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都会では五感が鈍る気がします



 ぼくは海辺の田舎町に住んでいます。
 そこでの暮らしは、いつも太陽の光、風の向きや強さ、雲の流れ、雨の強さ、波の音、鳥の声などに注意を払う日々です。
 そんなの当たり前と思う人がいるかもしれません。
 でも、それは当たり前じゃないようなんです。
 ぼく職場の同僚で、都内の駅直結のタワーマンションに住んでいる人がいます。この人は屋外に出ず、電車に乗って職場まで来ることができるので、暑さ寒さや雨のことをあまり気にしていないようなんですね。
 職場の最寄りの駅から職場まで屋外を数分歩くんですが、そのときに初めて寒いとか雨がすごく強いとかに気がつくそうです。
 そんなこともあるかもね、いやよくあることだよね…なんて、ぼくには聞き流せませんでした。
 それって不自然で、少しヤバいかもなって思いました。
 天気などの自然環境に注意を払わないって、人としてというか、生き物としてありえないぐらい不自然なことじゃないかって、ぼくには思えたんです。
 ぼくの感覚が変なのかもしれないけど…
 暑いとか寒いとか、雨が降るとか風が強いとかって、腹が減ってメシが喰いたいってのと同じくらい日常的なことでしょう。その感覚がないって、けっこうマズいんじゃないの?って思いました。
 朝起きるとき、夜寝るときに、天気のことを気にするのは無意識にしてしまうことです。あるいはベッドにいるとき、ふとした風の音、木々の擦れ合う音、波の音で、天候の急変を感じて起きることもよくあります。
 そのおかげで、風で屋外のものが飛ばされる前に家の中に取り込んだり、雨戸を閉めたりして、被害を軽減したことはよくあります。
 あるいは今は晴れているんだけど、ちょっと今日は崩れるんじゃないかなって予感がして、天気図をチェックすると大きめの低気圧が近づいているなんてこともあります。
 他には、地震のときに揺れる少し前に直感的にわかるということもあります。
「それってけっこう大事だよな」というのがぼくの考えです。
 五感を常に働かせることで、身体の中で大切な何かが保たれているんじゃないかと思っています。それを科学的に証明しろなっていわれても無理なんですけど、ぼく的にはそんな気がしています。
 ちなみに先ほど登場した人とは別の都会に暮らす友人は、ぼくの家に遊びに来ると、海を見るでもなく、砂浜に出るでもなく、酒を飲んで帰って行きます。彼は砂浜に出ると靴が汚れるし、全身が潮っぽくなるからイヤだそうです。なぜウチに遊びに来るんでしょう?いや、遠いからムリして来なくていいのに。街であえばいいのに。こっちが行くのに。
いまだによくわかりません。
そいつと話していても、ときどき埋めがたい溝があることを感じることがあります。
そしてぼくの感覚がおかしいような気がしてくるんです。
 海遊びの仲間と話しているときは、みんな1週間くらい先の天気はだいたい頭に入っていて、ミクロネシアあたりで台風が発生しただの、低気圧が近づいているだの、潮回りがどうだのというのは、当然の前提事項になっているんです。
 なので、台風でもないのに強風だとか、遠い外国の地震で津波が来ないかとか、そういう予兆を把握するのがみんな速いんです。
 いや、それ自体を自慢したり褒めてるわけでなくて、その感覚、アンテナの張り方って大切だよな、というのがぼくの考えです。うまくいえないんだけど、緊張感とか体内のバランスとか勘とかそういうことにつながっている気がします。
 でも、こういうことって、感じたことがない人には伝わらないんでしょうね。
 でね、こういう身体全体で無意識に働かせている感覚って、街でしばらく暮らしたり、街で暮らしている人ばかりのところにいると鈍ると思うんです。身体が街の暮らしの感覚に順応しちゃうんじゃないかな…
 たとえが悪いかもしれないけど、腸内の乳酸菌が抗生物質を飲むと死んでしまうように…
 だから自分の今の海辺の田舎暮らしで身につけた身体のバランスみたいなものって大切にしたいなと思うんです。











