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田舎に住む人から都会の人を見ると、こんな風に見えているかもしれません…



 うちは海辺の田舎にあります。
 こんなところですが観光客の人が来ます。
 観光客…主に都会…ていうか東京…から来た人はなんとなくわかります。歩いている人でも車で走っている人でも…
 それはたとえば着る物がちゃんとしているとか、セカセカしているとか、前に前に行こうとする感じとか、前の車との車間が狭いとか、入りたがっている車を入れないとか、そんなちょっとしたことでなんとなくわかります。
 ぼくは離島を旅するのが好きで、三宅島なんてよく行くんです。三宅島にある雑貨屋(スーパーという佇まいではないけど、なんでも扱ってる店)なんて、島に2軒(だったはず)しかなくて、店の人もヒマなときは奥に引っ込んだり、店の裏で作業をしてたりします。島の店なんてそんなもんです。
 あるとき見かけた光景なんですが、店の人がレジにいなくて、そこにいかにも観光客というオジサンが買う商品を持ってレジ前で待っていたわけです。たぶん5分くらいだったと思うんですけど、店の人がレジに戻ってきたらそのオジサンが「何やってんだ。客を待たせるとは何事だ。そんないい加減な対応は東京ではありえないぞ。」って怒っていました。
 いやはや、東京に住んでいる人がみんなそうだとはいいませんけど、「都会に住んでいるとこういう風になるのかな? けっこう深く病んでるなあ。」と思ったものです。ぼくはそうやって時間に追われるのから逃げたくて島に旅に来てるんですけど、その島でそんな光景を見るなんてイヤだなーと思いました。
 三宅島なんてまだちゃんとしている方で、沖縄の離島とかに行くと、店のオバアが近所のオバアと縁側で話込んでいて店に全然出てこないということはけっこうあります。そうすると客は欲しい商品をとって、その代金をレジらしきテーブルに置いていくわけです。別にそれでいいじゃん。
 ここまで極端じゃなくても、高速道路を走っていて、都会のナンバーの車がすごく急いで走っていたり、前との車間が短かったりする様子を見たことがある人は多いんじゃないでしょうか? それともそれはぼくがそういう目で見ているからでしょうか?
 ぼくの、もしかしたら偏った見方かもしれませんけど、人が過密に住むところでは、「他の人より先に」とか「他の人に負けなように」とか「自分が損しないように」といった気持ちが、心の芯の奥まで染みこんでいるんじゃないんでしょうか?
 ぼくが以前東京に住んでいて、住むのがイヤになって海辺の田舎町に引っ越したのは、そのあたりが理由な気がします。周囲がそうなので暮らしづらいのと、自分もだんだんそうなってしまいそうでそれがイヤだったのと両方の気持ちがあったように思います。それは具体的には、通勤電車のラッシュとか、道を車で走っているとすごく狭い車間のところに割り込んでくるとか、近所のスーパーで買い物するだけなのにレジに長い列ができている(当然ながらときどき横入りする人がいてイザコザが起きる)とか、カフェで席を取るために置いておいた本が数分の間に盗られてなくなっていたりとか、ATMでキャッシュカードの磁気がおかしくなっていて、スムーズにお金が下ろせず、後ろの人に文句いわれたりとか…すごく細かいけれど決して気持ちがいいとはいえない出来事が積もり積もってイヤになったのだと思います。
 日本のいろいろな地方を旅していて、県庁所在地くらいの規模の都市でも住んでいる人は結構のんびり暮らしていたりします。ゆったりした町と少し足をのばせば豊かな自然があって、実質的な暮らしやすさは東京よりもいいように見えました。何かに追われるように急いでいたり、他人を追い抜こうとしたりするのは、東京と関西の都市部の人くらいじゃないかなあとぼくには思えます。仮に、日本の大多数の生活者が、東京とか関西の都市部の人とは違った感覚で日々暮らしているとするならば、さっきのオジサンはもしろ少数派だといえるかもしれません。オジサン自体は東京が中心で、そのやり方がスタンダードだと思っているんでしょうが…












