体のラインを思い浮かべてしまうワタクシ

 

 犬が好きとかやっぱり猫が好きとかいう人はよくいます。
 まあそうでなくても山登りが好きとか、高原が好きとか、海が好きという人も、まあいますね。日常会話に出てきても驚いたりはしません。
 もちろんぼくも海は好きですけど…
 ただぼくの場合、海のいろいろな魅力の中でもうねりが好きなのです。波も好きなのです。日常会話の中で、「ぼくはうねりが好きです。休日はうねりを見て一日過ごします」なんていうと、若干その後の会話に影響がありそうです。
 海遊びをしている人にとって、うねりと波の違いは明かなのですが、「わたしは海遊びをしない」とか「そもそも海がそれほど好きじゃない」という方もいらっしゃると思いますので、一応説明を書くことにしますが、厳密な定義は検索していただくとして、ぼくの実感的両者の違いとしては、次のような感じになると思います。
波=風が吹いていると起きる。海の表面が波立つ。波長が短くて、波頭は尖っていて、バシャバシャしている。
うねり=風が吹いていなくてもある。海全体が盛り上がったり、下がったりする。波頭みたいなものはなかったりする。波長は長く、緩やかなカーブを描く。
 それで、うねりと波の違いは、ウォータースポーツをやるときにすごく実感します。一番影響があるのはサーフィンです。
 サーフィンではうねりが強くて波長が長いほど、ビーチで大きくブレイクしますから、サーファーにとっていいうねりは大好物です。大きくていいうねりは、日本のたとえば湘南などの場合、年に数回あるかどうかという感じなので、いいうねりが入ってきた日には、サーファーは仕事を休んででも海に行きます(もちろんそんなサーファーばかりではありません)。一方、波はサーフィンしにくいのです。波は小さくてバシャバシャしているので、うまく乗れないのです。また、ときに、うねりと波が同時に来た場合、うねりの良さを波が打ち消してしまうことさえあります。
 サーフィン以外のウォータースポーツ、たとえばスキューバーダイビングなどでも波とうねりは、及ぼす影響に大きな違いがあります。スキューバーダイビングでうねりに遭遇した場合、水中ではうねりの来る方向にゆらゆらと揺られます。水中全体が揺られて動くような感じです。波の場合は、水面では揺られますが、潜ってしまえばそれほど影響はありません。それから水面でスノーケルで移動したり、待機したりする際にやたら上下したり、水がスノーケルに入ってきたりします。
 特にボートダイブの場合、エキジットといって、ダイビングを終えて、船に上がるタイミングがあるんですが、うねりがあるときは、船もダイバーもうねりに合わせて上下しますので、タイミングを見てうまく船に上がる必要があります。うねりもときに2m以上ある日も潜りますから、そんな日は、船から海を眺めた場合、ダイバーがうねりの谷に入ると、まったく見えなくなってしまうこともありますし、船によじ登ろうとして跳ね上げられてしまうこともあります。
 ずいぶん前の経験になりますが、ダイビングを始めて間もない頃、結構大きなダイビングボートがうねりの間に間に2m以上も上下する光景を初めて見たときは、圧倒的な海の力の感じたものでした。ダイバーなんてゴミのようなものだなと思いました。
 よくダイバーの漂流事故がありますが、ボートがそばにいてもうねりがあると、うねりのタイミングでダイバーが見えなくなってしまうんです。そのわずかな時間に潮の流れがあるので、ダイバーは別な場所に流されていて、それが繰り返されてボートからダイバーを見失うんだと思います。
 そういう状況で、できる限り見つけてもらいやすくするために、ダイバーによってはオレンジとかイエローといった目立つ色の器材を使う人もいます。海上保安庁の方がオレンジ色の器材を使っていますが、あれはレスキューオレンジといって、やはり意味のある色なんだと思います。
 ウォータースポーツをする際のうねりと波を違いを思いの外長々と書いてしまいましたが、実はこれからが本題なのです。あきれてもう読む気がなくなった方もおられると思いますが、そんなあなたは正しいと思います。すばらしい。人間こんなことで時間を無駄にしてはいけないと、近所のオジイサンもいっていました。
 海に入ると、時に怖いこともあるうねりと波ですが、ビーチから眺める分には怖くありません。
 ぼくはうねりや波を眺めるのが好きです。三度の飯よりは好きではありませんし、女性とあんなことやこんなことするよりも好きではありません。
 でも、ウォータースポーツをした後、シャワーを浴びて、ビールを飲みながらうねりや波を見る時間は好きです。はたまた気の合う仲間と海辺のキャンプで、焚き火を囲みながら、夕陽に照らされるうねりや波を見る時間も、とても好きなのです。
 特にうねりというのは、とても緩やかで滑らかなカーブを描くのです。ぼくはその曲線が好きです。男であるぼくは、曲線に女性らしさを感じますが、うねりの曲線はすごく素敵なモデルの身体のラインほどに美しいのです。たとえが卑近な感じになってきましたが、実際、ぼくはうねりの曲線を見ると女性の背中からおしりにかけてのラインを思い浮かべてしまうのです。ああ、ぼくってヤツはいい歳してどうしようもない生き物ですね。
 うねり、特に波長が長くて、力の強いうねりというのは、見た目はそれほど激しさや荒々しさは感じないんですが、それがビーチでブレイクすると予想以上の大きな波だったりします。そのあたりに自然の力のすごさを感じたりします。よく台風などで、堤防が壊れたりしますが、自然の力の前に人間の構造物の儚さは切ないくらいです。
 思うにサーフィンというのは、うねりという自然の力と戯れる楽しさがありますね。うねりに揺られ、うねりの美しいカーブの背中に乗り、自然の力と絡んでいるところがステキです。しかもぼくの中ではうねりのカーブは女性の身体の曲線を連想させるので、サーフィンというのは自然の力との前戯みたいな感じなのかもしれないと、今、そんな風に考えました。
 波も眺めるのは楽しいです。うねりとは違って、バシャバシャした尖り加減が魅力的です。似ているものとして焚き火の炎があります。炎を眺めていても飽きませんが、波を見ているのは、それに似ています。自然の造形なのに部分的に鋭角で、しかも同じ形がほぼないというのも炎との共通点かも知れず、見ていて飽きない理由かも知れません。
 うねりや波の魅力をここまで書いてきて、読んでいる人に呆れられているかもとか、この人はヘンな人なのではないかと思われているかもと、少し反省しました。でも、そう思われてもいいやと開きなおれるのがオジサンの楽なところです。イエイイエイ。ビバ!オジサン。





