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子供の海遊びにはPFDとホイッスルを標準にしたらどうでしょう



 海で遊ぶとき、特に子供を砂浜や波打ち際で遊ばせるときに、これからは定番にしたらどうかなと思うのが、PFD(ライフジャケットのことPersonal Floating Device)と救助用の浮き輪とホイッスルです。

 子供に浮き輪をつけさせて遊ばせている様子はよく見ますが、あれだったらPFDのほうがずっと安全だと思うんです。
 しかも動きやすいので、子供も快適だと思うんですね。
 値段だって安売りのホームセンターだとPFDが2000円弱。浮き輪よりは少し高いかもしれませんが、浮き輪は穴があいたりして、1~2年しか使えないことを考えると、PFDの方が安いといえるかもしれません。

 船などに積んである救助用の浮き輪は、ロープがついていて、浮き輪を投げて助けられるようになっています。それから、空気で浮力を得ているわけでなく、浮き輪自体が浮く素材でできているので安心です。それを大人が救助用に持っておくわけですね。

 ホイッスルは、万が一溺れそうなときに、人を呼ぶのに使います。海で使う専用のものがあって、水中で鳴るものもあります。結構大きな音がするのが特徴です。PFDのファスナーにロープやフックでぶら下げて使うといいと思います。子供にいざとなったらこれを使いなさいといっておけば、子供たちは覚えているものです。

 こうしたグッズはスキューバーダイビング、釣り船、セイリングの救助艇では定番になっています。
 ということは一定の効果があるのでしょう。

 特に救助用の浮き輪は、カレント(リップカレント、離岸流)に子供が流されたとき、ロープの端をビーチにいる人に持ってもらって、自分が浮き輪と共に子供のところへ救助に行くという方法で使えます。よく溺れている子供を助けに行って親子共々亡くなってしまうという事故がありますが、それが防げるのではないかと思います。






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これまで行ったところで珊瑚礁がきれいだった所

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 スキューバーダイビングをするようになって20年くらいになります。
 以前書いた記事で、魚の数が減っている実感があるということを書きました。
 今回はそれに関連して、珊瑚の数が減っていることについて…

 今まで、いろいろなポイントでダイビングをしてきました。一番多いのは伊豆なんですが、沖縄には年に最低1回はリピートしています。
 で、沖縄でも本島や本島からアクセスする慶良間は珊瑚がずいぶん減りました。その状況はもう痛々しいほどです。
 その原因としては、市街化ということもあるでしょうし、温暖化も、オニヒトデも、そしてダイバー自身が多く入っているということもあるでしょう。まあいろいろな原因が合わさって、珊瑚減少が起きていると感じています。

 本島以外でも増えているか減っているかでいえば、概ね減っているといえると思います。
 なかでも強烈だったのはオニヒトデの影響でした。その次はやはりダイバーなどの「人が入る」ということではないかと感じています。
 オニヒトデの影響はまあわかりやすいんですが、「人が入る」ことはまあ微妙です。もしかしたら市街化と関連しているかもしれません。ただ、感じるのは飛行機の便がある島ほど珊瑚が減っている気がします。観光客が多く行く島ほど珊瑚は減っているということがいいたいわけです。
 宮古島はオニヒトデ被害もひどかったですが、それでもまだ珊瑚が残っている方です。同じ宮古でも、観光地となっている八重干瀬は珊瑚が他よりも少ない気がします。
 宮古島のお隣の多良間島は珊瑚がずいぶん残っています。これはやっぱり多良間島に直行便がなくて、宮古島や石垣島よりも少し不便だからじゃないかと感じています。観光客もダイバーがメインで普通の観光の人はあまり見かけません。

 そういう傾向が沖縄でも、おそらく海外でもあるんじゃないかなあというのが、ぼくの経験的・直感的意見です。海外でも、空港から近いポイントよりも離れて不便なポイントの方が、珊瑚が多い印象があります。

 一方でこれまで海外も含めていろいろなポイントに行きましたが、モルディブやグレートバリアリーフよりも、多良間島の珊瑚が一番でした。珊瑚の広がりや密度・元気さに圧倒された経験は、あれが初めてです。
 海に入るたびに「すごい」と思いました。