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気楽にやろう



 友人にいわせれば、ぼくはノンビリお気楽に生きているそうです。
 そういわれて、ぼくとしては腹が立つとかではなく、うれしく感じました。
 というのも、気楽にやろう、なんとかなるさ、というのは、日頃ぼくが思っていることだからです。
 ぼくは、自分の性格として、変なところにマジメだったり一生懸命だったりするところがあると自覚しています。特に若い頃はそういう面が強かったですね。そんな自分がイヤで苦しくて、海遊びをしたり、海辺の田舎町に引っ越したのでした。日々の暮らしをノンビリすることで、自分の変にマジメな面は多少はよくなったんじゃないかなあと思っています。
 経験的に感じていることがあって、それは、自分が気になっていることとか、考え込んでいることがあったら、一旦そこから離れてみるといいということです。どうせ考えるなら違う角度から、違う立場から考えた方がいいようです。
 自分のこと、家族のこと、仕事のことなどでいろいろなことが起きるんですが、それをすべて真剣に受け止めていたら疲れてしまいます。どこかで、自分が頑張らなくてもなんとかなるさ、気楽にやろう、と考えておいた方が楽だし、うまくいくこともあるんじゃないでしょうか。

 そう、自分が何もかも責任を持たなくても、引き受けなくても、自分がやらなきゃ誰かがやってくれるし、誰かがやった方が、自分がやるよりも上手くいったりします。

 だったら、なにも自分の時間を使って課題に頭を使うよりも、海遊びのことを考え、今度の休みの楽しみを考えていた方がいいかなあって思います。

 自分がどれだけ悩み、どれだけ真剣に考えても、海に行けば、風が吹き、波が立ち、鳥が飛んでいます。そんな変わらない風景を何百年前の人達も見ていたはずです。すべては過ぎ去り、大きな枠組みは何も変わらないのです。











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自然の中に身を置くことの大切さ



 先日読んだ『最高の体調』という本に、ダーウィン医学とか進化医学について書かれている箇所がありました。進化医学って、やたら何万年も前に人間はこんな暮らしをしていて、それが急速に現代のような社会になったのだから、人間の身体や脳が適応していない、だからいろんな病気が起きるっていうことだと書いてあるんですが、それって根拠あんの?って疑問に思うことが、ぼくとしてはよくあります。
 ただぼくの場合、これまで生きてきた経験で、家の中に閉じこもっていると体調が悪くなるとか、人混みとか人口密度が高いところにいるとイライラするとか、自分のそういう傾向はわかっています。反対に、自然の中、特に海のそばにいると体調がよいというのは実感しています。
 こういった実感レベルの体験について、そのメカニズムを、人間というのが元々自然の中で暮らしている時代が何万年もあって、それに身体や脳が適応しているからだ、って理屈を付けられちゃうと、「あぁそうですか」としかいえません。理屈の形式としては、すべて遺伝子のせいだとか、すべて守護霊のせいだというのと、大差ないんじゃないでしょうか?
 ちなみに同じ『最高の体調』という本に引用されていたのですが、ダービー大学の研究で「自然とのふれ合いはどれだけ体にいいのか?」を調べたもので「自然とのふれ合いにより、確実に人体の副交感神経は活性化する」という結果だそうです。
 まあ、そういう理論は専門家にまかせておいて、こちらはそれを楽しむのに専念しましょう。
 ぼくが好きなのは、誰もいない海、できればそんなに広くない入江で、一人ボーッとすることです。
 気が向いたら素潜りし、疲れたらアウトドアチェアでまどろみ、バーナーでお湯を沸かしてコーヒーを淹れ、日がな一日過ごすと、自覚できるくらい癒やされます。もっといいのはそこでテントを張ってキャンプすることでして、そうすると次の日は別の自分になっているような気がするくらいです。なんというか自分が野生化したような感じというんでしょうか?
 ぼくのようなだらしない人間の場合、このままずっとここで寝泊まりして家に帰らず仕事にも行かなくなりそうなので、自制しています。
 休みがとれれば、沖縄の離島や母島などに1週間以上旅行するようにしています。
 1週間、ずーっと海のそばで過ごし、ゆったりした島時間の中で暮らし、島の食べ物を摂り、人口密度の低いところでノンビリしていると、心の垢が落ちていくような気がします。ぼくは普段海辺の田舎町で暮らしていますが、それでもどこか自覚していないところで都会的な暮らしにヤラれちゃっているんだなって思います。
 この「自覚していない」というのが曲者でして、都会で見かける病んでいる人とか、せっかちな人とか、高飛車な人というのは、元はいい人だったのかもしれませんが、本人が自覚しないうちに、都会のギスギスした環境の中で、そんな風になってしまったんじゃないかな?
 環境というのはあなどれないものかもしれません。
 本当は母島に住みたいけど、もしできなければ、半年に1週間くらいのペースでいくと、身も心も自然体でいられる気がします。