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海辺でボーッとすることの効能



 海が好きです。それも田舎の人があまりいない海辺が好きです。
 逆にいえば都会のビルが立ち並んでいるところが苦手です。1日そういう場所にいると頭が痛くなり、気持ちの芯のあたりが疲れます。
 ウォータースポーツをして身体を動かすのも好きですが、海辺でボーッとしたり、砂浜を散歩したりするのも好きです。
 ボーッとするといっても、海を眺めたり、空を眺めたり、雲を眺めたり、鳥を眺めたり、波を眺めたりしているわけですが、だからといって、そういう自然を観察しているわけではありません。ただなんとなく視線が動いているだけです。なので、やっぱりこれはボーッとしているんだと思います。
 外見はボーッとしているように見えても、実は頭の中で、仕事の戦略を考えたり、世界情勢を分析しているかというと、そんなことはありません。ほとんど何も考えていません。いや本当に何も考えないことは結構難しいんで、何か頭に浮かぶことがあってもそれはどんどん移ろっていきます。何かを考えようとはしていません。ただ今「○○が頭に浮かんだな」という風に自覚するようにはしています。
 なぜボーッとするのか?
 それはボーッとするのが好きだからですが、そういう時間を過ごすと気持ちがゆったりして、軽くなって、落ち着いて、安らかになるからというのが正確な理由です。カッコイイ言葉でいえば心の安寧が得られるからです。
 海という自然に囲まれて、頭の中の雑事の大掃除をしているような感じがするんです。
 ぼくは海の力を借りて自分の体調を向上させる行為を「ブルー・エクササイズ」と勝手に呼んでいますが、この海辺でボーッとすることはブルー・エクササイズの良さが一番感じられることです。
 ぼくがやっていることは瞑想というほど大げさなことではありません。ぼくは正式に瞑想を習ったことはありません。ただ本を読んで、自律訓練法はやるようにしています。腹式呼吸(丹田呼吸)をして、思考を身体のどこかの部位に集中させることで、余計なことを考えないようにして気持ちを鎮め楽にするのです。
 なので、ぼくが海辺でボーッとしているとき、無自覚に自律訓練的なことをやっている可能性はあります。自律訓練法に近くて、瞑想まではいっていない行為だと、自分では分析しています。
 気持ちがいらだったり、疲れたり、悩みがあったり、悲しかったり、心配ごとがあったり、あるいはすごくテンションが高かったり、妙にソワソワしたり、はしゃいだり、あるいは人を恨んだり、嫉んだり、そんな気持ちのアップダウンが顕著なときに、海辺でボーッとすると特に効果があります。
 もしこれを読んでいる方で、日々の都会の暮らしの中で自分本来の安らかな気持ちを忘れがちになっている方がいらっしゃったら、今年の夏に人のいない海辺に行って、ゆっくりボーッとした時間を過ごされてみてはいかがでしょうか?