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なんとかなるさ…



 ぼくはウォータースポーツをします。で、あまりスポーツをしない同年代のオジサンから質問されることがあるんですが、それは「危なくないですか?」というものです。それが質問回数最多です。
 で、まあその質問のニュアンスというか言外にある意味が「あなたは社会人として、また妻子がいる身として、そんな危ないことをして、それで何かあった場合に残された家族や仕事に対する責任をどのように考えているのか」というイヤミというか批判です。
 まあ、社会の普通の常識人としてまっとうな指摘ですが、こうした保守的なヤツがいるから日本ってカタくて、イノベーティブなモノが生まれないんだよなーとも思います。

 ぼくは大学生の頃からウォータースポーツをしてきました。もうずっと…かれこれ30年くらいになるんですね(あぁ歳をとちゃいましたね)。こうなってくるとウォータースポーツというのは、趣味と表現するには軽くて、ぼくの生き方を語るうえで重要なパーツであり、ライフワークって仕事ではないですけど、まあそれくらいの意味を持つようになってきました。
 もちろん危ないですが、ウォータースポーツがない暮らしなんて、ぼくらしくないです。ぼくからウォータースポーツを取ったら、ぼくではなくなってしまいます。と、まあそんな感じなのです。
 そして危ないですが、そしてこれは山登りをする人や冒険をする人もよくいっていることですが、危ない遊びというのは無事に生きて還ってきて、初めて成功といえるのです。
 だから危なさに対してはけっこう準備しています。しかし、危ない遊びをしない普通の人からすれば、なぜそんなことをするのか?と尋ねられるのですが、それは楽しいからです。
 そして、危ないと思われることでも、やってみるとそれほど危なくないことが多いのです。まあ、なんとかなるんです。
 危ないからちゃんと生きて還ってこれるように準備をして海に出るわけですが、まあそれほど危なくないことが多くて、まあなんとかなるさ、ということです。もちろん万全ということはなくて、準備した以上の危険なことが起きることはあると思います。
 でも、それって(準備した以上の危険に直面することは)ぼくからすればちょっと近所のコンビニに買い物に行って、途中で、スマホ見ながら運転している自転車に轢かれて運悪く死んでしまうよりは、ずっとマシなことだと思うんですが、その感覚ってわかってもらえるでしょうか?
 危ない海に出てもなんとかなることが多いけど、何気ない日常に潜んでいる危険はどうしようもできない…
 そう、今回いいたいことは、生きていく上で、ぼくは「まあ、なんとかなるさ」と思って生きていますが、一方でいつ何が起きるかわからない、「ぼくにはコントロールできない」とも思っています。その2面性です。生きる上でのリスクの2面性。その2面性に対するスタンスのとり方って人によって結構差があるんじゃないでしょうか? もちろん良し悪しではなく…











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自然に接するのが好きな人とそれほどでもない人



 海辺で潮風に吹かれながら、太陽を浴びて、ウォータースポーツをしたり、ビールを飲んだり、庭の手入れをしたり、ビールを飲んだりしていると、心の芯からリラックスできるワタクシです。
 ぼくは自然の豊かなところにいるとリラックスできる実感が常にあります。それってぼくだけかなあ?と思っているんですが、相方に訊くと彼女もそうだといいます。ぼくは海辺の田舎町に住んでいるので、周囲の友人もそういう価値観の人が多いんです。
 でも、会社の人、特に若い女性なんかに訊くと「それムリ」とか「虫とか嫌じゃないですかあ」とか「たまに遊びに行くなら…」とかいう答えが多いんですよね。
 とすると、自然が好きな人と町が好きな人がいるんでしょうか?
 それとも年齢とか経験によってだんだん自然が好きになっていくんでしょうか?
 あるいはライフスタイルによって、好みの場所が違うんでしょうか?
 そもそも、なぜぼくはそういうことが気になるんでしょう? 思えば、ぼくと相方は結婚してしばらく東京の町中に住んでいました。で、なんとくなく暮らしにくいという感覚がありました。というかイライラしてました。で、子供を授かって、絶対東京で子育てはムリだねということで、海辺の田舎に引っ越したのです。今でも、あのまま東京に住んでいたらどうなっていたんだろうと思います。
 ぼくはそれぐらい都会の暮らしにストレスを感じるタイプです。海風があたるところ、木々に囲まれたところにいると、ホッとします。
 古今東西、自然の中の暮らしを愛した人は大勢いて、ぼくは自分の価値観が似ているから、そういう情報ばっかり選んで目にしますけど、そうじゃない人ももちろん大勢いて、そういう人達は、都会の暮らしにストレスを感じていないんだなあと思うのです。

