海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ダイバーに肩こりが多い? ぼくは鍼灸に通っています
周りのスキューバーダイバー仲間を見ていると、肩こりの人が多いような気がします。
別にスキューバーダイバーでなくても肩こりの人は多いと思うんですが…
肩こりの原因ってなんだろうと考えたんですが、スキューバーダイビングはタンクとBCをリュックサックのように肩に背負うわけで、これが原因のひとつではないかと…
それから水中では身体は水平にしつつも頭を前に向ける姿勢なので、これも肩こりにつながっているかもしれません。
もうひとつ近場にダイビングに行くのは車が多いと思いますが、車の運転も肩こりの原因かもしれません。
で、ぼくもかなりの肩こりです。
ひどくなると肩から首が重くなって、頭が痛くなります。首のあたりに鉛の板がついているんじゃないかと思うくらいです。
それでも若い頃は「肩こりなんかどうってことない」って、気合いで乗り越えてきました。筋肉が足りないから肩こりになるんだと、首や肩周辺の筋トレをしました。
でも、歳をとってきて、さすがにツライので、最近は鍼灸や整体やカイロプラクティックに行くようになりました。
街によくある10分程度マッサージしてくれるところへ行っていたのですが、どうももの足りず、鍼灸や整体やカイロプラクティックを試すようになったのです。
最初は何がどう違うのかよくわからず、行き当たりばったりに試してみましたが、それでも施術後の効果はてきめんで、肩の重さがすっきりとれて、いったいこれまでの苦しみは何だったんだと思いました。
肩こりの状態がデフォルトだったので、肩こりがとれて初めて、肩こりのない状態を実感したのです。肩こりがないと気分も軽いし、頭の回転も少しはよくなる気がします。
いろいろ試してみた結果、今のところの結論としては、ぼくは鍼灸が合っているようです。 全身に鍼を打ってもらうんですが、肩こりもとれますし、身体の調子が整うという感じがします。
だいたい月に1回程度通っています。費用はだいたい5000円くらい。
時間とお金があればもう少し頻繁に行きたいところですが、今の状況では月1回がやっとですね。
でもまあ、歳なんだから身体のメンテは必要だと割り切って、できる限り定期的に行くようにしています。
行きつけの鍼灸院の方に訊いてみると、肩こりの原因は多様なようで、姿勢とか、目を酷使するとか、肉体労働とか、運動不足とか、いろいろだそうです。
ぼくの場合は、もともとあった筋肉が落ちてきているので、頭の重さ支え姿勢を保てなくなっているんじゃないか?という推測でした。
ということは、鍼灸で対症療法をしつつ、筋肉をつけることで、肩こりの原因を解消するというのが良さそうです。
ウォータースポーツをやる方で、肩こりで悩んでいらっしゃる方は、試してみてはいかがでしょうか?
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それぞれの海にそれぞれの魅力
いろいろな海に興味があります。
海外はもちろん国内の海も興味が尽きません。
といってもぼくが行ったことがある海はすごく限られていて、できることなら海岸線に沿ってずーっと世界中を巡ってみたいものです。
限られた海ですが、これまでいったことのある海はそれぞれに魅力がありました。
何というんでしょうか、まあ雰囲気とか空気感といいましょうか…
海にもそれぞれ性格ってありますね。性格じゃないかな? 特徴というべきでしょうか。
でもムリヤリ海を人の性格にたとえてみましょうか。
相模湾は穏和で優しい人ですね。
八丈島は無頼で荒っぽくて孤独な人。
房総はおおらかで少しマイペースな感じ。
沖縄本島はのんびりした人。
そんな感じで大雑把にいってしまいましたが、房総でも外浦と一宮では雰囲気が違いますし、それぞれに魅力があります。
行く海行く海に独特の魅力があって、ぼくはそれにハマっているわけです。
岩城滉一さんや所ジョージさんに学ぶこと
よく芸術家や伝統芸能の分野で、ある仕事に一生打ち込む方がいます。結果として人間国宝とか、なんちゃら褒章とかを授かっています。そういう生き方ってすごいなあと思うんです。尊敬すべきであると…
一方で、趣味や道楽をする人もいまして、たとえばわかりやすいので芸能人でいえば、岩城滉一さんとか所ジョージさんなんかは、本業の他に趣味でもすごくて、それが仕事に繋がっている様子です。
どちらがいいというわけではないのですが、現在のぼくとしては後者の方が合っている気がします。ただ憧れるのは前者です。