 もちろんぼくはその土地の一部しか見ていないので、限られた経験での感想です。
 ダイバーとしては、より手つかずの珊瑚が見たいと思う一方で、ぼくらダイバーが行くことで、珊瑚を減らしている可能性があるというのは、なんとも切ない気がします。
 好きな人を好きであるがために傷つけている状態に似ていないともいえません。

 レクリエーショナルダイバーは講習を受けてから、スキューバーダイビングをしますが、その講習の中に、自然を破壊しない、自然に人的影響を与えないよう注意するという項目も入っています。
 それでもやはり「人が入る」と自然は多少なりとも影響を受けます。
 もうちょっといえば、ぼくらはそういうことをこれまでずっと続けてきたんでしょう。だからぼくらが存在する以上、自然には影響を与えるけど、できる限りその影響を少なく、良いものにしていくことが必要なのかな…なんてまとめると、なんだか環境保全の教科書みたいですね。


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宮田珠己さんの会社に対する考え方が好き




 宮田珠己さんという作家の方がいて、ぼくはこの人の本が好きです。
 わりとゆるくてノンビリしている雰囲気が好きです。海外紀行文を中心に読んでいましたが、先日『なみのひとなみのいとなみ』という本を読みました。これはいわゆるエッセイ集です。
 この本を読んで、なんとなく好きだった理由がわかりました。
 会社とか人生に対する宮田さんの考え方にとても共感しているからなんだと…

 多くの人が学校を出て会社勤めをするわけです。で、この会社勤めというのは、自分が好きな仕事ができることは可能性としてはすごく低いわけです。で、まあみんな暮らしていくために仕方なく働くわけですが、宮田さんは、好きでもない仕事なのに一生懸命バリバリ働く人がいる、そしてそういう人はたぶん少数派ではない、というようなことを、まあだいたいいっているわけです。そしてそれに違和感を覚えると…宮田さんは同期や周囲の人が好きでもない仕事に打ち込んでいく様子を、ひいて見ていて、そうはできない自分も冷静に見ています。
 そこが共感できます。
 もうちょっと詳しくいうと、宮田さんは、好きな仕事にバリバリ打ち込む人、好きでもない仕事をテキトーにやる人、そして先述の人の3タイプに分けています。
 宮田さん的には、好きでもない仕事をバリバリやる人がワケがわからんといっています。

 ぼくは海辺に住んで、ウォータースポーツを長いことやってきました。その中で見かける人は、海なり、あるウォータースポーツがすごく好きで、それに関わる仕事をしている人が多かったんです。そういう人をぼくは羨ましく思っていました。
 一方でぼくは会社勤めをしているわけですが、宮田さんのように、いまいち仕事にのめり込むことができずにいました。その狭間でずーっと生きてきたんです。
 思い切って海関係の仕事に転職しようと考えたこともありましたが、今思えば、そうしなくて良かったかもとも思います。
 というのも根が怠け者なので、好きな仕事についてもバリバリ頑張らないんじゃないか?オレは…とかなり強く思うからなのであります。仕事の合間に趣味として海に接していた方が、海が好きでいられるような気がしなくもありません。
 一方で一度の人生なんだから好きなことを思う存分やったらいいんじゃないかとも思います。
 これは全部仮定の話なので本当はどうなるのかわかりませんが…

 綺麗な憧れの女性を口説いて、なんとかうまくいって付き合ったり、結婚したりしたけど、いざ日常生活を共にするようになると、以前の憧れは忘れてしまっているという話しを聞いたりしますが、それに似ていなくもありません。

 でもまあ、こうやって選択肢についてあれこれ悩めるだけでも幸せなのかもしれませんね。



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あんまり頑張らない

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 あんまり頑張らないようにしています。
 って、ぼく自身、もともとそんなに頑張るタイプじゃないのに、さらに頑張らないように意識するというのは、いったいぜんたいどういうことなのか?という、周囲、主に配偶者方面からの指摘・批判・糾弾などは当然あります。
 でも、頑張らないんです。