 それってなかなかの価値観の違いですね。いや、いろいろみんな価値観は違いますけど、ここにもあったか…という感じです。













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一意専心、無責任道に精進してまいります



 常日頃「ボクはだらしない人間です」「いい加減な人です」「テキトーな人です」「無責任な人です」「道楽者です」といい続けています。
 思い出せば、小学生の高学年くらいから大学に入る頃までは、人並みにはちゃんとしようと努力していたのでした。大学でいろいろな友達と遊ぶうちに、ぼくよりも優秀で、しっかりしていて、マジメな人はこんなに大勢いるんだから、まあ自分はそこまでしなくてもいいんじゃないか、と気づいたのでした。それからは自分が選択できるんであれば、できるだけ役割とか責任みたいなことを背負わないでいこうと暮らしてきました。
 さらに思い出せば、大学の頃にサーフィンを始め、スキューバーダイビングを始め、ぼくの交友関係はウォータースポーツやアウトドアスポーツ関連に広がっていくわけですが、そうした仲間はみんな自由に見えました。もちろん彼らはいわないだけでそれぞれいろいろあったんでしょうが、少なくとも、ぼくからはぼくより自由に見えたのです。
 ぼくにとって大学時代というのは、生き方とか集団でのポジションの取り方の転機だったんだなあと思います。
 もちろんぼくもまったく責任を果たさないわけではなくて、約束の時間を守ったり、冠婚葬祭には参列したり、税金を納めたり、運転免許証の更新をしたり、カードの支払いはちゃんとしたり、一応家族がいたりして、役所の住民票には世帯主(それを見るたび違和感を感じます。いえいえそんな世帯主なんてオソレ多い。そんなそんな、まあまあ…)なんて書いてあったりします。
 これはフツーで当たり前だという見方もありますが、いやいや、ぼくの友人には約束の時間どおりに来たことがないヤツは大勢いますし、世界や日本の津々浦々を転々として、住所がほぼ不定なヤツもいますし、付き合っている女性がいて子供もいるけれども籍は入っていないというヤツもいます。冠婚葬祭は面倒くさいからと肉親のにも出席しないヤツもいます。
 いや、彼らを褒める気はないんですが、人間ってけっこう自由になれるっていうことをいいたいんです。
 そんな彼らに共通しているのは「他人にどう思われるかを気にしない」ということです。これができれば人はかなり自由になれるんだなって、ぼくは大学時代に気づいたのでした。それは遅いともいえるし早いともいえるでしょう。
 ただぼくの未熟なのは、それに気づいたのに、徹底して実行できず、まあまあフツーの社会人であろうとしたことです。思えばそのあたりがぼくのミスでした。もう少しで「夢を追いかける自由人」になれたのに…あぁ一度の人生を取り返しのつかないことをしてしまいました。
 ただ何事もやってできないことはありません。ぼくも今からでも日々の稽古で「他人にどう思われるかを気にしない」ことを徹底して「夢を追いかける自由人なオジサン」になれるよう一意専心、無責任道に精進してまいります、と思うのです。