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自然・生物・人間・社会・正しさ



 これまでもなんとかなるさというテーマで文章を書いてきました。
 でもまだそのテーマで書いてみたいのです。
 ぼくはスキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンで何度も死にそうになりました。それ自体は怖いけど、実はそんなに怖くはないんです。いくらかの確率で死ぬかもしれないってわかっていて海に出るからです。
 ぼくにとっては、別なことの方が怖いです。
 それはたとえば仕事上で誰かに悪意を持たれて罠にはめられるとか、知り合いに恨まれて嫌がらせをされるとか、近所の人に憎まれているとか、別に身に覚えはないけど何か攻撃されるとか、そういうことです。
 友達に「海に出て怖くないの?」って訊かれたりしますが、いやいや、社会の人間関係のドロドロの方がはるかに怖いし、それって見えないことも多そうだし、どう対処したらいいかもわからないから、ずっと大変だって思います。
 父親がよく「誠実に勝る良策はない」といっていましたが、周囲の人から悪意や恨みを抱かれてしまうことを念頭に置くと、その言葉は確かにそうだと思います。誠実さというのは、数少ない防御策のひとつのように思えます。
 自然の脅威や力のすごさは、初めからわかっていてどうしようもないことですが、他人からの悪意や恨みというのは、自分の行いのせいかもしれないので、そっちは気になります。なんとか防げたかもしれないから…
 それでもなお、人の悪意や恨みや攻撃というのも、まあたいしたことがないと思うんです。
 完璧な人っていないでしょ。誰でもミスや過ちはありますし…それを理由に悪意を抱かれても、「すみません」と謝るしかないですね。それでも恨んでいたら、まあ、どうしようもないですね。

 それに、所詮、人の世の中は生き残りをかけての生存競争です。自分が生き残ろうとするのは、当然のことです。それで恨まれても「だからどうした」「しょうがない」わけです。
 この理屈をやり過ぎると他者に迷惑をかけますので、あくまでもバランスが大切だとは思いますけどね。
 いいたいのは、極度にナーバスになってもしょうがないし、完璧にいい人でいようと思っても、それは土台、無理な話だということです。
 世の中は基本的に混沌としていて、理路整然としている部分はごく一部だと思うから…
 自然は自然の摂理の中で混沌としていますし、その中で生きる一生物である人間も社会も混沌としています。人間が作った正義や倫理って、地球全体で見ればすごくちっぽけなものだと思うんです。そんな正義や倫理の中で絶対に正しくても、生物として正しいかなんてわからないんじゃないかな…
 もちろん他者に迷惑をかけるのはよくないし、様々な宗教が唱える善をぼくは尊重したいけれども、ざっくりした感想だけど、そうした善は、大筋生物としての人間を生かすような主張になっている気がします。

 話が長くなりましたが、生きているのが善で、いろいろ過ちがあるかもしれないけど、それはしょうがないということだということ。だから気にしないし、死んでしまえば何だって同じです。

