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自然・生物・人間・社会・正しさ



 これまでもなんとかなるさというテーマで文章を書いてきました。
 でもまだそのテーマで書いてみたいのです。
 ぼくはスキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンで何度も死にそうになりました。それ自体は怖いけど、実はそんなに怖くはないんです。いくらかの確率で死ぬかもしれないってわかっていて海に出るからです。
 ぼくにとっては、別なことの方が怖いです。
 それはたとえば仕事上で誰かに悪意を持たれて罠にはめられるとか、知り合いに恨まれて嫌がらせをされるとか、近所の人に憎まれているとか、別に身に覚えはないけど何か攻撃されるとか、そういうことです。
 友達に「海に出て怖くないの?」って訊かれたりしますが、いやいや、社会の人間関係のドロドロの方がはるかに怖いし、それって見えないことも多そうだし、どう対処したらいいかもわからないから、ずっと大変だって思います。
 父親がよく「誠実に勝る良策はない」といっていましたが、周囲の人から悪意や恨みを抱かれてしまうことを念頭に置くと、その言葉は確かにそうだと思います。誠実さというのは、数少ない防御策のひとつのように思えます。
 自然の脅威や力のすごさは、初めからわかっていてどうしようもないことですが、他人からの悪意や恨みというのは、自分の行いのせいかもしれないので、そっちは気になります。なんとか防げたかもしれないから…
 それでもなお、人の悪意や恨みや攻撃というのも、まあたいしたことがないと思うんです。
 完璧な人っていないでしょ。誰でもミスや過ちはありますし…それを理由に悪意を抱かれても、「すみません」と謝るしかないですね。それでも恨んでいたら、まあ、どうしようもないですね。

 それに、所詮、人の世の中は生き残りをかけての生存競争です。自分が生き残ろうとするのは、当然のことです。それで恨まれても「だからどうした」「しょうがない」わけです。
 この理屈をやり過ぎると他者に迷惑をかけますので、あくまでもバランスが大切だとは思いますけどね。
 いいたいのは、極度にナーバスになってもしょうがないし、完璧にいい人でいようと思っても、それは土台、無理な話だということです。
 世の中は基本的に混沌としていて、理路整然としている部分はごく一部だと思うから…
 自然は自然の摂理の中で混沌としていますし、その中で生きる一生物である人間も社会も混沌としています。人間が作った正義や倫理って、地球全体で見ればすごくちっぽけなものだと思うんです。そんな正義や倫理の中で絶対に正しくても、生物として正しいかなんてわからないんじゃないかな…
 もちろん他者に迷惑をかけるのはよくないし、様々な宗教が唱える善をぼくは尊重したいけれども、ざっくりした感想だけど、そうした善は、大筋生物としての人間を生かすような主張になっている気がします。

 話が長くなりましたが、生きているのが善で、いろいろ過ちがあるかもしれないけど、それはしょうがないということだということ。だから気にしないし、死んでしまえば何だって同じです。

 机上の理屈で正しいとかなんとかいってばかりいる人は、一度荒れた海に出てみるといいです。自然の力は圧倒的で、その前では人間の考える理屈なんて塵みたいなもので、しかも人は自分が生きるためになんでもするってわかりますから…












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