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もう少し自由に大らかに暮らしたい



 幼い頃学校で「人間は独りでは生きられない社会的動物です」と教わったのです。
 まあ、それはそうですね。
 みんなで集まって暮らすために法律ができルールができマナーがあるんだと、ぼくは思っています。だから、おそらく、そうした法律とかルールとかマナーって、社会の多くの人がよい・大切・公平・快適であると考える基準でできているはずだとも思っています。ということは多数派ではない人にとってはよくなかったり、大切でなかったり、公平でなかったり、快適でなかったりすることがあるということです。
 もし仮に、価値観や生活のあらゆる面で標準的で多数派な人がいたとしたら、そうした人は暮らしやすいでしょう。
 ぼくはわりと少数派な生き方をしてきたと思っているので、いろいろルールとかマナーがあってツライなと感じることがあります。もうオジサンなのでだいぶ慣れてしまいましたけど…
 いえ、ほら、ちゃんと法律やルールは守りますけど、マナーみたいなレベルまでくると、今でもけっこう息苦しさを感じます。
 細かいんですけど、たとえば、それはスーパーなんかに行って駐車場で白線に沿ってちゃんと車を停めるとか、道を歩いているときに右側(左側?)通行するだとか、家や車や自転車に鍵をかけるとか、ホームで電車を待つときは線に沿って並べとか、ズボンの下にパンツを履くとか、大人の男がちょっとしたレストランに行くのに、ビーサン・短パン・Tシャツでは行ってはいけないとか、朝からビールを飲んではいけないとか、寝るときは家でベッドや布団で寝なければならないとか、盆暮れにはお中元やお歳暮を贈るとか、年賀状を12月何日までに投函せよとか、ホテルのビュッフェ形式の食事で皿に自分の好きな物を取り分けるのに順番に並ばなければいけないとか、好きな肉ばかりたくさん取っちゃダメだとか…えーっとオレってだいじょうぶかな…
 ねえそんな細かいこと誰が決めたの? 別になくたって誰も死なないし、誰にも迷惑かけないでしょう。いやそれぐらいはいいことにしようよ。などと思うことがときどきあります。
 細かいマナーにうるさい人を見ると、そういうこといってる時間があったら、世界の紛争地帯に行って平和貢献活動でもしてこいと、筋の通らない憤りを感じたりもします。あんた平和でハイコンテクストな文化の日本で暮らしてるからそういうこというんだよ!とも思ったりします。
 要するにもう少し自由に大らかにできないかなーというのがぼくの思いです。
 でもそれってあんまりやると少数派や弱者にしわ寄せがいきますし、難しいところです。自由さと大勢の人の快適さとは裏表ですから…
 そんなに自由に暮らしたいんだったら人がいない辺境に住めばいいわけですが、たぶんそれってぼくにはムリです。
 ぼくが現実的にあり得ると考えているのは、あまり人が多くない田舎に住んで、個人の自由と社会的ルールのバランスをとるということぐらいです。
それのひとつとして海辺の田舎町に住んでるわけです。海は陸よりはルールがユルいですから…
 みんなが知っている歌で、みんなそれぞれ個性があって、一人ひとりが世界でひとつだけの花なんだから尊重し合いましょう、みたいな内容のがありますけど、それならルールやマナーを緩和してもらわないと、少数派は生きづらいんですけどーとも思ったりします。
