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海を眺めて、今日も一日いいなあ、なんて思うひととき



 朝起きるとカーテンを開き、窓を全開にします。そうするとちょっと遠くに海が見えます。青くて朝日に照らされキラキラしている海です。遠くには富士山や伊豆半島や大島が見えます。
 そこでたいていぼくは大きく深呼吸と伸びをします。
 普通の大人に比べれば、もしかしたらぼくは気楽にやっている方かもしれませんが、それでも一応心配事みたいなものはあります。
 そんなときに海を眺めると、海は日々様子が違って、荒れているときもあれば穏やかなときもあります。でも、富士山や伊豆半島や大島や海岸線といった地形は、何百年とか何千年単位でないと目に見えて変化しません。いつもと同じように潮が満ち、そして引き、朝になり夜になるんだなーなんて考えたりします。あるいは、あの伊豆半島が何万年も前に本州にぶつかっったんだな、それってスゲーなとか、伊豆七島って火山の噴火でできたんだなー、それってスゲーなと考えたりします。
 この風景を前の世代の人もその前の世代の人も見たのでしょう。江戸時代の人も見たのでしょう。おそらく源氏の誰かも同じような風景を見たことでしょう。でもそんな人達も今は跡形もないもんなあー、なんて考えたりします。
 文字で書くとしつこく考え込んだりしてるみたいですが、伸びをして、首のあたりをカクカク回したりしている間に、なんとなく考えたりしているんです。まあ、きっとそういう時間って誰にでもありますよね。
 毎朝、そうして海を眺めていると、たいていのことはどうでもいいことだなと思えてきます。
 もちろん心配事などはぼくの頭の中にはあって、それはぼくにとってはワリと大切なことなのですが、そんな自分の頭の中のことを少し引き離して眺めることができるようになります。
 ぼくにとっての心配事など、他人からはわからないし、ましてや心配事があろうとなかろうと、いや、ぼくが存在していようといまいと、それは海という自然の在り方からすれば、ほとんど関係のない誤差のような、あるいは塵芥のようなものなんだろうなと思えるのです。
 だから自暴自棄になるという考え方もあるかもしれませんが、ぼくの場合は、どうせ誤差のような、塵芥のような一生なんだから、楽しくやりたいことをやってしまえという方向に考えるのです。なぜかはわかりませんがそう考えます。
 そうすると気持ちが楽になって、ああ今日もなんかいいなあ、今日一日楽しければいいなあ、なんて思えてきます。





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海はリアルに体験しないとね



 リア充という言葉が一時期使われてましたね。
 ぼくには意味がよくわかりませんけど…たぶん勝手に想像すると、ネットの世界を中心に活動している人達に対比して、普通に?生活しているけどネットも使うみたいな人達のことをいうんだろうかなあーなんて思っています。そういう人達はネットだけでなくリアルな生活も充実していると…違うかなあ?
 ネットでいろいろなことができて、ぼく自身買い物とか調べ物とかやたらネットを使います。ちょっと検索してクリックすれば、いろいろできるって便利です。
 行きたい海を調べるのもネットで調べたりします。
 ただ行ってみないとわからないというのが海のおもしろさですね。
 海のでかさを感じて、光の強さに目を細め、湿気を含んだ潮風を肌に感じる。それがシアワセです。
 以前から感じているんですが、ネットやテレビという画面を通した情報というのは、やっぱり平面的で情報量が圧倒的に少ないですね。しかもネットの情報は、よくいわれますが、玉石混淆です。
 ネットで海の画像とか見てもフラストレーションが溜まるだけですが、実際の海に行けば気分がスッキリします。
 これに似たことって、多かれ少なかれみなさん体験されたことがあるのではないでしょうか…
 たぶんおそらくですが、バーチャルリアリティ(VR)がすごく高度になっても現実を再現するのは難しいんじゃないでしょうか。
 海でいえば、潮騒がありますし、潮の香りがありますし、風景の広がりがあります。太陽の光を肌で浴び、潮風の湿り気を肌で感じます。
 そういう諸々が、海に遊びに来て「やっぱり海っていいなあ」という気持ちに繋がっているんだろうと思うんです。
 そういうのってやっぱり仮想と現実では隔たりが、どこまでもあるんじゃないかと思ったりします。
 ただ、あんまりこむつかしいことを考えるとめんどくさくなるので、やめて、泡盛飲んで、三線ひいて、踊りましょう、テケテケ…
 この極私的ブログを読んでくださっている奇特な方は、たいてい海好きでリアルに充実した海辺生活を営まれていると想像しますが、もし万が一、海に行ったことがなくて、ネットだけで海の情報に触れているような方がいらっしゃったら、それはもう、そういうのってやめた方がいいんじゃないかと思います。かえってフラストレーションが溜まるだけでしょうから…
 今度の休日に海に来てください。
 そして海辺の空気を思い切り吸い込んでください。そして、五感を総動員して海を感じてください。
 たぶん海はそんなあなたに数え切れない把握不可能なくらい多くの情報を与えてくれるんじゃないでしょうか…