 机上の理屈で正しいとかなんとかいってばかりいる人は、一度荒れた海に出てみるといいです。自然の力は圧倒的で、その前では人間の考える理屈なんて塵みたいなもので、しかも人は自分が生きるためになんでもするってわかりますから…












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世の中のことはたいていなんとかなる



 以前にも似たような記事を書いているんですが、そういうことを書くのが好きなので、何度も書きます。
 これまでウォータースポーツを30年近くやってきてつくづく思うんですが、まあ、「なんとかなる」ということです。死ななければなんとかなるということです。スキューバーダイビングとかサーフィンとかシーカヤックとかやってれば、慎重な人でも一度はヤバいとか死にかけたという目に遭うものです。でも、まあなんとかなっているわけです。生きているからこんなことを書けるわけで、なんとかなっていないで死んでいる人もいるので、生存者の意見といえるかもしれません。
 それはともかく、逆によくないのはヤバい状況(危機的な状況)で取り乱したり、パニクったりすること。
 そうなるとまだまだなんとかなるかもしれないのに、その可能性を自ら潰してしまいます。
 まさに敵は自分自身。
 自ら、自分の墓穴を掘るとはこのこと。
 それを別な書き方にすると、パニックに陥らず、心の平静を保てば、最後の最後まで可能性はあるわけです。最後の最後と死との一線をぼくは超えたことがないので、どこまで心の平静を保てるかわかりませんが、おそらく微分的にそのギリギリはグレーゾーンとしてずっとぼくの目前に立ち現れているんじゃないかと想像できます。
 どこまで心の平静を保てるんだろう…
 でも、グレーゾーンのぎりぎりまで心の平静を保てば、そこまではなんとかなっているわけで、それはそれでいいんじゃないかと思うのです
「なんとかなるさ」というのは、死の間際でなくても普段の生活で使えるものでして、その日一日がなんとかなればいいや、後はなんとかなるさと考えると少し気持ちが楽になります。
 ぼくの気持ちとしてベースに流れているこの「なんとかなるさ」という信条の多くはウォータースポーツによって作られたものだと感じます。












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ぎりぎりの状況・気持ちの持ち方・生き方…



 ウォータースポーツやアウトドアスポーツをしていて幾度となく経験していることがあります。それは「あぁこんなことするんじゃなかった。どうしよう。でもやるしかない。」ということです。
 抽象的なので具体例を挙げてみます。
 ぼくは海が好きで海辺歩きをするんですが、日本の海辺というのは、砂浜があって岩場があって、また砂浜があってということが繰り返されている地形が多いんです。なので、海辺歩きをしていると必ず岩場を登る場面があります。あるとき砂浜を歩いていると、先の方に急な岩場というか岸壁が見えていました。このままいくとその岸壁を登らなくてはなりません。あるいは砂浜から陸地に入り、陸側から岸壁を越えるルートがあるかもしれないので、そっちのルートをとる方法もあります。その決断をするなら今という状況。
 こういう状況の時、ぼくはたいてい判断を先送りにしてしまう癖があるので、ズルズルと砂浜を歩いてしまいます。
 で、だんだん岩場に来て、いよいよ岸壁っぽくなってきます。岩を見るとところどころ急ですが、なんとか登れそうな気がします。でも、結構急で、確実に手がかり足がかりが続いていると断定できません。
 こういうときにぼくはたいてい前に進んでしまいます。たとえばぼくの高校からの友人のA君は慎重な人なので、彼なら絶対に引き返しているでしょう。
 岩場を登り始めます。だんだん登っていって、この先、急で手がかり足がかりが少なそうです。来た方を振り返ると結構な高さで、今来たところを引き返すのはとてもできなさそうです。岩場というのは、たいてい登るよりも下る方が大変なものです。
 下の方、どうでしょうざっくり15mくらい下には岩場と海が…落ちたら、頭を打ったら死ぬでしょう。打ち所がよくても骨折は免れないかなーって思います。
 また上を眺めます。手がかりになりそうな岩を探しますが、なんとか指が入るかどうか…つかめず滑ったら、あの岩場混じりの海…
 そんなことを想像すると身体がすくんでしまって、手が震えてくるんです。
 そう、ぼくの状況は、引き返すこともできず、前に進むのもリスクがあり、そのままとどまってもいずれ力尽きて落ちてしまう、そんな感じなのです。
 過去のぼくの経験では、こういうときに一番悪手は、パニックになることです。それさえ避ければ、あとは前進と後退のどちらがリスクが低いか冷静に見積もって、一度決断したら恐怖心を無にしてただ目の前の一歩に集中するしかない、そういうことは学んでいました。
 登った方が落ちるリスクが少ないことは、すぐに判断できました。
 次は恐怖心を無にして、手を次の岩に移すことです。落ちるとは考えない、なんとかなる。今は手を動かし足を動かそう、それに集中しよう。
 右手を動かし、左手を動かし、右足を動かし、左足を動かす。それを繰り返してぼくはなんとか岩場を登りきったのでした。
 アウトドアスポーツをする人は、たいていこれに類する経験をしているんではないでしょうか?
 そして、それは単に危機を乗り切った体験談というだけではありません。ぼくの場合、そういう経験が実生活にも生きているんです。
 家族や自分の重病や事故、自分の仕事での困難な状況、生きていれば、いろいろなことがあって、時につらい状況もあります。引き返すこともできず、前に進むのもリスクがあり、そのままとどまることもできない、そんな状況に遭遇することは、ままあります。
 そんなときは、パニックにならず過去を振り返らず、将来のリスクを恐れず、ただ今日の今に意識を集中する、そしてそれを繰り返す、そうすることで、事態を打開できることが結構あります。というかぼくはそうしてきました。
 たぶん生きるとか何かに向かって進むという、不可逆的な方向性を持っていることにはたいてい当てはまるような気がします。