自分の中でうまく整理できていないわけですが、人生というのはままならない選択の連続かなーと思っていまして、いろいろなことのバランスをとったり、一応社会人としての責任を最低限果たしていたら、今のような自分になりました。
そんな自分が本来の夢を追求できるスタイルが後者なんですね。
ぼくの場合、趣味がウォータースポーツです。
いずれ岩城滉一さん(借金関係の問題で大変そうですが)とか所ジョージさんのように、本業と趣味が結びつけばいいなあと…
まあ別に趣味は趣味で楽しければいいんですけど…
ただ、気をつけていることがあります。趣味を広げないことです。
もちろん興味のあることややってみたいことは山ほどあるわけですが、全部をやっていると時間が足りません。なので、自分としてはウォータースポーツのいくつかに限ってやることにしています。スキューバーダイビングとシーカヤックとサーフィンですが、海の透明度が高いときはスキューバーダイビング、穏やかで遊べる時間が短いときはシーカヤック、荒れているときはサーフィンと、一応自分の中で、海況によって選択する基準みたいなものを持っています。
親しい人にゴルフやろうとか、山登りしようとか、スノーボード行こうぜなどと誘われます。どれもやってみたいんですが、涙をのんで(大袈裟かな)お断りしています。
とりとめのない話しでした。
ぼくにとってウォータースポーツのスリルとは
ぼくは大学生の頃にサーフィンを始めて、スキューバーダイビング、セイリング、シーカヤックなどをやってきました。かれこれ20年くらい前のことになります。
もちろん今も現役ですが、若い頃はスリルを味わいたいから、好んで危ないことをやっているようなところがありました。
サーフィンではみんなが出ないような荒れた海に出てみたり、スキューバーダイビングでは流れが速いので有名な難しいポイントにわざわざ行ったりと、まあそんなことをしていたわけですね。
中学の頃からの友人で、車のプラモ集めが好きな、3児の父で、公務員のT君には、今でも年に1度くらい会いますが、そのたびに「なぜそんなことをするのか?」と違う惑星から来た生物を見るような目で見られます。
自分でも理由は整理できていないんですが、自分のギリギリの限界を見極めて見たいんだと思います。
もしぼくが平和な日本でなく、紛争が絶えない生きるのが精一杯という国で、生まれ育っていたら、そんな危険なことをわざわざしないかもしれません。
さて、いい歳したオジサンになったので、危ないことを全然しなくなったかということはなくて、相変わらず荒れた海にサーフィンで出ますし(けっこうツラいけど)、スキューバーダイビングでも荒れた海で潜るのがワクワク(やっぱヘンかな)したりします。
シーカヤックで荒れた海を渡る時のスリルというのは、他のどれとも違います。
サーフィンで2mオーバーの波に向かっていくのもスリルがありますが、それを超えています。
自分の頭くらいのうねりの中をバランスをとりながら進んでいく。少しでも油断したら沈してしまいます。沈したらおそらくこの波だとリカバリーできないでしょう。
自分の恐怖心に負けてパニクったら、それこそ本当に沈して死んでしまうかもしれません。恐怖心を抑えながら、冷静に平常心を保ちながら、うねりの方向と風と航路を計算しながら進んでいくのです。
シーカヤックなんて自然の波の中では、木の葉のようなものだという当たり前のことが、身に浸みます。
でも、その恐怖心を押さえ込みながら、荒れた海を漕ぎきるのは、なんとも充実しているんです。おそらく生きているうちで、一番興奮して、頭が働いている状態です。自分の中でギリギリに迫っている感じが堪りません。
ぼくはたぶんその刺激の中毒なんだと思います。
ヤバイですが…
ダイビングにスマホを持っていく日も近いかも
スマホも防水タイプが増えました。で、防水ケースもスマホ対応のものが出回っています。
そんなわけで、シーカヤック、セイリング、ボートのときは、スマホを持つのが、ぼくの中では普通になりつつあります。
以前は少しでも荷物を軽くしたいのと、「自然の中でまで、文明の利器に頼りたくないぜ」みたいなワイルドな自分をいいと思っていたんです。
でも、スマホを持つと、GPSで場所がわかるし、津波警報とか、天気予報も見れるし、写真も撮れるし、万が一のときに118に通報もできるということで、海にも持ち出すようになりました。
あまり頼りすぎるのも良くないと思うんですが、サポートグッズとして使え分には便利でいいんじゃないか、まあまあ、そう硬いこといわずに、まあ一杯どう?的に丸くなってきました。
