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絶海の孤島への憧れ



 絶海の孤島っていう表現がありますね。
 ぼくも海遊びが好きで、海辺の旅をしてきましたから、船で八丈島に行ったり、小笠原に行ったり、沖縄の離島に行ったりしてきました。そうすると、本当に絶海の孤島だなーと思うことがあります。
 たとえば大島のことを絶海の孤島とはいわないと思いますけど、八丈島とか青ヶ島とか孀婦岩くらいだと絶海の孤島感があります。小笠原諸島だと文句なく絶海の孤島ですよね。
 こうした島に船で行くといろいろなことを考えます。
 いったいなぜ人間はこんなところに住むようになったのか?ていうか、鳥もいますけど、この鳥はどこから飛んできたのか?
 ちなみに船が海のど真ん中にあるときでも鳥は飛んでいますから、かなりの距離を飛ぶんだなあ、いやあ頑張ってるねーと思います。
 小さい頃、ジョン万次郎の話を教科書か伝記かテレビかで見た気がするんですが、そのときも人間ってすごいなあと思いました。
 それからポリネシア、ミクロネシア、東南アジア、日本におよぶ人種の分布とそれの渡来経路について読んだことがありますが、もう大昔から人は海上を行き来していたようです。
 現代の巨大な船で、小笠原航路に乗るとき台風に遭ったりすると、かなりヒヤッとしますけど、大昔の人は、まあ双胴船とか丸木舟でよくまあ航海したものだと、その勇気に感服してしまいます。すごいよね。
 ぼくは海が好きで、スキューバーダイビングで何度か流されて、それでも海遊びをやめない海バカですけど、そのぼくが絶海の孤島では、その孤立感や断絶感にときどき不安になるんです。いや小笠原の父島なんて大きな町ですけど、でも、度々離島の旅をしているから知ってますけど、こうした大きな島でも2週間も船が来ないと、物が足りなくなります。そういえば1980年代頃までは離島に行くと水か貴重で、宿に泊まっていてもときどき断水になったり給水制限があったりしました。そういうときには絶海の孤島にいるんだって改めて実感します。
 そしておもしろいなあって思うのは、孤立感や断絶感と共に解放感や自由さも感じるんです。あの感じはなんなんでしょう? でもあの感覚が好きで何度も何度も離島の旅に出てしまいます。













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海に降りる道は全部降りてみる ~無駄な行動の先にあるもの~



 何度も書いていて今さらですが、海が好きです。友人は遠慮なくぼくのことを海バカと呼びます。
 そんなぼくですからヘンな癖は山ほどありまして、たとえば初めて訪れる島や海辺の町では、海に降りる道は全部降りてみるのです。
 海好きな人はわかってもらえると思いますが、もうちょっと説明しますね。
 海辺って、幹線道路がたいてい海から少し離れたところを通っています。そうするとそこから漁港だとか畑だとか人家に降りる細い道が枝分かれしているんです。降りるというのは、海とか漁港ってたいてい標高が低いから…当たり前?…
 たとえば伊豆七島の三宅島を例にとりましょう。ぼくが初めて三宅島に行ったとして(というか三宅島は何度も行っていて、わりといろいろ知ってますけど)、まずレンタバイクを借ります。で、島をぐるっと一回りするわけです。島というのはたいていメインの道路が一本島を一周するように走っていて、そこから枝分かれする道があります。で、一回りする間に海に降りる枝道の目星をつけておきます。海に降りる道も太い道もあれば細い道もありますから…で、2周目は一本一本全部降りていくんです。
 どうしてそんなことをするかというと、島の全貌がわかるから、海の様子が分かるから、そして思いがけない、いい風景やいい場所が見つかることがあるからです。現にそういうことをしていて、石垣島では誰も人がいないサンゴがびっちり繁ったビーチに出会えて、そこでスノーケリングをして素晴らしい時間を過ごすことができました。八丈島では島の人が使う無人の共同温泉(島の人は無料・観光客は寸志を箱に入れる)を見つけて、海を見ながら温泉に浸かったりしてました。
 もちろんミスもあります。海に降りる道が、個人宅の私道で、降りていったら犬に吠えられたりしたこともありました。でも、それくらいかな…
 最近は便利になったので、グーグルマップの地形が出てくるヤツがありますね。あれで、事前に海の地形をチェックして、よさそうかどうか、道がついているか調べておきます。いやー便利になったもんですね。でも、たいていすべての道を降ります。それはやっぱり行ってみて見てみないとわからないから…
 こういうぼくの行動を馬鹿げたこと、無駄が多いことと批判するのは簡単ですけど、もしかしたらそこに教訓らしきものがあるかもしれません。とういのも、すごくいい状況、めったにお目にかかれない風景、感動する場面に出逢うということは、気になる枝分かれした道を一本ずつ降りるような行為によってしか達成できないんじゃないかってぼくは考えているからです。
 それはwebで検索して、人気があるとか評価が高いところを押さえて、最短のルートをとり、無駄のない行動をすることとは正反対にあります。他の誰かが通った道を要領よくなぞっているだけの、そんなできあいのありがちな行動なんて意味ないし、つまらない、とぼくは考えるんですけど、たまにぼくと似た価値観の人が、要領悪く、試行錯誤しながら何かをやっているのを見るとうれしくなって、応援してしまいます。










