海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
月の光の道は幻想的だったりして…
海辺に住んでいます。
夜に出かけたり散歩に出たりすると、何かのタイミングで、月が出ていて、満月で、しかも大きくて、それが海の上にあることがあります。
月の光の道
月が海の上に大きくあると、海に月の光が映って、光の道のようになります。
ちゃんと計算すれば、どのくらいの時期にどのくらいの頻度でそうなるかはわかると思いますが、めんどくさいので、そんなことはしなくて、「あぁ今日はきれいな月だなー」って思います。
観光地でそういうのをウリにするところもあるようですね。
特に海が凪いでいて、鏡のように穏やかな日に、満月の月が海の上にあると、光の道がクリアにできます。
そんな日はビールを持って、近くの防波堤に行きます。防波堤の冷たいコンクリートの感触をお尻に感じながら、光の道を眺めています。
大きく息を吸って吐いて…身体の奥の方の力が抜けてほぐれていくような気がします。
30分もすると自分がどこにいるのかわからない不思議な感覚になります。
大きく息を吸って吐いて…身体の奥の方の力が抜けてほぐれていくような気がします。
30分もすると自分がどこにいるのかわからない不思議な感覚になります。
こんなちょっとした時間も海辺の暮らしの楽しみのひとつです。
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あえてゆっくり歩いてみる
休日は海を眺め、海で遊び、今日もいいなあーなんていいながら、ビールを飲んで寝るような日々を送っています。
朝起きて、コーヒーを丁寧に淹れて、味わって飲み、それから海の様子をチェックして、今日やるウォータースポーツを決めます。ウォータースポーツができなければ、砂浜を散歩したり、砂浜でひなたぼっこします。
平日は、仕事で電車に乗って街に行くんですけど、人々がせかせかしているのに驚きます。特に休み明けの月曜日は、そのギャップを強く感じます。
ぼくは道もゆっくり歩きますし、街並みや行き交う人の様子や街路樹や家々の庭の草木なども眺めながら歩いているので、たぶん速く歩いている人の邪魔になっていることでしょう。
ぼくも実はせっかちでして、もちろん歩くのも速いほうでした。若い頃は特にせっかちだったと思います。結論を急いで損をしたことも多々あります。
でも、ある時期から努めてゆっくり気長に行動するようにしました。
理由はいろいろあるんですが、急ぐといい結果がでないことが多いことに気づいたのが一番大きな理由です。これは年齢的にも公私共に責任を負うことが多くなってきて、急がず慌てず物事をキチンと先々のことも見通して考えることが重要になってきたせいもあるでしょう。もちろんそれまでせっかちで、拙速でよくない面があったからその反省ということもあります。
あとはゆっくり、のんびり、マイペースに過ごすことでストレスが減ることも理由のひとつです。何かに追われて急ぐことは、気持ちがあせってストレスが溜まりますもんね。
あとは急ぐと見逃してしまうことがあることも理由です。たとえば道を目的地に向かって急いで歩いていると、その途中の店や家や木々や鳥などを見過ごしてしまうことがあります。目的に向かって邁進してしまうと、その過程がただの通過点になってしまうわけで、これはよくある結果よりもプロセスが大切だということと同じことをいっています。特に人生においては、目的は何かの結果を出すことよりもそのプロセスをが、時間の多くを占めているので、プロセスを楽しむことが人生を楽しむことと、ほとんどイコールだったりします。
実際、ゆっくり歩くと気持ちもゆったりしてなんとなく楽しくなります。
海・大らかさ・幸せ…
ぼくの友人でとても大らかなヤツがいます。瑣事にこだわらず、いつもマイペースで、人当たりもよく、楽しそうにしています。ぼくはヤツのことが好きで、よく海で遊んだり、飲んだりしています。
そうすると自分があまりに小さいことにこだわる小者な気がして、自己嫌悪になったりもしますが…