心配なのは水没したり、暑さ寒さでスマホが壊れちゃうんじゃないかということなんですが、今のところ大丈夫です。それはたぶん自分で濡れる可能性が高いときには持って出ないからだと思います。たとえばすごい荒れた日とかですね。
ぼくは今のところ、オンボードのスプレーがかかるかも程度の状況でしかスマホを持ち出さないわけですが、もし将来、防水機能が発達したら、サーフィンやスキューバーダイビングにスマホを持っていく日がくるかもしれませんね。
んで、山登りが趣味の先輩と話していたら、やっぱり山登りでもスマホは役立つということで、その人は、電池切れにならないように予備バッテリーを持っていたり、あの山のどの辺までは電波が入るから、万が一のとき最悪そこまでいければ救助が呼べるなどとシミュレーションしていて、エマージェンシーツールとしてスマホを位置づけているようなのでした。
というわけでアウトドアもどんどんデジタルになっているようです。おしまい。
昔の人の教訓から学ぶこと あるいは海辺の地盤について
海辺に住んでいます。
近所のお年寄りなんかと話すといろいろ教わることが多いんですね。
たとえば先日は地盤の話しを聞きました。
うちのあたりは海と山が迫っている地形なんですが、この山が時々崩れるんですね。まあこれはよくあることです。
ただそのお年寄りのいうには、岬の手前と向こうだと地盤が違って、向こうの方が崩れやすいそうです。
本当かなーと思って役場で郷土史を閲覧してきました。
そうすると関東大震災の折、岬の向こう側は崖崩れの被害が多かったことが記載されていました。
そして以前はそのあたりの地名が大崩という名前だったこともわかりました。
今は違う地名です。
東日本大震災でも昔の方が教訓として遺した石碑や言い伝えが、埋もれたり風化したりして、結果的に教訓として活かされなかったという話題が多く聞かれました。似た部分がある話しは身の回りにもあるんだと感じました。
それは歴史から教訓を学び取ろうとしない現代の我々の世代に問題があるのかもしれないですね。
ちなみにかつて大崩と呼ばれたあたりには、ピーターや郷ひろみやBEAMSの別荘が建っています。
悩み事は海を見て解消しています
日々いろいろなことがあって、悩みもあるでしょう。困った状況というのもあるでしょう。
ぼく自身気になり出すと、ひとつのことを考え詰めてしまうタチなので、日頃から注意しています。
そういう「悩み事堂々巡り思考の穴倉」に落ちたときのぼくなりの脱出方法は、カジノで大金を使いまくって、キレイなオネエサンを侍らす、っていうのはウソでして、一人静かに海を眺めることです。
海は広いし、たぶん人類が生まれる前からこうしてあっただろうし、わたしたちの祖先の何千人か何万人かしらないけど、その人達も同じような風景を見ていたんだろうな、などなどと考えていると、ぼくが抱えている悩み事なんか、本当にとるに足らないことだと思えてきます。
何かの本で読んだんですが、ある一つの出来事を、Aさんは楽しいことだと感じ、Bさんはたいへんショックなことだと感じるということがあるそうです。つまり何かの出来事を悩み事として感じるのは、ぼくの頭の中だけで起きていることで、もしかしたらそれは悩み事ではないという感じ方もあるかもしれないんですね。要はその人の感じ方やものの見方によるということなんでしょう。
確かにそうです。
人間五十年、化天[1]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
人間生きているだけで丸儲け
細かいことなんか気にしないで、一度しかない人生、思いっきりやりたいことをやりましょう。
パドルって大切だなーと思う今日この頃
ウォータースポーツには、っつうかアウトドアスポーツ全般に怪我や事故のリスクはあります。
リスクがあるからやったダメというのは、あまりにも保守的事なかれ主義的いい子ちゃん風なのでありまして、そんなことでは世の中に新しいことなんか起こらないのです。
そんな世の中はよくないと、ぼくは断じていいたい。
リスクをとって何かにチャレンジする人を賞賛するような世の中がよいとはっきりいいたいのであります。
そんでまあ、大げさ風な話しになってしまいましたが、ウォータースポーツのリスクって何だろうって考えました。
スキューバーダイビングなら流されるとか、減圧症とか、エア切れなどなどです。
サーフィンなら流されるとか、落雷とか、他のサーファーや隠れ根にぶつかることなどです。
シーカヤックの場合はなんでしょうか?