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海辺・焚き火・友との語らい



 焚き火が好きでちょくちょくやります。
 もうちょっというと海辺で酒を飲みながら焚き火をし、友人と語らうのが好きです。
 よくやるパターンは、シーカヤックに荷物を積んで、陸からは行けない入江や島に向かいます。そこでシュノーケリングやシーカヤックをして楽しみます。いい加減遊んで、日が落ちる前にテントを張ります。そして買い出しておいた食材や海で獲った食材で晩飯を作ります。晩飯ができたかなーという頃合いを見計らって、流木などで焚き火を始めます。その頃にはあたりは暗くなっています。
 ビールで乾杯。そして飯。焚き火、潮騒、真っ黒な海、そして夕陽にわずかに照らされた紫色の空。そんな中でポツリポツリと話をします。海遊びと日焼けで気だるくなった体に酒が回ります。焚き火の揺らめきが幻想的です。
 焚き火を囲みながら話をしていていつも思うのは、海での友人との距離感です。どういうことかというと、ウォータースポーツというのは時として危険があります。そんなとき頼りになるのは自分の判断力と体力。いくら友人といっても最後は自分のことは自分でなんとかしなくてはなりません。このことがわかっている人と遊び、酒を酌み交わすのは楽しいものです。一方が他方にいろいろなことを頼ってしまう関係では、お互いが対等に気持ちよく過ごせません。そういう点でいうとぼくのこれまでの経験では、そういう関係が成り立つことが多かったのは男の友人です。女の友人でもそういうタフな人はいましたが、多くはありませんでした。ぼくがわりとハードなウォータースポーツを好んでいたせいもあるかもしれません。海においては、頼られる関係やネチャっとした会話はゾッとします。プライベートの遊びの場でそんなのごめんです。お金をもらってもイヤです。
 もしかしたら日頃の夫婦関係とか会社での人間関係から違う場所に身を置きたいのかもしれません。あるいは根っこの部分でぼくは社会に適合できないところがあるのかもしれません。
 そんな友人とぶっきらぼうに言葉少なに語り合うのが好きです。しかも少し詰めの甘い答えをすると、友人の鋭い軽蔑したような視線が飛んでくるのもスリリングです。ぼくはそんなお互いに厳しい関係が好きなのです。
 やがて夜は更けて寝てしまいます。季節がいい頃はそのまま外で寝てしまいます。アウトドアチェアに座ったまま寝てしまうこともありますし、寝袋で寝ることもあります。海辺の砂浜や草が生えているあたりで寝袋に入って、星空を見ながら寝るのってなかなか気持ちいいものです。









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波の音を聴いていられるだけでシアワセ


 家にいて、ふとしたときに波の音が聞こえるのがぼくは好きです。
 お酒を飲んでいるとき、眠るとき、風呂上がりに髪の毛を拭いているとき、洗濯物を干しているとき…
 なんということもないんだけど、あぁ海がそばにあるんだなーという感じが、やっぱりワクワクするというか、胸がドキドキします。
 あぁ、やっぱりいいなーと思うのです。
 今日は南風が強かったから、海が荒れると思ったら、案の定荒れてきたなとか、明日は海に出られるかなとか考えたりしてます。
 日常のちょっとしたことでシアワセを感じられる、そうしたちょっとした時間で人生はなりたってるんじゃないかって思ったりします。










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朝・砂浜・散歩



 早朝の散歩って気持ちいいですよね。
 海辺だともっと気持ちいいんですよ。
 まだ空気が生まれたての新鮮な感じで…
 そんな中、人気のない砂浜の波打ち際を散歩するんです。
 すごくいい気持ちです。
 澄みきった空気、潮風、波の音、磯の香り、朝陽の光…
 ぼくが海辺に引っ越した理由のひとつに、こうした朝をできるだけ毎日過ごしたいというのがあります。