人によっては、大らかな友人のことを、大雑把で、あてにならない人と悪くいうこともありますが、まあそれはその人の価値観ですから、まあそういう見方もあるのかなあという感じです。
確かに細かな事務的な作業とかは向いていないかもしれないなとは思いますが、それを補ってあまりあるほど、ヤツは気がいいし、敵を作らないし、大物な感じがします。ヤツがいるだけで、場が和んで、楽しい雰囲気になります。
そしてその大らかな友人と一緒にいると、ぼくもこういう大らかな人でありたいなーと思います。
もうひとつ自分が大らかでありたいと思うことがありまして、それは海に出ることです。海に出る度に、自分がいかに小さい存在か、身にしみます。
海は広く、時に穏やかで、時に荒々しいわけですが、その存在は地球の歴史という長い期間で変わることがありません。
そんな海を目の当たりにすると、自分がいかに小さくつまらないことにこだわって汲々としている人間なんだろうと感じます。
大らかな友人のように、あるいは海のように、広くて、大きくて、いろいろなものを受け止められて、妬みや嫉みの心がなくて、マイペースで、泰然自若としていて、周囲の人々を幸せする、そんな人になりたいなあと思います。

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海に来て写真を撮るだけの人とマインドフルネスと幸せ
休日はできる限り海遊びをしたり、海遊びができなければビーチでノンビリするようにしています。冬でも…
波の音を聴き、潮風を浴び、太陽に照らされていると、とても幸せな気分になるのです。
不思議なもので、冬でも太陽の光を浴びているとだんだん身体の芯から温かくなるのです。
そして一日中海にいると、時間によって、太陽の強さや潮の満ち引きや風向きなどが変わっていくのがわかります。ぼくが住んでいるのは、三浦半島の西岸ですので、ビーチは西に向かって開いています。なので、午後から夕方に太陽が海の上にあることになり、その時間帯には、光が波に反射してキラキラとアルミホイルを散りばめたように輝きます。きらめく太陽光と海からの潮風に吹かれる夕方の時間帯が、ぼくは特に好きなのです。
マインドフルネスとか瞑想に少し興味があって、我流ですがときどきやっています。今の時間、自分という存在に意識を向けることだと思うのですが、そうするとココロが穏やかになります。
海で、海の様子にじっと意識を向けていても、同じようにココロが穏やかになります。どうやらぼくは、そういうココロの穏やかさが好きなようです。
一方で、ぼくの住んでいるあたりには東京から観光客の人が来ます。
この人達の多くは、ビーチに立って、わあーきれいといって、スマホで写真を撮って、帰ってしまうのです。その間だいたい5分から10分。こうした行動って、ぼくもたまにレストランとか雑貨屋さんとかでやります。これを仮に「SNSのための行動」とか「記録が目的の行動」と呼ぶことにしましょう。
「記録が目的の行動」の実態は、その行動をしながら、心ここにあらずな状態なんではないかな?と思うのです。記録したことで、その体験をしたことにしてしまって、次の体験することに気持ちは移っていく。時代はモノ消費からコト消費に変化しているといいますが、まさに行動や体験を次から次に消費しているわけです。
でも、体験というのは数も大切ですが、どれだけ深く濃くその体験の本質に触れ合うか、あるいは体験をとおして考えを深めるかが大切なのではないかと思うのです。
そして極端にいえば、「記録が目的の行動」は、マインドフルネスでやることと正反対のことをやっているのだと、ぼくは解釈しています。
もし、今、日本で、いや世界中で「記録が目的の行動」を多くの人がしているとしたら、体験を深く濃く味っている少数派の人はとても貴重なことをしていると思いますし、そのよさを、「記録が目的の行動」の多くの人に伝えると、その人達ももっとハッピーになれるんじゃないかと思ったりするのです。