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海辺の田舎町の友達たち



 海辺に引っ越して、かれこれ30年近くになりました。
 その間に近所の海遊びをする人達と知り合いもできましたし、もともとウォータースポーツで知り合った人達とも付き合いが続いています。
 そんなわけで、周囲もぼくもだいぶ歳をとってきたんで、しばらく海で見かけないと、スマホに「大丈夫か?」と連絡が来たりします。近所のスーパーで会っても相手が日焼けしてないと「体調、大丈夫?」と心配し合うような感じです。高齢化社会のウォータースポーツマン同士に付き合い方はこんな感じになっていくのかもしれません。
 海辺の町に住んで、ウォータースポーツをする人というのは、それなりに自分の考えやライフスタイルを持っている人が多くて、そういう人達との人間関係というのがぼくはわりと好きです。
 自我がハッキリしているのと、付き合い方の距離感と、力の抜け具合が、自分と合うみたいです。
 わかりやすくするために、逆に苦手な人を挙げてみます。
 都会のタワマンなんかに住んでいて、有名な企業に勤めて、ベンツを乗っているような人というのは、経験的にぼくは話が合いません。そりゃあたりまえですね。ぼくは海辺の小屋みたいなところに住んで、会社でイヤイヤ働いて、軽トラってサイコーって考えている人間ですから…
 いや、それだけでなくて、もっと深いところの価値観が一致していないというか、生き方が好きじゃないという感じがします。例に挙げたような人って、幸せの価値観が他者目線なんじゃないかって感じます。自分がいいか悪いかじゃなくて、他者が自分の生き方を評価してくれるかどうかを大切にしているということです。たぶんそういうところがぼくは合わないんだと思います。
 少し考えればわかりますけど、他者の評価で自分の幸不幸を判断するのって無理があります。いい歳して、そういうことを考えていないのか、考えているけどそこから抜けられないのかわかりません。前者なら思慮が浅すぎますし(強いいい方ですが、それ以外に言葉が浮かびません。敢えて別な言葉にするとバカでしょうか。)、後者なら弱すぎでしょう。
 そうじゃない人の割合が比較的高い海辺の田舎町の暮らしは、つまらない人と付き合わなくてよくて、なかなか快適なのです。
 毎日つまんねえヤツとつまんねえ話ばっかするのもうやだなと感じていたら、あなたは海辺の暮らしの方が合う人かもしれません。













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やっぱり夏が好き…



 夏になると暑かったり、ぼくの住んでいる海辺の町は観光客で混雑したり、虫が出たり、アレやコレやあるわけですけど、ぼくは夏が好きで、夏の海が好きです。シーカヤッカーの友人は夏の間は海に出ないという人もいますが、ぼくは時間があれば海に出ます。
 夏の好きなところを挙げてみましょう。
・夏の匂い
 夏の匂いが好きです。海の潮の匂いが濃くなるのでしょうか? あるいは森の草いきれが強くなるんでしょうか? 夏特有の匂いってあります。あれが好きです。特に夏の朝の匂いが好きです。
・夏の波
 暑いといってもビーチで日影を作っておけば実はそんなに暑くありません。海は風が吹きますから…
 そして風が吹くと波も立ちます。特に我が家のあたりは、午後はたいていオンショアの風が吹くので、それに伴って午後から夕方の夏の波は少し高めになります。
 火照った身体を鎮めるように、夕方サーフィンして、家に戻ってシャワーを浴びて、ビールを飲むのは、なかなかシアワセです。
・暑さ
 人が死んでしまうほどの猛暑ですが、ぼくは暑いのはわりと平気です。寒いのはすごく苦手ですけど…
 なので、引っ越すとしたら、今は関東地方に住んでいますが、今のところよりも温暖なところがいいです。
 暑いと頭がボッーとして難しいことを考えられなくなるのがいいですね。Tシャツ・短パン・ビーサンで身軽に過ごして、暑い暑いといいながら汗をかいて、汗をかいたらシャワーで流して…
 そういう新陳代謝の速い感じが好きです。
・夏祭り
 ぼくの住んでいるあたりでは、お盆と9月頃に夏祭りがあります。盆踊りもあります。
 大人になっても夏祭りっていいですね。
 提灯の灯りってちょっと幻想的な感じがして好きです。
・窓を開け放しておける
 閉じた空間が苦手です。閉所恐怖症かもしれません。でも、怖いワケではないんです。窓が開いていて、空気が動いていて、ほこりとかカビとかがたまらなそうな感じが好きなのかなあ。
・台風
 台風で被害に遭われた方には申し訳なくて、不謹慎かもしれませんが、子供の頃から台風が近づいてくるとなんとなくソワソワ(実はワクワク)してしまいます。わざわざサーフィンしたり、波を見に行ったりします。
 お盆の時期の海は混雑するんですけど、地元の人しか知らないちょっとした入江に行けば、ほとんど人はいません。そんな入江で日がな一日ボーッとしているのは、間違いなく夏の楽しみです。
















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海辺の町に住むことの良さのひとつは、だらしない格好で出歩けること…ぼくの場合