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風が流れている場所へ~海辺・潮風・生きていくこと~



 ぼくが幸せを感じる状況は、ウォータースポーツをし終わって、砂浜で夕陽を見ながら潮風に吹かれているときです。
 流れる風を肌に感じ、その中に身を置いていると不思議と安心するようなのです。
 格好つけるワケじゃなくて、本当に、海を前にお外でボーっとしているのが好きです。
 都会のビルだと窓がはめ殺しになっていて、全館空調というのが今は当たり前ですね。この窓が開かないというのは、ぼくにとってはかなりツライというか、息苦しいというか、すごく不自然な感じがする状況です。
 というか、もうちょっと本音をいうと頭がおかしくなりそうなくらい閉塞感を感じるのです。
 全館空調だと、すべて中央のコントロールで外気の導入割合とか、温度設定とか細やかにやって省エネで、1年中快適ですよ、飛び降り自殺の心配もなくて安全ですしね、というのが設計会社・ゼネコン・空調設備会社側の言い分だと思うんですが、ぼくの実感ではそんなことはありません。たとえ全館空調であっても、陽が当たる側と廊下側だと温度が違って、そこまで細やかに空調のコントロールができている建物って経験したことがありません。全館空調の建物は冬は暑すぎて、夏は寒すぎるというのがぼくの全般的な感想です。それにダクトだって機械だって汚れたりホコリが溜まったりするでしょうし、導入する外気だって都会の空気をどこから吸っているかによって清浄さの度合いは違うでしょう。いくらフィルターで綺麗にするといっても、そのフィルターをどの程度いい物を使っているかわかりません。
 何がいいたいかというと、全館空調ってそもそも不自然だし、綺麗な外気を窓を開けっ放しにして、風が通るようにするのが一番だということです。
 そうすればホコリだって抜けていくし、カビだって生えないし、結露もしないし…
 頼むからそういう建物建てないで欲しいけど、ぼくの頼みなんか誰も関心ないでしょうから、ぼくの方からゴメンだい!
 さらにさらに問題なのは外気がそこまで綺麗か?ということですが、これはかなり深刻な問題です。ぼくは外気が綺麗なところに移住します。
 我が家は年中エアコンはつけません。夏も外気と扇風機です。それでなんとか過ごせます。汗をかきますが、日に何度かシャワーを浴びて着替えます。逆に夏にエアコンの効いた部屋に1日中いると体調が悪くなります。たぶん汗をかかないからだと思います。
 冬はさすがに窓は閉めていますが、日中の暖かい時間は窓を開けます。それに換気扇やシーリングファンがどこかで必ず回っていますから、空気が流れている感じがあります。たぶん省エネという点では良くないでしょうが、それよりも新鮮な外気で家中を満たして、それを呼吸する方が大切だと思うんです。気分が落ち着きます。
 風が通って、空気が流れている感じが心地よさを生むのかなって思います。

 沖縄の離島に遊びに行って、そいで、夕方、民宿の縁側で扇風機にあたってたりするととても幸せです。眼下に海が見渡せたりしてね。海風が吹いてきて、オリオンビールなんか飲んじゃったりして…いいなあ、そういうの。