いやその理屈の前提にあるのは、幸せな人生ってその人の主観だし、自分が、「ああ、今、幸せだな」と感じられる時間の濃さと深さがあれば幸せな人生だろうし、それは決して他者から評価してもらったり、「いいね」をしてもらった数ではない、という思い込みなんですけど…

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頭の中にあるモヤモヤは海で忘れる
ぼくは海が好きで、海遊びが好きで、海遊びをする仲間が好きです。
海と接している時間が大切で、そういう暮らしを作り上げてきました。
一方で、普通に生活していると、公私で、雑事や瑣事など、面倒なことやイヤなことがいろいろありますよね。海で遊ぶと、そういうことを頭から一掃できます。
自分の身の回りに起きることをイヤだと感じるか、そうでないかは、自分自身の問題で、自分の頭の中だけの問題です。実態はないのです。で、そういうネガティブな考えを頭の中に残さないのが、日々楽しく暮らすコツなわけで、ぼくが海と接する時間を取ることで、頭の中がスッキリするなら、それは積極的に定期的にやるべきだと思っています。
ぼくの相方も、ぼくが勝手に海遊びしている道楽を容認しているのは、そういういわゆるストレス解消になっているって認めているところもあるんでしょう。
この自分の頭の中にあるモヤモヤというのは、放っておくと自己増殖したり、勝手に同じことを何回も考えたり、自分を否定したり、他者を恨んだりして、いいことはありません。できるだけ早く、このモヤモヤを頭の中から追い出して、頭のスイッチを切り替えるのが良策です。
海遊びのいいところは、海がとにかく広くて、都会や会社のような細かいルールがなくて、自由でノビノビできるところです。いわば都会や会社と正反対の環境なので、頭の中のモヤモヤを打ち消しやすいんじゃないでしょうか?
実際、海遊びをすると気分がスッキリします。
そして、大きな自然の中に身を置くと、自分がちっぽけな存在だと自覚しますし、そんなちっぽけな自分の頭の中のさらにちっぽけなモヤモヤなんて、まったく存在しないも同然なくらいだと思えます。
何億年という地球の歳月のスケールからいけば、ぼくが生きている時期なんてほんの一瞬の点みたいなものです。ぼくがどうしようとどうなろうと、おそらくほとんど関係ないでしょう。だからいろいろあるけれど、気にしない気にしない、なんとかなるし、なんとかならなくても、いずれ自分も周囲もいなくなります。
海では、ぼくはそうやって考える癖がついているので、日常生活で起こるモヤモヤってどうでもよくなっちゃうんです。
そして、ぼくの存在なんて、地球にとってはほとんど関係しないも同然なので、どうせなら楽しく生きた方がいいし、やりたいことをやった方がいいなって、そんな風に今日も海で遊ぶワタクシなのでした。

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海ではみんなが楽しそう…
海っていいなあ、と思いながら海辺で暮らし、海遊びをしているうちに何十年も経ってしまいました。
海っていいなあと思う理由はいくつもありますが、そのひとつについて今日は書きたいと思います。
特に夏休みですが、海に遊びに来ている人はみんな楽しそうです。子供なんて、はしゃぎすぎて、大丈夫かな?って心配になるほど…
大人だって街では見せない生き生きとした、くつろいだ表情をしています。
デートにやってきている恋人同士も幸せそうです。
ぼくはみんなが幸せそうになる海ってすごいな、いいなって思うんです。
やはりそこには確かに何かがあるのでしょう。海に来るとみんなが楽しそうでくつろげるような何かがあるんだろうと思うんです。
それがぼくが海が好きな理由のひとつです。
海の人を幸せにする力が、仮にあるとして、それは今のところ科学的には証明できていないようです。でも、やはり経験的にそれはあると思います。海のそうした力を活用して元気に健康になることを、ぼくは勝手に「ブルーエクササイズ」と呼んでいます。
「ブルーエクササイズ」って別に難しいルールやお作法があるわけじゃありません。ただ、海や海辺で身体を動かすということです。だから既存のウォータースポーツも「ブルーエクササイズ」に含まれます。