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初夏の霧の朝が好き



 以前にも書いたんですが、すごく書きたいのでまた書きます。
 ぼくは海辺に住んでるんですけど、朝の霧が好きです。
 海辺では主に初夏の朝に霧が出ます。特に海に山が迫っている地形だと出やすいような気がします。特に初夏というのは霧が出やすくて、それはたぶん朝と昼の気温差が大きいからだと思います。しかも朝の気温が海水温より低いと霧が出るんではないかと、ぼくが勝手に考えています。正確な知識ではありません。ご存知の方は教えてください。
 霧の朝が好きなの理由を考えてみたので以下にまとめます。
・なんだかとても幻想的
 霧ってさあ(って突然タメ口)幻想的ですよね。
・だいたい初夏なので爽やか
 初夏の朝って基本的に1年のうちでも爽やかで気持ちいい季節です。早起きして散歩したくなりませんか?
・海が夏っぽくなる
 人間側の思い入れかもしれませんが、冬の間の海って、荒々しくて寒そうで人を遠ざける雰囲気がありますけど、初夏の海はこれから訪れる夏に向けて人を受け入れる気配が漂っている気がします。
・朝だから空気が凜としている
 これもぼくの勝手な思いかもしれませんが、朝の空気は、まだ人の活動によって汚されていないまっさらな感じがします。それは海辺でもそうで、爽やかでキリリと引き締まった感じがとても気持ちいいです。
 そんなわけで、大好物である初夏の朝の霧をぼくが放っておくわけがなく、そんな日は朝からビーチを散歩したりジョギングしたりするのでした。なんだか体中がキレイになるような気がします。










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海が怖いってわかっているのになぜ海に出るのか?



 小さい頃から海が好きでしたが、サーフィンを始めたのが大学生の頃でした。
 その頃は今みたいにどっぷり海にハマるなんて思いもしなかったんです。その後スキューバーダイビング、セイリング、シーカヤック…
 それからかれこれ30年が経とうとしています。30年…
 その間、何度もというか何十回も海で危うく死にそうになりました。
 やっぱり怖いです。
 でも、自分でも不思議ですし、相方も不思議そうにしてますが、海に行くのをやめようとか、ウォータースポーツをやめようとは思いません。今でも、できる日は必ずウォータースポーツをします。
 「よっぽど好きなのね」と相方はいいます。
 そうですね。よっぽど好きなんでしょう。我ながらなぜなんでしょうか?
 海は怖いですが、それ以上に海は優しいとぼくは感じます。
 海という自然は人間の社会ほど怖くはありません。一応ぼくも社会人として働いていて、日々いろいろなことが起きつつ、今までやってきましたが、人や人の作る組織は時に怖いと感じます。海にはそれがありません。
 海にいると安らげる、癒されるというのも、海が好きな理由です。
 自然と接することで癒されるという面が、あるタイプの人には備わっていると思うのです。潮風、海水、波、太陽の光、そのすべてが好きです。人類は地球で生きていますが、太古の人もぼくと同じように、潮風、海水、波、太陽の光を感じていたのです。そういうことを考えると、人は自然と接しながら生きてきた期間の方が長いんじゃないかなって思います。
 海にいると自分に向き合えるというのも理由としてはあります。
 海に出れば、それが一人であろうと仲間とであろうと、生きて帰ってくるのはそれぞれの責任です。そして、生きて帰ってくるのが善です。すごくわかりやすいわけです。
 そして、生きて帰ってくるために、自然の状況と自分の力と過去の経験をもとに絶えず判断するわけですが、その判断はすべて自分にはね返ってくるのです。このシビアさがとても好きです。誰の責任でもなく自分の責任で自分の命をコントロールしている実感が好きなのです。逆にいうと、人間社会では100%自分の命をコントロールできていない不安感がぼくにはあります。
 自分の判断が甘ければ、自分が辛いだけ。安全側に振りすぎれば、自分を臆病なヤツだと自分が思うだけ。
 海で身体を動かすとスッキリするというのも理由のひとつです。
 スポーツをして身体を動かすと気分がスッキリするものですが、海で身体を動かすとそのスッキリ度はさらに増すような気がしています。なので、海が荒れたりして何日も海に出られないと、なんだか悶々としてしまいます。「あー早く海に出てぇー」と感じます。
 しがらみやルールから逃れられるのも、海に出る理由です。
 海にもルールはありますけど、陸の社会ほど細かいルールはありません。道もありませんし、信号もありません。海に出ることで、いったん社会から離れられる気がするのも海に出る理由です。もしかしたらぼくは社会的な何かから逃避したいのかもしれません。
 これらが海に出る理由ですが、それが命をかけてまでやることなのかっていわれると困ってしまうんですが、自分がそう行動しているので、きっとそうなのでしょう。










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月の光の道は幻想的だったりして…



 海辺に住んでいます。
 夜に出かけたり散歩に出たりすると、何かのタイミングで、月が出ていて、満月で、しかも大きくて、それが海の上にあることがあります。
月の光の道
 月が海の上に大きくあると、海に月の光が映って、光の道のようになります。
 ちゃんと計算すれば、どのくらいの時期にどのくらいの頻度でそうなるかはわかると思いますが、めんどくさいので、そんなことはしなくて、「あぁ今日はきれいな月だなー」って思います。