 ちょっと前、もう少し景気が良かった時期メディアなどで、日本人は働き過ぎだというような論調が聞かれました。欧米人は残業もそんなにしないし、プライベートを大切にしている。日本は遅れていると…
 最近は日本人はもっと頑張らなければ、という論調を耳にするようになりました。欧米でも働く人は日本人よりもハードワーカーだと…
 なんかいってることが正反対ですが、メディアなんてそんなものです。

 そういう周囲のことにまともにとりあっていると、2、3年ごとに自分の価値観が180度変わってきてしまうので、要注意です。

 ぼくは昔から、そしてこれからも頑張らないのであります。

 よくいつもせわしなく何かやっている人や、何をやるにしても急いでいる人がいますが、ぼくはそういう人のそばにいることが苦痛です。
 で、そういう人が急いでいるようだから何から重大なことがあるのかな、なんて見ていると大したことはなかったりします。
 たとえば駅で、エレベーターの右車線を急いで駆け上がっていく人がいますが、こういう人がその先何をしているかというと、意外にホームで、ボーッとしていたりします。別に電車が行ってしまったわけでもないの…
 いったいさっきまでの急ぎは何だったのか…

 せわしない人や急いでいる人のそばにいるだけで苦痛なのは、その人が発しているリズムが自分にうつりそうになるからなのだなーと最近気がつきました。
 不思議なもので人というのは、周囲の人の気分に影響されるようなところがあります。サッカー観戦なんかで、みんなが興奮していると、普段冷静な人でも興奮したりします。

 そういう感じで周囲に影響を受けるのはイヤだなと思っています。
 特にせわしなくなったり、急いだりするのは避けたいなーと思います。そんな気分になりそうなときは、海を眺めながら、深呼吸をして、丹田呼吸法をして、自分自身のことに意識を集中します。そうするとだいぶ普段の自分のペースに戻ります。

 今思い出したんですけど、頑張らないというテーマでした。
 そうそう、頑張るというのは、普通の自分以上のアウトプットを出そうとすることだといいかえてもいいかもしれません。それは自分で自分を追い込むという時もあるでしょうし、周囲から促されて、頑張らざるを得なくなるという時もあるでしょう。
 そういう普段の自分と違うことをあんまりやらないほうがいいじゃないの?というのがぼくの基本スタンスです。
 特に周囲の期待に応えようとして頑張るというのは、ぼくからすればもってのほかというか、愚の骨頂というか、なんちゅうか、まあそういう感じなんです。
 そんな時は自分に「そんなに他人に好かれたいのか?」「そんなにいい子になりたいのか?」とツッコむようにしています。

 自分が頑張ろうと頑張るまいと、海は相変わらず、潮は満ち引き、波は寄せています。


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メガネをかけている人のためのサングラス


 海遊びでサングラスは必需品ですね。
 でも、メガネをかけている方はサングラス選びに苦労されるんではないでしょうか?

 パターンとしては2つあります。
 ①今使っているメガネに付けて使う
 ②もうひとつは度付きサングラスを作る
 それぞれ一長一短があります。

 ①の場合だと、今かけている普通のメガネにクリップ式でとめるタイプとメガネ全体を覆うタイプがあります。
 クリップでとめるのは手間ですし、メガネ全体を覆うタイプはかさばります。サングラス自体の選択肢も多くありません。

 ②の場合は、メガネを作るのにお金がかかります。また、ふたつのメガネを持たなければならないですし、いちいちかけ直さなければなりません。
 なかなかめんどくさいものです。

 海遊びというのは、よい視力が要求されることが多いものです。それが重要な判断や生死の分かれ目になることもあり得ます。
 たとえばシーカヤックで陽射しの強い日に、メガネをかけていたとして、サングラスをかけたい、でも適当なものがないとなるとちょっとキツいですね。だからといってメガネを外してサングラスにするというのは危険ですもんね。
 
 いっそのことレーシックで視力矯正するのも手かもしれません。






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バイオフィンの誘惑


 一応20年ほどスキューバーダイビングをしています。
 
 で、フィンについてはやっぱりこだわりがあって(スキューバーダイビングをする人はたいていそうだと思いますが)、SプロのジェットフィンとかCRESSIのMaster FrogとかGULLのMEWとか使っていました。
 いわゆる玄人好みの脚力が必要なフィンを使っていたんですね。
 やっぱり「オレも長くダイビングやってんだかんな」みたいな自負があるわけです。
 