気軽に楽しく自然を満喫…小網代の森
三浦半島の三浦に小網代の森というのがあります。
京急の三崎口からバスで10分程度でしょうか…
ここは三浦半島でも有数の葦原で、いわゆる谷戸とか入江と呼ばれるような谷間だったところが、海の水位が後退して葦原になったのです。そして谷間なので、水が流れ、一部湿地になったり、森になったり、葦原になったり、干潟っぽくなったりしています。
国道134号線を走っていると、内陸側の結構奥から谷間になっていて、それが海まで続いている様子がわかります。その谷の大きさは、三浦半島ではわりと大きいなーと思います。
潮の満ち引きで干潟には、アカテガニなどいくつかの種類のカニがいます。もちろんハゼや貝類もたくさんいて、見どころはたくさんあります。
潮の満ち引きで干潟には、アカテガニなどいくつかの種類のカニがいます。もちろんハゼや貝類もたくさんいて、見どころはたくさんあります。
ダイバーの方なんか、見ているだけで1日たっぷり楽しめると思います。
唯一の難点は、気軽に干潟に入っていけないことでしょうか…NPOの人達がちゃんと監視しているので…
ほとんどのコースで木道が整備されていて歩きやすいし、一番長い距離でも1時間程度で歩けるので、ちょっとしたお散歩コースとして適しています。
森があり、海があり、葦原がありで景色や見晴らしが変わるので、あまり飽きも来ず、歩けます。
おそらく東京から電車で1時間程度の神奈川県で、こんなに豊かな自然に接することができるのって、すごいことだと思います。鎌倉も横須賀も三浦も結構豊かな自然が残されています。
→神奈川県のHP
→かながわトラストみどり財団のHP
夏の尾瀬とかに何時間もかけて行って、着いたら着いたで、人がいっぱいで、木道が渋滞だったりすることを考えると、ほとんどすれ違う人もなく自然を楽しめるのは、時間と効果で考えると、かなりいいと思うんです。
金曜日に遅くまで仕事をして、あるいは横浜で結構飲んじゃって、土曜日の朝、寝坊して、遅いブランチを食べて、それからちょっと身体動かそうかなという時に、小網代の森を散歩して、自然にどっぷり浸かって、途中、カフェで森や海を眺めながらノンビリする、というのは、ぼくのちょっとした楽しみです。

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海はぼくにとって価値観転換装置
お気楽にテキトーに日々を送りたいと頑張っています。
自分でいうのもなんですが…、いえいえそんなめっそうもない、それじゃ失礼して…
若い頃のぼくというのは、せっかちで目標を定めると脇目も振らずに進んでいくタイプでした。体育会系なもので…
しかも、細部にこだわるタイプでもあったのです。
で、ある頃からそういうのって疲れるなあと思ったんです。なので、それから努めて、お気楽にテキトーに、目標とかいうものを敵視?して生きてきました。
その努力の甲斐があって、今では毎日ビールが飲めればまあいいかあ的な暮らしをしております。
目標とか自分のこだわりというのは、大雑把にいえばエゴです。社会の中で自分の我を通そうという行為なので、周囲と摩擦が起きて疲れるわけです。しかも目標に向かって自分を律するわけですから疲れるはずですよ、そりゃ。
目標をもってそれを成し遂げる人生が尊いのか、それともただその場限りが楽しい人生がいいのか、それはわかりません。それはその人の価値観によるのでしょう。
でも、自分が疲れるほどやるのはやりすぎで、もう少し楽に生きてもいいんじゃないかと思うのです。楽に生きるのは、周囲との摩擦を避けて、適当に流されるのがひとつの方法です。
なので、最近疲れるなーとか生きにくいなーと感じたら、それは自分が自分の価値観に固執しているか、目標を達成しなければなどと思い込んでいることが多いわけです。
そういうときは、「本当にそれってそんなに大切なの?」とか「自分が思ってるだけじゃない?」とか「他の見方もあるんじゃない?」とか「自分が一番正しいと思ってない?」とか「自分がいなけりゃ何も回らないと思ってない?」などと、少し引いた目で自分を眺めるのが効果的です。