 観光地でそういうのをウリにするところもあるようですね。

 特に海が凪いでいて、鏡のように穏やかな日に、満月の月が海の上にあると、光の道がクリアにできます。
 そんな日はビールを持って、近くの防波堤に行きます。防波堤の冷たいコンクリートの感触をお尻に感じながら、光の道を眺めています。
 大きく息を吸って吐いて…身体の奥の方の力が抜けてほぐれていくような気がします。
 30分もすると自分がどこにいるのかわからない不思議な感覚になります。
 こんなちょっとした時間も海辺の暮らしの楽しみのひとつです。

 でも、ウリになるくらいにきれいで、幻想的な風景です。








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あえてゆっくり歩いてみる



 休日は海を眺め、海で遊び、今日もいいなあーなんていいながら、ビールを飲んで寝るような日々を送っています。
 朝起きて、コーヒーを丁寧に淹れて、味わって飲み、それから海の様子をチェックして、今日やるウォータースポーツを決めます。ウォータースポーツができなければ、砂浜を散歩したり、砂浜でひなたぼっこします。
 平日は、仕事で電車に乗って街に行くんですけど、人々がせかせかしているのに驚きます。特に休み明けの月曜日は、そのギャップを強く感じます。
 ぼくは道もゆっくり歩きますし、街並みや行き交う人の様子や街路樹や家々の庭の草木なども眺めながら歩いているので、たぶん速く歩いている人の邪魔になっていることでしょう。
 ぼくも実はせっかちでして、もちろん歩くのも速いほうでした。若い頃は特にせっかちだったと思います。結論を急いで損をしたことも多々あります。
 でも、ある時期から努めてゆっくり気長に行動するようにしました。
 理由はいろいろあるんですが、急ぐといい結果がでないことが多いことに気づいたのが一番大きな理由です。これは年齢的にも公私共に責任を負うことが多くなってきて、急がず慌てず物事をキチンと先々のことも見通して考えることが重要になってきたせいもあるでしょう。もちろんそれまでせっかちで、拙速でよくない面があったからその反省ということもあります。
 あとはゆっくり、のんびり、マイペースに過ごすことでストレスが減ることも理由のひとつです。何かに追われて急ぐことは、気持ちがあせってストレスが溜まりますもんね。
 あとは急ぐと見逃してしまうことがあることも理由です。たとえば道を目的地に向かって急いで歩いていると、その途中の店や家や木々や鳥などを見過ごしてしまうことがあります。目的に向かって邁進してしまうと、その過程がただの通過点になってしまうわけで、これはよくある結果よりもプロセスが大切だということと同じことをいっています。特に人生においては、目的は何かの結果を出すことよりもそのプロセスをが、時間の多くを占めているので、プロセスを楽しむことが人生を楽しむことと、ほとんどイコールだったりします。
 実際、ゆっくり歩くと気持ちもゆったりしてなんとなく楽しくなります。
 もし、毎日慌ただしく過ごしている方がいらしたら、一度試してみてはいかがかなあなんて思ったりします。








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海・大らかさ・幸せ…



 ぼくの友人でとても大らかなヤツがいます。瑣事にこだわらず、いつもマイペースで、人当たりもよく、楽しそうにしています。ぼくはヤツのことが好きで、よく海で遊んだり、飲んだりしています。
 そうすると自分があまりに小さいことにこだわる小者な気がして、自己嫌悪になったりもしますが…
 人によっては、大らかな友人のことを、大雑把で、あてにならない人と悪くいうこともありますが、まあそれはその人の価値観ですから、まあそういう見方もあるのかなあという感じです。
 確かに細かな事務的な作業とかは向いていないかもしれないなとは思いますが、それを補ってあまりあるほど、ヤツは気がいいし、敵を作らないし、大物な感じがします。ヤツがいるだけで、場が和んで、楽しい雰囲気になります。
 そしてその大らかな友人と一緒にいると、ぼくもこういう大らかな人でありたいなーと思います。
 もうひとつ自分が大らかでありたいと思うことがありまして、それは海に出ることです。海に出る度に、自分がいかに小さい存在か、身にしみます。
 海は広く、時に穏やかで、時に荒々しいわけですが、その存在は地球の歴史という長い期間で変わることがありません。
 そんな海を目の当たりにすると、自分がいかに小さくつまらないことにこだわって汲々としている人間なんだろうと感じます。
 大らかな友人のように、あるいは海のように、広くて、大きくて、いろいろなものを受け止められて、妬みや嫉みの心がなくて、マイペースで、泰然自若としていて、周囲の人々を幸せする、そんな人になりたいなあと思います。









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