 だいぶ前にバイオフィンというのが発売されて、脚力を使わないわりに推進力があるというので、けっこう評判になりました。

 ぼくとしては「そんな軟弱な物使えるか!」なんて横目で見ていたわけです。

 ただ、年のせいか最近脚力に自信がなくなってきました。この間もダイビング中に足がつってしまいました。
 で、友達のバイオフィンを借りて潜ってみたら、なかなかいいではないですか。
 うーん、いいなこれ、でもなあ、ちょっと軟弱な感じでイヤだなー、うーん、でも…
 と、頭の中でいろいろな思いが渦巻きます。
 いや、まだまだ硬派なフィンでがんばるぞ、とジョギングや筋トレに励んでいる今日この頃です。

 バイオフィンが出てから、その後も脚力を効率よく推進力にするさまざまな工夫を凝らしたフィンが続々と登場しています。スキューバーダイビングは器材に多くを頼るウォータースポーツですから、器材の進歩を取り入れないのは、なんとももったいないものです。
 うーん、どうしよう…











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どんな海遊びにも教訓がある

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 海遊びというのは、一見ただ遊んでいるように見えるかもしれませんが、イヤだいたいただ遊んでいるだけなんですが、多少は教訓っぽいことも身につけることができます。
 村上春樹さんの小説の中で「どんなひげそりにも哲学がある」だったかな?、まあそんな表現があるんですが、これはどんなささいなことにも深い考えなり哲学があり得る・見いだし得るという意味だとぼくは解釈しています。
 それに倣っていえば「どんな海遊びからも教訓は得られる」ということでしょうか…

 ぼくが海遊びから得た教訓は、次のようなものです。

1.計画と準備が大切
 事前の計画とそれに見合った準備が大切です。計画も自分の力量とその時の状況を勘案して厳しく立てなければ、あとで泣きをみるのは自分です。

2.油断大敵
 どんな楽なコンディションでも、油断していると思わぬ事故に繋がりかねません。いつも五感をフルに働かせて油断しないことです。

3.機を見る
 状況が悪いときにいくら頑張っても効果は大したことはありません。逆に状況が良ければ少ない労力で大きな効果が得られます。状況が悪いときには慌てずじっとしていることも時には必要です。

4.間違えたと思ったらすぐに方針を変える
 慎重に判断してもやはり間違いはあるものです。自分が間違えたと思ったら、すぐに方針を変えるべきです。ときには計画を諦めることも大切です。そこにこだわると命に関わることになりかねません。

5.もしものときに備える
 もしも海況が変わったら、万が一器材が壊れたら…いろいろなもしもを想定して、それぞれのケースで対策を頭に描いておくことです。

6.大切なことは何かを忘れない
 大切なことは命です。次は楽しむことです。それを忘れてしまうと、大きな方針に反するような判断ミスをしてしまいます。

7.楽観的であること
 状況が良いときは慎重でありながら、状況が悪くなったり、自分がキツいときには、逆に努めて楽観的になることです。なんとかなると思えばなんとかなるものです。ダメだと思うとそこで冷静な思考がストップしてしまいます。

 なんかこうやってまとめてみると、なかなかスゴいなって思えてきました。



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楽園そしてユートピアへの憧れ

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 楽園、ユートピアに憧れます。
 たとえそれが決して手に入らないものだとわかっていても…

 古典といわれる文学にも、ユートピアをテーマにした作品があるので、そういう楽園やユートピアを求める人の気持ちというのは、いつの時代も多少なりともあるのでしょう。

 ぼくはゴーギャンの絵やトムソーヤの物語やヘミングウェイの小説や高砂淳二さんの写真に楽園を感じます。

 常々、もっと暖かく穏やかで人の少ない海辺に住みたいと思っているんですが、それも楽園・ユートピア志向のひとつかもしれません。

 でも、今でも十分楽しいし、毎日、海を眺められて本望です。
 どこか別の場所を求めるのではなくて、今を大切に、今の状況を味わって楽しむ、そして無事を感謝するのが、楽園・ユートピアへの一番の近道かもしれないな、と考えたりします。


