海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
船の上で潮風に吹かれる快感
島が好きで船に乗ることがあります。
たまにセイリングをすることがあります。
スキューバーダイビングでボートに乗ることがあります。
シーカヤックをします。
たぶん海遊びをしない人に比べたら、数百倍船に乗っていると思います。
一方で漁師さんや海関係を仕事にしている人に比べたら、たまに船に乗っているわけです。
で、たまに船に乗る自分としては、船に乗るときというのは、特別な気持ち良さがあると実感します。
船のスピードが上がるにつれて、身体に潮風が当たります。これがめっぽう気持ちいんです。
それから波を越えていくときの揺れ。これもすごく気持ちいい。
船酔いしやすい人には絶句されるかも知れませんが、ぼくはかなり揺れても酔わないので、まるでジェットコースターに乗っているように楽しいんです。
一度、御せに乗せてもらって、けっこう荒れた海にでることがあったんですが、酔いもせず、寒くても平気だったので、漁師さんに褒められたことがあります。
他に取り柄というものがないんですが、船酔いに強いのは、ぼくの唯一の取り柄かなーと感じます。
そんなわけで、船の上は、ぼくにとってすごく居心地のいい場所なんです。
船に乗るたびに「やっぱりいいなあ」と思います。
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「なんとかなるさ」そして「なんくるないさ」
「なんとかなるさ」っていいですよね。
沖縄の人は「なんくるないさ」っていいますね。
この言葉にこめられている思いというか、生き方に共感します。
周囲にも必ず1人はいると思いますが、すごく細かいことに目くじら立てて大騒ぎする人。
すごく悲観的な人。
自分と反対の意見を持っている人。
マスコミなんかも、政治家の取るに足らない言動の揚げ足をとって、減点させてやろうという媒体や会社があります。
他人とのちょっとした差を気にして、自分らしさを失ってしまう人もいます。
すごく深刻なトラブルに直面して、もがき、がんばっている人。
世の中のことはたいていなんとかなる、という先人の教えは大切だなと思います。
まあ、自分的には、なんとかならなくても死ぬだけじゃん、と思っていますけど。
海辺に住んでいて、海遊びをしていると「なんとかなるさ」という言葉がひときわココロに染みいります。
というのも大きな台風が来ると、作物は台無しだし、ヘタすると家は壊れちゃうし、港だって壊れます。
でもまあ、また作ればいいし、とりあえず生きていれば、一歩を踏み出すことができるわけですから。
「これはたいへんだ。どうしよう。もうだめだ」って考えるのは、その人の頭の中の話しだけであって、客観的に見ると「なんとかなるさ」っていうことが結構あるような気がするんです。
ぼくもこれからいろいろなことがあると思うんですが、「なんとかなるさ」を忘れないようにしたいです。
海好きなその日暮らしをおくることについて
休みの日はたいてい海に出て遊び呆けています。
お気楽な道楽者になるのが、ぼくの今のところの目標なので、その目標に向かって一生懸命がんばっているわけです。
ただ周囲の人には、その努力がわかってもらえないようで、誠に遺憾でございます。
世間の常識というのは、誠にもってなんとも難物でございますな。
「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上を潰した」という歌がありますが、一度しかない人生で自分の好きなことをやって身上を潰すなら本望だよなあと思うぼくです。
逆に、好きでもない仕事を一生懸命やって、財テクやって、小金を貯めて死んでいく人生に何の意味があるのか、ぜひ教えてもらいたいなあと思います。もちろんそういう人生にも意味はあると思います。ただぼくが実感としてわからないから知りたいというだけです。
一方でたいへんだなーと思うのは、由緒ある家に生まれて、たとえば歌舞伎の名家とか茶道の家元に生まれて、その家を継がなければいけないという人もいるでしょう。そういう方には心から同情と賛嘆申し上げたいと思います。
人の生き方のかなり根っこの部分に、子孫を残して次代に命をつなぐという本能というか社会的責任のようなものがあると考えますが、それが社会的に重要な役割を負っている場合には、特にその責任は重いでしょう。
そういうちゃんとした人がいないと国としても不味いでしょうから、がんばってください。
たまに経済評論家みたいな人の言説で、このままでは日本の国力が落ちるので、若い世代にはがんばってもらいたい、なんてのを見たり聞いたりしますが、「無責任なこというんじゃないよ」と思います。一般論としてそういう言説はあり得ると思いますが、受け取る側が個人だったらちょっと問題です。若い人でまともに受け取る(純朴な)人がいたら、その人の人生に責任持てるの?って思います。