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朝、カーテンを開けると海が…



 毎朝起きるとすること、そう誰もがすることでしょうが、カーテンを開けることが好きです。
 特に晴れた日は…
 カーテンを開けると海が望め、朝陽と共に海面がきらめいています。
 ぼくはもう30年近くウォータースポーツをしていますから、その日の海況が気になります。波の高さ、うねりの強さ、風向き、潮汐、定置網の位置…
 こうして海が眺められて、とりあえず今日は元気です。
 それだけで幸せです。









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空気・水・社会、そして暮らし…



 海辺に住んで、街に仕事に行っています。
 もちろん地元のそばに仕事があればその方がいいのでしょうが、なかなかすべてが思うままにはいきません。
 街のリズムに従って暮らしてしまうと、ときとしてイライラすることがあります。あれはなんなんでしょうね?
 ぼくなど友達の間ではゾウガメのようにノンビリしているとの評価が定着しているようなのですが、それでも一応内心ではイライラしていたりします。
 話は変わりますけど、植物というのは同じ種類でも、育つ環境によって~それは土や気温や空気や太陽によって~育ち方や味が変わってくるんだそうですね。まあ、それはわかる気がします。
 人もそういう面があるのかなーなんて思ったりします。
 もともとの性質や性格はもちろんあるでしょうが、ノンビリしたところで暮らすのと、人の多い東京の都心部で暮らすのとでは暮らしのリズムが違うでしょう。それによってストレスの度合いが変わるということもありそうです。
 空気や水も違うでしょう。毎日確実に身体に取り入れるものですから、空気と水がきれいなところと汚れたところでは、おそらく10年も暮らしていれば、体調も変わってくるんじゃないかなって思います。
 アトピーの方やアレルギーがある方が、都会から田舎に引っ越したら症状が少し治まったという話を耳にしますが、ストレスとの関連がある病気などは発症に変化があるかもしれません。
 ぼくは気分的に落ち込んだり悩んだりすると、積極的に海に出るようにしています。そうすることで気持ちの中で何かが確かに変化します。ずいぶん楽になるのです。
 人はときとして自分ではどうしようもなく悪い状況にはまってしまうことがあります。そんなとき、あるタイプの人がある状況の時、自然に接すると、自然から力を分けてもらえるということが、あるように思います。経験的に…
 ぼくの実感としては、潮風を吸って、陽の光を浴びて、海水に浸かって、海辺のノンビリしたリズムの中で暮らすとずいぶんストレスが緩和されます。自分に合った気候とリズムの中で暮らしているという実感があります。
 都会の満員電車でギュウ詰めなとき、人いきれや汗や香水のニオイでで充満した車内、そんな不快な状況の中で、ぼくは、海辺の空気や波の音を想像します。そうすると少しだけ気持ちを緩めることができるのです。