 ぼくは家にいるときは、短パン・Tシャツ・ビーサンです。
 買い物もそんな感じです。近所の人はだいたい顔見知りですし、まあ田舎の漁師町なので、気取っているわけでも、華やかな感じでもありません。
 ぼくは昔から短パン・Tシャツ・ビーサンが好きで、できる限りその格好でいるようにしてます。さすがに冬は暖かい格好をしますけど、でも下は短パンだったりします。裸足だし…
 そういう点では、ぼくのような格好をしているオジサンは結構見かけますから、今の土地に引っ越してきてよかったなと思います。さすがに東京の街中だとこうはいかないでしょう。
 若い頃、最初にぼくのこの短パン・Tシャツ・ビーサン的生態を知った相方は、唖然としていました。
 「なぜ?」「寒くない?」といわれても、ぼくとしては「ズボンが足にまとわりつくのうっとおしくない?」って疑問形で返すわけですが、「えっ…ぜんぜん…」と若干引き気味の答え。だいぶすれ違ってますね。思えば、よくこれまで離婚もせず、もったものです。夫婦というか共同生活というのは、こうした価値観の違いを理解しながら進んでいくんでしょう。
 ちなみにその後、我が家の息子も大きくなり、ぼくと同じことをいっていたと相方はため息交じりにぼくに教えてくれました。長ズボンはうっとおしいと…遺伝でしょうか、生活習慣でしょうか?
 
 最近ミニマムに暮らすとか断捨離とか余計な物を持たない暮らし方という言葉を目にしますが、年中、短パン・Tシャツ・ビーサンで暮らすぼくもミニマムなライフスタイルといってもいいんじゃないでしょうか? ミニマリストと呼んでくださっても苦しゅうない、です。
 それからこれは以前からサラリーマンのみなさんと共に闘いたいと強く思っているんですが、ビジネスで履く革靴というかビジネスシューズ、あれ、みんなでやめにしませんか?
 不自然でしょ。無理があるでしょ。せめてスニーカーでしょ。
 できるならビーサンか、百歩譲って(誰に?)クロックスみたいなサンダルでokにしませんか?
 湿気の多い夏とか梅雨時とかの日本で革靴ってどう考えても無理してませんか?
 お得意様に営業に行くときもビーサンでokにしましょう。もちろん受ける側もビーサン。
 来年の春闘はぜひメインの要求項目にしていただきたいと思うのです。
 えーっとなんだっけ、だから家では、人類としてギリギリレベルのだらしない格好をしています。
 夏なんか、できればスッポンポンでいたいわけですけど、そうするとスーパーとかに買い物に行くときに何かはかなきゃいけないわけで、それがもう我慢できなくなる自分が怖くて、一応かろうじてユルユルの短パンをはいています。最近は短パンのゴムの締め付けがうっとおしいんで、タイパンツというブカっとしたヤツを穿いてます。短パンの下は下着は穿いてません。イヤ~ン、ノーパンなの…
 で、夏になると一応観光客の方が来るわけです。で、海に近いスーパーなんかだと、観光客の人もいるわけ。タイパンツにTシャツ・ビーサンなオジサンは、なんとなく浮いちゃうわけですね。あれ、なんとかなんないかな? 地元の人ばかりだと全然違和感ないんだけどな。












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ちょっとしたゆとりで暮らしやすくなるのかな?



 海辺の田舎町のユルーい暮らしが性に合ってます。

 ぼくのウォータースポーツ友達はわりといい加減なヤツが多いです。いや、ちゃんとしてるんですけど、あれ?ちゃんとしてたかな?、いや、そんなにメチャクチャじゃないだけで、フツーですよ。なにがいいたいかというとそんなに堅くない人が多いっていうことです。
 海辺に住んでいる人がみんなそうではないですが…