ぼくはかれこれ30年くらいウォータースポーツをやってきました。ぼくと海遊びの相性がいいのは、海という自由な場は、ぼくのお気楽テキトー路線を支援してくれるようなところがあるからだと思います。海って、とにかく広くてルールがなくて人もいないので、そういう自分のこだわりみたいなものがちっぽけに感じられるのです。
以前も書きましたが、ぼくは海でボーッとしていると、どうでもいいことをいろいろ考えるのです。どうでもいいことって「伊豆半島は、何百万年前かしらないけど、本州にぶつかったんだよなー」とか「昔はこのあたりにも武士がいて、戦を繰り広げていたんだよなあ」とか「昔の人はエンジンもないのに、風と手漕ぎだけで、この大海原に漕ぎ出して、世界中を移動していたんだからすごいよなあ」とかそういう、本当にどうでもいいことです。
そうするとまあ自分のことがどうでもよくなるんです。もう少しちゃんというと、自分の価値観がちっぽけなものに思えてくるんです。
そういう意味で、海というのはぼくにとって価値観転換装置なんだよなあとしみじみ思うのです。チェンジ・オブ・ペースできる最高の場なんです。そういう場がぼくにはあってよかったと、それは誰に対してだかわかりませんが、感謝してます。

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気にしない気にしない
海外(の海があるところ)とか離島を旅するのが好きです。
海外旅行をすると、特に発展途上国を旅すると、日本人っていろいろ細かいことを慮ってよくないな、と思うのです。もっとKYで鈍感でマイペースでいいんじゃないでしょうか。で、お互いにいいたいことを言い合うといいんじゃないかって…
あと、みんな気楽に生きてるよなーって思うんです。日本より経済的には恵まれていないのに、そんなに先のことを心配していない感じ。日本はといえば経済的にはGDP世界第3位です。一方自殺率は7位。高齢化対策、少子化対策など課題が山積していますが、そんなに悲観することもないような気がするんです。というか、将来のことを考えすぎるから子供を作らないんじゃないかって思ったりもして…
日本のたとえば沖縄方面の離島とか旅してると、地元の人はノンビリ、気楽に暮らしてますよね。もちろん悩みはあるに決まってます。でも楽しそう。あくせくしてないように見えます。内地に比べれば仕事も少ないし賃金水準も高くないでしょう。
でも、日々暮らすということでいえば、暮らしていけるわけで、それでいいんじゃないでしょうか…
朝ゆっくり起きて、ゆっくり朝ご飯食べて、お茶飲んで、掃除と洗濯して、隣のサトウキビ畑の手入れして、昼ご飯食べて、昼寝して、近所の友達らと井戸端会議して、夕方はサツマイモ畑の手入れして、夕ご飯食べて、ビール飲んで寝る。
一方、東京の大企業の課長さんはといえば…
朝、6時頃起きて、朝食を食べて(何を食べたか覚えていない)、たまプラーザにある一戸建て5LDKの家(愛車はBMW)を出て、たまプラーザ駅から満員の田園都市線に乗って、痴漢に間違われないように最新の注意を払って、また満員の山手線に乗り換えて会社に着いて、会議と部下の営業の付き添いがずっーとあって、営業の見積り資料にミスがあって、それの対応で昼飯が喰えなくて、部長から呼び出されて、先週の重要顧客からクレーム来た件の対応状況を問いただされて、不十分だと叱られて、部下と臨時の対応ミーティングをして、気がつくと夜の9時で、それからまた満員電車に揺られて帰って、夕飯食べて(何を食べたか覚えていない)、1年前から不眠で精神科で処方された睡眠薬を飲んで寝る。
人にはそれぞれ価値観があって、何をシアワセと感じるかはみんな違います。離島の暮らしがシアワセと感じられる人もいれば、都会の暮らしがシアワセと感じられる人もいます。
ねぇ、ぼくはいつも戸惑うんですが、どちらもシアワセかもしれませんが、あえていえば先ほどの例の2人のどちらの人生がシアワセなんでしょうか? もし自由に選んでいいといわれたら、ぼくはどちらの人生を選ぶんでしょうか?