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入江はぼくにとっての楽園



 シーカヤックは小回りのきく船ですので、岩場や小さな入江にも入っていけます。
 そんな利点を活かして、ぼくは陸からはアクセスできない誰も来ない入江に行くのが好きです。
 そして、そこでボーッとするのが好きです。

 わかる方はわかると思いますが、人が来ない、あるいは外部から人が来るにしても来る方向が特定されているというのは、なかなか心が安らぐものです。生物の本能でしょうか…それとぼくの祖先が武士だからでしょうか…それとも単にぼくの個人的な傾向のせいでしょうか…

 ぼく自身思うのですが、家の中で自分独りになる時間は結構とれるのですが、屋外で、しかも自分が好きな海で、独りになれる時間ってあまりとれないんです。誰も来ない入江だとそれができるわけですね、思う存分。
 そしてその入江一帯はぼくの使いたい放題です。
 水場もかまどもテントを貼る場所も自分の思うままにできます。
 これは子供の頃喜んでやっていた秘密基地遊びそっくりではありませんか…
 あるいは物語で読んだ、桃源郷や竜宮城やシャングリ・ラにさえ、ぼくには思えます。
 スノーケリングしたり、魚を獲ったり、釣りをしたり、食事を食べたりはするんですが、それ以外の時間はボーッとしています。
 聞こえてくるのは、波の音と鳥のさえずりくらい。そんな中でボーッとしています。
 誰にも干渉されず、自分の自由。こんなことが今の世の中ではとても贅沢なことだというのが、なんだか不思議に思えます。











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健康で、海で身体を動かせて、よく眠られれば、それでシアワセ…




 最近やっと気温も湿度も少しさがりやっと過ごしやすくなってきました。
 だいたい台風のことを除けば10月・11月というのは海遊びに最適の時期でして、仕事が休みの日で天気がいい日は海に出たいと思うわけです。
 遠い親戚の法事なんかも、できればなんとか2月あたりにズラしてもらえないかと不謹慎なことを考えてしまうほどです。
 思えばうちの子供が小さい頃は、運動会だの遠足だのの行事があって、「あぁ今日は海に出るといい日だよな」などと思いながら運動会の応援をしていたことを思い出します。うちの近所はお父さんがウォータースポーツをしていることが多くて、パパ友と話すと「今日はサーフィン日和だよね」なんつったりして、みんな同じことを考えているのでした。もちろん子供はかわいいけど、気候のいい日で休みの日というのもなかなか貴重なわけです。
 
 そんな日々なので、スキがあれば海に出ています。この季節は、砂浜にいるだけで、あるいは海辺を散歩しているだけでも気持ちがいいものです。
 海が穏やかならばスノーケリングかスキューバーダイビングかシーカヤックをやり、波があればサーフィンをやり、どれもできないくらい海が荒れていれば、海辺をジョギングしたり歩いたりしています。
 いやもうその気持ちがいいこと…
 暑くもなく寒くもないので、海が荒れていなければ、雨でも海に出るわけです。それでも気持ちがいいことに変わりはありません。
 朝から夕方まで海遊びで身体を思いっきり動かして「いや、もう疲れた、筋肉がきつい、腕が上がらない、脚も上がらない、ヘトヘト」というくらいまでにもっていくのが好きです。
 そして家に帰って、シャワーを浴びて、ビールを飲んで、夜の9時頃にスコンと眠るのがぼくにとってはシアワセな一日なのです











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