健康で暮らしていけるだけで丸儲けとはよくいったもので、その日一日が楽しければ御の字の大儲けです。っていう考えの大人もいるので、若い人は、どうぞよろしくうまいことやってください。
葉の緑と海の青の組み合わせが好きです
うちの裏山が雑木林なので、それをいいことにいろいろな種をまいています。
天海和尚の故事に倣って、柿を食べたら柿の種を、夏みかんを食べたらその種を…という具合にめったやたらと種を蒔いています。一説にはそれは蒔いているんではなくて、捨てているんじゃないかという意見もありますが、いえいえ、そんな、まあまあ、どうぞどうぞ…
今のところ芽が出たものはないんですが、そのうちもしかしたら…と思いつつ蒔いています。
裏山で木々に囲まれながら土いじりして、一段落ついたところで顔を上げると、海が少し見えます。葉っぱや木の枝の間から…
その瞬間が好きです。
特に新緑の頃のみずみずしい葉の色と海の濃い青色の組み合わせが好きなんだと思います。
この幸福感はどこからくるんでしょう?
自分でどれだけ考えてもよくわかんないんですよねー。
沖縄の離島はいいなあー
沖縄の離島に行くのが好きでございますよ。
人口が何千人とか何百人という島に行くと、時間がすごくゆったり流れています。
島の人というのは独特の雰囲気があって、それに影響されます。島に行くと気持ちがゆるーくなります。なんか自分のココロの芯のあたりがほぐれていくような感じですね。
これは海外のリゾートに行ってリフレッシュするのとはまた違った感覚です。
たとえば、そうですねー、小さな島だと、スーパーとかなくて、昔の雑貨屋みたいなのがあったりしますが、そこのオバーが近所に出かけていて、店に誰もいないから、欲しい品物をとって代金を置いとけばいいとか、まあそういうことです。
それに対して誰も文句をいわないし、そういうもんだと思っているというところがいいです。
あと待ち合わせで時間を決めてもたいてい時間どおり来ないとか、フツーですね。
酒を飲んでいて盛り上がってくると誰かが三線を引き出して、みんな踊り出すとか、そんな飲みが夜半まで続くとか…
そういう暮らしぶりを見ると、普段自分がいかに細かいことにとらわれているか実感します。いや、ぼくもだいぶ大雑把だといわれますけど…
そういう方には是非沖縄の離島に1週間くらい行ってもらいたい。
人生楽しく過ごすのが何よりだし、細かいことに目くじらたててもしょうがない、それはお互い様、そういう沖縄の人々の考え方が好きなんですね。それはぼくのいつもの生活にはないものだから…
わからないけど、もしかしたらそういう雰囲気というのは昔は日本中にあったかもしれません。
それがどこかのタイミングで、町が発展して、地縁が薄れて、暮らしが匿名化して、自己の利益の最大化が最善のこととなって、共同体の1人という意識が低くなっていったのかなーと想像します。
たぶん昔の感覚だと、クレーマーとかモンスターペアレンツは存在しなかったんではないかと…
だいぶ話しが大きくなってしまいましたが、とりあえず沖縄の離島はいいなあ、ですね。
船で島から帰るときはなんだか寂しい
今まで何度も船で島へ行きました。
遠距離の旅行では飛行機が当たり前ですけど、そこは離島、唯一の交通手段は船というところがけっこうあります。
特にぼくの場合、滑走路さえ作れない小さな離島が好きなんで、やっぱり船が多くなるわけです。
で、毎度毎度感じるんですが、離島で遊んで帰るときは、なんだかミョーに寂しいですね。
これは休みが終わって旅先から帰るのが寂しいのもあるわけですが、それが船だと、なお一層寂しいわけです。
よく昔のテレビドラマで、恋人が旅立って別れ別れになるときに、船が桟橋から離れて、紙テープで別れを惜しむというシーンがありましたが、まさにあの世界。
船に乗り込んで荷物を置いて、デッキに出る。そうすると島の人が手を振っています。こちらも手を振ります。
船が動き始めて、だんだん島が遠くなっていくわけですね。このだんだん、ゆっくり遠くなるというところが、どうも船で旅立つときに寂しくなる原因のような気がしてしょーがありません。
あんなに楽しいオフを過ごした島が小さくなっていく。
明日からは仕事で忙しい日々がまた始まる。
てなわけで、ヘンに感傷的になるのであります。
離島フリークというのは、こういうのも含めて離島が好きなんでしょうね。きっと…
海に惹かれてここまで来ました
いろいろな海を訪れる喜び
ぼくは海辺に住んでいまして、暇があれば海に出ています。
それなのにまとまった休みがあると、沖縄の離島や海外の海へ出かけていきます。
そんなに遠出しなくても、車で海に出かけたりします。
海辺に住んでいるのに、なぜ他の海に行くのか?