そんなの一概にいえませんけど、自殺率7位ってどうなんでしょう? どこかに直さなければいけないところがあると思うんですけど、それがどこかわからないところが日本の深刻な点じゃないかと思うんです。
あとね、細かいことにこだわったりしますよね。それは美徳でもあるんですけど、そのこだわりが変な発揮のされ方をするとちょっとややっこしくなります。あいつの態度が気に入らないとか、会議でいったあの発言は何か裏があるんじゃないのかとか、この間の部下のミスは、実は部下が別な部署の部長とつるんでいて、オレを陥れようとしているんじゃないか…とかね。
細部を気にする神経の細やかさがそっち方面に発揮されると、だんだん病んでいくような気がするんですよね。
ぼくは歴史小説が好きなんですが、今の日本の状況って、平安時代の貴族の暮らしとか、江戸時代末期の幕府の上層部の暮らしに似ているなーって思います。何が似ているかというと、制度がガチガチに固まっていて、暮らしぶりは豊かで、日々決められた行事の繰り返しで、その制度の中で、細かなことばかりが配慮されて、大切な骨子の部分が抜け落ちているところです。そして、みんな減点されないように上の人の顔色ばかりうかがって生きているところです。
体制が整うと、日本人ってやっぱりいつの時代もこうなっちゃうんでしょうか?
一時期「鈍感力」という言葉が使われることが多かったように思いますが、確かに日本人には鈍感力って大切かもしれません。あとKY力とか…
ぼくは忙しくなったり、なんとなく気持ちがモヤモヤするときは、沖縄の離島の人達の暮らしぶりとか、海外の発展途上国の人達の暮らしぶりとかを思い浮かべるようにしています。そうするとなんだか自分が、すごく些細なことを気にする世界の住人のように思えてきてバカらしくなります。
みんな同じ人間、同じように生きているだけですもん。
少なくとも、ぼくはなんとか食べることはできる恵まれた国に暮らしているし、安全といえばまあ安全だし、頑張れば報われるだけの自由はあるし、何も思い悩むことはない、気にするな、なんとかなるさ、ちょっと一時期忙しいだけじゃないかと、自分にいいきかせます。
海は心や体を癒してくれる、たぶん…
科学的根拠があるのか?と問われるとわかりませんが、ぼくの実感としては確かにあるんです。
何の話かというと、休みの日に海に行くと気分がスッキリするということです。
たとえば仕事が忙しいとか、いろいろ雑用が重なったとかで「あー疲れた」というときの休みの日ってなんとなくダラダラとテレビを見ちゃったりするんです。でもそういうときこそ、シーカヤックするとかスキューバーダイビングするとか、それが億劫だったら海辺を散歩するようにしています。
疲れているときこそ海に行くと、疲れがとれて気分がスッキリします。経験的にほぼ100%そうなります。
理屈はわかりませんが、たぶんそれと似たようなことはみなさん経験したことがあるのではないでしょうか?ゴルフとかテニスとか旅行とか…
ぼくにとってはそれが海という自然と接することなんです。
気分転換といってしまえば、まあそうなんですが、もう少し自分の中で起きていることを詳しく思い出してみます。
疲れているときというのは、身体が疲れているときと、気持ちが疲れているときがあるような気がします。気持ちが疲れているときというのをさらに詳しく見てみると、忙しい日々が続いているとか、自分のキャパ以上の仕事が来ているとか、先が見通せない仕事であるとか、板挟みに遭うとか、かなり気を遣うことがあるとか、あと仕事以外だと家族の健康のことととか家計のことととか、自分の場合だいたいそんな感じです。
で、身体の疲れと気持ちの疲れだと、2:8くらいじゃないかと思うんです。で、その2つは相互に影響し合っているようです。つまり気持ちが疲れていると身体の疲れを増幅させるし、身体が疲れていると気持ちも上がらないのです。
休みの日に海で遊ぶと気持ちの疲れの部分を一時的に頭から追い出すことができるんです。海にいるときはそれを楽しむことしか考えていませんから、仕事関係のことや家の心配事など気にかかっていることを、意識のほとんどから、一時的にクリアできているようです。