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海辺の橋を渡るときが、少し好きです

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 海辺をドライブしているといくつも橋を渡ります。
 当たり前なんですが、川が何本も流れていて、それが海にそそぐわけで、海辺に道を通そうとすれば、当然橋をかけなければなりません。

 で、ぼくは海辺の橋を渡るときというのが、ちょっと好きです。
 たいてい橋は少し高くなっていて、そこから海が見えます。「ああ海だなー」なんて思うわけですね。
 反対側を見ると川です。海に注ぐ水が流れている川。
 そういう風景がパア-っと広がっていて、一望できるのがいいですね。

 で、あっという間に通り過ぎてしまいます。
 なんかうれしいような切ないような感じがします。

 まあ、なんていうこともないことですが、海辺に住んでいて、日常のちょっとした喜びというのは、そんなところにあるのかなーなんて思ったりします。


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「無意識バリア」をはずしたことはありますか?

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 ぼくは海辺に住んで、町に出稼ぎに行っています。

 海辺で過ごしているのと、町で過ごしているのとでは、1日が終わったときの疲れ方がずいぶん違います。

 その違いをたとえるならば、休みの日に、自分の趣味のために早起きして、遠出して、夜遅く帰ってきても疲れていないのに、義務的に出かけなければいけない用事-あまり親しくない人の結婚式とか-の日は帰ってくるとドッと疲れているという感覚に近いと思います。

 で、なんでかなーって考えるんですが、緊張感かなって思います。
 で、なんで町だと緊張しているんだろうって考えるんですが、少なくともぼくの場合、人が多いところでは、無意識に緊張するようなんです。 人との距離が近すぎて違和感があるというんでしょうか…
 ぼく的にはこの緊張感を「無意識バリア」と呼んでいます。

 海辺に住んで、何も悩みがなく、毎日がパラダイスかというと、もちろんそんなことはなくて、それなりにいろいろあるわけです。けど、それは「はあー疲れた」とか「疲れ切った」というのとは違います。うまくいえませんが…
 もう少し自分のペースで動いている感じが伴うわけです。
 やらされた感がないわけです。
 アップダウンがあるけれど、それがある程度見えるし、想定できている感じなわけです。

 というわけで、夏休みとか正月休みとかの長い休暇に海辺で暮らしていて、買い物なんかの用事があって町に出て、家に帰ってくるとドッと疲れているということがあります。
 具体的にいっちゃうと、夏休みなんて、毎日Tシャツ・短パン・ビーサンで暮らしていて、デパートに行くからさすがにビーサンはなあと思って、長ズボンと靴を履くと、すごく違和感があって、嫌なわけです。
 ここで「無意識バリア」を身にまとうことに違和感を感じるわけですね。

「無意識バリア」について、もう少し説明すると、たまーに沖縄や伊豆七島の小さめの島に何日か滞在するんですが、そうすると誰も宿の部屋の鍵とか、レンタカーの鍵などをかけないんです。
 雑貨屋やガソリンスタンドや温泉のカウンターなんかも、店の扉は開いているのに、誰もいないなんてことがよくあります。
 最初のうちは少し違和感があるんですが、だんだん慣れてしまいます。そうするとすごく楽なんですね。
 もちろんTシャツ・短パン・ビーサンで、髪の毛もボサボサ、髭ボーボーです。でも、周りの人もだいたいそんな風なので違和感がありません。すごく楽です。
 今日は暑いなあなんて海に入って、あがっても、しばらく下着やビーサンを履くのがめんどくせぇなあってな感じになります。スッポンポンで、砂浜を歩いてたりします。
 ぼくの人生において、このあたりが「無意識バリア」が一番はずれた状態でした。
 一度この「無意識バリア」がはずれた経験をしてしまうと、「無意識バリア」を負った状態の時に違和感を強く感じるんですね。
 この違いに、ぼくは敏感になってしまったようです。
 そしてこの違いはぼくにとってすごく大切なことです。

 ぼくが海辺に住みたいと渇望するのは、このあたりから来ているんだと思います。


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