近しい人は「なんでそんなに海ばっか行くの? 海バカじゃないの?」とクールミントな視線を浴びせかけてきます。あるいはこの文章を読んでいるあなたもそう思っているかもしれません。
えっと話しが飛ぶんですが、男が女性と付き合うと、男の目線としては、一人として同じ女性はいませんね。(女性もたぶん同じように考えているでしょうけど…)
当たり前ですけど。
性格も違うし、顔も違うし、モニョモニョのときの感覚も違います。
その人ごとに魅力があります。
すごくキレイな人でも、ぼく的にはあまり好きじゃないということもありますし、背筋をズーンと走るようほど衝撃的に好きになることもあります。
海というのは、ひとつとして同じではなくて、それぞれに雰囲気が違います。もう少しいうと土地が持っている気が違うと感じます。
もちろんぼくにも好きなタイプの海がありまして、そんな海に巡りあった時というのは、なんとも表現できないほど強烈な喜びです。
一度それを経験してしまうと、またその喜びを求めて海へ出かけてしまうのです。
もしかしてこの世界には、ぼくの知らない素晴らしい海があるんじゃないかと…
一種の中毒かもしれません。
街から海へ帰るときホッとする
たまに東京や横浜に買い物に行くことがあります。
車で家族で…
車なのは帰りの荷物が多いのが確実だからです。
ぼくは人混みが苦手なので、あまり乗り気ではないんですが、諸般の事情により、やむなくそのような状況となるのであります。
で、買い物を終えて帰ってくるとき、だいたい首都高の湾岸線→横横というルートを通るんですが、やっぱり鎌倉あたりから雰囲気が変わってくるんですね。それまでは横浜の工業地帯の風景だったのが、森などの緑に包まれた風景に変わってくるんです。
少し大げさですが、空気自体が変わってくる感じがします。
このあたりに差しかかかると、気持ちがホッと和むんですね。
で、高速を下りて、一般道をしばらく走ると、今度は海が見えてきます。この瞬間もなんとも嬉しいときです。
サザンの『海』という曲で「海辺へ通う道」というくだりがありますが、あの感じに共感します。
「ああ帰ってきたなあ」「やっぱりホッとするなあ」「海はいいなあ」と、若かりし頃の加山雄三のようになってしまいます。
こういう小さな喜びというのは、海辺に暮らしているからこそ味わえることで、なかなかいいものですね。
ふと海を眺めるひとときの幸せ
家の窓から海が見えます。
雑用をしているときに、ふと窓の外の海を眺めることがあります。そうするとぼくの場合、平気で10分くらい眺めてしまいます。
家族の者はぼくのそんな挙動が不審らしく、そんな長い間いったい何を見ているのか?と尋ねてきます。
うーん。改めてそう訊かれてもー。ずーっとオレってそうじゃん。
波とか。
海の色とか。
潮目とか。
風向きとか。
ブローとか。
船の様子とか。
空気のぬけている度合いとか。
向こうの方の陸の様子とか。
大島の見え具合とか。
まあいろいろ眺めているうちに時間が経ってしまうんですね。
でもまあそういう時間が、ぼくにとってはすごく大切でして、チェンジ オブ ペース的な役を果たしています。
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