しかも最近特に思うんですが、気持ちの疲れの要因となっているいろいろなことや心配事は、頭にあるだけで、けっこう心身に負担をかけているんじゃないかな?ということです。人を機械にたとえるのもどうかと思うんですけど、パソコンのメモリを不要なことに使っている感じと近いかもしれません。
なのでこのあいだ試しに、海遊びに行く前に、自分が気になっていることをノートに書き出してみました。これは確か心理学的な効果があると巷でいわれているらしい手法です。頭の中にあることをどんどんどんどん書き出していくと、自分の意識していなかったことも出てきて、とてもスッキリするというのを本で読んだ気がします。科学的根拠はどうなのか知りません。
その作業の後海遊びをすると気分がさらにスッキリするんです。海遊びに集中できます。
先ほど身体の疲れと気持ちの疲れは2:8の比率で、その2つは相互に影響し合っていると書きましたが、身体を動かすとさらに気分がスッキリします。これも多くの方が実感したことがあるでしょう。
これもぼくの感覚なのですが、ぼくのような物心ついた頃から運動が好きで、学校でも運動部に入って、授業よりも体育の授業が好きだったという「カラダでっかち」タイプにとっては、たとえ受験とか資格試験のために勉強しなければいけない状況であっても、机にかじりついて勉強だけするというのは、耐えられないし、かえって効率が悪かったりするのです。一日のうちでも身体を動かす時間をとった方が勉強に集中できるんだということを大学受験のときに実感しました。
えーと何の話かというと、なんだか難しい課題を抱えていたり、いいアイデアが出なくて行き詰まっていたり、忙しくて気持ちが疲れていたりするときほど、身体を動かした方がいいというのが経験的なぼくの持論です。そしてそれはぼくの場合、海でウォータースポーツすることが一番いいのです。
次の話として、なぜ自然の中で遊ぶと気分転換できるのかということなんですが、これって理由が難しいなと思うんです。ぼくの場合、海が好きなので海で遊ぶことがいいというのはわかりやすいと思うんです。
でも、そんなに海が好きじゃない人でもたまに海に来ると、大はしゃぎしてテンションが上がったりするのをよく目にします。
海という存在に魅力があるんだといえば、まあそうなのかもしれません。
あるいは人間というのは自然の中で癒されるのかもしれません。
参考になるかわかりませんが、ぼくが海が好きな理由をまとめてみます。
①広いし、開けている。
②自由である。
③人口密度が低い。
④危険と隣り合わせで、死なないために頼りになるのは自分だけだ。
⑤一度として同じ状況がない。
⑥ぼくはアレルギー体質なんだけど、潮風や海水に接するとアレルギーが少しよくなる。
⑦太陽の光を浴びるのは気持ちがいい
特に④がぼくにとっては大切で、ウォータースポーツをするときには危険や死と隣り合わせなんですが、無事に生きて帰ってくるために自分で考え、適切に判断して、行動することが必要なんです。ぼくはこのプロセスがすごく好きで、それでウォータースポーツををやっているような面があります。
それが海で遊ぶことで心身共に疲れが癒されるのと、すごく強く関係していることを自覚しています。
というのも仕事とか家庭のこととか、社会で暮らすために必要だとされていることって、社会的なルールなのです。それって大切なんですけど、次元として高度で、複雑で、ときとしてそのルールが何のためにあるのかわからなくなったりすることもあります。あるいはルールができた本来的な意味がだんだん忘れられて、ルールを守ること自体が重要視されたりします。要は生死や安全に直接関係のないルールを守らなければならないということです。