 おそらくこういう生活って都会では難しいかもしれません。都会は外気自体が排気熱やヒートアイランド現象で暑くなっていますし、近隣への騒音にも気を配らないといけません。
 なので、やはり長い目で見ると、自分はそういう場所に住んではいけないんだろうな、と思います。そういうところに住んでいるとストレスが澱のように溜まって、結果としていいことは起きないだろうなという直感があります。
 そういう場合は、自分が快適に暮らせる土地に移り住むのがいいのでしょう。
 すべての人が自由に住まいを選べるわけではないでしょう。職があるかが大切ですし、それに地縁・血縁というのがあります。お墓や先祖の土地を大切にすることも重要です。
 でも、やはり人は生き延びるのが大切で、外部環境が変化する以上、それに合わせて生きられる土地へ移っていくというのも、生き残りの大切な選択なのではないでしょうか?
 話がだいぶ大きくなり、そして逸れましたが、ぼくは空気が動いて風が抜けている場所が好きです。
 シーカヤックで数泊の旅に出ますが、1日中外にいて、食事も外、テントも風の動きを感じられる、そんな時間を過ごすことができるとぼくはとても幸せなのです。
 年に1度か2度くらいですがおよそ1週間くらいの海旅に出ます。スキューバーダイビングかシーカヤックをするんですが、1週間くらい南の海辺にいると、自分の中の毒が抜けて、さっきいったような澱のようなものが身体の外へ流れていく気がします。まあそんな気がするだけのことですが…でも、それでも日々自分がどれほど自分にタガをはめて暮らしているか自覚させられます。
 南の海辺で、短パン・Tシャツ・ビーサンで、潮風に吹かれながら夕陽を見ていると、つくづくそう思うのです。






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伊豆海洋公園 静岡県伊東市富戸 ☆

伊豆海洋公園 静岡県伊東市富戸841-1
【コメント】
 伊豆海洋公園はIOP(Izu Ocean Park)とも呼ばれ、ダイバーなら知らない人はいないという、東日本のダイビングの有名な場所でございます。日本でスキューバーダイビングが始まった頃の中心的な場所でしたそうな。
 スキューバーダイビングの中心的な場所になったのは、益田一(故人)さんという方が伊豆海洋公園に伊豆海洋公園ダイビングセンターを設置し、スキューバーダイビングの講習を行ったためです。
 今でも60代のダイバーに話を聴くと、たいていIOPでオープンウォーターのCカードを取った話が出てきます。
 その頃はスキューバーダイビングという言葉が一般的ではなくアクアラングというブランド名で呼ばれることがあったようです。ああ懐かしい。なんて思う方は、だいぶお歳の方ですね。
 ファッション関係者にとって中心的な場所が表参道や原宿エリアであったり、往年の六本木の知識人の溜まり場がキャンティであったりするように、ダイバーにとっての中心的な場所が伊豆海洋公園だったりするようです。自信がありませんが…

 日本にスキューバーダイビングが入ってきた時代の玄関口的な伊豆海洋公園だったわけですが、東京から近い伊豆という場所で、西伊豆の大瀬崎と並んで、今でもダイバーの定番ポイントであり続けるのは、やはり地形と魚影の濃さのためではないかと思います。
 伊豆海洋公園内には他にも伊豆四季の花公園があり「城ヶ崎みはらしガーデン」と「城ヶ崎シーサイドガーデン」があります。ちょっと行けば、城ヶ崎海岸、吊り橋、門脇灯台、ぼら納屋があります。この一帯は、大室山噴火の溶岩が流れたところで、溶岩による海岸線が特徴的です。
 伊豆海洋公園は、伊豆急伊豆高原駅からほど近く、川奈があり、富戸があり、周辺には多くの別荘分譲地やリゾートホテルがあります。そんな環境で、この周辺にはリゾートっぽい雰囲気が漂っていると、もっぱらの評判だそうです。知らんけど…
 大学生の頃からスキューバーダイビングを始め、東京駅から伊豆高原駅まで電車で来ていたぼくは、何百回(うーん、たしか百回は超えていると思うんですけど…数えるのめんどくさいやい)と東京とこの付近を往復したので、今でもこの辺りに行くととても懐かしい気持ちになります。
 熱海や伊東が温泉地として、ちょっと古くさい、俗なイメージになってしまったのに比べ、伊豆高原周辺はまだリゾートっぽい雰囲気を保っています。
 ただですねえ、田舎っぽい海辺が好きなぼくとしては、リゾートホテルが建ち並び、なんちゃら美術館(あれは会社がやっているんでしょうか?個人がやっているんでしょうか?公的機関がやっているんでしょうか?)が乱立し、ロードサイド型チェーン店が軒を連ねるようになってしまったこの辺りは、少し開発されすぎた感じがして、古き良き昔のノンビリとした伊豆高原を思い出しつつ、通り過ぎることが多くなってきたのでした。
【評価】
■水の美しさ ☆
■砂浜の美しさ 砂浜はありません
■景色 ☆
■アクティビティ スキューバーダイビング、プール
■自然の豊かさ ☆
■ノンビリ度 ☆
■トイレ 有
■駐車場 有 有料
■総合評価 ☆






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