 わかりやすくするために例をあげてみます。
 ぼくの相方の実家は東京の区内にあります。年に何回か泊まりに行くんですが、ある日の早朝、家のピンポンが鳴って、近所のオジサンが、義理のお母さんにすごい剣幕で文句をいいに来たことがありました。内容はゴミを出す時間が早かったということなのです。いや、一瞬何か事件が起きたのかと思って緊張しましたよ。
 たとえばですけど、ぼくの住んでいるところにこういうオジサンはいません。同じことがうちの町内で起きたら、あるとき家の前でたまたまあったときに「あっ、そうそう。ちょっと気をつけてね」みたいな感じでいわれるだけでしょう。

 こういうヘンな堅さ・マジメさ・神経質さって、人が大勢暮らしているところだから起きるのか、たまたまあのオジサンがヘンだったのかわかりませんけど、何だか余裕がない感じは確かです。
 そう、余裕とかゆとりとかアソビとか、そんな言葉がしっくりきます。
 海辺の田舎町にはそんな余裕とかゆとりとかアソビがあって、そんなユルさが暮らしやすいんじゃないかなあって思います。
 一口にゆとりっていっても別にたいしたことがないようですけど、町内の人みんなが少しずつゆとりがあって、そのゆとりで、他人や町のことに少しずつ気配りできるとそれはだいぶ暮らしやすさに差が出てくるんではないでしょうか?

 東京の暮らしにくさって、ギスギスした感じとか、他者に無関心な感じとか、常に他人を追い抜こうとしている感じとか、他人に負けまいとしている感じから来ているんじゃないでしょうか。

 ぼくは小さな島を旅するのが好きですが、そのよさって、島の人のノンビリした暮らしに接することだったりするんですけど、ぼくの東京嫌いはそこからも来てるかもしれません。いやー早めに海辺の田舎に引っ越してよかったなあと思います。











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変えられない状況で楽しく過ごすぼくの方法



 ずっとウォータースポーツをしてきました。
 サーフィンにしろ、スキューバーダイビングにしろ、セイリングにしろ、海のコンディションが整わないと遊べません。
 一方でベストなコンディションでなくても、うまくやると楽しく遊べます。
 もともとぼくのウォータースポーツ遍歴は、お手軽体験コースみたいなのでサーフィンをやり、その後スキューバーダイビングでCカードをとり、その後自分のボードを買って本格的にサーフィンをするようになり、次にセイリングとシーカヤックをやるようになりました。
 それはスキューバーダイビングができないような波があるときはサーフィンをすればいいし、風が強い海がバシャバシャのときはセイリングをすれば楽しめる…みたいな感じで、その時その時の海のコンディションで楽しめるウォータースポーツをやってきたんです。で、だんだん嗜むウォータースポーツが増えてきたんです。
 そのベースにあるのは、とりあえず海の状況が変えられないから、その時に楽しめることをやればいいや、という考えです。
 さて、ここから話は人生訓っぽくなるんですが、ぼくは仕事で会社で働いて、その時々でなんとなく楽しくやればいいやって考えてるんですけど、そういう考えは、ウォータースポーツの経験から来ているような気がします。
 ご存知のように組織で働くと自分の思うようにならないことばかりです。もちろん頑張れば、ある程度自分の思いを反映することもできますが、それはごくごく一部のことです。他人の考えは変えられないし、組織の方針はトップダウンだし、上司も部下も自分の思うとおりになんてなりません。
 それでいちいち悩んでいてもしょうがないわけで、そんなこと考えるより、その日一日を楽しく過ごした方がいいや、っていうのがぼくの基本方針です。
 短期的にはその状況を楽しみながら、ジワジワと自分のやりたいことをやっていく感じ…それはセイリングで風上に上っていくのに似ています。
 あるいは向かい潮のときは無理せず岩の陰にじっとして、潮が止まったり、追い潮になったときにサッと移動するスキューバーダイビングの状況にも似ています。
"I can't change the direction of the wind, but I can adjust my sails to always reach my destination."という諺がありますが、まさにそんな感じの心持ちをぼくはウォータースポーツで身につけたように気がします。
 それが正しいのかどうかなんてわかりませんが、無理せず楽しくジワジワと自分の行きたい方向に行くという面では、なかなかいい方法だと自分では思っています。
 ままならない状況でも、まあそのとき一番マシなことをやればいいやと思っています。










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