例を挙げますと、歩行者として信号を守るというルールがありますが、これは、安全のためです。ぼくが住んでいる人口の少ない町で、たとえば深夜に信号が赤でもそれに従う意味って、まあ、ほぼありません。車はほとんど走りませんし、出歩いている人もいないんです。でも、もしかしたら車が来るかもしれないし、他の歩行者がいるかもしれませんが、経験的に確率が低いし、ザッと見回せば車や人がいる気配はないなのです。それでも赤信号を無視して渡れば法律違反でしょう。
たとえば中学とか高校の校則で靴下の色とか髪の長さとかが決められていて従わなければならないわけですが、それ自体守っても守らなくても、人の生死や安全や健康には全然関係ありません。それに影響があるルールなら多くの人が納得して守るでしょう。
今のは一例ですが、人が集団で行動するときに、お互いにできる限り快適に暮らすために、あるいは組織を維持するために、法律やマナーといったルールが存在するんだと思いますが、それが形式化していても、それを守ることに対して、あまり気にならずに従える人もいれば、すごく違和感を持つ人もいるんだと思います。
ぼくは、意味のないルールを守のはバカバカしいと思う質です。でも一応社会人のいい歳した大人として、ルールは守るわけですが、それは自分を抑えているわけで、そこにストレスがたまる原因があります。
海で遊ぶというのは、そういう社会的かつ形式化したルールから解放されることでして、それがぼくは嬉しいんです。
海にもルールはありますが、ほとんどが生死や安全に関係することです。それを守らないと自分や他人が死んでしまうということですから、納得して守ることができます。しかも死なないことというのがルールの大元ですから、シンプルでわかりやすいのです。要は人が死ななければいいんです。
次にまた別の話をします。
自然を相手にするスポーツはたいていそうだと思いますが、自然の懐に入って、自分の力だけで、前に進んで、最終的には無事に戻ってくるという仕組みになっています。その内容もシンプルでわかりやすいですよね。
死なないことが善であり、それを実現するのは自分の判断と行動だけです。バカな上司とか、無責任な同僚とか、ワガママな後輩とか、無理をいう取引先とか、社内政治とかそういう自分がコントロールできない面倒なものがないのです。ああステキ。そして会社で実績が出るかどうかというのは、自分の能力ももちろん大切なんでしょうけど、景気の状況、自分のいる部署の状況、一緒に働くチームのメンバーの力などといった偶然の要素が割りと大きいようにぼくには思えます。一方、自然を相手にするスポーツでは、まあそんなことはなくて、自分の力が最大の要素です。
それって自己効力感に影響を与えると思います。
なので、会社みたいな組織生活ですり減った自己効力感を、自然の中でするウォータースポーツで補充しているというのが、ぼくの現状です。
これが自然の中で遊ぶと元気になる要素のひとつだと考えています。
それ以外に自然の中で遊ぶことで気分転換できる理由として考えられるのは、マイナスイオンが多いとか、フィトンチッドが空気に含まれているとか(これは森だっけ?)、海水に含まれている成分がいいんだとかいろいろいわれていますが、これは科学的に分析できそうなことなので、専門家のデータを調べなければならないでしょう。自分の感覚では、そういうこともあるかもしれないなあ、くらいに受けとめています。
ここまで書いてきたことは、自然の中で遊ぶことが好きな方には、少しはわかってもらえるんじゃないかと思うんです。やっぱり自然の中で遊ぶことって楽しいよね、というところは変わらないでしょう。
可能性としてあるのは、都会で暮らしていて、休みの日は一日中家に居て、テレビを見てるみたいな人が、その内側に溜め込んだストレスを変な形で発散している(もしかしたら大なり小なり他人に迷惑をかけている)というような場合があるとしたら、そうした人が自然の中でストレスを解消したり気分転換したりすることで、変な形で発散されているものがなくなる分だけ、世の中がよくなるかもしれないということでしょう。それがどの程度なのか見当もつきませんけど…

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