風や潮に流されることもあります。ブーマーで沈することもありえます。
この間気がついたんですが、パドルが折れるとか、パドルが流されるのも大きなリスクですね。
よく考えたらシーカヤックの動力は自分の腕力でして、その腕力を効率的に推進力に変えるのがパドルなんですねえ。
シーカヤックをやっていると、自分でも気がつかないうちにぞんざいにパドルを扱ったりしますが、そんなことをしてはいかんのですね。本当は…
ちゃんと神棚に祀って、海の安全を祈願するくらいでないとね…
というわけで、最近ではシーカヤックで海に出る前に、パドルのシャフトにひびが入ってないかとか、パドルリーシュをちゃんとつけるとか、予備のパドルを持っていくとか、一応傾向と対策をしているんですね。
西伊豆ハイキング
定年後の海辺への移住について周囲の人を見ていて感じたこと
職場の先輩など周囲の年上の人が定年退職の時期を迎えています。その中には自然の豊かな土地に引っ越す人もいたりするわけです。
そういう人は山派と海派に別れますね。
あと書店にも田舎暮らしの本を見かけます。特集記事で「定年後は田舎暮らしをしよう」みたいなのを見かけることから察すると、ちょうど団塊の世代がリタイアして田舎暮らしを志向される方が多いのかなと思ったりします。
ぼくは20年くらい海辺で遊んできたので、その当時(つまり20年前)同じように定年退職をして海辺に越してきた人達を見てきています。
ぼくは伊豆に行くことが多いので、伊豆高原だったり、熱海だったり、熱川だったり、下田だったりです。
みなさんだいたい55歳から60歳くらい。
年金生活をしたり、ペンションをやったり、カフェを経営したり、陶芸教室をやったり、まあいろいろです。
で、こういう人達は、そうですね65歳くらいまでは、海辺の生活を楽しんでいらっしゃるんですね。
問題はその後です。
70歳くらいになると日常生活を送るのが結構大変になってきます。特に田舎暮らしだと、車を運転しないと最寄りのスーパーに行けないとか、病院まで行くのに1時間くらいかかるとか、庭の草むしりがしんどいとか、アプローチの階段がツラいとか、そういう一つひとつのことが大変になってくるんですね。
それで憧れの海辺暮らしをあきらめて、また都会のマンションに引っ越されたり、お子さんと2世帯住宅を建てたりなさる方がいらっしゃるんですね。
つまりですね、サラリーマンが定年後に悠々自適に海辺暮らしをするぞって思っても、それはせいぜい10年とか長くて15年なんですね。
それを承知で海辺暮らしをするならいいんですが、終の棲家を海辺にしようと期待すると現実的には厳しいような感じです。
もし本当に海辺暮らしをしたいなら、定年を待っていたら遅いですね。
その頃には体力的に厳しくなって、趣味がほとんどできないということが多いです。
だからって若い家族持ちの人が、現状を強引に打ち破って海辺に引っ越すのも、それはそれでかなり思い切りの要ることだとは思いますが…
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